至誠の愛
清明節(台湾では先祖の墓参りをする)の四連休初日、一台の作業用車両が花蓮県清水トンネル手前の線路上に落下し、特急タ… Read More »
六月の出来事
06・02
◎台湾で新型コロナウイルスの感染が拡大し、全土に第三段階警戒体制が敷かれた。慈済基金会は各地の検疫所な… Read More »
花蓮に愛を注ぐ時
災難によって、花蓮に愛と善が注がれた。
この愛が、光や花火のように瞬時に現れては消えるものでないことを願っている… Read More »
慈済のCSR報告書─愛の奇跡 一元の力
一般大衆の慈済ボランティアに対する印象は、
「人数が多い」、「動員が速い」、「熱心に善行する」、
「費用を自己負担… Read More »
生活は最高の良師
問:大学生の子供がアルバイトをしたいと言ってきました。
他人の心は憶測しかねるから、
簡単に信用してはいけないと注… Read More »
無数の足跡
証人となって歴史に記すことは、私たちの世代の責任である。重要なのは、如何にして通り過ぎてきた無数の足跡の中に、一貫… Read More »
慈済基金会が万国宗教会議の評議員の一員に─国際的なプラットフォームに繋がり、善がさざ波のように広がった
二〇二一年より、慈済は「万国宗教会議」の評議員として、地域のニーズに応えるために様々な組織と協力して責務を果たして… Read More »
ボランティアが毎日忙しいわけ─もう一度慈済を認識しようボランティアが毎日忙しいわけ
「正しいことは、やれば間違いありません」。
「慈済人は『辛い』とは言わず、『幸せです』と言います」。
「言葉の限り… Read More »
防疫には斎戒しかなく、 世に入って仏法を実践する
疫病が蔓延し、世界が災いから抜け出せずにいる中、
敬虔に斎戒し、菜食して衆生を護るべきです。
六度万行でこの世と人… Read More »
世界に目を向ける
ヤンゴン市ティンガンヂュン・タウンのザヤ・トゥカ通りの住民は日雇いで生計を立てていたが、コロナ禍で仕事を失った。そ… Read More »
敬虔に斎戒して、危機を乗り越える
地上に存在する、人間(じんかん)の苦難は
人心の小さな無明が集まってできたものである。
災難が目前に差し迫った今… Read More »
伝承と超越
慈済志業は、一日に五十銭を貯金して困難の克服を支援するという「竹筒歳月」の習慣を、花蓮を起点として始めたことに由来… Read More »
今月の内容
編集者の言葉
特別報道
證厳上人のお諭し
世界に目を向ける
親と子と教師、三者の本音
百の流れは海へと帰る
六月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。