苦楽を共にする人生で 自分の幸福を祈ってください

(絵・陳九熹)

人生は苦ばかりと言いますが、お互いに関心を寄せ合いながら暮らしていれば幸福と言えます。

自分自身を祝福しましょう。日々良い人と一緒に、よい言葉を聞き、善いことをしてください。更に自分が行って来た善行を共有すれば、それを振り返るほど、嬉しくなるでしょう。

六月、行脚のために花蓮を離れて、南回りで北まで充実した三十一日間を過ごしました。皆さんの人生を見つめ直す話は、聞けば聞くほど喜びを感じるのです。皆さんが幸いにも慈済に参加し、慈済が世界中に残した足跡にはその諸々を見ることができ、慈済が支援した衆生には、皆さんの貢献が見て取れます。私も過去を振り返り、「幸いなことに、とても価値のある人生でした」と自分に言い聞かせています。

慈済人が地域道場と慈済病院を守っているのを見ると、愛の力はとても強固であることが分かり、何十年も変わっていません。また、環境保全ボランティアは早朝から出かけて、時間を気にかけることもなく、見返りを求めず奉仕するだけでなく、心から「感謝します」と言います。その功徳は、実に計り知れないものです。また、途中で菩薩の皆さんの精進した話を聞き、高齢や貧困、病に苦しんでいる人を目にします。ベテランボランティアとして、三、四十年にわたって慈済に参加していますが、心して一途に慈済の志業に投入し、たとえ体は衰えても、慧命は中断することなく、慈済精神を維持し続けており、誠に心強いばかりです。もちろん残念なこともあります。病気で会いに来られない人もいますし、もう会えない人もいます。弟子が先に逝ったことを聞くと、本当に名残惜しいものです。しかし、智慧を働かせ、全ては自然の法則であると自分に言い聞かせています。そして、弟子が自在に行き来し、安らかで自在になり、気にかけることも悩みもなくなるよう、敬虔に祝福してあげるのです。

人生に悔いは残っても、今まで長い年月をかけて、私たちが共通の愛の心を結集して来たからこそ、世界中に慈済が広まったのです。私たちは皆、この人生を価値のあるものにして来ました。仏法に出会い、慈済に加わり、人間(じんかん)の菩薩道で励んでいます。命は、一日過ぎると一日減りますが、慧命は成長しており、世代から世代へと受け継いで、愛の歴史を作り続けるのです。

人生には節目があり、若い時は立ち止まることなく勉強し、正しい考えを認識できるようになるのが、最も幸せなことです。現代社会の趨勢は、若者は進学や就職に家を離れ、そして新しい家庭を築き、年長者は、一人暮らしや老夫婦で生活しています。少年から中年、そして老齢期になる過程では、楽しいながらも多くの人は煩悩を抱えています。貧しい人も裕福な人も、思い通りにならないことはたくさんあります。人生は苦ばかりと言いますが、人々がお互いに関心を寄せ合い、仲良く暮らしていけば、それで幸福だと言えます。

年齢を重ねるほど、一層時間を無駄にしてはいけません。リサイクルステーションや支部に行って、毎日良い言葉を口にし、成して来た善行の話をしながら、手を動かし、頭を働かせ、楽しくしていれば、自ずと健康になります。寿命は無量であるため、自信を持ち、その長さを気に掛けず、自分を祝福するのです。

「私は幸せです。毎日善人と会い、よい言葉を聞き、自分がして来た善行は覚えていてくれ、心には憂い事も不満もなく、満ち足りた心でいつも楽しい」と。

毎日皆さんの分かち合いを聞くのは、それぞれの家庭の「経」を聞くようなものです。或る家庭は事情がやや難解で、私の前に来ると、皆に向かって訴えます。そうすると、以前は自分が一番苦しいと思っていた人が、思いもよらず、もっと苦しい人がいることを知れば、甘んじて今の状況を受け入れよう、と思うようになるでしょう。煩悩を感謝に変え、自分を困らせた人が、自分を忍耐強い人間に変えてくれたことに感謝しましょう。

生の喜びと老の無力感は、人生の本質のようなものです。子供や孫ができると、とても喜び、孫が幼い時は、私たちの意見をまだ聞いてくれます。孫が成長するにつれ、私たちも世話がやける老人になります。しかし、人生は過ぎれば終わりなのではなく、福は増やしても、煩悩を増やしてはいけません。

もし、損得勘定が高く、先が見通せず、執着してばかりいるならば、常々障害が絶えず、苦しみ続けるでしょう。無明が増え続ければ、今生で苦しむだけでなく、悪縁が来世にもたらされ、更に苦しむことになるでしょう。人生は「風や雨」が付きものです。私たちは自分で風を遮り、雨を避けるところを見つけ、そして、無明を取り除く方法を学ばなければなりません。

行脚に同行した職員たちは毎晩、世界の様々な情報を整理して提供してくれました。自然界では四大元素のバランスが崩れ、人の心も調和せず、複雑に交差しています。即ち、「衆生の共業(ぐうごう、多くの生物に共通する果報を引き起こす業)」です。このようなことに対して、いつも感慨深いものがあり、私は、止まることなく、残された命を善用し、時間のある限り、より多くのことをしよう、と自分に警鐘を鳴らしています。

世の中には苦難が多く、いつも善と悪が綱引きをしていますが、善の力が大きければ、人は平穏に健康でいられます。しかし、もし悪の力が強ければ、善も引っぱられてしまいます。どうすればバランスが取れるのでしょうか?お互いに引っ張り合わず、愛で以て譲り合い、礼儀正しく、誠心誠意で接すれば、美しい世界を作り上げることができるのです。

地球の温暖化は深刻で、気温は上昇し続けています。私たちが使っている物は、殆どが大地を破壊して、それを切断したり、製造されたりして出来たものです。生活の利便性を享受しながらも、地球の生態系のことを忘れてはいけません。消費を減らし、質素な生活をし、殺生を無くして菜食をし、善行を多く行い、悪行を減らさなければいけません。愛のエネルギーは尽きることがなく、体力が続く限り、善行を続ければいいのです。皆さんの精進を願っています。

(慈済月刊六九三期より)

(絵・陳九熹)

人生は苦ばかりと言いますが、お互いに関心を寄せ合いながら暮らしていれば幸福と言えます。

自分自身を祝福しましょう。日々良い人と一緒に、よい言葉を聞き、善いことをしてください。更に自分が行って来た善行を共有すれば、それを振り返るほど、嬉しくなるでしょう。

六月、行脚のために花蓮を離れて、南回りで北まで充実した三十一日間を過ごしました。皆さんの人生を見つめ直す話は、聞けば聞くほど喜びを感じるのです。皆さんが幸いにも慈済に参加し、慈済が世界中に残した足跡にはその諸々を見ることができ、慈済が支援した衆生には、皆さんの貢献が見て取れます。私も過去を振り返り、「幸いなことに、とても価値のある人生でした」と自分に言い聞かせています。

慈済人が地域道場と慈済病院を守っているのを見ると、愛の力はとても強固であることが分かり、何十年も変わっていません。また、環境保全ボランティアは早朝から出かけて、時間を気にかけることもなく、見返りを求めず奉仕するだけでなく、心から「感謝します」と言います。その功徳は、実に計り知れないものです。また、途中で菩薩の皆さんの精進した話を聞き、高齢や貧困、病に苦しんでいる人を目にします。ベテランボランティアとして、三、四十年にわたって慈済に参加していますが、心して一途に慈済の志業に投入し、たとえ体は衰えても、慧命は中断することなく、慈済精神を維持し続けており、誠に心強いばかりです。もちろん残念なこともあります。病気で会いに来られない人もいますし、もう会えない人もいます。弟子が先に逝ったことを聞くと、本当に名残惜しいものです。しかし、智慧を働かせ、全ては自然の法則であると自分に言い聞かせています。そして、弟子が自在に行き来し、安らかで自在になり、気にかけることも悩みもなくなるよう、敬虔に祝福してあげるのです。

人生に悔いは残っても、今まで長い年月をかけて、私たちが共通の愛の心を結集して来たからこそ、世界中に慈済が広まったのです。私たちは皆、この人生を価値のあるものにして来ました。仏法に出会い、慈済に加わり、人間(じんかん)の菩薩道で励んでいます。命は、一日過ぎると一日減りますが、慧命は成長しており、世代から世代へと受け継いで、愛の歴史を作り続けるのです。

人生には節目があり、若い時は立ち止まることなく勉強し、正しい考えを認識できるようになるのが、最も幸せなことです。現代社会の趨勢は、若者は進学や就職に家を離れ、そして新しい家庭を築き、年長者は、一人暮らしや老夫婦で生活しています。少年から中年、そして老齢期になる過程では、楽しいながらも多くの人は煩悩を抱えています。貧しい人も裕福な人も、思い通りにならないことはたくさんあります。人生は苦ばかりと言いますが、人々がお互いに関心を寄せ合い、仲良く暮らしていけば、それで幸福だと言えます。

年齢を重ねるほど、一層時間を無駄にしてはいけません。リサイクルステーションや支部に行って、毎日良い言葉を口にし、成して来た善行の話をしながら、手を動かし、頭を働かせ、楽しくしていれば、自ずと健康になります。寿命は無量であるため、自信を持ち、その長さを気に掛けず、自分を祝福するのです。

「私は幸せです。毎日善人と会い、よい言葉を聞き、自分がして来た善行は覚えていてくれ、心には憂い事も不満もなく、満ち足りた心でいつも楽しい」と。

毎日皆さんの分かち合いを聞くのは、それぞれの家庭の「経」を聞くようなものです。或る家庭は事情がやや難解で、私の前に来ると、皆に向かって訴えます。そうすると、以前は自分が一番苦しいと思っていた人が、思いもよらず、もっと苦しい人がいることを知れば、甘んじて今の状況を受け入れよう、と思うようになるでしょう。煩悩を感謝に変え、自分を困らせた人が、自分を忍耐強い人間に変えてくれたことに感謝しましょう。

生の喜びと老の無力感は、人生の本質のようなものです。子供や孫ができると、とても喜び、孫が幼い時は、私たちの意見をまだ聞いてくれます。孫が成長するにつれ、私たちも世話がやける老人になります。しかし、人生は過ぎれば終わりなのではなく、福は増やしても、煩悩を増やしてはいけません。

もし、損得勘定が高く、先が見通せず、執着してばかりいるならば、常々障害が絶えず、苦しみ続けるでしょう。無明が増え続ければ、今生で苦しむだけでなく、悪縁が来世にもたらされ、更に苦しむことになるでしょう。人生は「風や雨」が付きものです。私たちは自分で風を遮り、雨を避けるところを見つけ、そして、無明を取り除く方法を学ばなければなりません。

行脚に同行した職員たちは毎晩、世界の様々な情報を整理して提供してくれました。自然界では四大元素のバランスが崩れ、人の心も調和せず、複雑に交差しています。即ち、「衆生の共業(ぐうごう、多くの生物に共通する果報を引き起こす業)」です。このようなことに対して、いつも感慨深いものがあり、私は、止まることなく、残された命を善用し、時間のある限り、より多くのことをしよう、と自分に警鐘を鳴らしています。

世の中には苦難が多く、いつも善と悪が綱引きをしていますが、善の力が大きければ、人は平穏に健康でいられます。しかし、もし悪の力が強ければ、善も引っぱられてしまいます。どうすればバランスが取れるのでしょうか?お互いに引っ張り合わず、愛で以て譲り合い、礼儀正しく、誠心誠意で接すれば、美しい世界を作り上げることができるのです。

地球の温暖化は深刻で、気温は上昇し続けています。私たちが使っている物は、殆どが大地を破壊して、それを切断したり、製造されたりして出来たものです。生活の利便性を享受しながらも、地球の生態系のことを忘れてはいけません。消費を減らし、質素な生活をし、殺生を無くして菜食をし、善行を多く行い、悪行を減らさなければいけません。愛のエネルギーは尽きることがなく、体力が続く限り、善行を続ければいいのです。皆さんの精進を願っています。

(慈済月刊六九三期より)

關鍵字

善と悪の綱引き 迷いと悟りの間で

ホームシックになった人が、刑務所から出て間もないというのに、再び罪を犯して、刑務所に戻ってしまうのはなぜだろうか?

蔡美恵(ツァイ・メイフェイ)さんは、二十年前に抱いていた疑問を解決しようと、ケア活動に参加した。彼女の所属するボランティアチームは、まるで菩薩が娑婆の世界を行き来するように、闇と混乱に囚われた心を仏法の灯で照らすため、刑務所を往復している。

慈済ボランティアは定期的に屏東刑務所で読書会を行っている。2013年、人助けしたいという受刑者が、切手を寄付した。

屏東にある小さな寝具店。ベッドや寝具が並べられているが、一般と大きく違うのは、端正な筆文字で書かれた『般若心経』や、厳かな顔の菩薩像などの掛け軸が壁一面に飾られていることだ。

「これらの書画は獄中の『受刑中の菩薩』から贈られたものです。店内の壁に飾りきれないほどの数があって、多くは巻物にしてしまってあります」と店主の蔡さんが笑顔で語った。

蔡さんは、十二年近く刑務所の受刑者を世話してきた慈済ボランティアである。きっかけは二十年前、出所後再び罪を犯してすぐに戻ってしまうというニュースを数日間続けてテレビで見た時だった。

突然、慈悲心が芽生え、「彼らは刑期中、とてもホームシックになったはずなのに、なぜ出所すると、繰り返し罪を犯すのだろう」と彼女は思った。信仰の拠り所を見つけられなかったからに違いないと推測した。当時、彼女はまだ慈済委員として認証を授かっていなかったが、既に證厳法師の開示を聞いており、「受刑者の人々と友達になって、彼らが自分を肯定し、未来を創造する自信を築けるよう、刑務所を訪ねる機会が得られるように!」と心の中で願った。

二〇〇九年、蔡さんは願いが叶って、慈済人になった。翌年、屏東区教師懇親会の窓口である徐雲彩(シュー・ユンツァイ)さんが刑務所ケアの任務を引き継ぎ、蔡さんを誘った。驚きと喜びの中、八年間も心の中に抱いていた思いは口に出さなかったが、縁とは不思議なもので、彼女は即座に「やります」と誓った。

二〇一一年、彼女らは「信じる力」チームを結成し、毎月、屏東刑務所で読書会を開いた。「善行と親孝行は待ったなし」、「布施は金持ちの特権ではなく、志がある人が参加して行うもの」などの静思語が、徐々に善の効果を表し始めた。受刑者たちが切手を寄付したことで、チームは切手の貯金箱を設計した。更に額面千四百元という、彼らの半年間の刑務作業手当に相当する手形を二枚も受け取ったことがあった。蔡さんは、彼らの服役期間は変えられないが、心を入れ変えて、迷いから悟りへと変わる手伝いをしたい、と言った。十二年間通い続け、既に六人もの受刑者が、出所後、慈済の慈誠隊員になった。

罪の代償は辛いもの

一通の手紙が蔡さん宛てに送られてきたことで、ケアチームに特別な任務が与えられた。

「美恵菩薩師姐へ、私事で言うべきかどうか散々悩みました。家の事なのですが、祖母が転んで怪我してしまいました。刑務所にいて何もできない自分をすごく責めています。できることなら、師姐が私の代わりに様子を見に行ってくれないでしょうか」。何度も薬物使用を繰り返した阿盛からの手紙だった。

二〇一六年に遡って、彼は刑務所内で、あるニュースを見たそうだ。慈済ボランティアが台風被災者を訪問した時のもので、彼の故郷を訪れていたのだ。写真に隣のお婆さんの姿が写っていたが、会いたかった祖母の姿がなかったので、心配になった。そして、初めてボランティアが彼の代わりに家庭訪問をしてくれた。

今回、ケアチームのボランティアは、屏東県内埔から一番南端の恒春まで、七つほどの町を通らなければならなかった。以前一度訪れたことはあったが、車は再び田舎道で迷ってしまい、カーナビを使って暫く探して、やっと阿盛の実家を見つけた。

「おばあちゃん!まだ私たちのことを覚えていますか?」 と蔡さんがドアから暗い室内に向かって声を掛けた。中から黒ずんだ手が伸びてきて、蔡さんの手に重ねた。「また来てくれたのかい!」。お祖母さんは笑顔を浮かべて出て来ると、頷きながら、「この前は、うちの阿盛のことで来たのだったね」と言った。

ボランティアたちは、ポーチの椅子に座ると、「平安」の文字のストラップを取り出してお祖母さんに贈った。「文字の下の方に小さな鈴が付いています。平安が訪れますよ」。蔡さんは、お祖母さんが手に持った赤いストラップは、生気のない孤独な日々に彩りを添えたようだ、と思った。

「この前、私たちが来た時、おばあちゃんの写真を撮ったことを覚えていますか?その写真を現像して阿盛に見せたら、大喜びしていましたよ」。蔡さんは、お祖母さんの肩に腕を回しながら言った。

「おばあちゃんの写真を見たら、会いたいと言って泣き続けていました」。

お祖母さんはため息をついて、仕方なさそうに首を横に振りながら言った。

「物事の善悪が分からない子で、心配ばかり掛けるのです」。

蔡さんはお祖母さんを慰めながら言った。

「彼はおばあちゃんにとても会いたがっています。ですから、おばあちゃんも彼を祝福してあげてください。今日もおばあちゃんの写真を撮って、阿盛に見せてあげますからね。おばあちゃんは九十歳でも、まだとても健康で、穏やかに暮らしていることも、伝えますから」。

蔡さんが焼きそばを作って持って来たので、みんなで家族のように、お祖母さんと食べながらおしゃべりをした。普段は静かな家が、温かい言葉で愛の温もりに満ち溢れた。

家族の思いが伝わらない苦しさ

「誰かいらっしゃいますか」。蔡さんたちは、遠路はるばる、受刑者阿鋭の家にたどり着いた。二年前に阿鋭のお父さんが亡くなった時、阿鋭は葬儀に参列できなかったので、ボランティアに頼んで、写経したものを家へ持って帰ってもらうことで、父親の冥福を祈った。

阿鋭の長兄に会うと、母親に会わせてほしいと蔡さんが訪問の意を伝えたが、残念なことに母親は手術のために入院していた。長兄は黙ったままで、顔は低く被った帽子のつばに隠れて半分しか出していなかったので、表情はよく見えなかった。

「お兄さんは、阿鋭の刑期がどれくらいかご存知ですか?」と蔡さんが小声で聞いた。

すると長兄は、「彼のことには全く興味がありません!」。阿鋭が刑務所入りを繰り返していたので、ほとんど諦めていたのだった。「私たちは三人兄弟で、あの子は末っ子ですが、一番性根が悪いのです。今度は違法薬物を販売したのですから、長いですよ。七年半です!」

その家庭は、母親が入院していて、祖母は認知症で、阿鋭の兄嫁が亡くなったばかりだった。主に責任を担っている長兄は、本当に心身ともに疲れきっているようだった。寄り添ってここまでに来てくれたボランティアたちを前に、長兄はもう耐えられなくなり、震える声で言った。

「彼が悔い改めてさえくれれば、それで十分だ、と彼に伝えてください」。無力感と心の痛みの全てが、この瞬間に涙となって流れ出した。

「分かりました。代わりに伝えます。悔い改めるように、と。お兄さんも体に気を付けてください!お母さんとお祖母さんはあなたが頼りですし、弟さんと妹さんも同じです」と、蔡さんは長兄の手を握りながら、優しく慰めた。長兄は涙を拭いて言った。

「この一言だけ伝えてくれればいいのです。他には何も持って行かなくていいですから」。

帰る前に、ボランティアは長兄に付き添い、一緒にご先祖の位牌に手を合わせた。

「お父さん、お祖父さん、明日お母さんの手術が無事に終わるよう、守ってください」。お兄さんは疲れ切った顔で、合掌した。続いて蔡さんが、阿鋭の代わりに祈った。

「お母さんの手術が無事に終わりますように。歴代のご先祖様、守ってくださるようお願いします」。

今回の訪問で、ボランティアたちは阿鋭の長兄のストレスと疲れを感じ取ることができた。蔡さんは、阿鋭に手紙を書いた。

「昨日、あなたの実家に行ってきました。お祖母さんは相変わらず元気ですが、お母さんは、前回転んだことが原因で入院していました。二人のお兄さんが心を込めて看病と介護をしていますので、安心してください。しっかり刑期を務め、出所後は善行と親孝行をして、新しく人生をやり直して下さい」。短い手紙だが、阿鋭の長兄の深い思いと、蔡さんが阿鋭を善行に導きたい気持ちが込められていた。

蔡美恵(左)、徐雲彩(右)の付き添いで、2013年、鐘烱元(中央)は出所後、真っ先に慈済屏東支部に来て仏様を拝んだ。

泥の中に蓮の花が咲けば、辛くない

受刑者の家族ケアで行き来する蔡さんだが、辛くはないそうだ。

「家族に会いたくても、何らかの事情で会いに行けないことは、誰にでもあります。その時、代わりに行ってくれる人がいて、声を掛けてくれれば、とても意義があると感じます」と彼女が言った。

ケアチームの管轄範囲は屏東刑務所、屏東拘置所、台南拘置所、台南刑務所、高雄矯正施設などである。鐘烱元(ヅォン・ジョンユェン)さんは屏東で受刑中に蔡さんと良縁を結び、獄中で「二度と受刑者菩薩にはならない!」と誓った。「人間菩薩になってね!」と、蔡さんが祝福した。道に迷って戻って来た鐘さんは、屏東刑務所に来てくれたボランティアたちに感謝した。今の彼があるのは、ボランティアのおかげだと言う。彼がこの決意を携えて高雄第二刑務所と矯正施設に行き、立ち直った前科者の体験者として証言したのは、六年後のことだった。二〇二一年には、総統府から旭青獎が表彰された。

證厳法師は刑務所ケアチームの努力を肯定した。

「この世に悪い人はいません。過ちを犯した人がいるだけです。慈済は面倒や困難を恐れず、彼らが豊かな心の福田を育てられるよう、道に迷った人を正しい方向に導いているのです」。

刑務所を訪れるボランティアたちは、まるで娑婆の世界を行ったり来たりする菩薩のように、暗い道に迷った人々の心を灯で照らしているのだ。受刑者がボランティアたちの誠実で長く続く愛と寄り添いを感じた時、泥の中に清らかな蓮の花が咲くのである。(資料の提供・楊舜斌、大愛テレビ番組「アクションライブ」)

(慈済月刊六八六期より)

ホームシックになった人が、刑務所から出て間もないというのに、再び罪を犯して、刑務所に戻ってしまうのはなぜだろうか?

蔡美恵(ツァイ・メイフェイ)さんは、二十年前に抱いていた疑問を解決しようと、ケア活動に参加した。彼女の所属するボランティアチームは、まるで菩薩が娑婆の世界を行き来するように、闇と混乱に囚われた心を仏法の灯で照らすため、刑務所を往復している。

慈済ボランティアは定期的に屏東刑務所で読書会を行っている。2013年、人助けしたいという受刑者が、切手を寄付した。

屏東にある小さな寝具店。ベッドや寝具が並べられているが、一般と大きく違うのは、端正な筆文字で書かれた『般若心経』や、厳かな顔の菩薩像などの掛け軸が壁一面に飾られていることだ。

「これらの書画は獄中の『受刑中の菩薩』から贈られたものです。店内の壁に飾りきれないほどの数があって、多くは巻物にしてしまってあります」と店主の蔡さんが笑顔で語った。

蔡さんは、十二年近く刑務所の受刑者を世話してきた慈済ボランティアである。きっかけは二十年前、出所後再び罪を犯してすぐに戻ってしまうというニュースを数日間続けてテレビで見た時だった。

突然、慈悲心が芽生え、「彼らは刑期中、とてもホームシックになったはずなのに、なぜ出所すると、繰り返し罪を犯すのだろう」と彼女は思った。信仰の拠り所を見つけられなかったからに違いないと推測した。当時、彼女はまだ慈済委員として認証を授かっていなかったが、既に證厳法師の開示を聞いており、「受刑者の人々と友達になって、彼らが自分を肯定し、未来を創造する自信を築けるよう、刑務所を訪ねる機会が得られるように!」と心の中で願った。

二〇〇九年、蔡さんは願いが叶って、慈済人になった。翌年、屏東区教師懇親会の窓口である徐雲彩(シュー・ユンツァイ)さんが刑務所ケアの任務を引き継ぎ、蔡さんを誘った。驚きと喜びの中、八年間も心の中に抱いていた思いは口に出さなかったが、縁とは不思議なもので、彼女は即座に「やります」と誓った。

二〇一一年、彼女らは「信じる力」チームを結成し、毎月、屏東刑務所で読書会を開いた。「善行と親孝行は待ったなし」、「布施は金持ちの特権ではなく、志がある人が参加して行うもの」などの静思語が、徐々に善の効果を表し始めた。受刑者たちが切手を寄付したことで、チームは切手の貯金箱を設計した。更に額面千四百元という、彼らの半年間の刑務作業手当に相当する手形を二枚も受け取ったことがあった。蔡さんは、彼らの服役期間は変えられないが、心を入れ変えて、迷いから悟りへと変わる手伝いをしたい、と言った。十二年間通い続け、既に六人もの受刑者が、出所後、慈済の慈誠隊員になった。

罪の代償は辛いもの

一通の手紙が蔡さん宛てに送られてきたことで、ケアチームに特別な任務が与えられた。

「美恵菩薩師姐へ、私事で言うべきかどうか散々悩みました。家の事なのですが、祖母が転んで怪我してしまいました。刑務所にいて何もできない自分をすごく責めています。できることなら、師姐が私の代わりに様子を見に行ってくれないでしょうか」。何度も薬物使用を繰り返した阿盛からの手紙だった。

二〇一六年に遡って、彼は刑務所内で、あるニュースを見たそうだ。慈済ボランティアが台風被災者を訪問した時のもので、彼の故郷を訪れていたのだ。写真に隣のお婆さんの姿が写っていたが、会いたかった祖母の姿がなかったので、心配になった。そして、初めてボランティアが彼の代わりに家庭訪問をしてくれた。

今回、ケアチームのボランティアは、屏東県内埔から一番南端の恒春まで、七つほどの町を通らなければならなかった。以前一度訪れたことはあったが、車は再び田舎道で迷ってしまい、カーナビを使って暫く探して、やっと阿盛の実家を見つけた。

「おばあちゃん!まだ私たちのことを覚えていますか?」 と蔡さんがドアから暗い室内に向かって声を掛けた。中から黒ずんだ手が伸びてきて、蔡さんの手に重ねた。「また来てくれたのかい!」。お祖母さんは笑顔を浮かべて出て来ると、頷きながら、「この前は、うちの阿盛のことで来たのだったね」と言った。

ボランティアたちは、ポーチの椅子に座ると、「平安」の文字のストラップを取り出してお祖母さんに贈った。「文字の下の方に小さな鈴が付いています。平安が訪れますよ」。蔡さんは、お祖母さんが手に持った赤いストラップは、生気のない孤独な日々に彩りを添えたようだ、と思った。

「この前、私たちが来た時、おばあちゃんの写真を撮ったことを覚えていますか?その写真を現像して阿盛に見せたら、大喜びしていましたよ」。蔡さんは、お祖母さんの肩に腕を回しながら言った。

「おばあちゃんの写真を見たら、会いたいと言って泣き続けていました」。

お祖母さんはため息をついて、仕方なさそうに首を横に振りながら言った。

「物事の善悪が分からない子で、心配ばかり掛けるのです」。

蔡さんはお祖母さんを慰めながら言った。

「彼はおばあちゃんにとても会いたがっています。ですから、おばあちゃんも彼を祝福してあげてください。今日もおばあちゃんの写真を撮って、阿盛に見せてあげますからね。おばあちゃんは九十歳でも、まだとても健康で、穏やかに暮らしていることも、伝えますから」。

蔡さんが焼きそばを作って持って来たので、みんなで家族のように、お祖母さんと食べながらおしゃべりをした。普段は静かな家が、温かい言葉で愛の温もりに満ち溢れた。

家族の思いが伝わらない苦しさ

「誰かいらっしゃいますか」。蔡さんたちは、遠路はるばる、受刑者阿鋭の家にたどり着いた。二年前に阿鋭のお父さんが亡くなった時、阿鋭は葬儀に参列できなかったので、ボランティアに頼んで、写経したものを家へ持って帰ってもらうことで、父親の冥福を祈った。

阿鋭の長兄に会うと、母親に会わせてほしいと蔡さんが訪問の意を伝えたが、残念なことに母親は手術のために入院していた。長兄は黙ったままで、顔は低く被った帽子のつばに隠れて半分しか出していなかったので、表情はよく見えなかった。

「お兄さんは、阿鋭の刑期がどれくらいかご存知ですか?」と蔡さんが小声で聞いた。

すると長兄は、「彼のことには全く興味がありません!」。阿鋭が刑務所入りを繰り返していたので、ほとんど諦めていたのだった。「私たちは三人兄弟で、あの子は末っ子ですが、一番性根が悪いのです。今度は違法薬物を販売したのですから、長いですよ。七年半です!」

その家庭は、母親が入院していて、祖母は認知症で、阿鋭の兄嫁が亡くなったばかりだった。主に責任を担っている長兄は、本当に心身ともに疲れきっているようだった。寄り添ってここまでに来てくれたボランティアたちを前に、長兄はもう耐えられなくなり、震える声で言った。

「彼が悔い改めてさえくれれば、それで十分だ、と彼に伝えてください」。無力感と心の痛みの全てが、この瞬間に涙となって流れ出した。

「分かりました。代わりに伝えます。悔い改めるように、と。お兄さんも体に気を付けてください!お母さんとお祖母さんはあなたが頼りですし、弟さんと妹さんも同じです」と、蔡さんは長兄の手を握りながら、優しく慰めた。長兄は涙を拭いて言った。

「この一言だけ伝えてくれればいいのです。他には何も持って行かなくていいですから」。

帰る前に、ボランティアは長兄に付き添い、一緒にご先祖の位牌に手を合わせた。

「お父さん、お祖父さん、明日お母さんの手術が無事に終わるよう、守ってください」。お兄さんは疲れ切った顔で、合掌した。続いて蔡さんが、阿鋭の代わりに祈った。

「お母さんの手術が無事に終わりますように。歴代のご先祖様、守ってくださるようお願いします」。

今回の訪問で、ボランティアたちは阿鋭の長兄のストレスと疲れを感じ取ることができた。蔡さんは、阿鋭に手紙を書いた。

「昨日、あなたの実家に行ってきました。お祖母さんは相変わらず元気ですが、お母さんは、前回転んだことが原因で入院していました。二人のお兄さんが心を込めて看病と介護をしていますので、安心してください。しっかり刑期を務め、出所後は善行と親孝行をして、新しく人生をやり直して下さい」。短い手紙だが、阿鋭の長兄の深い思いと、蔡さんが阿鋭を善行に導きたい気持ちが込められていた。

蔡美恵(左)、徐雲彩(右)の付き添いで、2013年、鐘烱元(中央)は出所後、真っ先に慈済屏東支部に来て仏様を拝んだ。

泥の中に蓮の花が咲けば、辛くない

受刑者の家族ケアで行き来する蔡さんだが、辛くはないそうだ。

「家族に会いたくても、何らかの事情で会いに行けないことは、誰にでもあります。その時、代わりに行ってくれる人がいて、声を掛けてくれれば、とても意義があると感じます」と彼女が言った。

ケアチームの管轄範囲は屏東刑務所、屏東拘置所、台南拘置所、台南刑務所、高雄矯正施設などである。鐘烱元(ヅォン・ジョンユェン)さんは屏東で受刑中に蔡さんと良縁を結び、獄中で「二度と受刑者菩薩にはならない!」と誓った。「人間菩薩になってね!」と、蔡さんが祝福した。道に迷って戻って来た鐘さんは、屏東刑務所に来てくれたボランティアたちに感謝した。今の彼があるのは、ボランティアのおかげだと言う。彼がこの決意を携えて高雄第二刑務所と矯正施設に行き、立ち直った前科者の体験者として証言したのは、六年後のことだった。二〇二一年には、総統府から旭青獎が表彰された。

證厳法師は刑務所ケアチームの努力を肯定した。

「この世に悪い人はいません。過ちを犯した人がいるだけです。慈済は面倒や困難を恐れず、彼らが豊かな心の福田を育てられるよう、道に迷った人を正しい方向に導いているのです」。

刑務所を訪れるボランティアたちは、まるで娑婆の世界を行ったり来たりする菩薩のように、暗い道に迷った人々の心を灯で照らしているのだ。受刑者がボランティアたちの誠実で長く続く愛と寄り添いを感じた時、泥の中に清らかな蓮の花が咲くのである。(資料の提供・楊舜斌、大愛テレビ番組「アクションライブ」)

(慈済月刊六八六期より)

關鍵字

フィリピン・ダバオ市 バナナが豊作の時

北ダバオ州の山間部にある部落の住民は、有機バナナの栽培による貧困支援プロジェクトに参加している。慈済が品種の選択から技術指導、流通販売まで協力して来たことで、収入が徐々に安定して来ている。

住民らは一日に一食も保証されなかった生活から、今では三食で米が食べられるようになった。

北ダバオ州サント・ニーニョ部落の住民は、慈済の農業による脱貧困プロジェクトに参加し、ボランティアの協力の下、生活を改善するモデルを切り拓いた。(撮影・Harold Alzaga)

私だけではなく、ここのバナナ農家は皆とても幸せです」。エリックさんは部落の農家と一緒に生い茂ったバナナ園で収穫をしていた。大きなバナナの房を担いで山を下り、川を渡った。ダバオとマニラのボランティアも豊作の喜びを分かち合いながら、バナナを運ぶ手伝いをした。

二〇二二年以前、このような光景は、三人の子供を持つ若い父親であるエリックさんにとって、遠い夢話だった。北ダバオ州タラインゴッド・サントニーニョの原住民居住地はダバオ市から車で約三時間半の距離にあり、広い山間地区では雇用機会が乏しく、住民は付加価値の低いトウモロコシやマニラ麻を栽培し、収穫した物を他の所に輸送するが低い値段でしか売れず、運賃を差し引いた後のお金は殆ど手元に残らなかった。トウモロコシは四カ月毎に収穫するので、一世帯の平均所得は月五百ベソ(約1300円)だった。それだけでは四カ月も生活できないので、山菜や芋でお腹を満たしていた。山奥の山村は電気、交通などインフラも整備されてなく、村民は病気になっても下山して治療を受けるお金さえなかった。

二〇二〇年十月、慈済ボランティアは、コロナ禍による経済的な困窮を緩和するための物資を持って来た時、部落は貧しくて活気がなく、住民の目が虚ろだったことに気づいた。「『家徒四壁』と言う言葉がありますが、ここは竹で編んだ家の壁が三方しかなかったのです」とボランティアの呉麗君(ウー・リージュン)さんが言った。

慈済は、長期的な生計問題を解決する時、物資の支援だけに頼るのではなく、「喉の渇きを解決してあげるよりも、井戸を掘ることを教える」という例えを基本としている。そこで、二〇二二年一月に、慈済の農業による脱貧困プロジェクトを始めた。農業専門のボランティアである蔡天保(ツァイ・ティエンバオ)さんは、農産物加工分野で、食品原料の中で最も不足していたバナナの品種を選び、慈済が苗木を提供すると同時に、農民に有機栽培の技術を伝授した。

この地域の百十一世帯のうち、一部は既に若い男性が出稼ぎに行っているので、四十一世帯がプロジェクトに参加した。有機肥料を使った環境に優しい農耕法で栽培しており、バナナの木の成長が遅くても、質、量共に申し分ない。二〇二三年八月にはすでに実がなり、収穫した後にまた新しい芽が出た。栽培面積が拡大するにつれ、四カ月で二千五百株のバナナの木から一万五千キロの収穫があった。ボランティアは輸送を手伝うだけでなく、市場より高い値段で買い取って、食糧市場に投入した。

「この一年間、村民の生活が向上したので、私も本当に感動しました」。プロジェクトを担当するのは、ダバオボランティアのアリエルさんだ。

「このプロジェクトの良い点は、持続可能であることです。真面目に続ければ、土地も住民をも利します」。

アルマンドさんによると、家族は以前一日一食の生活で、長い間、米が食べられない時期もあったという。「しかし今は違います。三食とも米のご飯が食べられ、時には子供に小遣いもあげられるようになりました」。

村人の収入が安定して増えると共に、部落には電気が通るようになった。エリックさんはテレビを買ったことで、部落外の世界の出来事が分かるようになった。「疲れて帰って来て、家族と一緒にテレビを見るのは素晴らしいことです」。子供に飴を買ってあげることもできるようになった。「父親として、子供に生活必需品を買ってあげられないのは、とても辛いことでした。今、子供の嬉しそうな顔を見ることができて、私も嬉しいです!」。

エリックさんとアルマンドさんは、分割払いで中古バイクを買い、農作物を麓まで運んだり、市場へ買い出しに行ったりするようになった。「以前は市場へ行くのに徒歩で六時間掛かっていました。今は三十分で行けます」とアルマンドさんがホッとした様子で言った。「子供に良い教育を受けさせ、良い暮らしをさせたい」、これはアルマンドさんにとって夢のような生活だったが、今、この土地は一家を養い、未来が見える場所となっている。

(慈済月刊六九二期より)

北ダバオ州の山間部にある部落の住民は、有機バナナの栽培による貧困支援プロジェクトに参加している。慈済が品種の選択から技術指導、流通販売まで協力して来たことで、収入が徐々に安定して来ている。

住民らは一日に一食も保証されなかった生活から、今では三食で米が食べられるようになった。

北ダバオ州サント・ニーニョ部落の住民は、慈済の農業による脱貧困プロジェクトに参加し、ボランティアの協力の下、生活を改善するモデルを切り拓いた。(撮影・Harold Alzaga)

私だけではなく、ここのバナナ農家は皆とても幸せです」。エリックさんは部落の農家と一緒に生い茂ったバナナ園で収穫をしていた。大きなバナナの房を担いで山を下り、川を渡った。ダバオとマニラのボランティアも豊作の喜びを分かち合いながら、バナナを運ぶ手伝いをした。

二〇二二年以前、このような光景は、三人の子供を持つ若い父親であるエリックさんにとって、遠い夢話だった。北ダバオ州タラインゴッド・サントニーニョの原住民居住地はダバオ市から車で約三時間半の距離にあり、広い山間地区では雇用機会が乏しく、住民は付加価値の低いトウモロコシやマニラ麻を栽培し、収穫した物を他の所に輸送するが低い値段でしか売れず、運賃を差し引いた後のお金は殆ど手元に残らなかった。トウモロコシは四カ月毎に収穫するので、一世帯の平均所得は月五百ベソ(約1300円)だった。それだけでは四カ月も生活できないので、山菜や芋でお腹を満たしていた。山奥の山村は電気、交通などインフラも整備されてなく、村民は病気になっても下山して治療を受けるお金さえなかった。

二〇二〇年十月、慈済ボランティアは、コロナ禍による経済的な困窮を緩和するための物資を持って来た時、部落は貧しくて活気がなく、住民の目が虚ろだったことに気づいた。「『家徒四壁』と言う言葉がありますが、ここは竹で編んだ家の壁が三方しかなかったのです」とボランティアの呉麗君(ウー・リージュン)さんが言った。

慈済は、長期的な生計問題を解決する時、物資の支援だけに頼るのではなく、「喉の渇きを解決してあげるよりも、井戸を掘ることを教える」という例えを基本としている。そこで、二〇二二年一月に、慈済の農業による脱貧困プロジェクトを始めた。農業専門のボランティアである蔡天保(ツァイ・ティエンバオ)さんは、農産物加工分野で、食品原料の中で最も不足していたバナナの品種を選び、慈済が苗木を提供すると同時に、農民に有機栽培の技術を伝授した。

この地域の百十一世帯のうち、一部は既に若い男性が出稼ぎに行っているので、四十一世帯がプロジェクトに参加した。有機肥料を使った環境に優しい農耕法で栽培しており、バナナの木の成長が遅くても、質、量共に申し分ない。二〇二三年八月にはすでに実がなり、収穫した後にまた新しい芽が出た。栽培面積が拡大するにつれ、四カ月で二千五百株のバナナの木から一万五千キロの収穫があった。ボランティアは輸送を手伝うだけでなく、市場より高い値段で買い取って、食糧市場に投入した。

「この一年間、村民の生活が向上したので、私も本当に感動しました」。プロジェクトを担当するのは、ダバオボランティアのアリエルさんだ。

「このプロジェクトの良い点は、持続可能であることです。真面目に続ければ、土地も住民をも利します」。

アルマンドさんによると、家族は以前一日一食の生活で、長い間、米が食べられない時期もあったという。「しかし今は違います。三食とも米のご飯が食べられ、時には子供に小遣いもあげられるようになりました」。

村人の収入が安定して増えると共に、部落には電気が通るようになった。エリックさんはテレビを買ったことで、部落外の世界の出来事が分かるようになった。「疲れて帰って来て、家族と一緒にテレビを見るのは素晴らしいことです」。子供に飴を買ってあげることもできるようになった。「父親として、子供に生活必需品を買ってあげられないのは、とても辛いことでした。今、子供の嬉しそうな顔を見ることができて、私も嬉しいです!」。

エリックさんとアルマンドさんは、分割払いで中古バイクを買い、農作物を麓まで運んだり、市場へ買い出しに行ったりするようになった。「以前は市場へ行くのに徒歩で六時間掛かっていました。今は三十分で行けます」とアルマンドさんがホッとした様子で言った。「子供に良い教育を受けさせ、良い暮らしをさせたい」、これはアルマンドさんにとって夢のような生活だったが、今、この土地は一家を養い、未来が見える場所となっている。

(慈済月刊六九二期より)

關鍵字

Sowing Seeds of Change—A Banana Planting Project in Davao, the Philippines

By Ben Baquilod
Photo by Harold Alzaga

Some indigenous farmers in Talaingod, Davao del Norte, the Philippines, now have more steady income thanks to Tzu Chi Davao’s initiative.

Residents of Santo Niño, Talaingod, Davao del Norte, joined Tzu Chi’s agricultural poverty alleviation project. With the assistance of volunteers, they implemented an economic model that has improved their living conditions.

I am not the only one experiencing joy here. All the families who have planted banana trees are happy too,” said Eric Parcon, who, along with fellow farmers, was harvesting banana bunches in Santo Niño, Talaingod, Davao del Norte, in the Philippines’ Davao Region. Tzu Chi volunteers from Davao and Manila joined them, promptly purchasing their harvests and providing them with immediate earnings.

Eric and the other farmers couldn’t have imagined this scenario before 2022. That year, he and 40 other families from the Ata Manobo tribe began participating in Tzu Chi’s banana planting livelihood project in Talaingod. Prior to that, Eric relied solely on planting corn and abaca. These crops took 4 and 12 months, respectively, to harvest. Unfortunately, he could only get around 10,000 pesos (US$170) for corn and 8,000 pesos (US$137) for abaca. This equated to a total income of 38,000 pesos (US$650) per year, or approximately 3,000 pesos (US$52) per month. This was a paltry sum, especially for a young father of three.

“It was truly insufficient,” remarked Armando Dusonan Jr., Eric’s brother-in-law and a fellow farmer. The meager income from their harvests every four months only allowed them to enjoy rice—a luxury for them—for a brief week. After that, they would revert to their customary routine of eating only once a day, mostly relying on cassava.

Food wasn’t the only challenge in their community. Living in a remote rural area, they also faced difficulties accessing electricity, information, and medical care. “Whenever our children fell ill, we couldn’t afford a trip to the hospital due to financial constraints,” said Armando. “Our earnings weren’t even enough to meet our daily needs.”

But a transformation has taken place for Armando, Eric, and their community since Tzu Chi’s banana planting livelihood project in Talaingod began to show results. In the summer of 2023, the banana seedlings they planted 19 months earlier started providing them with a consistent harvest of new fruit every two weeks, eliminating the months of waiting for income.

“I’ve seen the improvement in their lives ever since, and it genuinely warms my heart,” said Ariel Garao, the volunteer in charge of the project. “What’s beautiful about this project is its sustainability as long as they continue to work on it.”

Tzu Chi volunteers in Davao started working with the indigenous peoples of Talaingod when the pandemic started in 2020. They saw how difficult the lives of the Ata Manobo were and recognized their need for assistance. In response, they distributed rice and other groceries in Talaingod to help residents through the pandemic. They later followed up with the banana planting project, providing seedlings, organic fertilizers, and technical expertise. Although the banana plants grew more slowly due to the use of organic fertilizers and sustainable farming practices, the quality and quantity of the fruit were exceptional. By August 2023, the trees were heavily laden with fruit, and new shoots began to emerge after harvesting.

For Eric Parcon’s family, the banana planting project has alleviated some of the challenges of their poverty-stricken life. “Compared with eating only once a day before, we can now enjoy three meals a day with rice and viand,” he shared. “We also get to savor our banana produce. It’s truly delicious!”

Fortunately, their community now has electricity, and Eric was able to purchase a TV, providing them with access to news and information, as well as a bit of entertainment. “After a tiring day, it’s nice to watch TV with my family and unwind,” he said, smiling.

He proudly mentioned that he can now give some money to his children when asked for candy. “As a father, it pained me when I couldn’t provide for them,” he said, teary-eyed. “But now, even if it’s just for candy, I feel so happy when I see their joy.”

With a steady income from banana harvests, Eric and Armando were able to acquire a motorcycle through monthly installments, improving transportation to the market where they sell and buy goods for their families. “Previously, we had to walk for six hours to reach the market. Now, it takes us only half an hour,” said Armando, with a sigh of relief.

Armando can also now provide an allowance to his young children for school. “Before, they would go to school with nothing. Now, I can give them five pesos, and they’re ecstatic,” he exclaimed. “That makes me happy as well.”

Armando holds one dream for his children—to receive a good education and lead better lives in the future. “I will continue to plant bananas for them to finish school,” he affirmed.

Tzu Chi’s Livelihood Improvement Programs

  • Indonesia: Great Love Mobile Noodle Stall Lending Program for small vendors.
  • The Philippines: Training in dental assistance, business marketing, welding, computer repair, and customer service English. Tricycles and driver training for Typhoon Haiyan survivors.
  • Nepal, India, South Africa, and Myanmar: Sewing classes.

By Ben Baquilod
Photo by Harold Alzaga

Some indigenous farmers in Talaingod, Davao del Norte, the Philippines, now have more steady income thanks to Tzu Chi Davao’s initiative.

Residents of Santo Niño, Talaingod, Davao del Norte, joined Tzu Chi’s agricultural poverty alleviation project. With the assistance of volunteers, they implemented an economic model that has improved their living conditions.

I am not the only one experiencing joy here. All the families who have planted banana trees are happy too,” said Eric Parcon, who, along with fellow farmers, was harvesting banana bunches in Santo Niño, Talaingod, Davao del Norte, in the Philippines’ Davao Region. Tzu Chi volunteers from Davao and Manila joined them, promptly purchasing their harvests and providing them with immediate earnings.

Eric and the other farmers couldn’t have imagined this scenario before 2022. That year, he and 40 other families from the Ata Manobo tribe began participating in Tzu Chi’s banana planting livelihood project in Talaingod. Prior to that, Eric relied solely on planting corn and abaca. These crops took 4 and 12 months, respectively, to harvest. Unfortunately, he could only get around 10,000 pesos (US$170) for corn and 8,000 pesos (US$137) for abaca. This equated to a total income of 38,000 pesos (US$650) per year, or approximately 3,000 pesos (US$52) per month. This was a paltry sum, especially for a young father of three.

“It was truly insufficient,” remarked Armando Dusonan Jr., Eric’s brother-in-law and a fellow farmer. The meager income from their harvests every four months only allowed them to enjoy rice—a luxury for them—for a brief week. After that, they would revert to their customary routine of eating only once a day, mostly relying on cassava.

Food wasn’t the only challenge in their community. Living in a remote rural area, they also faced difficulties accessing electricity, information, and medical care. “Whenever our children fell ill, we couldn’t afford a trip to the hospital due to financial constraints,” said Armando. “Our earnings weren’t even enough to meet our daily needs.”

But a transformation has taken place for Armando, Eric, and their community since Tzu Chi’s banana planting livelihood project in Talaingod began to show results. In the summer of 2023, the banana seedlings they planted 19 months earlier started providing them with a consistent harvest of new fruit every two weeks, eliminating the months of waiting for income.

“I’ve seen the improvement in their lives ever since, and it genuinely warms my heart,” said Ariel Garao, the volunteer in charge of the project. “What’s beautiful about this project is its sustainability as long as they continue to work on it.”

Tzu Chi volunteers in Davao started working with the indigenous peoples of Talaingod when the pandemic started in 2020. They saw how difficult the lives of the Ata Manobo were and recognized their need for assistance. In response, they distributed rice and other groceries in Talaingod to help residents through the pandemic. They later followed up with the banana planting project, providing seedlings, organic fertilizers, and technical expertise. Although the banana plants grew more slowly due to the use of organic fertilizers and sustainable farming practices, the quality and quantity of the fruit were exceptional. By August 2023, the trees were heavily laden with fruit, and new shoots began to emerge after harvesting.

For Eric Parcon’s family, the banana planting project has alleviated some of the challenges of their poverty-stricken life. “Compared with eating only once a day before, we can now enjoy three meals a day with rice and viand,” he shared. “We also get to savor our banana produce. It’s truly delicious!”

Fortunately, their community now has electricity, and Eric was able to purchase a TV, providing them with access to news and information, as well as a bit of entertainment. “After a tiring day, it’s nice to watch TV with my family and unwind,” he said, smiling.

He proudly mentioned that he can now give some money to his children when asked for candy. “As a father, it pained me when I couldn’t provide for them,” he said, teary-eyed. “But now, even if it’s just for candy, I feel so happy when I see their joy.”

With a steady income from banana harvests, Eric and Armando were able to acquire a motorcycle through monthly installments, improving transportation to the market where they sell and buy goods for their families. “Previously, we had to walk for six hours to reach the market. Now, it takes us only half an hour,” said Armando, with a sigh of relief.

Armando can also now provide an allowance to his young children for school. “Before, they would go to school with nothing. Now, I can give them five pesos, and they’re ecstatic,” he exclaimed. “That makes me happy as well.”

Armando holds one dream for his children—to receive a good education and lead better lives in the future. “I will continue to plant bananas for them to finish school,” he affirmed.

Tzu Chi’s Livelihood Improvement Programs

  • Indonesia: Great Love Mobile Noodle Stall Lending Program for small vendors.
  • The Philippines: Training in dental assistance, business marketing, welding, computer repair, and customer service English. Tricycles and driver training for Typhoon Haiyan survivors.
  • Nepal, India, South Africa, and Myanmar: Sewing classes.
關鍵字

善の念を結集し、広く法縁を結ぶ

自分を軽く見てはならず、
人は誰でも仏性を有しており、
人間(じんかん)菩薩を募れば、
至る所が道場になります。
善の念を育んで、広く善の法縁を結び、
善の念を結集して福を作り、菩薩道に精進すれば、
至誠があらゆる生を慈しみで潤し、
世を平和と清浄に導くでしょう。

自分を軽く見てはならず、人は誰でも仏性を有しており、人間(じんかん)菩薩を募れば、至る所が道場になります。

善の念を育んで、広く善の法縁を結び、善の念を結集して福を作り、菩薩道に精進すれば、至誠があらゆる生を慈しみで潤し、世を平和と清浄に導くでしょう。

自分を軽く見てはならず、
人は誰でも仏性を有しており、
人間(じんかん)菩薩を募れば、
至る所が道場になります。
善の念を育んで、広く善の法縁を結び、
善の念を結集して福を作り、菩薩道に精進すれば、
至誠があらゆる生を慈しみで潤し、
世を平和と清浄に導くでしょう。

自分を軽く見てはならず、人は誰でも仏性を有しており、人間(じんかん)菩薩を募れば、至る所が道場になります。

善の念を育んで、広く善の法縁を結び、善の念を結集して福を作り、菩薩道に精進すれば、至誠があらゆる生を慈しみで潤し、世を平和と清浄に導くでしょう。

關鍵字

心を等しく豊かに導き、貧困を無くそう

編集者の言葉

持続可能という言葉が、世界中で流行っている。今世界の国や企業、民間団体は、取り組みや物作りにおいて、皆、国連の唱える十七の持続可能な開発目標(以下SDGs)に合わせるようにしており、それにより運用過程や結果における影響は全て生態系に優しくなり、衆生を利する方向に進もうとしている。

慈済が志業を推進し始めてから、今年で五十九年目になる。慈善、医療、教育、環境保全、地域ボランティア及び国際災害支援等の項目を含め、その多くの活動が、二〇一六年から国連が唱えているSDGsに、偶然にも一致している。慈済の各志業体が網羅する活動範囲は、人類の地球上における生活と生産及び生態などに関係しており、この三つとも互いに密接に繋がって、助け合って、成り立っているので、正にSDGsの構成内容その物になっている。

月刊誌『慈済』は七月号から、慈済志業の発展がSDGsに対応している記事を連載する。先ず五十八年間にわたる慈善支援から始まり、慈済慈善志業で尽くしてきた地域社会の貧困改善の実践とその理念、特色を考え、そして、それらとSDGs「目標1、貧困をなくそう」との関連と影響について紹介している。

慈済が台湾で行っている慈善志業の内容は、日に日に多様化して完成したと言える。例えば、病による貧困に対して、慈済は実際に経済面と医療面の支援が必要だと捉えている。教育問題では、評価してから学費や雑費の支援、或いは課外補習を提供している。そして、家に短期や長期にわたって自立した生活ができない人や寝たきりの人がいる場合は、エコ福祉用具プラットフォームを通じて直ちに必要な設備を届けることができる。一人暮らしの高齢者や障害者の住環境に問題があれば、修繕を行う。

上述の慈善志業モデルは、対象者に合わせた「オーダーメイド」のようなものであり、具体的に各世帯が直面している問題に対応して、解決策を講じている。そして、慈済のこの「地域慈善ネットワーク」は、政府の社会福祉で及ばない所を補い、民間の慈善パワーによって、弱者が目前の困難な状況を脱し、いつか貧困から抜け出して、安定した生活を軌道に乗せ、余力があれば、人助けができるよう期待するものである。

慈済の地域慈善が行っている諸々は、その本質がSDGs1に沿っていると共に、貧困の撲滅と困窮した生活の改善の外、慈済の慈善は彼らが考え方や価値観、人生観を変えることに期待したものである。

短期的な困窮に対する支援にしろ、長期的な貧困や病に苦しむ人への支援にしろ、慈済の貧富に関する考え方は、基本的生活に必要な物資の確保をするだけでなく、それ以上に心に愛と善があることを大切にしている。なぜならこれこそが、「等しい豊かさ」というプラスエネルギーだからだ。そして、このような世の中になってこそ、真に貧困の終わりという目標に到達できると言える。このような慈善モデルは、早くから世界各国の慈済ボランティアによって「コピー」されて広がり、同じ原則に基づいて世界各地で慈善活動が行われ、貧困を覆してきたのだ。

(慈済月刊六九二期より)

編集者の言葉

持続可能という言葉が、世界中で流行っている。今世界の国や企業、民間団体は、取り組みや物作りにおいて、皆、国連の唱える十七の持続可能な開発目標(以下SDGs)に合わせるようにしており、それにより運用過程や結果における影響は全て生態系に優しくなり、衆生を利する方向に進もうとしている。

慈済が志業を推進し始めてから、今年で五十九年目になる。慈善、医療、教育、環境保全、地域ボランティア及び国際災害支援等の項目を含め、その多くの活動が、二〇一六年から国連が唱えているSDGsに、偶然にも一致している。慈済の各志業体が網羅する活動範囲は、人類の地球上における生活と生産及び生態などに関係しており、この三つとも互いに密接に繋がって、助け合って、成り立っているので、正にSDGsの構成内容その物になっている。

月刊誌『慈済』は七月号から、慈済志業の発展がSDGsに対応している記事を連載する。先ず五十八年間にわたる慈善支援から始まり、慈済慈善志業で尽くしてきた地域社会の貧困改善の実践とその理念、特色を考え、そして、それらとSDGs「目標1、貧困をなくそう」との関連と影響について紹介している。

慈済が台湾で行っている慈善志業の内容は、日に日に多様化して完成したと言える。例えば、病による貧困に対して、慈済は実際に経済面と医療面の支援が必要だと捉えている。教育問題では、評価してから学費や雑費の支援、或いは課外補習を提供している。そして、家に短期や長期にわたって自立した生活ができない人や寝たきりの人がいる場合は、エコ福祉用具プラットフォームを通じて直ちに必要な設備を届けることができる。一人暮らしの高齢者や障害者の住環境に問題があれば、修繕を行う。

上述の慈善志業モデルは、対象者に合わせた「オーダーメイド」のようなものであり、具体的に各世帯が直面している問題に対応して、解決策を講じている。そして、慈済のこの「地域慈善ネットワーク」は、政府の社会福祉で及ばない所を補い、民間の慈善パワーによって、弱者が目前の困難な状況を脱し、いつか貧困から抜け出して、安定した生活を軌道に乗せ、余力があれば、人助けができるよう期待するものである。

慈済の地域慈善が行っている諸々は、その本質がSDGs1に沿っていると共に、貧困の撲滅と困窮した生活の改善の外、慈済の慈善は彼らが考え方や価値観、人生観を変えることに期待したものである。

短期的な困窮に対する支援にしろ、長期的な貧困や病に苦しむ人への支援にしろ、慈済の貧富に関する考え方は、基本的生活に必要な物資の確保をするだけでなく、それ以上に心に愛と善があることを大切にしている。なぜならこれこそが、「等しい豊かさ」というプラスエネルギーだからだ。そして、このような世の中になってこそ、真に貧困の終わりという目標に到達できると言える。このような慈善モデルは、早くから世界各国の慈済ボランティアによって「コピー」されて広がり、同じ原則に基づいて世界各地で慈善活動が行われ、貧困を覆してきたのだ。

(慈済月刊六九二期より)

關鍵字

八月の出来事

08・01

◎慈済基金会はブラジル・リオグランデ‧ド‧スル州の水害被災者に関心を寄せた。1日から6日まで二回目の水害視察団がサンレオポルドなど甚大被災地を視察し、被災者リストを作成して配付を行うことを決定した。

◎慈済フィリピン支部のボランティアは、台風3号による被災世帯支援に駆けつけた。本日より配付と衛生教育活動を開始し、順次リサール州ロドリゲス市とサンマテオ市、ケソン市タタロン地区などで食料、日用品などの物資を配付すると共に、住居修繕用の建材費として、3人から4人家族の家庭には500ペソ(約1280円)、5人家族には1000ペソ(約2560円)の買い物券を配付した。11日現在で支援した人数は、被災した現地ボランティアと就学援助を受けた学生及び被災民など、合わせて4359世帯に上る。

08・03

嘉義市にある慈済合心災害対応センターは、台風3号で被災した住民に関心を寄せ、2日間続けて水上郷と新港郷で家庭訪問による寄り添いケアを行った。7月末の支援活動を含めて、1268世帯を支援し、1141世帯に祝福金を配付すると共に、甚大被害を受けた339世帯には緊急支援金を届けた。

08・05

7月24日、アメリカ・カリフォルニア州のチコ市近くで、公園火事が発生し、当州で史上二番目の規模の単一山火事に発展した。慈済ボランティアは1日に被災地の中で外部から出入りできるようになったコハセット市を視察し、5日チコ市に「地域支援センター」を立ち上げて、被災世帯の登録と被災状況に関心を寄せた。そして、10日、11日、17日、18日の四日間に被災世帯への緊急配付活動を行った。目前の困難を乗り越えられるよう、全壊、半壊、軽微損壊など家屋の損壊状況と家族構成に応じて、300ドルから1200ドルまでの現金カードを配付した。

08・07

7月14日フィリピン慈済施療センターは、カビデ州カルモナ市で住民に眼科の施療を提供した。387人が受診し、そのうちの172人が白内障や翼状片手術が必要と診断された。患者はフィリピン慈済施療センターとカルモナ市及び国会議員ロイ・ロヤラ事務所の合同支援プロジェクトによって無料で手術が受けられるようになった。8月7日と17日、21日に手術が行われ、本日までに99人が手術を終えた。

08・08

慈済基金会は第3回アジア太平洋持続可能博覧会で4つの賞を獲得した。台湾持続可能行動賞(TSAA)では、「安穏に暮らせる家・美善コミュニティ」プロジェクトがSDGs11「住み続けられるまちづくりを」において金賞を獲得し、「親子共読・健康ストーリーハウス」プロジェクトがSDGs4「質の高い教育をみんなに」 で銀賞を獲得した。また、アジア太平洋持続可能行動賞(APSAA)では、「不毛の地に愛を植え、慈済がマラウイの人々の自力更生を支援する」プロジェクトがSDGs1「貧困をなくそう」で銀賞を獲得し、顔博文執行長が最優秀持続可能性リーダー賞を獲得した。

08・09

インド慈済仏の国プロジェクトチームは、台北慈済委員兼栄誉董事である呉宜潔さんがブッダガヤの子供たちに寄贈した運動靴を受け取った。コンテナーは6月28日に中国アモイを出航し、8月2日に現地の港に入り、6日に通関を終えて9日にブッダガヤに到着した。本日、33人のボランティアと職員を動員して数量を点検し、6792足の入庫が完了した。8月17日に一回目の配付活動がティカビガ公立小学校で行われ、167人の生徒に手渡された。

08・10

慈済トルコ連絡拠点は本日、スルタンガジ市にあるマンナハイ国際学校で、三日間にわたる買い物カードの配付活動を行い、4500世帯のシリア難民家族を支援した。

08・14

◎慈済基金会がモザンビーク・ソファラ州ニャマタンダ郡のクラ大愛村で行われている住宅建設支援は、2023年末より現地の力で建設する方向に切り替え、「仕事を与えて支援に代える」方式で大愛住宅建設を行うボランティアを養成することにした。8月3日、30戸の住宅の引き渡し式典が行われた。そこには台湾水道局の技術を使った緩速ろ過施設(植物で濾過する貯水池)があり、生活用水の問題が改善された。8月13日に入居式が行われた。

◎モザンビーク・ソファラ州ニャマタンダ郡にある慈済メクジ大愛農場では、毎日60人のボランティアが働いており、収穫したものは地域の貧困家庭支援に使われている。慈済基金会が農場のために購入したトラクターは今日から使用が始まり、人力による農耕の負担を軽くすると共に開墾スピードがアップして自力更生が進んでいる。農場の土地はボランティアのフーディノさんが2021年に提供したもので、約200ヘクタールの面積がある。

08・15

国立中央大学天文研究所は2007年6月6日に、太陽系の火星と木星の間に位置する小惑星帯で、第555802番小惑星を発見し、国際天文学会の審査を受けて「證厳(Chengyen)」と命名され、本日刊行された『国際天文学連合の小天体命名ワーキンググループ会報(WGSBN Bulletin)』に告示した。当惑星は正式に国際永久番号の付いた名称「555802 Chengyen」で登録された。中国語での名称は「證厳小行星」である。

08・18

グアテマラ慈済ボランティアはチュアランチョ市に出向いて、459世帯の貧困家庭に食料と生活用品を配付して支援した。

08・22

日本の衆議院議員と自民党青年局長の鈴木貴子氏が70人の海外研修団員を伴って来訪した。花蓮静思堂で慈済の防災における人的、物的資源及び0403地震での支援内容を理解すると同時に、災害時に非常食となる即席飯を試食した。

08・01

◎慈済基金会はブラジル・リオグランデ‧ド‧スル州の水害被災者に関心を寄せた。1日から6日まで二回目の水害視察団がサンレオポルドなど甚大被災地を視察し、被災者リストを作成して配付を行うことを決定した。

◎慈済フィリピン支部のボランティアは、台風3号による被災世帯支援に駆けつけた。本日より配付と衛生教育活動を開始し、順次リサール州ロドリゲス市とサンマテオ市、ケソン市タタロン地区などで食料、日用品などの物資を配付すると共に、住居修繕用の建材費として、3人から4人家族の家庭には500ペソ(約1280円)、5人家族には1000ペソ(約2560円)の買い物券を配付した。11日現在で支援した人数は、被災した現地ボランティアと就学援助を受けた学生及び被災民など、合わせて4359世帯に上る。

08・03

嘉義市にある慈済合心災害対応センターは、台風3号で被災した住民に関心を寄せ、2日間続けて水上郷と新港郷で家庭訪問による寄り添いケアを行った。7月末の支援活動を含めて、1268世帯を支援し、1141世帯に祝福金を配付すると共に、甚大被害を受けた339世帯には緊急支援金を届けた。

08・05

7月24日、アメリカ・カリフォルニア州のチコ市近くで、公園火事が発生し、当州で史上二番目の規模の単一山火事に発展した。慈済ボランティアは1日に被災地の中で外部から出入りできるようになったコハセット市を視察し、5日チコ市に「地域支援センター」を立ち上げて、被災世帯の登録と被災状況に関心を寄せた。そして、10日、11日、17日、18日の四日間に被災世帯への緊急配付活動を行った。目前の困難を乗り越えられるよう、全壊、半壊、軽微損壊など家屋の損壊状況と家族構成に応じて、300ドルから1200ドルまでの現金カードを配付した。

08・07

7月14日フィリピン慈済施療センターは、カビデ州カルモナ市で住民に眼科の施療を提供した。387人が受診し、そのうちの172人が白内障や翼状片手術が必要と診断された。患者はフィリピン慈済施療センターとカルモナ市及び国会議員ロイ・ロヤラ事務所の合同支援プロジェクトによって無料で手術が受けられるようになった。8月7日と17日、21日に手術が行われ、本日までに99人が手術を終えた。

08・08

慈済基金会は第3回アジア太平洋持続可能博覧会で4つの賞を獲得した。台湾持続可能行動賞(TSAA)では、「安穏に暮らせる家・美善コミュニティ」プロジェクトがSDGs11「住み続けられるまちづくりを」において金賞を獲得し、「親子共読・健康ストーリーハウス」プロジェクトがSDGs4「質の高い教育をみんなに」 で銀賞を獲得した。また、アジア太平洋持続可能行動賞(APSAA)では、「不毛の地に愛を植え、慈済がマラウイの人々の自力更生を支援する」プロジェクトがSDGs1「貧困をなくそう」で銀賞を獲得し、顔博文執行長が最優秀持続可能性リーダー賞を獲得した。

08・09

インド慈済仏の国プロジェクトチームは、台北慈済委員兼栄誉董事である呉宜潔さんがブッダガヤの子供たちに寄贈した運動靴を受け取った。コンテナーは6月28日に中国アモイを出航し、8月2日に現地の港に入り、6日に通関を終えて9日にブッダガヤに到着した。本日、33人のボランティアと職員を動員して数量を点検し、6792足の入庫が完了した。8月17日に一回目の配付活動がティカビガ公立小学校で行われ、167人の生徒に手渡された。

08・10

慈済トルコ連絡拠点は本日、スルタンガジ市にあるマンナハイ国際学校で、三日間にわたる買い物カードの配付活動を行い、4500世帯のシリア難民家族を支援した。

08・14

◎慈済基金会がモザンビーク・ソファラ州ニャマタンダ郡のクラ大愛村で行われている住宅建設支援は、2023年末より現地の力で建設する方向に切り替え、「仕事を与えて支援に代える」方式で大愛住宅建設を行うボランティアを養成することにした。8月3日、30戸の住宅の引き渡し式典が行われた。そこには台湾水道局の技術を使った緩速ろ過施設(植物で濾過する貯水池)があり、生活用水の問題が改善された。8月13日に入居式が行われた。

◎モザンビーク・ソファラ州ニャマタンダ郡にある慈済メクジ大愛農場では、毎日60人のボランティアが働いており、収穫したものは地域の貧困家庭支援に使われている。慈済基金会が農場のために購入したトラクターは今日から使用が始まり、人力による農耕の負担を軽くすると共に開墾スピードがアップして自力更生が進んでいる。農場の土地はボランティアのフーディノさんが2021年に提供したもので、約200ヘクタールの面積がある。

08・15

国立中央大学天文研究所は2007年6月6日に、太陽系の火星と木星の間に位置する小惑星帯で、第555802番小惑星を発見し、国際天文学会の審査を受けて「證厳(Chengyen)」と命名され、本日刊行された『国際天文学連合の小天体命名ワーキンググループ会報(WGSBN Bulletin)』に告示した。当惑星は正式に国際永久番号の付いた名称「555802 Chengyen」で登録された。中国語での名称は「證厳小行星」である。

08・18

グアテマラ慈済ボランティアはチュアランチョ市に出向いて、459世帯の貧困家庭に食料と生活用品を配付して支援した。

08・22

日本の衆議院議員と自民党青年局長の鈴木貴子氏が70人の海外研修団員を伴って来訪した。花蓮静思堂で慈済の防災における人的、物的資源及び0403地震での支援内容を理解すると同時に、災害時に非常食となる即席飯を試食した。

關鍵字

心不離菩薩道

講於二○二四年八月一日至十八日

(畫作/陳九熹-風動荷花水殿香)

學習當菩薩,只要聽得到、看得到、就幫助得到,多聽、多看,把天下苦難擁抱在心裏。心不離菩薩,行動不離菩薩道。

最近氣候真正異常,常常可以在國際新聞報導裏看到有人因為高溫熱浪而往生;也想到很多貧民住在鋅板蓋的鐵皮屋下,太陽那麼大,人在其中,就像丟進火爐地獄一樣難熬。

世間有富有幸福的家庭,孩子總是被疼惜、被愛護著;也有貧、病、苦交加的人生。苦,不是口頭的形容,而且是每天真實的生活,讓人不忍。但我們也很有幸,看見了人間菩薩從這個時代湧現出來。

菩薩的心,關懷天下眾生苦;人心有愛,很自然就會接觸到許多需要關懷的人。普天下苦難偏多,不只是人心複雜,造成災禍,還有氣候變遷的災難。國際間有苦難,慈濟就是用心用愛啟動,每個國家、每個地方,慈濟人接力去付出。我很珍惜這個大因緣,也很感恩、很感動;但是又會想,天下類似這樣的苦難不知道有多少?我們的力量真的是很微小。

雖然說無苦不成人間,我們還是要認真,能為救助苦難盡一分力量,就要多付出一點。不要以為力小而不為,點滴點滴,集合起來也不算少,累積起來就會普遍了;就像慈濟的起初,如果沒有看到需要幫助的人、沒有發心的機會、沒有集中力量,就沒有現在慈濟慈善足跡走過一百三十六個國家地區。

人口不斷增加,地球只有一個,大地如何不被破壞?氣候哪能不會變遷?佛陀來人間,就是讓人人能了解真理;佛法形容,眾生心靈不淨化,世間就像一座「火宅」;長者呼喚大宅中的孩子趕快逃離,但孩子依舊追逐欲念,沉迷其中。如何救火?要救心。

「心、佛、眾生三無差別」,人人本具有佛性,只是久受無明煩惱蒙蔽,無法覺悟,所以需要「學」,要走過菩薩道,朝著「覺」的目標邁進。如果沒有行菩薩道,就像不懂事的孩子在迷航中;有心無行,永遠停在這裏,不會到達。

有了這條人間菩薩道,我們去看、去學,沒有見苦就不懂得造福,只是不斷消福,沉淪享受,不斷地起心動念,貪、瞋、癡,無明執著,受苦難脫,如同身處地獄。

淨化人心,祥和社會,是我這一生最想做到的事,平常所說的話,也不離這兩句。不要輕視自己,把自己的良知本性啟發出來,心靈甘泉會合起來,能夠滋潤大地;心泉清淨,自度度人。

我的師父給我六個字,「為佛教,為眾生」,我盡心力,雖然慈濟人不一定是佛教徒,但人人有佛心。宗教只是名稱不同,無論仁愛、博愛、大愛,共同行善,力量就會很大。

八月上旬,慈濟人再次到巴西南部南大河州勘災,雖然洪災已經過去幾個月,但從拍攝回來的畫面,看到災情還是很明顯,很需要人力勘查與發放;當地神父帶動教友,跟慈濟人會合,一起幫助受災的居民。神父這分超越宗教的精神,我很佩服,也很感恩。宗教之間彼此尊重,相互勉勵做好事,就是回歸本善。

要成就一件好事、救拔一個人,就在這一念心;有因緣卻沒有啟動,閉著眼睛、鎖了耳朵,不聽、不見,助人的機會過去,我們也失掉了這一念心。

「菩薩」是梵語,翻譯過來是覺悟的有情人。如何學習當菩薩?很簡單,只要聽得到、看得到、就救得到,多聽、多看,一步步去付出;千里之路,就起於初步。菩薩不是口頭的形容詞,是真實的人間妙有。這分發心無形,雖然看不到、摸不著,但會合人人付出的力量,變成不可思議的功德無量。

菩薩精神是清淨無私的大愛,有開闊的心胸,提起清淨的覺性,才能廣愛一切眾生。把天下苦難擁抱在心裏,心不離菩薩道,行動不離菩薩。請大家多用心!

講於二○二四年八月一日至十八日

(畫作/陳九熹-風動荷花水殿香)

學習當菩薩,只要聽得到、看得到、就幫助得到,多聽、多看,把天下苦難擁抱在心裏。心不離菩薩,行動不離菩薩道。

最近氣候真正異常,常常可以在國際新聞報導裏看到有人因為高溫熱浪而往生;也想到很多貧民住在鋅板蓋的鐵皮屋下,太陽那麼大,人在其中,就像丟進火爐地獄一樣難熬。

世間有富有幸福的家庭,孩子總是被疼惜、被愛護著;也有貧、病、苦交加的人生。苦,不是口頭的形容,而且是每天真實的生活,讓人不忍。但我們也很有幸,看見了人間菩薩從這個時代湧現出來。

菩薩的心,關懷天下眾生苦;人心有愛,很自然就會接觸到許多需要關懷的人。普天下苦難偏多,不只是人心複雜,造成災禍,還有氣候變遷的災難。國際間有苦難,慈濟就是用心用愛啟動,每個國家、每個地方,慈濟人接力去付出。我很珍惜這個大因緣,也很感恩、很感動;但是又會想,天下類似這樣的苦難不知道有多少?我們的力量真的是很微小。

雖然說無苦不成人間,我們還是要認真,能為救助苦難盡一分力量,就要多付出一點。不要以為力小而不為,點滴點滴,集合起來也不算少,累積起來就會普遍了;就像慈濟的起初,如果沒有看到需要幫助的人、沒有發心的機會、沒有集中力量,就沒有現在慈濟慈善足跡走過一百三十六個國家地區。

人口不斷增加,地球只有一個,大地如何不被破壞?氣候哪能不會變遷?佛陀來人間,就是讓人人能了解真理;佛法形容,眾生心靈不淨化,世間就像一座「火宅」;長者呼喚大宅中的孩子趕快逃離,但孩子依舊追逐欲念,沉迷其中。如何救火?要救心。

「心、佛、眾生三無差別」,人人本具有佛性,只是久受無明煩惱蒙蔽,無法覺悟,所以需要「學」,要走過菩薩道,朝著「覺」的目標邁進。如果沒有行菩薩道,就像不懂事的孩子在迷航中;有心無行,永遠停在這裏,不會到達。

有了這條人間菩薩道,我們去看、去學,沒有見苦就不懂得造福,只是不斷消福,沉淪享受,不斷地起心動念,貪、瞋、癡,無明執著,受苦難脫,如同身處地獄。

淨化人心,祥和社會,是我這一生最想做到的事,平常所說的話,也不離這兩句。不要輕視自己,把自己的良知本性啟發出來,心靈甘泉會合起來,能夠滋潤大地;心泉清淨,自度度人。

我的師父給我六個字,「為佛教,為眾生」,我盡心力,雖然慈濟人不一定是佛教徒,但人人有佛心。宗教只是名稱不同,無論仁愛、博愛、大愛,共同行善,力量就會很大。

八月上旬,慈濟人再次到巴西南部南大河州勘災,雖然洪災已經過去幾個月,但從拍攝回來的畫面,看到災情還是很明顯,很需要人力勘查與發放;當地神父帶動教友,跟慈濟人會合,一起幫助受災的居民。神父這分超越宗教的精神,我很佩服,也很感恩。宗教之間彼此尊重,相互勉勵做好事,就是回歸本善。

要成就一件好事、救拔一個人,就在這一念心;有因緣卻沒有啟動,閉著眼睛、鎖了耳朵,不聽、不見,助人的機會過去,我們也失掉了這一念心。

「菩薩」是梵語,翻譯過來是覺悟的有情人。如何學習當菩薩?很簡單,只要聽得到、看得到、就救得到,多聽、多看,一步步去付出;千里之路,就起於初步。菩薩不是口頭的形容詞,是真實的人間妙有。這分發心無形,雖然看不到、摸不著,但會合人人付出的力量,變成不可思議的功德無量。

菩薩精神是清淨無私的大愛,有開闊的心胸,提起清淨的覺性,才能廣愛一切眾生。把天下苦難擁抱在心裏,心不離菩薩道,行動不離菩薩。請大家多用心!

智慧之道

║證嚴上人.靜思晨語 ║

人生苦短,世如火宅,
沉淪享受,消福造業。
見苦知福,啟發愛心,
聞法傳法,福音廣布。
智慧之道,同行共善,
修福修慧,造福人間。

║證嚴上人.靜思晨語 ║

人生苦短,世如火宅,
沉淪享受,消福造業。
見苦知福,啟發愛心,
聞法傳法,福音廣布。
智慧之道,同行共善,
修福修慧,造福人間。

694期—心靈交流道

護理師出任務

八十四歲的爺爺假日來到臺北慈濟醫院急診,確診肺炎,需要住院;我和學妹從急診交接班後,來到停車場,竟然看著奶奶拿著一支雨傘,一跛一跛地慢慢走著,說要回家幫爺爺準備盥洗用具。

我們問奶奶,他們的孩子呢?要不要先陪她回急診室,請孩子幫忙送來好嗎?奶奶說,兒女已經過世,平時就他們夫婦相互扶持。此時,我跟學妹互看了一下,心裏覺得很不捨,決定騎車送奶奶回去景美橋附近的住家拿行李。

當我們扶著奶奶上摩托車,一起把安全帽戴上時,我們都笑了出來;我載著奶奶,她緊緊抱住我的腰,途中跟我分享,雖然孩子都不在了,但她和爺爺的生活並沒有失去重心,反而希望用剩餘的小小力量去幫助別人。

我們把她送到家,緊接著又一起提著大包小包的行李,把她送回急診室,陪伴爺爺等待住院。這時候,奶奶跟爺爺擁抱我跟學妹;學妹哭了出來,其實我也很感動。

在高壓力的工作狀況下,護理的初衷不知不覺慢慢被磨滅,常常聽到學妹們說:「好累喔。」「好辛苦喔。」可是那一天,學妹跟我說:「學姊,謝謝你帶我一起做這件事,讓我覺得,我的護理很重要!」

我們醫人也醫心,但病人是無聲的師者,給予我們正能量的回饋,滋養了我們成為潤澤他人的土壤。我也希望傳承正能量,讓學弟妹繼續在臨床服務,對醫療更有熱忱。

|臺北慈濟醫院 陳芷薇副護理長|
(章麗玉整理)

凱米風災後,驚喜來電

「家裏淹水,家人是否都平安?」凱米風災後,接到靜思精舍德寋師父電話關懷,許李雪香又驚又喜:「精舍師父一透早就打電話來呀!好溫馨。」師父還特別叮嚀,如果附近有法親家人受災,也要幫忙關懷。

七月二十六日,我們十位志工帶著五百份方師傅麵包,將祝福送達高雄大社,包括警察局、消防局、清潔隊、慈濟照顧戶與受災的志工們。

道路變水路,昨天見識到了,水淹得太快,大家紛紛將摩托車移往高處。推車走在深約二十公分的水中,真的十分困難;從巷內推到路口時,一波波大水湧過來,水面時而飄來異物;還好中途有些人伸出援手,幫忙推車。雖然在馬路上看見水如海浪,卻也看見人間溫情。

志工陳月嬌昨天就一一打電話給獨老或兩老相依的志工們關懷,此刻來到環保志工陳金的家,「怕你今天還要忙著清掃,沒空煮飯,這方師傅的麵包,讓你簡單吃。」陳金看到大愛臺報導慈濟援助行動:「做這個颱風,予恁足無閒(閩南語,讓大家很忙之意)。」月嬌說:「大家平安就好。」陳金接著說:「愛你們啦!」

此刻下起傾盆大雨,陳月嬌仍繼續送祝福。她家也是從樓上漏水下來,還沒來得及打掃,她笑著說:「等這裏送完,回去再清。」

開電器行的王美珍表示,來不及裝防水閘門,整輛摩托車泡水;陳鳳蘭做生意用的大冰箱倒了,還好生財器具沒有受到影響;八十幾歲的簡雪玉腿腳不便,家裏只有兩老同住,七位志工前往打掃,讓她安心。

大家聊起昨天的驚險,有的人家裏前後有小河,有的從樓上漏水下來、從排水孔冒出來,可說是無孔不入。每當水位上升,心就揪一下,但現在看到慈濟家人的到訪與祝福,內心無比安定。

|高雄 莊玉美|

懷念林博彥醫師

病人來到外科診間,有時候需要手術,會先做組織切片,送去化驗,由病理科醫師以經驗和技術處理後,用顯微鏡幫忙確認是哪個環節出了問題。所以我們常常會說,病理科醫師是所有醫師的老師,因為他們會告訴我們答案,或者一起交流推理,我們再據此去決定要如何幫助病人,解除病痛。

二○二二年元月,我在大林慈濟醫院升等為主治醫師,不久後我接到了病理科林博彥醫師的電話:「邱醫師,你送來的檢體,我找了很久都沒有找到問題,請問你臨床上看起來像什麼?」接到前輩的電話,我很緊張,但還是說明我的推想,也很擔心他覺得我胡說,沒想到他哈哈大笑說:「你說得非常好,很有道理,我再來找找看是不是這個情形。」

隔天他就發出報告,讓我非常感動的是,他不僅描述了這位病人的哪些狀況是符合我的診斷,還附上三篇國際期刊的連結,其中一個案例跟這位病人完全相符。這給我非常大的鼓勵,此後我們有多次這樣的交流,但其實我們很少見到彼此,他彷彿是一位很好的筆友,總是支持著我。

今年三月結束育嬰假回到工作崗位,我又接到林醫師的電話,他看到我送的檢體,知道我回來上班,恭喜我生產順利,親切祝福我的孩子平安長大,也歡迎我繼續一起在第一線為病人付出。

最近沒有再接到林醫師的報告,得知他的身體不是很好,以為他去養病了;沒想到七月初輾轉得知他因病過世了……

感恩林醫師的家人同意我分享,也感恩他對年輕後輩的熱情、謙卑且慈愛的關懷,以及為嘉義大林鄉親無私認真的付出,這分精神也影響了我!

|大林慈濟醫院一般外科 邱郁婷醫師|

【慈濟月刊‧歡迎投稿】

◈投稿地址◈
11259臺北市北投區立德路8號7樓(慈濟月刊編輯部收)

◈傳真電話◈
02-28989994

◈E-mail◈
[email protected]

護理師出任務

八十四歲的爺爺假日來到臺北慈濟醫院急診,確診肺炎,需要住院;我和學妹從急診交接班後,來到停車場,竟然看著奶奶拿著一支雨傘,一跛一跛地慢慢走著,說要回家幫爺爺準備盥洗用具。

我們問奶奶,他們的孩子呢?要不要先陪她回急診室,請孩子幫忙送來好嗎?奶奶說,兒女已經過世,平時就他們夫婦相互扶持。此時,我跟學妹互看了一下,心裏覺得很不捨,決定騎車送奶奶回去景美橋附近的住家拿行李。

當我們扶著奶奶上摩托車,一起把安全帽戴上時,我們都笑了出來;我載著奶奶,她緊緊抱住我的腰,途中跟我分享,雖然孩子都不在了,但她和爺爺的生活並沒有失去重心,反而希望用剩餘的小小力量去幫助別人。

我們把她送到家,緊接著又一起提著大包小包的行李,把她送回急診室,陪伴爺爺等待住院。這時候,奶奶跟爺爺擁抱我跟學妹;學妹哭了出來,其實我也很感動。

在高壓力的工作狀況下,護理的初衷不知不覺慢慢被磨滅,常常聽到學妹們說:「好累喔。」「好辛苦喔。」可是那一天,學妹跟我說:「學姊,謝謝你帶我一起做這件事,讓我覺得,我的護理很重要!」

我們醫人也醫心,但病人是無聲的師者,給予我們正能量的回饋,滋養了我們成為潤澤他人的土壤。我也希望傳承正能量,讓學弟妹繼續在臨床服務,對醫療更有熱忱。

|臺北慈濟醫院 陳芷薇副護理長|
(章麗玉整理)

凱米風災後,驚喜來電

「家裏淹水,家人是否都平安?」凱米風災後,接到靜思精舍德寋師父電話關懷,許李雪香又驚又喜:「精舍師父一透早就打電話來呀!好溫馨。」師父還特別叮嚀,如果附近有法親家人受災,也要幫忙關懷。

七月二十六日,我們十位志工帶著五百份方師傅麵包,將祝福送達高雄大社,包括警察局、消防局、清潔隊、慈濟照顧戶與受災的志工們。

道路變水路,昨天見識到了,水淹得太快,大家紛紛將摩托車移往高處。推車走在深約二十公分的水中,真的十分困難;從巷內推到路口時,一波波大水湧過來,水面時而飄來異物;還好中途有些人伸出援手,幫忙推車。雖然在馬路上看見水如海浪,卻也看見人間溫情。

志工陳月嬌昨天就一一打電話給獨老或兩老相依的志工們關懷,此刻來到環保志工陳金的家,「怕你今天還要忙著清掃,沒空煮飯,這方師傅的麵包,讓你簡單吃。」陳金看到大愛臺報導慈濟援助行動:「做這個颱風,予恁足無閒(閩南語,讓大家很忙之意)。」月嬌說:「大家平安就好。」陳金接著說:「愛你們啦!」

此刻下起傾盆大雨,陳月嬌仍繼續送祝福。她家也是從樓上漏水下來,還沒來得及打掃,她笑著說:「等這裏送完,回去再清。」

開電器行的王美珍表示,來不及裝防水閘門,整輛摩托車泡水;陳鳳蘭做生意用的大冰箱倒了,還好生財器具沒有受到影響;八十幾歲的簡雪玉腿腳不便,家裏只有兩老同住,七位志工前往打掃,讓她安心。

大家聊起昨天的驚險,有的人家裏前後有小河,有的從樓上漏水下來、從排水孔冒出來,可說是無孔不入。每當水位上升,心就揪一下,但現在看到慈濟家人的到訪與祝福,內心無比安定。

|高雄 莊玉美|

懷念林博彥醫師

病人來到外科診間,有時候需要手術,會先做組織切片,送去化驗,由病理科醫師以經驗和技術處理後,用顯微鏡幫忙確認是哪個環節出了問題。所以我們常常會說,病理科醫師是所有醫師的老師,因為他們會告訴我們答案,或者一起交流推理,我們再據此去決定要如何幫助病人,解除病痛。

二○二二年元月,我在大林慈濟醫院升等為主治醫師,不久後我接到了病理科林博彥醫師的電話:「邱醫師,你送來的檢體,我找了很久都沒有找到問題,請問你臨床上看起來像什麼?」接到前輩的電話,我很緊張,但還是說明我的推想,也很擔心他覺得我胡說,沒想到他哈哈大笑說:「你說得非常好,很有道理,我再來找找看是不是這個情形。」

隔天他就發出報告,讓我非常感動的是,他不僅描述了這位病人的哪些狀況是符合我的診斷,還附上三篇國際期刊的連結,其中一個案例跟這位病人完全相符。這給我非常大的鼓勵,此後我們有多次這樣的交流,但其實我們很少見到彼此,他彷彿是一位很好的筆友,總是支持著我。

今年三月結束育嬰假回到工作崗位,我又接到林醫師的電話,他看到我送的檢體,知道我回來上班,恭喜我生產順利,親切祝福我的孩子平安長大,也歡迎我繼續一起在第一線為病人付出。

最近沒有再接到林醫師的報告,得知他的身體不是很好,以為他去養病了;沒想到七月初輾轉得知他因病過世了……

感恩林醫師的家人同意我分享,也感恩他對年輕後輩的熱情、謙卑且慈愛的關懷,以及為嘉義大林鄉親無私認真的付出,這分精神也影響了我!

|大林慈濟醫院一般外科 邱郁婷醫師|

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