お互いに「お陰さま!」

人は誰でも清らかな本性を持ち、この世に貢献しており、お互いに感謝し、力を借りるべきです。

師父がこの人生でやるべきこと

「慈済の志業は皆のことであり、そうとあれば、『衆和合』を忘れてはいけません。この世で人間(じんかん)法を修めるなら、仏法の精神を持たなければいけません。それが『心包太虛、量周沙界(心は大宇宙を包み、そこにある無数の世界を知る)』であり、広い心を持ち、地球と人間(じんかん)を思いやる度量がなければなりません」。十月八日、上人は志業体の管理職たちに開示した時、人間(じんかん)は修行道場である、と言いました。

「慈済は修行道場で、この人間(じんかん)にあるのですが、苦難にある衆生こそが菩薩の道場なのです。この世には有形、無形の苦難がたくさんあります。人心の無明は無形の煩悩を生み出し、耐え難い苦痛をもたらします。それは人間(じんかん)菩薩が仏法でもって解きほぐす必要があり、お互いに仏法でもって交流し、教育し合うのです。従って、時間を無駄にせず、行動しながら修行してください」。

上人はこう開示しました、「人にはそれぞれの個性と特質があり、それは自然界の草花のように、専門の学者の分析と研究を経て、それぞれ異なった特性を持っていることが分かるのです。薬草に適していて、様々な病気を治すことができるものがある一方、植物成分を摂取しすぎると、毒となって人体を害すものもあります。従って、世の万物にはそれぞれの性質があり、それに伴った生命力があるのです。仏教で六道輪廻する衆生を説きますが、六道というのは天、人、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅です。五道という説もありますが、阿修羅を五道の中に入れると、すぐ怒るので争い事を起こすのです。誰もが天国を目指しますが、この人間(じんかん)で六道の境地を見ることができます。成仏するのも地獄に堕ちるのも人間(じんかん)のこと、それは善悪の違いだけであり、この人生で如何にして行動するかです」。

「この世に生まれて来たからには、精一杯、この人生を人のために尽くす責任を果たし、真っ当な人生を歩むべきです。人はそれぞれ個性が異なり、嗜好も違いますが、本質は似通っており、本性は皆、清らかなのです。生まれ持った才能は必ず使い道があり、誰もがこの世に対して役に立つのです。しかし、一人で世のことはやり遂げられませんから、互いに力を借りて、助け合うようにするのです。どんなに有能な人も、豊かな生活を享受しようとするなら、多くの人の労働に頼ってはじめて、平穏な生活空間を得、命に栄養を与える食糧を得ることができるのです。ですから、絶えず、何事に対しても感謝の気持ちを持つことです。感謝する気持ちがあって初めて、福を惜しむようになり、そういう人こそが満足でき、足ることを知っていつも喜びに満ち溢れているのです」。

「私もとても満足して、感謝しています。私は皆さんの力を借りて世に福をもたらすことができるからです。世に福をもたらそうとしても、私一人の力では何もできず、皆さんの力を借りなければなりません。皆が力を合わせれば、このように豊かな資源に恵まれ、世のために事を為すことができます。慈済が人間(じんかん)のためにしてきた志業の資源は、大衆の諸々の奉仕に由来しているのですから、その全てを大切にし、浪費してはいけません。そして、的確にそれを使ってこそ、衆生の恩に報いることができるのです」。

生命の価値が下がった?

誰でも一日は二十四時間ですが、それを善用する人は他の人よりも多く仕事を機敏にこなすことができ、二倍の時間を持っているような感じです。十月十一日のボランティア朝会で上人はこう注意を促しました。「何をするにも時間をかけて成す必要があり、努力も必要です。時間を無駄にしない人は、素早く確実にそれを成し遂げ、続けて他の事をします。しかし、同じ時間でも、人によってはだらだらとして、必要以上に時間をかけて仕事しています。そういう人の生命は同じように消えていくのですが、その価値は下がってしまいます」。

「いつも皆さんに、精進するよう言っています。それは、雑念なく精を出し、後退することなく前に進むことであり、一歩も止まることなく前進することです。もし、足を止めても、時間は同じように過ぎて行きます。人は元の場所に止まっていても、時間は消えて行き、生命は無駄になってしまいます。この世にあって、行きていくには動くべきであり、生命の時間を使って体力を発揮し、社会に役立つ活動を行うべきです。そうすれば、その生命はとても価値のあるものになります」。また、「各地のリサイクルステーションには数多くのベテランボランティアがおり、日々精を出してリサイクルと分別の仕事をするだけでなく師兄や師姐たちについて「法の香りに浸る」活動に参加し、読書会にも参加して法縁者と感じた事を共有しています。これが精進の模範なのです」と言いました。

上人はこう述べました。「リサイクルボランティアが私の言葉を聞いて、積極的に資源の回収と分別に投入したり、数多くの慈済国際人道援助会のボランティアたちが回収物からエコ製品を開発し、良質の繊維製品と日用品を作り出したりしていることに感謝しています。それは、ゴミによる汚染を減らすと共に、自然界の資源の開発と採掘を減らすことができるからです」。また、リサイクルボランティア自身、日頃の忙しさと努力がこの成果を生み出したことを見ると、歳を取っても地球と人間(じんかん)に貢献している姿に、感謝の気持ちが涌き上がるのを感じました。
(慈済月刊六六一期より)

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