一粒万倍(いちりゅうまんばい)

細かいことにこだわっていたら、生活は辛いのです。
何事にも感謝し、争わず、求めなければ、憂いはなくなります。

愛に満ちた商店が良縁を結ぶ

二月二十四日、基金会の主任たちの報告を聞いた後、上人はこう開示しました。「私は毎日自分を励ましています。残された時間が多くないため、歳に甘えたり、休むことを考えたりしてはいけないと思うのです。あとどのくらい残っているのでしょう。この世で少しでも多く良い話をしたいのです。良い話は人の心に影響を与えます。『静思語』のように、短い言葉でも、それを見たり、聞いたりすれば、役に立つのです」。

「一番大事なのはその時の一念で、私たちはそれを見逃さなかったことです。良い言葉は様々な煩悩を消し、諸々の良い事を成し遂げてくれます。即ち、その一瞬のその言葉には価値があり、進む方向さえ正せば、常に人間(じんかん)を利するのです。もしその瞬間、良い言葉を口にせず、煩悩に満ちていれば、人間(じんかん)で無明に支配された現象を作り出したでしょう。逆に言葉が多ければ多いほど、人間を傷つけ、大自然を破壊してしまいます。良いも悪いも時間の中にあり、人それぞれでそれをどう運用するかにかかっています」。

「慈済の志業はどうしてこれほど多くの部門に分かれて行っているのでしょうか。それは、時間がないからです。一人であれば、万事に精通するのにとても多くの時間がかかりますが、しかし時間がないのです。そこで、多くの部門を作って、各チームの一人ひとりが同時に才能を発揮し、分業と協力によって日々の事を行っているのです」。

上人によれば、それぞれの知識の度合いは異なっても、知識の高い人がたくさんの学問を理解しているとは限りません。そこで、孔子の「廟に入り、何事も尋ねる」という言葉のように、慣れない環境で知らないことに直面した時、謙遜して人に教えを請うことで、知識を増やすのです。人生とは、絶えず学びの過程であり、歳を取っても学び続けるのです。そして、何かを学んだら、それを還元し、自分の生命の価値を世の中で発揮するのです。

「一日八万六千四百秒、生命は秒単位を生きていきます。しかし、時間の経過と共に、知らない間に怠惰になり、歩調が遅くなります。そこで、自分に警鐘を鳴らして調整しなければいけません。人生は自然の法則から逃れることはできず、時間に打ち勝つことはできません。それ故、勝つことを考えるのではなく、自分の本分を発揮すればいいのです。もし、本分を発揮しなければ、時間を無駄に過ごすことになり、生命は時間と共に過ぎ去っていきます。ですから、時間を大切にすることを知り、生命を無駄に過ごしてはいけません」。

また、上人はこう言いました。「現代人は様々な方法で多くの知識を学ぶことができますが、知識があるからといって、傲慢になってはいけません。さもなければ、知識が増えた分だけ傲慢になり、修養はその分だけ失われていきます。人生で修養することで、智慧を増やし、慧命の価値を発揮するのです。皆さんに時間を大切にするよう訴えているのは、別に仕事の時間や収入に意識を向けるためではありません。いつも休暇のことを考えたり、休みたいと怠惰になったりしていたら、累積してきた生命の価値は消えてしまい、人生を充実させるのが難しいからです」。

「一人ひとりが学んだ知識を智慧に変えていくことを願っています。知識だけで物事を成そうとすれば、往々にして計算高くなります。この世で清浄無垢の智慧を使えば、何事に対しても感謝の気持ちがいとも自然に湧いてきます。感謝することを知っている人は、困難に遭遇しても、それを善に解釈するので、広い心で純粋な気持ちになれます。人にも事にも世に対しても争わない、心の大きな人は永遠に楽しいのです」。

「もし、計算高く、感謝の気持ちを持っていなければ、毎日はとても辛いものになるでしょう。時間は誰にとっても公平なものですが、一人ひとりの価値観は異なっており、計算高い人はいつも、多くの時間を使って多くの煩悩を生み出しています。何事も争わない人は、どんなに多く無明の言葉に晒されても問題に思わず、『少ない労力で得るものが多い』ので、いつも軽くやり過ごすことができます。平穏な人生は、心が広く、大愛を世に広め、衆生を抱き締めることができます」。上人は、人々が心を大らかに持ち、心にある愛を奉仕することを学び、多い少ないにかかわらず、いつも自分の能力を発揮し、喜んで奉仕するようにと教えています。人々の愛を結集すれば、大きな力となって世の苦難を助けることができるのです。

また、「愛に満ちた商店」活動は、大衆に呼びかけ、愛を奉仕する方法を示すものです。お客が店で買い物をした時、釣り銭を愛の募金箱に入れてもらうのですが、これは幸福をもたらす行為です。その店がスペースを設けて募金箱を置き、お客に良い言葉をかければ、お互いの間に福が生まれます。このような行為を通して、知らない間に人の心が浄化され、それが自然と社会を平和にするのです。ですから、皆さんが商店に愛の募金箱を置かせてもらう時は、少し時間をかけて、心のこもった説明をした方が良いのです。彼らが理解すれば、自発的にお客に説明するようになり、より多くの人に善行の仕方を理解してもらえるようになります。良い言葉を口にすればするほど、その分だけこの世で善行する縁に恵まれるのです。

(慈済月刊七〇一期より)

春節前、花蓮のボランティアが愛に満ちた商店を訪れ、福慧お年玉を届けた。(撮影・詹進徳)

    キーワード :