難民キャンプの児童クラスでは、朝食は決まって紅茶とビスケット、昼食は野菜スープとパンである。毎日同じメニューでも、1000人余りの子供たちにとっては、生きるための一食なのである。
エチオピアのデブレビルハン市では、二万二千人余りが、トタンと木の枝で支えられた薄暗いテントの中で、ひしめき合うようにして生活している。二〇二一年以降、オロミア州で民族間の衝突が激化し、戦火によって故郷を追われた彼らは中部に移り住み、使われていない工場に身を寄せたのだ。生存のための配給は非常に限られている。政府は二カ月に一回はトウモロコシ粉を配付することもあるが、民間団体や教会は、断続的にしか食糧を提供できない。
「ここでは毎日同じ食事ですが、命を救う一食なのです」。午後一時、時間通りに、教室として使っている大きなテントから鉄の皿がぶつかり合う音が響いてきた。子供たちは長い列を作り、ボランティアが熱々の野菜カレースープを盛り付けてくれるのを待っていた。二〇二三年より、慈済は現地のNGO団体「キドミアマヒベル」と協力し、八歳以下の子どもたち千人余りに食事を提供している。安定供給を保つために、朝食は紅茶とビスケット、昼食は野菜スープとパンだけになっているが、干ばつと内戦の狭間で生き延びる彼らにとっては、お腹を満たす貴重な食事である。
東アフリカに位置するエチオピアの苦しみは、長年の干ばつと政情不安が織りなした結果である。二〇二〇年から二〇二三年の間、数十年で最も深刻な干ばつに見舞われた。周辺国は長期にわたって内戦が続き、国内は四百五十万人以上が武力衝突で故郷を追われた。さらに心が痛むのは、二〇二五年には世界的に人道支援の予算が不足する傾向にあり、世界食糧計画(WFP)が四月に、エチオピアの六十五万人にも達する最も弱い立場の人々への支援を停止せざるを得ないと発表したことだ。これは、外部からの支援に依存している多くの女性や子供たちにとって、最後の希望の糸が断たれることを意味している。
慈済とエチオピアとの縁は一九九三年に始まり、世界の医療団(MDM)と協力して医療サービスを提供してきた。この絆は今日まで続いているが、内容は医療から食糧支援へと移行している。二〇二二年七月からは、キドミアマヒベルと協力しながら、内戦と干ばつの被災者に食糧を配付している。デブレビルハン市の難民キャンプへの食糧支援は、二〇二三年に始まった。
この三年間、毎年一回、三つのキャンプで大規模な配付活動が行われ、ひとり親家庭と身心障害者がいる家庭を合わせた三千世帯に、それぞれ五十キロの小麦粉と三リットルの食用油が配付された。四人家族の場合、二カ月を満たす分量である。配付の日には、久しぶりに立ち上る炊煙と大人や子供の笑顔が溢れ、貧しい土地の最も美しい情景が生まれた。
キャンプの中では、誰もが戦争によって引き裂かれた人生を背負っている。五人の子供を抱えた或る女性は、以前は夫婦で農業を営み、自給自足していたが、今は難民となり、お腹を満たすのも難しいと嘆いた。
別の高齢者は、物憂げな表情を浮かべていた。故郷の田畑や養蜂箱を思い出していたそうだ。「内戦で故郷を離れましたが、持っているのは身に着けているこの服だけです。もう生きていけないかもしれないと思った時に、幸いにもあなたたちが助けに来てくれたのです!」
(慈済月刊七一二期より)


