自分への挑戦 チームが付きそう

毎日昼と夕方、「健康チャレンジ21」に参加している人は、決まった場所で弁当を受け取る。
濃い味を欲する欲望から遠ざかり、多めに水を飲み、糖分のある飲み物を避けて運動する。
これは全植物性飲食㊟にして自分を鍛錬するチャレンジであるだけでなく、それ以上に、人同士が寄り添い、互いに励まし合って堅持する過程なのである。
会社勤めをしている林さんは、パン類と揚げ物が好きで、ずっとコレステロール値が高く、家族は遺伝だと言ってあまり気にしなかった。「薬を飲み続けるのは嫌ですが、健康でありたい。やらなければならない事がたくさんあるからです」と彼女が言った。もう一人の乳がんを患っている上に胃腸も悪い女性は、中性脂肪値がいつも高く、長期間薬を服用して抑える必要がある。また、建築業に従事する六十歳の沈さんは、社会に出てから付き合いの場で喫煙して酒を飲むことが多いため、中性脂肪値がびっくりするほど高い。
彼らは「もっと健康でありたい」と思っていた。そこに高雄慈済ボランティアの誘いがあり、「健康チャレンジ21」に参加した。その期間中、飲食は全植物性飲食に限られ、少なめの油、塩、砂糖だけを使い、加工食品と卵、乳製品は禁じられた。
参加した大部分の人たちは、初めは「味が薄すぎて慣れない」と異口同音に言っていたが、僅か一週間で、多くの人が体に起きた変化に驚いた。「夜は寝付きが良くなった」、「疲れにくくなった」、「体力が増した」などだ。このようにプラスの印象を持ったことが、このまま続ける原動力になった。
㊟「全植物食飲食」とは、単なる菜食やビーガンのことではなく、
精製や加工を一切していない植物の食生活のこと。
良い反応が出た食事
二十一日後、参加者の多くにオーバーしていた数値の改善が見られ、正常値に戻った人もいた。林さんの悪玉(LDL)コレステロール値が百八十八から百十七の正常値に下がったことを喜び、二回目の「健康チャレンジ21」に参加を申し込むと同時に、次に参加するまでの間、全植物性飲食ができるような、調理済みの食材か簡単に調理できる方法はないか、彼女が尋ねた。
以前は肉食だった沈さんは、高血圧、高コレステロール、高血糖の問題があり、長い間、薬でコントロールしていた。長年かかりつけ医をしている高雄慈済人医会メンバーの陳登旺(チェン・ドンワン)医師に勧められて、今回のチャレンジに参加した。活動後の血液検査で、千八百余りだった中性脂肪値が七百四十余りに下がっていた。「こんなことがあるのか?」と彼は驚き、次回の活動にも参加することにした。
血液検査を手伝った検査技師の荘章全(チュアン・ジャンチュエン)さんも驚かされた一人だ。六十歳の沈さんは、以前は少ししゃがむと息が荒くなり、白髪が日に日に増え、皮膚には老人斑が現れて、爪がザラザラになっていた。「活動に参加していた二十一日の間、精神的にも胃腸の状態も非常に快適で、頭のてっぺんから足の先、皮膚の隅々までも調子が良いと感じました」。
高雄の慈済ボランティアが結成した「健康チャレンジ21」の運営チームは、毎期の活動が行われる前に栄養士と共に弁当を試食し、盛り付けや味、栄養について討論する。
荘さんによると、「彼は白髪が減って黒髪が増え、体重は三キロ減り、体力も大幅に増強しました。また、日々の排便も順調になり、皮膚の斑点が薄くなって、爪も滑らかになり、つやが出てきました」。
彼があらゆる加工食品を食べなくなり、調味料を少なくしたことは家族にも影響を与えた。家族は「健康チャレンジ21」には参加していないが、彼と同じようにあっさりした食事をするようになり、妻は二キロ痩せ、子供たちの健康も多少改善された。
多くの参加者の前向きなフィードバックは、ボランティアチームに自信を与え、続けさせる力となっている。彼らはレストランと慈済人医会の医師、栄養士たちと一緒に、異なる食材の比例を調整し、毎日の参加者との意見交換を通して、一人一人の食事の状況や体の変化を把握している。
この活動は、互いに関心を持って、全植物性飲食で心身の健康を鍛えるものであり、濃い味に対する欲望を抑え、糖分のある飲み物を止めて水を多く飲み、よく運動をすることで、より健康になろうとチャレンジするものである。
運動は不可欠
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、生活習慣病を含む慢性疾患患者は、一旦感染すると重症化しやすい高リスク群であるという統計データがある。それに、二〇二〇年台湾十大死因の統計を見ると、半分以上が慢性疾患を患っており、特に心臓と脳血管疾患、糖尿病、高血圧など、飲食習慣がその原因の一つであるものが多い。
高雄のボランティアの歐于菁(オウ・ユージン)さんは、マレーシアのボランティアが「健康チャレンジ21」活動を紹介するのを聞いた。それは二十一日間の全植物性飲食を続け、挑戦前と後に採血して、健康診断の数値に変化があったかどうかを検証するものだった。医師によると「私は二十年間医師をしていますが、こんなに多くの人が短期間のうちに、健康診断の数値が全面的に健康に向かっているのを見たのは初めてです」。歐さんはこの活動に興味を持ち、行動に移して、飲食管理チーム、寄り添いチーム、運営チーム、医療チーム、イベント活動チーム、ポスター宣伝チーム、調整チーム、人文記録チームなどに係を分けた。
歐さんとボランティアチームメンバーの蔡雅純(ツァイ・ヤーチュン)さんは、栄養士と一緒に長期的に協力して菜食を勧めている中華と和食、インド料理の各菜食レストランと、弁当作りについて意見を交換した。今では、月曜日から金曜日までの昼と夜、二食の弁当を参加者に提供している。第一期目の活動を開始する前、栄養のバランスを確認するだけでなく、惣菜の味を確かめるために、二回繰り返して試食を行なった。
弁当には化学調味料は使わず、天然の食材で味付けするため、レストランにとって大きな試練となったほか、歐さんにとってシェフたちとの意思疎通も難題だった。「感動したのは、シェフたちがSNSであらゆる質問に答えていたことです」。多くの「困難」と「挑戦」は、一つ一つ克服していけば解決できるのである。

高雄のボランティア・蔡雅純さんと林維揚さんはオンライン画面を通して、如何にして化学調味料を使わずに天然食材だけで、多様な朝食を作ることができるかを、参加者と分かち合った。(撮影・王瑾)
全植物性飲食は、毎食の全粒穀物とタンパク質、野菜、果物がそれぞれ四分の一になるようにするが、野菜が果物より多くても構わない。気温が高いと果物の新鮮度を保つのが難しいので、弁当は野菜と果物を合わせて二分の一にし、果物は参加者自身で用意してもらっている、と歐さんが説明した。食材を検査する飲食管理チームの黃美樺(ホワン・メイホア)栄養士は、始まりの頃のチームは要求がとても厳しかったと話す。「私たちは秤でそれぞれの野菜の重さを測り、栄養成分が標準に達しているかどうかを計算していました」と言った。しかし、毎日の弁当の数がとても多く、レストラン側も食材の比率が何度も修正されることに対応できず、最終的には食材の体積を見て、それぞれの割合が範囲を超えているかどうかを判断することにした。
弁当以外に、朝食は如何にして規範を守るか?イベント活動チームボランティアの王瑾(ワン・ジン)さんは、栄養士が早朝に朝食レシピを参加者に配信し、参加者が朝食に何を食べたかを分かち合うことで、互いに学び合えるようにした、と説明した。一部の参加者は「野菜と豆腐の蒸し物味噌仕立て」、「松本茸炊き込みご飯」、「アボカドと豆腐のスプレッド」など豊富なレシピを分かち合った。
弁当の提供がない土曜日と日曜日には、ボランティアが作成した「シェフが我が家に来た」というDVDを使い、レストランが弁当を作る代りに調理済み惣菜と食材の冷凍パックの使い方を教え、参加者が家にいても慌てることなく、自炊できるようにしている。
運動もとても重要である。チームは高校の体育教師だった曾英嘉(ズン・インジア)さんを招いて、オンラインで参加者にストレッチのやり方、コアマッスルの鍛え方を分かち合ってもらった。「両腕を広げ、お腹を引っ込める。手で弓を引くように、右左交互に行う」というように、僅か数分間だが、「何回かやってみましたが、いつも汗をかきます」と蔡さんが言った。
知識を学ぶ上では、王瑾さんは毎日朝昼晩に、「健康チャレンジ激励カード」と「栄養の知識」、「医学豆知識」 の絵カードを配信し、参加者に「市販のおやつの代りに、天然食材のバナナやリンゴ、赤サツマイモ、枝豆なども食べ応えがある」ことを理解してもらい、「毎日充分に水分を取ることを忘れないでください」と注意を促している。
昼と夕方に弁当を食べる時、寄り添いチームボランティアの陳春杏(チェン・チュンシン)さんは、「弁当に慣れましたか?」、「体に何か変化は起きましたか?」と尋ねる。ある人は「二週間で一キロも体重が減った」と言い、「お腹いっぱい食べても眠たくなったり、疲れを感じたりすることなく、とても元気に仕事ができます」という人もいた。「皆さんはクッキーやパン、インスタントラーメンが恋しいのではないでしょうか」と陳さんは時々、参加者をからかう。「食べたいけど、健康のために頑張り通します」と言って笑顔を見せる参加者もいた。


咀嚼すれば、味わい深くなる
多くの参加者は元々肉食が習慣になっていて、初めは適応することが難しかった。毎週日曜日の午後に行われるオンライン交流会では、栄養士がどのように食材の成分や出所を識別しているかを皆と分かち合っている。弁当に豆類が入っていて以前より多く摂取しているため、お腹にガスが発生しやすくなっている、という質問が出ると、食物をよく噛んで、唾液に含まれているアミラーゼ(消化酵素)が十分に作用すれば、胃腸も次第に新しい植物繊維に適応するようになり、そのうちに改善できるはずだ、とアメリカ在住の高雄慈済人医会メンバーである邱聖聡(キュウ・ションツォン)医師が説明した。
「運動する場合、どのような栄養素を補充すべきでしょうか」という質問には、邱医師が次のように説明した。全植物性の食事は電解質やミネラルが不足することはないが、過度な運動による負荷は体の負担になり、炎症を起こしてしまう。電解質を補充するなら、五百ミリリットルの水に小さじ一杯の天然の海塩を混ぜた水を飲むことを勧めている。市販のスポーツ飲料の多くは天然のものではなく、化学調味料を使っているので勧められないそうだ。
消化器内科の謝明裕(シェ・ミンユー)医師はいつも、甘い物や市販の飲み物、果物を好む参加者に言っている。「塩分をとらないと生きていけませんが、甘い物を食べなくても死ぬことはありません」。多くの揚げ物類や加工食品には人工脂肪が含まれており、食べたくなる癖がつき、体の負担になって脂肪肝になりやすい。地元で取れる旬の野菜は天然の甘さがあり、過当に味付けしなくてもよい。全粒粉パンは、よく噛めば食材その物を味わうことができる、と勧めている。

多くの参加者は前向きのフィードバックをしている。高雄ボランティアチームは引き続き次の活動を企画し、品質管理チームメンバーとレストランのシェフ、栄養士たちが一緒に弁当を試食している。
変わることは少しも難しくない。「正しい食べ物を選べば、体に極めて大きな影響力が発揮できると信じてください」と蔡さんが言った。
夏以降、「健康チャレンジ21」活動は高雄で二回行われた。ボランティアチームは引き続き次の活動を企画している。参加したことがある人の申し込みも歓迎だが、まだの人にもこの活動を体験してもらいたい。高雄は台湾全土で初めてこのチャレンジ型イベントを発起した場所であり、花蓮、新竹及び嘉義の慈済クリニックなどでも、相次いで行われている。
「自分の健康に対して『異常なし』と太鼓判を捺し、どんな病気も怖くない、と言える人はいないと思います」と歐さんが言った。もし全植物性飲食が人を健康にできるなら、誰でも試してみようと思うはずだ。菜食と健康の改善は相反することではない。二十一日間のチャレンジは単なる「きっかけ」である。一度自分にこのようなチャンスを与え、もっと健康になる可能性を実現させてみようではないか。
(慈済月刊六五九期より)


毎日昼と夕方、「健康チャレンジ21」に参加している人は、決まった場所で弁当を受け取る。
濃い味を欲する欲望から遠ざかり、多めに水を飲み、糖分のある飲み物を避けて運動する。
これは全植物性飲食㊟にして自分を鍛錬するチャレンジであるだけでなく、それ以上に、人同士が寄り添い、互いに励まし合って堅持する過程なのである。
会社勤めをしている林さんは、パン類と揚げ物が好きで、ずっとコレステロール値が高く、家族は遺伝だと言ってあまり気にしなかった。「薬を飲み続けるのは嫌ですが、健康でありたい。やらなければならない事がたくさんあるからです」と彼女が言った。もう一人の乳がんを患っている上に胃腸も悪い女性は、中性脂肪値がいつも高く、長期間薬を服用して抑える必要がある。また、建築業に従事する六十歳の沈さんは、社会に出てから付き合いの場で喫煙して酒を飲むことが多いため、中性脂肪値がびっくりするほど高い。
彼らは「もっと健康でありたい」と思っていた。そこに高雄慈済ボランティアの誘いがあり、「健康チャレンジ21」に参加した。その期間中、飲食は全植物性飲食に限られ、少なめの油、塩、砂糖だけを使い、加工食品と卵、乳製品は禁じられた。
参加した大部分の人たちは、初めは「味が薄すぎて慣れない」と異口同音に言っていたが、僅か一週間で、多くの人が体に起きた変化に驚いた。「夜は寝付きが良くなった」、「疲れにくくなった」、「体力が増した」などだ。このようにプラスの印象を持ったことが、このまま続ける原動力になった。
㊟「全植物食飲食」とは、単なる菜食やビーガンのことではなく、
精製や加工を一切していない植物の食生活のこと。
良い反応が出た食事
二十一日後、参加者の多くにオーバーしていた数値の改善が見られ、正常値に戻った人もいた。林さんの悪玉(LDL)コレステロール値が百八十八から百十七の正常値に下がったことを喜び、二回目の「健康チャレンジ21」に参加を申し込むと同時に、次に参加するまでの間、全植物性飲食ができるような、調理済みの食材か簡単に調理できる方法はないか、彼女が尋ねた。
以前は肉食だった沈さんは、高血圧、高コレステロール、高血糖の問題があり、長い間、薬でコントロールしていた。長年かかりつけ医をしている高雄慈済人医会メンバーの陳登旺(チェン・ドンワン)医師に勧められて、今回のチャレンジに参加した。活動後の血液検査で、千八百余りだった中性脂肪値が七百四十余りに下がっていた。「こんなことがあるのか?」と彼は驚き、次回の活動にも参加することにした。
血液検査を手伝った検査技師の荘章全(チュアン・ジャンチュエン)さんも驚かされた一人だ。六十歳の沈さんは、以前は少ししゃがむと息が荒くなり、白髪が日に日に増え、皮膚には老人斑が現れて、爪がザラザラになっていた。「活動に参加していた二十一日の間、精神的にも胃腸の状態も非常に快適で、頭のてっぺんから足の先、皮膚の隅々までも調子が良いと感じました」。
高雄の慈済ボランティアが結成した「健康チャレンジ21」の運営チームは、毎期の活動が行われる前に栄養士と共に弁当を試食し、盛り付けや味、栄養について討論する。
荘さんによると、「彼は白髪が減って黒髪が増え、体重は三キロ減り、体力も大幅に増強しました。また、日々の排便も順調になり、皮膚の斑点が薄くなって、爪も滑らかになり、つやが出てきました」。
彼があらゆる加工食品を食べなくなり、調味料を少なくしたことは家族にも影響を与えた。家族は「健康チャレンジ21」には参加していないが、彼と同じようにあっさりした食事をするようになり、妻は二キロ痩せ、子供たちの健康も多少改善された。
多くの参加者の前向きなフィードバックは、ボランティアチームに自信を与え、続けさせる力となっている。彼らはレストランと慈済人医会の医師、栄養士たちと一緒に、異なる食材の比例を調整し、毎日の参加者との意見交換を通して、一人一人の食事の状況や体の変化を把握している。
この活動は、互いに関心を持って、全植物性飲食で心身の健康を鍛えるものであり、濃い味に対する欲望を抑え、糖分のある飲み物を止めて水を多く飲み、よく運動をすることで、より健康になろうとチャレンジするものである。
運動は不可欠
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、生活習慣病を含む慢性疾患患者は、一旦感染すると重症化しやすい高リスク群であるという統計データがある。それに、二〇二〇年台湾十大死因の統計を見ると、半分以上が慢性疾患を患っており、特に心臓と脳血管疾患、糖尿病、高血圧など、飲食習慣がその原因の一つであるものが多い。
高雄のボランティアの歐于菁(オウ・ユージン)さんは、マレーシアのボランティアが「健康チャレンジ21」活動を紹介するのを聞いた。それは二十一日間の全植物性飲食を続け、挑戦前と後に採血して、健康診断の数値に変化があったかどうかを検証するものだった。医師によると「私は二十年間医師をしていますが、こんなに多くの人が短期間のうちに、健康診断の数値が全面的に健康に向かっているのを見たのは初めてです」。歐さんはこの活動に興味を持ち、行動に移して、飲食管理チーム、寄り添いチーム、運営チーム、医療チーム、イベント活動チーム、ポスター宣伝チーム、調整チーム、人文記録チームなどに係を分けた。
歐さんとボランティアチームメンバーの蔡雅純(ツァイ・ヤーチュン)さんは、栄養士と一緒に長期的に協力して菜食を勧めている中華と和食、インド料理の各菜食レストランと、弁当作りについて意見を交換した。今では、月曜日から金曜日までの昼と夜、二食の弁当を参加者に提供している。第一期目の活動を開始する前、栄養のバランスを確認するだけでなく、惣菜の味を確かめるために、二回繰り返して試食を行なった。
弁当には化学調味料は使わず、天然の食材で味付けするため、レストランにとって大きな試練となったほか、歐さんにとってシェフたちとの意思疎通も難題だった。「感動したのは、シェフたちがSNSであらゆる質問に答えていたことです」。多くの「困難」と「挑戦」は、一つ一つ克服していけば解決できるのである。

高雄のボランティア・蔡雅純さんと林維揚さんはオンライン画面を通して、如何にして化学調味料を使わずに天然食材だけで、多様な朝食を作ることができるかを、参加者と分かち合った。(撮影・王瑾)
全植物性飲食は、毎食の全粒穀物とタンパク質、野菜、果物がそれぞれ四分の一になるようにするが、野菜が果物より多くても構わない。気温が高いと果物の新鮮度を保つのが難しいので、弁当は野菜と果物を合わせて二分の一にし、果物は参加者自身で用意してもらっている、と歐さんが説明した。食材を検査する飲食管理チームの黃美樺(ホワン・メイホア)栄養士は、始まりの頃のチームは要求がとても厳しかったと話す。「私たちは秤でそれぞれの野菜の重さを測り、栄養成分が標準に達しているかどうかを計算していました」と言った。しかし、毎日の弁当の数がとても多く、レストラン側も食材の比率が何度も修正されることに対応できず、最終的には食材の体積を見て、それぞれの割合が範囲を超えているかどうかを判断することにした。
弁当以外に、朝食は如何にして規範を守るか?イベント活動チームボランティアの王瑾(ワン・ジン)さんは、栄養士が早朝に朝食レシピを参加者に配信し、参加者が朝食に何を食べたかを分かち合うことで、互いに学び合えるようにした、と説明した。一部の参加者は「野菜と豆腐の蒸し物味噌仕立て」、「松本茸炊き込みご飯」、「アボカドと豆腐のスプレッド」など豊富なレシピを分かち合った。
弁当の提供がない土曜日と日曜日には、ボランティアが作成した「シェフが我が家に来た」というDVDを使い、レストランが弁当を作る代りに調理済み惣菜と食材の冷凍パックの使い方を教え、参加者が家にいても慌てることなく、自炊できるようにしている。
運動もとても重要である。チームは高校の体育教師だった曾英嘉(ズン・インジア)さんを招いて、オンラインで参加者にストレッチのやり方、コアマッスルの鍛え方を分かち合ってもらった。「両腕を広げ、お腹を引っ込める。手で弓を引くように、右左交互に行う」というように、僅か数分間だが、「何回かやってみましたが、いつも汗をかきます」と蔡さんが言った。
知識を学ぶ上では、王瑾さんは毎日朝昼晩に、「健康チャレンジ激励カード」と「栄養の知識」、「医学豆知識」 の絵カードを配信し、参加者に「市販のおやつの代りに、天然食材のバナナやリンゴ、赤サツマイモ、枝豆なども食べ応えがある」ことを理解してもらい、「毎日充分に水分を取ることを忘れないでください」と注意を促している。
昼と夕方に弁当を食べる時、寄り添いチームボランティアの陳春杏(チェン・チュンシン)さんは、「弁当に慣れましたか?」、「体に何か変化は起きましたか?」と尋ねる。ある人は「二週間で一キロも体重が減った」と言い、「お腹いっぱい食べても眠たくなったり、疲れを感じたりすることなく、とても元気に仕事ができます」という人もいた。「皆さんはクッキーやパン、インスタントラーメンが恋しいのではないでしょうか」と陳さんは時々、参加者をからかう。「食べたいけど、健康のために頑張り通します」と言って笑顔を見せる参加者もいた。


咀嚼すれば、味わい深くなる
多くの参加者は元々肉食が習慣になっていて、初めは適応することが難しかった。毎週日曜日の午後に行われるオンライン交流会では、栄養士がどのように食材の成分や出所を識別しているかを皆と分かち合っている。弁当に豆類が入っていて以前より多く摂取しているため、お腹にガスが発生しやすくなっている、という質問が出ると、食物をよく噛んで、唾液に含まれているアミラーゼ(消化酵素)が十分に作用すれば、胃腸も次第に新しい植物繊維に適応するようになり、そのうちに改善できるはずだ、とアメリカ在住の高雄慈済人医会メンバーである邱聖聡(キュウ・ションツォン)医師が説明した。
「運動する場合、どのような栄養素を補充すべきでしょうか」という質問には、邱医師が次のように説明した。全植物性の食事は電解質やミネラルが不足することはないが、過度な運動による負荷は体の負担になり、炎症を起こしてしまう。電解質を補充するなら、五百ミリリットルの水に小さじ一杯の天然の海塩を混ぜた水を飲むことを勧めている。市販のスポーツ飲料の多くは天然のものではなく、化学調味料を使っているので勧められないそうだ。
消化器内科の謝明裕(シェ・ミンユー)医師はいつも、甘い物や市販の飲み物、果物を好む参加者に言っている。「塩分をとらないと生きていけませんが、甘い物を食べなくても死ぬことはありません」。多くの揚げ物類や加工食品には人工脂肪が含まれており、食べたくなる癖がつき、体の負担になって脂肪肝になりやすい。地元で取れる旬の野菜は天然の甘さがあり、過当に味付けしなくてもよい。全粒粉パンは、よく噛めば食材その物を味わうことができる、と勧めている。

多くの参加者は前向きのフィードバックをしている。高雄ボランティアチームは引き続き次の活動を企画し、品質管理チームメンバーとレストランのシェフ、栄養士たちが一緒に弁当を試食している。
変わることは少しも難しくない。「正しい食べ物を選べば、体に極めて大きな影響力が発揮できると信じてください」と蔡さんが言った。
夏以降、「健康チャレンジ21」活動は高雄で二回行われた。ボランティアチームは引き続き次の活動を企画している。参加したことがある人の申し込みも歓迎だが、まだの人にもこの活動を体験してもらいたい。高雄は台湾全土で初めてこのチャレンジ型イベントを発起した場所であり、花蓮、新竹及び嘉義の慈済クリニックなどでも、相次いで行われている。
「自分の健康に対して『異常なし』と太鼓判を捺し、どんな病気も怖くない、と言える人はいないと思います」と歐さんが言った。もし全植物性飲食が人を健康にできるなら、誰でも試してみようと思うはずだ。菜食と健康の改善は相反することではない。二十一日間のチャレンジは単なる「きっかけ」である。一度自分にこのようなチャンスを与え、もっと健康になる可能性を実現させてみようではないか。
(慈済月刊六五九期より)

マレーシアの経験 数字は語る
マレーシアは長期化する厳しいコロナ禍にあって、「健康チャレンジ21」活動を開始した。この一年間で千八百人余りが参加し、果敢に「三つの生活習慣病」に立ち向かった結果、血液検査結果の数値に感動した。
二〇二〇年十一月に、マレーシア・セランゴール慈済人医会とボランティアが始めた「健康チャレンジ21」活動の参加者は、今年の九月上旬までに千八百七人に達した。年齢層は七歳の子供から八十五歳の高齢者まで幅広く、その半数はベジタリアンではなかったが、現在も多くのコミュニティで人々に活動をバトンタッチし続けている。
「皆さんの血液検査の報告を見てとても感動し、心が奮い立ちました。これまで二十年間医師をやってきましたが、三週間でこんなに多くの人に改善が見られたのは初めてです。それに、改善したのは一つの項目だけではなく、全ての項目についてでした」。
昨年初めてオンラインで最終日の報告会が行われ、林磊君(リン・レイジュン)医師は五十人分の血液検査報告を見て、興奮気味に語った。第一回から現在に至るまで、ボランティアチームは豊富な経験と八百人余りの血液検査結果を手にした。また、オンラインでその成果を発表し、海を隔てた台湾や各国のボランティアたちも驚き、直ちに活動を始めた。この健康チャレンジの実績がコロナ禍の間に蓄積されたということは、ニーズが高まっていることを意味している。
慢性疾患が新型コロナウィルス感染症の重症化や死亡リスクを大幅に高めている、という報告は既に実証されている。マレーシア政府の統計によると、新型コロナウィルスで亡くなった人のうち、約九割が一つ以上の慢性疾患を抱えているそうだ。そのうちの六十五%が高血圧で、約半数が糖尿病、四分の一の患者が心臓病、二割が腎臓病、十七%の患者はコレステロール値が高かった。
特に今年の七月から八月にかけて、マレーシアでの感染は急拡大し、八月下旬には新規感染者が一日平均二万人に達し、九月の統計では累計二百万人を超え、死者は二万二千人だった。マレーシア国立大学病院の救急外来顧問の専門医である陳沱良(チェン・トゥオリャン)副教授は、毎日新型コロナウィルス感染症の重症患者の救命を行っているが、メディアのインタビューに際し、新型コロナウィルス感染症の重症患者は、溺れた時のような呼吸困難に陥っており、挿管の苦しみにも耐えなければならない人もいると語った。「誰も望まないことです」。
当面の急務は感染を予防して、ワクチン接種を行うほか、何としても慢性疾患がもたらす重症化のリスクを下げることである。「どうしたら高血糖と高血圧、高コレステロール、高尿酸血症を同時にコントロールできるだろうか?」とセランゴール人医会の招集者で、長年、壇上で菜食と健康について語ってきた陳成亨(チェン・チョンホン)医師が言った。彼は小児科の専門医であるほか、栄養医学、生活医学及びアンチエイジング医学の顧問でもある。その彼が数多くの研究レポートを読んだところ、植物性飲食は慢性疾患をコントロールし、ひいては改善できることに気がつき、積極的にこの考えを広め始めた。
食習慣の選択肢の一つであるが、
医療に取って代わることはできない
一年以上にわたるコロナ禍の波で、マレーシア政府は行動制限令を数回発令し、多くの地域ではロックダウンが続いている。陳医師はセランゴールの慈済人医会とコミュニティボランティアの力を合わせ、二〇二〇年十一月から食事管理を通して慢性疾患と体重をコントロールし、参加者に健康を取り戻してもらえるよう、コミュニティで全植物性飲食の推進を始めた。
マレーシアは多民族国家で、料理にはスパイス、辛味、酸味、甘味、そしてソースが欠かせない。この活動でチャレンジしたことの一つとして、どうやって要求に合致した食事を作ったら良いのか分からない多くの人や、よく外食する人に対して、プロジェクトチームは二十一日間の健康チャレンジプロジェクトを考えだしたのだった。
・毎日の昼食と夕食は、アメリカン・ライフスタイル医学院(American College of Lifestyle Medicine)が提唱しているヘルシーミールプレートを基準にレシピを作り、レストランに食事の提供を交渉する。
・協力するレストランは、弁当を参加者のオフィスや自宅に届けるか、場所を決めて受け取れるようにし、参加者は菜食の朝食を用意するだけでよい。
・血液検査を通して、全植物性飲食をする前と後の変化を理解してもらう。
「活動を始める前、食材品質管理チームは試食を行い、各レストランのメニューや量、盛り付け、味などを確認する必要があります。試食を四、五回行っても不合格となるレストランもありましたが、それは、全植物性飲食に対する認識の違いから来ています」。「健康チャレンジ21」中央チームのコーディネーター姜志濠(ジアン・ジーハオ)さんは、ベジタリアンになって十七年経っており、ベジタリアンレストランで働いていたこともある。彼は、「地元のレストランはこの全植物性飲食についてよく知らないので、作るのも苦手なのです。活動を通してレストランと一緒に学んでいこうと思っています」と語った。
セランゴール州にあるクアラルンプールからクチンなどの場所に至るまで、各地のコミュニティで続々とチームが結成されて活動が開催された。コロナ禍のためリモートコミュニケーションの方式を取ったが、各地のボランティアは距離があることを感じることなく、中央チームの後ろ盾の下に、相談受付チーム、調整チーム、医療チーム、運営チーム、飲食管理チーム、広報チーム、イベントチームのボランティアの協力を得て活動を実施した。中でも飲食管理チームは、料理人や栄養士、医師などの専門家で構成されていて、参加者が健康で美味しい食事をとれるよう厳しく管理を行った。
毎週末のオンライン交流会では、参加者が自分で準備している朝食について発表し、健康的な食事の知識について学んだ。二十一日目の終了日の報告会では、医師が参加者全体の成果を分析して表彰することにし、「最優秀血圧改善賞」、「最優秀コレステロール値改善賞」、「最優秀体重改善賞」、「最優秀血糖値改善賞」そして「最優秀中性脂肪改善賞」を授与した。回を重ねるごとに慢性病のトリプルリスク指数を低減させる成功率も大きく高まり、また多くの想定外の収穫も得ることができた。
「今はもう以前の写真を見たくもありません。以前はお腹が出ていましたが、今はなくなりました」。六十歳の実業家である黄漢明(ホワン・ハンミン)さんは、事業に奮闘する精神で二十一日間のチャレンジに参加し、食事方法を守り、お酒は一滴も口にしなかった。二回目の血液検査では、LDLコレステロール値と中性脂肪値が大幅に改善し、体重も五キロ減った。
黄さんの血液検査報告を見た医師は、この活動が彼の命を救ったと語った。彼の中性脂肪値は非常に高く、LDLコレステロール値は高すぎて測定不能なほどだった。このような状況では様々な心血管疾患を引き起こすリスクが非常に高いのだ。
二十一日間のチャレンジを終え、黄さんはベジタリアンになることを学び、彼の妻も黄さんの変化を見て、活動に申し込んだ。黄さんは、「この食事方法で健康になることができました。これからも必ず継続していきます」と語った。
ボランティアであり、飲食管理チームのメンバーでもある栄養士の余奕倩(ユー・イーチエン)さんは、健康状態の改善に成功した多くの事例を目の当たりにして、夫と一緒にチャレンジすることにした。余さんは、「現代医学は一般的に薬に頼ってコレステロールや高血糖、高血圧、高尿酸血症をコントロールするしかありません。食事制限は脇役でしかなく、病状が改善する事例は少数でしかありません。しかし、『健康チャレンジ21』では、皆が高かった数値を大幅に改善しているのです」と語った。
余さんはドイツのボン大学で人類栄養学の修士課程に学んでいた時、多くの栄養研究レポートを読み、植物性食物を多く摂取する人は、慢性疾患にかかる確率が低いことに気付いた。植物が含む栄養は、皆さんが知っている以上に多いのである。そこで、彼女は五年前からベジタリアンになった。
ボランティアチームは、全植物性飲食は生活の一部に過ぎないことを参加者に伝える。「健康チャレンジ21」では実際の体験と食習慣の選択肢の一つを提供するものであり、治療に取って代わるものではない。元々、薬を飲んでいる参加者は、引き続き薬を服用し、定期的に受診する必要がある。

良い食べ物を知り、自力で生まれ変わる
二十一日間の健康食プロジェクトは、参加者を励ましただけなく、健康に関する情報も広めている。どんな食べ物が体に良いのか、どう調理すればよいのかなどを参加者に知ってもらい、活動終了後も「自力で生まれ変われる」よう支援している。
現在、この健康チャレンジ活動はマレーシアだけなく、台湾、中国、シンガポール、アメリカ、カナダ、インドネシアなどに住むボランティアたちが推進している。先行したマレーシアの「健康チャレンジ21」が積み上げたデータが現地の大学の目に留まり、慈済セランゴール支部と連携して活動を行うことで、科学的な研究の対象となっている。サラワク州政府衛生部の医療スタッフも、如何にしてこの健康的な食習慣プロジェクトを病院に取り入れ、医療チームの健康ケアを行うかを検討している。
陳医師の率いるチームは、健康的な植物性の食事が多くの機関や地域に広まることを願い、「より多くの人が植物性の食事で健康状態を改善できることを理解し、社会に変化が生まれることを期待している」と語った。
文、写真提供‧龍嘉文(マレーシアの医師)
訳・田中亞依
二十一日後、料理一品に塩はどれだけ入れるか?
コーヒーに砂糖は?その揚げ物は食べるのか?
今夜は何を食べたらいいか?

二カ月以上に亘り、私はクアラルンプール静思堂のワクチン接種会場で医師として問診を担当し、接種に来た人に慢性疾患が無いかどうかを問診している。四十代から六十代の中年の人が、もれなく血圧や血糖値、コレステロール値が高すぎる問題を抱え、多くの人が一日に少なくとも三種類の薬を服用しているのを知った。
人々は皆、美味しい物を食べたいと願い、糖質や塩分、脂質の摂り過ぎによる心血管疾患を見過ごしている。
八月五日、マレーシアでは一日の新型コロナウィルス感染者数が二万人を超え、この一年半の間に亡くなった人は一万人を超えた。しかし二〇一九年にマレーシアで心血管疾患により亡くなった人は一万一千三百三十人に上り、新型コロナウィルスによる死亡者数とほぼ同数である。
人々はウィルスに恐怖を抱くが、トリプルリスクの問題には目を逸らしている。新型コロナウィルスは皆の顔色を一瞬で変えるが、いまだに治療法はない。しかし、トリプルリスクは、食習慣を変えることでコントロールできるのだ。
医師として、トリプルリスクを抱える患者に対し、食習慣を改善するよう薦めてきた。しかし私自身、真の健康的な食習慣について深く理解していなかった。ベジタリアン生活を続けてきたこの十年来、私はベジタリアンであれば健康だと思っていたが、ベジタリアンでも肥満の人はいるし、トリプルリスクがあることに次第に気付いた。
この活動が、たったの三週間で医師を悩ませている慢性疾患患者に改善をもたらしたと聞いた時には、自らこの活動を理解しなければならないと思った。自分の食習慣を変えるだけでなく、より説得力を持って患者を導き、食事からトリプルリスクの問題を改善したいと考えた。
昨年一年間に、心血管疾患で亡くなった人の数は新型コロナウィルスの死者とほぼ同数である。新型コロナウィルスと聞くと顔色を変え、いまだに治療法はない。しかし、トリプルリスクは食生活からコントロールすることができる。
体を大切にすれば、体は裏切らない
私はマレーシア人だが、半分は客家人の血が流れており、平日は濃いめの味付けを好み、毎日夕食後には熱いお茶を飲むのが習慣だ。夕食は、基本的に白米は食べず、おかずだけ食べているが、食後はいつも消化が悪いと感じて、プーアール茶を飲んでさっぱりさせる習慣がついている。
チャレンジ期間は、昼食と夕食は普段よりかなりあっさりしたものになり、油も控え目になったが、野菜の甘みが感じられた。この二食には白米もあり、腹八分目まで食べたが、消化が悪いと感じることはなかった。食器を洗う際も、洗剤がなくても綺麗になり、食後のプーアール茶も飲む必要がなくなった。
朝食はジンスー雑穀パウダーと豆乳パウダーで植物性ミルクを作り、オーツを加えて食べている。早く起きなければならない日には、前日の夜に作って冷蔵庫に入れて置き、食べる時に果物やナッツを盛り付けて、見た目も栄養も抜群な食事で元気な一日をスタートしている。
ただ二十一日間の活動では毎日、基準を満たした昼食と夕食を摂っていたが、活動が終ったらどうすれば良いのか?自分で作るのは簡単に続けられることではない。これからは、ジャンクフードは一切食べてはいけないのだろうか?
これは多くの人が心配する問題でもある。私は、このチャレンジで重要なのは三週間で「数値」が改善したことではなく、食習慣にはもう一つの選択肢があり、その選択肢こそが自分の健康を決めるものだと理解したことである。
数字を目の前にして、この三週間の食生活で体重やトリプルリスクを改善することができた。これは、健康は自分自身に委ねられていることを意味している。それゆえ二十一日後、どう味付けするか、コーヒーに砂糖を入れるのか、揚げ物を食べるのか?その決定権はあなた自身が握っている。
非常に多くの人が、健康は味気ないものだと思っている。しかし、このチャレンジで健康的な食事でも彩り豊かで五味を味わうことができると教えてくれた。栄養士が監修した献立を異なる料理人が作ることで、どんな味付けが健康なのかをより知ることが出来る。そして健康的な食事は必ずしもご飯に三菜ではなく、日本料理やターメリックライス、ビーフンなど幅広いのだ。
このチャレンジで重要なのは、意識を変えることである。健康は我々自身の責任であり、自分の体をねぎらえば、体が貴方を裏切ることはないのだ。
(慈済月刊六五九期より)

マレーシアは長期化する厳しいコロナ禍にあって、「健康チャレンジ21」活動を開始した。この一年間で千八百人余りが参加し、果敢に「三つの生活習慣病」に立ち向かった結果、血液検査結果の数値に感動した。
二〇二〇年十一月に、マレーシア・セランゴール慈済人医会とボランティアが始めた「健康チャレンジ21」活動の参加者は、今年の九月上旬までに千八百七人に達した。年齢層は七歳の子供から八十五歳の高齢者まで幅広く、その半数はベジタリアンではなかったが、現在も多くのコミュニティで人々に活動をバトンタッチし続けている。
「皆さんの血液検査の報告を見てとても感動し、心が奮い立ちました。これまで二十年間医師をやってきましたが、三週間でこんなに多くの人に改善が見られたのは初めてです。それに、改善したのは一つの項目だけではなく、全ての項目についてでした」。
昨年初めてオンラインで最終日の報告会が行われ、林磊君(リン・レイジュン)医師は五十人分の血液検査報告を見て、興奮気味に語った。第一回から現在に至るまで、ボランティアチームは豊富な経験と八百人余りの血液検査結果を手にした。また、オンラインでその成果を発表し、海を隔てた台湾や各国のボランティアたちも驚き、直ちに活動を始めた。この健康チャレンジの実績がコロナ禍の間に蓄積されたということは、ニーズが高まっていることを意味している。
慢性疾患が新型コロナウィルス感染症の重症化や死亡リスクを大幅に高めている、という報告は既に実証されている。マレーシア政府の統計によると、新型コロナウィルスで亡くなった人のうち、約九割が一つ以上の慢性疾患を抱えているそうだ。そのうちの六十五%が高血圧で、約半数が糖尿病、四分の一の患者が心臓病、二割が腎臓病、十七%の患者はコレステロール値が高かった。
特に今年の七月から八月にかけて、マレーシアでの感染は急拡大し、八月下旬には新規感染者が一日平均二万人に達し、九月の統計では累計二百万人を超え、死者は二万二千人だった。マレーシア国立大学病院の救急外来顧問の専門医である陳沱良(チェン・トゥオリャン)副教授は、毎日新型コロナウィルス感染症の重症患者の救命を行っているが、メディアのインタビューに際し、新型コロナウィルス感染症の重症患者は、溺れた時のような呼吸困難に陥っており、挿管の苦しみにも耐えなければならない人もいると語った。「誰も望まないことです」。
当面の急務は感染を予防して、ワクチン接種を行うほか、何としても慢性疾患がもたらす重症化のリスクを下げることである。「どうしたら高血糖と高血圧、高コレステロール、高尿酸血症を同時にコントロールできるだろうか?」とセランゴール人医会の招集者で、長年、壇上で菜食と健康について語ってきた陳成亨(チェン・チョンホン)医師が言った。彼は小児科の専門医であるほか、栄養医学、生活医学及びアンチエイジング医学の顧問でもある。その彼が数多くの研究レポートを読んだところ、植物性飲食は慢性疾患をコントロールし、ひいては改善できることに気がつき、積極的にこの考えを広め始めた。
食習慣の選択肢の一つであるが、
医療に取って代わることはできない
一年以上にわたるコロナ禍の波で、マレーシア政府は行動制限令を数回発令し、多くの地域ではロックダウンが続いている。陳医師はセランゴールの慈済人医会とコミュニティボランティアの力を合わせ、二〇二〇年十一月から食事管理を通して慢性疾患と体重をコントロールし、参加者に健康を取り戻してもらえるよう、コミュニティで全植物性飲食の推進を始めた。
マレーシアは多民族国家で、料理にはスパイス、辛味、酸味、甘味、そしてソースが欠かせない。この活動でチャレンジしたことの一つとして、どうやって要求に合致した食事を作ったら良いのか分からない多くの人や、よく外食する人に対して、プロジェクトチームは二十一日間の健康チャレンジプロジェクトを考えだしたのだった。
・毎日の昼食と夕食は、アメリカン・ライフスタイル医学院(American College of Lifestyle Medicine)が提唱しているヘルシーミールプレートを基準にレシピを作り、レストランに食事の提供を交渉する。
・協力するレストランは、弁当を参加者のオフィスや自宅に届けるか、場所を決めて受け取れるようにし、参加者は菜食の朝食を用意するだけでよい。
・血液検査を通して、全植物性飲食をする前と後の変化を理解してもらう。
「活動を始める前、食材品質管理チームは試食を行い、各レストランのメニューや量、盛り付け、味などを確認する必要があります。試食を四、五回行っても不合格となるレストランもありましたが、それは、全植物性飲食に対する認識の違いから来ています」。「健康チャレンジ21」中央チームのコーディネーター姜志濠(ジアン・ジーハオ)さんは、ベジタリアンになって十七年経っており、ベジタリアンレストランで働いていたこともある。彼は、「地元のレストランはこの全植物性飲食についてよく知らないので、作るのも苦手なのです。活動を通してレストランと一緒に学んでいこうと思っています」と語った。
セランゴール州にあるクアラルンプールからクチンなどの場所に至るまで、各地のコミュニティで続々とチームが結成されて活動が開催された。コロナ禍のためリモートコミュニケーションの方式を取ったが、各地のボランティアは距離があることを感じることなく、中央チームの後ろ盾の下に、相談受付チーム、調整チーム、医療チーム、運営チーム、飲食管理チーム、広報チーム、イベントチームのボランティアの協力を得て活動を実施した。中でも飲食管理チームは、料理人や栄養士、医師などの専門家で構成されていて、参加者が健康で美味しい食事をとれるよう厳しく管理を行った。
毎週末のオンライン交流会では、参加者が自分で準備している朝食について発表し、健康的な食事の知識について学んだ。二十一日目の終了日の報告会では、医師が参加者全体の成果を分析して表彰することにし、「最優秀血圧改善賞」、「最優秀コレステロール値改善賞」、「最優秀体重改善賞」、「最優秀血糖値改善賞」そして「最優秀中性脂肪改善賞」を授与した。回を重ねるごとに慢性病のトリプルリスク指数を低減させる成功率も大きく高まり、また多くの想定外の収穫も得ることができた。
「今はもう以前の写真を見たくもありません。以前はお腹が出ていましたが、今はなくなりました」。六十歳の実業家である黄漢明(ホワン・ハンミン)さんは、事業に奮闘する精神で二十一日間のチャレンジに参加し、食事方法を守り、お酒は一滴も口にしなかった。二回目の血液検査では、LDLコレステロール値と中性脂肪値が大幅に改善し、体重も五キロ減った。
黄さんの血液検査報告を見た医師は、この活動が彼の命を救ったと語った。彼の中性脂肪値は非常に高く、LDLコレステロール値は高すぎて測定不能なほどだった。このような状況では様々な心血管疾患を引き起こすリスクが非常に高いのだ。
二十一日間のチャレンジを終え、黄さんはベジタリアンになることを学び、彼の妻も黄さんの変化を見て、活動に申し込んだ。黄さんは、「この食事方法で健康になることができました。これからも必ず継続していきます」と語った。
ボランティアであり、飲食管理チームのメンバーでもある栄養士の余奕倩(ユー・イーチエン)さんは、健康状態の改善に成功した多くの事例を目の当たりにして、夫と一緒にチャレンジすることにした。余さんは、「現代医学は一般的に薬に頼ってコレステロールや高血糖、高血圧、高尿酸血症をコントロールするしかありません。食事制限は脇役でしかなく、病状が改善する事例は少数でしかありません。しかし、『健康チャレンジ21』では、皆が高かった数値を大幅に改善しているのです」と語った。
余さんはドイツのボン大学で人類栄養学の修士課程に学んでいた時、多くの栄養研究レポートを読み、植物性食物を多く摂取する人は、慢性疾患にかかる確率が低いことに気付いた。植物が含む栄養は、皆さんが知っている以上に多いのである。そこで、彼女は五年前からベジタリアンになった。
ボランティアチームは、全植物性飲食は生活の一部に過ぎないことを参加者に伝える。「健康チャレンジ21」では実際の体験と食習慣の選択肢の一つを提供するものであり、治療に取って代わるものではない。元々、薬を飲んでいる参加者は、引き続き薬を服用し、定期的に受診する必要がある。

良い食べ物を知り、自力で生まれ変わる
二十一日間の健康食プロジェクトは、参加者を励ましただけなく、健康に関する情報も広めている。どんな食べ物が体に良いのか、どう調理すればよいのかなどを参加者に知ってもらい、活動終了後も「自力で生まれ変われる」よう支援している。
現在、この健康チャレンジ活動はマレーシアだけなく、台湾、中国、シンガポール、アメリカ、カナダ、インドネシアなどに住むボランティアたちが推進している。先行したマレーシアの「健康チャレンジ21」が積み上げたデータが現地の大学の目に留まり、慈済セランゴール支部と連携して活動を行うことで、科学的な研究の対象となっている。サラワク州政府衛生部の医療スタッフも、如何にしてこの健康的な食習慣プロジェクトを病院に取り入れ、医療チームの健康ケアを行うかを検討している。
陳医師の率いるチームは、健康的な植物性の食事が多くの機関や地域に広まることを願い、「より多くの人が植物性の食事で健康状態を改善できることを理解し、社会に変化が生まれることを期待している」と語った。
文、写真提供‧龍嘉文(マレーシアの医師)
訳・田中亞依
二十一日後、料理一品に塩はどれだけ入れるか?
コーヒーに砂糖は?その揚げ物は食べるのか?
今夜は何を食べたらいいか?

二カ月以上に亘り、私はクアラルンプール静思堂のワクチン接種会場で医師として問診を担当し、接種に来た人に慢性疾患が無いかどうかを問診している。四十代から六十代の中年の人が、もれなく血圧や血糖値、コレステロール値が高すぎる問題を抱え、多くの人が一日に少なくとも三種類の薬を服用しているのを知った。
人々は皆、美味しい物を食べたいと願い、糖質や塩分、脂質の摂り過ぎによる心血管疾患を見過ごしている。
八月五日、マレーシアでは一日の新型コロナウィルス感染者数が二万人を超え、この一年半の間に亡くなった人は一万人を超えた。しかし二〇一九年にマレーシアで心血管疾患により亡くなった人は一万一千三百三十人に上り、新型コロナウィルスによる死亡者数とほぼ同数である。
人々はウィルスに恐怖を抱くが、トリプルリスクの問題には目を逸らしている。新型コロナウィルスは皆の顔色を一瞬で変えるが、いまだに治療法はない。しかし、トリプルリスクは、食習慣を変えることでコントロールできるのだ。
医師として、トリプルリスクを抱える患者に対し、食習慣を改善するよう薦めてきた。しかし私自身、真の健康的な食習慣について深く理解していなかった。ベジタリアン生活を続けてきたこの十年来、私はベジタリアンであれば健康だと思っていたが、ベジタリアンでも肥満の人はいるし、トリプルリスクがあることに次第に気付いた。
この活動が、たったの三週間で医師を悩ませている慢性疾患患者に改善をもたらしたと聞いた時には、自らこの活動を理解しなければならないと思った。自分の食習慣を変えるだけでなく、より説得力を持って患者を導き、食事からトリプルリスクの問題を改善したいと考えた。
昨年一年間に、心血管疾患で亡くなった人の数は新型コロナウィルスの死者とほぼ同数である。新型コロナウィルスと聞くと顔色を変え、いまだに治療法はない。しかし、トリプルリスクは食生活からコントロールすることができる。
体を大切にすれば、体は裏切らない
私はマレーシア人だが、半分は客家人の血が流れており、平日は濃いめの味付けを好み、毎日夕食後には熱いお茶を飲むのが習慣だ。夕食は、基本的に白米は食べず、おかずだけ食べているが、食後はいつも消化が悪いと感じて、プーアール茶を飲んでさっぱりさせる習慣がついている。
チャレンジ期間は、昼食と夕食は普段よりかなりあっさりしたものになり、油も控え目になったが、野菜の甘みが感じられた。この二食には白米もあり、腹八分目まで食べたが、消化が悪いと感じることはなかった。食器を洗う際も、洗剤がなくても綺麗になり、食後のプーアール茶も飲む必要がなくなった。
朝食はジンスー雑穀パウダーと豆乳パウダーで植物性ミルクを作り、オーツを加えて食べている。早く起きなければならない日には、前日の夜に作って冷蔵庫に入れて置き、食べる時に果物やナッツを盛り付けて、見た目も栄養も抜群な食事で元気な一日をスタートしている。
ただ二十一日間の活動では毎日、基準を満たした昼食と夕食を摂っていたが、活動が終ったらどうすれば良いのか?自分で作るのは簡単に続けられることではない。これからは、ジャンクフードは一切食べてはいけないのだろうか?
これは多くの人が心配する問題でもある。私は、このチャレンジで重要なのは三週間で「数値」が改善したことではなく、食習慣にはもう一つの選択肢があり、その選択肢こそが自分の健康を決めるものだと理解したことである。
数字を目の前にして、この三週間の食生活で体重やトリプルリスクを改善することができた。これは、健康は自分自身に委ねられていることを意味している。それゆえ二十一日後、どう味付けするか、コーヒーに砂糖を入れるのか、揚げ物を食べるのか?その決定権はあなた自身が握っている。
非常に多くの人が、健康は味気ないものだと思っている。しかし、このチャレンジで健康的な食事でも彩り豊かで五味を味わうことができると教えてくれた。栄養士が監修した献立を異なる料理人が作ることで、どんな味付けが健康なのかをより知ることが出来る。そして健康的な食事は必ずしもご飯に三菜ではなく、日本料理やターメリックライス、ビーフンなど幅広いのだ。
このチャレンジで重要なのは、意識を変えることである。健康は我々自身の責任であり、自分の体をねぎらえば、体が貴方を裏切ることはないのだ。
(慈済月刊六五九期より)

日常的な善行 幸福な日々

(絵・林順雄)
日々、善の念を起こすのは、自分に幸福をもたらすためです。 誰もが善行することができ、 河に水が少しずつ注がれて大海に流れ込むように、 無限の力が集まって人助けができます。
一年以上経っても新型コロナウイルスの感染は終息せず、多くの国では封鎖措置が延長され、生計に影響が出た家庭は困難に陥っています。慈済人は困窮者への配付を止めることなく、様々な方法で苦難に喘ぐ人々の玄関口に届けています。フィリピンのジプニーや三輪車の車夫は、乗客の減少で失業に追いやられていた矢先に、慈済の支援を受け、感謝しています。その時から車に菜食を勧めるステッカーを貼り、竹筒貯金箱を持ち帰って、人助けに貯金しています。
オンラインで慈済人のこれほどにも誠実な愛の報告を聞くと、幾千万もの感謝の念が私の心に湧き上がるのです。菩薩と呼ぶべきボランティアたちが苦難の中にいる人たちを救っていることに感謝し、苦労して生計を立てている運転手たちが良語ステッカーで奉仕していることに感謝します。これら愛のある人たちは豊かでなくても、喜んで布施しているのを見ると、心が打たれます。慈済も五十年前は同じように「無」から、即ち、五十銭の竹筒歳月から始まりました。今ではあらゆる国の慈済ボランティアたちが、一歩一歩、私よりも深く足跡を残し、私よりも着実に歩いています。もし、この菩薩たちがいなかったら、どうやってより遠くへ、より広くこの世に幸せをもたらすことができたでしょうか。
今回のコロナ禍にあって、人心の美と本性の善を目の当たりにしました。多くの人が全力で、心から喜捨して慈済を支持してくれています。台湾は世界に尽くし、世界も台湾に愛を寄せています。新型コロナウイルスのワクチンは非常に高価ですが、今この時に購入するのは、人を救うためです。私は人々には愛があることを信じ、私たちが動けば皆が手を差し伸べてくれると信じています。世界各国の慈済人は、色々な方法でバザーを催し、慈済病院の幹部スタッフたちは発心して奉仕し、数百元、数千元、または企業家たちからの献金もあります。私はこれら一点一滴に感動し、感謝しています。もし、これらがなかったら、今日の慈済はなかったでしょう。
近頃、新型コロナウイルスのワクチンが次々と到着しています。青少年から接種が始まり、中高齢者も接種していますが、あらゆる年齢層に行き渡ることを期待しています。各地の静思堂は接種会場として場所を提供し、ボランティアが人力を投入しています。もっと感謝したいのは慈済の医療志業体制で、医療チームが第一線を守り、ワクチン接種に動員していることです。皆が金銭と力を注いでおり、今回の感染拡大では、慈済は本当に台湾に尽くしていると感じています。
世界各国の慈済人は、意欲的に台湾を護ろうとしており、私たちもまた真心をもって、皆で幸せになるよう斎戒菜食をしています。一人一人善行することができ、毎日発心して竹筒貯金箱に硬貨を入れることで、善の気持ちが自分に幸福をもたらします。水が少しずつ河に入って大海へと流れこむように、無数の善の力が集まって人を救うのです。
この世にあるのは全て生命共同体であり、この時代に地球村に集まっているのです。科学技術を通して広く世の生態を見れば、尚更、自分が幸せに満ち足りていることを感謝しなくてはなりません。
裕福な国では生活が豊かで、食物も食べ残しも捨てるものも多いのです。しかし、貧しい国では飢餓に苦しむ貧しい人々は、美味しいご飯の味さえ知らず、お腹いっぱいの食事を楽しむことはできません。
現代はメディアや情報通信が発達し、「指一本」で世の中のことが分かるのですが、苦難にある人がこれほど多いことに気がつかず、自分とは無関係だ、と見ても見ないふりをしています。世界の人口七十数億人のうち八億人余りが飢餓に苦しんでいます。もし、私たちが、多くの人が飢餓で生死の境を彷徨っていることを知り、十人が皆、ご飯を一口減らせば、それがお椀一杯分となって、一人のお腹を満たすことができるのです。
食べる量を少し減らして、食べ物を無駄にしないようにすることは、普通の人にとってさほど難しいことではなく、それで飢えに苦しんでいる人たちが安心して暮らせるのです。自分を過小評価してはいけません。お金持ちだけが善行できるわけではなく、善意の心で喜んで布施すれば、世の中の人を幸せにすることができます。考え方を一転させるだけで、世の中が太平になるのです。苦難の人たちを助けるだけでなく、社会に平和をもたらします。というのも、人々の貪欲の念を反転させることで、愛の慧命が育つからです。
無常はどんな時にもやって来ます。疫病だけでなく、気候変動、四大元素の不調和で、高い所から土石流が流れ、凄まじい山火事が生活を脅かし、瞬時にして禍がもたらされて、人々は極限的恐怖に襲われています。人口の多い地球では、生活習慣が自然生態を破壊していますが、全ては享受するためであり、受けとるだけを楽しむ生活はいつまで続くでしょうか?たとえ財があっても安心できないのは、それでも足りないと考えているからです。
毎日、世の中のことを見ていると、焦りと憂鬱な気分になり、言葉では言い表せません。こんな気持ちが続くと、大きな気力をもって話をしなければなりません。しかし、私は常に「この身を尽くして世に報いる」と自分に言い聞かせています。誰もが清浄無垢の大愛を啓発して、衆生が共に菩薩道を歩むことを願っております。
時は飛ぶように過ぎ去り、止めることも遮ることも捕まえることもできません。ただ精進するのみです。もし、その場にとどまっていたら、時間と共にこの生命は消え去ります。絶えず人間(じんかん)に光明をもたらし、苦難に溢れる暗がりに希望の光を灯して、人々を導くのです。病や苦難にある人たちに一杯の水と一握りのお米を与えれば、困窮を乗り越え、人生を翻すことさえできるのです。全世界が平安に共生し、人々に業を造る欲念を起こさないように呼びかけ、自分がこの世に尽くした証を記しましょう。どうぞ精進してください。
(慈済月刊六六〇期より)


(絵・林順雄)
日々、善の念を起こすのは、自分に幸福をもたらすためです。 誰もが善行することができ、 河に水が少しずつ注がれて大海に流れ込むように、 無限の力が集まって人助けができます。
一年以上経っても新型コロナウイルスの感染は終息せず、多くの国では封鎖措置が延長され、生計に影響が出た家庭は困難に陥っています。慈済人は困窮者への配付を止めることなく、様々な方法で苦難に喘ぐ人々の玄関口に届けています。フィリピンのジプニーや三輪車の車夫は、乗客の減少で失業に追いやられていた矢先に、慈済の支援を受け、感謝しています。その時から車に菜食を勧めるステッカーを貼り、竹筒貯金箱を持ち帰って、人助けに貯金しています。
オンラインで慈済人のこれほどにも誠実な愛の報告を聞くと、幾千万もの感謝の念が私の心に湧き上がるのです。菩薩と呼ぶべきボランティアたちが苦難の中にいる人たちを救っていることに感謝し、苦労して生計を立てている運転手たちが良語ステッカーで奉仕していることに感謝します。これら愛のある人たちは豊かでなくても、喜んで布施しているのを見ると、心が打たれます。慈済も五十年前は同じように「無」から、即ち、五十銭の竹筒歳月から始まりました。今ではあらゆる国の慈済ボランティアたちが、一歩一歩、私よりも深く足跡を残し、私よりも着実に歩いています。もし、この菩薩たちがいなかったら、どうやってより遠くへ、より広くこの世に幸せをもたらすことができたでしょうか。
今回のコロナ禍にあって、人心の美と本性の善を目の当たりにしました。多くの人が全力で、心から喜捨して慈済を支持してくれています。台湾は世界に尽くし、世界も台湾に愛を寄せています。新型コロナウイルスのワクチンは非常に高価ですが、今この時に購入するのは、人を救うためです。私は人々には愛があることを信じ、私たちが動けば皆が手を差し伸べてくれると信じています。世界各国の慈済人は、色々な方法でバザーを催し、慈済病院の幹部スタッフたちは発心して奉仕し、数百元、数千元、または企業家たちからの献金もあります。私はこれら一点一滴に感動し、感謝しています。もし、これらがなかったら、今日の慈済はなかったでしょう。
近頃、新型コロナウイルスのワクチンが次々と到着しています。青少年から接種が始まり、中高齢者も接種していますが、あらゆる年齢層に行き渡ることを期待しています。各地の静思堂は接種会場として場所を提供し、ボランティアが人力を投入しています。もっと感謝したいのは慈済の医療志業体制で、医療チームが第一線を守り、ワクチン接種に動員していることです。皆が金銭と力を注いでおり、今回の感染拡大では、慈済は本当に台湾に尽くしていると感じています。
世界各国の慈済人は、意欲的に台湾を護ろうとしており、私たちもまた真心をもって、皆で幸せになるよう斎戒菜食をしています。一人一人善行することができ、毎日発心して竹筒貯金箱に硬貨を入れることで、善の気持ちが自分に幸福をもたらします。水が少しずつ河に入って大海へと流れこむように、無数の善の力が集まって人を救うのです。
この世にあるのは全て生命共同体であり、この時代に地球村に集まっているのです。科学技術を通して広く世の生態を見れば、尚更、自分が幸せに満ち足りていることを感謝しなくてはなりません。
裕福な国では生活が豊かで、食物も食べ残しも捨てるものも多いのです。しかし、貧しい国では飢餓に苦しむ貧しい人々は、美味しいご飯の味さえ知らず、お腹いっぱいの食事を楽しむことはできません。
現代はメディアや情報通信が発達し、「指一本」で世の中のことが分かるのですが、苦難にある人がこれほど多いことに気がつかず、自分とは無関係だ、と見ても見ないふりをしています。世界の人口七十数億人のうち八億人余りが飢餓に苦しんでいます。もし、私たちが、多くの人が飢餓で生死の境を彷徨っていることを知り、十人が皆、ご飯を一口減らせば、それがお椀一杯分となって、一人のお腹を満たすことができるのです。
食べる量を少し減らして、食べ物を無駄にしないようにすることは、普通の人にとってさほど難しいことではなく、それで飢えに苦しんでいる人たちが安心して暮らせるのです。自分を過小評価してはいけません。お金持ちだけが善行できるわけではなく、善意の心で喜んで布施すれば、世の中の人を幸せにすることができます。考え方を一転させるだけで、世の中が太平になるのです。苦難の人たちを助けるだけでなく、社会に平和をもたらします。というのも、人々の貪欲の念を反転させることで、愛の慧命が育つからです。
無常はどんな時にもやって来ます。疫病だけでなく、気候変動、四大元素の不調和で、高い所から土石流が流れ、凄まじい山火事が生活を脅かし、瞬時にして禍がもたらされて、人々は極限的恐怖に襲われています。人口の多い地球では、生活習慣が自然生態を破壊していますが、全ては享受するためであり、受けとるだけを楽しむ生活はいつまで続くでしょうか?たとえ財があっても安心できないのは、それでも足りないと考えているからです。
毎日、世の中のことを見ていると、焦りと憂鬱な気分になり、言葉では言い表せません。こんな気持ちが続くと、大きな気力をもって話をしなければなりません。しかし、私は常に「この身を尽くして世に報いる」と自分に言い聞かせています。誰もが清浄無垢の大愛を啓発して、衆生が共に菩薩道を歩むことを願っております。
時は飛ぶように過ぎ去り、止めることも遮ることも捕まえることもできません。ただ精進するのみです。もし、その場にとどまっていたら、時間と共にこの生命は消え去ります。絶えず人間(じんかん)に光明をもたらし、苦難に溢れる暗がりに希望の光を灯して、人々を導くのです。病や苦難にある人たちに一杯の水と一握りのお米を与えれば、困窮を乗り越え、人生を翻すことさえできるのです。全世界が平安に共生し、人々に業を造る欲念を起こさないように呼びかけ、自分がこの世に尽くした証を記しましょう。どうぞ精進してください。
(慈済月刊六六〇期より)

皆のものがたり─世界的なコロナウィルスの大流行

板橋静思堂へワクチン接種に訪れた男性が体温を測っている様子。外出時にマスクやフェースシールドを着用し、体温を計ることは全国民の共通認識となっている。一体いつになったら、これまでの生活に戻れるのか、このコロナ禍の収束を待つしかない。
七年前、シエラレオネの国民がエボラウィルスに直面していた恐怖は計り知れないものがあった。だが、命が脆くも崩れ去っていくあの災難でも、他人事に過ぎなかった。まさか同じシナリオが七年後の今日、世界各地で繰り広げられるとは知る由もなかった。
二〇一三年の十二月、アフリカ西部でエボラウィルスが出現した。台湾から一万三千五百キロ以上離れ、台湾の約二倍の面積と七八〇万人の人口を有する、シエラレオネ共和国は流行地域の一つで、翌年に流行が起きると、エボラウィルスによる死者は三千九百人を超えた。
流行のピーク時には、毎日多くの人が亡くなり、葬儀業者の対応も追い付かず、墓地に浅い穴を掘ったり、早々に埋葬していた。深夜に飢えた野良犬が掘り返して、埋葬したばかりの死者を食べてしまうという話を現地に住む友人から聞いた。
エボラウイルスの流行開始から二年余り後、国際医療組織の尽力のもと、二〇一六年三月には流行を一旦食い止めることに成功した。二〇一六年九月、私は慈済ボランティアと共に、初めてシエラレオネ共和国を訪れて、人道支援活動を行った。それはWHOがエボラウィルスの流行収束を宣言してから半年後のことだった。当時シエラレオネでエボラウィルスについて語ると、現地の友人は容易に消えない恐怖を抱いているのが感じられた。
実際、彼らがどれだけエボラウィルスに恐怖を抱き、うろたえ、いかなる時も全国七百万余りの人々が神経を尖らせても、私は彼らの気持ちを実感することができなかった上に、今は既に過ぎて状況は変わっている。発生当時に現場にいなければ、ウィルスがもたらした衝撃を本質的に理解することはできないのだ。だが、命が脆く崩れ去っていくあの災難でも、他人事に過ぎなかったのだ。

6月初めの午後、万華区にある龍山寺は人影がなく、1人の信者が廟の門の外でお参りをしているだけだった。警戒レベル3の中、宗教施設を含む公共の場への立ち入りは厳しく制限され、閉鎖されていた。
まさか同じシナリオが七年後の今日、世界各地で繰り広げられるとは知る由もなかった。
エボラウイルスに続いてコロナウイルスが現れ、すでに世界で四百万人の命を奪い、目に見えない殺人犯のように形跡を残さず、死に至らしめている。コロナウィルスへの警戒レベルが3に引き上げられた台湾では、神々に祈る人々の姿が見られたが、廟の中に入ることはできなかった。西門町の灯火は暗く、映画館が軒を連ねる通りには人影もなかった。普段なら多くの人で賑わうエリアも空っぽだった。公共交通機関や会社、商店への出入りも大敵に対峙するようだった。そして、病院への出入りは更に厳しく管理され、影が付きまとうように感染への危機意識は高まっていた。そして、ちょっとしたことで恐怖が迫り、死がいつでも静かに忍び寄るかのように身の危険を感じていた。
この時ようやくシエラレオネの人々が当時、エボラウィルスに抱いていた恐怖心を理解することができた。異なっているのは、エボラウィルスはアフリカ大陸の限定的な地域に限られたものだったが、コロナウィルスはすでに世界的に流行している点だ。これは全人類の課題であり、ドキュメンタリーでもあり、誰も逃れられることではないのだ。遂に台湾も例外ではなくなり、世界にコロナウィルスが出現してから一年後、警戒レベルが3に引き上げられ、その間の感染者数と死亡者数が徐々に増加した。

6月14日、旧暦の端午節の連休にも関わらず、がらんとしている台北駅。コロナウィルスの蔓延により、人影は少なく、繁華街も息をひそめていた。店だけでなく、教育、医療機関などを含めた様々な産業が影響を受けた。
かつて病床にいたのは私だった
コロナウィルスが爆発的に感染が広がっているインドやアメリカなどの国に比べ、台湾の感染による死亡者は多くない。しかしどれも大切な命である。もしあなたの家族や親戚、友人だったら、命への考え方も変わるだろう。
病院のコロナウィルス感染症専門病室では、俗称「ウサギウェア」と呼ばれる防護用の重装備を着用した専門の医療スタッフが、生死の淵をさまよう患者のケアを行っている。この光景は、二〇一五年に八仙水上ランドで発生した粉塵爆発事故で、重度のやけどを負った患者がICUで治療を受けている様子と重なった。その時も医療スタッフは何重もの防護服を着て協力し合い、ミイラのようになってしまった身体から命を救い出そうとしていた。しかし、当時と異なる点がある。当時は外部から細菌が病室に入り、やけど患者が感染症にかかってしまうのを防ぐために防護服を着ていたが、コロナウィルスの患者をケアする際は、患者を守るほか、医療者を守るのが主な目的で着用しているのだ。
コロナウィルスの感染力が強いことは、ここで述べるまでもない。医療者と患者とのやり取りはすべて、生死の間を行き交うものである。命を救うことも自分の命を守ることも、どちらも疎かにしてはならない。万一感染してしまった場合、それは自分だけの問題ではなく、一家全体、そしてコミュニティ全体、ひいては台湾にとっての問題となるのだ。それゆえ、何枚もの防護服と手袋を着用し、靴カバーを付け、N95マスクの上に医療用マスクを重ね、帽子付きの防護服であってもさらにキャップをかぶり、ゴーグルとフェースシールドを付けてこそ万全な装備となる。装備の装着方法も基準に則ってしっかりと行わなければならない。
これまでのインタビューでは、医療スタッフの協力のもとに十数分間かけて装着を完了していた。ちまきのように包まれた装備で熱がこもり、汗をかくので耐えられなかった。プロの医療人員はこのような防護装備で命を救うという前提の下、慎重に数時間の仕事を全うする。その精神や心理、生理面での大きなプレッシャーは言い表せるものではなく、傍観者には簡単に理解できないものがある。
病室内の患者は、目を閉じながら、口には管が繋がれ、頭上やベッドの側に置かれた生命維持装置の数字や曲線だけが、彼らが生きるために必死にもがいている様子を示していた。この光景はどこかで見たことがあるような気がした。
そうだ、確かに私の人生にも同じ場面があったのだ。二〇一六年九月に出張で西アフリカのシエラレオネ共和国を訪れた時、マラリアに感染し、台湾に戻ってから体調に異変が起きたため、入院して治療を受けたことがあり、昏睡状態に陥り、ICUで治療を受けた。生死の淵を彷徨っている時に友人が見舞いに訪れ、人生最後の写真になるかもしれないと当時の様子を撮影してくれた。写真の中の私は疲れ果て、同じく目を閉じて、口には管が繋がれた同じ光景であった。
幸運なことに医療スタッフの治療と看護のもと、命拾いをすることができた。この世界的なコロナウィルスの流行の中で、不幸にも感染して生死の淵を彷徨っている人たちが、一人でも多くこの峠を越すことを願っている。

台北慈済病院の専用病室では、医療者が協力し合いながら、入院したばかりの感染者の看護を行っていた。第一線で働く医療者のプレッシャーは言葉では表現できない。(写真提供・台北慈済病院)
コロナ禍収束後も覚えているだろうか
週末の朝、山道は清らかで静かだ。台湾のコロナ禍は七月二十七日からやっと、警戒レベルが2に引き下げられ、人々の生活も次第に戻りつつある。山道を歩く人は以前より少なく、二カ月あまりの静けさを経て、小鳥が高らかに歌っていた。
ネット上ではある人がこんなことを書いていた。地球にとっては人類こそが重大なウィルスであり、新型コロナウィルスは人類というウィルスの拡散を抑制しようとする、地球が自分を守るためのワクチンなのだという。これは面白い見方だと言える。今世紀最大の災難が過ぎ去ったのち、人類の、自分自身の生活習慣や命に対する見方、そして大自然への向き合い方や他の動物たちとの関わり方に、変化が見られるだろうか。
(慈済月刊六五八期より)


板橋静思堂へワクチン接種に訪れた男性が体温を測っている様子。外出時にマスクやフェースシールドを着用し、体温を計ることは全国民の共通認識となっている。一体いつになったら、これまでの生活に戻れるのか、このコロナ禍の収束を待つしかない。
七年前、シエラレオネの国民がエボラウィルスに直面していた恐怖は計り知れないものがあった。だが、命が脆くも崩れ去っていくあの災難でも、他人事に過ぎなかった。まさか同じシナリオが七年後の今日、世界各地で繰り広げられるとは知る由もなかった。
二〇一三年の十二月、アフリカ西部でエボラウィルスが出現した。台湾から一万三千五百キロ以上離れ、台湾の約二倍の面積と七八〇万人の人口を有する、シエラレオネ共和国は流行地域の一つで、翌年に流行が起きると、エボラウィルスによる死者は三千九百人を超えた。
流行のピーク時には、毎日多くの人が亡くなり、葬儀業者の対応も追い付かず、墓地に浅い穴を掘ったり、早々に埋葬していた。深夜に飢えた野良犬が掘り返して、埋葬したばかりの死者を食べてしまうという話を現地に住む友人から聞いた。
エボラウイルスの流行開始から二年余り後、国際医療組織の尽力のもと、二〇一六年三月には流行を一旦食い止めることに成功した。二〇一六年九月、私は慈済ボランティアと共に、初めてシエラレオネ共和国を訪れて、人道支援活動を行った。それはWHOがエボラウィルスの流行収束を宣言してから半年後のことだった。当時シエラレオネでエボラウィルスについて語ると、現地の友人は容易に消えない恐怖を抱いているのが感じられた。
実際、彼らがどれだけエボラウィルスに恐怖を抱き、うろたえ、いかなる時も全国七百万余りの人々が神経を尖らせても、私は彼らの気持ちを実感することができなかった上に、今は既に過ぎて状況は変わっている。発生当時に現場にいなければ、ウィルスがもたらした衝撃を本質的に理解することはできないのだ。だが、命が脆く崩れ去っていくあの災難でも、他人事に過ぎなかったのだ。

6月初めの午後、万華区にある龍山寺は人影がなく、1人の信者が廟の門の外でお参りをしているだけだった。警戒レベル3の中、宗教施設を含む公共の場への立ち入りは厳しく制限され、閉鎖されていた。
まさか同じシナリオが七年後の今日、世界各地で繰り広げられるとは知る由もなかった。
エボラウイルスに続いてコロナウイルスが現れ、すでに世界で四百万人の命を奪い、目に見えない殺人犯のように形跡を残さず、死に至らしめている。コロナウィルスへの警戒レベルが3に引き上げられた台湾では、神々に祈る人々の姿が見られたが、廟の中に入ることはできなかった。西門町の灯火は暗く、映画館が軒を連ねる通りには人影もなかった。普段なら多くの人で賑わうエリアも空っぽだった。公共交通機関や会社、商店への出入りも大敵に対峙するようだった。そして、病院への出入りは更に厳しく管理され、影が付きまとうように感染への危機意識は高まっていた。そして、ちょっとしたことで恐怖が迫り、死がいつでも静かに忍び寄るかのように身の危険を感じていた。
この時ようやくシエラレオネの人々が当時、エボラウィルスに抱いていた恐怖心を理解することができた。異なっているのは、エボラウィルスはアフリカ大陸の限定的な地域に限られたものだったが、コロナウィルスはすでに世界的に流行している点だ。これは全人類の課題であり、ドキュメンタリーでもあり、誰も逃れられることではないのだ。遂に台湾も例外ではなくなり、世界にコロナウィルスが出現してから一年後、警戒レベルが3に引き上げられ、その間の感染者数と死亡者数が徐々に増加した。

6月14日、旧暦の端午節の連休にも関わらず、がらんとしている台北駅。コロナウィルスの蔓延により、人影は少なく、繁華街も息をひそめていた。店だけでなく、教育、医療機関などを含めた様々な産業が影響を受けた。
かつて病床にいたのは私だった
コロナウィルスが爆発的に感染が広がっているインドやアメリカなどの国に比べ、台湾の感染による死亡者は多くない。しかしどれも大切な命である。もしあなたの家族や親戚、友人だったら、命への考え方も変わるだろう。
病院のコロナウィルス感染症専門病室では、俗称「ウサギウェア」と呼ばれる防護用の重装備を着用した専門の医療スタッフが、生死の淵をさまよう患者のケアを行っている。この光景は、二〇一五年に八仙水上ランドで発生した粉塵爆発事故で、重度のやけどを負った患者がICUで治療を受けている様子と重なった。その時も医療スタッフは何重もの防護服を着て協力し合い、ミイラのようになってしまった身体から命を救い出そうとしていた。しかし、当時と異なる点がある。当時は外部から細菌が病室に入り、やけど患者が感染症にかかってしまうのを防ぐために防護服を着ていたが、コロナウィルスの患者をケアする際は、患者を守るほか、医療者を守るのが主な目的で着用しているのだ。
コロナウィルスの感染力が強いことは、ここで述べるまでもない。医療者と患者とのやり取りはすべて、生死の間を行き交うものである。命を救うことも自分の命を守ることも、どちらも疎かにしてはならない。万一感染してしまった場合、それは自分だけの問題ではなく、一家全体、そしてコミュニティ全体、ひいては台湾にとっての問題となるのだ。それゆえ、何枚もの防護服と手袋を着用し、靴カバーを付け、N95マスクの上に医療用マスクを重ね、帽子付きの防護服であってもさらにキャップをかぶり、ゴーグルとフェースシールドを付けてこそ万全な装備となる。装備の装着方法も基準に則ってしっかりと行わなければならない。
これまでのインタビューでは、医療スタッフの協力のもとに十数分間かけて装着を完了していた。ちまきのように包まれた装備で熱がこもり、汗をかくので耐えられなかった。プロの医療人員はこのような防護装備で命を救うという前提の下、慎重に数時間の仕事を全うする。その精神や心理、生理面での大きなプレッシャーは言い表せるものではなく、傍観者には簡単に理解できないものがある。
病室内の患者は、目を閉じながら、口には管が繋がれ、頭上やベッドの側に置かれた生命維持装置の数字や曲線だけが、彼らが生きるために必死にもがいている様子を示していた。この光景はどこかで見たことがあるような気がした。
そうだ、確かに私の人生にも同じ場面があったのだ。二〇一六年九月に出張で西アフリカのシエラレオネ共和国を訪れた時、マラリアに感染し、台湾に戻ってから体調に異変が起きたため、入院して治療を受けたことがあり、昏睡状態に陥り、ICUで治療を受けた。生死の淵を彷徨っている時に友人が見舞いに訪れ、人生最後の写真になるかもしれないと当時の様子を撮影してくれた。写真の中の私は疲れ果て、同じく目を閉じて、口には管が繋がれた同じ光景であった。
幸運なことに医療スタッフの治療と看護のもと、命拾いをすることができた。この世界的なコロナウィルスの流行の中で、不幸にも感染して生死の淵を彷徨っている人たちが、一人でも多くこの峠を越すことを願っている。

台北慈済病院の専用病室では、医療者が協力し合いながら、入院したばかりの感染者の看護を行っていた。第一線で働く医療者のプレッシャーは言葉では表現できない。(写真提供・台北慈済病院)
コロナ禍収束後も覚えているだろうか
週末の朝、山道は清らかで静かだ。台湾のコロナ禍は七月二十七日からやっと、警戒レベルが2に引き下げられ、人々の生活も次第に戻りつつある。山道を歩く人は以前より少なく、二カ月あまりの静けさを経て、小鳥が高らかに歌っていた。
ネット上ではある人がこんなことを書いていた。地球にとっては人類こそが重大なウィルスであり、新型コロナウィルスは人類というウィルスの拡散を抑制しようとする、地球が自分を守るためのワクチンなのだという。これは面白い見方だと言える。今世紀最大の災難が過ぎ去ったのち、人類の、自分自身の生活習慣や命に対する見方、そして大自然への向き合い方や他の動物たちとの関わり方に、変化が見られるだろうか。
(慈済月刊六五八期より)

緊迫した第二波のコロナ禍・多方面からの支援

コロナ禍が前回のピークを超え、医療物資が不足する中、支援物資をインドネシアに運ぶため、慈済インドネシア支部のチャーター機が7月24日、広州に降り立った。(写真提供・花蓮本会)
コロナウィルスの流行は七月にピークを迎えたが、八月上旬の一日あたりの感染者数はまだ、二万から三万人であった。
慈済は防疫センターを開設し、治療と隔離の支援を行った。
集会所や病院、学校を開放し、スピーディーに市民へのワクチン接種を実施した。
五千台の酸素濃縮器や七百万世帯向けに米などの物資を配付した。
インドネシアでは五月のラマダン明けの祝日に伴って帰省ラッシュが起き、デルタ変異株の感染が急速に拡大し、第二波のコロナ禍を招いた。六月中旬から一日の感染者数が記録を更新し続け、七月十七日には一日で五万人超に激増し、コロナ禍が急拡大して以来の最高記録となった。八月に入っても一日に二万から三万人の感染者が出た。緊迫した状況の中、政府はワクチン接種を加速させると同時に、七月初めからジャワ島とバリ島で緊急活動制限が発令され、全面的に在宅勤務やオンライン授業に切り替えることになり、飲食店のイートインは禁止され、基盤サービスに関わる業種のみが営業を許可された。
インドネシア慈済総合病院は、慈済が海外で建設する初めての総合病院で、まだ建設中だが、コロナ禍でのニーズに応えて、出来上がった病院後方棟の九階に防疫センターを特設し、五十六の病床と新型コロナウィルス感染症専用オペ室、医務室、ICUやCTスキャンなどの設備を整えた。今年六月十四日の開設後、満床状態が続いている。医師は診察を通して、軽症患者に薬を処方し、自主隔離を勧めている。中等症や重症患者はすぐに治療するか他の病院への転院を勧めている。
インドネシア慈済病院の事務総経理である黄礼春(ホワン・リーチュン)氏は「防疫センターにはもう空きがありません。多くの患者は恐怖のあまり、どうしても入院したいと訪れますが、実際、彼らの症状はそこまで悪くありません。この方面については、本当に必要としている人に病床を空けてもらうよう、もっと情報を流す必要があります」と言った。

43歳のタクシー運転手、イマンさんはお客さんを載せるたびに感染を心配していた。無料でワクチンを接種できるという政府からの知らせを受け、チェンカレン慈済大愛学校で接種を完了した。(撮影・Arimami Suryo A.)
喜ばしい双子の誕生
感染者の受入れの他、防疫センターの専用オペ室は産婦人科と外科のためにも提供されている。防疫センター初めての患者は、双子を妊娠していたミタさんであった。彼女は夫のトミーさんと二〇一七年に結婚し、三年後ようやく子どもを授かった。友人のすすめで「チェンカレン大愛村」にあるインドネシア慈済大愛病院で妊婦健診を受け、アンドリー医師の診察で双子の妊娠だと分かった時は、驚くと共に喜びに溢れた。
六月初め、妊娠七カ月目に入ると、ミタさんは頭痛や吐き気を感じるようになった。彼女は国の健康保険を使ってコミュニティの健康センターで受診すると、血圧は二百もあり、アンドリー医師により妊娠中毒症と診断された。直ぐに治療しないと、てんかんの発作につながるかも知れず、妊婦と胎児の双方に命の危険があったため、可能な限り早く出産させることが最善策であった。ミタさんは臨月ではなかったが、双子ということもあり、医療チームは帝王切開での出産を勧めた。
図らずも、ミタさんは手術前のコロナ検査で陽性反応が出た。大愛病院にはコロナ患者専用の手術室がなかったため、他の病院を当たるしかなかった。彼らは多くの病院に支援を求めたが、どこも満床の状態だった。幸運なことに六月十四日にちょうどインドネシア慈済病院の防疫センターが開設され、アンドリー医師の紹介の下、ミタさんはインドネシア慈済病院の患者「第一号」となった。
六月十五日、ジャカルタ時間の夜九時、小児科医二名と産婦人科医一名及び麻酔科医一名によって帝王切開手術が行われ、ミタさんは可愛い双子の男児を出産した。それは緊迫したコロナ禍に届いた吉報であった。
三カ月前、トミーさんはコロナ禍でリストラされていたため、慈済が医療費を全額援助した。トミーさんは、「大愛病院と慈済病院の先生の方々、そして慈済に感謝します。天が授けてくれた奇跡です」と語った。
慈済防疫センターの他に、慈済大愛病院別棟の看護師宿舎も未使用であったため、コロナ禍での緊急ニーズに応じて隔離施設として提供し、軽症患者の隔離に使われている。二階から四階までは自宅隔離者向けで、六十三人を収容でき、五階は感染した慈済職員専用エリアとして使用している。
大愛病院防疫チームリーダーを務めるアドリアヌス医師によると、病院宿舎の一階に設けた臨時の陰圧室は十二床あり、そのうち成人向けが十床、子供向けが二床、また大愛病院の救急外来には十一床あるので、合計二十三床のコロナウィルス患者専用病床がある。
この難関を乗り越える
一日も早くコロナウィルスの流行を抑えるため、インドネシア政府は大規模なワクチン接種計画を実施し、「一日百万人のワクチン接種」という目標を打ち出した。慈済インドネシア支部は二月から支部にある静思堂とその向かいの百貨店の広場、大愛学校の三カ所のワクチン接種会場に接種サービスを提供しており、各会場で一日あたり千人のワクチン接種の目標を定めた。市民が快適且つ安心して接種してもらえるよう、会場では一メートルの座席間隔を確保し、接種希望者に身分証を提示してもらい、同意書にサインした後、医療スタッフが血圧と体温を測って、健康状態の問診を行った。このようなプロセスを経て、接種資格があることを確認してから接種ができるのである。
慈済大愛病院も大愛学校の建物内で、ジャカルタ西区に居住する市民を対象にワクチン接種を行った。市民が教室内で密になるのを避けるため、教室の外の廊下に並び、一回に五人が教室に入って接種を行っている。一日あたり六名の大愛病院の医療スタッフと十八名のボランティアが、共同で作業にあたっている。
インドネシア政府の計画によれば、国慶節の八月十七日までにはジャカルタでの接種率が九十%以上に達し、慈済インドネシア支部も九月には三十万人への接種を完了する予定である。ジャカルタ以外の慈済支部も政府に呼応して、市民を対象にしたワクチン接種サービスを提供している。七月末までの統計によると、慈済が設置した十二の接種会場で十一万四千六百人以上が接種を終えた。
レストランで働くレナ(Lena)さんはこう語った。「普段から多くの人と接触するので、レストランの規則として、自分そして周りの人々を守るために、従業員は全員ワクチンを打たなければなりません」。また、市民のフェンディ(Fendi)さんは「アッラーに感謝します。ワクチンを打ったので安心して仕事ができます」と言った。
去年三月初めにコロナウィルスが流行してから現在に至るまで、慈済インドネシア支部は実業家と協力して三度の募金活動を行い、貧しい人々を支援してきた。今年七月からは七百万世帯を対象に三万五千トンの米を配付し、五千台の酸素濃縮器を、航空便と船便を使って海外から取り寄せ、緊急に公立病院の医療体系を支援したことで、死亡率低下の効果が現れ、患者の危機を救った。
(慈済月刊六五八期より)


コロナ禍が前回のピークを超え、医療物資が不足する中、支援物資をインドネシアに運ぶため、慈済インドネシア支部のチャーター機が7月24日、広州に降り立った。(写真提供・花蓮本会)
コロナウィルスの流行は七月にピークを迎えたが、八月上旬の一日あたりの感染者数はまだ、二万から三万人であった。
慈済は防疫センターを開設し、治療と隔離の支援を行った。
集会所や病院、学校を開放し、スピーディーに市民へのワクチン接種を実施した。
五千台の酸素濃縮器や七百万世帯向けに米などの物資を配付した。
インドネシアでは五月のラマダン明けの祝日に伴って帰省ラッシュが起き、デルタ変異株の感染が急速に拡大し、第二波のコロナ禍を招いた。六月中旬から一日の感染者数が記録を更新し続け、七月十七日には一日で五万人超に激増し、コロナ禍が急拡大して以来の最高記録となった。八月に入っても一日に二万から三万人の感染者が出た。緊迫した状況の中、政府はワクチン接種を加速させると同時に、七月初めからジャワ島とバリ島で緊急活動制限が発令され、全面的に在宅勤務やオンライン授業に切り替えることになり、飲食店のイートインは禁止され、基盤サービスに関わる業種のみが営業を許可された。
インドネシア慈済総合病院は、慈済が海外で建設する初めての総合病院で、まだ建設中だが、コロナ禍でのニーズに応えて、出来上がった病院後方棟の九階に防疫センターを特設し、五十六の病床と新型コロナウィルス感染症専用オペ室、医務室、ICUやCTスキャンなどの設備を整えた。今年六月十四日の開設後、満床状態が続いている。医師は診察を通して、軽症患者に薬を処方し、自主隔離を勧めている。中等症や重症患者はすぐに治療するか他の病院への転院を勧めている。
インドネシア慈済病院の事務総経理である黄礼春(ホワン・リーチュン)氏は「防疫センターにはもう空きがありません。多くの患者は恐怖のあまり、どうしても入院したいと訪れますが、実際、彼らの症状はそこまで悪くありません。この方面については、本当に必要としている人に病床を空けてもらうよう、もっと情報を流す必要があります」と言った。

43歳のタクシー運転手、イマンさんはお客さんを載せるたびに感染を心配していた。無料でワクチンを接種できるという政府からの知らせを受け、チェンカレン慈済大愛学校で接種を完了した。(撮影・Arimami Suryo A.)
喜ばしい双子の誕生
感染者の受入れの他、防疫センターの専用オペ室は産婦人科と外科のためにも提供されている。防疫センター初めての患者は、双子を妊娠していたミタさんであった。彼女は夫のトミーさんと二〇一七年に結婚し、三年後ようやく子どもを授かった。友人のすすめで「チェンカレン大愛村」にあるインドネシア慈済大愛病院で妊婦健診を受け、アンドリー医師の診察で双子の妊娠だと分かった時は、驚くと共に喜びに溢れた。
六月初め、妊娠七カ月目に入ると、ミタさんは頭痛や吐き気を感じるようになった。彼女は国の健康保険を使ってコミュニティの健康センターで受診すると、血圧は二百もあり、アンドリー医師により妊娠中毒症と診断された。直ぐに治療しないと、てんかんの発作につながるかも知れず、妊婦と胎児の双方に命の危険があったため、可能な限り早く出産させることが最善策であった。ミタさんは臨月ではなかったが、双子ということもあり、医療チームは帝王切開での出産を勧めた。
図らずも、ミタさんは手術前のコロナ検査で陽性反応が出た。大愛病院にはコロナ患者専用の手術室がなかったため、他の病院を当たるしかなかった。彼らは多くの病院に支援を求めたが、どこも満床の状態だった。幸運なことに六月十四日にちょうどインドネシア慈済病院の防疫センターが開設され、アンドリー医師の紹介の下、ミタさんはインドネシア慈済病院の患者「第一号」となった。
六月十五日、ジャカルタ時間の夜九時、小児科医二名と産婦人科医一名及び麻酔科医一名によって帝王切開手術が行われ、ミタさんは可愛い双子の男児を出産した。それは緊迫したコロナ禍に届いた吉報であった。
三カ月前、トミーさんはコロナ禍でリストラされていたため、慈済が医療費を全額援助した。トミーさんは、「大愛病院と慈済病院の先生の方々、そして慈済に感謝します。天が授けてくれた奇跡です」と語った。
慈済防疫センターの他に、慈済大愛病院別棟の看護師宿舎も未使用であったため、コロナ禍での緊急ニーズに応じて隔離施設として提供し、軽症患者の隔離に使われている。二階から四階までは自宅隔離者向けで、六十三人を収容でき、五階は感染した慈済職員専用エリアとして使用している。
大愛病院防疫チームリーダーを務めるアドリアヌス医師によると、病院宿舎の一階に設けた臨時の陰圧室は十二床あり、そのうち成人向けが十床、子供向けが二床、また大愛病院の救急外来には十一床あるので、合計二十三床のコロナウィルス患者専用病床がある。
この難関を乗り越える
一日も早くコロナウィルスの流行を抑えるため、インドネシア政府は大規模なワクチン接種計画を実施し、「一日百万人のワクチン接種」という目標を打ち出した。慈済インドネシア支部は二月から支部にある静思堂とその向かいの百貨店の広場、大愛学校の三カ所のワクチン接種会場に接種サービスを提供しており、各会場で一日あたり千人のワクチン接種の目標を定めた。市民が快適且つ安心して接種してもらえるよう、会場では一メートルの座席間隔を確保し、接種希望者に身分証を提示してもらい、同意書にサインした後、医療スタッフが血圧と体温を測って、健康状態の問診を行った。このようなプロセスを経て、接種資格があることを確認してから接種ができるのである。
慈済大愛病院も大愛学校の建物内で、ジャカルタ西区に居住する市民を対象にワクチン接種を行った。市民が教室内で密になるのを避けるため、教室の外の廊下に並び、一回に五人が教室に入って接種を行っている。一日あたり六名の大愛病院の医療スタッフと十八名のボランティアが、共同で作業にあたっている。
インドネシア政府の計画によれば、国慶節の八月十七日までにはジャカルタでの接種率が九十%以上に達し、慈済インドネシア支部も九月には三十万人への接種を完了する予定である。ジャカルタ以外の慈済支部も政府に呼応して、市民を対象にしたワクチン接種サービスを提供している。七月末までの統計によると、慈済が設置した十二の接種会場で十一万四千六百人以上が接種を終えた。
レストランで働くレナ(Lena)さんはこう語った。「普段から多くの人と接触するので、レストランの規則として、自分そして周りの人々を守るために、従業員は全員ワクチンを打たなければなりません」。また、市民のフェンディ(Fendi)さんは「アッラーに感謝します。ワクチンを打ったので安心して仕事ができます」と言った。
去年三月初めにコロナウィルスが流行してから現在に至るまで、慈済インドネシア支部は実業家と協力して三度の募金活動を行い、貧しい人々を支援してきた。今年七月からは七百万世帯を対象に三万五千トンの米を配付し、五千台の酸素濃縮器を、航空便と船便を使って海外から取り寄せ、緊急に公立病院の医療体系を支援したことで、死亡率低下の効果が現れ、患者の危機を救った。
(慈済月刊六五八期より)

腸の状態を良くするには、菜食が助けてくれる
野菜や穀物中の食物繊維は腸内微生物の重要な食べ物、善玉菌を増やすと腸が健康になる。
娘の睿佳(ルィジア)と歩いていると、偶然に小児科のお医者さんに出会った。お医者さんは嬉しそうに「しばらく見ないうちに大きくなりましたね!」と言った。
私は「三年もの間、私たちが病院に行かなかったのは、睿佳がとても元気で何事もなかったからで、とても感謝しています」と答えた。するとお医者さんは突然かがんで、睿佳に「お母さんに感謝するのですよ、あなたに一番良いものを全部くれたのだから」と言葉をかけた。それからお互いに近況を話し合って別れ、睿佳とバスに乗った。
睿佳は霧に包まれたように、「ママはは私に何をくれたの?」と尋ねたので、私は「お医者さんが言っていたのは、ママがどうしても母乳であなたを育てると決めたことでしょうね」と答えた。当時私はいろいろ尋ねて母乳を奨励する小児科医を探していた。そのうちに睿佳を定期検査に連れていったことが縁となり、この優しくて優雅で品のあるお医者さんに会うことができたのだ。
当時、お医者さんが教えてくれた、母乳に含まれている微生物の事を睿佳に話した。人間の体内にいる微生物には細菌やウイルス、黴菌も含まれていて、その数は百兆以上にも上り、大部分が私たちの腸内に住んでいる。すると睿佳は、細菌はどうやって私たちの体内に入ってくるの?普段飲んでいるヨーグルトの細菌は、なぜ胃酸に殺されないの?と面白い質問をしてきた。
私はプロバイオティクスに関する衛生教育をしたことがあるが、今までこんな質問をした大人に出会ったことはない。一般の人が比較的関心を寄せているのは、プロバイオティクスはどのくらい食べればいいのか、食前または食後が良いのか、食べると太るのか、などであった。私は娘に基本的な知識をゆっくり話して聞かせることにした。

腸内細菌は母体の贈り物
昔の知識では、細菌は病気の原因なので、抗生物などの薬を飲んでそれを殺していた。しかし、現在の私たちは、細菌とはその実、体の一部分なのだということを知っている。
子育てで、「子供は一人一人違う」という話は親にとってなじみ深く、人それぞれの微生物叢もまた唯一無二なのである。
数年前、ロブ・ナイト(Rob Knight)教授が非営利組織TED大会のスピーチで、「微生物はどのようにして私たちを作っているのか」(How our microbes make us who we are)というのがあった。その中で、私が最も深く印象に残っているのは、人体は約十兆のヒト細胞から成り立っているが、宿っている微生物細胞の数は、私たちが想像しているよりもはるかに多く、百兆もある、という話だった。微生物細胞が人体細胞の十倍だというのなら、一体誰が「主」で誰が「しもべ」なのだろうかと考えずにはいられなかった。
ロブ・ナイト教授もまた、こう言っている。体の部位により微生物は異なり、人の口と腸内の微生物を比べても大きく異なっていて、その違いは、珊瑚礁と草原以上に大きな違いである。この演説はとても生き生きとしていた。教授は後にブレンダン・ビューラー(Brendan Buhler)と科学普及のために『微生物による巨大インパクト』という本を共著し、そこから私は多くの知識を得た。
これら微生物は、どのようにして私たちの体内に入り込んで私たちと共存しているのだろうか。
私たちの腸内微生物叢は、最初は母体からもたらされる。自然分娩或いは帝王切開という形が新生児の腸内に異なった種類の微生物をもたらす。帝王切開で生まれた子の腸内細菌構成種が母親の皮膚の常在菌叢に似ている一方、自然分娩で生まれた子には母親の産道にある乳酸菌などがもたらされていることがわかっている。次いで母乳を通してその中にある特殊な微生物が腸内に住み着いて成長する。
腸内菌で人間に有益なものとしてよく知られているのが、ラクトバチルス菌やビフィズス菌だが、人体がこれら微生物に生存環境を与え、これらも人体の健康を維持してくれているのである。また、これら人体に有益な腸内菌は害菌を取り除き、害菌の生存空間を無くすことで、腸内微生物の均衡の取れた健康的な生存環境を維持しているのである。
腸内に定着している原生微生物とは異なり、プロバイオティクス製品、発酵乳、ヨーグルト、納豆、漬物などの発酵食品を介して体内に入る微生物は、ただの通行人に過ぎず、定着することはできない。なぜなら腸内原生微生物の生態は、容易に取って代わることができないからである。
とはいえ腸内微生物は決まっていて不変、というわけではなく、年齢、環境、飲食内容、抗生物質の服用、ストレス、運動習慣、睡眠などの要素によって変わる。一旦この状態が破壊されて均衡を失うと、人体は自ずと病の危機に晒される。
菌を食べるよりも育てよう
腸内微生物は幾つかのビタミン、例えばビタミンKを造っている。澱粉や食物繊維などの複合炭水化合物は消化しにくいため、大腸内の微生物が分解を助け、食物繊維もまた腸内菌の最良の食物となっている。
「人間の消化器系には、果物や野菜、または全粒穀物など食物繊維を分解する酵素がないの。これら食物繊維が大腸に届くと腸内微生物は両手を広げて歓迎するのよ」。ここまで聞いていた睿佳は、私に面白い質問をした。「もし私たちが野菜や果物を食べなかったら、腸内細菌は何を食べるの?」私は身の毛もよだつような事実を教えた、「あなたを『食べる』のよ」。
私はペンと紙を出して、腸を描いて説明した。「大腸の一番外側は粘膜層で、粘液は腸の上皮細胞から分泌されるけど、外からの病原菌の進入を防ぐ作用があるの。もし食事の中の食物繊維が極端に少ないと、腸内微生物はお腹いっぱいにならないから粘膜に向かい、粘液をどんどん食べてしまうのよ。粘液を造る速度が消耗する速度よりも遅ければ、粘液は自然に少なくなってしまうの。粘液層は腸の防御最前線で、それが弱くなると病原菌が群れをなして上皮細胞に侵入するから、免疫系統が炎症という形で警鐘を鳴らすのよ」。
異なる微生物はそれぞれ異なる食物繊維を食べる。私たちはビフィズス菌健康食品などで善玉菌を摂取するだけでなく、色々な植物性の食べ物を摂ることで、腸内の健康を保つようにする必要がある。
母親は生命の始まりの瞬間から私たちに最高の贈り物をしている。毎日充分な野菜と果物など繊維のある食べ物を摂取すれば、腸内の生態環境に豊かで均衡の取れた微生物群を保つことができる。腸内の助っ人と仲良く共存し、健康を維持していこう。
(慈済月刊六五三期より)

野菜や穀物中の食物繊維は腸内微生物の重要な食べ物、善玉菌を増やすと腸が健康になる。
娘の睿佳(ルィジア)と歩いていると、偶然に小児科のお医者さんに出会った。お医者さんは嬉しそうに「しばらく見ないうちに大きくなりましたね!」と言った。
私は「三年もの間、私たちが病院に行かなかったのは、睿佳がとても元気で何事もなかったからで、とても感謝しています」と答えた。するとお医者さんは突然かがんで、睿佳に「お母さんに感謝するのですよ、あなたに一番良いものを全部くれたのだから」と言葉をかけた。それからお互いに近況を話し合って別れ、睿佳とバスに乗った。
睿佳は霧に包まれたように、「ママはは私に何をくれたの?」と尋ねたので、私は「お医者さんが言っていたのは、ママがどうしても母乳であなたを育てると決めたことでしょうね」と答えた。当時私はいろいろ尋ねて母乳を奨励する小児科医を探していた。そのうちに睿佳を定期検査に連れていったことが縁となり、この優しくて優雅で品のあるお医者さんに会うことができたのだ。
当時、お医者さんが教えてくれた、母乳に含まれている微生物の事を睿佳に話した。人間の体内にいる微生物には細菌やウイルス、黴菌も含まれていて、その数は百兆以上にも上り、大部分が私たちの腸内に住んでいる。すると睿佳は、細菌はどうやって私たちの体内に入ってくるの?普段飲んでいるヨーグルトの細菌は、なぜ胃酸に殺されないの?と面白い質問をしてきた。
私はプロバイオティクスに関する衛生教育をしたことがあるが、今までこんな質問をした大人に出会ったことはない。一般の人が比較的関心を寄せているのは、プロバイオティクスはどのくらい食べればいいのか、食前または食後が良いのか、食べると太るのか、などであった。私は娘に基本的な知識をゆっくり話して聞かせることにした。

腸内細菌は母体の贈り物
昔の知識では、細菌は病気の原因なので、抗生物などの薬を飲んでそれを殺していた。しかし、現在の私たちは、細菌とはその実、体の一部分なのだということを知っている。
子育てで、「子供は一人一人違う」という話は親にとってなじみ深く、人それぞれの微生物叢もまた唯一無二なのである。
数年前、ロブ・ナイト(Rob Knight)教授が非営利組織TED大会のスピーチで、「微生物はどのようにして私たちを作っているのか」(How our microbes make us who we are)というのがあった。その中で、私が最も深く印象に残っているのは、人体は約十兆のヒト細胞から成り立っているが、宿っている微生物細胞の数は、私たちが想像しているよりもはるかに多く、百兆もある、という話だった。微生物細胞が人体細胞の十倍だというのなら、一体誰が「主」で誰が「しもべ」なのだろうかと考えずにはいられなかった。
ロブ・ナイト教授もまた、こう言っている。体の部位により微生物は異なり、人の口と腸内の微生物を比べても大きく異なっていて、その違いは、珊瑚礁と草原以上に大きな違いである。この演説はとても生き生きとしていた。教授は後にブレンダン・ビューラー(Brendan Buhler)と科学普及のために『微生物による巨大インパクト』という本を共著し、そこから私は多くの知識を得た。
これら微生物は、どのようにして私たちの体内に入り込んで私たちと共存しているのだろうか。
私たちの腸内微生物叢は、最初は母体からもたらされる。自然分娩或いは帝王切開という形が新生児の腸内に異なった種類の微生物をもたらす。帝王切開で生まれた子の腸内細菌構成種が母親の皮膚の常在菌叢に似ている一方、自然分娩で生まれた子には母親の産道にある乳酸菌などがもたらされていることがわかっている。次いで母乳を通してその中にある特殊な微生物が腸内に住み着いて成長する。
腸内菌で人間に有益なものとしてよく知られているのが、ラクトバチルス菌やビフィズス菌だが、人体がこれら微生物に生存環境を与え、これらも人体の健康を維持してくれているのである。また、これら人体に有益な腸内菌は害菌を取り除き、害菌の生存空間を無くすことで、腸内微生物の均衡の取れた健康的な生存環境を維持しているのである。
腸内に定着している原生微生物とは異なり、プロバイオティクス製品、発酵乳、ヨーグルト、納豆、漬物などの発酵食品を介して体内に入る微生物は、ただの通行人に過ぎず、定着することはできない。なぜなら腸内原生微生物の生態は、容易に取って代わることができないからである。
とはいえ腸内微生物は決まっていて不変、というわけではなく、年齢、環境、飲食内容、抗生物質の服用、ストレス、運動習慣、睡眠などの要素によって変わる。一旦この状態が破壊されて均衡を失うと、人体は自ずと病の危機に晒される。
菌を食べるよりも育てよう
腸内微生物は幾つかのビタミン、例えばビタミンKを造っている。澱粉や食物繊維などの複合炭水化合物は消化しにくいため、大腸内の微生物が分解を助け、食物繊維もまた腸内菌の最良の食物となっている。
「人間の消化器系には、果物や野菜、または全粒穀物など食物繊維を分解する酵素がないの。これら食物繊維が大腸に届くと腸内微生物は両手を広げて歓迎するのよ」。ここまで聞いていた睿佳は、私に面白い質問をした。「もし私たちが野菜や果物を食べなかったら、腸内細菌は何を食べるの?」私は身の毛もよだつような事実を教えた、「あなたを『食べる』のよ」。
私はペンと紙を出して、腸を描いて説明した。「大腸の一番外側は粘膜層で、粘液は腸の上皮細胞から分泌されるけど、外からの病原菌の進入を防ぐ作用があるの。もし食事の中の食物繊維が極端に少ないと、腸内微生物はお腹いっぱいにならないから粘膜に向かい、粘液をどんどん食べてしまうのよ。粘液を造る速度が消耗する速度よりも遅ければ、粘液は自然に少なくなってしまうの。粘液層は腸の防御最前線で、それが弱くなると病原菌が群れをなして上皮細胞に侵入するから、免疫系統が炎症という形で警鐘を鳴らすのよ」。
異なる微生物はそれぞれ異なる食物繊維を食べる。私たちはビフィズス菌健康食品などで善玉菌を摂取するだけでなく、色々な植物性の食べ物を摂ることで、腸内の健康を保つようにする必要がある。
母親は生命の始まりの瞬間から私たちに最高の贈り物をしている。毎日充分な野菜と果物など繊維のある食べ物を摂取すれば、腸内の生態環境に豊かで均衡の取れた微生物群を保つことができる。腸内の助っ人と仲良く共存し、健康を維持していこう。
(慈済月刊六五三期より)

人生の棚卸し
人間(じんかん)を利することや分かち合う価値がある善行を、どれほどしたのか、自分の人生を振り返ってみて、自分に感謝しましょう。

幸福な人生にあっても、大衆を幸福にする
八月二十一日、マレーシア・セランゴールの慈済人は、ネットを通じて上人と懇談しました。上人は、異なる民族や宗教のボランティアたちとクアラルンプール慈済国際学校の教師たちに対して、皆共に同じ天と地の間に住んでいるのですから、一つの家族なのです、と言いました。
「言葉や信仰が違っていても、心は通じ合い、人それぞれの真心と気遣いを感じ取ることができるのです」。
また上人は、知識の伝授はとても大事ですが、人心が善に向かうよう指導することはもっと大事です、と強調しました。
「教育を受けられるのはとても幸福なことですが、一人一人の愛を啓発できてこそ、真に幸福がもたらされるのです。幸福は個人のことですが、幸福をもたらすのは大衆のためです。愛のある人がお互いに影響し合い、励まし合い、同じ方向に向かって努力すれば、人間(じんかん)を利することができます」。
上人は、マレーシア全土の慈済人が互いに励まし合って菜食を推し進めるようにと励ましました。
「マレーシアで菜食の勧めを行うのは難しくないと思います。というのも、中華系の人は信仰を持っている人が少なくなく、仏教でも、道教または民間信仰であっても、皆同じ考えを持っており、平穏な人生を求めるなら菜食を長く続けることです。少数の人だけが行うのではなく、大勢の人が菜食をしてはじめて災難は無くなり、世に平和がもたらされるのです」。
ある師姐(女性ボランティア)が著名なサッカー選手であるリオネル・メッシが菜食主義者であることに触れると、上人はこう続けました。
「少なからぬスポーツ選手が菜食主義者であり、それでも体力と持久力を充分に持っているのです。従って、菜食だからと言ってタンパク質が不足することを心配する必要はありません。偏食さえしなければ、五穀雑糧は人類に充分で均衡的な栄養を与えてくれています。肉食者は逆に体の健康を損なうと共に、万物の平和を損ない、環境を大きく汚染しています」。
人類であれ、動物または植物であれ、全てに生きる権利があるのです。世の生命を愛護することは、最も純粋で誠意のある愛の心の表れなのです。この真心からの愛は、清浄無垢な善の念であり、それが菩薩の心なのです。真心からの無垢な菩薩心を発揮して、この世に貢献できれば、この人生はとても価値のあるものになります。
「私たちは自分の人生の棚卸しをすべきです。この一生で、世の中をどれだけ利したかを振り返り、それらが本当に良いことだと感じるのなら、自分の人生に対して感謝する価値があると思います。人生を回顧し、人と分かち合う良い出来事であるなら、それは貴重な生命の歴史だと言えるでしょう」。上人は、誰もが真剣に生命に向き合い、時間を大切にして人間(じんかん)に尽くすよう、諭しました。

毎日が新たな歴史
精舎の改築工事に何度も協力してきた北部の慈誠師兄(男性ボランティア)たちは八月二十二日、精舎に戻って、精舎の師父(たちと「協力工場」(師父たちの自力更生工場)の工事について意見を交わしました。
上人によれば、その師兄たちは九二一地震の後、大愛村や希望工程(学校建設)に携わりました。恒久住宅と学校の建設が完了して、仮設建築が用を成さなくなった時、彼らは丁寧にそれを分解して、建材を回収しました。再び各地のリサイクルステーションや必要としている所で組み立てるため、ネジ一本でも大切に回収しました。その物質の寿命を大切にする精神と作法は、慈誠隊の素晴らしい伝統です。
師兄たちはそれぞれ事業を営んでいるのですが、志業のために時間と精神を割き、自ら投入しています。「命ある限り、我々は自分の人生に価値のある歴史を残し、最期まで尽くします。慈済との縁は途切れることなく、菩薩道を歩む心意気は永遠に存在し続けます」と彼らは言いました。
上人は、師兄たちがいつも時代のニーズに即応し、「請われざる師」となって、私を安心させてくれています。これこそが師匠に対する最高の供養です。皆さんが勇敢に責任を担い、積極的に見返りを求めない精神で奉仕することに期待しています。細心と心した方法を次世代に伝えると共に、彼らの模範となって一緒に事を成すことで、感じてもらうと同時にその精神を力として結集させるのです。
上人はこう言いました。「慈誠として認証を受けたのなら、慈誠隊の精神を持つべきです。さもなければ、名称にしか過ぎません。慈誠精神がなければ、何をしても喜びは感じられません。それは法が心に入らず、生命とかけ離れており、奉仕しなければ何も感じないため、法喜に満ちるということが理解できないのです。「あなたたちは行ってきた慈済志業の話をする時、喜びに満ちています。それは自ら行ったからであり、記憶に深く刻まれ、奉仕した後の法喜が今もなお心に残っているからです。一人一人が分かち合う慈済の出来事は全て、貴重な歴史の一幕であり、皆は毎日歴史を作っているのです」。
上人は、年配の師兄たちが健康と体力に気をつけ、老いたと思わず、引き続き慈済の活動に参加し、身でもって人の先頭に立ち、見返りを求めない奉仕で得られる軽やかな喜びを感じ、末長く投入するよう、励ましました。
(慈済月刊六五九期より)

人間(じんかん)を利することや分かち合う価値がある善行を、どれほどしたのか、自分の人生を振り返ってみて、自分に感謝しましょう。

幸福な人生にあっても、大衆を幸福にする
八月二十一日、マレーシア・セランゴールの慈済人は、ネットを通じて上人と懇談しました。上人は、異なる民族や宗教のボランティアたちとクアラルンプール慈済国際学校の教師たちに対して、皆共に同じ天と地の間に住んでいるのですから、一つの家族なのです、と言いました。
「言葉や信仰が違っていても、心は通じ合い、人それぞれの真心と気遣いを感じ取ることができるのです」。
また上人は、知識の伝授はとても大事ですが、人心が善に向かうよう指導することはもっと大事です、と強調しました。
「教育を受けられるのはとても幸福なことですが、一人一人の愛を啓発できてこそ、真に幸福がもたらされるのです。幸福は個人のことですが、幸福をもたらすのは大衆のためです。愛のある人がお互いに影響し合い、励まし合い、同じ方向に向かって努力すれば、人間(じんかん)を利することができます」。
上人は、マレーシア全土の慈済人が互いに励まし合って菜食を推し進めるようにと励ましました。
「マレーシアで菜食の勧めを行うのは難しくないと思います。というのも、中華系の人は信仰を持っている人が少なくなく、仏教でも、道教または民間信仰であっても、皆同じ考えを持っており、平穏な人生を求めるなら菜食を長く続けることです。少数の人だけが行うのではなく、大勢の人が菜食をしてはじめて災難は無くなり、世に平和がもたらされるのです」。
ある師姐(女性ボランティア)が著名なサッカー選手であるリオネル・メッシが菜食主義者であることに触れると、上人はこう続けました。
「少なからぬスポーツ選手が菜食主義者であり、それでも体力と持久力を充分に持っているのです。従って、菜食だからと言ってタンパク質が不足することを心配する必要はありません。偏食さえしなければ、五穀雑糧は人類に充分で均衡的な栄養を与えてくれています。肉食者は逆に体の健康を損なうと共に、万物の平和を損ない、環境を大きく汚染しています」。
人類であれ、動物または植物であれ、全てに生きる権利があるのです。世の生命を愛護することは、最も純粋で誠意のある愛の心の表れなのです。この真心からの愛は、清浄無垢な善の念であり、それが菩薩の心なのです。真心からの無垢な菩薩心を発揮して、この世に貢献できれば、この人生はとても価値のあるものになります。
「私たちは自分の人生の棚卸しをすべきです。この一生で、世の中をどれだけ利したかを振り返り、それらが本当に良いことだと感じるのなら、自分の人生に対して感謝する価値があると思います。人生を回顧し、人と分かち合う良い出来事であるなら、それは貴重な生命の歴史だと言えるでしょう」。上人は、誰もが真剣に生命に向き合い、時間を大切にして人間(じんかん)に尽くすよう、諭しました。

毎日が新たな歴史
精舎の改築工事に何度も協力してきた北部の慈誠師兄(男性ボランティア)たちは八月二十二日、精舎に戻って、精舎の師父(たちと「協力工場」(師父たちの自力更生工場)の工事について意見を交わしました。
上人によれば、その師兄たちは九二一地震の後、大愛村や希望工程(学校建設)に携わりました。恒久住宅と学校の建設が完了して、仮設建築が用を成さなくなった時、彼らは丁寧にそれを分解して、建材を回収しました。再び各地のリサイクルステーションや必要としている所で組み立てるため、ネジ一本でも大切に回収しました。その物質の寿命を大切にする精神と作法は、慈誠隊の素晴らしい伝統です。
師兄たちはそれぞれ事業を営んでいるのですが、志業のために時間と精神を割き、自ら投入しています。「命ある限り、我々は自分の人生に価値のある歴史を残し、最期まで尽くします。慈済との縁は途切れることなく、菩薩道を歩む心意気は永遠に存在し続けます」と彼らは言いました。
上人は、師兄たちがいつも時代のニーズに即応し、「請われざる師」となって、私を安心させてくれています。これこそが師匠に対する最高の供養です。皆さんが勇敢に責任を担い、積極的に見返りを求めない精神で奉仕することに期待しています。細心と心した方法を次世代に伝えると共に、彼らの模範となって一緒に事を成すことで、感じてもらうと同時にその精神を力として結集させるのです。
上人はこう言いました。「慈誠として認証を受けたのなら、慈誠隊の精神を持つべきです。さもなければ、名称にしか過ぎません。慈誠精神がなければ、何をしても喜びは感じられません。それは法が心に入らず、生命とかけ離れており、奉仕しなければ何も感じないため、法喜に満ちるということが理解できないのです。「あなたたちは行ってきた慈済志業の話をする時、喜びに満ちています。それは自ら行ったからであり、記憶に深く刻まれ、奉仕した後の法喜が今もなお心に残っているからです。一人一人が分かち合う慈済の出来事は全て、貴重な歴史の一幕であり、皆は毎日歴史を作っているのです」。
上人は、年配の師兄たちが健康と体力に気をつけ、老いたと思わず、引き続き慈済の活動に参加し、身でもって人の先頭に立ち、見返りを求めない奉仕で得られる軽やかな喜びを感じ、末長く投入するよう、励ましました。
(慈済月刊六五九期より)

十一月の出来事
11・03
台南慈済中学校は環境教育において、積極的な推進をしている。行政院農業委員会水土保持局から「水土保全機能を維持促進する模範基地」に選ばれ、校内に環境及び防災教育学習基地を建設する。本日、姚智化校長が代表で認証書を受け取った。
11・04
花蓮慈済病院は、精神障害のある人への衛生福利部の長期ケアについて模範計画を示す事を引き受けた。花蓮静思堂にケア拠点を設けて、週2日全日制でケアし、家族と介護者の負担を減らすことを目標にしている。本日、運営開始式が行われた。
11・06
◎慈済基金会は高雄科学工芸博物館の要請を受けて、「台湾科学デー・循環生活カーニバル」と題した活動に参加し、6日と7日に屋外で
「ジンスー科技展」を開き、ジンスー・エコトイレットペーパーなどシリーズの循環再生品を紹介し、資源を大切にする理念を訴えた。
◎慈済基金会と玄奘大学の宗教と文化学部、弘誓文教基金会は共同で、第19回印順導師思想の理論と実践・「人間仏教とグローバル化」と題した国際学術会議を主催した。6日と7日に玄奘大学で新書の発表会と論文の発表会が行われ、「人間仏教」青年フォーラム、「コロナ禍での仏教的反省」フォーラムが開かれた。
◎中華民国医師会全国合同協会は、第74回全国医師デー祝賀大会を開き、傑出した医師を表彰した。台北慈済病院の趙有誠院長が台湾医療貢献賞を獲得した他、花蓮慈済病院の王志鴻医師、梁忠詔医師、賴佩芳医師、大林慈済病院の賴俊良医師、王俊隆医師、台北慈済病院の徐榮源医師、蘇文麟医師などが防疫特別貢献賞を獲得した。また、慈済人医会の紀邦杰医師と葉添浩医師が台湾医療模範賞を獲得した。そして、台北慈済病院の公式サイトである、心温まる院内誌「疫見」シリーズでの報道が、2021年台湾医療報道賞活字部門賞に輝いた。
11・08
8日から11日まで、慈済大学模擬医学センターで台湾脊椎、整形、再建マイクロサージェリー等の外科医学会による合同講座が開かれ、静思精舎の徳慈師父ら8人の「無言の良師」によって多方面の手術学習が行われた。12日には霊送りと感謝追悼式、入龕式が行われた。
11・12
慈済大学と慈済科技大学、花蓮慈済病院が合同で、台北市東区連絡所にて、第3回「慈済と手を携え、共に発展する産学・研究開発成果の発表及び特許マッチメーキング会」を催し、25項目にわたる成果が披露された。また同日、慈済学校財団法人と慈済医療財団法人、台湾大学が、学術研究開発に協力する契約式が行われた。
11・15
花蓮慈済病院とエイスースコンピューターのフィリピン子会社による、共同「新南進台湾・フィリピン智慧の医療オンラインフォーラム」が開かれた。内容は、「智慧の医療」を精密医療や病院運営、健康ケアなどの方面に応用しよう、というもので、約百名がオンラインで参加した。
11・16
慈済基金会はモンゴル人民共和国への新型コロナウイルス防疫活動として、花蓮慈済病院が開発した防護フェースシールドを百個寄贈し、駐ウランバートル台北防疫経済代表処が寄贈した百個と共に、当国での通関を終えた。モンゴルは慈済の第96番目の防疫物資支援国となった。
11・17
◎本日、第45回金鼎賞授賞式が行われ、慈済基金会の何日生副執行長が『善の経済・経済における利他的思考と実践』という本で、非文学図書部門の優秀出版物賞、そして、雑誌「経典」撮影部門主任のアルベルト・ブゾラ氏が、「出神入話」シリーズのテーマ報道で雑誌部門撮影賞を獲得した。
◎台湾永続エネルギー研究基金会は、第14回TCSA台湾企業永続賞の授与式を行い、慈済大学が永続報告大学部門のシルバー賞に輝き、総合成果部門の台湾永続模範大学賞に認められた。
11・18
◎大愛感恩科技公司の「ゼロウェーストと共に格上げできるエコ芸術複合材料」が、中華イノベーション学会とロシアアルキメデス国際発明協会主催の「第12回IIIC国際イノベーションコンクール」でゴールド賞に輝いた。
◎大愛テレビ局が統合メディア方式で作成した、「薬の服用に実名登録・QRコードで安全性を確認」というニューストピックが、2021年度の「消費者権益報道賞」の中の「統合メディア報道賞」で佳作を受賞した。
11・20
慈済アメリカ総支部は、20日と21日にサンディマス志業パークで「2021年慈善感恩コンサート」、30日には「慈善火曜日」と題したクラウドコンサートを開く。収益は慈善と国際援助基金にそれぞれ入れられ、台湾の慈済基金会が買い付けたファイザー社のコロナワクチン資金とコロナ禍による貧困者への中長期的支援に充てられる他、ハイチ地震とカリフォルニア州の森林火災、ハリケーンアイダ被災者を支援する。
11・22
慈済基金会はネパールランビニ国際仏教協会の施療センタービルの建設支援で、本日、オンラインで契約式典を行った。
11・23
雑誌「経典」のシニアカメラマンである劉子正氏が、「日月潭で結婚写真を撮るニューカップル」と題した作品で、第20回卓越報道賞の「ニューストピック写真賞」を獲得した。

11・03
台南慈済中学校は環境教育において、積極的な推進をしている。行政院農業委員会水土保持局から「水土保全機能を維持促進する模範基地」に選ばれ、校内に環境及び防災教育学習基地を建設する。本日、姚智化校長が代表で認証書を受け取った。
11・04
花蓮慈済病院は、精神障害のある人への衛生福利部の長期ケアについて模範計画を示す事を引き受けた。花蓮静思堂にケア拠点を設けて、週2日全日制でケアし、家族と介護者の負担を減らすことを目標にしている。本日、運営開始式が行われた。
11・06
◎慈済基金会は高雄科学工芸博物館の要請を受けて、「台湾科学デー・循環生活カーニバル」と題した活動に参加し、6日と7日に屋外で
「ジンスー科技展」を開き、ジンスー・エコトイレットペーパーなどシリーズの循環再生品を紹介し、資源を大切にする理念を訴えた。
◎慈済基金会と玄奘大学の宗教と文化学部、弘誓文教基金会は共同で、第19回印順導師思想の理論と実践・「人間仏教とグローバル化」と題した国際学術会議を主催した。6日と7日に玄奘大学で新書の発表会と論文の発表会が行われ、「人間仏教」青年フォーラム、「コロナ禍での仏教的反省」フォーラムが開かれた。
◎中華民国医師会全国合同協会は、第74回全国医師デー祝賀大会を開き、傑出した医師を表彰した。台北慈済病院の趙有誠院長が台湾医療貢献賞を獲得した他、花蓮慈済病院の王志鴻医師、梁忠詔医師、賴佩芳医師、大林慈済病院の賴俊良医師、王俊隆医師、台北慈済病院の徐榮源医師、蘇文麟医師などが防疫特別貢献賞を獲得した。また、慈済人医会の紀邦杰医師と葉添浩医師が台湾医療模範賞を獲得した。そして、台北慈済病院の公式サイトである、心温まる院内誌「疫見」シリーズでの報道が、2021年台湾医療報道賞活字部門賞に輝いた。
11・08
8日から11日まで、慈済大学模擬医学センターで台湾脊椎、整形、再建マイクロサージェリー等の外科医学会による合同講座が開かれ、静思精舎の徳慈師父ら8人の「無言の良師」によって多方面の手術学習が行われた。12日には霊送りと感謝追悼式、入龕式が行われた。
11・12
慈済大学と慈済科技大学、花蓮慈済病院が合同で、台北市東区連絡所にて、第3回「慈済と手を携え、共に発展する産学・研究開発成果の発表及び特許マッチメーキング会」を催し、25項目にわたる成果が披露された。また同日、慈済学校財団法人と慈済医療財団法人、台湾大学が、学術研究開発に協力する契約式が行われた。
11・15
花蓮慈済病院とエイスースコンピューターのフィリピン子会社による、共同「新南進台湾・フィリピン智慧の医療オンラインフォーラム」が開かれた。内容は、「智慧の医療」を精密医療や病院運営、健康ケアなどの方面に応用しよう、というもので、約百名がオンラインで参加した。
11・16
慈済基金会はモンゴル人民共和国への新型コロナウイルス防疫活動として、花蓮慈済病院が開発した防護フェースシールドを百個寄贈し、駐ウランバートル台北防疫経済代表処が寄贈した百個と共に、当国での通関を終えた。モンゴルは慈済の第96番目の防疫物資支援国となった。
11・17
◎本日、第45回金鼎賞授賞式が行われ、慈済基金会の何日生副執行長が『善の経済・経済における利他的思考と実践』という本で、非文学図書部門の優秀出版物賞、そして、雑誌「経典」撮影部門主任のアルベルト・ブゾラ氏が、「出神入話」シリーズのテーマ報道で雑誌部門撮影賞を獲得した。
◎台湾永続エネルギー研究基金会は、第14回TCSA台湾企業永続賞の授与式を行い、慈済大学が永続報告大学部門のシルバー賞に輝き、総合成果部門の台湾永続模範大学賞に認められた。
11・18
◎大愛感恩科技公司の「ゼロウェーストと共に格上げできるエコ芸術複合材料」が、中華イノベーション学会とロシアアルキメデス国際発明協会主催の「第12回IIIC国際イノベーションコンクール」でゴールド賞に輝いた。
◎大愛テレビ局が統合メディア方式で作成した、「薬の服用に実名登録・QRコードで安全性を確認」というニューストピックが、2021年度の「消費者権益報道賞」の中の「統合メディア報道賞」で佳作を受賞した。
11・20
慈済アメリカ総支部は、20日と21日にサンディマス志業パークで「2021年慈善感恩コンサート」、30日には「慈善火曜日」と題したクラウドコンサートを開く。収益は慈善と国際援助基金にそれぞれ入れられ、台湾の慈済基金会が買い付けたファイザー社のコロナワクチン資金とコロナ禍による貧困者への中長期的支援に充てられる他、ハイチ地震とカリフォルニア州の森林火災、ハリケーンアイダ被災者を支援する。
11・22
慈済基金会はネパールランビニ国際仏教協会の施療センタービルの建設支援で、本日、オンラインで契約式典を行った。
11・23
雑誌「経典」のシニアカメラマンである劉子正氏が、「日月潭で結婚写真を撮るニューカップル」と題した作品で、第20回卓越報道賞の「ニューストピック写真賞」を獲得した。

三十至三十一日 修行的功夫
10.30~31《農九月‧二十五至二十六》

【靜思小語】修到「行」與「心」相合、做到名實相符,才是修行的本質。
從五毛錢到一把米
雲林、嘉義、臺南、高雄、屏東培訓委員慈誠返回花蓮尋根,並舉行研習會;十月三十日,上人前往花蓮靜思堂參與圓緣典禮並對眾開示,許多慈濟人自從投入慈濟,就堅持初心,把握因緣為苦難眾生付出,並且發願要做到人生最後一口氣;師兄師姊們在慈濟菩薩道上自度度人,即使為苦難人發放物資,也會傳智慧資糧,鼓勵他們發心行善,為自己累積福與慧。慈濟「為佛教,為眾生」的精神,就是如此在人間傳播開來,啟發愈來愈多人的心靈財富,並且世代傳續佛教慧命。
就如接受緬甸慈濟人幫助的一位阿嬤,聽到志工分享「米撲滿」的故事,就學習緬甸農民日存一把米的方法,就算能力很有限,米缸見底了,只能存幾十粒米到小罐子裏,她也堅持每天都要做到,每天都發心幫助人。
「我聽到緬甸慈濟人分享當地居民如何發心行善,實在很感動!即使是極為貧窮的人,也盡其心力付出,積少成多,能就地造福更為苦難的人。大家共同發心,點點滴滴愛心會合起來,就有解救天下苦難眾生的力量。如同緬甸的貧苦阿嬤,堅持付出行善,粒米都是功德。用真誠的心行善造福,功德分分己獲。」
五十五年前,慈濟道路從「五毛錢」拓展開來,現在慈濟大愛關懷一百多個國家地區。上人表示能有如此不可思議的成就,是他、你、我共同成就。在座的培訓委員、慈誠即將受證,要成為名副其實的慈濟人,慈濟人就是行菩薩道的人,要廣度眾生、廣傳慈濟法,無論對方接不接受,慈濟人都要盡責任。「我們每次發心想要度人,這一念心就是功德,成不成不要緊,盡責任最重要。」
「請大家莫忘今天的發願,踏實力行菩薩道;菩薩道是由菩薩走出來的,菩薩是實際做出來的,不是只存在經文中的名稱;能夠投入人群,救拔眾生苦難,這個人就是菩薩。」上人祝福師兄師姊在這條人間菩薩道上踏實精進,福慧雙修。
修行的本質與形象
十月三十一日,上人與常住師父談話時指出,「靜思人文」不是一個名詞,是靜思道場整體修行的形象;合心、和氣、互愛、協力的精神要從每一個人身上展現,人人都具有靜思人文精神,這也是個人的修行功夫。
「靜思人文不只是在字面上的名稱,最重要的是修行的本質,我們要做到這樣的『質』,把『質』照顧好,不是只有名與相,必須承擔起責任,做到名實相符;有再高的名聲,卻沒有同樣高的修養也沒有用,要修德、要修行,修到『行』與『心』相合,才能讓人由衷尊重與佩服。」上人說,只是學識、學歷高,卻沒有德,也無法服眾;有學還要有德,用真誠之德,讓合和互協的精神修養世代延續。
「我們皈依三寶,靜思道場是我們的歸命處,是我們慧命的歸宿。要學會『心包太虛,量周沙界』,心量寬大,彼此之間就沒有是非,凡是所做都是對的事情,為佛教,佛教的道場就是這樣;為眾生,我們的修行不是獨善其身,是為天下眾生。」上人期許靜思弟子都要宏觀天下,了解全球生態,才能面對大眾、統理大眾。

10.30~31《農九月‧二十五至二十六》

【靜思小語】修到「行」與「心」相合、做到名實相符,才是修行的本質。
從五毛錢到一把米
雲林、嘉義、臺南、高雄、屏東培訓委員慈誠返回花蓮尋根,並舉行研習會;十月三十日,上人前往花蓮靜思堂參與圓緣典禮並對眾開示,許多慈濟人自從投入慈濟,就堅持初心,把握因緣為苦難眾生付出,並且發願要做到人生最後一口氣;師兄師姊們在慈濟菩薩道上自度度人,即使為苦難人發放物資,也會傳智慧資糧,鼓勵他們發心行善,為自己累積福與慧。慈濟「為佛教,為眾生」的精神,就是如此在人間傳播開來,啟發愈來愈多人的心靈財富,並且世代傳續佛教慧命。
就如接受緬甸慈濟人幫助的一位阿嬤,聽到志工分享「米撲滿」的故事,就學習緬甸農民日存一把米的方法,就算能力很有限,米缸見底了,只能存幾十粒米到小罐子裏,她也堅持每天都要做到,每天都發心幫助人。
「我聽到緬甸慈濟人分享當地居民如何發心行善,實在很感動!即使是極為貧窮的人,也盡其心力付出,積少成多,能就地造福更為苦難的人。大家共同發心,點點滴滴愛心會合起來,就有解救天下苦難眾生的力量。如同緬甸的貧苦阿嬤,堅持付出行善,粒米都是功德。用真誠的心行善造福,功德分分己獲。」
五十五年前,慈濟道路從「五毛錢」拓展開來,現在慈濟大愛關懷一百多個國家地區。上人表示能有如此不可思議的成就,是他、你、我共同成就。在座的培訓委員、慈誠即將受證,要成為名副其實的慈濟人,慈濟人就是行菩薩道的人,要廣度眾生、廣傳慈濟法,無論對方接不接受,慈濟人都要盡責任。「我們每次發心想要度人,這一念心就是功德,成不成不要緊,盡責任最重要。」
「請大家莫忘今天的發願,踏實力行菩薩道;菩薩道是由菩薩走出來的,菩薩是實際做出來的,不是只存在經文中的名稱;能夠投入人群,救拔眾生苦難,這個人就是菩薩。」上人祝福師兄師姊在這條人間菩薩道上踏實精進,福慧雙修。
修行的本質與形象
十月三十一日,上人與常住師父談話時指出,「靜思人文」不是一個名詞,是靜思道場整體修行的形象;合心、和氣、互愛、協力的精神要從每一個人身上展現,人人都具有靜思人文精神,這也是個人的修行功夫。
「靜思人文不只是在字面上的名稱,最重要的是修行的本質,我們要做到這樣的『質』,把『質』照顧好,不是只有名與相,必須承擔起責任,做到名實相符;有再高的名聲,卻沒有同樣高的修養也沒有用,要修德、要修行,修到『行』與『心』相合,才能讓人由衷尊重與佩服。」上人說,只是學識、學歷高,卻沒有德,也無法服眾;有學還要有德,用真誠之德,讓合和互協的精神修養世代延續。
「我們皈依三寶,靜思道場是我們的歸命處,是我們慧命的歸宿。要學會『心包太虛,量周沙界』,心量寬大,彼此之間就沒有是非,凡是所做都是對的事情,為佛教,佛教的道場就是這樣;為眾生,我們的修行不是獨善其身,是為天下眾生。」上人期許靜思弟子都要宏觀天下,了解全球生態,才能面對大眾、統理大眾。
