高齢者介護では転倒予防が最優先

陶器の洗面台では体重を支えられないため、修繕ボランティアはその周りに、W字型の手すりを取り付けて高齢者がしっかりと掴むことができるようにした。(撮影・蕭耀華)

一人暮らし高齢者、老老世帯、障がい者に安全な居住空間を提供するためには、地域ケア拠点を開設して高齢者の社会参加を促し、認知症や機能の衰えを遅らせることや、さらに、エコ福祉用具プラットフォームを立ち上げ、介護資源を提供するなどの方法がある。

これらは全て、慈済が高齢化社会に対応して取り組んでいる重要な施策である。

高齢者の安全な住まいへの改善プロジェクト

  • 一人暮らし高齢者、老老世帯、障がい者及び恵まれない家庭のための安全な住まいへの改善。

  • 改善の焦点:安全手すりの設置、バリアフリースロープの設置、床に滑り止め措置、和式トイレから洋式トイレへの改築、照明の改善。

  • 2024年は、台湾全土で改善が必要な世帯が4,646戸報告され、ボランティアは4,578戸を調査し、4,088戸を改善した。

人口の高齢化は、台湾だけのことでなく、世界的な趨勢である。超高齢社会においては、如何に地域ケアを推進していけばよいだろうか?

高齢者の体が健康であれば、家族の負担は少なくなるが、万一転倒して寝たきりになれば、家族全体の心配事になる。證厳法師は、台湾の社会問題と高齢者問題に関心を寄せているので、慈済は二〇一二年から高齢者の住まいの安全性改善に取り組んできた。一人暮らしの高齢者や老老世帯及び障がい者に対して、安全な住まいを提供しているのだ。二〇一四年になると地域ケア拠点を開設し、高齢者の社会参加を促して認知症や機能の衰えを遅らせるプロジェクトを始めた。二〇一七年には、一歩踏み込んで、エコ福祉用具プラットフォームを立ち上げ、福祉用具を必要とする家庭に提供している。これらは高齢化社会に応じた重要な施策である。

政府の「介護2・0計画」の中で、高齢者と障がい者助成項目に、室内バリアフリー空間への改善は入っているが、申請や審査の手続きを待てない人や、一人暮らしなので申請方法が分からない人も多い。そこで、慈済は二〇一二年に花蓮県秀林郷と新城郷の高齢者住宅の安全性向上で改善作業を始めた。私たちは秀林郷にある九つの村を全部回り、次に万栄郷、卓渓郷の村の全域でそれを実行した。

安全な住まいへの改善の焦点は、安全手すりの取り付け、滑り止め措置、バリアフリースロープの設置、洋式トイレへの改造で、この四つが基本である。村長と町内会長に住居の安全の重要性を説明し、認識を得た後、彼らの手を借りて宣伝、調査、登録をしてもらい、村全体の改善工事を実行に移した。

花蓮で一定期間推進した後、二〇一六年に他の県や市にも拡大し、二〇二〇年には「安美プロジェクト」として、台湾全域で進める施策の一つになった。「安」とは、すべての慈済のケアと救済の対象者が安全に暮らせるようにすることであり、「美」は、「善美を尽くした社会」から取った。慈済は多くのコミュニティ型慈善プロジェクトを推進しているが、その焦点は「隣人同士の助け合い」であり、「仁のある場所に住むことが良い」のである。

安全な住まいへの改善だけでなく、適切な福祉用具も障がい者と高齢者の生活の質を向上させる。例えば、長期間寝たきりの人は、往々にして排尿が不完全で、尿路感染症に罹りやすい。もし角度調整機能付きの電動ベッドで起き上がることができれば、排尿がスムーズになり、健康にも良い影響をもたらす。

エコ福祉用具プラットフォームは、二〇一七年に花蓮から始まった。しかし、それ以前から台北市と新北市では、すでに多くの慈済ボランティアが、回収した福祉用具を修理し、必要とする人々に提供していた。その後、東部、北部に広がり、中南部もその後を追い、今では台湾の全ての県と市で提供できるようになっている。

多くの県と市の福祉用具資源センターでは、賃貸または無償で中古のものを貸し出すサービスはあるが、地元に戸籍がある住民だけが申請でき、県や市を跨いで貸し出すことはできない。慈済エコ福祉用具プラットフォームの最大の特徴は、県や市をまたぎ、さらには海を越えてサービスを提供できることである。

例えば、台湾北部にやって来た南部高雄の若者が、故郷の高齢者が車椅子を必要としていることを知った時、慈済エコ福祉用具プラットフォームのHPの申請ボックスにチェックを入れ、連絡先の住所と電話番号を入力するだけで済むのだ。情報システムから高雄の福祉用具チームに連絡が届くと、在庫から車椅子一台が調達されて、ボランティアが申請者の指定住所に届けるのである。離島の澎湖や金門の人もサービスを利用できる。

高齢者にとって安全な住まいへの改善、地域ケア拠点、エコ福祉用具プラットフォームの他、慈済の愛あふれるお弁当の配達や近隣の高齢者同士が交流する計画、集会所でのAED(自動体外式除細動器)設置、防災士の配備などがある。全体的な寄り添いプログラムに一つ一つ丁寧に取り組み、高齢者の生活環境や移動の面で、より安全になるようにと願っている。高齢者の転倒予防こそが、老後の生活が豊かにするのだ。

(慈済月刊七〇三期より)

たった1本の手すりを付けることで、住まいの安全性が改善される。隣近所への思いやりが社会参加を促し、エコ福祉用具が直ちにニーズを満たしてくれる。慈済は多様な施策で高齢者を大切にしている。(撮影・蕭智嘉)

陶器の洗面台では体重を支えられないため、修繕ボランティアはその周りに、W字型の手すりを取り付けて高齢者がしっかりと掴むことができるようにした。(撮影・蕭耀華)

一人暮らし高齢者、老老世帯、障がい者に安全な居住空間を提供するためには、地域ケア拠点を開設して高齢者の社会参加を促し、認知症や機能の衰えを遅らせることや、さらに、エコ福祉用具プラットフォームを立ち上げ、介護資源を提供するなどの方法がある。

これらは全て、慈済が高齢化社会に対応して取り組んでいる重要な施策である。

高齢者の安全な住まいへの改善プロジェクト

  • 一人暮らし高齢者、老老世帯、障がい者及び恵まれない家庭のための安全な住まいへの改善。

  • 改善の焦点:安全手すりの設置、バリアフリースロープの設置、床に滑り止め措置、和式トイレから洋式トイレへの改築、照明の改善。

  • 2024年は、台湾全土で改善が必要な世帯が4,646戸報告され、ボランティアは4,578戸を調査し、4,088戸を改善した。

人口の高齢化は、台湾だけのことでなく、世界的な趨勢である。超高齢社会においては、如何に地域ケアを推進していけばよいだろうか?

高齢者の体が健康であれば、家族の負担は少なくなるが、万一転倒して寝たきりになれば、家族全体の心配事になる。證厳法師は、台湾の社会問題と高齢者問題に関心を寄せているので、慈済は二〇一二年から高齢者の住まいの安全性改善に取り組んできた。一人暮らしの高齢者や老老世帯及び障がい者に対して、安全な住まいを提供しているのだ。二〇一四年になると地域ケア拠点を開設し、高齢者の社会参加を促して認知症や機能の衰えを遅らせるプロジェクトを始めた。二〇一七年には、一歩踏み込んで、エコ福祉用具プラットフォームを立ち上げ、福祉用具を必要とする家庭に提供している。これらは高齢化社会に応じた重要な施策である。

政府の「介護2・0計画」の中で、高齢者と障がい者助成項目に、室内バリアフリー空間への改善は入っているが、申請や審査の手続きを待てない人や、一人暮らしなので申請方法が分からない人も多い。そこで、慈済は二〇一二年に花蓮県秀林郷と新城郷の高齢者住宅の安全性向上で改善作業を始めた。私たちは秀林郷にある九つの村を全部回り、次に万栄郷、卓渓郷の村の全域でそれを実行した。

安全な住まいへの改善の焦点は、安全手すりの取り付け、滑り止め措置、バリアフリースロープの設置、洋式トイレへの改造で、この四つが基本である。村長と町内会長に住居の安全の重要性を説明し、認識を得た後、彼らの手を借りて宣伝、調査、登録をしてもらい、村全体の改善工事を実行に移した。

花蓮で一定期間推進した後、二〇一六年に他の県や市にも拡大し、二〇二〇年には「安美プロジェクト」として、台湾全域で進める施策の一つになった。「安」とは、すべての慈済のケアと救済の対象者が安全に暮らせるようにすることであり、「美」は、「善美を尽くした社会」から取った。慈済は多くのコミュニティ型慈善プロジェクトを推進しているが、その焦点は「隣人同士の助け合い」であり、「仁のある場所に住むことが良い」のである。

安全な住まいへの改善だけでなく、適切な福祉用具も障がい者と高齢者の生活の質を向上させる。例えば、長期間寝たきりの人は、往々にして排尿が不完全で、尿路感染症に罹りやすい。もし角度調整機能付きの電動ベッドで起き上がることができれば、排尿がスムーズになり、健康にも良い影響をもたらす。

エコ福祉用具プラットフォームは、二〇一七年に花蓮から始まった。しかし、それ以前から台北市と新北市では、すでに多くの慈済ボランティアが、回収した福祉用具を修理し、必要とする人々に提供していた。その後、東部、北部に広がり、中南部もその後を追い、今では台湾の全ての県と市で提供できるようになっている。

多くの県と市の福祉用具資源センターでは、賃貸または無償で中古のものを貸し出すサービスはあるが、地元に戸籍がある住民だけが申請でき、県や市を跨いで貸し出すことはできない。慈済エコ福祉用具プラットフォームの最大の特徴は、県や市をまたぎ、さらには海を越えてサービスを提供できることである。

例えば、台湾北部にやって来た南部高雄の若者が、故郷の高齢者が車椅子を必要としていることを知った時、慈済エコ福祉用具プラットフォームのHPの申請ボックスにチェックを入れ、連絡先の住所と電話番号を入力するだけで済むのだ。情報システムから高雄の福祉用具チームに連絡が届くと、在庫から車椅子一台が調達されて、ボランティアが申請者の指定住所に届けるのである。離島の澎湖や金門の人もサービスを利用できる。

高齢者にとって安全な住まいへの改善、地域ケア拠点、エコ福祉用具プラットフォームの他、慈済の愛あふれるお弁当の配達や近隣の高齢者同士が交流する計画、集会所でのAED(自動体外式除細動器)設置、防災士の配備などがある。全体的な寄り添いプログラムに一つ一つ丁寧に取り組み、高齢者の生活環境や移動の面で、より安全になるようにと願っている。高齢者の転倒予防こそが、老後の生活が豊かにするのだ。

(慈済月刊七〇三期より)

たった1本の手すりを付けることで、住まいの安全性が改善される。隣近所への思いやりが社会参加を促し、エコ福祉用具が直ちにニーズを満たしてくれる。慈済は多様な施策で高齢者を大切にしている。(撮影・蕭智嘉)

關鍵字

ミャンマー・マンダレー大地震—復興への道

寺院によって設立されたピー・ロン・チャン・タール孤児院では、180人の子どもたちが暮らしている。4月11日、ボランティアがパンや牛乳、米などの食料を届けた。僧侶の案内で、ボランティアたちは被災状況を見て回った。(撮影・キン・ヤダナーテイン)

三月二十八日、マンダレーで大地震が発生した。慈済ボランティアは被災地への緊急支援に駆けつけ、十八日間支援し、ヤンゴンに戻ってわずか一週間後、再び被災地へと向かった。酷く損壊した寺院や孤児院の有り様と、永遠に引き裂かれた人々の悲痛な叫びが、今も彼らの心に重くのしかかっている……。

ホテルの窓がギシギシと鳴り、ゴーッという音が聞こえました。夜、ボランティアたちは非常用持ち出し袋を抱えて休み、灯りをつけたまま寝るなど、皆がそれぞれ工夫して夜を過ごしました。余震が頻繁に起き、時にはマグニチュード五・五にも達し、左右に激しく揺れました。怖かったのですが、それでも皆で被災地に向かいました」と慈済ミャンマー連絡所の責任者である李金蘭(リー・ジンラン)さんが、救援活動中の一幕を淡々と振り返った。

三月二十八日、ミャンマー第二の都市マンダレーで大地震が発生した。ボランティアは四月二日に被災地に入り、緊急支援物資を配付した。また「仕事を与えて支援に代える」活動で被災した住民を雇って雨よけの簡易テントを建て、一時的だが住めるようにした。この作業は、四月二十日に被災地を離れるまで続いた。疲れを癒す暇もなく、四月二十七日から再び複数のチームに分かれてマンダレーへ向かった。今回の任務はさらに明確で、物資の配付だけでなく、寺院や学校、地域の状況を記録し、中長期支援に向けた情報収集を行った。

地元住民だけでなく、宿泊施設にいるボランティアも余震には強い恐怖を覚えた。しかし、同じように恐怖を覚えたからこそ、できる限り早く、全力で支援を行ったのである。

4月下旬、ボランティアがマンダレーに到着した初日の未明、再び地震が発生し、多くの住民が慌てて外に飛び出した。ボランティアチームは工場の建物へ避難し、福慧ベッドの上に段ボールを敷き、蚊帳を張って一夜を過ごした。(撮影・陳勇勝)

ボランティアはブルーシートを購入し、「仕事を与えて支援に代える」活動に村民を招いて、マハー・ガンダー・ヨン僧院に雨よけのテントを建て、被災世帯を受け入れた。(撮影・郭威陽)

プレハブ住宅の支援建設
安心な住まいと学びの場

現地調査チームはミャンマーとマレーシアのボランティアで構成され、第一段階の緊急援助を終えると四月二十三日に花蓮の静思精舎に戻り、現地の様子や住民と僧侶の生活状況、建物の被害状況を報告した。これらの報告は今後の支援方針を定めるうえで重要な参考情報である。

その後チームは、花蓮本部の管理職及び職員たち、そして、同行したマンダレーの孔教学校の三名の校長たちと話し合った。孔教学校は現地で最大の中国語学校だが、校舎の多くが倒壊した。「四つのキャンパスは全て被害を受け、特に北キャンパスの被害が深刻です」と丁澤民(ディン・ズァミン)校長が説明した。六月初めの新学期に先立って、慈済は、四つのキャンパスに通う八千人の生徒が安心して登校できるよう、孔教学校に四十一のプレハブ教室を建てることを計画した。チームは孔教学校だけでなく、他の被災した学校も訪問した。

また、仏教寺院や地域のためにプレハブ住宅を建設する計画を立て、住まいを失った僧侶や住民が、より快適で尊厳のある場所で雨季を過ごせるよう支援することにした。「私たちは子どもの頃からお寺に遊びに行っていました」と李さんは幼少期の記憶を語った。「お寺には果樹がたくさん植えられていて、地域の子どもたちはよく果物を摘みに行ったものです」。寺院や仏塔はミャンマーの人々にとって、神聖であると同時に親しみ深い存在である。上座部仏教の信仰は暮らしに根ざしており、多くのミャンマー人男性は一生のうちに一度は短期間の出家を経験する。こうした宗教的儀式や自己修行を通して慈悲と自律の心を養うのは、仏教を心から尊敬している気持ちの象徴だと言える。

李さんは、マンダレーは上座部仏教の文化の中心であり、僧侶たちと交流する中で彼らの親しみやすさと修行精神を感じ取ったと語った。上座部仏教の戒律のもと、僧侶たちは日常的に托鉢を行っているが、それは世俗的な欲望を放下することを象徴している。民衆は、「布施」は功徳を積む大切な行いだと信じており、寺院に対して惜しみなく寄付や食物、薬品を提供している。深刻な被害を受けた地域の中には、僧侶たちが被災後の住民の生活問題を考慮して、托鉢を一時的にしない方針を固めた所もある。

教育機関としての役割も担っている寺院も少なくなく、近年のミャンマー国内の内戦により、多くの家庭が避難を余儀なくされている中、人種を問わず避難してきた子どもたちを受け入れている。自然災害が起きるたびに、寺院はいつも寺の門を開け放って被災者を受け入れてきた。今回も例外ではなく、多くの寺院自体が深刻な被害を受けていたにもかかわらず、その役割を果たしている。多くの歴史ある寺院や仏塔が損壊したことに、ボランティアは心を痛め、物資の支援や臨時の住まいの建設に加え、修復や再建の計画にも協力したいと考えている。

現地調査チームは4月27日に再びマンダレーに到着し、二段階目の支援活動と資料収集を開始した。その夜、郭宝鈺さん(写真1の右1)と若いボランティアたちが翌日のスケジュールについて話し合っていた。(撮影・陳勇勝)

マンダレー地方では、およそ700の仏塔や寺院が地震で被害を受けた。バガン王朝時代に建立されたタダーウー郡のイェー・ター・ファン僧院で、僧侶がボランティアに被災状況を説明していた。(撮影・陳勇珽)

ビルマ暦の新年、祈りで傷を癒す

地震が発生した時、一千人以上の僧侶がウー・ラ・テイン僧院のマハーオンミェ試験会場で「仏法高等試験」を受験していた。三棟のうち三階建ての一棟が倒壊し、二百人の僧侶が閉じ込められた。最終的には八十人が犠牲者になり、重傷者も多数いた、と推定される。

ボランティアチームとチャン・エイ・ター・サン郡の弘法協会は、四月十七日、ビルマ暦の新年初日に、ウー・ラ・テイン記念広場前で僧侶を供養するために、経典読誦による祈福大法会を共同で開催し、三十四の寺院から五百五十人の僧侶が参加した。従来の祈福会では僧侶たちは民衆の方を向くが、長老の提案により、今回は、僧侶たちはウー・ラ・テイン・ビルの方を向き、民衆の先頭に立って読経し、祈りを捧げた。そのビルの後方は、僧侶の死傷者数が最も多かった場所だった。

被災地での数日間、ボランティアたちはたびたび民衆が「ずっと誰かが助けを呼んでいる声が聞こえる」と言うのを耳にした。大地震後の数日間、甚大被災地一帯には助けを求める声があちこちで聞かれ、多くの人は恐怖を感じていた。その恐怖が、今もなお消えていないのかもしれない。ただ、被災後は、生き延びることに追われ、悲しむ暇すらなかった。

四月十七日の祈福会は、参加した人々にとって深い意味を持つものとなった。民衆は亡くなった肉親のために祈り、法師たちは逝去した仲間や学生のために祈りを捧げた。人々は仏教の儀式を通して、心の痛みと悲しみに正面から向き合った。

イェー・ター・ファン僧院では、仏龕(ぶつがん)が瓦礫でいっぱいになり、仏像も建物の損傷で被害を受けていた。

4月17日はビルマ暦の元旦にあたり、祈福会で大衆が建物の方を向いて祈りを捧げた。建物の裏は当時、試験に訪れた僧侶の犠牲者数が最も多かった場所である(写真1)。ボランティアたちは敬意をもって、僧侶に供養する生活物資を袋に入れた(写真2)。(写真1撮影・陳勇珽 写真2撮影・郭威陽)

人の苦しみは自分の悲しみ 
慈悲を行動に変える

ボランティアは中長期の支援に向けて、より全面的な現地調査を実施した。寺院や学校の詳細な地理的位置分布図、数やニーズを含めて調査した。慈済基金会の熊士民(シュオン ・スーミン)副執行長は、「どこにプレハブ住宅を建てるのが適切かを評価する必要があります。寺院の修復には専門家が必要であり、元の設計図通りに修復すべきかどうか検討しています」と指摘した。ボランティアは五月にも首都ネピドーを訪れ、宗教文化大臣のウー・ティン・ウー・ルイン氏と面会し、仏塔の被害状況をより詳細に把握し、どの地域がより支援を必要としているかを確認した。

五月一日から六日にかけて、ボランティアは六十六回にわたる物資の配付活動を終え、寺院や孤児院、老人ホームに食料、福慧ベッドなどを贈呈した。五月六日には、慈済はネイ・ミン僧院とバゥドゥウィンジ町のレイ・キュン・マン・アウン仏教教学僧院で施療を行った。ネイ・ミン僧院には三百人の寄宿生がおり、多くが北部の内戦地域から来ている。被災後は皆一階の狭い空間に身を寄せ合っていたが、混雑と蒸し暑さが続いたため、沙弥(しゃみ)たちは皮膚病にかかり、掻きむしってできた小さな傷がなかなか治らなかった。ボランティアは医療スタッフを招いて、診察してもらった。

五月八日、マレーシアのボランティアチームが到着し、孔教学校にプレハブ教室を建設した。五月十日から、慈済は再び五日間にわたる米の配付を開始し、第二段階の支援活動は五月十五日をもって一段落した。

「私たちは、できる限り上人の目となり、手足となりたいと発願しました。上人が皆さんを慈しむ心を行動で表したいのです。疲れていないと言ったら嘘になりますが、とても法悦に満ちています。慈済の奉仕は、単に作業をこなすだけではなく、慈悲喜捨の心を学ぶことなのです」と郭さんが言った。

ボランティアたちはカメラの前や静思精舎に戻って災害の状況を説明した時、堅い意志を持ちながらも楽観的な一面を見せていた。しかし、目の前で多くの家族が家と命を失い、歴史的文化財が失われた現実を前に、重い心はどこに持っていけばよいのか?李さんは、「多くの悲しい出来事を目の当たりにしました。親が子を失う姿も……このような無常に直面して、どうすれば慰め、寄り添うことができるでしょうか?本当に、少しでも心の安らぎを届けたいと思っています。私たちにできることは、それだけです」と語った。

(慈済月刊七〇三期より)

地震発生後、仏教寺院は大きく損壊した。ボランティアの李金蘭さん(左から2人目)らは5月6日に宗教文化大臣(右から2人目)を訪問し、修復支援について話し合った。(撮影・陳勇珽)

5月6日、ボランティアはネイ・ミン僧院で、僧侶や寺院が保護している内戦孤児たちに施療を行った。(撮影・郭威陽)

寺院によって設立されたピー・ロン・チャン・タール孤児院では、180人の子どもたちが暮らしている。4月11日、ボランティアがパンや牛乳、米などの食料を届けた。僧侶の案内で、ボランティアたちは被災状況を見て回った。(撮影・キン・ヤダナーテイン)

三月二十八日、マンダレーで大地震が発生した。慈済ボランティアは被災地への緊急支援に駆けつけ、十八日間支援し、ヤンゴンに戻ってわずか一週間後、再び被災地へと向かった。酷く損壊した寺院や孤児院の有り様と、永遠に引き裂かれた人々の悲痛な叫びが、今も彼らの心に重くのしかかっている……。

ホテルの窓がギシギシと鳴り、ゴーッという音が聞こえました。夜、ボランティアたちは非常用持ち出し袋を抱えて休み、灯りをつけたまま寝るなど、皆がそれぞれ工夫して夜を過ごしました。余震が頻繁に起き、時にはマグニチュード五・五にも達し、左右に激しく揺れました。怖かったのですが、それでも皆で被災地に向かいました」と慈済ミャンマー連絡所の責任者である李金蘭(リー・ジンラン)さんが、救援活動中の一幕を淡々と振り返った。

三月二十八日、ミャンマー第二の都市マンダレーで大地震が発生した。ボランティアは四月二日に被災地に入り、緊急支援物資を配付した。また「仕事を与えて支援に代える」活動で被災した住民を雇って雨よけの簡易テントを建て、一時的だが住めるようにした。この作業は、四月二十日に被災地を離れるまで続いた。疲れを癒す暇もなく、四月二十七日から再び複数のチームに分かれてマンダレーへ向かった。今回の任務はさらに明確で、物資の配付だけでなく、寺院や学校、地域の状況を記録し、中長期支援に向けた情報収集を行った。

地元住民だけでなく、宿泊施設にいるボランティアも余震には強い恐怖を覚えた。しかし、同じように恐怖を覚えたからこそ、できる限り早く、全力で支援を行ったのである。

4月下旬、ボランティアがマンダレーに到着した初日の未明、再び地震が発生し、多くの住民が慌てて外に飛び出した。ボランティアチームは工場の建物へ避難し、福慧ベッドの上に段ボールを敷き、蚊帳を張って一夜を過ごした。(撮影・陳勇勝)

ボランティアはブルーシートを購入し、「仕事を与えて支援に代える」活動に村民を招いて、マハー・ガンダー・ヨン僧院に雨よけのテントを建て、被災世帯を受け入れた。(撮影・郭威陽)

プレハブ住宅の支援建設
安心な住まいと学びの場

現地調査チームはミャンマーとマレーシアのボランティアで構成され、第一段階の緊急援助を終えると四月二十三日に花蓮の静思精舎に戻り、現地の様子や住民と僧侶の生活状況、建物の被害状況を報告した。これらの報告は今後の支援方針を定めるうえで重要な参考情報である。

その後チームは、花蓮本部の管理職及び職員たち、そして、同行したマンダレーの孔教学校の三名の校長たちと話し合った。孔教学校は現地で最大の中国語学校だが、校舎の多くが倒壊した。「四つのキャンパスは全て被害を受け、特に北キャンパスの被害が深刻です」と丁澤民(ディン・ズァミン)校長が説明した。六月初めの新学期に先立って、慈済は、四つのキャンパスに通う八千人の生徒が安心して登校できるよう、孔教学校に四十一のプレハブ教室を建てることを計画した。チームは孔教学校だけでなく、他の被災した学校も訪問した。

また、仏教寺院や地域のためにプレハブ住宅を建設する計画を立て、住まいを失った僧侶や住民が、より快適で尊厳のある場所で雨季を過ごせるよう支援することにした。「私たちは子どもの頃からお寺に遊びに行っていました」と李さんは幼少期の記憶を語った。「お寺には果樹がたくさん植えられていて、地域の子どもたちはよく果物を摘みに行ったものです」。寺院や仏塔はミャンマーの人々にとって、神聖であると同時に親しみ深い存在である。上座部仏教の信仰は暮らしに根ざしており、多くのミャンマー人男性は一生のうちに一度は短期間の出家を経験する。こうした宗教的儀式や自己修行を通して慈悲と自律の心を養うのは、仏教を心から尊敬している気持ちの象徴だと言える。

李さんは、マンダレーは上座部仏教の文化の中心であり、僧侶たちと交流する中で彼らの親しみやすさと修行精神を感じ取ったと語った。上座部仏教の戒律のもと、僧侶たちは日常的に托鉢を行っているが、それは世俗的な欲望を放下することを象徴している。民衆は、「布施」は功徳を積む大切な行いだと信じており、寺院に対して惜しみなく寄付や食物、薬品を提供している。深刻な被害を受けた地域の中には、僧侶たちが被災後の住民の生活問題を考慮して、托鉢を一時的にしない方針を固めた所もある。

教育機関としての役割も担っている寺院も少なくなく、近年のミャンマー国内の内戦により、多くの家庭が避難を余儀なくされている中、人種を問わず避難してきた子どもたちを受け入れている。自然災害が起きるたびに、寺院はいつも寺の門を開け放って被災者を受け入れてきた。今回も例外ではなく、多くの寺院自体が深刻な被害を受けていたにもかかわらず、その役割を果たしている。多くの歴史ある寺院や仏塔が損壊したことに、ボランティアは心を痛め、物資の支援や臨時の住まいの建設に加え、修復や再建の計画にも協力したいと考えている。

現地調査チームは4月27日に再びマンダレーに到着し、二段階目の支援活動と資料収集を開始した。その夜、郭宝鈺さん(写真1の右1)と若いボランティアたちが翌日のスケジュールについて話し合っていた。(撮影・陳勇勝)

マンダレー地方では、およそ700の仏塔や寺院が地震で被害を受けた。バガン王朝時代に建立されたタダーウー郡のイェー・ター・ファン僧院で、僧侶がボランティアに被災状況を説明していた。(撮影・陳勇珽)

ビルマ暦の新年、祈りで傷を癒す

地震が発生した時、一千人以上の僧侶がウー・ラ・テイン僧院のマハーオンミェ試験会場で「仏法高等試験」を受験していた。三棟のうち三階建ての一棟が倒壊し、二百人の僧侶が閉じ込められた。最終的には八十人が犠牲者になり、重傷者も多数いた、と推定される。

ボランティアチームとチャン・エイ・ター・サン郡の弘法協会は、四月十七日、ビルマ暦の新年初日に、ウー・ラ・テイン記念広場前で僧侶を供養するために、経典読誦による祈福大法会を共同で開催し、三十四の寺院から五百五十人の僧侶が参加した。従来の祈福会では僧侶たちは民衆の方を向くが、長老の提案により、今回は、僧侶たちはウー・ラ・テイン・ビルの方を向き、民衆の先頭に立って読経し、祈りを捧げた。そのビルの後方は、僧侶の死傷者数が最も多かった場所だった。

被災地での数日間、ボランティアたちはたびたび民衆が「ずっと誰かが助けを呼んでいる声が聞こえる」と言うのを耳にした。大地震後の数日間、甚大被災地一帯には助けを求める声があちこちで聞かれ、多くの人は恐怖を感じていた。その恐怖が、今もなお消えていないのかもしれない。ただ、被災後は、生き延びることに追われ、悲しむ暇すらなかった。

四月十七日の祈福会は、参加した人々にとって深い意味を持つものとなった。民衆は亡くなった肉親のために祈り、法師たちは逝去した仲間や学生のために祈りを捧げた。人々は仏教の儀式を通して、心の痛みと悲しみに正面から向き合った。

イェー・ター・ファン僧院では、仏龕(ぶつがん)が瓦礫でいっぱいになり、仏像も建物の損傷で被害を受けていた。

4月17日はビルマ暦の元旦にあたり、祈福会で大衆が建物の方を向いて祈りを捧げた。建物の裏は当時、試験に訪れた僧侶の犠牲者数が最も多かった場所である(写真1)。ボランティアたちは敬意をもって、僧侶に供養する生活物資を袋に入れた(写真2)。(写真1撮影・陳勇珽 写真2撮影・郭威陽)

人の苦しみは自分の悲しみ 
慈悲を行動に変える

ボランティアは中長期の支援に向けて、より全面的な現地調査を実施した。寺院や学校の詳細な地理的位置分布図、数やニーズを含めて調査した。慈済基金会の熊士民(シュオン ・スーミン)副執行長は、「どこにプレハブ住宅を建てるのが適切かを評価する必要があります。寺院の修復には専門家が必要であり、元の設計図通りに修復すべきかどうか検討しています」と指摘した。ボランティアは五月にも首都ネピドーを訪れ、宗教文化大臣のウー・ティン・ウー・ルイン氏と面会し、仏塔の被害状況をより詳細に把握し、どの地域がより支援を必要としているかを確認した。

五月一日から六日にかけて、ボランティアは六十六回にわたる物資の配付活動を終え、寺院や孤児院、老人ホームに食料、福慧ベッドなどを贈呈した。五月六日には、慈済はネイ・ミン僧院とバゥドゥウィンジ町のレイ・キュン・マン・アウン仏教教学僧院で施療を行った。ネイ・ミン僧院には三百人の寄宿生がおり、多くが北部の内戦地域から来ている。被災後は皆一階の狭い空間に身を寄せ合っていたが、混雑と蒸し暑さが続いたため、沙弥(しゃみ)たちは皮膚病にかかり、掻きむしってできた小さな傷がなかなか治らなかった。ボランティアは医療スタッフを招いて、診察してもらった。

五月八日、マレーシアのボランティアチームが到着し、孔教学校にプレハブ教室を建設した。五月十日から、慈済は再び五日間にわたる米の配付を開始し、第二段階の支援活動は五月十五日をもって一段落した。

「私たちは、できる限り上人の目となり、手足となりたいと発願しました。上人が皆さんを慈しむ心を行動で表したいのです。疲れていないと言ったら嘘になりますが、とても法悦に満ちています。慈済の奉仕は、単に作業をこなすだけではなく、慈悲喜捨の心を学ぶことなのです」と郭さんが言った。

ボランティアたちはカメラの前や静思精舎に戻って災害の状況を説明した時、堅い意志を持ちながらも楽観的な一面を見せていた。しかし、目の前で多くの家族が家と命を失い、歴史的文化財が失われた現実を前に、重い心はどこに持っていけばよいのか?李さんは、「多くの悲しい出来事を目の当たりにしました。親が子を失う姿も……このような無常に直面して、どうすれば慰め、寄り添うことができるでしょうか?本当に、少しでも心の安らぎを届けたいと思っています。私たちにできることは、それだけです」と語った。

(慈済月刊七〇三期より)

地震発生後、仏教寺院は大きく損壊した。ボランティアの李金蘭さん(左から2人目)らは5月6日に宗教文化大臣(右から2人目)を訪問し、修復支援について話し合った。(撮影・陳勇珽)

5月6日、ボランティアはネイ・ミン僧院で、僧侶や寺院が保護している内戦孤児たちに施療を行った。(撮影・郭威陽)

關鍵字

十一至十二日 功能與良能

6.11~12《農五月‧十六至十七》

【靜思小語】人生有功能和良能,用愛心發揮功能利益人間,就是良能。

呼喚自己,提醒別人

六月十一日,聆聽美國慈濟人分享後,上人表示,大家走入慈濟,長年累月認真耕耘志業,而且彼此合心,是很難得的因緣。雖然人間苦、空、無常,人生難免有苦有樂,但是因為心有佛法,與這麼多慈濟法親有緣,心靈常在法喜中。「人生是甘、是苦、是甜,如人飲水,冷暖自知。不過大家要懂得善解,尤其在人與人之間,我們有共同的使命,要為佛教、為眾生,這不是只靠自己或少數幾個人就能做到,所以要不斷接引人,還要相互照顧。」

在團體中與人相處,難免會有摩擦,上人形容就如被人踢到會感到痛,下意識可能想要罵人,不過這時要趕緊提起「覺」,覺察到自己在學佛,不能起瞋心。「貪、瞋、癡是無明造業的三種毒素,我們學佛要覺,雖然還在學,難免還是會起貪念、會發怒、生無明,但是我們要不斷呼喚自己:不可迷失方向,不能偏離已經在走的正道。呼喚自己,也要提醒別人,法親要相互勉勵。」

「人生苦難偏多,看到世界上這麼多苦難人,尤其佛陀的故鄉至今還有很多貧困人,我們已經很有福了,至少生活無虞,要很感恩;況且天下有這麼多慈濟人,讓我感覺到我很有福,大家看到師父,聽到師父說話,就相信師父,接受師父指引的方向而身體力行,所以我每天都真誠表達感恩。」

「師父稱你們為『菩薩』並非應酬,因為你們身體力行菩薩道,是名副其實。你們已經邁步在走,只是腳步有沒有印得深?大家都已受證,也了解慈濟,有信、有解,還要行、要證。路就在你們腳下,要踏實往前邁進,才能從『學』走向『覺』。」上人說,千里之行始於初步,難得已經投入菩薩團體,菩薩道就在腳下,走這條路要精進,慧命才能成長。

與人合和,擇善從之

六月十二日,醫療志業主管返回精舍參與醫療志策會,談及目前的整體醫療環境,年輕的醫護人才流失,但社會人口老化,更需要醫療照護。上人指出,花東人口老化情況更為明顯,其實在自己的觀點,中、老年人的工作經驗很足夠,許多人就算超過六十五歲,精神與體力都還很好,正是發揮才能的好時機。人生在世,有用處的時候最有價值。

「在人間,有功能還要有良能,用愛心發揮功能利益人間,這就是良能;假如少了愛心,擁有再高的知識、再大的功能,也會危害人群。現在科技發達,也有很多高科技的發明,都是人的知識去製造很多用途的物品。其實我們的物資已經很豐富了,大熱天還能在室內享受空調,卻也在享受中耗費能源、資源,導致更大的開發與破壞,形成惡性循環。」

「我們要把心調適好,生活上盡量節能。但是有的時候避不開,這個時代、這個大環境,譬如我不想用空調,但大家總是非用不可,只好自圓其說,對人間要多發揮一分愛。我們在無奈中,還是要與人合,但是要『擇其善者而從之,其不善者而改之』,不好的事要盡量避免,若有辦法就為人間多付出。」

上人說,科技發展日新月異,醫療技術與研究也要跟得上科技發展的速度,需要大家認真努力。所以說學無止境,除了自我提升,人與人之間也要彼此感恩、尊重。雖說預防勝於治療,但是疾病預防須從多方面注意,防不勝防,甚為困難,所以患病之後能有藥可治,還是最重要的;但願人間所有的病症,都能夠研發出對治的藥物。「在座每一位都接受很高的教育,具有很高的才能,期待大家同心立願,發揮對人間有益的良能,這就是我們的價值。」

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。

6.11~12《農五月‧十六至十七》

【靜思小語】人生有功能和良能,用愛心發揮功能利益人間,就是良能。

呼喚自己,提醒別人

六月十一日,聆聽美國慈濟人分享後,上人表示,大家走入慈濟,長年累月認真耕耘志業,而且彼此合心,是很難得的因緣。雖然人間苦、空、無常,人生難免有苦有樂,但是因為心有佛法,與這麼多慈濟法親有緣,心靈常在法喜中。「人生是甘、是苦、是甜,如人飲水,冷暖自知。不過大家要懂得善解,尤其在人與人之間,我們有共同的使命,要為佛教、為眾生,這不是只靠自己或少數幾個人就能做到,所以要不斷接引人,還要相互照顧。」

在團體中與人相處,難免會有摩擦,上人形容就如被人踢到會感到痛,下意識可能想要罵人,不過這時要趕緊提起「覺」,覺察到自己在學佛,不能起瞋心。「貪、瞋、癡是無明造業的三種毒素,我們學佛要覺,雖然還在學,難免還是會起貪念、會發怒、生無明,但是我們要不斷呼喚自己:不可迷失方向,不能偏離已經在走的正道。呼喚自己,也要提醒別人,法親要相互勉勵。」

「人生苦難偏多,看到世界上這麼多苦難人,尤其佛陀的故鄉至今還有很多貧困人,我們已經很有福了,至少生活無虞,要很感恩;況且天下有這麼多慈濟人,讓我感覺到我很有福,大家看到師父,聽到師父說話,就相信師父,接受師父指引的方向而身體力行,所以我每天都真誠表達感恩。」

「師父稱你們為『菩薩』並非應酬,因為你們身體力行菩薩道,是名副其實。你們已經邁步在走,只是腳步有沒有印得深?大家都已受證,也了解慈濟,有信、有解,還要行、要證。路就在你們腳下,要踏實往前邁進,才能從『學』走向『覺』。」上人說,千里之行始於初步,難得已經投入菩薩團體,菩薩道就在腳下,走這條路要精進,慧命才能成長。

與人合和,擇善從之

六月十二日,醫療志業主管返回精舍參與醫療志策會,談及目前的整體醫療環境,年輕的醫護人才流失,但社會人口老化,更需要醫療照護。上人指出,花東人口老化情況更為明顯,其實在自己的觀點,中、老年人的工作經驗很足夠,許多人就算超過六十五歲,精神與體力都還很好,正是發揮才能的好時機。人生在世,有用處的時候最有價值。

「在人間,有功能還要有良能,用愛心發揮功能利益人間,這就是良能;假如少了愛心,擁有再高的知識、再大的功能,也會危害人群。現在科技發達,也有很多高科技的發明,都是人的知識去製造很多用途的物品。其實我們的物資已經很豐富了,大熱天還能在室內享受空調,卻也在享受中耗費能源、資源,導致更大的開發與破壞,形成惡性循環。」

「我們要把心調適好,生活上盡量節能。但是有的時候避不開,這個時代、這個大環境,譬如我不想用空調,但大家總是非用不可,只好自圓其說,對人間要多發揮一分愛。我們在無奈中,還是要與人合,但是要『擇其善者而從之,其不善者而改之』,不好的事要盡量避免,若有辦法就為人間多付出。」

上人說,科技發展日新月異,醫療技術與研究也要跟得上科技發展的速度,需要大家認真努力。所以說學無止境,除了自我提升,人與人之間也要彼此感恩、尊重。雖說預防勝於治療,但是疾病預防須從多方面注意,防不勝防,甚為困難,所以患病之後能有藥可治,還是最重要的;但願人間所有的病症,都能夠研發出對治的藥物。「在座每一位都接受很高的教育,具有很高的才能,期待大家同心立願,發揮對人間有益的良能,這就是我們的價值。」

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

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十三至十四日 合心才能圓滿

6.13~14《農五月‧十八至十九》

【靜思小語】有心、有願、有力,還要與人合心,才能圓滿好事。

培植青年人才承擔未來

六月十三日,全球合作暨青年發展室報告慈濟國際青年工作坊,及規畫為慈濟六十周年,編撰一本盤點慈濟遍布全球六十年愛的足跡,與聯合國以及國際組織分享慈濟精神理念、共善合作的英文專書。人文志業王端正執行長、慈善志業顏博文執行長、曾慈慧國際長、清修士黃恩婷、陳祖淞等人在場,新加坡劉瑞士師兄、馬來西亞馬六甲羅繡甄師姊、菲律賓施映如師姊等人透過網路視訊與會。

針對《慈濟六十》英文專書,上人說,慈濟將屆一甲子,這六十年來為人間所做的事,無法在短短幾十分鐘述說得盡;要了解慈濟,也不是看了書或網路資料就可以全盤了解,要把握精神理念並身體力行。常常說起一個譬喻,有人在野外口渴了,要找水喝,找到一條溪流,卻在溪畔遲疑,不知道哪一段的水最乾淨,要取哪一段的水來喝。既然口渴,捧起水來喝即是,也不可能將所有的水喝完,只要能救急,讓自己不至於脫水,以保障生命。

上人說,慈濟過去做了這麼多事,歷史很豐富,未來還有很長的路要走,而且要與時俱進。雖然科技工具很方便,但是使用的人要有很明確的方向。未來的慈濟志業,除了需要把握當下的每一個好因緣,把事情做好,也要培植青年人才以承擔重任。

「慈濟創立那年,我還不到三十歲,也是青年;早期慈濟還有『炬光青年』,那時他們與現在的慈濟人、慈青一樣,閒暇時去幫助照顧戶打掃、服務社區、義診等等,慈濟的愛不會隨著時間改變,未來也是如此。」

「當時義診不只有醫療人員參與,我帶著他們從花蓮到臺東,最南端到大武,讓這群年輕人去看、去接觸到貧病人,也是希望這些年輕人能見苦知福。果然這個方法是對的,這一群天之驕子看到人間苦難以後,對慈善工作更投入,醫療人員也很積極參與,慈濟就這樣一路走過來。雖然大家已經上了年紀,但還能傳承經驗,帶動、培育年輕的一輩。」

「也期待年輕人要發大心、立大願,不要輕視自己的能力,有心、有願,就會有力,而且要與其他人合心,力量會更集中;否則人多想法多,又各自堅持己見,一件好事永遠都會有缺角,無法很圓滿。」

上人感恩慈濟人與自己有好緣,只要聽到師父如何說,他們就如何做,讓自己覺得很安心。「能與這麼多人有這麼好的緣,我想可能是從久遠的過去生,就累積著善念、善行,累積好因、好緣、好行為,總是有心、有願、有力,走的路都沒有偏差,且大家同一個善的方向,也不斷吸引人投入。」

「慈濟有今天,是每一個人與周邊的緣,凝聚起善的力量而成就的。你們認同師父所走的方向,你們的朋友與你們有緣,也跟著你們走進來,各自發揮長才,為人間做更多事。」上人期勉年輕人發揮創意,用更貼近年輕一輩的方法接引同儕;可以讓大家看見世界上還有許多人,自從出生就在非常窮困、惡劣的環境,相較於他們,大家就如同生活在天堂,故見苦知福要再造福。

尋找因緣推動士農工商

與辛巴威朱金財師兄談志業推展方向,對於米糧發放,上人表示除了持續運送臺灣愛心米到辛巴威,也可以承租土地,僱用居民投入農耕,作物收成以後可以供應慈善救濟。「當地士農工商都需要有發展的機會,而我們替他們想辦法―士,幫助青年成就學業;農,要教他們承租土地,協助農耕;工,若是他們需要工作機會,可以像慈濟在尼泊爾成立職訓所,教他們做裁縫、手工藝,讓他們有生產,也促進商業貿易。」

朱金財師兄曾分享當地糧食短缺,年輕婦女用一種像蘆葦草的植物放在蟻穴附近,讓螞蟻鑽進草莖,再整隻抽出來,吃螞蟻果腹。也有小朋友半夜去抓金龜子,有的抓到先放在寶特瓶裏,有的抓到就吃了。上人嘆言:「眾生的求生意志很強,不過再怎麼強,總是要給他一個方便的生機,雖然不至於活不下去,但真的是很辛苦。我們要把握因緣,幫助他們有機會發展士農工商。」

「要有信心,沒有信心製造不出因緣。現在朱居士與臺灣有很好的因緣,臺灣慈濟人不斷鼓勵你、肯定你、支持你,你就要放心去做,從助學開始栽培孩子,如果有可造之材,可以安排他們到慈濟大學繼續培養,讓他們成為優良種子,有心、有願力,在臺灣學成以後,回到自己的國家發揮所學。」

上人提到當地志工大多是婦女,男眾較少,期勉朱師兄把來慈大學習的年輕男眾帶動好,深入慈濟理念與人文,成為生命的一部分,自然會願意投入辛巴威的慈濟志業。「安排他們來臺灣,不只是讀書、學中文而已,接受高等教育要有高知識分子的品質,同時也要灌輸慈濟精神,回去辛巴威能擴展大愛的力量,利益人間,這就是愛的教育,這樣遠赴臺灣學習才有價值。」

不受複雜人間引誘偏向

六月十四日,馬來西亞馬六甲分會四合一幹部返回精舍,各分支聯絡處負責人報告會務,眾人並以手語呈現〈一念心〉歌曲後發願:「回歸竹筒歲月、恆持初發心。」

上人開示:「一念心是一顆種子,一念心是菩薩的心;這一顆種子是人人本具有,也許你、我都在二千五百多年前,與佛同世,同在靈鷲山上聽佛陀說法,這顆善念的種子永遠存在八識田中。」

「大家與佛有緣,且你我因緣特殊,所以會合在慈濟,造福人間、淨化人心,這就是我們的使命,也就是佛法的軸心。我們發心做好事,不過現在的人間受到人心無明欲念所造的業力污染,我們一定要謹慎堅守這分清淨無染的愛。」上人提醒大家照顧好心念,守志奉道,不受複雜的人間引誘偏向。

聞及羅雪花師姊與女兒謝依善發願到印度菩提迦耶關懷、帶動當地居民,上人期待師姊把握機會多分享所見所聞。「人的見聞很重要,聽聞正法,就會往正確的方向走;假如接觸到有污染、不正確的事,也會被帶往偏邪、不正的道路。我們自身行於正道,更有責任將佛法廣傳於人間,以淨化人心,為人指引正向。」

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

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6.13~14《農五月‧十八至十九》

【靜思小語】有心、有願、有力,還要與人合心,才能圓滿好事。

培植青年人才承擔未來

六月十三日,全球合作暨青年發展室報告慈濟國際青年工作坊,及規畫為慈濟六十周年,編撰一本盤點慈濟遍布全球六十年愛的足跡,與聯合國以及國際組織分享慈濟精神理念、共善合作的英文專書。人文志業王端正執行長、慈善志業顏博文執行長、曾慈慧國際長、清修士黃恩婷、陳祖淞等人在場,新加坡劉瑞士師兄、馬來西亞馬六甲羅繡甄師姊、菲律賓施映如師姊等人透過網路視訊與會。

針對《慈濟六十》英文專書,上人說,慈濟將屆一甲子,這六十年來為人間所做的事,無法在短短幾十分鐘述說得盡;要了解慈濟,也不是看了書或網路資料就可以全盤了解,要把握精神理念並身體力行。常常說起一個譬喻,有人在野外口渴了,要找水喝,找到一條溪流,卻在溪畔遲疑,不知道哪一段的水最乾淨,要取哪一段的水來喝。既然口渴,捧起水來喝即是,也不可能將所有的水喝完,只要能救急,讓自己不至於脫水,以保障生命。

上人說,慈濟過去做了這麼多事,歷史很豐富,未來還有很長的路要走,而且要與時俱進。雖然科技工具很方便,但是使用的人要有很明確的方向。未來的慈濟志業,除了需要把握當下的每一個好因緣,把事情做好,也要培植青年人才以承擔重任。

「慈濟創立那年,我還不到三十歲,也是青年;早期慈濟還有『炬光青年』,那時他們與現在的慈濟人、慈青一樣,閒暇時去幫助照顧戶打掃、服務社區、義診等等,慈濟的愛不會隨著時間改變,未來也是如此。」

「當時義診不只有醫療人員參與,我帶著他們從花蓮到臺東,最南端到大武,讓這群年輕人去看、去接觸到貧病人,也是希望這些年輕人能見苦知福。果然這個方法是對的,這一群天之驕子看到人間苦難以後,對慈善工作更投入,醫療人員也很積極參與,慈濟就這樣一路走過來。雖然大家已經上了年紀,但還能傳承經驗,帶動、培育年輕的一輩。」

「也期待年輕人要發大心、立大願,不要輕視自己的能力,有心、有願,就會有力,而且要與其他人合心,力量會更集中;否則人多想法多,又各自堅持己見,一件好事永遠都會有缺角,無法很圓滿。」

上人感恩慈濟人與自己有好緣,只要聽到師父如何說,他們就如何做,讓自己覺得很安心。「能與這麼多人有這麼好的緣,我想可能是從久遠的過去生,就累積著善念、善行,累積好因、好緣、好行為,總是有心、有願、有力,走的路都沒有偏差,且大家同一個善的方向,也不斷吸引人投入。」

「慈濟有今天,是每一個人與周邊的緣,凝聚起善的力量而成就的。你們認同師父所走的方向,你們的朋友與你們有緣,也跟著你們走進來,各自發揮長才,為人間做更多事。」上人期勉年輕人發揮創意,用更貼近年輕一輩的方法接引同儕;可以讓大家看見世界上還有許多人,自從出生就在非常窮困、惡劣的環境,相較於他們,大家就如同生活在天堂,故見苦知福要再造福。

尋找因緣推動士農工商

與辛巴威朱金財師兄談志業推展方向,對於米糧發放,上人表示除了持續運送臺灣愛心米到辛巴威,也可以承租土地,僱用居民投入農耕,作物收成以後可以供應慈善救濟。「當地士農工商都需要有發展的機會,而我們替他們想辦法―士,幫助青年成就學業;農,要教他們承租土地,協助農耕;工,若是他們需要工作機會,可以像慈濟在尼泊爾成立職訓所,教他們做裁縫、手工藝,讓他們有生產,也促進商業貿易。」

朱金財師兄曾分享當地糧食短缺,年輕婦女用一種像蘆葦草的植物放在蟻穴附近,讓螞蟻鑽進草莖,再整隻抽出來,吃螞蟻果腹。也有小朋友半夜去抓金龜子,有的抓到先放在寶特瓶裏,有的抓到就吃了。上人嘆言:「眾生的求生意志很強,不過再怎麼強,總是要給他一個方便的生機,雖然不至於活不下去,但真的是很辛苦。我們要把握因緣,幫助他們有機會發展士農工商。」

「要有信心,沒有信心製造不出因緣。現在朱居士與臺灣有很好的因緣,臺灣慈濟人不斷鼓勵你、肯定你、支持你,你就要放心去做,從助學開始栽培孩子,如果有可造之材,可以安排他們到慈濟大學繼續培養,讓他們成為優良種子,有心、有願力,在臺灣學成以後,回到自己的國家發揮所學。」

上人提到當地志工大多是婦女,男眾較少,期勉朱師兄把來慈大學習的年輕男眾帶動好,深入慈濟理念與人文,成為生命的一部分,自然會願意投入辛巴威的慈濟志業。「安排他們來臺灣,不只是讀書、學中文而已,接受高等教育要有高知識分子的品質,同時也要灌輸慈濟精神,回去辛巴威能擴展大愛的力量,利益人間,這就是愛的教育,這樣遠赴臺灣學習才有價值。」

不受複雜人間引誘偏向

六月十四日,馬來西亞馬六甲分會四合一幹部返回精舍,各分支聯絡處負責人報告會務,眾人並以手語呈現〈一念心〉歌曲後發願:「回歸竹筒歲月、恆持初發心。」

上人開示:「一念心是一顆種子,一念心是菩薩的心;這一顆種子是人人本具有,也許你、我都在二千五百多年前,與佛同世,同在靈鷲山上聽佛陀說法,這顆善念的種子永遠存在八識田中。」

「大家與佛有緣,且你我因緣特殊,所以會合在慈濟,造福人間、淨化人心,這就是我們的使命,也就是佛法的軸心。我們發心做好事,不過現在的人間受到人心無明欲念所造的業力污染,我們一定要謹慎堅守這分清淨無染的愛。」上人提醒大家照顧好心念,守志奉道,不受複雜的人間引誘偏向。

聞及羅雪花師姊與女兒謝依善發願到印度菩提迦耶關懷、帶動當地居民,上人期待師姊把握機會多分享所見所聞。「人的見聞很重要,聽聞正法,就會往正確的方向走;假如接觸到有污染、不正確的事,也會被帶往偏邪、不正的道路。我們自身行於正道,更有責任將佛法廣傳於人間,以淨化人心,為人指引正向。」

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

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二十三至二十四日 愛護環境的關鍵

6.23~24《農五月‧二十八至二十九》

【靜思小語】人心清淨無染,就能減輕對環境的污染和破壞。

慈濟所承擔的使命

六月二十三日,上人出門行腳前叮嚀常住二眾,現在氣候變遷,四大不調,例如一下雨就是強降雨,所以早晚都要注意氣象預報,留意氣候變化;若得知有颱風形成,就要留意動向,做好防颱準備。

而夏季高溫,豔陽如火,白天出坡要等到陽光溫和的時候,也要注意多喝水;動作要敏捷,把握時間快快做,提早返回室內,彼此要相互關心與照顧。「每一回我要出門,總是對你們嘮叨這些話,因為我總是記掛著大家;而大家要讓師父安心,自我照顧、彼此關懷,才能讓我放心。」

驅車北上新店靜思堂,聆聽北區資深慈濟人及人文真善美團隊分享後,上人說,大家盤點過去所做的慈濟事,都是寶貴的慈濟歷史,從最初人少力弱,很辛苦起步,好像小小螢火蟲,到現在慈濟人遍布國際,志業足跡落實許多國家,已經如夜空中閃亮的星星。

「確認是對的事,就要邁開腳步去做,而且不要喊累,如同《法華經》的『化城喻』,一位導師帶一群人走向『寶處』,在長遠的路途走久了,大家心疲力倦,開始想要放棄。導師化出一座城讓大家休息,之後鼓勵他們,『寶處在近』,已經靠近目的地,趕緊再起身趕路。」

上人指出,佛陀適應眾生根機而說法引導,從小乘佛法說起,看到大家似乎疲累了,就讓大家停下來思考;接著講中乘佛法,教大家不能只是閉門自修,要普傳佛法;最後說大乘菩薩法,說出佛陀的使命─為一大事因緣而來人間,說菩薩法、教菩薩道,這就是慈濟現在要做的,也是所承擔的使命。

「大乘法門已開,我們走在大乘佛法的大道上,而且不是一輛單車載二個人,也不是一輛小轎車載少數人,而是用大巴士、火車運載群生,如同早期你們不斷帶『慈濟列車』回花蓮尋根,不只匯集建設志業的愛心力量,也帶動許多人同行菩薩道。」

「今天搭車走蘇花公路北上時,我看著寬闊平坦的道路,回想過去要搭車走蘇花公路,一邊是山、一邊是海,路面狹窄,常常需要等待會車,只能單邊通行;現在已經拓寬,行車很順暢。那個時代,你們為了勸募建院基金,一趟趟帶慈濟列車回花蓮,也可以說是步步艱鉅,也這樣走過來了。」

「慈濟人不為自己求安樂,而是為了眾生,不怕辛苦去付出,心態總是知足常樂,心志很堅定。請大家要把握時間、因緣,逢人說慈濟,不是說空話,你們有很豐富的真實故事可以說;將你們所分享的真人實事彙編成書,就是現代的慈濟《阿含經》。」

環保經是世間法寶

慈濟推行環保三十五年,北區環保志工六月二十四日歡喜共聚,與上人分享心得。上人說,三十五年前在臺中新民商工的演講,請大家用鼓掌的雙手做垃圾分類、資源回收,從此開始,各地志工起於行動,現在已經將慈濟環保教育與行動推及國際。

上人談到現在全球人口超過八十億,近百年來人口暴增,人類活動造成的環境污染更為嚴重,已經影響天地氣候。「其實有人就有污染,就如現在我們聚會,仍然緊緊戴著口罩,就是為了預防疾病傳染;否則我們說話,病毒、細菌會隨著口沫飛出,我們自己看不到,卻因此在人與人之間交叉感染,瘟疫也是嚴重的災難。」

「舉凡污染與疾病傳染,災禍看不到、擋不住,要怎麼辦呢?還是要從個人的生活做起,減少污染,讓空氣清新,也保護大地。唯有大地健康,氣候盡量不受干擾,人間才能平安。所以我們要有勇氣向大眾宣導環保,『大哉教育』,開口動舌、舉手投足,都要發揮教育的良能。」

「聽大家的分享,念的都是環保經;我們這部經是因應這個污濁的時代而產生,是世間的法寶。佛教有佛、法、僧三寶,出家人有責任流傳佛法,而在家居士接受佛法,在社會人群中實踐,也讓佛法走入社會中,接引更多人聞法受用。如果沒有在家居士傳法,只靠出家修行者弘法,是很困難的。而你們不是只在口頭說法,是身體力行做出來,讓人看得到而受感動,再聽到你們開口呼喚,他們就會生起信心而響應。」

上人說起社會人口老化,如今慈善關懷的對象,不一定是生活有困難的家庭,有許多孤單的年長者。如果志工在社區裏帶動得好,讓長者相互關心,有對象可以互動、聊天,有助於保持身心健康,環保站就是很好的場所。

「環保站讓老人家動手也動腦,做好事也說好話,句句都有佛法、句句都在勸善。老來是寶,我們連垃圾都要讓它變黃金了,何況人的心智,要使之回歸佛心,在人間發揮清淨無染的大愛。我們做環保,不只是讓人心清淨無染,還要讓大地清淨無染,因為我們居住在大地上,倚靠大地而生活,人們造成的污染,享受過後丟棄的垃圾,都對大地有損。」

上人舉例說,為了滿足人的口欲而供應肉食,畜牧業就要飼養大量的牲畜,動物的呼吸與排泄產生大量的污染物質;人們大啖牲畜的肉、啃牠們的骨,其實是傷了人的心智而不自知。面對現在的氣候變遷,四大不調肇災,人類實在要深刻反省,要用感恩心愛護、保護供應人類生存的地球環境。減少破壞、減輕污染的關鍵,在於人心能知足,知足常樂,知足的人就懂得感恩;人人知足、彼此感恩,人間就是清淨的樂土。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。

6.23~24《農五月‧二十八至二十九》

【靜思小語】人心清淨無染,就能減輕對環境的污染和破壞。

慈濟所承擔的使命

六月二十三日,上人出門行腳前叮嚀常住二眾,現在氣候變遷,四大不調,例如一下雨就是強降雨,所以早晚都要注意氣象預報,留意氣候變化;若得知有颱風形成,就要留意動向,做好防颱準備。

而夏季高溫,豔陽如火,白天出坡要等到陽光溫和的時候,也要注意多喝水;動作要敏捷,把握時間快快做,提早返回室內,彼此要相互關心與照顧。「每一回我要出門,總是對你們嘮叨這些話,因為我總是記掛著大家;而大家要讓師父安心,自我照顧、彼此關懷,才能讓我放心。」

驅車北上新店靜思堂,聆聽北區資深慈濟人及人文真善美團隊分享後,上人說,大家盤點過去所做的慈濟事,都是寶貴的慈濟歷史,從最初人少力弱,很辛苦起步,好像小小螢火蟲,到現在慈濟人遍布國際,志業足跡落實許多國家,已經如夜空中閃亮的星星。

「確認是對的事,就要邁開腳步去做,而且不要喊累,如同《法華經》的『化城喻』,一位導師帶一群人走向『寶處』,在長遠的路途走久了,大家心疲力倦,開始想要放棄。導師化出一座城讓大家休息,之後鼓勵他們,『寶處在近』,已經靠近目的地,趕緊再起身趕路。」

上人指出,佛陀適應眾生根機而說法引導,從小乘佛法說起,看到大家似乎疲累了,就讓大家停下來思考;接著講中乘佛法,教大家不能只是閉門自修,要普傳佛法;最後說大乘菩薩法,說出佛陀的使命─為一大事因緣而來人間,說菩薩法、教菩薩道,這就是慈濟現在要做的,也是所承擔的使命。

「大乘法門已開,我們走在大乘佛法的大道上,而且不是一輛單車載二個人,也不是一輛小轎車載少數人,而是用大巴士、火車運載群生,如同早期你們不斷帶『慈濟列車』回花蓮尋根,不只匯集建設志業的愛心力量,也帶動許多人同行菩薩道。」

「今天搭車走蘇花公路北上時,我看著寬闊平坦的道路,回想過去要搭車走蘇花公路,一邊是山、一邊是海,路面狹窄,常常需要等待會車,只能單邊通行;現在已經拓寬,行車很順暢。那個時代,你們為了勸募建院基金,一趟趟帶慈濟列車回花蓮,也可以說是步步艱鉅,也這樣走過來了。」

「慈濟人不為自己求安樂,而是為了眾生,不怕辛苦去付出,心態總是知足常樂,心志很堅定。請大家要把握時間、因緣,逢人說慈濟,不是說空話,你們有很豐富的真實故事可以說;將你們所分享的真人實事彙編成書,就是現代的慈濟《阿含經》。」

環保經是世間法寶

慈濟推行環保三十五年,北區環保志工六月二十四日歡喜共聚,與上人分享心得。上人說,三十五年前在臺中新民商工的演講,請大家用鼓掌的雙手做垃圾分類、資源回收,從此開始,各地志工起於行動,現在已經將慈濟環保教育與行動推及國際。

上人談到現在全球人口超過八十億,近百年來人口暴增,人類活動造成的環境污染更為嚴重,已經影響天地氣候。「其實有人就有污染,就如現在我們聚會,仍然緊緊戴著口罩,就是為了預防疾病傳染;否則我們說話,病毒、細菌會隨著口沫飛出,我們自己看不到,卻因此在人與人之間交叉感染,瘟疫也是嚴重的災難。」

「舉凡污染與疾病傳染,災禍看不到、擋不住,要怎麼辦呢?還是要從個人的生活做起,減少污染,讓空氣清新,也保護大地。唯有大地健康,氣候盡量不受干擾,人間才能平安。所以我們要有勇氣向大眾宣導環保,『大哉教育』,開口動舌、舉手投足,都要發揮教育的良能。」

「聽大家的分享,念的都是環保經;我們這部經是因應這個污濁的時代而產生,是世間的法寶。佛教有佛、法、僧三寶,出家人有責任流傳佛法,而在家居士接受佛法,在社會人群中實踐,也讓佛法走入社會中,接引更多人聞法受用。如果沒有在家居士傳法,只靠出家修行者弘法,是很困難的。而你們不是只在口頭說法,是身體力行做出來,讓人看得到而受感動,再聽到你們開口呼喚,他們就會生起信心而響應。」

上人說起社會人口老化,如今慈善關懷的對象,不一定是生活有困難的家庭,有許多孤單的年長者。如果志工在社區裏帶動得好,讓長者相互關心,有對象可以互動、聊天,有助於保持身心健康,環保站就是很好的場所。

「環保站讓老人家動手也動腦,做好事也說好話,句句都有佛法、句句都在勸善。老來是寶,我們連垃圾都要讓它變黃金了,何況人的心智,要使之回歸佛心,在人間發揮清淨無染的大愛。我們做環保,不只是讓人心清淨無染,還要讓大地清淨無染,因為我們居住在大地上,倚靠大地而生活,人們造成的污染,享受過後丟棄的垃圾,都對大地有損。」

上人舉例說,為了滿足人的口欲而供應肉食,畜牧業就要飼養大量的牲畜,動物的呼吸與排泄產生大量的污染物質;人們大啖牲畜的肉、啃牠們的骨,其實是傷了人的心智而不自知。面對現在的氣候變遷,四大不調肇災,人類實在要深刻反省,要用感恩心愛護、保護供應人類生存的地球環境。減少破壞、減輕污染的關鍵,在於人心能知足,知足常樂,知足的人就懂得感恩;人人知足、彼此感恩,人間就是清淨的樂土。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

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七至九日 功德無量

6.7~9《農五月‧十二至十四》

【靜思小語】天天心想好念助人,就是內修的「功」;善念、善行不斷累積,就是「德」。

回歸「竹筒歲月」精神

六月七日,廖群、盧瑩順師兄等一行人分享印度、尼泊爾行。

六月八日委員慈誠精進日,上人開示,今年開春以來,世界上很多國家地區的災難都很慘重,例如美國洛杉磯林火、緬甸強震、日本林火等,慈濟人都在災後動員救助。「看到慈濟人在世界各地的付出,我就會慶幸自己在將近六十年前起了那一念,呼籲家庭主婦每天從買菜錢當中存下五毛錢助人。」

「我要她們每天存五毛錢,而非每個月捐十五元,理由就是要每天起一個『要救人』的善念,並且隨手付出,這就是內修的『功』,讓我們的心常常培養善念;善念、善行不斷累積,就是『德』。所以慈濟委員向會員收善款時都會說:『感恩喔,功德無量!』因為功德是自己做、自己得,分分己獲,而慈濟人向人勸募,是引導人起一念善心並付出。」

「慈濟委員時時口說好話,了解慈濟所做的事,一來是警惕自己不可鬆懈,再者向大眾募集愛心、善念來救人,也讓自己天天保持愛心。如果每個家庭可以時時都有善念、能造福,『積善之家有餘慶』,臺灣社會就會很有福、很平安。」上人與眾共勉,不只自己行善,也要不斷教人行善,所以要走入人群,宣導、述說慈濟正在做的事,邀約民眾天天發揮愛心、善念,讓家家有福,社會上隨處都有滿滿的愛心。

「即使年紀大了,我也不放棄;只要有一天,就要說一天的好話,運用體力做一天的好事,不要放任時間空過,更不能隨著時間累積凡夫的無明煩惱,開口動舌都在造業。我們的開口動舌要牽起人與人之間的好因緣,談慈濟、勸人做好事,不要讓人間的『善力』減退或消失。」

上人教全球慈濟人回歸「竹筒歲月」的精神,帶動家家積善;此外,現在社會人口老化,獨居長者、孤老無依的人很多,慈濟人更要用心做好慈善工作,時常關懷他們,給予所需的協助。例如「安美專案」為年長者修繕住家、安裝扶手等,讓老人家的生活起居更安全,即使並非生活困難的家庭,慈濟人在社區裏看到老人家有需要,也可以與他們結好緣。若因此保得家家平安,也是行善、積善。

「要培養好自己的心,時時心存好念,起一念善心就要造福。這時候我們有好因緣,有這麼多同心同願的法親,可以相互鼓勵,會合力量,如果此時沒有去做,將來想要做也沒有因緣、沒有力量可做。」上人說,慈濟人相互鼓勵、共同行善,也能鼓勵各自的親友發揮愛心,讓愛與善生生不息,讓人間永遠有善的生機。

教之、愛之、疼惜之

六月九日,文史處主管同仁偕高雄教聯會與人文真善美團隊回顧高雄教聯會溯源。上人對大家說,「老師心,菩薩心,愛之深,教之切」,只為了把孩子教育成才,所以循循善誘,教之、愛之、疼惜之,雖然因為頑皮、叛逆的孩子而煞費苦心,總是不放棄。

「孩子不了解老師心,你們還得用愛心、耐心與他們磨合,把一顆顆懵懂、模糊的頑石,慢慢地磨成明亮的鏡子。幸好我們所磨的不是愈磨愈損的磚頭,孩子們還是能受教,尤其你們自從接觸到《靜思語》,運用《靜思語》編教材,孩子也能接受。對於師父所說的話,你們有聽、有用,就有辦法得『力』─有力量可以讓孩子把道理聽入心而改變。所以師父那時曾說,只要老師肯用心,沒有教不好的孩子。」

上人也提到,有調皮的孩子讓老師傷腦筋,老師設法引導,也累積了經驗和教材可以分享,讓更多老師有方法教孩子。「面對一顆頑石,我們很用力、下功夫去磨,不只能磨亮它,還可以雕出很多種可愛的形象,內在的質也很好。」

「二、三十年前,師父對大家說,要認真一點,未來時間還很長,我們的任務還很多;但是現在都說,時日已過,要精進。我們重視生命,就要善用生命,用得很有價值。如果自我盤點,覺得此生有價值,更要多用心,做得更多,也將我們過去的教學經驗傳承下去。」

上人教從教職退休的老師們,可與過去教導的學生們聯絡,了解大家目前在哪裏生活、從事什麼工作,也可請同班同學相互聯絡,相約與老師共聚。老師關懷學生,同學再連接起友誼,彼此互動與勉勵;就如自己與弟子們有生生世世的師徒情,老師與學生們也要拉起師生情,繼續帶動善的影響,在人間拉長情、擴大愛。

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6.7~9《農五月‧十二至十四》

【靜思小語】天天心想好念助人,就是內修的「功」;善念、善行不斷累積,就是「德」。

回歸「竹筒歲月」精神

六月七日,廖群、盧瑩順師兄等一行人分享印度、尼泊爾行。

六月八日委員慈誠精進日,上人開示,今年開春以來,世界上很多國家地區的災難都很慘重,例如美國洛杉磯林火、緬甸強震、日本林火等,慈濟人都在災後動員救助。「看到慈濟人在世界各地的付出,我就會慶幸自己在將近六十年前起了那一念,呼籲家庭主婦每天從買菜錢當中存下五毛錢助人。」

「我要她們每天存五毛錢,而非每個月捐十五元,理由就是要每天起一個『要救人』的善念,並且隨手付出,這就是內修的『功』,讓我們的心常常培養善念;善念、善行不斷累積,就是『德』。所以慈濟委員向會員收善款時都會說:『感恩喔,功德無量!』因為功德是自己做、自己得,分分己獲,而慈濟人向人勸募,是引導人起一念善心並付出。」

「慈濟委員時時口說好話,了解慈濟所做的事,一來是警惕自己不可鬆懈,再者向大眾募集愛心、善念來救人,也讓自己天天保持愛心。如果每個家庭可以時時都有善念、能造福,『積善之家有餘慶』,臺灣社會就會很有福、很平安。」上人與眾共勉,不只自己行善,也要不斷教人行善,所以要走入人群,宣導、述說慈濟正在做的事,邀約民眾天天發揮愛心、善念,讓家家有福,社會上隨處都有滿滿的愛心。

「即使年紀大了,我也不放棄;只要有一天,就要說一天的好話,運用體力做一天的好事,不要放任時間空過,更不能隨著時間累積凡夫的無明煩惱,開口動舌都在造業。我們的開口動舌要牽起人與人之間的好因緣,談慈濟、勸人做好事,不要讓人間的『善力』減退或消失。」

上人教全球慈濟人回歸「竹筒歲月」的精神,帶動家家積善;此外,現在社會人口老化,獨居長者、孤老無依的人很多,慈濟人更要用心做好慈善工作,時常關懷他們,給予所需的協助。例如「安美專案」為年長者修繕住家、安裝扶手等,讓老人家的生活起居更安全,即使並非生活困難的家庭,慈濟人在社區裏看到老人家有需要,也可以與他們結好緣。若因此保得家家平安,也是行善、積善。

「要培養好自己的心,時時心存好念,起一念善心就要造福。這時候我們有好因緣,有這麼多同心同願的法親,可以相互鼓勵,會合力量,如果此時沒有去做,將來想要做也沒有因緣、沒有力量可做。」上人說,慈濟人相互鼓勵、共同行善,也能鼓勵各自的親友發揮愛心,讓愛與善生生不息,讓人間永遠有善的生機。

教之、愛之、疼惜之

六月九日,文史處主管同仁偕高雄教聯會與人文真善美團隊回顧高雄教聯會溯源。上人對大家說,「老師心,菩薩心,愛之深,教之切」,只為了把孩子教育成才,所以循循善誘,教之、愛之、疼惜之,雖然因為頑皮、叛逆的孩子而煞費苦心,總是不放棄。

「孩子不了解老師心,你們還得用愛心、耐心與他們磨合,把一顆顆懵懂、模糊的頑石,慢慢地磨成明亮的鏡子。幸好我們所磨的不是愈磨愈損的磚頭,孩子們還是能受教,尤其你們自從接觸到《靜思語》,運用《靜思語》編教材,孩子也能接受。對於師父所說的話,你們有聽、有用,就有辦法得『力』─有力量可以讓孩子把道理聽入心而改變。所以師父那時曾說,只要老師肯用心,沒有教不好的孩子。」

上人也提到,有調皮的孩子讓老師傷腦筋,老師設法引導,也累積了經驗和教材可以分享,讓更多老師有方法教孩子。「面對一顆頑石,我們很用力、下功夫去磨,不只能磨亮它,還可以雕出很多種可愛的形象,內在的質也很好。」

「二、三十年前,師父對大家說,要認真一點,未來時間還很長,我們的任務還很多;但是現在都說,時日已過,要精進。我們重視生命,就要善用生命,用得很有價值。如果自我盤點,覺得此生有價值,更要多用心,做得更多,也將我們過去的教學經驗傳承下去。」

上人教從教職退休的老師們,可與過去教導的學生們聯絡,了解大家目前在哪裏生活、從事什麼工作,也可請同班同學相互聯絡,相約與老師共聚。老師關懷學生,同學再連接起友誼,彼此互動與勉勵;就如自己與弟子們有生生世世的師徒情,老師與學生們也要拉起師生情,繼續帶動善的影響,在人間拉長情、擴大愛。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

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十六至十七日 慈悲心

6.16~17《農五月‧二十一至二十二》

【靜思小語】慈悲是一分感同身受的大愛,不忍有人受苦而起於行動。

好人好事要做到底

六月十六日,基金會主管同仁分享,編纂處主任洪靜原師姊分享上人曾開示「老來有三好」,並提到彰化黃蔡寬師姊等幾位高齡百歲的慈濟志工。上人說,每次行腳到彰化靜思堂,都會看見蔡寬師姊來迎接;進入會客室或講堂,師姊都是坐得直挺挺,專注聽師父說話。

「最近這次看到她,她說自己一百零七歲了。我教她出入行動要多注意,她說師父曾經勉勵她不要認老,所以她要一直做事,繼續發揮生命的良能。她的身體還是很健康,不過比較無法走遠路。我問她現在有沒有多休息?她說她還是要把握因緣,『好人好事要做到底』。我聽了再問她,要做到多徹底?老人家反應很好,她回答:『做到水乾了,就到底了。』老人家很有哲學,她的人生點滴如甘露,都很寶貴。」

上人說,蔡寬師姊自從七十多歲投入慈濟,一路走來不曾停歇;只要想到她年紀這麼大,還繼續做慈濟,就讓自己又振作起精神。「她的兒孫孝順,總是陪著她進進出出,相信她的慧命不間斷,將智慧大愛愈拓愈寬,就如她的名字,她的生命很寬也很深。」

「無論是做好事、勸好人,她的一些小小動作,都是大有為,例如她去會員家收善款,不是收錢而已,最重要的是去勸善;若有家庭不圓滿,或有人有煩惱,她就頻頻去拜訪。老人家說話有分量,而且她所做的都是好事,大家都會聽她的話。這不就是菩薩嗎?入人群度化眾生。」上人說,蔡寬師姊總是發揮「做到底」的精神,發揮生命價值,大家要向她看齊。

最近聽花蓮資深慈濟人的分享,整理出許多寶貴的歷史資料。上人感恩全球慈濟人的真誠付出,向大眾募心募愛,成就四大志業、八大法印,為人間做這麼多事,為無數苦難家庭翻轉困境。「從過去累積到現在,國際間有六十八個國家地區有慈濟道場,同時在做慈濟,我們的生命真的很有價值。如果不是因為做慈濟,或許不會認識不同國籍的人;因為有付出,才能把愛的能量擴展到這麼多國家地區。大家盤點、記錄早期的慈濟歷史,也要持續拉長情、擴大愛,讓慈悲大愛世代相傳。」

培養孩子善良有福

六月十七日,印尼慈濟人第二代、第三代返臺尋根,與上人座談。上人對陪伴同行的師兄師姊說,讓孩子們走入慈濟門,將來進入社會,才會懂得如何行菩薩道;培養愛心、善良的心,有愛的人生才有價值。

上人指出,學問的學習與探討是無窮盡的,最重要的是學做人,也要認真學習慈濟過去的歷史。「要了解慈濟的起源,如何從克難中一路走過來,將近六十年的路是怎麼走的,為人間帶動出很多有愛心、善心的好人,也讓許多不幸福的家庭轉變成幸福的家庭。善念、愛心,自古以來都有,而慈濟接引這麼多人進來,同行菩薩道,一同做慈濟。菩薩是『覺有情』,覺有情的精神就是大愛、仁愛、博愛,這也是佛陀的教育。」

上人說,世間的正信宗教都在教育人間,為人指引愛與善的道路,都是同樣一條善道。孩子們能體會到人間的苦難,發起一念要救人的善心,這念心就是佛法說的慈悲心。大慈,要讓人人快樂、人人有福;大悲,是不忍心有人受苦難,自己卻束手旁觀。本來人人有愛,少了那一分悲念,就不會想要去幫助。所以慈悲就是博愛、仁愛、大愛,有別於私我染著的愛,宗教的愛清淨無染。

上人談到印尼曾經歷過金融危機,走過一段困頓的歲月,社會動盪不安,而當時黃奕聰老先生聽從自己所說,用愛撫平傷痛、消弭仇恨,以身作則,發揮影響力,帶動企業家投入慈善救助行動,幫助印尼從困境中「翻轉」過來。

「對於現在的尼泊爾與印度,我也期待慈濟能夠去翻轉底層貧困居民的生活。慈善、醫療、教育方面的援助已經在進行,期盼企業家也能來會合力量,共同為天下做好事,讓苦難人有翻轉的空間,不要世世代代永遠貧窮。」

上人說,印尼慈濟現在有這麼大的力量可以推行志業,其實也是從最初的一顆種子開始,這顆種子可以成就千千萬萬種子,在世界各地發揮愛心,幫助苦難人。「不分宗教,我們要把愛心會合起來,成為大愛,不要因為信仰不同而起爭端。佛教說『無緣大慈,同體大悲』,就是一分感同身受的大愛,因為有這分精神,所以看到世間有苦難,很自然就會去幫助、去扶持。」

「天下範圍這麼大,所以要有『群』,才能看得到這麼多的苦難;只要有慈濟精神,人人都是我,我就在你們的身邊,總是一體,有共同的大愛。看到這些孩子,我很歡喜,感到很有希望!感恩當地有慈濟人,也要感恩他們的父母以身作則,而且培養孩子走往善良的大道,每一位都是有福的人;有福,智慧也不能落後,要福慧雙修。」

上人叮嚀,知道理也要身體力行,就如道路在面前,要邁步去走,「前腳走,後腳放」,一步接著一步往前精進,把握因緣,為人拔苦予樂,自己也不斷增進福與慧。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。

6.16~17《農五月‧二十一至二十二》

【靜思小語】慈悲是一分感同身受的大愛,不忍有人受苦而起於行動。

好人好事要做到底

六月十六日,基金會主管同仁分享,編纂處主任洪靜原師姊分享上人曾開示「老來有三好」,並提到彰化黃蔡寬師姊等幾位高齡百歲的慈濟志工。上人說,每次行腳到彰化靜思堂,都會看見蔡寬師姊來迎接;進入會客室或講堂,師姊都是坐得直挺挺,專注聽師父說話。

「最近這次看到她,她說自己一百零七歲了。我教她出入行動要多注意,她說師父曾經勉勵她不要認老,所以她要一直做事,繼續發揮生命的良能。她的身體還是很健康,不過比較無法走遠路。我問她現在有沒有多休息?她說她還是要把握因緣,『好人好事要做到底』。我聽了再問她,要做到多徹底?老人家反應很好,她回答:『做到水乾了,就到底了。』老人家很有哲學,她的人生點滴如甘露,都很寶貴。」

上人說,蔡寬師姊自從七十多歲投入慈濟,一路走來不曾停歇;只要想到她年紀這麼大,還繼續做慈濟,就讓自己又振作起精神。「她的兒孫孝順,總是陪著她進進出出,相信她的慧命不間斷,將智慧大愛愈拓愈寬,就如她的名字,她的生命很寬也很深。」

「無論是做好事、勸好人,她的一些小小動作,都是大有為,例如她去會員家收善款,不是收錢而已,最重要的是去勸善;若有家庭不圓滿,或有人有煩惱,她就頻頻去拜訪。老人家說話有分量,而且她所做的都是好事,大家都會聽她的話。這不就是菩薩嗎?入人群度化眾生。」上人說,蔡寬師姊總是發揮「做到底」的精神,發揮生命價值,大家要向她看齊。

最近聽花蓮資深慈濟人的分享,整理出許多寶貴的歷史資料。上人感恩全球慈濟人的真誠付出,向大眾募心募愛,成就四大志業、八大法印,為人間做這麼多事,為無數苦難家庭翻轉困境。「從過去累積到現在,國際間有六十八個國家地區有慈濟道場,同時在做慈濟,我們的生命真的很有價值。如果不是因為做慈濟,或許不會認識不同國籍的人;因為有付出,才能把愛的能量擴展到這麼多國家地區。大家盤點、記錄早期的慈濟歷史,也要持續拉長情、擴大愛,讓慈悲大愛世代相傳。」

培養孩子善良有福

六月十七日,印尼慈濟人第二代、第三代返臺尋根,與上人座談。上人對陪伴同行的師兄師姊說,讓孩子們走入慈濟門,將來進入社會,才會懂得如何行菩薩道;培養愛心、善良的心,有愛的人生才有價值。

上人指出,學問的學習與探討是無窮盡的,最重要的是學做人,也要認真學習慈濟過去的歷史。「要了解慈濟的起源,如何從克難中一路走過來,將近六十年的路是怎麼走的,為人間帶動出很多有愛心、善心的好人,也讓許多不幸福的家庭轉變成幸福的家庭。善念、愛心,自古以來都有,而慈濟接引這麼多人進來,同行菩薩道,一同做慈濟。菩薩是『覺有情』,覺有情的精神就是大愛、仁愛、博愛,這也是佛陀的教育。」

上人說,世間的正信宗教都在教育人間,為人指引愛與善的道路,都是同樣一條善道。孩子們能體會到人間的苦難,發起一念要救人的善心,這念心就是佛法說的慈悲心。大慈,要讓人人快樂、人人有福;大悲,是不忍心有人受苦難,自己卻束手旁觀。本來人人有愛,少了那一分悲念,就不會想要去幫助。所以慈悲就是博愛、仁愛、大愛,有別於私我染著的愛,宗教的愛清淨無染。

上人談到印尼曾經歷過金融危機,走過一段困頓的歲月,社會動盪不安,而當時黃奕聰老先生聽從自己所說,用愛撫平傷痛、消弭仇恨,以身作則,發揮影響力,帶動企業家投入慈善救助行動,幫助印尼從困境中「翻轉」過來。

「對於現在的尼泊爾與印度,我也期待慈濟能夠去翻轉底層貧困居民的生活。慈善、醫療、教育方面的援助已經在進行,期盼企業家也能來會合力量,共同為天下做好事,讓苦難人有翻轉的空間,不要世世代代永遠貧窮。」

上人說,印尼慈濟現在有這麼大的力量可以推行志業,其實也是從最初的一顆種子開始,這顆種子可以成就千千萬萬種子,在世界各地發揮愛心,幫助苦難人。「不分宗教,我們要把愛心會合起來,成為大愛,不要因為信仰不同而起爭端。佛教說『無緣大慈,同體大悲』,就是一分感同身受的大愛,因為有這分精神,所以看到世間有苦難,很自然就會去幫助、去扶持。」

「天下範圍這麼大,所以要有『群』,才能看得到這麼多的苦難;只要有慈濟精神,人人都是我,我就在你們的身邊,總是一體,有共同的大愛。看到這些孩子,我很歡喜,感到很有希望!感恩當地有慈濟人,也要感恩他們的父母以身作則,而且培養孩子走往善良的大道,每一位都是有福的人;有福,智慧也不能落後,要福慧雙修。」

上人叮嚀,知道理也要身體力行,就如道路在面前,要邁步去走,「前腳走,後腳放」,一步接著一步往前精進,把握因緣,為人拔苦予樂,自己也不斷增進福與慧。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

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十八至十九日 功德回向

6.18~19《農五月‧二十三至二十四》

【靜思小語】突破艱難做到讓大眾平安歡喜,再辛苦也覺得幸福。

五毛錢的影響力

六月十八日,上人對花蓮慈院主管開示,世間事物有利也有害,要過濾不好的成分,讓好的部分發揮作用。例如有毒性的植物當中,也有利益人體健康的成分,就需要專業人員好好研究,用於救人,這就是研究的價值。而人與人之間的合作也有同樣的道理,有的人很強勢,但再強勢也難以服眾;有人態度溫和,能用溫言軟語說服人。要用心陪伴、聆聽分享,從互動中了解各自的品格,找到能夠一起共事的人,合力完成對人間有益的事。

「其實人無完人,脾氣不好的也不是壞人,是需要有人關懷他,耐心『牽成』(編按:閩南語,意為提拔、栽培),讓他理解為善最樂;若是不好的事情,引導他深思,這對人類、對環境有危害,就會浮起良知,加以注意。大家各有專精,在不同的領域,要會合各自的長才,共同利益人間。」

上人談到,自從創立慈濟以來,面對很多境界,做得很辛苦,但是認定應該做的事情,突破艱難去做到了,感受就是幸福。「慈濟在做的事,依賴這麼多人,同心同願,共同為人間付出,身體雖辛苦,但覺得幸福,因為我們共同造福人間,讓大眾平安,我們自己也心安歡喜,這就是功德回向。」

「現在國際間有很多天災人禍造成的苦難,這些苦難其實是來自於眾生的業力。」上人指出,要教育人人每天發一念心,如同過去日存五毛錢的「竹筒歲月」,現在慈濟人在各社區推動「富有愛心店」,是為了募心而非募款,讓顧客知道投入零錢,是在做善事。「人人本具善心,而這分有善心的愛要去哪裏付出?有的人想要捐款,但沒有因緣,這就是一個機會,他們聽到慈濟,進而成為慈濟會員。」上人表示,這就是化善為愛,也是弘法利生;善,即是淨化人心,也是「慈濟」的源頭,而五毛錢的善心在此時已擴及國際間。

上人亦談到,因為不捨貧病無醫之苦,所以再如何辛苦也甘願去做。「雖然走過很坎坷的路,但是無論如何,我還是很堅持做對的事。當時東部最欠缺、最需要的是醫療,慈濟醫院蓋在這裏,就是要救人。人生最苦就是身有病痛,醫療真正能為其拔苦,而拔除病苦就叫作功德,也是人生的價值。」

活到老要學到老

聆聽慈濟大學主管報告後,上人開示,學無止境,人生自幼年到老年,都需要學習,「長照班」也可以讓身心健康的年長者參與;偏鄉的老人家若要外出,交通不便,又沒有兒孫在旁照顧,需要有人經常去探望,因應他們的需求而給予協助,若能就地培養長照人才,就能及時走入這些長者的家,關心、照顧他們。

上人說,現在的社會,長者獨居或兩老相依的家庭很多,要達到「老有所養」,讓老人家都有依靠,除了政府與民間團體為老年長照投入力量,還要加強孝道教育,讓年輕人有反哺之心。「父母恩重難報,回報父母恩是人的本分;要教育年輕人不能只是向外追逐利益,忘記了腳踏的這一片土地,忘記了培養自己成長、升學的這一群人。學歷再高,人的品質、品格都要顧好;讓孩子學得實用且有益於社會的才能,這就是我們的教育重點。」

六月十九日於教育志策會中,上人提到除了加強培養長照人才,也要維繫人倫親情,提倡孝道,以使「老有所養」;現今社會繁榮進步,是老年人在中壯年時努力所成就的,年輕人要以感恩、尊重心愛護與照顧他們。

「現在的教育實在很令人擔心,就因為擔心,我們才更要篤定方向,維持我們的教育質量,要讓人間有光明的希望,不要讓希望之光黯淡。雖說少子化影響招生,不過我們除了持續用心於對孩子的教育,也可以開設長青教育,幫助年長者維持身心健康,讓他們活到老、學到老。」

「活到老要學到老,何況佛法說『萬般帶不去,唯有業隨身』,業就是業識,要讓好的意念常存在意識中,生生世世都行於善道。教育要提升人們的思考力,一直往善的方向思考,在八識田中播下善種子,遇到困難時,懂得善解,解開了煩惱,面向著光明的希望。」上人指出教育是希望工程,要為人間許一個希望的未來,就要提升人心的境界,提高人品的質量。

有鑑於護理人員流失是醫界普遍的問題,上人表示,要讓選擇就讀護理學系的學生提升價值觀,能夠「守志奉道」,篤定志向、負起使命;畢業之後,要「學有所用」,不論是在醫療崗位上或是長照單位,都能運用所學照護病人、年長者。

「老、病,都是人生自然法則,很需要醫療照顧,而我們要教育的醫療人員,是真誠守護生命、守護健康、守護愛。其實不只有醫療人員,其他領域的教育也很注重品格的養成,要善良、有愛。雖然人間的普遍現象都是為了自己而圖利、牟利,甚至損害他人而利益自己,這是人性的沒落,很需要教育來提升人生的價值,引導學子培養愛與善。」

上人期待慈濟教育人文可以普及天下,讓天下眾生得以普遍接受愛的教育,這需要用很長的時間,最重要的是現在的教育志業,要從起點就做得很扎實,並且會合四大志業的力量,才能向全球普遍推展,延續到未來。如果這一代沒有做好、帶動好,未來就會力量分散而難以為繼。事在人為,一代傳一代,只要這一代做得好,下一代也能依循方向繼續努力,讓未來永遠有希望。

「雖然我們的力量很微弱,但是幾十年來也做出了成績,在黑暗中看到了微光。哪怕是一隻螢火蟲,只要有一整群,也是夜空中的美景。不要輕看自己,還要招呼志同道合的人,借人的光、借人的福,彼此相照,將孤單的微弱力量變成群體的大力量,群策群力,成就光明的人間。」

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。

6.18~19《農五月‧二十三至二十四》

【靜思小語】突破艱難做到讓大眾平安歡喜,再辛苦也覺得幸福。

五毛錢的影響力

六月十八日,上人對花蓮慈院主管開示,世間事物有利也有害,要過濾不好的成分,讓好的部分發揮作用。例如有毒性的植物當中,也有利益人體健康的成分,就需要專業人員好好研究,用於救人,這就是研究的價值。而人與人之間的合作也有同樣的道理,有的人很強勢,但再強勢也難以服眾;有人態度溫和,能用溫言軟語說服人。要用心陪伴、聆聽分享,從互動中了解各自的品格,找到能夠一起共事的人,合力完成對人間有益的事。

「其實人無完人,脾氣不好的也不是壞人,是需要有人關懷他,耐心『牽成』(編按:閩南語,意為提拔、栽培),讓他理解為善最樂;若是不好的事情,引導他深思,這對人類、對環境有危害,就會浮起良知,加以注意。大家各有專精,在不同的領域,要會合各自的長才,共同利益人間。」

上人談到,自從創立慈濟以來,面對很多境界,做得很辛苦,但是認定應該做的事情,突破艱難去做到了,感受就是幸福。「慈濟在做的事,依賴這麼多人,同心同願,共同為人間付出,身體雖辛苦,但覺得幸福,因為我們共同造福人間,讓大眾平安,我們自己也心安歡喜,這就是功德回向。」

「現在國際間有很多天災人禍造成的苦難,這些苦難其實是來自於眾生的業力。」上人指出,要教育人人每天發一念心,如同過去日存五毛錢的「竹筒歲月」,現在慈濟人在各社區推動「富有愛心店」,是為了募心而非募款,讓顧客知道投入零錢,是在做善事。「人人本具善心,而這分有善心的愛要去哪裏付出?有的人想要捐款,但沒有因緣,這就是一個機會,他們聽到慈濟,進而成為慈濟會員。」上人表示,這就是化善為愛,也是弘法利生;善,即是淨化人心,也是「慈濟」的源頭,而五毛錢的善心在此時已擴及國際間。

上人亦談到,因為不捨貧病無醫之苦,所以再如何辛苦也甘願去做。「雖然走過很坎坷的路,但是無論如何,我還是很堅持做對的事。當時東部最欠缺、最需要的是醫療,慈濟醫院蓋在這裏,就是要救人。人生最苦就是身有病痛,醫療真正能為其拔苦,而拔除病苦就叫作功德,也是人生的價值。」

活到老要學到老

聆聽慈濟大學主管報告後,上人開示,學無止境,人生自幼年到老年,都需要學習,「長照班」也可以讓身心健康的年長者參與;偏鄉的老人家若要外出,交通不便,又沒有兒孫在旁照顧,需要有人經常去探望,因應他們的需求而給予協助,若能就地培養長照人才,就能及時走入這些長者的家,關心、照顧他們。

上人說,現在的社會,長者獨居或兩老相依的家庭很多,要達到「老有所養」,讓老人家都有依靠,除了政府與民間團體為老年長照投入力量,還要加強孝道教育,讓年輕人有反哺之心。「父母恩重難報,回報父母恩是人的本分;要教育年輕人不能只是向外追逐利益,忘記了腳踏的這一片土地,忘記了培養自己成長、升學的這一群人。學歷再高,人的品質、品格都要顧好;讓孩子學得實用且有益於社會的才能,這就是我們的教育重點。」

六月十九日於教育志策會中,上人提到除了加強培養長照人才,也要維繫人倫親情,提倡孝道,以使「老有所養」;現今社會繁榮進步,是老年人在中壯年時努力所成就的,年輕人要以感恩、尊重心愛護與照顧他們。

「現在的教育實在很令人擔心,就因為擔心,我們才更要篤定方向,維持我們的教育質量,要讓人間有光明的希望,不要讓希望之光黯淡。雖說少子化影響招生,不過我們除了持續用心於對孩子的教育,也可以開設長青教育,幫助年長者維持身心健康,讓他們活到老、學到老。」

「活到老要學到老,何況佛法說『萬般帶不去,唯有業隨身』,業就是業識,要讓好的意念常存在意識中,生生世世都行於善道。教育要提升人們的思考力,一直往善的方向思考,在八識田中播下善種子,遇到困難時,懂得善解,解開了煩惱,面向著光明的希望。」上人指出教育是希望工程,要為人間許一個希望的未來,就要提升人心的境界,提高人品的質量。

有鑑於護理人員流失是醫界普遍的問題,上人表示,要讓選擇就讀護理學系的學生提升價值觀,能夠「守志奉道」,篤定志向、負起使命;畢業之後,要「學有所用」,不論是在醫療崗位上或是長照單位,都能運用所學照護病人、年長者。

「老、病,都是人生自然法則,很需要醫療照顧,而我們要教育的醫療人員,是真誠守護生命、守護健康、守護愛。其實不只有醫療人員,其他領域的教育也很注重品格的養成,要善良、有愛。雖然人間的普遍現象都是為了自己而圖利、牟利,甚至損害他人而利益自己,這是人性的沒落,很需要教育來提升人生的價值,引導學子培養愛與善。」

上人期待慈濟教育人文可以普及天下,讓天下眾生得以普遍接受愛的教育,這需要用很長的時間,最重要的是現在的教育志業,要從起點就做得很扎實,並且會合四大志業的力量,才能向全球普遍推展,延續到未來。如果這一代沒有做好、帶動好,未來就會力量分散而難以為繼。事在人為,一代傳一代,只要這一代做得好,下一代也能依循方向繼續努力,讓未來永遠有希望。

「雖然我們的力量很微弱,但是幾十年來也做出了成績,在黑暗中看到了微光。哪怕是一隻螢火蟲,只要有一整群,也是夜空中的美景。不要輕看自己,還要招呼志同道合的人,借人的光、借人的福,彼此相照,將孤單的微弱力量變成群體的大力量,群策群力,成就光明的人間。」

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。

十日 幸福感與成就感

6.10《農五月‧十五》

【靜思小語】為利益人群而甘願辛苦,付出無所求得歡喜自在。

信念堅定,心境永恆

已至農曆五月十五日,上人於早課後開示:「時時面對著大家,我都是以面對菩薩的心向大家說話,對人人心存敬重。修行者放下小家庭,走上出家這條殊勝的道路,分秒都要精進,不可慢慢地一寸一寸走,要跨大步往前走。自從我起了一念心做慈濟,已經將近六十年了,這一路走來,看著沿路風光,有的很美、很明亮,廣闊大地有茂盛的寶樹,或是七寶池開滿蓮花,這些美景都在我們的心裏。」

上人說,因為眾生心無明,而致人間濁亂不堪。大家既知身在濁世,故而選擇佛陀指引的方向,走這條能夠通往淨土的大道,有黃金鋪地、七寶行樹,有清淨蓮池,也有七寶佛塔。「你們時常會在經典中讀到這麼美好的境界,例如《法華經》提到多寶佛塔湧出,佛教徒到印度朝聖時,可以看到靈鷲山旁邊有一座山,據說就是多寶佛塔出現之處。雖然我們距離佛世有二千五百多年,但是佛經上提到的地點,現在還能找得到遺跡,可以加強我們的信心。」

「靈鷲山是佛陀講《法華經》的地方,我時時都以靈鷲山為我永久的道場,所以我念念靈鷲山。我將我的心境向大家分享,大家也願意相信,我們的修行道場就是靈鷲山,在佛陀講《法華經》的地方,我們身心就在當地,樹木茂盛,天天看著太陽自東邊浮上山頭,佛陀就在山上說法。」

「就像現在也是太陽初升,照著我們的道場,這就是人間實境;精舍與菩提迦耶的緯度是一樣的,雖然有形的距離很遠,不過我們修行的道場與佛陀成道處是一直線,我們也是面向東方。每次我走出來,要到主堂時,看到外面日出,心靈就浮起佛陀覺悟時的境界。」

「雖然時日不斷過去,但是莊嚴的境界永遠在心裏,心境永恆,只要我們有『信』,信心、信念堅定,境就在。請大家用虔誠信心修《法華經》,行菩薩道就是修法華道場的清淨行,入人群利益眾生,大家要虔誠,多用心啊!」

生活克難,不貪不染

新加坡蕭慈力師姊、莫濟協師兄報告精舍六十周年策展概念規畫。上人說起早期的常住生活非常刻苦,即使是一條棉被的被單,也是用零碎的布拼接而來。回顧當時,也覺得很佩服,跟著自己修行的常住師父們,即使物資生活很匱乏,也很甘願。

「雖然我們做慈濟,在救濟貧困人,但是自己的生活也很辛苦,不過大家意志堅定,守志奉道,就這樣走過來。現在師父也要大家守志奉道,要堅持為天下眾生而付出的一念心,這就是道心。儘管比起過去那樣地克難,現在的修行生活很有福,人數也增加了,不過這都是最早的那一群人,甘願從克難中的辛苦生活走過來,點點滴滴累積所成就的;我更感恩的是大家毫無貪念,堅守慈濟功德會的資源就是用於慈善救助。」

「只要慈濟有需要,修行者耐苦、耐餓、耐寒,都要供應,或付出心力,這就是守志;我們的志願就是要行菩薩道,『守志奉道,其道甚大』,我很佩服、很感恩這一群與師父有志一同的修行者。走過了一甲子的路,很有成就感,那分成就感來自大家不貪不染,為眾生做那麼多事。」

「當初勸募每人每天五毛錢,點滴不漏,買一斗米、二斗米給予需要的人,直到現在,從臺灣到國際間,慈濟已經蓋了幾所醫院、幾所學校,還有慈濟大愛村;即使國際間的慈濟人離我很遙遠,但凡我想到,他們就去做到,這就是慈濟人的願力。我真的很感恩慈濟人,他們對師父的真誠、服從,刻苦耐勞,距離再遠,他們也去付出。最近看著回顧早期國際賑災的影片,當時他們還年輕,那麼帥、那麼漂亮,現在白髮蒼蒼,已現老態,但是志業道路都是他們鋪出來的。」

上人說,從慈濟創立以來,農曆每個月二十四日就是發放日,誦《藥師經》;近幾年,認為《無量義經》就是慈濟的精神。「當年是救貧、救苦、救病、救難,所以誦《藥師經》;現在要淨化人心、祥和社會,我就講《無量義經》,因為《無量義經》教育做人的大道理,若能懂得做人的道理,心就淨化了,啟發精神理念,真誠為人群付出。所以我教大家要生活在『無量義』之中,以增長智慧,這就是慈濟的法。」

看到協力廠二期建築的相片,上人肯定空間規畫完整,也想起當初在小木屋的生活,覺得不可思議。協力廠是靜思道場修行生活所依,這二百多位修行者不僅自食其力,也能招呼從世界各地回來的慈濟人溫馨共聚。

「精舍就是慈濟人的家,慈濟人回來,總是跟著常住出坡,去勞動、做農務等等,都是抱著要回家幫忙做家事的心投入,這裏就是大家庭,也是靜思法脈的起源地。靜思法脈勤行道,所以我們很勤勞,用心努力;慈濟宗門人間路,要用佛法利益人群,就需要有社會人士走進慈濟,力行菩薩道。精舍的修行者總是付出再付出,不說辛苦,而是說幸福,因為大家付出無所求,彼此感恩,得到幸福與歡喜的感受,這就是法樂;雖然身體勞動會疲累,不過心靈總是歡喜自在。」上人亦交代常住師父,工廠裏有機器,動線要讓大家操作順暢,周圍要乾淨且有人文氣息,並請濟協師兄與慈力師姊與常住多互動,共同為了這個家而用心。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。

6.10《農五月‧十五》

【靜思小語】為利益人群而甘願辛苦,付出無所求得歡喜自在。

信念堅定,心境永恆

已至農曆五月十五日,上人於早課後開示:「時時面對著大家,我都是以面對菩薩的心向大家說話,對人人心存敬重。修行者放下小家庭,走上出家這條殊勝的道路,分秒都要精進,不可慢慢地一寸一寸走,要跨大步往前走。自從我起了一念心做慈濟,已經將近六十年了,這一路走來,看著沿路風光,有的很美、很明亮,廣闊大地有茂盛的寶樹,或是七寶池開滿蓮花,這些美景都在我們的心裏。」

上人說,因為眾生心無明,而致人間濁亂不堪。大家既知身在濁世,故而選擇佛陀指引的方向,走這條能夠通往淨土的大道,有黃金鋪地、七寶行樹,有清淨蓮池,也有七寶佛塔。「你們時常會在經典中讀到這麼美好的境界,例如《法華經》提到多寶佛塔湧出,佛教徒到印度朝聖時,可以看到靈鷲山旁邊有一座山,據說就是多寶佛塔出現之處。雖然我們距離佛世有二千五百多年,但是佛經上提到的地點,現在還能找得到遺跡,可以加強我們的信心。」

「靈鷲山是佛陀講《法華經》的地方,我時時都以靈鷲山為我永久的道場,所以我念念靈鷲山。我將我的心境向大家分享,大家也願意相信,我們的修行道場就是靈鷲山,在佛陀講《法華經》的地方,我們身心就在當地,樹木茂盛,天天看著太陽自東邊浮上山頭,佛陀就在山上說法。」

「就像現在也是太陽初升,照著我們的道場,這就是人間實境;精舍與菩提迦耶的緯度是一樣的,雖然有形的距離很遠,不過我們修行的道場與佛陀成道處是一直線,我們也是面向東方。每次我走出來,要到主堂時,看到外面日出,心靈就浮起佛陀覺悟時的境界。」

「雖然時日不斷過去,但是莊嚴的境界永遠在心裏,心境永恆,只要我們有『信』,信心、信念堅定,境就在。請大家用虔誠信心修《法華經》,行菩薩道就是修法華道場的清淨行,入人群利益眾生,大家要虔誠,多用心啊!」

生活克難,不貪不染

新加坡蕭慈力師姊、莫濟協師兄報告精舍六十周年策展概念規畫。上人說起早期的常住生活非常刻苦,即使是一條棉被的被單,也是用零碎的布拼接而來。回顧當時,也覺得很佩服,跟著自己修行的常住師父們,即使物資生活很匱乏,也很甘願。

「雖然我們做慈濟,在救濟貧困人,但是自己的生活也很辛苦,不過大家意志堅定,守志奉道,就這樣走過來。現在師父也要大家守志奉道,要堅持為天下眾生而付出的一念心,這就是道心。儘管比起過去那樣地克難,現在的修行生活很有福,人數也增加了,不過這都是最早的那一群人,甘願從克難中的辛苦生活走過來,點點滴滴累積所成就的;我更感恩的是大家毫無貪念,堅守慈濟功德會的資源就是用於慈善救助。」

「只要慈濟有需要,修行者耐苦、耐餓、耐寒,都要供應,或付出心力,這就是守志;我們的志願就是要行菩薩道,『守志奉道,其道甚大』,我很佩服、很感恩這一群與師父有志一同的修行者。走過了一甲子的路,很有成就感,那分成就感來自大家不貪不染,為眾生做那麼多事。」

「當初勸募每人每天五毛錢,點滴不漏,買一斗米、二斗米給予需要的人,直到現在,從臺灣到國際間,慈濟已經蓋了幾所醫院、幾所學校,還有慈濟大愛村;即使國際間的慈濟人離我很遙遠,但凡我想到,他們就去做到,這就是慈濟人的願力。我真的很感恩慈濟人,他們對師父的真誠、服從,刻苦耐勞,距離再遠,他們也去付出。最近看著回顧早期國際賑災的影片,當時他們還年輕,那麼帥、那麼漂亮,現在白髮蒼蒼,已現老態,但是志業道路都是他們鋪出來的。」

上人說,從慈濟創立以來,農曆每個月二十四日就是發放日,誦《藥師經》;近幾年,認為《無量義經》就是慈濟的精神。「當年是救貧、救苦、救病、救難,所以誦《藥師經》;現在要淨化人心、祥和社會,我就講《無量義經》,因為《無量義經》教育做人的大道理,若能懂得做人的道理,心就淨化了,啟發精神理念,真誠為人群付出。所以我教大家要生活在『無量義』之中,以增長智慧,這就是慈濟的法。」

看到協力廠二期建築的相片,上人肯定空間規畫完整,也想起當初在小木屋的生活,覺得不可思議。協力廠是靜思道場修行生活所依,這二百多位修行者不僅自食其力,也能招呼從世界各地回來的慈濟人溫馨共聚。

「精舍就是慈濟人的家,慈濟人回來,總是跟著常住出坡,去勞動、做農務等等,都是抱著要回家幫忙做家事的心投入,這裏就是大家庭,也是靜思法脈的起源地。靜思法脈勤行道,所以我們很勤勞,用心努力;慈濟宗門人間路,要用佛法利益人群,就需要有社會人士走進慈濟,力行菩薩道。精舍的修行者總是付出再付出,不說辛苦,而是說幸福,因為大家付出無所求,彼此感恩,得到幸福與歡喜的感受,這就是法樂;雖然身體勞動會疲累,不過心靈總是歡喜自在。」上人亦交代常住師父,工廠裏有機器,動線要讓大家操作順暢,周圍要乾淨且有人文氣息,並請濟協師兄與慈力師姊與常住多互動,共同為了這個家而用心。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

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二十二日 行善行孝並重

6.22《農五月‧二十七》

【靜思小語】行善、行孝並進,若只有行善而忘了行孝,只是做一半。

伸出雙手,牽出五百人

高雄說法傳法團隊成立十周年,返回精舍與上人座談。上人說,聽到慈濟人發心立願,是對自己最好的打氣,給予自己一股很大的支持力量;不只在口頭發願,有心最重要、有願就有力量,要憑著虔誠的心願,發揮願力不斷精進。

「有誠意的願才有力,如同〈爐香讚〉:『誠意方殷,諸佛現全身』,只要我們虔誠,諸佛菩薩就會來聽我們的心聲,聽聽凡夫心有沒有上菩提道?有沒有精進?發心立願行菩薩道,前腳踏出去,後腳跟著前進,一步一步踏實走。千里之路始於初步,何況菩薩道長遠,要生生世世不斷往前走。眾生煩惱無盡,我們在人間走菩薩道,要應機對眾生說法,不是空口說白話,而是真正伸出雙手,牽著他們往前走。」

「不只是五百人牽五百人,要相信自己的雙手可以牽出五百人;我們伸出雙手,自然會有一千隻手往我們發願的方向共同出力。要有這麼多人來響應,平時就要與人人結好緣。要與人結好緣,就要靠我們的誠意;我們說話有誠意,做事很實在,這分誠意讓人看到、感受到,從而在人群中建立信心,才能讓人聽得進我們所說的話,願意跟著我們走,這就是我們的『信眾』。每一個人都有信眾,你們要去度信你們的人,把人人的信眾聚集過來,共同走慈濟這條現代人間的大菩提道。」

上人說,佛陀覺悟成道之後,走入人群度眾生,最初是向五比丘說四諦法,漸漸地走向更廣的範圍,接觸到愈多人,接引更多人來聞法修行;遇到來問難的外道教,對他們說真實法,引導他們轉邪為正,讓不同道場的修行人歸於正法,佛教的道路就是這樣走出來的。「我們現在傳法,也要學習佛陀,就如你們看到人就說慈濟,也有海內外的團體來參訪,聽你們說慈濟,相信他們會很信服慈濟人腳踏實地的菩薩行,這就是用真實法度人。」

「你們的法源自師父,在不同的地方發揮良能;不論是井水、泉水、溪水、河水,其實水性是一,還是慈濟法,是佛陀度眾生的法,教導慈悲喜捨─慈是無緣大慈,悲是同體大悲。即使素無瓜葛,但是有緣接觸到了,我們就要把種子傳給他們,為他們耕耘心田、播下種子,陪伴種子發揮生命力,還要除草施肥,讓苗芽健康成長,開花結果,再產生許多種子。」

上人用種花生的方法譬喻傳法,在犁地之後,將花生種子播入土中,覆土還要用腳把土踏得緊實,讓種子發芽後努力掙脫土壤,長得健壯;培養到開花以後,果實在土中成熟,看到植株落葉,就知道可以收成了。「我們要盡形壽、獻身命,就像師父現在,如同花生在地面下已經很成熟了,這株花生的葉子、根漸漸要枯萎,盼望的就是地下這一串果實結得飽滿。每一個豆莢有二、三粒花生,這一串拔起來,就有幾十粒、上百粒花生,大多數供應人們作為生活資糧,留下少數種子到下一季播種。」

「師父要你們說法傳法,就要用這樣的方法,說活的法,隨眾生根機而化度。植物有生機,人也要用心機。有心機並非不懷好意,只要用得對,正思、正念、正見、正行,就能讓人間生機蓬勃;不是雜草叢生的生機,而是像花生、稻穀這些糧食作物,可以不斷供應人間。」

聞法入心,再鋪入人間

上海趙明師兄、凌俏師姊等人報告社區共善耕耘成果。上人欣言:「你們聞法之後法入心,又將法鋪入人間;現在回來與師父分享,好像我又聽了一次我說的法,等於你們將從我這裏聽的法用出去以後,再回向給師父,讓我感覺法喜充滿,得到法的供養,也見證你們所做的是對的。」

「行善、行孝不能等,生命總是隨著時間消失,這是自然法則,可是我們能夠讓慧命不斷成長,就要把握生命去做對的事。就如我經常提起種花生,種子播入土中,還要用腳把土夯實,讓花生發芽以後,從地底下用力掙扎而冒出土面,才能長得健壯,不久就能收成一大串花生。我們聞法,將一顆法的種子播入心田,接著要為心地除雜草,將煩惱無明除得乾乾淨淨,讓種子吸收養分,在環境的歷練中成長茁壯。」

上人指出,行善、行孝要平行並進,若只有行善而忘了行孝,只是做一半,如同將地面上的花生植株照顧得很好,卻忽略在地底下的根以及果實,無法有好收成。所以要行善、行孝並重,造福人間同時增長智慧,福慧雙修。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。

本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。

6.22《農五月‧二十七》

【靜思小語】行善、行孝並進,若只有行善而忘了行孝,只是做一半。

伸出雙手,牽出五百人

高雄說法傳法團隊成立十周年,返回精舍與上人座談。上人說,聽到慈濟人發心立願,是對自己最好的打氣,給予自己一股很大的支持力量;不只在口頭發願,有心最重要、有願就有力量,要憑著虔誠的心願,發揮願力不斷精進。

「有誠意的願才有力,如同〈爐香讚〉:『誠意方殷,諸佛現全身』,只要我們虔誠,諸佛菩薩就會來聽我們的心聲,聽聽凡夫心有沒有上菩提道?有沒有精進?發心立願行菩薩道,前腳踏出去,後腳跟著前進,一步一步踏實走。千里之路始於初步,何況菩薩道長遠,要生生世世不斷往前走。眾生煩惱無盡,我們在人間走菩薩道,要應機對眾生說法,不是空口說白話,而是真正伸出雙手,牽著他們往前走。」

「不只是五百人牽五百人,要相信自己的雙手可以牽出五百人;我們伸出雙手,自然會有一千隻手往我們發願的方向共同出力。要有這麼多人來響應,平時就要與人人結好緣。要與人結好緣,就要靠我們的誠意;我們說話有誠意,做事很實在,這分誠意讓人看到、感受到,從而在人群中建立信心,才能讓人聽得進我們所說的話,願意跟著我們走,這就是我們的『信眾』。每一個人都有信眾,你們要去度信你們的人,把人人的信眾聚集過來,共同走慈濟這條現代人間的大菩提道。」

上人說,佛陀覺悟成道之後,走入人群度眾生,最初是向五比丘說四諦法,漸漸地走向更廣的範圍,接觸到愈多人,接引更多人來聞法修行;遇到來問難的外道教,對他們說真實法,引導他們轉邪為正,讓不同道場的修行人歸於正法,佛教的道路就是這樣走出來的。「我們現在傳法,也要學習佛陀,就如你們看到人就說慈濟,也有海內外的團體來參訪,聽你們說慈濟,相信他們會很信服慈濟人腳踏實地的菩薩行,這就是用真實法度人。」

「你們的法源自師父,在不同的地方發揮良能;不論是井水、泉水、溪水、河水,其實水性是一,還是慈濟法,是佛陀度眾生的法,教導慈悲喜捨─慈是無緣大慈,悲是同體大悲。即使素無瓜葛,但是有緣接觸到了,我們就要把種子傳給他們,為他們耕耘心田、播下種子,陪伴種子發揮生命力,還要除草施肥,讓苗芽健康成長,開花結果,再產生許多種子。」

上人用種花生的方法譬喻傳法,在犁地之後,將花生種子播入土中,覆土還要用腳把土踏得緊實,讓種子發芽後努力掙脫土壤,長得健壯;培養到開花以後,果實在土中成熟,看到植株落葉,就知道可以收成了。「我們要盡形壽、獻身命,就像師父現在,如同花生在地面下已經很成熟了,這株花生的葉子、根漸漸要枯萎,盼望的就是地下這一串果實結得飽滿。每一個豆莢有二、三粒花生,這一串拔起來,就有幾十粒、上百粒花生,大多數供應人們作為生活資糧,留下少數種子到下一季播種。」

「師父要你們說法傳法,就要用這樣的方法,說活的法,隨眾生根機而化度。植物有生機,人也要用心機。有心機並非不懷好意,只要用得對,正思、正念、正見、正行,就能讓人間生機蓬勃;不是雜草叢生的生機,而是像花生、稻穀這些糧食作物,可以不斷供應人間。」

聞法入心,再鋪入人間

上海趙明師兄、凌俏師姊等人報告社區共善耕耘成果。上人欣言:「你們聞法之後法入心,又將法鋪入人間;現在回來與師父分享,好像我又聽了一次我說的法,等於你們將從我這裏聽的法用出去以後,再回向給師父,讓我感覺法喜充滿,得到法的供養,也見證你們所做的是對的。」

「行善、行孝不能等,生命總是隨著時間消失,這是自然法則,可是我們能夠讓慧命不斷成長,就要把握生命去做對的事。就如我經常提起種花生,種子播入土中,還要用腳把土夯實,讓花生發芽以後,從地底下用力掙扎而冒出土面,才能長得健壯,不久就能收成一大串花生。我們聞法,將一顆法的種子播入心田,接著要為心地除雜草,將煩惱無明除得乾乾淨淨,讓種子吸收養分,在環境的歷練中成長茁壯。」

上人指出,行善、行孝要平行並進,若只有行善而忘了行孝,只是做一半,如同將地面上的花生植株照顧得很好,卻忽略在地底下的根以及果實,無法有好收成。所以要行善、行孝並重,造福人間同時增長智慧,福慧雙修。

《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。

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