
世の苦難にある人を愛護するには、見て聴いて、手を差し伸べることを、心を込めてやればよいのです。毎日、毎秒、尽力すれば、時間と人生の価値が出てきます。
時は無形、無声のまま素早く過ぎ去り、取り戻そうとしても叶わず、これからまだどれだけの時間が残っているのか知るよしもありません。人生は無常なので、一分一秒を把握してこそ、現在があるのです。この数十年間で感謝しているのは、「仏教の為、衆生の為」という思いです。私の恩師が下さったこの短い二句を、私は謹んで行動に移し、現在に至っています。慈済は間もなく六十年になりますが、どうやって累積するかを考えたことはなく、ただ人間(じんかん)の苦を見て忍びなく感じ、如何にして助けられるかと、今日まで毎日毎秒、奉仕を続けてきた次第です。
時間は人生を成就させます。時間がなければ、四大志業も作り出せません。私は、菩薩たちと四大志業のチームが天下の米櫃を担いで来てくれたことにとても感謝しています。皆さんが心を合わせ、同じ志を持って、私の心に寄り添ってくれていなかったら、今日の慈済はなかったでしょう。私が休むわけには行きません。休めば時間の価値を失うからで、時間さえあれば、私は苦労を厭わず、その一点一滴を惜しんでいるのです。
今の時代と五、六十前とはまったく様子が違います。社会の経済状況は良くなりましたが、貧富の格差はさらに広がりました。私は毎日同じ場所に座り、出歩く範囲もとても小さいのですが、私の心は日々天下を見渡しています。科学の発達によって、指先でタッチするだけで直ちに国際時事が眼の前に現れます。世界の天気が不調をきたし、人心の不安が引き起こされているのを見ると、私はいつも気にかけ、謙虚な気持ちで平穏無事を祈っています。さらに人々が真の愛を培い、苦難にある人を見たら両手を差し伸べ、助け起こして祝福することを願っています。
地球の人口が年々増加するにつれ、思考も益々発展し、若者も自分なりの考えを持つようになっており、私はついていけないと感じることがよくあります。それでも、人は元々善良な心を持っていることを信じ、良い環境さえあれば、縁のある若者が賛同の下に喜んで参加し、彼らが人生の価値観を理解し、共に人間(じんかん)に奉仕して、社会を利するよう教えています。
やるべきことは、やればいいのです。多くの出来事は、見えて、考えが至っても、やり遂げられません。力に限りがあっても、縁の届く範囲内で聴いて、知って、やれるなら、力を尽せばいいのです。毎日、真面目に精神を集中して、自分にできることをやる、それだけなのです。
三月末にミャンマーで強い地震が発生し、被災状況の報告では、六百以上の寺院が倒壊し、多くの人が負傷し、受け入れていた孤児たちも安心して暮らせなくなったと聞きました。どうやって支援すればいいのかと気に掛けても、一番難しいのが物資の搬入です。ミャンマーの慈済人は、直ちに救済活動を開始しました。人数は少なくても諦めることなく、私たちも諦めることなく、努力して方法を考え続けました。今回の救済で、自分の力に応じた救済を、実行していくことにしました。
人間(じんかん)ではままならないことが多く、困難も多くあります。振り返って、平安な所で生活していることに感謝し、大切にしなければなりません。日々、僅かな硬貨で少額の寄付をしても、自分の生活には影響しませんが、毎日人助けしたいと思う気持ちが大切なのです。一点一滴も集まれば川となり、海になります。この海はみなさんの一滴が少しずつ集まったもので、苦難を助ける大きな力になり、そして自分の人生の価値も成就させているのです。
人生を思い返すと、感謝する事が多々ありますが、自分の心に愛があることに感謝しています。幼少から成長して青年になり、中年に入って、老年期を迎えるまで、時は過ぎましたが、「愛」という文字だけは永遠に無くなっていません。また、愛がいつも私の周りにあり、少なくなったことはありません。国内外の菩薩が帰ってくると、毎日私と誠の大愛について語り合っています。このような互いの間にある愛は、清浄無垢なのです。
今年は去年と同様、シンガポールとマレーシアの慈済人が慈済の記念日に、インドの霊鷲山において、昔日に釈迦牟尼仏が説法された場所で、『無量義経』を唱えました。皆が整然とした隊列を組んで一歩一歩、仏を拝みながら登り、『無量義経』を唱える声を聞いていると、その様な境地を思い浮かべながら、今回も感動と羨望を覚えました。今生の私は、そこまで行くことは叶いませんが、毎日早朝、私の心は霊鷲山に向かって拝礼しています。皆が私の敬虔な心を伴って、一歩一歩仏陀の精神世界に近づいていることに感謝します。福を修めて、人間(じんかん)に幸せをもたらすと共に、智慧も修めなければなりません。二千五百年余り前に、仏陀はこの場所で説法して、その慧命は今日に至るまで受け継がれ、霊山法会は永遠に散ることはないのを目にしました。
この時代で非常に需要なことは、皆の心が安定することです。安定した心があれば、自分に対して自信が持て、喜んで善行をすることができるのです。奉仕することで自分を損なうことはなく、人の心の中の泉のように、世の衆生を潤すことができるのです。この心の泉は尽きず、どれだけ汲んでも減ることはなく、世を利するエネルギーは増え続けるのです。愛のエネルギーには、私、あなた、みんなの参加が不可欠で、互いに感謝し合い、一人ひとりの効能と良能が、井戸水のように枯れることはなく、人間に大きな福をもたらして、奉仕しただけ福が得られるのです。皆さんの精進を心より願っております。
(慈済月刊七〇二期より)
