善い願を共に実行する お力添えに感謝する

敬愛なる慈済ボランティアと会員、各業界の良き友人の皆様、こんにちは。謹んで新春のお祝いを申し上げます。昨年は皆様からの温かいご支援により、慈済慈善志業が成長と感動で満たされたことを心より感謝申し上げます。

新しい取り組みが認められた

慈済の栄光をすべて分かち合う――昨年の「アジア太平洋サステナビリティ・アクション・アワード」において、慈済の持続可能な開発目標達成に向けた取り組みが表彰されました。「慈済とPaGamOによる環境防災教育」、「エコ福祉用具」、「VO2菜食弁当でCO2削減」の三つの活動が金賞を獲得し、環境保護教育と寄り添いケア、食生活関係で、創意工夫とその成果が認められました。

慈済基金会は、「二○二○年〜二○二一年SDGsレポート」に、社会的、人文、寄り添いケアなど社会的協力への取り組みが示されています。また、コロナ禍の期間にワクチンの購入と寄贈で衆生を利したことで、SGS(検査、認証の会社)の第八回「ESGアワード:ダイバーシティ&インクルージョン賞」で唯一の受賞者となりました。

政府経済部の「購買力・社会イノベーション製品およびサービス推進」において、慈済青年公益実践プロジェクトが青年の社会イノベーションを大きく後押しし、公益事業を促進したことが、再びBuying部門の最優秀賞に選ばれました。

昨年度、教育部(文部省に相当)青年署の「青年海外ボランティア活動優秀チーム選抜」において、慈済国際青年会TIYAの「マンナハイの約束―シリア難民への中国語講座伴走プログラム」が、革新的な中国語講座プラットフォームをオンライン遠隔学習という形で、台湾とトルコ、シリアの学生らを結びつけたことを、初めてコンテストに応募したところ、「貢献成果と評価」の部門で特別優秀賞、そして「チームの創設と伝承」部門で優秀賞を獲得しました。

台湾を守りながら影響力を広げる

慈済は台湾に根ざし、長年恵まれない家庭を支援して、青少年教育、高齢者の安全な生活環境、防災教育に力を注ぎ、デジタル化した慈善システムによって強力なネットワークで台湾を守ってきました。地方自治体の各部門だけでなく、四十の民間企業とも契約を交わし、恵まれない家庭の子どもへの就学補助や心身障害者ケア、災害時の支援効率アップ、物資の輸送、防災教育などで協力することによって、公益における相乗効果を上げています。また、都市部と農村部合わせて一万六千軒以上の商店が既に「愛ある商店」計画に参加し、顧客が少額のお金を寄付して共に善行することを呼びかけています。

社会的投資収益率(SROI)に基づいて計算すると、各地の静思堂で台湾ドル一元を寄付した場合、8・5倍の慈善エネルギーが生まれ、環境保全志業へ投入した場合は6・3倍のポジティブな効果、エコ福祉用具活動の場合は81・18倍もの社会的影響力を生み出していることになり、支援を受ける側の経済的負担の軽減にも繋がっています。

二○五○年までのネット・ゼロ・エミッションを目指し、十七カ所の静思堂に太陽光パネルを取り付け、グリーンエネルギーの創出とスマートエネルギー貯蔵システム、エネルギーの正しい使い方に向かって邁進しています。また、台北市松山区には植物性飲食の複合施設「植境」がオープンしました。ここでは、若い世代に斬新な菜食を体験してもらうための活動が始まっています。その他にも、移動式環境保全教育車両を十五の県や市の小中学校に派遣したり、公的施設で九十回ほどの展示イベントを開催したりしており、既に延べ十万人以上が参加しました。

ホタルの淡い光が世界で灯る

二〇二三年世界宗教議会の閉会式で、證厳法師が要請に答えてオンラインで、世界が直面している問題についての懸念と感謝の気持ちを述べられました。

慈済は国連や世界のNGO組織と協力していますが、昨年の国際災害支援で援助した人数は延べ四十五万人以上を数え、台湾の米による支援で延べ七十九万人が恩恵を受け、戦争で避難した延べ五十八万人を支援しました。現地の長期的な教育支援と養成ボランティアの自立によって、蛍の淡い光が各地に広がるように、これこそグローバル・ローカリゼーション化した善の循環と言えるのではないでしょうか。

ネパールのルンビニやカピラヴァストゥ、インドのブッダガヤなどで、慈善・医療・教育・人文という「四面体支援」によって、「仏陀の故郷に恩返し」プロジェクトを推進してきました。ネパールで国際非政府組織(INGO)が設立されたことを機に、女性の職業訓練、貧困からの脱出、就学費の助成に焦点を当て、人々の生活を改善して人文教養を高めることに力を入れています。

九月には、米国ハーバード大学文理学部との共催で、「第九回グローバル共善学思会シンポジウム」が同大学で開催されました。世界各地から三十名以上の学者や専門家が参加して、「證厳法師の思想と実践に関する研究」をテーマにした研究発表がありました。世界最高峰と言われる大学で、慈済の開祖證厳法師の思想とリーダーシップによる行いが研究討論されたのです。

青年ボランティアが役割を引き継ぐ

昨年、台湾全土の延べ二十五万人が参加し、高雄、彰化、台北で上演回数二十三回に及んだ経蔵劇「無量義・法髓頌」は芸術と仏教を融合したもので、慈済志業が世の中で仏陀の教えを実践していることを表していると共に、自らの清らかな本性と法師に対する「必ずやり遂げます」という途切れない決意を表しています。千人近い若者が経蔵劇に参加して、一挙手一投足で仏法を表し、観衆と深く共鳴したことで、大きな希望を感じました。

青年たちの引き継ぎに、研修キャンプ側は手応えを感じており、慈済国際青年協会(TIYA)が多国籍の人材を育成して、COP28やクライメート・ウィーク・ニューヨーク、国連経済社会理事会青年フォーラムなどの国際会議に出席していることもその表れです。

アメリカ海洋大気庁(NOAA)の研究統計によると、二○二三年七月六日、世界の気温が再び高温記録を刷新したとのことです。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が発表した報告書によれば、多くの科学者は、人類の行動が気候温暖化をもたらしていると考えています。

深刻化する気候非常事態宣言に向き合い、誰もが人類の持続可能という使命を共に背負っているのです。慈済基金会はガバナンスの強化、領域を超えたデジタル化、エンパワーメントの伝承、防災教育と菜食の促進、持続可能なネットゼロエミッションの実現に向けての取り組みを、皆様のご支援の下で着実に実践してまいります。

本年も、お力添えをよろしくお願い申し上げます。皆様にとって良い年になりますよう祝福を祈念して、私からの挨拶とさせていただきます。

(慈済月刊六八七期より)

敬愛なる慈済ボランティアと会員、各業界の良き友人の皆様、こんにちは。謹んで新春のお祝いを申し上げます。昨年は皆様からの温かいご支援により、慈済慈善志業が成長と感動で満たされたことを心より感謝申し上げます。

新しい取り組みが認められた

慈済の栄光をすべて分かち合う――昨年の「アジア太平洋サステナビリティ・アクション・アワード」において、慈済の持続可能な開発目標達成に向けた取り組みが表彰されました。「慈済とPaGamOによる環境防災教育」、「エコ福祉用具」、「VO2菜食弁当でCO2削減」の三つの活動が金賞を獲得し、環境保護教育と寄り添いケア、食生活関係で、創意工夫とその成果が認められました。

慈済基金会は、「二○二○年〜二○二一年SDGsレポート」に、社会的、人文、寄り添いケアなど社会的協力への取り組みが示されています。また、コロナ禍の期間にワクチンの購入と寄贈で衆生を利したことで、SGS(検査、認証の会社)の第八回「ESGアワード:ダイバーシティ&インクルージョン賞」で唯一の受賞者となりました。

政府経済部の「購買力・社会イノベーション製品およびサービス推進」において、慈済青年公益実践プロジェクトが青年の社会イノベーションを大きく後押しし、公益事業を促進したことが、再びBuying部門の最優秀賞に選ばれました。

昨年度、教育部(文部省に相当)青年署の「青年海外ボランティア活動優秀チーム選抜」において、慈済国際青年会TIYAの「マンナハイの約束―シリア難民への中国語講座伴走プログラム」が、革新的な中国語講座プラットフォームをオンライン遠隔学習という形で、台湾とトルコ、シリアの学生らを結びつけたことを、初めてコンテストに応募したところ、「貢献成果と評価」の部門で特別優秀賞、そして「チームの創設と伝承」部門で優秀賞を獲得しました。

台湾を守りながら影響力を広げる

慈済は台湾に根ざし、長年恵まれない家庭を支援して、青少年教育、高齢者の安全な生活環境、防災教育に力を注ぎ、デジタル化した慈善システムによって強力なネットワークで台湾を守ってきました。地方自治体の各部門だけでなく、四十の民間企業とも契約を交わし、恵まれない家庭の子どもへの就学補助や心身障害者ケア、災害時の支援効率アップ、物資の輸送、防災教育などで協力することによって、公益における相乗効果を上げています。また、都市部と農村部合わせて一万六千軒以上の商店が既に「愛ある商店」計画に参加し、顧客が少額のお金を寄付して共に善行することを呼びかけています。

社会的投資収益率(SROI)に基づいて計算すると、各地の静思堂で台湾ドル一元を寄付した場合、8・5倍の慈善エネルギーが生まれ、環境保全志業へ投入した場合は6・3倍のポジティブな効果、エコ福祉用具活動の場合は81・18倍もの社会的影響力を生み出していることになり、支援を受ける側の経済的負担の軽減にも繋がっています。

二○五○年までのネット・ゼロ・エミッションを目指し、十七カ所の静思堂に太陽光パネルを取り付け、グリーンエネルギーの創出とスマートエネルギー貯蔵システム、エネルギーの正しい使い方に向かって邁進しています。また、台北市松山区には植物性飲食の複合施設「植境」がオープンしました。ここでは、若い世代に斬新な菜食を体験してもらうための活動が始まっています。その他にも、移動式環境保全教育車両を十五の県や市の小中学校に派遣したり、公的施設で九十回ほどの展示イベントを開催したりしており、既に延べ十万人以上が参加しました。

ホタルの淡い光が世界で灯る

二〇二三年世界宗教議会の閉会式で、證厳法師が要請に答えてオンラインで、世界が直面している問題についての懸念と感謝の気持ちを述べられました。

慈済は国連や世界のNGO組織と協力していますが、昨年の国際災害支援で援助した人数は延べ四十五万人以上を数え、台湾の米による支援で延べ七十九万人が恩恵を受け、戦争で避難した延べ五十八万人を支援しました。現地の長期的な教育支援と養成ボランティアの自立によって、蛍の淡い光が各地に広がるように、これこそグローバル・ローカリゼーション化した善の循環と言えるのではないでしょうか。

ネパールのルンビニやカピラヴァストゥ、インドのブッダガヤなどで、慈善・医療・教育・人文という「四面体支援」によって、「仏陀の故郷に恩返し」プロジェクトを推進してきました。ネパールで国際非政府組織(INGO)が設立されたことを機に、女性の職業訓練、貧困からの脱出、就学費の助成に焦点を当て、人々の生活を改善して人文教養を高めることに力を入れています。

九月には、米国ハーバード大学文理学部との共催で、「第九回グローバル共善学思会シンポジウム」が同大学で開催されました。世界各地から三十名以上の学者や専門家が参加して、「證厳法師の思想と実践に関する研究」をテーマにした研究発表がありました。世界最高峰と言われる大学で、慈済の開祖證厳法師の思想とリーダーシップによる行いが研究討論されたのです。

青年ボランティアが役割を引き継ぐ

昨年、台湾全土の延べ二十五万人が参加し、高雄、彰化、台北で上演回数二十三回に及んだ経蔵劇「無量義・法髓頌」は芸術と仏教を融合したもので、慈済志業が世の中で仏陀の教えを実践していることを表していると共に、自らの清らかな本性と法師に対する「必ずやり遂げます」という途切れない決意を表しています。千人近い若者が経蔵劇に参加して、一挙手一投足で仏法を表し、観衆と深く共鳴したことで、大きな希望を感じました。

青年たちの引き継ぎに、研修キャンプ側は手応えを感じており、慈済国際青年協会(TIYA)が多国籍の人材を育成して、COP28やクライメート・ウィーク・ニューヨーク、国連経済社会理事会青年フォーラムなどの国際会議に出席していることもその表れです。

アメリカ海洋大気庁(NOAA)の研究統計によると、二○二三年七月六日、世界の気温が再び高温記録を刷新したとのことです。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が発表した報告書によれば、多くの科学者は、人類の行動が気候温暖化をもたらしていると考えています。

深刻化する気候非常事態宣言に向き合い、誰もが人類の持続可能という使命を共に背負っているのです。慈済基金会はガバナンスの強化、領域を超えたデジタル化、エンパワーメントの伝承、防災教育と菜食の促進、持続可能なネットゼロエミッションの実現に向けての取り組みを、皆様のご支援の下で着実に実践してまいります。

本年も、お力添えをよろしくお願い申し上げます。皆様にとって良い年になりますよう祝福を祈念して、私からの挨拶とさせていただきます。

(慈済月刊六八七期より)

關鍵字

ルンビニからブッダガヤまで|路地から路地へ─街を歩いて愛を繋げる

二年前から、シンガポールとマレーシアのボランティアは、ネパールのルンビニに滞在し、ブッダ生誕の地で慈善活動を始めた。今年初め、ブッダが成道した場所であるインド・ブッダガヤで歳末祝福会を三回行い、二千三百人余りに仏法に親しんでもらった。慈済は五十八年目に入り、ブッダの故郷を無から有に変え、現地ボランティアが担ってくれたことで、一同は大愛を路地裏にまで送り込むことができた。

インド・ブッダガヤのボランティアが脳梗塞を患ったサムフルさん(中央)を訪ねた。現地ボランティアのスダさん(右一)はシンガポールとマレーシアのボランティアに同行してケア世帯とどのように接したらよいかを学んだ。(撮影・林家如)

ブッダガヤのラッティビガ村は住宅が密集している。2023年9月に医療チームのボランティアが何度も村を訪れて、村民に健康診断を行った。(撮影・鄧亦絢)

インド・ブッダガヤのもう一つの風景

文・魏玉縣(台中慈済ボランティア)
訳・心嫈

インドのブッダガヤは、二千五百年余り前に仏陀が成道した場所である。

今は仏教四大聖地の一つとなり、世界各地から旅行者が訪れている。この半年間、シンガポールとマレーシアの慈済ボランティアは、巡礼や修行にも来るが、更に、そこで人々が心の安らぎを得られるように、「平和で幸福な場所」を創りたいと志を立てた。

早朝、インド・ブッダガヤ慈済連絡所の外に二台のトゥクトゥクが停まっていた。車の屋根には黒板や扇風機、サッカーボール、食器、ノートがいっぱい積まれ、中には十人の慈済ボランティアが乗っており、ここから四、五十分の距離にある二つの学校に出発するところだった。その横には、地元ボランティアのアマルさんがバイクで付き添った。後ろの席にはマレーシアから来た、副校長を退職した姚雅美さんが乗っていた。

インドの田舎では全般的に清潔な水が不足している。今年五月、慈済ボランティアがブッダガヤの多くの学校を訪れて水質調査を行ったところ、ガート公立学校は、水だけでなく、各種学用品も不足していたので、今回九月二十日に配付活動が行われた。

学校は、トゥクトゥクの運転手でさえ途中で道を聞かなければならないほど辺鄙な村にあった。そこは二十年もの間水道が通っておらず、近くに住んでいる女性教師が毎日バケツ二杯の水を学校まで運び、子供たちに手を洗わせていた。ボランティアは、政府が近くに敷いた水道管から学校の貯水槽までパイプを繋ぎ、そこから調理場、洗面台、トイレにパイプラインを敷設した。

水のある日は長く続かなかった。というのも、農民が水道管の途中から水を灌漑用に引いてしまったのだ。学校側は、なす術がなかった。毎週学校で静思語を教えに来る姚さんは、校長先生に「何がなんでも政府に水不足の問題を解決してもらってください」と懇願した。

一年生の教室に来ると、四十五人の子供が裸電球一つと二つの窓だけを頼りに明かりをとっていた。全員が布を敷いた床に座り、ある子供の側には更に小さい子が寄り添っていた。彼らの弟や妹だろうと容易に推測できる。インドの高温は有名だが、各教室にはシーリングファンが一台しかない。また、食事の皿も足りないので、子供たちは交代で食事をしなければならない。子供が放課後に一番したいのはサッカーだが、サッカーボールは全て破れてしまっていた……ボランティアは何とかしてその状況を改善した。校長のシブ‧プジャンさんは、「慈済にとても感謝しています。我が校が今直面している問題は全て解決してくれました」と笑顔で言った。

政府は子供たちの制服代を各家庭の銀行口座に振り込むようにしているが、やりくりができず、銀行に口座を開くことが難しい親もいる。それ故、子供たちは私服で登校しており、校長先生は、何か方法を考えてみると言った。様子を見るしかなく、姚さんはため息をついて、「良い結果が出ることを願っています」と言った。

ボランティアたちは再びゴンガリヤ学校を訪れたが、サルミラ‧クマリ校長が最も困っていたのが、子供たちの欠席が深刻化していることだった。学校生徒百八十人中、毎日登校しているのは百二十人ほどしかいない。というのも、学校には教室が二つしかなく、また、親が農作業や家事の手伝いのために、子供を家に引き留めているからだ。姚さんは、教師が学校に行かなくても良い休日を利用して、皆で一緒に欠席している子供たちを訪ねるつもりだ、と言った。

校長先生は難色を示したが、姚さんは「その気さえあれば、できますよ」と励ました。姚さんは、台湾とマレーシアのボランティアのことを例に挙げた。彼らが遠路はるばるインドに来たのは、子供たちの教育水準の向上を手助けするためなのである。

姚さんは、実は、既に心に決めていると言った。たとえ先生たちが参加したがらず、一人や二人しか同行しなくても、彼女は実行に移すつもりだった。「上人が『中退ゼロ』、『欠席ゼロ』の達成を望んでいらっしゃるからです」。

校庭を一周すると、ブッダガヤの教育、公衆衛生、厳しい生活などの現実を知ることができる。慈済基金会は二〇二二年十一月、インドでNPOとして登録し、二〇二三年九月十三日にブッダガヤに慈済連絡所を開設した。貧しい住民に助けを求められる場所を提供し、地元ボランティアを養成することが、これからの努力目標である。

仏陀は弟子たちに悟りへの道を教えたが、證厳法師は仏陀の故郷に恩返ししたいと常々願って来た。歴史を振り返ると、シッダールタ王子は修行のために宮殿を出て、苦行林で六年間苦行をしたが、そこを離れようとした時、体力が尽きそうになり、羊飼いのスジャータにヤギの乳を提供してもらったことで体力が回復し、尼連禅河を渡ることができた。そして、菩提樹の下で悟りを開いたのである。後に、サルナートで法を弘め、クシナーラーで入滅した。即ちネパールとインドの双方とも仏陀の故郷なのである。

ここ数年はコロナ禍の影響が大きく、昨年四月にネパールの国境が開かれるまで出向くことができなかったが、その後直ちに仏陀生誕の地であるネパールのルンビニに向かった。一年間の経験から、特に、静思語教育に対する反響がとても良いことを知り、ボランティアチームは、それをインドのブッダガヤ・シロンガ村にも広めた。そして、スジャータ村でブッダガヤ初めての慈善ケア世帯案件が成立した。その後、住民の医療ニーズに応じて、六月からコミュニティーで健康診断を行った。

現地に連絡所を設置してからというもの、シンガポールとマレーシアのボランティアは、もうホテルに泊まらなくてもよくなった。そこは世界の慈済人の家であるだけでなく、世界中の人が巡礼や禅の修行のためにブッダガヤを訪れた時、慈済連絡所がそこにあることで、あらゆる人にとっての「平和と幸福の場所」となり、心の安らぎを得る場所でもあることを知ってもらいたい。

(慈済月刊六八四期より)

二年前から、シンガポールとマレーシアのボランティアは、ネパールのルンビニに滞在し、ブッダ生誕の地で慈善活動を始めた。今年初め、ブッダが成道した場所であるインド・ブッダガヤで歳末祝福会を三回行い、二千三百人余りに仏法に親しんでもらった。慈済は五十八年目に入り、ブッダの故郷を無から有に変え、現地ボランティアが担ってくれたことで、一同は大愛を路地裏にまで送り込むことができた。

インド・ブッダガヤのボランティアが脳梗塞を患ったサムフルさん(中央)を訪ねた。現地ボランティアのスダさん(右一)はシンガポールとマレーシアのボランティアに同行してケア世帯とどのように接したらよいかを学んだ。(撮影・林家如)

ブッダガヤのラッティビガ村は住宅が密集している。2023年9月に医療チームのボランティアが何度も村を訪れて、村民に健康診断を行った。(撮影・鄧亦絢)

インド・ブッダガヤのもう一つの風景

文・魏玉縣(台中慈済ボランティア)
訳・心嫈

インドのブッダガヤは、二千五百年余り前に仏陀が成道した場所である。

今は仏教四大聖地の一つとなり、世界各地から旅行者が訪れている。この半年間、シンガポールとマレーシアの慈済ボランティアは、巡礼や修行にも来るが、更に、そこで人々が心の安らぎを得られるように、「平和で幸福な場所」を創りたいと志を立てた。

早朝、インド・ブッダガヤ慈済連絡所の外に二台のトゥクトゥクが停まっていた。車の屋根には黒板や扇風機、サッカーボール、食器、ノートがいっぱい積まれ、中には十人の慈済ボランティアが乗っており、ここから四、五十分の距離にある二つの学校に出発するところだった。その横には、地元ボランティアのアマルさんがバイクで付き添った。後ろの席にはマレーシアから来た、副校長を退職した姚雅美さんが乗っていた。

インドの田舎では全般的に清潔な水が不足している。今年五月、慈済ボランティアがブッダガヤの多くの学校を訪れて水質調査を行ったところ、ガート公立学校は、水だけでなく、各種学用品も不足していたので、今回九月二十日に配付活動が行われた。

学校は、トゥクトゥクの運転手でさえ途中で道を聞かなければならないほど辺鄙な村にあった。そこは二十年もの間水道が通っておらず、近くに住んでいる女性教師が毎日バケツ二杯の水を学校まで運び、子供たちに手を洗わせていた。ボランティアは、政府が近くに敷いた水道管から学校の貯水槽までパイプを繋ぎ、そこから調理場、洗面台、トイレにパイプラインを敷設した。

水のある日は長く続かなかった。というのも、農民が水道管の途中から水を灌漑用に引いてしまったのだ。学校側は、なす術がなかった。毎週学校で静思語を教えに来る姚さんは、校長先生に「何がなんでも政府に水不足の問題を解決してもらってください」と懇願した。

一年生の教室に来ると、四十五人の子供が裸電球一つと二つの窓だけを頼りに明かりをとっていた。全員が布を敷いた床に座り、ある子供の側には更に小さい子が寄り添っていた。彼らの弟や妹だろうと容易に推測できる。インドの高温は有名だが、各教室にはシーリングファンが一台しかない。また、食事の皿も足りないので、子供たちは交代で食事をしなければならない。子供が放課後に一番したいのはサッカーだが、サッカーボールは全て破れてしまっていた……ボランティアは何とかしてその状況を改善した。校長のシブ‧プジャンさんは、「慈済にとても感謝しています。我が校が今直面している問題は全て解決してくれました」と笑顔で言った。

政府は子供たちの制服代を各家庭の銀行口座に振り込むようにしているが、やりくりができず、銀行に口座を開くことが難しい親もいる。それ故、子供たちは私服で登校しており、校長先生は、何か方法を考えてみると言った。様子を見るしかなく、姚さんはため息をついて、「良い結果が出ることを願っています」と言った。

ボランティアたちは再びゴンガリヤ学校を訪れたが、サルミラ‧クマリ校長が最も困っていたのが、子供たちの欠席が深刻化していることだった。学校生徒百八十人中、毎日登校しているのは百二十人ほどしかいない。というのも、学校には教室が二つしかなく、また、親が農作業や家事の手伝いのために、子供を家に引き留めているからだ。姚さんは、教師が学校に行かなくても良い休日を利用して、皆で一緒に欠席している子供たちを訪ねるつもりだ、と言った。

校長先生は難色を示したが、姚さんは「その気さえあれば、できますよ」と励ました。姚さんは、台湾とマレーシアのボランティアのことを例に挙げた。彼らが遠路はるばるインドに来たのは、子供たちの教育水準の向上を手助けするためなのである。

姚さんは、実は、既に心に決めていると言った。たとえ先生たちが参加したがらず、一人や二人しか同行しなくても、彼女は実行に移すつもりだった。「上人が『中退ゼロ』、『欠席ゼロ』の達成を望んでいらっしゃるからです」。

校庭を一周すると、ブッダガヤの教育、公衆衛生、厳しい生活などの現実を知ることができる。慈済基金会は二〇二二年十一月、インドでNPOとして登録し、二〇二三年九月十三日にブッダガヤに慈済連絡所を開設した。貧しい住民に助けを求められる場所を提供し、地元ボランティアを養成することが、これからの努力目標である。

仏陀は弟子たちに悟りへの道を教えたが、證厳法師は仏陀の故郷に恩返ししたいと常々願って来た。歴史を振り返ると、シッダールタ王子は修行のために宮殿を出て、苦行林で六年間苦行をしたが、そこを離れようとした時、体力が尽きそうになり、羊飼いのスジャータにヤギの乳を提供してもらったことで体力が回復し、尼連禅河を渡ることができた。そして、菩提樹の下で悟りを開いたのである。後に、サルナートで法を弘め、クシナーラーで入滅した。即ちネパールとインドの双方とも仏陀の故郷なのである。

ここ数年はコロナ禍の影響が大きく、昨年四月にネパールの国境が開かれるまで出向くことができなかったが、その後直ちに仏陀生誕の地であるネパールのルンビニに向かった。一年間の経験から、特に、静思語教育に対する反響がとても良いことを知り、ボランティアチームは、それをインドのブッダガヤ・シロンガ村にも広めた。そして、スジャータ村でブッダガヤ初めての慈善ケア世帯案件が成立した。その後、住民の医療ニーズに応じて、六月からコミュニティーで健康診断を行った。

現地に連絡所を設置してからというもの、シンガポールとマレーシアのボランティアは、もうホテルに泊まらなくてもよくなった。そこは世界の慈済人の家であるだけでなく、世界中の人が巡礼や禅の修行のためにブッダガヤを訪れた時、慈済連絡所がそこにあることで、あらゆる人にとっての「平和と幸福の場所」となり、心の安らぎを得る場所でもあることを知ってもらいたい。

(慈済月刊六八四期より)

關鍵字

真善の美しさ

生命の価値は自ら振り返り、
感謝の心で諸々の善を施し、
皆で情を繋いで福を造り、大愛を広めましょう。
弘法で衆生を利して力を結集し、
助け合って苦難を取り除けば、
和気藹々とした助け合いの真善美で、
光明が遍くこの世を照らすでしょう。

生命の価値は自ら振り返り、感謝の心で諸々の善を施し、皆で情を繋いで福を造り、大愛を広めましょう。

弘法で衆生を利して力を結集し、助け合って苦難を取り除けば、和気藹々とした助け合いの真善美で、光明が遍くこの世を照らすでしょう。

生命の価値は自ら振り返り、
感謝の心で諸々の善を施し、
皆で情を繋いで福を造り、大愛を広めましょう。
弘法で衆生を利して力を結集し、
助け合って苦難を取り除けば、
和気藹々とした助け合いの真善美で、
光明が遍くこの世を照らすでしょう。

生命の価値は自ら振り返り、感謝の心で諸々の善を施し、皆で情を繋いで福を造り、大愛を広めましょう。

弘法で衆生を利して力を結集し、助け合って苦難を取り除けば、和気藹々とした助け合いの真善美で、光明が遍くこの世を照らすでしょう。

關鍵字

就学人生で初めての学生カバン

インド•ブッダカヤの慈済ボランティアチームは、二○二三年十二月十一日午後、南部ファテープルのスルタンプール中学校で、三百六十一個の学生カバンを配付した(上の写真)。

この半年間、ボランティアはへき地や貧しい地域の学校を捜し出し、一カ所ずつ訪れた。多くの生徒は裸足で登校していて、制服はおろか、学生カバンを持ったことさえなく、米袋や布袋で代用していた。文房具は彼らにとって、贅沢品なのだ。
十一月二十三日から十二月十五日まで、十四の学校で四千個余りの学生カバンを配付した。(資料の提供・楊春燕、魏玉縣)

(慈済月刊六八七期より)

教育ケア
  • 中退者ゼロ計画、学校の建設支援、大学生への奨学金と授業料補助、静思語教育、コミュニティでの補習クラス。
  • 配付項目:学用品、防寒服、サンダル。
  • 運動会を催して、保護者が子供の就学状況に関心を持ち、教師と生徒の間の感情を近づけるのが目的。

インド•ブッダカヤの慈済ボランティアチームは、二○二三年十二月十一日午後、南部ファテープルのスルタンプール中学校で、三百六十一個の学生カバンを配付した(上の写真)。

この半年間、ボランティアはへき地や貧しい地域の学校を捜し出し、一カ所ずつ訪れた。多くの生徒は裸足で登校していて、制服はおろか、学生カバンを持ったことさえなく、米袋や布袋で代用していた。文房具は彼らにとって、贅沢品なのだ。
十一月二十三日から十二月十五日まで、十四の学校で四千個余りの学生カバンを配付した。(資料の提供・楊春燕、魏玉縣)

(慈済月刊六八七期より)

教育ケア
  • 中退者ゼロ計画、学校の建設支援、大学生への奨学金と授業料補助、静思語教育、コミュニティでの補習クラス。
  • 配付項目:学用品、防寒服、サンダル。
  • 運動会を催して、保護者が子供の就学状況に関心を持ち、教師と生徒の間の感情を近づけるのが目的。
關鍵字

三月の出来事

03・01

慈済基金会と慈済大学は、宗教団体のシカゴ・ヴィヴェカーナンダ・ヴェーダーンタ協会と共同で、即日より12月31日まで、オンラインで英語による仏教講座を開く。日本の京都大学と東北大学、台湾法鼓文理学院及びアメリカ・ハーバード大学、ナロパ大学、ニューヨークのユニオン神学校などから教授や学者を講師に迎える。講座の内容は仏教の起源と核心概念、初期の仏教の発展、仏教後期の発展と仏教現代主義、当代社会の仏教、世界変革者としての仏教などである。

03・02

◎慈済基金会は中正静思堂で正式に、第二期「マンナハイの約束」と題したシリア難民への中国語学習伴走プロジェクトと第一期「異郷の愛」と題したタイ北部での中国語学習伴走プロジェクトを開始した。国立師範大学教育学院の中国語教育学科のカリキュラムに基づくコースに、本日は75人が出席した。

◎静思書軒は拓凱教育基金会と共同で、初めて台中の慈済東大静思堂において、「二十一世紀の教養觀――如何にして多元的に変化する世界と歩調を合わせるか」というテーマの下に講座を開いた。国立中央大学認知神経研究所の洪蘭(ホン・ラン)教授が招かれて、子供に教養を身につけさせる考えと方法について話した。360人が参加した。

03・03

◎北部慈済人医会は、2004年から台北市政府労働局と協力して、外国籍労働者の健康ケア活動を行っており、これまで延べ1万6千人が恩恵を受けた。本日、台北駅で本年度第一回の活動を催し、歯科、耳鼻咽喉科、内科、産婦人科、心身医学科、中医学科などの診療と共に、腹部と産婦人科のエコー検査が行われた。

◎チリ慈済連絡所は、華僑懇親会の友誼会館で新春祈福感謝会を催し、参加者100人余りが訪れた。責任者の呉惠蘭(ウー・フウェイラン)師姐が、大衆の慈済に対する護持を感謝すると共に、慈済のビニャ・デル・マール火災被災者支援を呼びかけ、711万ペソの募金を集めた。

03・07

慈済基金会は桃園八徳静思堂で、「慈済緊急災害支援物資貯蔵管理教育講座」を開いた。劉效成(リュウ・シァオツン)副執行長を先頭に、総務所と慈発所及び防災関連業務の職員60数人が参加した。この「クラウド貯蔵システム」は新竹物流会社が開発したもので、無償で慈済に提供している。

03・10

◎国際仏教連盟(IBC)主席のラマ・アワング・テンジン・ギャソ氏と災害支援所秘書のナワン氏一行が、本日慈済インド・ブッダガヤ連絡所を訪れ、仏国プロジェクトチームの蘇祈逢(スウ・チーフォン)師兄と医療チームボランティアの林金燕(リン・ジンイェン)師姐が出迎え、慈済の由来及び当地で進めている慈善や医療などの志業活動の足跡を紹介した。

◎慈済ドミニカ連絡所は設立25周年の記念行事を行い、120人余りが参加した。

03・11

◎慈済基金会とエアリンク(航空輸送と物流のNGO)が共同で主催する「第二回アジア太平洋地区非営利団体のための人道支援物流防災ワークショップ」が11日から15日まで新店静思堂と花蓮静思精舎で開かれた。

◎第68回国連女性の地位委員会(CSW68)が11日から22日までアメリカ・ニューヨークで開かれた。慈済基金会の代表チームは全日程に出席すると共に、多数のインタラクティブ・ダイアローグを主催した。

03・12

新北市政府消防局主催で、慈済基金会と台湾大学気候災害研究センター共催の「新北市2024年第49期防災士養成講座」が、12日と13日に板橋静思堂で開かれた。新北市副市長の朱惕之(ヅウ・ティーヅー)氏と慈済副執行長の濟舵(ヂー・ドゥオ)師兄が開講式を主宰した。慈済が受け持つ本年度の新北市防災士養成講座は、3月6日から第47期が始まり、11月下旬まで23回開かれる。

03・13

慈済基金会仏の国プロジェクトチームは、ネパール・ルンビニ文化都市第11区のサドハワ村で、「米貯金箱の里帰り」活動を行った。当村で20世帯の住民が呼応して、合計63キロの米を寄付した。当日、他の5世帯が新たに参加して米貯金箱を受け取り、活動を盛り上げた。

03・14

慈済マレーシア・マラッカ支部は国家衛生研究院、国立科学工芸博物館と共同で、マラッカ静思堂にて「防疫戦キャンプ」の巡回展示会が催され、マルチメディアを通した体験とレベルクリアゲームによって、デング熱や流感、新型コロナなどの病気と予防法を紹介した。展示会は2024年3月14日から5月17日まで開かれる。

03・15

慈済基金会2024年外国語チーム・ルーツ探訪研修会が、15日から17日まで花蓮静思堂と静思精舎で開かれ、75人が参加した。そのうちの10人は外国籍で、ロシア、日本、インド、インドネシア、ベトナムの人たちである。

03・01

慈済基金会と慈済大学は、宗教団体のシカゴ・ヴィヴェカーナンダ・ヴェーダーンタ協会と共同で、即日より12月31日まで、オンラインで英語による仏教講座を開く。日本の京都大学と東北大学、台湾法鼓文理学院及びアメリカ・ハーバード大学、ナロパ大学、ニューヨークのユニオン神学校などから教授や学者を講師に迎える。講座の内容は仏教の起源と核心概念、初期の仏教の発展、仏教後期の発展と仏教現代主義、当代社会の仏教、世界変革者としての仏教などである。

03・02

◎慈済基金会は中正静思堂で正式に、第二期「マンナハイの約束」と題したシリア難民への中国語学習伴走プロジェクトと第一期「異郷の愛」と題したタイ北部での中国語学習伴走プロジェクトを開始した。国立師範大学教育学院の中国語教育学科のカリキュラムに基づくコースに、本日は75人が出席した。

◎静思書軒は拓凱教育基金会と共同で、初めて台中の慈済東大静思堂において、「二十一世紀の教養觀――如何にして多元的に変化する世界と歩調を合わせるか」というテーマの下に講座を開いた。国立中央大学認知神経研究所の洪蘭(ホン・ラン)教授が招かれて、子供に教養を身につけさせる考えと方法について話した。360人が参加した。

03・03

◎北部慈済人医会は、2004年から台北市政府労働局と協力して、外国籍労働者の健康ケア活動を行っており、これまで延べ1万6千人が恩恵を受けた。本日、台北駅で本年度第一回の活動を催し、歯科、耳鼻咽喉科、内科、産婦人科、心身医学科、中医学科などの診療と共に、腹部と産婦人科のエコー検査が行われた。

◎チリ慈済連絡所は、華僑懇親会の友誼会館で新春祈福感謝会を催し、参加者100人余りが訪れた。責任者の呉惠蘭(ウー・フウェイラン)師姐が、大衆の慈済に対する護持を感謝すると共に、慈済のビニャ・デル・マール火災被災者支援を呼びかけ、711万ペソの募金を集めた。

03・07

慈済基金会は桃園八徳静思堂で、「慈済緊急災害支援物資貯蔵管理教育講座」を開いた。劉效成(リュウ・シァオツン)副執行長を先頭に、総務所と慈発所及び防災関連業務の職員60数人が参加した。この「クラウド貯蔵システム」は新竹物流会社が開発したもので、無償で慈済に提供している。

03・10

◎国際仏教連盟(IBC)主席のラマ・アワング・テンジン・ギャソ氏と災害支援所秘書のナワン氏一行が、本日慈済インド・ブッダガヤ連絡所を訪れ、仏国プロジェクトチームの蘇祈逢(スウ・チーフォン)師兄と医療チームボランティアの林金燕(リン・ジンイェン)師姐が出迎え、慈済の由来及び当地で進めている慈善や医療などの志業活動の足跡を紹介した。

◎慈済ドミニカ連絡所は設立25周年の記念行事を行い、120人余りが参加した。

03・11

◎慈済基金会とエアリンク(航空輸送と物流のNGO)が共同で主催する「第二回アジア太平洋地区非営利団体のための人道支援物流防災ワークショップ」が11日から15日まで新店静思堂と花蓮静思精舎で開かれた。

◎第68回国連女性の地位委員会(CSW68)が11日から22日までアメリカ・ニューヨークで開かれた。慈済基金会の代表チームは全日程に出席すると共に、多数のインタラクティブ・ダイアローグを主催した。

03・12

新北市政府消防局主催で、慈済基金会と台湾大学気候災害研究センター共催の「新北市2024年第49期防災士養成講座」が、12日と13日に板橋静思堂で開かれた。新北市副市長の朱惕之(ヅウ・ティーヅー)氏と慈済副執行長の濟舵(ヂー・ドゥオ)師兄が開講式を主宰した。慈済が受け持つ本年度の新北市防災士養成講座は、3月6日から第47期が始まり、11月下旬まで23回開かれる。

03・13

慈済基金会仏の国プロジェクトチームは、ネパール・ルンビニ文化都市第11区のサドハワ村で、「米貯金箱の里帰り」活動を行った。当村で20世帯の住民が呼応して、合計63キロの米を寄付した。当日、他の5世帯が新たに参加して米貯金箱を受け取り、活動を盛り上げた。

03・14

慈済マレーシア・マラッカ支部は国家衛生研究院、国立科学工芸博物館と共同で、マラッカ静思堂にて「防疫戦キャンプ」の巡回展示会が催され、マルチメディアを通した体験とレベルクリアゲームによって、デング熱や流感、新型コロナなどの病気と予防法を紹介した。展示会は2024年3月14日から5月17日まで開かれる。

03・15

慈済基金会2024年外国語チーム・ルーツ探訪研修会が、15日から17日まで花蓮静思堂と静思精舎で開かれ、75人が参加した。そのうちの10人は外国籍で、ロシア、日本、インド、インドネシア、ベトナムの人たちである。

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682期有聲書導讀

(點封面,可開啟數位月刊輔助閱讀)

682期慈濟月刊

九月號慈濟月刊



※點選播放後,已預設自動接續下一篇文章,您也可自行點開下拉選單選擇您要聽的內容。

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【極熱地球】出席聯合國環境大會 推素與減塑

會場外,少數群體表達環境正義等訴求;接納多元及聆聽少數是本次大會倡導的價值。

  • 背景  慈濟基金會二○○三年成為聯合國NGO成員;二○一九年成為聯合國環境署觀察員;二○二三年至二○二五年,聯合國環境署委任為婦女委員會及信仰組織青年委員會成員

  • 行程  二月出席非洲肯亞奈洛比舉行的第六屆聯合國環境大會
            三月參與在美國紐約舉行的第六十八屆聯合國婦女大會

二○二四年二月二十六日至三月一日第六屆聯合國環境大會(UNEA6),於東非國家肯亞首都奈洛比舉行,聯合國一百九十三個會員國派員出席;慈濟為聯合國環境署觀察員,由慈濟美國總會執行長曾慈慧及慈濟全球合作事務發展室同仁凃君曄代表與會。

曾慈慧觀察到,這次參與者明顯年輕化。「七千多人報名參加,超過六成的與會者,都是三十歲以下的年輕人。」此外,以往由國家政府、有力團體主導發聲管道,今次特別在每個會議的議場中,為婦女、青年、宗教團體留下座位,確保每個族群都能在環境大會中有「一席之地」。

曾慈慧補充說明,當更多婦女、少數族群、殘障人士或者是原住民等弱勢者的心聲能夠被聆聽、被理解,各國在制定環保法規、執行環境政策時,會更兼容並蓄。

今年會議主題聚焦在氣候變遷、生物多樣性喪失及環境污染的「三重危機」;慈濟有備而來,在探討「循環經濟」的會議中,分享結合環保與慈善的寶特瓶回收再製成賑災用品,以及近年來受到矚目的「環保輔具平臺」。

相較二○一九年首次到肯亞參加聯合國環境大會,這次奈洛比會場已經完全看不到一次性塑膠用品,供餐也大幅增加素食選項,足見慈濟及許多環保團體的倡議獲得了共鳴。曾慈慧肯定這個方向值得繼續努力:「慈濟這麼多年來在各種場合不斷宣說,很多人放在腦海中,就會有新的創舉跟支持出來。」

此行也回到五年前拜訪的垃圾山貧民區基貝拉(Kibera)與丹朵拉(Dandora);此處距離奈洛比精華區僅十公里,卻有非洲規模數一數二的大型垃圾場,並以每天增加三千噸持續累積,多數是進口到肯亞的「快時尚」舊衣,遠遠超過國民日常所需,造成嚴重環境問題,甚至成為本次聯合國環境大會議題之一。

肯亞政府和聯合國組織多次推行貧民區清理及安置計畫,政府興建的國民住宅也從地湧出,貧民月收入三千肯亞先令,約合新臺幣六百多元,難以負擔兩萬到四萬先令租金,生活只能維持現狀。「但你問我有沒有改變?我會說有,二○一九年我們去的時候真的很可怕,一路走過去,兩邊都被垃圾包圍,可是現在垃圾沒有堆那麼高了。」曾慈慧說。

會期空檔,她們也在「非洲慈悲之眼」壁畫見證下,與南蘇丹聖柏姬達女子學校(St. Bakhita Girls’ Primary School)師長代表首次會晤,了解校務運作、慈濟糧食援助成果。南蘇丹是非洲最年輕的國家,長期面臨內戰和氣候災難衝擊,超過七百萬人陷入糧食危機。該校是南蘇丹唯一一所女子學校,庇護許多少女安穩地受教育,脫離因貧窮被迫童婚的命運;校長珍修女(Sister Jane Masiko)特別請託慈濟代表向上人轉達謝意:「您的慈悲,讓小孩每天在學校有飯吃、有書讀。感恩師父像媽媽一樣愛著他們!」

會場外,少數群體表達環境正義等訴求;接納多元及聆聽少數是本次大會倡導的價值。

  • 背景  慈濟基金會二○○三年成為聯合國NGO成員;二○一九年成為聯合國環境署觀察員;二○二三年至二○二五年,聯合國環境署委任為婦女委員會及信仰組織青年委員會成員

  • 行程  二月出席非洲肯亞奈洛比舉行的第六屆聯合國環境大會
            三月參與在美國紐約舉行的第六十八屆聯合國婦女大會

二○二四年二月二十六日至三月一日第六屆聯合國環境大會(UNEA6),於東非國家肯亞首都奈洛比舉行,聯合國一百九十三個會員國派員出席;慈濟為聯合國環境署觀察員,由慈濟美國總會執行長曾慈慧及慈濟全球合作事務發展室同仁凃君曄代表與會。

曾慈慧觀察到,這次參與者明顯年輕化。「七千多人報名參加,超過六成的與會者,都是三十歲以下的年輕人。」此外,以往由國家政府、有力團體主導發聲管道,今次特別在每個會議的議場中,為婦女、青年、宗教團體留下座位,確保每個族群都能在環境大會中有「一席之地」。

曾慈慧補充說明,當更多婦女、少數族群、殘障人士或者是原住民等弱勢者的心聲能夠被聆聽、被理解,各國在制定環保法規、執行環境政策時,會更兼容並蓄。

今年會議主題聚焦在氣候變遷、生物多樣性喪失及環境污染的「三重危機」;慈濟有備而來,在探討「循環經濟」的會議中,分享結合環保與慈善的寶特瓶回收再製成賑災用品,以及近年來受到矚目的「環保輔具平臺」。

相較二○一九年首次到肯亞參加聯合國環境大會,這次奈洛比會場已經完全看不到一次性塑膠用品,供餐也大幅增加素食選項,足見慈濟及許多環保團體的倡議獲得了共鳴。曾慈慧肯定這個方向值得繼續努力:「慈濟這麼多年來在各種場合不斷宣說,很多人放在腦海中,就會有新的創舉跟支持出來。」

此行也回到五年前拜訪的垃圾山貧民區基貝拉(Kibera)與丹朵拉(Dandora);此處距離奈洛比精華區僅十公里,卻有非洲規模數一數二的大型垃圾場,並以每天增加三千噸持續累積,多數是進口到肯亞的「快時尚」舊衣,遠遠超過國民日常所需,造成嚴重環境問題,甚至成為本次聯合國環境大會議題之一。

肯亞政府和聯合國組織多次推行貧民區清理及安置計畫,政府興建的國民住宅也從地湧出,貧民月收入三千肯亞先令,約合新臺幣六百多元,難以負擔兩萬到四萬先令租金,生活只能維持現狀。「但你問我有沒有改變?我會說有,二○一九年我們去的時候真的很可怕,一路走過去,兩邊都被垃圾包圍,可是現在垃圾沒有堆那麼高了。」曾慈慧說。

會期空檔,她們也在「非洲慈悲之眼」壁畫見證下,與南蘇丹聖柏姬達女子學校(St. Bakhita Girls’ Primary School)師長代表首次會晤,了解校務運作、慈濟糧食援助成果。南蘇丹是非洲最年輕的國家,長期面臨內戰和氣候災難衝擊,超過七百萬人陷入糧食危機。該校是南蘇丹唯一一所女子學校,庇護許多少女安穩地受教育,脫離因貧窮被迫童婚的命運;校長珍修女(Sister Jane Masiko)特別請託慈濟代表向上人轉達謝意:「您的慈悲,讓小孩每天在學校有飯吃、有書讀。感恩師父像媽媽一樣愛著他們!」

饅頭早餐 簡單吃  把時間用來聞法♫

月刊有聲書

本文提供有聲書,歡迎播放聆聽,期待能給您不一樣的感受,用聽的來讀月刊。本篇由慈濟大學傳播系袁崧傑同學協助錄製。

感恩「慈大之聲實習廣播電臺」協助錄製,感謝慈濟大學劉怡均校長、王秀芳臺長大力支持。

每天早上六點,花蓮靜思精舍齋堂的餐桌上,一定擺上一盤盤溫熱又好吃的饅頭。這幸福的滋味,來自饅頭團隊愛的付出。

「嗶!嗶!嗶!」精舍大寮的二樓,蒸箱計時器發出聲響,志工李勇德、陳秋元分工合作,一鼓作氣打開蒸箱門,「碰!」如爆破聲的瞬間,一大團白色熱氣從蒸箱竄出,饅頭出爐,麵香撲鼻。

「在蒸箱一百度高溫氣壓下,蒸好了饅頭,若沒有一氣呵成打開蒸箱門,一爐三百顆饅頭,瞬間就會萎縮變形了。」陳秋元解說。

精舍沒有控制溫度的發酵箱,冬天時,就在蒸箱後面放一臺電風扇,讓熱空氣吹向一盤盤發酵中的饅頭,加速饅頭「醒過來」。

以最簡便省時的饅頭當早餐,有其原因。「上人希望常住眾和志工們把握因緣、珍惜時間來薰法香!」幫忙將出爐後降溫的饅頭打包、冰存的德𦔛(耒童)師父笑著說。

攪拌好的麵團,用壓麵機重複壓十幾次,讓麵皮細緻Q彈(圖1);隨著季節,加進牛蒡、芹菜、芋頭、堅果、龍眼乾、咖哩等食材(圖2),再將麵皮內捲,揉成長條、切分(圖3),一顆顆待發酵、待蒸的生饅頭就做好了(圖4)。

純手工生產線

每月到了約定的日子,做饅頭囉!

三天前,德宛師父先發老麵;前一天,德椒師父發中種麵,當天清晨備料;早齋後二、三十位志工抵達,第幾團麵要放什麼材料,都排好順序。

從生手到專業

原本精舍早餐是稀飯與數道配菜,十多年前,上人希望早餐簡化,減少備餐的人手、時間,讓大家能在早課、晨語開示時都來「薰法香」。

「以前早餐只有三十桌,現在是五、六十桌起跳。」德椒師父(下圖)說:「若每天早上煮四樣菜和煮粥,每天就有數百個盤子、鍋子和公筷、湯匙等,要花很多水來洗菜、洗餐具。」

早期輪執大寮的常住眾,早上三點起床,「那時是用大灶起火燒木柴,需花很多人力和時間來準備;雖然後來改用蒸氣鍋煮菜,但隨著桌數增加,也是非常的『幸福』。」

當上人提出早餐簡單化的想法後,德曉師父和幾位師父開始研究如何做饅頭。最初是當天發酵麵團當天做,用機器切割麵團,但做出來的饅頭不好看、口感也不佳;某天,志工林順發與德宛師父在打麵團時,很有經驗的林順發建議:「可用中種麵來試試。」果然饅頭變好吃了。

之後,經營麵包店的高雄志工李少邁,也向德宛師父分享用老麵做饅頭的方法。經過精舍師父們研究試做,發現以中種麵和老麵做,成果出乎意料,除了提高香味,也讓饅頭更綿密、好吃又養生。隨著團隊研發成熟,有了專業蒸箱讓饅頭出爐的品質穩定、產量也足夠上桌了,才漸漸將早餐改成以饅頭為主。

歡喜供養眾生

「早期,在地下室做饅頭只有十一、二人,現在人增多了。雖然多位都六、七十歲以上,也有八十幾歲的,但能夠來做事很法喜。」宜蘭志工陳春桂說。同是宜蘭志工的蔡素琴也開心道:「我們回來精舍做饅頭,好像在度假和充電。每次回去,就開始期待下個月了。」

饅頭團隊,除了劉鐙徽帶領的十餘位宜蘭志工,以及彰化的黃志清、葉東壬,還有臺北、臺中、臺南、高雄、臺東、花蓮等地志工;大家都很珍惜這「做饅頭供養大眾」的好因緣。

緊湊的工序、一爐接一爐,連續兩天,饅頭團隊做好大約一個月的份量冰存起來;每天清晨,輪值大寮的師父從冷凍庫取出、蒸熱,便可端上桌,等待早課結束的常住與志工們入內用餐;師父恭敬將饅頭端到上人座位,溫溫熱熱的。

這揉入精舍師父心意和志工情的饅頭,它養生,也滋養眾人的慧命!

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每天早上六點,花蓮靜思精舍齋堂的餐桌上,一定擺上一盤盤溫熱又好吃的饅頭。這幸福的滋味,來自饅頭團隊愛的付出。

「嗶!嗶!嗶!」精舍大寮的二樓,蒸箱計時器發出聲響,志工李勇德、陳秋元分工合作,一鼓作氣打開蒸箱門,「碰!」如爆破聲的瞬間,一大團白色熱氣從蒸箱竄出,饅頭出爐,麵香撲鼻。

「在蒸箱一百度高溫氣壓下,蒸好了饅頭,若沒有一氣呵成打開蒸箱門,一爐三百顆饅頭,瞬間就會萎縮變形了。」陳秋元解說。

精舍沒有控制溫度的發酵箱,冬天時,就在蒸箱後面放一臺電風扇,讓熱空氣吹向一盤盤發酵中的饅頭,加速饅頭「醒過來」。

以最簡便省時的饅頭當早餐,有其原因。「上人希望常住眾和志工們把握因緣、珍惜時間來薰法香!」幫忙將出爐後降溫的饅頭打包、冰存的德𦔛(耒童)師父笑著說。

攪拌好的麵團,用壓麵機重複壓十幾次,讓麵皮細緻Q彈(圖1);隨著季節,加進牛蒡、芹菜、芋頭、堅果、龍眼乾、咖哩等食材(圖2),再將麵皮內捲,揉成長條、切分(圖3),一顆顆待發酵、待蒸的生饅頭就做好了(圖4)。

純手工生產線

每月到了約定的日子,做饅頭囉!

三天前,德宛師父先發老麵;前一天,德椒師父發中種麵,當天清晨備料;早齋後二、三十位志工抵達,第幾團麵要放什麼材料,都排好順序。

從生手到專業

原本精舍早餐是稀飯與數道配菜,十多年前,上人希望早餐簡化,減少備餐的人手、時間,讓大家能在早課、晨語開示時都來「薰法香」。

「以前早餐只有三十桌,現在是五、六十桌起跳。」德椒師父(下圖)說:「若每天早上煮四樣菜和煮粥,每天就有數百個盤子、鍋子和公筷、湯匙等,要花很多水來洗菜、洗餐具。」

早期輪執大寮的常住眾,早上三點起床,「那時是用大灶起火燒木柴,需花很多人力和時間來準備;雖然後來改用蒸氣鍋煮菜,但隨著桌數增加,也是非常的『幸福』。」

當上人提出早餐簡單化的想法後,德曉師父和幾位師父開始研究如何做饅頭。最初是當天發酵麵團當天做,用機器切割麵團,但做出來的饅頭不好看、口感也不佳;某天,志工林順發與德宛師父在打麵團時,很有經驗的林順發建議:「可用中種麵來試試。」果然饅頭變好吃了。

之後,經營麵包店的高雄志工李少邁,也向德宛師父分享用老麵做饅頭的方法。經過精舍師父們研究試做,發現以中種麵和老麵做,成果出乎意料,除了提高香味,也讓饅頭更綿密、好吃又養生。隨著團隊研發成熟,有了專業蒸箱讓饅頭出爐的品質穩定、產量也足夠上桌了,才漸漸將早餐改成以饅頭為主。

歡喜供養眾生

「早期,在地下室做饅頭只有十一、二人,現在人增多了。雖然多位都六、七十歲以上,也有八十幾歲的,但能夠來做事很法喜。」宜蘭志工陳春桂說。同是宜蘭志工的蔡素琴也開心道:「我們回來精舍做饅頭,好像在度假和充電。每次回去,就開始期待下個月了。」

饅頭團隊,除了劉鐙徽帶領的十餘位宜蘭志工,以及彰化的黃志清、葉東壬,還有臺北、臺中、臺南、高雄、臺東、花蓮等地志工;大家都很珍惜這「做饅頭供養大眾」的好因緣。

緊湊的工序、一爐接一爐,連續兩天,饅頭團隊做好大約一個月的份量冰存起來;每天清晨,輪值大寮的師父從冷凍庫取出、蒸熱,便可端上桌,等待早課結束的常住與志工們入內用餐;師父恭敬將饅頭端到上人座位,溫溫熱熱的。

這揉入精舍師父心意和志工情的饅頭,它養生,也滋養眾人的慧命!

食在印度菩提迦耶 療癒想家心情♫

志工林玉金三月四日來到菩提迦耶早市買菜,幫助消化的水果也不可少。

新加坡、馬來西亞志工來到印度菩提迦耶,短則兩週,停留兩到三個月的大有人在,雖然做了長期付出的準備,難免有著鄉愁;林玉金買了單程票,用家鄉味餵飽志工們,「我照顧他們肚子,他們才有體力,專心照顧外面的苦難眾生。」

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感恩「慈大之聲實習廣播電臺」協助錄製,感謝慈濟大學劉怡均校長、王秀芳臺長大力支持。

菩薩們,晚餐煮好囉!快上來吃喔!」看到手機群組傳出訊息,志工紛紛走上印度菩提迦耶(Bodhgaya)慈濟會所「四樓餐廳」,眼前出現的是以大鍋盛裝的白飯、幾樣時蔬,一鍋湯、一鍋涼茶和水果。

用印度香米(basmati rice)煮出來的長米飯,粒粒分明;不同於臺灣的米粒短圓飽滿有彈性,而是近似於泰國米。據說有豐富維他命和纖維素,且澱粉質比較少,吃多了也不怕胖,配上有汁液的菜餚,正好吸收其中的美味。

「有香積菩薩在,我們『瘦不了』!」慈濟馬來西亞雪隆分會副執行長蘇祈逢笑說。每天在外奔波回到會所,能夠吃到熱騰騰的飯菜,志工們都非常感恩,不僅不必煩惱用餐和衛生問題,還因為飯菜可口,忍不住多吃。

蘇祈逢再說出大家的心聲:「香積志工療癒了我們想家的心情。」縱使做了來長期付出的心理準備,但不時有著鄉愁,多虧有懷念的家鄉味,緩解了心頭的縈繞。

圖1、圖2:慈濟會所廚師阿善(左)估算每餐志工用餐人數,負責煮飯,也與來自馬來西亞的林玉金(右)合作,料理配菜。

圖3、圖4:有時獲得特別的食材,志工也會變化口味;三月三日午後,以南瓜入菜,特製水餃、饅頭和包子。

志工自付交通食宿

食宿交通是每天生活的要事,星馬志工一梯梯來到印度,到今年三月屆滿一年。二○二三年九月,志工租用旅館成立會所,交通上有固定合作的嘟嘟車,不成問題;唯有吃這件事情,天天得吃,但又不能天天都吃一樣,很需要有經驗的香積志工來支援。

每一梯志工未必有香積志工隨行。團隊商請承租的菩提飯店(Bodhi Stay)介紹可靠的廚師,阿善(Shyamdev Yadav)於焉來到會所。但擅長印度料理的阿善,對於華人口味並不完全了解,需要磨合和學習。

「我主要是煮給海外志工,阿善就是煮給本土志工吃,因為他比較熟悉當地的口味。」馬來西亞志工林玉金二○二三年十月第一次來支援香積,先定位彼此的角色,再慢慢傳承素食烹飪技巧;像是煮白飯這件事,就交給阿善來處理。而小小的廚房經過她和多位志工接棒打理和規畫後,逐步將鍋碗瓢盆定位,大電鍋、瓦斯爐、冰箱和備用的調味料、醬料、乾貨、湯包等等,整齊且標示清楚地排列在架上,取用很方便。

阿善是菩提迦耶本地人,三十四歲的他已經有十八年廚師經驗,接觸過許多國家的食物。跟著慈濟人茹素和學做蔬食料理,他感覺自己的健康狀況比以前好了很多。他育有三女一男,慈濟的薪水幫助他養家活口,生活穩定;他從旁了解到慈濟在本地幫助窮人,村民對接受到慈濟的援助感到高興;他也願意參與助人的工作,成為本土志工。

林玉金去年十月停留印度一個月,十二月來臺與上人座談時,感受到上人對回饋佛陀故鄉團隊殷切的期待,未及跟家人商量,就主動向蘇祈逢「請纓」,過完農曆年就來菩提迦耶,而且她只買了單程飛機票,希望能留到五月佛誕節浴佛典禮後、九十天的簽證到期為止。「我要承擔起來,而且使命必達。」

之所以不敢全然確定歸期,是因為右腳有舊傷,時不時犯疼;但願這一梯任務圓滿,待今年十月會再回來;不過如果期間有任務需求,「我隨時都會飛過來。」

欽圖(右)協助林玉金(左)和攤商溝通,挑選品質好的葉菜,確保大家營養足夠,有體力奔走鄉間濟貧。

照顧健康有備而來

三月來交接班的臺灣人文真善美志工,為林玉金帶來禮物─文山區慈濟志工陳映竹特地去迪化街中藥行買了素肉骨茶和四神湯料包,以表對星馬志工不辭辛勞在異鄉付出的敬佩。「這個好!最近好多人水土不服,正好可以給他們補補身子。請跟提供的師姊說,很感恩她的愛心,這些來的正是時候。」林玉金開心收下好禮。

林玉金就地取材,自己孵綠豆芽、做天貝、醃漬水果和蔬菜,設法增加食材。廚房的冰箱不大,之前每隔二天得到市場採買,後來改請送菜給照顧戶的菜商載來會所,省了不少時間。不過菜色難免過於固定,她偶爾還是得上市場看看有沒有其他新鮮食材。

春暖花開的三月,印度有什麼蔬菜呢?熙來攘往的露天早市裏,綠色青瓜、紫色茄子、白色和綠色花椰菜、紅蘿蔔、高麗菜、番茄、香菜、香茅、秋葵和薄荷等,或是一簍一簍裝著,或是鋪排在地上,任君選購。

在馬來西亞容易買到的豆腐、豆乾、豆皮,這裏沒人販售,素排、素丸子這一類製品也見不著,林玉金在有限的蔬菜中,每天換著煮,再搭配從馬來西亞帶來的配料,變化口味。

上一次來印度,林玉金看到志工早餐只是吃一些自己帶來的麥片、咖啡、餅乾,心中很不捨,這回要來之前,她列出一百零八樣乾糧、調味料、藥材、甜點、涼茶、日用品和縫紉用品清單,自費購買了一百多公斤帶來。她認定自己的責任,做足準備,「我的工作就是來煮飯,餵飽他們是我的責任。我照顧他們肚子,他們才有體力,專心照顧外面的苦難眾生。」

克難的「四樓餐廳」,充滿一家人的情誼,大家共同起居,齊心照顧當地貧民。

四樓餐廳款待貴賓

三月四日這天,本土志工欽圖(Chintu Kumar)陪伴林玉金到牧羊女村蔬菜市集(Bakrour Vegetable Market)採購,他是慈濟承租會所的旅館同仁。一位農夫賣著不曾見過的綠色豆子,一問之下竟然是鷹嘴豆;林玉金嚐了嚐,「好吃!」印象中,鷹嘴豆都是乾燥過的,得泡過才能煮,難得看到新鮮的,她買了一點五公斤,付了三百盧比(約新臺幣一百一十四元)。

「哇!這攤竟然有這麼漂亮的生菜!」林玉金喜道。剛剛難得看到葉菜類的紅鳳菜和菠菜,她和欽圖趕緊各挑了一袋,這攤出現青江菜,自然不能錯過。

買好菜,嘟嘟車載志工來到甘地市集(Gandi Chowk)買水果。看了幾攤,林玉金決定向一位臉上帶著微笑的年輕人買香蕉和葡萄。香蕉以條計,十二條五十盧比(約新臺幣十九元),無籽綠葡萄一公斤八十盧比(約新臺幣三十元)。

回到會所,志工梁桂燕已在三樓等待,要幫忙洗洗切切和挑菜。她去年在尼泊爾藍毘尼待了五個月,短暫回馬來西亞過年後,和林玉金同時於二月二十一日抵達,而且同樣只買單程機票,預備之後在藍毘尼與菩提迦耶兩處當志工。「停留的時間太短,體驗不深。」梁桂燕不想只是蜻蜓點水式的參與,而是希望能以誠以情,更長期地陪伴。

林玉金主廚,梁桂燕從旁協助,「做菜是玉金的興趣,她很講究,不但色香味俱全,還要讓大家吃出健康。」在馬來西亞,活動遇有貴賓要招待,只要有林玉金出馬就妥當;在菩提迦耶,志工成為貴賓,天天都能吃到她用心料理的佳餚。

午餐準備好了,大夥陸續走到樓頂,架高的鐵棚下,擺上桌椅,志工稱之為「四樓餐廳」,四面通風沒有遮蔽。居高臨下,可以遠眺菩提迦耶的風光。「你看,那裏就是我們的精神堡壘。」陳文忠指向走路約十五分鐘遠的摩訶菩提寺(Mahabodhi Temple)說。順著他的手看過去,摩訶菩提寺在春雨中自有一番朦朧美;四周農田的油菜花盛開,微風徐來,駐守當地的生活極克難,卻極有別處沒有的體驗。

無論是香積、慈善、醫療、訪視志工或行政團隊,在印度遇到許多難以言喻的考驗,但他們依舊難行能行,努力克服。「想修行,就到佛陀故鄉吧!」志工團隊沒有因遭逢困難就打退堂鼓,不禁令人想起上人的「十在心路」:「在苦難中長養慈悲;在變數中考驗智慧;在艱難中激發韌力;在繁瑣中學習耐性……」他們苦中作樂,把辛苦當幸福,相互祝福挺過難關。

附錄

出國去煮飯 主廚輪值中

撰文‧朱秀蓮、張麗雲(臺灣慈濟志工)
攝影‧蕭耀華

馬來西亞梁桂燕(右)今年二月購買單程機票來印度,準備等到簽證期滿再回家,她不時進出廚房補位,與阿善(左)默契十足。

自費買機票,出國長達一個月只為料理三餐;主廚們不說辛苦,離境前只說:「我會再回來。」

二○二三年九月十三日慈濟菩提迦耶會所成立前,新加坡、馬來西亞志工住在民宿,既沒有冷氣,廚房也不理想;大家一早外出訪視,進學校帶動靜思語教學,或入村健檢,回來後趕著下廚,好不容易煮出一鍋飯、一道菜,午餐後再度出門,回來再煮晚餐,忙得不可開交。不僅「枵腹做志工」,也有人因水土不服,瘦了一大圈。

遷居星際旅館(Hotel Star)後,志工改向餐廳訂午晚餐,印度料理使用許多香料,風味獨特,本地志工以此自豪;但對星馬志工來說,終究還是不習慣,兩、三個月下來,幾乎人人變得既黑又瘦。雪隆分會副執行長蘇祈逢急請陳雅玉來支援─聽說在吉隆坡鼎鼎有名的「香積菩薩」將在六月二十四日抵達,志工團隊額手稱慶,困擾大家已久的用餐問題終於有解了!

這一入境就是一個月,陳雅玉起初不敢馬上答應,因為不放心曾經罹患鼻咽癌的先生,獨自撐起公司業務。「你要把握因緣!」想不到大女兒先出聲,先生也勸進。第一次發心出國做好事就獲得家人的支持,陳雅玉既激動又感動。她帶來高達三十二公斤重的素料、乾糧和三把菜刀,在向旅館承租的小房間,用一個電鍋、一個電磁爐為二十幾位志工料理餐飲。

會所成立後,也有了在四樓的廚房,經過馬來西亞志工胡桂雲精心規畫,功能俱全。二○二三年九月八日抵達菩提迦耶,她一待就是八十天,「以前我的工廠請的多數是印度人,我多少了解印度人,是最適合去菩提迦耶的。」她雖然對煮飯不拿手,卻擅長規畫,找來大鍋大鏟,換掉小鍋小鏟,教印度籍廚師阿善如何擺置。

十月一日來接棒的林玉金,如同其他香積志工,不知不覺採購超過六十五公斤的食材,還備了一個不鏽鋼大鍋,煲湯、煮涼水、熬粥用。行李超重了該怎麼辦呢?於是請其他志工分攤重量,但她連換洗衣服都無法帶上。「我們做香積的人,很注重特別的食材,但在當地不好找,若是有也好貴,所以我情願辛苦一點,從馬來西亞帶過去。」

十一月接棒的莊榮月,來自馬來西亞巴生,很感恩前人種樹,三坪大的廚房,餐具、器具、砧板一應俱全,「我很有福報,只要負責煮就好了。」她停留二十八天,每天清晨兩、三點就進廚房準備早餐;入冬天寒,志工捨不得六十八歲的她這麼勞累,她卻認為就是因為天冷,才更要吃熱熱的食物。

莊榮月將白飯與佐料放入快鍋熬煮,五點半和志工步行十五分鐘,去佛陀成道處摩訶菩提寺誦《無量義經》,從中彷彿找到歡喜付出的力量;一小時半回來後,那一鍋熱騰騰的早餐讓志工們飽暖,就有足夠體力出門付出了!

志工林玉金三月四日來到菩提迦耶早市買菜,幫助消化的水果也不可少。

新加坡、馬來西亞志工來到印度菩提迦耶,短則兩週,停留兩到三個月的大有人在,雖然做了長期付出的準備,難免有著鄉愁;林玉金買了單程票,用家鄉味餵飽志工們,「我照顧他們肚子,他們才有體力,專心照顧外面的苦難眾生。」

月刊有聲書

本文提供有聲書,歡迎播放聆聽,期待能給您不一樣的感受,用聽的來讀月刊。本篇由慈濟大學通識教育中心謝文蓉老師協助錄製。

感恩「慈大之聲實習廣播電臺」協助錄製,感謝慈濟大學劉怡均校長、王秀芳臺長大力支持。

菩薩們,晚餐煮好囉!快上來吃喔!」看到手機群組傳出訊息,志工紛紛走上印度菩提迦耶(Bodhgaya)慈濟會所「四樓餐廳」,眼前出現的是以大鍋盛裝的白飯、幾樣時蔬,一鍋湯、一鍋涼茶和水果。

用印度香米(basmati rice)煮出來的長米飯,粒粒分明;不同於臺灣的米粒短圓飽滿有彈性,而是近似於泰國米。據說有豐富維他命和纖維素,且澱粉質比較少,吃多了也不怕胖,配上有汁液的菜餚,正好吸收其中的美味。

「有香積菩薩在,我們『瘦不了』!」慈濟馬來西亞雪隆分會副執行長蘇祈逢笑說。每天在外奔波回到會所,能夠吃到熱騰騰的飯菜,志工們都非常感恩,不僅不必煩惱用餐和衛生問題,還因為飯菜可口,忍不住多吃。

蘇祈逢再說出大家的心聲:「香積志工療癒了我們想家的心情。」縱使做了來長期付出的心理準備,但不時有著鄉愁,多虧有懷念的家鄉味,緩解了心頭的縈繞。

圖1、圖2:慈濟會所廚師阿善(左)估算每餐志工用餐人數,負責煮飯,也與來自馬來西亞的林玉金(右)合作,料理配菜。

圖3、圖4:有時獲得特別的食材,志工也會變化口味;三月三日午後,以南瓜入菜,特製水餃、饅頭和包子。

志工自付交通食宿

食宿交通是每天生活的要事,星馬志工一梯梯來到印度,到今年三月屆滿一年。二○二三年九月,志工租用旅館成立會所,交通上有固定合作的嘟嘟車,不成問題;唯有吃這件事情,天天得吃,但又不能天天都吃一樣,很需要有經驗的香積志工來支援。

每一梯志工未必有香積志工隨行。團隊商請承租的菩提飯店(Bodhi Stay)介紹可靠的廚師,阿善(Shyamdev Yadav)於焉來到會所。但擅長印度料理的阿善,對於華人口味並不完全了解,需要磨合和學習。

「我主要是煮給海外志工,阿善就是煮給本土志工吃,因為他比較熟悉當地的口味。」馬來西亞志工林玉金二○二三年十月第一次來支援香積,先定位彼此的角色,再慢慢傳承素食烹飪技巧;像是煮白飯這件事,就交給阿善來處理。而小小的廚房經過她和多位志工接棒打理和規畫後,逐步將鍋碗瓢盆定位,大電鍋、瓦斯爐、冰箱和備用的調味料、醬料、乾貨、湯包等等,整齊且標示清楚地排列在架上,取用很方便。

阿善是菩提迦耶本地人,三十四歲的他已經有十八年廚師經驗,接觸過許多國家的食物。跟著慈濟人茹素和學做蔬食料理,他感覺自己的健康狀況比以前好了很多。他育有三女一男,慈濟的薪水幫助他養家活口,生活穩定;他從旁了解到慈濟在本地幫助窮人,村民對接受到慈濟的援助感到高興;他也願意參與助人的工作,成為本土志工。

林玉金去年十月停留印度一個月,十二月來臺與上人座談時,感受到上人對回饋佛陀故鄉團隊殷切的期待,未及跟家人商量,就主動向蘇祈逢「請纓」,過完農曆年就來菩提迦耶,而且她只買了單程飛機票,希望能留到五月佛誕節浴佛典禮後、九十天的簽證到期為止。「我要承擔起來,而且使命必達。」

之所以不敢全然確定歸期,是因為右腳有舊傷,時不時犯疼;但願這一梯任務圓滿,待今年十月會再回來;不過如果期間有任務需求,「我隨時都會飛過來。」

欽圖(右)協助林玉金(左)和攤商溝通,挑選品質好的葉菜,確保大家營養足夠,有體力奔走鄉間濟貧。

照顧健康有備而來

三月來交接班的臺灣人文真善美志工,為林玉金帶來禮物─文山區慈濟志工陳映竹特地去迪化街中藥行買了素肉骨茶和四神湯料包,以表對星馬志工不辭辛勞在異鄉付出的敬佩。「這個好!最近好多人水土不服,正好可以給他們補補身子。請跟提供的師姊說,很感恩她的愛心,這些來的正是時候。」林玉金開心收下好禮。

林玉金就地取材,自己孵綠豆芽、做天貝、醃漬水果和蔬菜,設法增加食材。廚房的冰箱不大,之前每隔二天得到市場採買,後來改請送菜給照顧戶的菜商載來會所,省了不少時間。不過菜色難免過於固定,她偶爾還是得上市場看看有沒有其他新鮮食材。

春暖花開的三月,印度有什麼蔬菜呢?熙來攘往的露天早市裏,綠色青瓜、紫色茄子、白色和綠色花椰菜、紅蘿蔔、高麗菜、番茄、香菜、香茅、秋葵和薄荷等,或是一簍一簍裝著,或是鋪排在地上,任君選購。

在馬來西亞容易買到的豆腐、豆乾、豆皮,這裏沒人販售,素排、素丸子這一類製品也見不著,林玉金在有限的蔬菜中,每天換著煮,再搭配從馬來西亞帶來的配料,變化口味。

上一次來印度,林玉金看到志工早餐只是吃一些自己帶來的麥片、咖啡、餅乾,心中很不捨,這回要來之前,她列出一百零八樣乾糧、調味料、藥材、甜點、涼茶、日用品和縫紉用品清單,自費購買了一百多公斤帶來。她認定自己的責任,做足準備,「我的工作就是來煮飯,餵飽他們是我的責任。我照顧他們肚子,他們才有體力,專心照顧外面的苦難眾生。」

克難的「四樓餐廳」,充滿一家人的情誼,大家共同起居,齊心照顧當地貧民。

四樓餐廳款待貴賓

三月四日這天,本土志工欽圖(Chintu Kumar)陪伴林玉金到牧羊女村蔬菜市集(Bakrour Vegetable Market)採購,他是慈濟承租會所的旅館同仁。一位農夫賣著不曾見過的綠色豆子,一問之下竟然是鷹嘴豆;林玉金嚐了嚐,「好吃!」印象中,鷹嘴豆都是乾燥過的,得泡過才能煮,難得看到新鮮的,她買了一點五公斤,付了三百盧比(約新臺幣一百一十四元)。

「哇!這攤竟然有這麼漂亮的生菜!」林玉金喜道。剛剛難得看到葉菜類的紅鳳菜和菠菜,她和欽圖趕緊各挑了一袋,這攤出現青江菜,自然不能錯過。

買好菜,嘟嘟車載志工來到甘地市集(Gandi Chowk)買水果。看了幾攤,林玉金決定向一位臉上帶著微笑的年輕人買香蕉和葡萄。香蕉以條計,十二條五十盧比(約新臺幣十九元),無籽綠葡萄一公斤八十盧比(約新臺幣三十元)。

回到會所,志工梁桂燕已在三樓等待,要幫忙洗洗切切和挑菜。她去年在尼泊爾藍毘尼待了五個月,短暫回馬來西亞過年後,和林玉金同時於二月二十一日抵達,而且同樣只買單程機票,預備之後在藍毘尼與菩提迦耶兩處當志工。「停留的時間太短,體驗不深。」梁桂燕不想只是蜻蜓點水式的參與,而是希望能以誠以情,更長期地陪伴。

林玉金主廚,梁桂燕從旁協助,「做菜是玉金的興趣,她很講究,不但色香味俱全,還要讓大家吃出健康。」在馬來西亞,活動遇有貴賓要招待,只要有林玉金出馬就妥當;在菩提迦耶,志工成為貴賓,天天都能吃到她用心料理的佳餚。

午餐準備好了,大夥陸續走到樓頂,架高的鐵棚下,擺上桌椅,志工稱之為「四樓餐廳」,四面通風沒有遮蔽。居高臨下,可以遠眺菩提迦耶的風光。「你看,那裏就是我們的精神堡壘。」陳文忠指向走路約十五分鐘遠的摩訶菩提寺(Mahabodhi Temple)說。順著他的手看過去,摩訶菩提寺在春雨中自有一番朦朧美;四周農田的油菜花盛開,微風徐來,駐守當地的生活極克難,卻極有別處沒有的體驗。

無論是香積、慈善、醫療、訪視志工或行政團隊,在印度遇到許多難以言喻的考驗,但他們依舊難行能行,努力克服。「想修行,就到佛陀故鄉吧!」志工團隊沒有因遭逢困難就打退堂鼓,不禁令人想起上人的「十在心路」:「在苦難中長養慈悲;在變數中考驗智慧;在艱難中激發韌力;在繁瑣中學習耐性……」他們苦中作樂,把辛苦當幸福,相互祝福挺過難關。

附錄

出國去煮飯 主廚輪值中

撰文‧朱秀蓮、張麗雲(臺灣慈濟志工)
攝影‧蕭耀華

馬來西亞梁桂燕(右)今年二月購買單程機票來印度,準備等到簽證期滿再回家,她不時進出廚房補位,與阿善(左)默契十足。

自費買機票,出國長達一個月只為料理三餐;主廚們不說辛苦,離境前只說:「我會再回來。」

二○二三年九月十三日慈濟菩提迦耶會所成立前,新加坡、馬來西亞志工住在民宿,既沒有冷氣,廚房也不理想;大家一早外出訪視,進學校帶動靜思語教學,或入村健檢,回來後趕著下廚,好不容易煮出一鍋飯、一道菜,午餐後再度出門,回來再煮晚餐,忙得不可開交。不僅「枵腹做志工」,也有人因水土不服,瘦了一大圈。

遷居星際旅館(Hotel Star)後,志工改向餐廳訂午晚餐,印度料理使用許多香料,風味獨特,本地志工以此自豪;但對星馬志工來說,終究還是不習慣,兩、三個月下來,幾乎人人變得既黑又瘦。雪隆分會副執行長蘇祈逢急請陳雅玉來支援─聽說在吉隆坡鼎鼎有名的「香積菩薩」將在六月二十四日抵達,志工團隊額手稱慶,困擾大家已久的用餐問題終於有解了!

這一入境就是一個月,陳雅玉起初不敢馬上答應,因為不放心曾經罹患鼻咽癌的先生,獨自撐起公司業務。「你要把握因緣!」想不到大女兒先出聲,先生也勸進。第一次發心出國做好事就獲得家人的支持,陳雅玉既激動又感動。她帶來高達三十二公斤重的素料、乾糧和三把菜刀,在向旅館承租的小房間,用一個電鍋、一個電磁爐為二十幾位志工料理餐飲。

會所成立後,也有了在四樓的廚房,經過馬來西亞志工胡桂雲精心規畫,功能俱全。二○二三年九月八日抵達菩提迦耶,她一待就是八十天,「以前我的工廠請的多數是印度人,我多少了解印度人,是最適合去菩提迦耶的。」她雖然對煮飯不拿手,卻擅長規畫,找來大鍋大鏟,換掉小鍋小鏟,教印度籍廚師阿善如何擺置。

十月一日來接棒的林玉金,如同其他香積志工,不知不覺採購超過六十五公斤的食材,還備了一個不鏽鋼大鍋,煲湯、煮涼水、熬粥用。行李超重了該怎麼辦呢?於是請其他志工分攤重量,但她連換洗衣服都無法帶上。「我們做香積的人,很注重特別的食材,但在當地不好找,若是有也好貴,所以我情願辛苦一點,從馬來西亞帶過去。」

十一月接棒的莊榮月,來自馬來西亞巴生,很感恩前人種樹,三坪大的廚房,餐具、器具、砧板一應俱全,「我很有福報,只要負責煮就好了。」她停留二十八天,每天清晨兩、三點就進廚房準備早餐;入冬天寒,志工捨不得六十八歲的她這麼勞累,她卻認為就是因為天冷,才更要吃熱熱的食物。

莊榮月將白飯與佐料放入快鍋熬煮,五點半和志工步行十五分鐘,去佛陀成道處摩訶菩提寺誦《無量義經》,從中彷彿找到歡喜付出的力量;一小時半回來後,那一鍋熱騰騰的早餐讓志工們飽暖,就有足夠體力出門付出了!

佛陀悟道處 弘法利生我願意

馬來西亞、新加坡慈濟志工組成團隊,帶著上人「回饋佛陀故鄉」的期待,去年三月抵達菩提迦耶,輪梯長住,一年來在牧羊女村、思龍加村等村落,以慈善、醫療、教育、人文幫助貧困居民,更在思龍加村裏援建三十六戶大愛屋,臺灣志工並前往協助記錄團隊足跡。屆滿周年前夕,志工團隊在佛陀證悟處的摩訶菩提寺前發願:「弘法利生,廣淨佛國,上人,我願意!」

撰文╱朱秀蓮 攝影╱蕭耀華 印度菩提迦耶 2024.3.7

馬來西亞、新加坡慈濟志工組成團隊,帶著上人「回饋佛陀故鄉」的期待,去年三月抵達菩提迦耶,輪梯長住,一年來在牧羊女村、思龍加村等村落,以慈善、醫療、教育、人文幫助貧困居民,更在思龍加村裏援建三十六戶大愛屋,臺灣志工並前往協助記錄團隊足跡。屆滿周年前夕,志工團隊在佛陀證悟處的摩訶菩提寺前發願:「弘法利生,廣淨佛國,上人,我願意!」

撰文╱朱秀蓮 攝影╱蕭耀華 印度菩提迦耶 2024.3.7