そっと医療チームに渡した言葉

「もうこれ以上苦しみたくありません。でも、意識がある時に死を迎えるのが怖いのです」。彼女はそう書くと、そっと医療チームにメモを手渡した。人工透析とがんの再発・転移との闘いが続いた十年間は、諦めるか否かという問題における彼女と母親の葛藤の時間だった。

私たちは、それがこの命に対する忍びない思いであるとわかっていたので、彼女らの愛と尊厳の歩みを見守ってきた。

四十三歳の劉さんは一人娘である。若い頃に糖尿病を患ったが、定期的な検査と治療は受けていなかった。結婚して二年後に、息切れや体のむくみなどの症状で受診した結果、人工透析が必要だと診断された。自分の家庭を築いたばかりなのに、そのような深刻な挑戦に向き合わなければならないなんて、彼女にとって大きな打撃となった。しかし、両親の励ましと寄り添いで、最終的に透析治療を受ける決心をした。

その一年後、劉さんの父親も糖尿病の合併症で透析を始め、父娘は大林慈済病院の透析室で十年間、互いに寄り添ってきた。その間、血管のシャント閉塞や再建手術を経たが、体調は概ね安定しており、明るく前向きな二人は、透析室の皆にとって馴染み深い存在になっていった。

しかし、運命は再び劉さんに試練を与えた。透析を始めてから五年後、子宮内膜がんと診断され、化学療法を始めたが、その後、肝臓へ転移してがんが再発した。二年前に切除手術を受けたものの、術後の状況が思わしくなかった上に、化学療法で著しく疲労し、体も衰弱してしまった。彼女は生きることを諦めたわけではなかったが、もはや積極的に治療することも選ばなかった。

今年五月、彼女の病状は悪化した。シャントは繰り返し閉塞し、がんの転移による痛みでゆっくり眠ることも難しくなったのだ。彼女は私たちに、「ホスピスで緩和ケアを選びたい。痛みのない中でこの世を去りたい」と言った。

その選択の途上で、彼女と母親は感情が高まって意見が対立し、何度も口論になり、じっくり対話することが難しくなっていった。だが、そばで見ていた私たちには分かっていた。それは、人生の旅路を手放したくないという忍びない思いだったのである。

七月、劉さんは再び入院した。彼女は自身の病状をよく理解していた。「これが最後の入院だ。もう退院することはないだろう」。そして、そっと一枚のメモを医療チームに差し出した。「もう苦しみたくありません。でも、意識がある時に死に向き合うのが怖いのです。どうか眠っている間に静かに旅立てるよう手助けしてください」。

医療チームは、患者の体をケアするだけでなく、患者と家族が「手放す」という難しい課題に向き合えるよう寄り添い、彼らが理解と支援を得られていると感じるようにしなければならない。劉さんは私たちにこう教えてくれた。「人生の最期の道のりでも、人は勇敢に、尊厳と愛をもって旅立つことを選択できるのです」。

医療の仲間たちにも、共に励ましあい、慈悲と理解の気持ちを持って、患者さんの人生の転換点を乗り越えられるように見守ってほしいと思う。時には「手放す」こともまた優しさである。次の新たな旅路で新しい夢が花開くことを願うばかりだ。(二○二五年七月二十三日のボランティア朝の会より)

(慈済月刊七一〇期より)

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