六月の出来事
06・02
◎慈済インドネシア支部は2003年、北スマトラ州メダン市の低海抜地域に位置し、洪水被害に遭った、国立六… Read More »
古いジーンズがニューファッションに
紡績アパレル産業は、石油産業に次いで二番目に環境を汚染する産業である。ジーンズを一本作るだけで、三千七百リットルの… Read More »
謝罪と許し
彼女は、以前もう二度と会いたくない人だと思っていた。
五年後、私たちは互いに抱擁し、祝福し合った。
「ごめんなさい… Read More »
二千五百年前に始まった物語
インドのブッダガヤにある世界遺産のマハーボディ寺院は、仏陀が悟りを開いたことを記念し建てられたものである。
二千… Read More »
この瞬間の敬虔さを忘れないように
手を合わせて
心を一つにし、
心願をかけるのです──
その瞬間の思いと敬虔さを忘れてはなりません。
日々、
時時刻… Read More »
インドの慈済
慈善・教育・医療。●長期ケアケース26世帯、緊急ケアケース16世帯
●シロンガ村の火災支援5世帯
●36戸のシロ… Read More »
能登半島地震 自らの手で見舞金をお年寄りに届ける
能登半島地震の被災者は、
市役所から慈済が「見舞金」を配付する由の通知を受け取ったが、
疑念と期待が入り交じった心… Read More »
仏教遺跡を行き来するタイムトラベラー
慈済はさまざまな国で貧困救済や災害支援を行っているが、
それはそれぞれの縁が結ばれたことに因る。
インドのブッダガ… Read More »
0403台湾花蓮地震
地震の後、台湾全土で百棟以上の建物に
赤(危険)や黄色(要注意)の紙が貼られた。
甚大被災地の花蓮では、
慈済が公… Read More »
仏の恩、親の恩、衆生の恩
産んで苦労して育ててくれた親の恩、
真理を悟るよう教えてくれた仏の恩、
人としての道を歩むよう教え導いてくれた師の… Read More »
地面が痛まないようにそっと歩こう
四月三日に台湾東部の花蓮県沖で発生した強い地震は、地震に慣れている花蓮の人々を恐怖に陥れ、今も苦しめている。当日、… Read More »
暗闇で蛍が道案内
災害に見舞われて生活が困難に陥った人は、
助けを必要としています。
彼らの一時的な困難を解決するうちに、
長期的に… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
グローバル慈善
證厳上人のお諭し
聞・思・修
廃棄物の春
特集
行脚の軌跡
六月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。