世界に目を向ける

ミャンマー
デモ行進の人混みを避け、 被災者世帯を支援する

文・黄露発(ミャンマー連絡所職員)
撮影・Thae Zar Ni Aung 
訳・高雪白

ヤンゴン市ティンガンヂュン・タウンのザヤ・トゥカ通りの住民は日雇いで生計を立てていたが、コロナ禍で仕事を失った。そして、二月八日の未明、住宅区域で大規模な火災が発生し、十七棟が全焼して、六十人余りの人が慈済の援助で建てられたティンガンヂュン・タウン第四中学校に避難した。

ミャンマーでは二月にクーデターが起き、抗議デモとストライキが全国に広がり、殆どの商店が休業を迫られた。慈済ボランティアは視察した後、営業を続けていた商店で物資を購入し、慈青たちが静思堂でそれらを小分けして梱包した。そして、直ちに見舞い金とエコ毛布、食器類、蚊帳、白米等二十二種類の生活物資を火災の被災者に届け、暫時の困難を乗りこえる支援をした。

慈済は去年五月から、コロナ禍での貧困支援活動を行ってきた。交通と人手不足の困難を克服してヤンゴン市とトングヮ町、カヤン町等六つの地域で配付を行い、今年一月までの統計で、対象者は七万六千三百世帯に上った。二月からは市街地のあちこちでデモ行進が行われたため、配付活動は暫く中止することになった。

一月、ヤンゴン市ミンガラドン工業区で、慈済は食糧が底を突きそうになっていた日雇い労働の貧しい世帯に米と食用油を配付した。コロナ禍の期間中、年配ボランティアが感染防止対策で外出することができなくなったため、慈済青年ボランティアたちが名簿の確認と作成、配付と後の訪問ケアを担った。彼らは任務がある時は静思堂で指示を待ち、その他は家で自修した。

ティンガンヂュン・タウンに住んでいる慈青のアウン・イェテットさんは、二月の大火で火が隣まで迫った時、真っ先に慈青の制服を取り出した。彼は「これは自分にとって唯一の大事なものだからです」と言った。十八歳の慈青スー・ウエイ・テットさんは、一年来、配付活動に参加して見聞きして来たおかげで、今まで気が小さかった自分が役割分担することを学び、「人々の先頭に立ってもっと善の行動をとるように呼びかけます!」と言った。


(慈済月刊六五三期より)

タイ
終息しないコロナ禍 苦しい日々を送る貧困世帯に寄り添う

文、撮影・黄娟(慈済タイ支部職員) 文・明彤

タイでは去年十二月、第二波のコロナ禍が発生し、バンコクを含む二十八の都市では厳しい行動制限令が敷かれ、集会の禁止や外出が制限された。慈済ボランティアは、日当で生計を立てている貧困世帯の食糧が続くかどうかが心配になり、積極的に各地の自治体と支援の見通しについて相談した結果、二月初めにようやくサムットプラカーン県テファラク町で、今年最初の配付を行った。

撮影・陳坤女

コロナ禍の規制で、一日わずか百世帯しか配付することができなくなったが、素早く配付できるよう、予め米や小麦粉、油、砂糖などの物資を梱包し、コミュニティの奥深く入り込んで、物資を受け取りに来られない人たちに届けた。九十歳という高齢のユアクおばあさんは、建築現場の日雇いをしている孫に頼って生計を立てていたが、慈済の物資を受け取ってとても喜んだ。また、八十歳のプアンおばあさん(上図)は寝たきりの息子の面倒を見ているが、村の七百余りのケアを受けている世帯と同じように、三カ月間物資の配付が受けられることになった。

去年の第一波のコロナ禍で、五万四千八百三十世帯余りに配付したのに続き、今年も二万五千世帯への配付を行い、グレートバンコクを始め、ラチャブリー県、ノンタブリー県などの貧困家庭と難民の生活を支援する予定である。

タイ
難民ケア 大規模施療から毎週の診療まで

文・シンガラット・チュンチョム、ラッタナショ・プラムアンサブ(慈済タイ支部職員)  訳・明陛

「タイではビザがないと職に就くことができず、薬を買うお金がない……」。身分証明書を持たない難民のジャフリ・ミシャールさんとそのお母さん、妹さんは、パキスタンからタイに逃れて来たが、一家四人の生活は行き詰まってしまった。一月三十日、ようやくタイの慈済施療センター設立直後の患者として受け入れられ、希望していた喘息と皮膚の薬をもらうことができた。

撮影・桑瑞蓮

慈済タイ支部は二〇一五年から毎月一回難民への施療を行なってきた。バンファエオ総合病院などのタイ慈済人医会に籍を置く医療スタッフとボランティアは、現地のNGOと協力して奉仕し、この五年間で支援を受けた難民は延べ八万九千人を超えている。去年の施療はコロナ禍で集会が規制されたため、中止になったが、タイムリーな医療を受けられるようにと、慈済ボランティアは今年一月、バンコクの静思堂に施療センターを設立した。週に二日、家庭医の診察と慢性病治療及び心電図、Ⅹ線等の検査による補助診断を行なっている。大規模施療と異なる点は、外来では不法滞在者にも奉仕することができ、難民カードの有無に関係なく、誰もが医療を受けることができるところだ。

施療センター設立直後の患者である六十数人の難民は、通訳ボランティアのサポートを受けながら医療スタッフによる診療を受けた。一つ一つ防疫規定を厳守しており、三月からは慈済ケア世帯の世話もするようになった。


(慈済月刊六五三期より)