阿藍さんの第二の人生

「私が倒れると、周りの人はみんな離れていきました。しかし、慈済ボランティアだけは、兄弟姉妹よりも親しく接してくれました」。かつて安定した仕事に就いていた阿藍(アラン)さんは、脊椎変性疾患によって下半身が不随になった。

慈済ボランティアや人医会チーム、台北慈済病院がリレー式にケアを続けた結果、彼は引きこもりの生活から人と接するようになり、再起を果たしたのだ。

20数年にわたり、千人を超えるボランティアが、新北市平渓区などの郊外で北部慈済人医会の活動に投入してきた。(撮影・張嫦娥)

慈済人医会の往診チームは、新北市双渓区の郊外にある産業道路に沿って進み、荒れはてた草むらをかき分けながら、独り暮らしの阿藍さん(仮名)の家にやってきた。彼の家は山腹に隣接していて、黒いスレート屋根に赤レンガの一室が増築された平屋である。山の中にぽつんと佇み、近くには一軒の家もない。家の前には小さな池があるが、水はひどく濁っていた。

地面に座り込んでいた阿藍さんは機嫌が悪く、天地を恨んで罵り、人生そのものを愚痴っては、時折悪態をついた。いつも両腕で地面を支え、臀部を引きずるようにして移動しているので、日が経つにつれ、お尻の皮膚がすり切れ、傷だらけになっていた。

人医会チームは、より詳しい検査と治療が必要だと判断し、翌日、台北慈済病院での受診を手配した。検査の結果、脊髄が神経ウイルスに感染し、その影響で下半身の麻痺に至ったことが判明した。その後も何度か台北慈済病院に入退院を繰り返し、人工股関節の置換手術も受けた。

彼が退院した後も、北部の人医会メンバーは定期的に訪問を続けた。邱鴻基(チュウ・ホンジー)医師と彭秀静(ポン・シュウジン)看護師は彼に、リハビリの大切さを繰り返し伝えた。「頼れるのは自分自身だけですよ」。周りの人たちは彼を励まし続け、「リハビリをして立ち上がり、歩行器につかまって外出できるようになれば、シニアカーをプレゼントするよ」と声をかけた。

数カ月後、阿藍さんはそれをやり遂げた。ボランティアたちが屋根付きのシニアカーをプレゼントしたので、彼は下半身不随による引きこもりの生活から一歩踏み出し、家の門を出て新たな人生を歩み始めたのである。

2014年、新北市双渓区で(手前から)邱鴻基医師とボランティアの張秀蘭、看護師の彭秀静、馬麗香の4人は往診のために、50分かけて山道を歩き、川を渡って、山の中に独りで暮らしていた阿蓮爺さんの家にたどり着いた。(撮影・劉振江)

施療会場の「お出迎え大使」

慈済ボランティアの張秀蘭(チャン・シュウラン)さんは、二〇一三年に住んでいる地域の里長から連絡を受け、阿藍さんの支援を始めた当時のことを振り返った。人医会が三年間にわたって往診を続けた後、阿藍さんの骨に骨棘(こつきょく)ができていることが判明し、再び台北慈済病院で手術を受けさせた。「お見舞いに行くと、彼はいつも病室にいなくて、頑張ってリハビリをしていました。本気でもう一度立ち上がりたいと思い、人生を諦めるつもりは全くなかったのです」。

退院した阿藍さんは、自分のことは自分でしようと努力した。週に二回、シニアカーに乗って地元の保健所へ行ってはリハビリをし、さらに定期的に通院も続けた。移動が困難な人にとって、双渓区から台北慈済病院までの距離は決して近くない。電話一本で予約できる福祉タクシーを利用するのが最も便利な方法だが、阿藍さんはあえてそれを選ばなかった。

彼は午前三時半に起床し、四時半にはシニアカーで家を出る。双渓駅に着く頃、空はまだ薄暗く、夜明け前である。駅員の手を借りて、シニアカーごと台湾鉄路の普通列車に乗り込む。台北駅に到着すると、台北メトロに乗り換えて大坪林駅へ向かい、エレベーターを使って上下移動を繰り返した後、再びシニアカーを走らせて台北慈済病院へ向かうのである。移動するだけで、実に三時間も掛かる道のりだ。帰りは台北駅で充電してから再び出発し、家に着く頃はすでに夕暮れである。

一日中座り続けると臀部が痛くなるにも関わらず、阿藍さんは甘んじて受け入れている。なぜなら、福祉バスを利用すると、一回につき千元かかるところを、自ら苦労して移動すれば、二百元で済むからだ。「自分が節約したお金をずっと支えてくれた慈済に寄付して、もっと困っている人の為に役立てて欲しいのです」。彼が、百元札がぎっしり詰まったオレンジ色の子豚の貯金箱をボランティアに手渡した時、今度は皆が感動して目頭を熱くした。

シニアカーを持つようになってから、阿藍さんは、慈済の施療日になると、必ず双渓小学校の施療拠点に来て診察を受けている。また、彼は診察に訪れた地元の人々に明るく声をかける。その姿は、まるで施療会場の「お出迎え大使」のようだ。そして、医療スタッフやボランティアと手の空いた時間におしゃべりするので、日が経つにつれてお互いに気心の知れた友人になった。自分自身と他人を助けて人生をやり直した阿藍さんは、自分のために新たな奇跡の一ページを開いたのである。(本文は『私たちは皆「医」家族――北部慈済人医会・施療日記』より抜粋)

(慈済月刊七一〇期より)

【書籍のメッセージ】

私たちはみんな「医」家族~北区慈済人医会・施療日記

著者:楊金燕

新北市平渓区で隔月に一度行われる施療は、二十年以上にわたって途切れることなく続けられている。百人規模の医療チームは役割を分担し、高齢者の体の状態に目を配り、食事や運動の指導を行い、服薬の状況を確認し、さらには病の兆しを早期に見つけ出すようにしている。それは即ち、「病気を診る」のではなく、「健康を診る」ことを大切にした、長くて温かい寄り添いなのである。

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