苦楽を共にする人生で 自分の幸福を祈ってください

(絵・陳九熹)

人生は苦ばかりと言いますが、お互いに関心を寄せ合いながら暮らしていれば幸福と言えます。

自分自身を祝福しましょう。日々良い人と一緒に、よい言葉を聞き、善いことをしてください。更に自分が行って来た善行を共有すれば、それを振り返るほど、嬉しくなるでしょう。

六月、行脚のために花蓮を離れて、南回りで北まで充実した三十一日間を過ごしました。皆さんの人生を見つめ直す話は、聞けば聞くほど喜びを感じるのです。皆さんが幸いにも慈済に参加し、慈済が世界中に残した足跡にはその諸々を見ることができ、慈済が支援した衆生には、皆さんの貢献が見て取れます。私も過去を振り返り、「幸いなことに、とても価値のある人生でした」と自分に言い聞かせています。

慈済人が地域道場と慈済病院を守っているのを見ると、愛の力はとても強固であることが分かり、何十年も変わっていません。また、環境保全ボランティアは早朝から出かけて、時間を気にかけることもなく、見返りを求めず奉仕するだけでなく、心から「感謝します」と言います。その功徳は、実に計り知れないものです。また、途中で菩薩の皆さんの精進した話を聞き、高齢や貧困、病に苦しんでいる人を目にします。ベテランボランティアとして、三、四十年にわたって慈済に参加していますが、心して一途に慈済の志業に投入し、たとえ体は衰えても、慧命は中断することなく、慈済精神を維持し続けており、誠に心強いばかりです。もちろん残念なこともあります。病気で会いに来られない人もいますし、もう会えない人もいます。弟子が先に逝ったことを聞くと、本当に名残惜しいものです。しかし、智慧を働かせ、全ては自然の法則であると自分に言い聞かせています。そして、弟子が自在に行き来し、安らかで自在になり、気にかけることも悩みもなくなるよう、敬虔に祝福してあげるのです。

人生に悔いは残っても、今まで長い年月をかけて、私たちが共通の愛の心を結集して来たからこそ、世界中に慈済が広まったのです。私たちは皆、この人生を価値のあるものにして来ました。仏法に出会い、慈済に加わり、人間(じんかん)の菩薩道で励んでいます。命は、一日過ぎると一日減りますが、慧命は成長しており、世代から世代へと受け継いで、愛の歴史を作り続けるのです。

人生には節目があり、若い時は立ち止まることなく勉強し、正しい考えを認識できるようになるのが、最も幸せなことです。現代社会の趨勢は、若者は進学や就職に家を離れ、そして新しい家庭を築き、年長者は、一人暮らしや老夫婦で生活しています。少年から中年、そして老齢期になる過程では、楽しいながらも多くの人は煩悩を抱えています。貧しい人も裕福な人も、思い通りにならないことはたくさんあります。人生は苦ばかりと言いますが、人々がお互いに関心を寄せ合い、仲良く暮らしていけば、それで幸福だと言えます。

年齢を重ねるほど、一層時間を無駄にしてはいけません。リサイクルステーションや支部に行って、毎日良い言葉を口にし、成して来た善行の話をしながら、手を動かし、頭を働かせ、楽しくしていれば、自ずと健康になります。寿命は無量であるため、自信を持ち、その長さを気に掛けず、自分を祝福するのです。

「私は幸せです。毎日善人と会い、よい言葉を聞き、自分がして来た善行は覚えていてくれ、心には憂い事も不満もなく、満ち足りた心でいつも楽しい」と。

毎日皆さんの分かち合いを聞くのは、それぞれの家庭の「経」を聞くようなものです。或る家庭は事情がやや難解で、私の前に来ると、皆に向かって訴えます。そうすると、以前は自分が一番苦しいと思っていた人が、思いもよらず、もっと苦しい人がいることを知れば、甘んじて今の状況を受け入れよう、と思うようになるでしょう。煩悩を感謝に変え、自分を困らせた人が、自分を忍耐強い人間に変えてくれたことに感謝しましょう。

生の喜びと老の無力感は、人生の本質のようなものです。子供や孫ができると、とても喜び、孫が幼い時は、私たちの意見をまだ聞いてくれます。孫が成長するにつれ、私たちも世話がやける老人になります。しかし、人生は過ぎれば終わりなのではなく、福は増やしても、煩悩を増やしてはいけません。

もし、損得勘定が高く、先が見通せず、執着してばかりいるならば、常々障害が絶えず、苦しみ続けるでしょう。無明が増え続ければ、今生で苦しむだけでなく、悪縁が来世にもたらされ、更に苦しむことになるでしょう。人生は「風や雨」が付きものです。私たちは自分で風を遮り、雨を避けるところを見つけ、そして、無明を取り除く方法を学ばなければなりません。

行脚に同行した職員たちは毎晩、世界の様々な情報を整理して提供してくれました。自然界では四大元素のバランスが崩れ、人の心も調和せず、複雑に交差しています。即ち、「衆生の共業(ぐうごう、多くの生物に共通する果報を引き起こす業)」です。このようなことに対して、いつも感慨深いものがあり、私は、止まることなく、残された命を善用し、時間のある限り、より多くのことをしよう、と自分に警鐘を鳴らしています。

世の中には苦難が多く、いつも善と悪が綱引きをしていますが、善の力が大きければ、人は平穏に健康でいられます。しかし、もし悪の力が強ければ、善も引っぱられてしまいます。どうすればバランスが取れるのでしょうか?お互いに引っ張り合わず、愛で以て譲り合い、礼儀正しく、誠心誠意で接すれば、美しい世界を作り上げることができるのです。

地球の温暖化は深刻で、気温は上昇し続けています。私たちが使っている物は、殆どが大地を破壊して、それを切断したり、製造されたりして出来たものです。生活の利便性を享受しながらも、地球の生態系のことを忘れてはいけません。消費を減らし、質素な生活をし、殺生を無くして菜食をし、善行を多く行い、悪行を減らさなければいけません。愛のエネルギーは尽きることがなく、体力が続く限り、善行を続ければいいのです。皆さんの精進を願っています。

(慈済月刊六九三期より)

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