現代農家の努力と工夫 花東で未来を育てる

自然農法に取り組む鳳林鎮の農家・陳生華さん夫妻。慈済が支援する雑穀生産販売グループに加わり、慈済大学の教員から農業技術の指導を受けることで、農地のレジリエンスが向上した。

天然で安全な作物、衰えることのない土地、農家の妥当な収益―気候変動で影響する生産量、農薬の過度な使用による土壌の劣化という今の環境の中で、これら全てに配慮することは可能だろうか?

国連のSDGs15のターゲットには、環境の保護、回復、持続可能な利用、生物多様性の損失の阻止、土地の劣化の阻止が掲げられている。慈済は世界の動きと歩調を合わせ、清らかな花東地域でこの理想を育てている。

【慈済の活動XSDGs】シリーズ

険な高山と広々とした美しい平野。大自然の恵みは、花東(花蓮、台東)に雄大な豊穣の大地を与えた。農業はこれまで重要な産業として東部の暮らしを支えてきた。しかし、台湾が工業化、都市化するにつれ、花東の若者たちは生活の糧を得るため西部に移住し、高齢化が進んだ花東では、やむなく休耕する農地が増え続けている。地元農業の付加価値を高めて農家の収入を増やし、若者のUターン就農を促すには、どうしたらよいのだろうか?慈済の慈善及び教育志業体は長年にわたり、手を携えて取り組んできた。

気候風土に根ざしたやさしい農業

慈済志業が農業を重視するようになった原点は、気候変動と食糧危機への懸念である。二〇一〇年、花蓮県寿豊郷志学村に二十ヘクタールの農地を借りて志学大愛農場を設立し、様々な作物を試験栽培する慈善農耕モデルエリアを作った。

その頃、台湾糖業公司は製糖に輸入原料を使用していたため、サトウキビの栽培面積が減り、大量の農地を貸し出していた。そこで、慈済は縁を逃さず、台湾糖業から農地を借り受けた。二〇一六年には借地人を静思精舎に移し、借地面積を十二ヘクタールに絞り込んだ。収穫は精舎の日常の食事需要の他、貧困救済や国際災害支援にも用いられた。各地のボランティアが交代で整地し直し、灌漑用水路を通し、有機農法で稲を植えた。安全なバイオ製剤で虫やカタツムリを防除し、除草剤を使わずに人の手で除草した。この八年余り、志学大愛農場では安全なコメを生産してきただけでなく、生態系も益々多様で豊かになってきた。

「実のところ、農業経営はそれほど楽ではありません」と語るのは、慈済基金会慈善志業発展処の呂芳川(リュ・フォンツワン)主任だ。呂主任によると、慈済は花蓮に耕作放棄地が多く、また、耕作を続けている農民も資材や設備、技術の不足に加えて今どきの販売ルートに詳しくないことから、十分な収入が得られないばかりか、投資が水の泡となることもあることに気づいた。そこで、花蓮農業改良場、花蓮県政府農業処等の関連機関と協力して、二〇一三年より秀林郷、万栄郷、光復郷、豊浜郷、卓渓郷の五大原住民集落で、地元農家による農業生産販売グループ設立を支援することにした。

インカインチなど経済的価値の高い作物を導入した他、台湾赤キヌアなど良質な伝統作物の栽培技術を改良することで、農業の収益性を向上させた他、慣行農法から農薬、化学肥料、除草剤を使用しない、風土気候に根ざした環境にやさしい農業への転換促進にも力を注いでいる。

「花東は土、水、空気が最もきれいな場所。ですから、農家や住民の食の安全を守るため、私たちは先ず耕地の活性化から始めました」。呂主任は花蓮で環境にやさしい農業を推進する意味をこう語った。「次に取り組んだのは若者のUターン就農を促し、祖父母が孫を育てる東部の社会構造を三世代同居に戻すことでした。若者は(都会のように)高い家賃や生活費を払う必要はなく、故郷に帰って、自分が社長になればいいのです」。

花蓮志学大愛農場で農作業に精を出す慈済ボランティア。ここは安全な有機農法を貫く「耕福田」だ。(撮影・釋徳倩)

垣根を越えた連携で
生産・販売・加工を支援

慈善志業は農家を全力で支援しており、教育志業も農法に対する考え方、農産加工、マーケティングなど多方面から農家をサポートしている。

二〇一三年、慈済科技大学医療画像及び放射線科学学科の劉威忠(リュウ・ウェイヅォン)教授と耿念慈(ゲン・ニエンツー)教授を顧問として学生サークル「花言葉」が設立された。彼らは主に薬草や花卉を栽培した他、少量の雑穀も栽培し、経済状況の厳しい学生の栄養補給のために提供した。

大学側は彼らに寮敷地内の空地を畑として提供した。最初は鋤を揮うたびに石に当たった。土の中で縦に細長く伸びていくキャッサバさえ、横方向に伸びるしかなかった。それを知った建築出身の慈済ボランティア徐文龍(シュ・ウェンロン)さんがパワーショベルやブルドーザーなどの重機で石塊を掘り出し、教師と学生たちの先頭に立って、整地を完了した。彼らはそこを「耕福田(福田を耕す)」農場と名付けた。また、園芸サークルとして始まった彼らの活動は、次第にアグリバイオ開発へと進化していった。

台湾赤キヌアは手入れしやすく、三、四か月で収穫できる。彼らは台湾赤キヌアの栽培や加工において素晴らしい成果を上げた。二〇一六年七月に台風一号が台東を襲った時、證厳法師は被災した農家たちが困難を乗り切れるよう、慈済科技大学に台湾赤キヌアの栽培・加工・販売について被災農家向けのクラスを、責任を持って開いてもらった。このうち、栽培技術と加工については劉教授と耿教授が、マーケティングについてはマーケティング・流通管理学科の陳皇曄(チェン・フワォンイエ)先生と郭又銘(グオ・ヨウミン)先生が指導した。

台湾赤キヌア以外にも、慈済科技大学アグリバイオチームは多くの原住民集落に赴き、伝統作物や伝統野菜を研究した。例えば「雨来菇」のあだ名を持つイシクラゲ、潮間帯の岩場に生える海草「スジアオノリ」、原住民にも漢人にも愛されるシマオオタニワタリなど、いずれも直接食べる以外の新しい用途が開発された。

この十年余り、慈済科技大学の教師と学生は花東の農家やアグリバイオ企業のために、多くの技術的問題を解決し、「即戦力」を有する人材を提供してきた。「学生たちは現場での作業から始めることを厭いません。さっきまで笠をかぶって石を拾っていたかと思うと、次は実験室で精密な計器を操作しているなんて、想像できないでしょう。ですから、彼らは現場のことも作物のことも非常によく理解しているのです」。

佳民部落でイシクラゲの収穫体験をする慈済大学の教師と学生(写真1)。集落の農業青年が英語で自分の農産物を紹介できるよう指導する外国語文学学科の田薇先生(写真3)。良質な農産物の展示販売ルートを開拓(写真2)し、実質的な利益を得てはじめて持続可能な経営が可能となる。(写真提供・慈済大学)

CO2削減が収入に
時代の波に乗る小規模農家

慈済基金会は慈善農業の推進を主導し、農家に必要な種苗、農機具、資材等を提供している。また、豊富な研究開発経験を持つ慈済科技大学アグリバイオチームが農産加工とマーケティングの指導を担っている。

この他、台湾教育部が各大学に「大学の社会的責任(University Social Responsibility、略称USR)」の実践を求めていることを受け、慈済大学ではUSR教育研究センターを設立し、これにより地域の課題解決を支援し、地方創生の実現を目指し、農業観と経済モデルの改良を後押ししている。

二〇二四年、慈済大学は雑誌『遠見』が主催するUSR大学の社会的責任賞に初めて応募し、「里山が団結して炭素経済へ―地域における持続可能な消費と生産の実践プロジェクト」で「生態共生部門」模範賞を受賞した。

「里山」という言葉は日本語に由来し、元々は丘陵地帯を指しており、丘や樹林地、農地、草原、家、ため池、川などから成った、自然と人間文化が混ざり合った地域を言う。この概念は花蓮の伝統的な風土文化と図らずも一致し、慈済大学によるUSR実践の方向性とも合致する。そこで、USR教育研究センターでは里山をプロジェクト名に採用したのである。

「私たちは現在、低炭素と自然農法を推進しています。この二つをやり遂げれば、農地全体の生態系も生物の多様性も改善します」。USRセンター計画座長を兼任する江允智(ジャン・ユンヅー)教授の説明によると、「パリ協定」の項目の一つに「四パーミル・イニシアチブ」がある。これは、世界の土壌に含まれる炭素量を年間〇・四パーセント(四パーミル)増やすことで、人間の活動で発生する温室効果ガスを相殺できるというものだ。この「炭素経済」は農家の実質的な収入源になるという。

「私たちは有機農法や自然農法を採用するとともに、循環型経済モデルを通じて廃棄する農業資材を土に還し、そして、定期的に土壌の有機物に含まれる炭素量の増加を測定することで、農産物の付加価値を高めるよう、農家を指導しています」。

江教授は補足して言った。「CO2削減量取引」はすでに世界の趨勢となっている。農家が信頼性のあるデータを提出し、温室効果ガス削減量を証明すれば、その証明書は「カーボンクレジット」として、排出量の削減が必要な企業に売ることができるのだ。つまり、「土壌カーボンシンク」で収入を得ることであり、吸収する炭素が多ければ多いほど、収入も増えるのである。

現在、慈済大学USRチームはコメ農家と協力して、「低炭素米」の栽培実験を行っている。そして、種まきから収穫まで、耕作サイクル全体のCO2排出量を調査分析し、「炭素経済」の可能性を探っている。ただ、農家がどれだけ勤勉に耕作しても、栽培した高品質の農産物が最終的に売れて、お金にならなければ、持続可能な経営にはならない。

そこで、慈済大学USRチームは農家のために販売ルートを構築することにした。二〇一八年、志を同じくする教授数名が発起人となって「食の永続消費コープ」を設立し、指導を受ける小規模農家が生産した農作物や加工食品を校内で販売した。

「簡単に言えば、お金を外に流すのではなく、地域内で回すということです」と発起人の一人である邱奕儒(チュウ・イールー)教授は言う。慈済大学のコープは教職員、学生、ボランティアが共同で投資・運営し、全メンバーに運営に参加する権利がある。そして、買うことで地元の農業や農村経済を支えるのである。

邱教授はコープの仕入れ原則について説明してくれた。「環境にやさしい有機商品と地元花蓮の商品を優先しています。特に地元の協同組合が生産したものは、必ず優先的に仕入れます」。

店舗で販売するほか、慈済大学では毎月の「慈誠懿徳日」に小規模農家市場を開催し、農家に自分で育てた良質の農産品を展示販売する機会を提供している。

「誰から買うかは、最終的にお金がどこに流れるかを左右します」。コープ副理事主席を兼任する慈済大学公衆衛生学科の謝婉華(シエ・ワンフワ)教授は、「責任ある消費によって持続可能な生産を支えていきたい」と強調する。

「価格」よりも「価値」を重視する経営理念が消費者、生産者、地域住民のパートナーシップを生み出した。コープとの経済的な繋がりが、「里山が団結して炭素経済へ」の理念を暮らしの中に実現している。

シマオオタニワタリ畑で除草作業をする佳民集落の農業青年・林秀瑛さん。地元の原住民たちは、慈済大学の教師のアドバイスで黒の遮光ネットを撤去し、自然の木陰で日差しを遮る元来の環境でシマオオタニワタリを育てている。

名物シマオオタニワタリ
生産から開発まで

二〇一三年から始まった五大原住民集落での生産販売グループ設立支援、種苗や資材の提供、生産・販売・加工の指導は今年で十二年になる。慈済基金会と慈済大学は、支援農家とは今や深い友情で結ばれている。農家もそのお返しに、慈済大学の教師と学生の実習に農地を提供したり、学生のアルバイトを受け入れたりしている。

「去年、私たちは慈済大学外国語文学科の田薇(ティエン・ウェイ)先生と協力しました。先生は学生を連れて、私たちに英語での通訳と解説の仕方をトレーニングしてくれました。私たちも産学連携の方式で、田先生を通じて学生アルバイトを募集しました。外国のお客さんが来たら、英語のガイドと通訳に来てもらうのです」と、新城郷佳民部落(原住民の居住地のこと)に住むタロコ族の農業青年・林秀瑛(リン・シュウイン)さんは、最近の慈済大学との協働について概要を話してくれた。そして、慈済と縁ができた経緯を振り返った―。

一九九〇年代ごろ、佳民部落ではシマオオタニワタリの栽培ブームが起きた。高い時は一台斤(六百グラム)が二百三十元で売れ、部落の人々は先を争って栽培を始めた。ところが、販売や市場の動向に疎い農家は、卸売業者に買い叩かれ、一台斤十五元にまで値が下がった。シマオオタニワタリは儲からないと誤解した人々は、次々に栽培をやめてしまった。それを知ったUターンの若者が、レストランやホテルなどの末端顧客と直接連絡を取ったことで、ようやく農家は妥当な収入を得られるようになり、シマオオタニワタリの栽培は安定してきた。

ただ、シマオオタニワタリの若葉は摘むと二、三日で枯れて黒ずんでしまい、保存できないという問題があった。この課題を克服するため、佳民部落の農業青年たちは慈済科技大学のアグリバイオチームに支援を求めた。劉先生と耿先生は学生と共に研究を進め、シマオオタニワタリの若葉を粉末にして、様々な食品に加工することに成功した。佳民部落の名物であるシマオオタニワタリのヌガー、クッキー、アイスクリームなどはこうして生まれたのである。

二〇二〇年、新型コロナの流行が花蓮の観光業に深刻な打撃を与え、佳民部落のレジャー農園は客足もまばらになった。農業青年たちは困難に遭遇しても努力をやめず、慈済の大学の教師に指導を求め、農業技術の改善を続けた。彼らは邱教授の指導でシマオオタニワタリ畑の遮光ネットを取り払い、昔のように自然の木陰を作って日差しを遮る自然農法を実践した。

二〇二三年になると新型コロナが落ち着き、商売がようやく好転の兆しを見せた。しかし、二〇二四年にはまたも○四○三花蓮地震や台風二十一号などの天災に見舞われ、再び観光客が激減したばかりか、集落内のシマオオタニワタリ畑も深刻な被害を受けた。だが、災害の試練に直面しても、佳民の農業青年たちは再び持ちこたえた。慈済の教師たちも、とことん支援を続けた。観光が復興するまでの、仕事が比較的暇なこの時期を利用して専門能力を強化するようアドバイスすると共に、製品開発に更に力を入れた。

原住民の農家と共に集落の空地を調査し、フードフォレストづくりの可能性を検討する邱奕儒教授(右)とドイツ人特別招聘教授ノイゲバウアー先生(中)。

慈済大学USRセンターが特別に招聘したドイツ人教授ノイゲバウアー先生は、フードフォレストの構成について解説してくれた。食糧作物を栽培するほか、作物に養分を与えたり、作物を保護したりするために、他の支持的植物も配置するという。

自然で生計を立てるなら、
自然を大切にしよう

慈済が台湾で無農薬・無化学肥料の環境にやさしい農業を原則とする慈善農業を推進して、すでに十年余りになる。進みながら隊列を整え、絶えず実験して学ぶ過程であった。収穫の喜びがある一方、天災の猛威という無常にも見舞われた。

例えば、豊浜郷の生産販売グループで栽培していたインカインチは、昨年の冬の寒風に耐えられず、低温被害で大量に枯れてしまった。そこで慈済は、インカインチの代わりに、同じく食用油が搾れるユチャの苗を農家に提供した。

近年、慈済大学は「フードフォレスト」の研究開発と普及に力を入れている。「全ての太陽エネルギーは炭化物に転化して土壌の養分となります。炭素を土壌に入れ込むことで、最終的に強靱なシステムが形成されます」。耕福田農場に入ると、土壌生物学が専門のドイツ人特別招聘教授トビアス・ノイゲバウアー先生がフードフォレストの構築過程を簡単に説明してくれた。まず、土壌を整え、様々な作物の特性や成長周期に応じて、低、中、高および突出部に区分する。また、経済作物だけでなく、支持的な植物や作物も植えなければならない。例えば、風や強い日差しを遮るための高くて頑丈な喬木などだ。

「台風が来ると頑丈な木は残り、弱い木は倒れて、他の木の養分になります。私たちも同じことをするのです」とノイゲバウアー先生は言う。彼によると、フードフォレストは、今はまだ定期的な伐採や剪定など人間による管理が必要で、倒れた木や落ちた枝、葉は土に還って養分になる。そのうちにシステム全体が安定してくれば、さほど労力を割かなくても良好な状態を維持できるという。

食糧は命の源であり、農業は食糧生産に止まらず、文化、教育にとって欠かせないものである。国連が提唱する持続可能な開発の視点から見ても、大地にやさしい農耕法を採用し、そこに共存共栄の経済モデルと結び付けることは、持続可能な生態系と地域づくりに役立っている。さらに炭素を土壌に取り込むことで気候変動の緩和に大きく寄与している。

慈済の慈善と教育志業体が台湾で慈善農業を推進しているのは、汚染されていない安全な食糧を生産するためだけではない。「一粒の種」から、人・地域・大地の共存共栄が育まれることを願っているのだ。ボランティア、教師、農家たちの懸命な努力はすでに実を結び始めている。将来は技術、農業観、経営モデルが向上するにつれ、花東地域の原住民集落、さらには全世界の慈済と縁のある地域が、より大きな善の効果を生み出すことにも期待を寄せている。

(慈済月刊七〇一期より)

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