慈済の世界観

持っているだけの力で奉仕するのではなく、
誠心誠意発願して果敢に責任を担い、
世の人に利他するよう呼びかけましょう。

大自然の生気を循環させる

二月四日、アメリカ・ノースカリフォルニア州の慈誠(認証を受けた男性ボランティア)と委員(女性ボランティア)たちが、オンラインで現地の運用状況と感想を上人と分かち合いました。上人は、師兄(男性ボランティアの呼称)や師姐(女性ボランティアの呼称)たちがハンターズポイントコミュニティーで慈善支援した話と、「ハッピーキャンパス」プロジェクトによる青少年への就学補助や学習サポートの話を聞いて、感嘆してこう言いました。

「人生には苦楽が付きものですが、慈済人は苦難にある立場の弱い人々を支援することで、人間(じんかん)の苦を目にしています。時には危険を冒してでも奉仕に出かけますが、人と人の交流には心温まるものが多く、喜びに満ちています」。

サンフランシスコのハンターズポイントコミュニティーは、以前は全般的に貧困者が多く住んでいて、犯罪事件も多かったため、警察でさえも近づきたくない場所とまで形容されていました。サンフランシスコの慈済人は、二〇〇八年からコミュニティーを支援し、感謝と尊重、愛で以て住民と交流してきました。今では住民は、慈済人の真心を感じ取り、親しみのこもった反応をしてくれるようになりました。「紺のシャツに白のパンツ姿はもう見慣れたもので、その人たちは彼らを支援しに来る善人だと知っているため、彼らも慈済人に親切なのです。そのお蔭で、慈済人は現地で思った通りに奉仕することができ、慈済の志業を行うことができるのです」。

「長年の奉仕が蓄積されて、現地の人々に良い印象を与えています。これは、私たちが植えた良い『因』であり、現地で良縁を結んでいる証です」。上人は、師兄や師姐たちが慈悲済世を行なっていることを称賛しました。これが即ち「慈済」という名称の意義なのです。人間(じんかん)の苦難に対して、「人傷つけば我痛み、人苦しめば我悲しむ」という慈悲心を以て、自発的に支援に行く人が即ち、招かれずとも訪れる菩薩」なのです。

「菩薩が人間(じんかん)で苦難にある人を助けていると聞くと、私は敬服と感謝、尊重の念を抱くと共に、とても敬愛せずにはおれません。この世界に慈済人がいなければ、今あるような慈済の世界観はなかったでしょう。これだけ多くの善人がいて、人間(じんかん)で奉仕することを望んでいるのですから、私は一層自信がつきました。『信ずるは仏道における功徳の母』と言われるように、菩薩道の原点は『信』なのです。私たちに信じる心があって初めて、この大道を敷くことができ、着実に歩むことができるのです。アメリカの慈済人に期待しています。彼らは、既に志業を二、三十年行なって来ており、皆、『正しい事は行動に移せば良い』という信念の下に、互いを愛し、尊重し合っています。そして、愛を広め、それを感じた人たちが慈済を愛し、参加するよう導いているのです」。

また、上人は師兄や師姐たちに、こう開示しました。
「慈済人は、奉仕して人助けすると同時に、助けてもらった人がその力を借りて自助努力し、心底から生活様式を変えて、人生を翻すよう導かなければなりません。つまり教育が苦難の人生を転換させる重点なのです。慈済人はこの二十年でどれだけの子供を支援して来たでしょうか。子供たちが成長し、社会に出てからもまっとうな道を歩み、社会に貢献していることを振り返ってみてください。彼らと連絡を取って現況に関心を寄せ、今就いている仕事を理解すると共に、善行に誘って善の循環を始めるよう促すのです」。

諸々の微弱な力を結集する

春節が過ぎて休暇も終わろうとしていた二月五日、基金会の管理職たちの話を聞いた上人はこう開示しました。「キャリアの長い同僚たちが過去を振り返り、慈済功徳会の早期の困難な時期のことを話すと、皆さんは、どんなにか苦しかったことだろうと思うでしょうが、私自身、苦しかったとは全く思っていません。ただ責任が重かっただけだと感じています」。

「当時、常住師父たちはまだ、定住場所がなかったのですが、慈済の活動を始め、困難を克服しながら世の中の苦難にある人たちを支援していました。精舎はまだ建てられていませんでしたが、私たちは苦しんでいる人に家を建ててあげました。考えてみると、実に身のほど知らずでした。しかし、それが身のほど知らずであっても、その微々たる力が今に至るまで途切れることなく続き、世界のどこかで災害があれば、慈済人は駆け付けて関心を寄せています。ですから、持っているだけの自分の力で奉仕しようと考えるのではなく、誠実な心さえあれば、苦労を恐れず、少しでも多く責任を担えば、絶えず力を結集させることができ、世のためにこんなにも多く奉仕できるのです」。

上人はこう言いました。「初期の頃、人員が少なかったため、力も弱かったのですが、その微弱な力とか細い音でも、揺るがない心で一歩を踏み出しました。バラバラの微弱な力を結集させることは、一匹の蛍の光が人目を惹かなくても、たくさん集まれば、人目を惹かずにはおれない灯りとなるのと同じです。途切れることなく人々を導き、愛のエネルギーを結集させるのです。そして、その清らかで長く続く情を途切れさせず、真心を以て、一人ひとりの微弱な力を集めるのです。日々人に出会う時は、いつでも良い行動や行いをして、人も事も全て良くあるようにすべきです。これこそが私の皆さんに対する祝福です」。

(慈済月刊六八九期より)

持っているだけの力で奉仕するのではなく、
誠心誠意発願して果敢に責任を担い、
世の人に利他するよう呼びかけましょう。

大自然の生気を循環させる

二月四日、アメリカ・ノースカリフォルニア州の慈誠(認証を受けた男性ボランティア)と委員(女性ボランティア)たちが、オンラインで現地の運用状況と感想を上人と分かち合いました。上人は、師兄(男性ボランティアの呼称)や師姐(女性ボランティアの呼称)たちがハンターズポイントコミュニティーで慈善支援した話と、「ハッピーキャンパス」プロジェクトによる青少年への就学補助や学習サポートの話を聞いて、感嘆してこう言いました。

「人生には苦楽が付きものですが、慈済人は苦難にある立場の弱い人々を支援することで、人間(じんかん)の苦を目にしています。時には危険を冒してでも奉仕に出かけますが、人と人の交流には心温まるものが多く、喜びに満ちています」。

サンフランシスコのハンターズポイントコミュニティーは、以前は全般的に貧困者が多く住んでいて、犯罪事件も多かったため、警察でさえも近づきたくない場所とまで形容されていました。サンフランシスコの慈済人は、二〇〇八年からコミュニティーを支援し、感謝と尊重、愛で以て住民と交流してきました。今では住民は、慈済人の真心を感じ取り、親しみのこもった反応をしてくれるようになりました。「紺のシャツに白のパンツ姿はもう見慣れたもので、その人たちは彼らを支援しに来る善人だと知っているため、彼らも慈済人に親切なのです。そのお蔭で、慈済人は現地で思った通りに奉仕することができ、慈済の志業を行うことができるのです」。

「長年の奉仕が蓄積されて、現地の人々に良い印象を与えています。これは、私たちが植えた良い『因』であり、現地で良縁を結んでいる証です」。上人は、師兄や師姐たちが慈悲済世を行なっていることを称賛しました。これが即ち「慈済」という名称の意義なのです。人間(じんかん)の苦難に対して、「人傷つけば我痛み、人苦しめば我悲しむ」という慈悲心を以て、自発的に支援に行く人が即ち、招かれずとも訪れる菩薩」なのです。

「菩薩が人間(じんかん)で苦難にある人を助けていると聞くと、私は敬服と感謝、尊重の念を抱くと共に、とても敬愛せずにはおれません。この世界に慈済人がいなければ、今あるような慈済の世界観はなかったでしょう。これだけ多くの善人がいて、人間(じんかん)で奉仕することを望んでいるのですから、私は一層自信がつきました。『信ずるは仏道における功徳の母』と言われるように、菩薩道の原点は『信』なのです。私たちに信じる心があって初めて、この大道を敷くことができ、着実に歩むことができるのです。アメリカの慈済人に期待しています。彼らは、既に志業を二、三十年行なって来ており、皆、『正しい事は行動に移せば良い』という信念の下に、互いを愛し、尊重し合っています。そして、愛を広め、それを感じた人たちが慈済を愛し、参加するよう導いているのです」。

また、上人は師兄や師姐たちに、こう開示しました。
「慈済人は、奉仕して人助けすると同時に、助けてもらった人がその力を借りて自助努力し、心底から生活様式を変えて、人生を翻すよう導かなければなりません。つまり教育が苦難の人生を転換させる重点なのです。慈済人はこの二十年でどれだけの子供を支援して来たでしょうか。子供たちが成長し、社会に出てからもまっとうな道を歩み、社会に貢献していることを振り返ってみてください。彼らと連絡を取って現況に関心を寄せ、今就いている仕事を理解すると共に、善行に誘って善の循環を始めるよう促すのです」。

諸々の微弱な力を結集する

春節が過ぎて休暇も終わろうとしていた二月五日、基金会の管理職たちの話を聞いた上人はこう開示しました。「キャリアの長い同僚たちが過去を振り返り、慈済功徳会の早期の困難な時期のことを話すと、皆さんは、どんなにか苦しかったことだろうと思うでしょうが、私自身、苦しかったとは全く思っていません。ただ責任が重かっただけだと感じています」。

「当時、常住師父たちはまだ、定住場所がなかったのですが、慈済の活動を始め、困難を克服しながら世の中の苦難にある人たちを支援していました。精舎はまだ建てられていませんでしたが、私たちは苦しんでいる人に家を建ててあげました。考えてみると、実に身のほど知らずでした。しかし、それが身のほど知らずであっても、その微々たる力が今に至るまで途切れることなく続き、世界のどこかで災害があれば、慈済人は駆け付けて関心を寄せています。ですから、持っているだけの自分の力で奉仕しようと考えるのではなく、誠実な心さえあれば、苦労を恐れず、少しでも多く責任を担えば、絶えず力を結集させることができ、世のためにこんなにも多く奉仕できるのです」。

上人はこう言いました。「初期の頃、人員が少なかったため、力も弱かったのですが、その微弱な力とか細い音でも、揺るがない心で一歩を踏み出しました。バラバラの微弱な力を結集させることは、一匹の蛍の光が人目を惹かなくても、たくさん集まれば、人目を惹かずにはおれない灯りとなるのと同じです。途切れることなく人々を導き、愛のエネルギーを結集させるのです。そして、その清らかで長く続く情を途切れさせず、真心を以て、一人ひとりの微弱な力を集めるのです。日々人に出会う時は、いつでも良い行動や行いをして、人も事も全て良くあるようにすべきです。これこそが私の皆さんに対する祝福です」。

(慈済月刊六八九期より)

關鍵字

作業の流れは踊りのように スローバージョンの交響曲

  • 人生は苦労が多くて短いため、私たちのような歳の人は、もっと頑張って作業しなければならない。さもなければする機会がなくなる。

  • 体は老化して動作が遅くなっても、手足を一緒に使えばまだやれる。

  • リサイクルステーションに来てボランティアすれば、要らぬことを考えることはなく、おしゃべりの相手もいて、互いに面倒を見ることができる。

慈済岡山志業パークの環境保全教育ステーションの隣にあるマンゴーの木の下に建てられたブリキ小屋からは、遠くからでも何かを叩く音が聞こえる。平均年齢八十歳のリサイクルボランティアたちが、急がず休まず歩き回っている。彼らは体は衰え、動作が遅くなっても、手と足を使えば、太い銅線をケーブルから丁寧に取り出すことができる。

七人が一つのラインで作業しているのだが、まるでスローバージョンの交響曲に合わせて、両手と両足がケーブルの上で踊っているように見え、削ったり、切ったり、割ったり、叩いたりしている。彼らは、回収されたものを良い値段で売って、大愛テレビが良い番組を作って放送するのをサポートしたいというシンプルな思いだけで、全身全霊で取り組んでいるのだ。

そのお爺さん、お婆さん世代の人たちは超人的で、電化製品の分解やケーブル剥線作業の達人と言える。最年少は七十一歳で、最年長は八十五歳である。「銅線を引き抜く力がなくなっても、続けます!」と。

リレー式に分解し、ゼロ廃棄物を目指している

八十一歳の杜玉珠(ドゥ・ユーヅゥー)さんは、古着の収集と仕分けを担当しているが、日々の分別とリサイクルを済ませた後、煩雑な事務仕事もこなしており、打ち負かされることはない。彼女が語る、七人のリサイクルボランティアのストーリーを聞きながら、彼らに目を向けると、柔和な話ぶりが、とても温かい気持ちにさせてくれた。

四年余り前、高雄市岡山区の柳橋と後紅にあったリサイクルステーションが、岡山志業パーク内の環境保全教育ステーションに統合されたので、杜さんは柳橋から移されたコンテナハウスに古着を保管した。その後、近くの工場が廃棄した電線のリサイクルを慈済に託したため、リサイクルボランティアは、野外で廃棄電線や電化製品の解体を始めた。

ブリキ、黄銅、青銅、プラスチック……リサイクル業者が回収しないものもあれば、先に分解して売れる部分を取り出す必要があるものもある。極力廃棄物を出さず、地球を汚染しないよう、七人のボランティアは丁寧に分別している。

中肉中背で八十三歳の余蔡秀(ユー・ツァイシユウ)さんは、足にビニール袋で作った乗馬ブーツを履き、リサイクルした古着を着て、油汚れがつかないよう完全武装した。そして、両手に三枚重ねの手袋をつけた。一枚目と二枚目はプラスチック製で、三枚目は軍手である。彼女は小さな腰掛けに座り、足の前に砂利の入った洗面器を置き、ネバネバした黒い油で汚れた長くて硬い電線を洗面器に入れ、こすって汚れを落とした。暫くすると軍手に分厚い油がついた。

余さんが最も満足しているのは、夫の家族のほぼ全員が慈済ボランティアになっていることである。皆から「大師兄」と呼ばれている夫の余益雄(ユー・イーシォン)さんと長年、夫婦一緒にリサイクル活動を毎日朝から午後までやっている。汚れを落としたケーブルは、八十一歳の余邦紹(ユー・ブォンサォ)さんが引き継ぎ、先ず電線を短く切断してから、蔡秀さんと協力して絶縁体を割いて剥がした。その後、七十一歳の陳美玉(ツン・メイユー)さんがより丁寧に削ってから七十六歳の朱陳秀鸞(ヅゥー・ツンシュウアン)さんと八十四歳の黃謝敏(ホワン・シェミン)さんに渡し、最後の工程を行うことで、やっと銅線を引き抜くことができるのだ。皆で宝のように扱っている。陳さんはこの祖父母世代の中では最年少で、いつも黙々と自分の仕事をきちんとこなしている。新型コロナの感染から回復した後も、後遺症が残り、咳をすると背中が痛くなるが、家で退屈にしているよりは、リサイクルステーションに来て何かをする方を好む。

邦紹さんは電線を切り終わると、小さな腰掛けに戻り、電化製品の仕分けを続けた。彼と妻の羅家蓁(ロー・ジャーヅン)さんは、毎日リサイクルステーションに来て、道具を手に取ると、頭を上げることを忘れてしまうほど没頭してしまう。ゆっくりと穏やかに喋る彼は、少し言葉を交わすと、再び仕事に没頭した。

七十五歳の羅さんは、二〇〇三年からリサイクル活動に参加し始め、ハンマーを持って回収物を叩いている。叩く場所は樹齢十年以上のリュウガンの幹で、平らだったものが今ではデコボコになっている。どれほど大変な作業か想像に難くない。腰痛持ちの彼女は、次々と分解対象の回収物が持ち込まれるので、シップを貼りながらも作業を続けている。「私たちは休んだことがありません。もっと頑張らないと本当に間に合わないのです。ですから殆ど毎日朝早く来て、夜遅くまでやっています」。

今年一月からがん治療を始めた羅さんだが、考え方は楽観的で力強く、生死は運命だから、立ち向かえばいいと感じている。化学療法期間中は体力がなく、免疫力も低下しているため、リサイクルステーションでの分解作業は暫くできなかったが、近所から届く回収物が多いので、自宅で分別を続けている。入院中、彼女はリサイクル作業をとても気にしていたが、親孝行な息子が引き継いでおり、中断することなく作業が続いている。

今、彼女は再びリサイクルステーションに戻って、扇風機の分解に専念している。「上人の良い弟子なのですから、できることは何でも、全力でやりたいのです。たとえ病気でも、環境保全活動をやめてはいけないのです。それは、大愛テレビ局を護持するだけでなく、それ以上に地球を愛しているからです」。

平均年齢80歳のボランティアたちは、家庭から廃棄されて回収されたケーブルや電化製品を細かく分解し、中に含まれている金属が再利用できるように、素材に応じて分類していた。これがリサイクル活動の大変なところであり、忍耐と労力を必要とする、純粋な手作業なのである。

作業に集中し、悲しみに浸らない

陳蔡月英(ツン・ツァイユェイン)さんは八十五歳という高齢だが、電気ドリルを使うのは熟練しており、動作が速く、器具の分別も簡単にこなしているように見える。二年前に末の息子さんを癌で亡くしたのだと、彼女はやり場のない悲しみをそっと言葉にした。毎日ボランティア活動に出かけるのも、自分の感情に囚われすぎないようにするためである。

一週間前、夫の陳文雄(ツン・ウェンシュォン)さんがパーキンソン病と診断された。月英さんは感情を表に出さず、インタビューを受けながら作業を続けた。杜さんは、「ご主人と一緒にいてあげなさい」「早く帰宅しなさい」と何度も促したが、彼女は手元の品物を分別し続けた。リサイクル作業に没頭することによってのみ、消えて行く命に対する悲しみを抑えることができるかのようだった。

八十三歳の毛陳秀(マオ・ツンシュウ)さんは、丸い体を小さなプラスチック製の椅子に座らせ、ハンマーで鉄のフレームを叩いて、内部に入っていた細い銅線の束を損傷せずに取り出していた。彼女は口数が少なく、いつも叩くことに没頭している。そして、黄色い細い銅線が見えると、まるで子供が大好きなお菓子を見た時のように笑顔になり、満足そうな楽しい表情になった。

毛さんは、二〇〇三年から医療ボランティアをしており、花蓮と大林慈済病院に交代で行っていた。ご主人が亡くなった後、彼女はご主人が着ていたボランティアベストを着て、「夫のやり残したことも私が一緒にやり遂げます」と言った。コロナ禍の後、高齢化も相まって、彼女は他の都市に出かけて医療ボランティアをすることはなくなった。毎日、午前八時五分のバスに乗って岡山志業パークに行き、定時に午後四時のバスで帰宅する。羅さんの療養中は、分解エリアの開け閉めの仕事も引き受けた。

一人暮らしの毛さんは孤独に感じることはない。二人の息子が迎えにきて同居したことが何度かあったが、最終的にはやはり岡山区の家に戻ってきた。

「私は普段、一人だから、食事はとてもシンプルで、あまりのんびりするのも好きではありません。人生は短くて、私たちの年齢では、いつお迎えが来るか分かりません。もっとやるべきことを、急いでやらなければなりません。さもなければ、やれなくなってしまいます」。

毛さんによると、長男の嫁として夫に嫁いだが、多くのことに責任を負わなければならなかった。夫には二人の弟と六人の妹がいたので、彼らが独立して生計を営んで初めて、自分の時間ができ、ボランティア活動に参加できるようになった。彼女は笑顔を浮かべながら、これらの思い出を語った。

陳蔡月英さん(左上から)、毛陳秀さん、杜玉珠さん、黄謝敏さん、羅家蓁さん、陳美玉さん、余蔡秀さん。次世代が美しい環境を守っていくための幸せな笑顔を見せていた。

物を惜しむ 
ボロ服が雑巾に変わる

ボランティアの孫湘涵(ソン・シャンハン)さんは、リサイクル活動に来るといつも、この愛らしい老人たちに挨拶をする。彼らの素朴な思いやりと行動には本当に感動したと彼女は言う。こんなに高齢なのに一日中ここにいて、時には昼の休みも取らず、午後四時頃にやっと各自の家に帰るのだから。

銅線にこだわるだけでなく、古着も何回も再利用している。着られる服を慎重に選び、梱包して、後で使用できるように保管しておく。一部の再利用できなくなった衣類を、杜さんは宝とみなし、仕立屋の黄さんに、布切れに裁断してもらい、必要としている工場にさしあげている。彼らは物を最大限に活用して、一心にゴミの量を減らし、地球への負担を減らしているのだ。

八十四歳の黄さんは生地の裁断に長けているだけでなく、ケーブルの絶縁体を素早くカッターナイフで切って、剥がしていた。彼女は、普段、一人で家にいるよりも、リサイクルステーションでボランティアをしたほうが良いと言った。要らぬことを考えなくなるし、おしゃべりする相手もいて、お互いに世話できるからだ。

リサイクルステーションを見守っている杜さんは毎日とても忙しく、元気いっぱいである。彼女は微笑みながら、時間があって座り、何もしないと居眠りしてしまう、と言った。彼女は自宅の前でリサイクルをしており、二十年以上精進チームを受け持っており、法縁者の法事にもほとんど欠席しない。なぜ彼女にそんなにエネルギーがあるのかと尋ねると、證厳法師の教えを心に留めているので、全てに立ち向かう力があるのだ、と答えた。

可愛いお年寄りボランティアたちは、マンゴーの木の下の小さなスペースをゆっくりと行き来し、重責を担っているが、尻込みすることはない。マスクをした彼らの目には、確かな幸せと安定感が見えた。

(慈済月刊六八四期より)

  • 人生は苦労が多くて短いため、私たちのような歳の人は、もっと頑張って作業しなければならない。さもなければする機会がなくなる。

  • 体は老化して動作が遅くなっても、手足を一緒に使えばまだやれる。

  • リサイクルステーションに来てボランティアすれば、要らぬことを考えることはなく、おしゃべりの相手もいて、互いに面倒を見ることができる。

慈済岡山志業パークの環境保全教育ステーションの隣にあるマンゴーの木の下に建てられたブリキ小屋からは、遠くからでも何かを叩く音が聞こえる。平均年齢八十歳のリサイクルボランティアたちが、急がず休まず歩き回っている。彼らは体は衰え、動作が遅くなっても、手と足を使えば、太い銅線をケーブルから丁寧に取り出すことができる。

七人が一つのラインで作業しているのだが、まるでスローバージョンの交響曲に合わせて、両手と両足がケーブルの上で踊っているように見え、削ったり、切ったり、割ったり、叩いたりしている。彼らは、回収されたものを良い値段で売って、大愛テレビが良い番組を作って放送するのをサポートしたいというシンプルな思いだけで、全身全霊で取り組んでいるのだ。

そのお爺さん、お婆さん世代の人たちは超人的で、電化製品の分解やケーブル剥線作業の達人と言える。最年少は七十一歳で、最年長は八十五歳である。「銅線を引き抜く力がなくなっても、続けます!」と。

リレー式に分解し、ゼロ廃棄物を目指している

八十一歳の杜玉珠(ドゥ・ユーヅゥー)さんは、古着の収集と仕分けを担当しているが、日々の分別とリサイクルを済ませた後、煩雑な事務仕事もこなしており、打ち負かされることはない。彼女が語る、七人のリサイクルボランティアのストーリーを聞きながら、彼らに目を向けると、柔和な話ぶりが、とても温かい気持ちにさせてくれた。

四年余り前、高雄市岡山区の柳橋と後紅にあったリサイクルステーションが、岡山志業パーク内の環境保全教育ステーションに統合されたので、杜さんは柳橋から移されたコンテナハウスに古着を保管した。その後、近くの工場が廃棄した電線のリサイクルを慈済に託したため、リサイクルボランティアは、野外で廃棄電線や電化製品の解体を始めた。

ブリキ、黄銅、青銅、プラスチック……リサイクル業者が回収しないものもあれば、先に分解して売れる部分を取り出す必要があるものもある。極力廃棄物を出さず、地球を汚染しないよう、七人のボランティアは丁寧に分別している。

中肉中背で八十三歳の余蔡秀(ユー・ツァイシユウ)さんは、足にビニール袋で作った乗馬ブーツを履き、リサイクルした古着を着て、油汚れがつかないよう完全武装した。そして、両手に三枚重ねの手袋をつけた。一枚目と二枚目はプラスチック製で、三枚目は軍手である。彼女は小さな腰掛けに座り、足の前に砂利の入った洗面器を置き、ネバネバした黒い油で汚れた長くて硬い電線を洗面器に入れ、こすって汚れを落とした。暫くすると軍手に分厚い油がついた。

余さんが最も満足しているのは、夫の家族のほぼ全員が慈済ボランティアになっていることである。皆から「大師兄」と呼ばれている夫の余益雄(ユー・イーシォン)さんと長年、夫婦一緒にリサイクル活動を毎日朝から午後までやっている。汚れを落としたケーブルは、八十一歳の余邦紹(ユー・ブォンサォ)さんが引き継ぎ、先ず電線を短く切断してから、蔡秀さんと協力して絶縁体を割いて剥がした。その後、七十一歳の陳美玉(ツン・メイユー)さんがより丁寧に削ってから七十六歳の朱陳秀鸞(ヅゥー・ツンシュウアン)さんと八十四歳の黃謝敏(ホワン・シェミン)さんに渡し、最後の工程を行うことで、やっと銅線を引き抜くことができるのだ。皆で宝のように扱っている。陳さんはこの祖父母世代の中では最年少で、いつも黙々と自分の仕事をきちんとこなしている。新型コロナの感染から回復した後も、後遺症が残り、咳をすると背中が痛くなるが、家で退屈にしているよりは、リサイクルステーションに来て何かをする方を好む。

邦紹さんは電線を切り終わると、小さな腰掛けに戻り、電化製品の仕分けを続けた。彼と妻の羅家蓁(ロー・ジャーヅン)さんは、毎日リサイクルステーションに来て、道具を手に取ると、頭を上げることを忘れてしまうほど没頭してしまう。ゆっくりと穏やかに喋る彼は、少し言葉を交わすと、再び仕事に没頭した。

七十五歳の羅さんは、二〇〇三年からリサイクル活動に参加し始め、ハンマーを持って回収物を叩いている。叩く場所は樹齢十年以上のリュウガンの幹で、平らだったものが今ではデコボコになっている。どれほど大変な作業か想像に難くない。腰痛持ちの彼女は、次々と分解対象の回収物が持ち込まれるので、シップを貼りながらも作業を続けている。「私たちは休んだことがありません。もっと頑張らないと本当に間に合わないのです。ですから殆ど毎日朝早く来て、夜遅くまでやっています」。

今年一月からがん治療を始めた羅さんだが、考え方は楽観的で力強く、生死は運命だから、立ち向かえばいいと感じている。化学療法期間中は体力がなく、免疫力も低下しているため、リサイクルステーションでの分解作業は暫くできなかったが、近所から届く回収物が多いので、自宅で分別を続けている。入院中、彼女はリサイクル作業をとても気にしていたが、親孝行な息子が引き継いでおり、中断することなく作業が続いている。

今、彼女は再びリサイクルステーションに戻って、扇風機の分解に専念している。「上人の良い弟子なのですから、できることは何でも、全力でやりたいのです。たとえ病気でも、環境保全活動をやめてはいけないのです。それは、大愛テレビ局を護持するだけでなく、それ以上に地球を愛しているからです」。

平均年齢80歳のボランティアたちは、家庭から廃棄されて回収されたケーブルや電化製品を細かく分解し、中に含まれている金属が再利用できるように、素材に応じて分類していた。これがリサイクル活動の大変なところであり、忍耐と労力を必要とする、純粋な手作業なのである。

作業に集中し、悲しみに浸らない

陳蔡月英(ツン・ツァイユェイン)さんは八十五歳という高齢だが、電気ドリルを使うのは熟練しており、動作が速く、器具の分別も簡単にこなしているように見える。二年前に末の息子さんを癌で亡くしたのだと、彼女はやり場のない悲しみをそっと言葉にした。毎日ボランティア活動に出かけるのも、自分の感情に囚われすぎないようにするためである。

一週間前、夫の陳文雄(ツン・ウェンシュォン)さんがパーキンソン病と診断された。月英さんは感情を表に出さず、インタビューを受けながら作業を続けた。杜さんは、「ご主人と一緒にいてあげなさい」「早く帰宅しなさい」と何度も促したが、彼女は手元の品物を分別し続けた。リサイクル作業に没頭することによってのみ、消えて行く命に対する悲しみを抑えることができるかのようだった。

八十三歳の毛陳秀(マオ・ツンシュウ)さんは、丸い体を小さなプラスチック製の椅子に座らせ、ハンマーで鉄のフレームを叩いて、内部に入っていた細い銅線の束を損傷せずに取り出していた。彼女は口数が少なく、いつも叩くことに没頭している。そして、黄色い細い銅線が見えると、まるで子供が大好きなお菓子を見た時のように笑顔になり、満足そうな楽しい表情になった。

毛さんは、二〇〇三年から医療ボランティアをしており、花蓮と大林慈済病院に交代で行っていた。ご主人が亡くなった後、彼女はご主人が着ていたボランティアベストを着て、「夫のやり残したことも私が一緒にやり遂げます」と言った。コロナ禍の後、高齢化も相まって、彼女は他の都市に出かけて医療ボランティアをすることはなくなった。毎日、午前八時五分のバスに乗って岡山志業パークに行き、定時に午後四時のバスで帰宅する。羅さんの療養中は、分解エリアの開け閉めの仕事も引き受けた。

一人暮らしの毛さんは孤独に感じることはない。二人の息子が迎えにきて同居したことが何度かあったが、最終的にはやはり岡山区の家に戻ってきた。

「私は普段、一人だから、食事はとてもシンプルで、あまりのんびりするのも好きではありません。人生は短くて、私たちの年齢では、いつお迎えが来るか分かりません。もっとやるべきことを、急いでやらなければなりません。さもなければ、やれなくなってしまいます」。

毛さんによると、長男の嫁として夫に嫁いだが、多くのことに責任を負わなければならなかった。夫には二人の弟と六人の妹がいたので、彼らが独立して生計を営んで初めて、自分の時間ができ、ボランティア活動に参加できるようになった。彼女は笑顔を浮かべながら、これらの思い出を語った。

陳蔡月英さん(左上から)、毛陳秀さん、杜玉珠さん、黄謝敏さん、羅家蓁さん、陳美玉さん、余蔡秀さん。次世代が美しい環境を守っていくための幸せな笑顔を見せていた。

物を惜しむ 
ボロ服が雑巾に変わる

ボランティアの孫湘涵(ソン・シャンハン)さんは、リサイクル活動に来るといつも、この愛らしい老人たちに挨拶をする。彼らの素朴な思いやりと行動には本当に感動したと彼女は言う。こんなに高齢なのに一日中ここにいて、時には昼の休みも取らず、午後四時頃にやっと各自の家に帰るのだから。

銅線にこだわるだけでなく、古着も何回も再利用している。着られる服を慎重に選び、梱包して、後で使用できるように保管しておく。一部の再利用できなくなった衣類を、杜さんは宝とみなし、仕立屋の黄さんに、布切れに裁断してもらい、必要としている工場にさしあげている。彼らは物を最大限に活用して、一心にゴミの量を減らし、地球への負担を減らしているのだ。

八十四歳の黄さんは生地の裁断に長けているだけでなく、ケーブルの絶縁体を素早くカッターナイフで切って、剥がしていた。彼女は、普段、一人で家にいるよりも、リサイクルステーションでボランティアをしたほうが良いと言った。要らぬことを考えなくなるし、おしゃべりする相手もいて、お互いに世話できるからだ。

リサイクルステーションを見守っている杜さんは毎日とても忙しく、元気いっぱいである。彼女は微笑みながら、時間があって座り、何もしないと居眠りしてしまう、と言った。彼女は自宅の前でリサイクルをしており、二十年以上精進チームを受け持っており、法縁者の法事にもほとんど欠席しない。なぜ彼女にそんなにエネルギーがあるのかと尋ねると、證厳法師の教えを心に留めているので、全てに立ち向かう力があるのだ、と答えた。

可愛いお年寄りボランティアたちは、マンゴーの木の下の小さなスペースをゆっくりと行き来し、重責を担っているが、尻込みすることはない。マスクをした彼らの目には、確かな幸せと安定感が見えた。

(慈済月刊六八四期より)

關鍵字

五月の出来事

05・01

慈済基金会は、ブータン・ギャリュム慈善信託基金の下部組織であるリニュー(RENEW)のために、首都にあるシンプ―べべナ地区で「ハッピーハウス」を支援建設する。それは、暴力を受けた女性や子供の臨時のシェルターで、栄養に関する相談や法律面、医療面での支援を行う。本日、起工式が行われた。

05・02

アメリカ中南部の6つの州が、4月26日と27日、100余りの竜巻に襲われ、数多くの町が甚大な被害を被った。慈済ダラス連絡所は緊急支援活動を展開し、本日、4人がオクラホマ州の甚大被災地であるソルファー市に出向いて視察した。10日に当州の災害ボランティア機構(VOAD)による計画と連携して、現地のイエス中心教会で緊急の配付活動を行った。13世帯に買い物カードとエコ毛布25枚、20個の竹筒貯金箱が配付された。

05・05

インドネシア慈済人医会と慈済ボランティアは、タンゲラン市とボゴール市にあるプサントレンのヌルル‧イマンで、施療と衛生教育活動を行った。一般内科と歯科の診療の他、疥という皮膚病及び口腔に関する衛生知識を紹介し、1050人が恩恵を受けた。

05・07

◎慈済基金会の役員である林碧玉氏と張宗義副執行長、慈発所の呂芳川主任、營建所の張正助主任、総務所の詹桂棋主任が、花蓮県政府で徐榛蔚知事を訪ね、0403花蓮地震における恒久住宅建設について話し合った。

◎ブラジルのリオグランデ州は4月末からの連日の豪雨で、甚大な被害が出た。400余りの都市が影響を受け、約150万人が被災した。被災者への支援ルートを確保した、慈済パラグアイ・シウダードデルエステ連絡所のボランティアは、大至急500食分の食料を買い付けて、災害救助物資の集荷所に届け、ブラジル・フォズ市の軍に所属する消防隊を通して被災地に輸送した。

05・08

◎慈済基金会はアスース文教基金会と共に、花蓮県38カ所の学校に学習用のコンピューター設備を寄贈し、0403花蓮地震の後、いち早く正常な授業に復帰できるよう支援した。本日、県庁で寄贈式が行われた。

◎マダガスカル・ライオンズクラブのユージーニー氏と弟のティーリー氏、助手のジラ氏及び当クラブ南部地区の責任者、ラライナ氏の4人は、8日、モザンビークで行われる8日間の「志業の学習と交流」活動に参加するために出発した。活動では慈済の勉強会、巡礼、灌仏会などと共に、慈済大愛農場の見学、ケア世帯訪問などが行われる。また、モザンビーク慈済チームと将来のマダガスカルの一年間の活動や展望について話し合う。一行は16日に帰国する。

05・10

インドネシアのマンクヌガラン宮殿当主マンクヌゴロ10世がチームを引率して、初めて慈済支部を訪れ、今後の協力関係を話し合った。

05・12

◎慈済が58周年を迎えた。午前7時に台湾花蓮静思堂前の道侶広場で、世界で最も早い灌仏会「2024年仏誕節、母の日、慈済デイ」が催された。證厳法師は会場で大衆を率いて灌仏を行った。夕方6時には台北市中正紀念堂で、「2024年仏誕灌仏親孝行感謝祈福会」が盛大に行われた。蔡英文総統及び政界の要人たちが、真心で「祈り」を歌い、災害のない平穏な日々と心の平安を祈った。今年の式典では初めて、偈頌《無量義経・徳行品》が唱えられた。

◎證厳法師は国立陽明交通大学の名誉哲学及び医学のダブル博士学位を授与された。本日、花蓮静思堂で授与式が行われ、同大学の林奇宏学長が授与した。

陽明交通大学の林奇宏学長(左)が、證厳法師に名誉博士の学位を授与した。(相片提供・花蓮本会)

世界各地で灌仏会
世の幸福を祈った

オンラインを通じて、世界14の国と地域の37の地域道場と同時に灌仏会を行い、〈徳行品〉の偈頌を朗誦し、人々の心を静めた。式典が荘厳に整然と行われるよう、参加人員は天候に関係なく、「燈燭、香湯、法香」の献上動作のリハーサルを行った。お参りする台は草花で荘厳に飾られ、諸仏に礼敬された。(資料提供・蔡翠容 撮影・廖文聰)

仏誕節、母の日、慈済デイという三節を合わせた式典が、2024年世界45の国と地域の743の会場で行われ、16万人余りが参加した。最も大きいのが台北中正紀念堂で行われたもので、2万人が偈頌を朗誦し、世の幸福を祈った。(撮影・廖世淙)

05・13

慈済基金会志業報告の時に、熊士民副執行長が「慈済のイスラム開発銀行アフリカ眼科疾病予防援助共同プロジェクト支援」における第1段階の成果を報告した。支援対象はアフリカ6カ国で、そのうちのギニアは慈済が慈善支援を行った134番目、ジブチは135番目、ソマリアは136番目の国または地域となった。

05・15

日本の防災専門家である西村文彦氏、大橋麻希子氏、前田宰氏が内政部消防署と衛生福利部のスタッフの案内で、新店静思堂を訪れ、慈済基金会、大愛感恩科技公司のチームと交流した。慈悲の科学製品を見て、災害後の避難所などに関して交流した。16日は花蓮静思堂を訪れ、慈済物資倉庫を見学すると共に、花蓮県及び市政府、民間団体と座談会を設けて、避難所での経験を分かち合った。

05・17

◎慈済基金会は途切れることなく、今年の元日に発生した能登半島地震の被災者に関心を寄せている。ボランティアは穴水町で2万食の炊き出しを行って来たが、家屋が半壊以上で65歳のお年寄りがいる世帯を対象に、5月に見舞金配付活動を展開し、世帯の家族構成によって13万から17万円が配付される。17日から19日まで日本支部のボランティアと現地ボランティア合わせて延べ192人が参加して、1091の穴水町の被災世帯に配付を実施した。6月上旬には能登町で行われる。

證厳法師の心温まるお見舞いの手紙と見舞金の心を尽くした上品な装丁は多くの住民の心を動かした。(撮影・蕭耀華)

慈済が能登半島穴水町で見舞金配付活動を行った。5月19日武道館で行われた様子。(撮影・李月鳳)

05・01

慈済基金会は、ブータン・ギャリュム慈善信託基金の下部組織であるリニュー(RENEW)のために、首都にあるシンプ―べべナ地区で「ハッピーハウス」を支援建設する。それは、暴力を受けた女性や子供の臨時のシェルターで、栄養に関する相談や法律面、医療面での支援を行う。本日、起工式が行われた。

05・02

アメリカ中南部の6つの州が、4月26日と27日、100余りの竜巻に襲われ、数多くの町が甚大な被害を被った。慈済ダラス連絡所は緊急支援活動を展開し、本日、4人がオクラホマ州の甚大被災地であるソルファー市に出向いて視察した。10日に当州の災害ボランティア機構(VOAD)による計画と連携して、現地のイエス中心教会で緊急の配付活動を行った。13世帯に買い物カードとエコ毛布25枚、20個の竹筒貯金箱が配付された。

05・05

インドネシア慈済人医会と慈済ボランティアは、タンゲラン市とボゴール市にあるプサントレンのヌルル‧イマンで、施療と衛生教育活動を行った。一般内科と歯科の診療の他、疥という皮膚病及び口腔に関する衛生知識を紹介し、1050人が恩恵を受けた。

05・07

◎慈済基金会の役員である林碧玉氏と張宗義副執行長、慈発所の呂芳川主任、營建所の張正助主任、総務所の詹桂棋主任が、花蓮県政府で徐榛蔚知事を訪ね、0403花蓮地震における恒久住宅建設について話し合った。

◎ブラジルのリオグランデ州は4月末からの連日の豪雨で、甚大な被害が出た。400余りの都市が影響を受け、約150万人が被災した。被災者への支援ルートを確保した、慈済パラグアイ・シウダードデルエステ連絡所のボランティアは、大至急500食分の食料を買い付けて、災害救助物資の集荷所に届け、ブラジル・フォズ市の軍に所属する消防隊を通して被災地に輸送した。

05・08

◎慈済基金会はアスース文教基金会と共に、花蓮県38カ所の学校に学習用のコンピューター設備を寄贈し、0403花蓮地震の後、いち早く正常な授業に復帰できるよう支援した。本日、県庁で寄贈式が行われた。

◎マダガスカル・ライオンズクラブのユージーニー氏と弟のティーリー氏、助手のジラ氏及び当クラブ南部地区の責任者、ラライナ氏の4人は、8日、モザンビークで行われる8日間の「志業の学習と交流」活動に参加するために出発した。活動では慈済の勉強会、巡礼、灌仏会などと共に、慈済大愛農場の見学、ケア世帯訪問などが行われる。また、モザンビーク慈済チームと将来のマダガスカルの一年間の活動や展望について話し合う。一行は16日に帰国する。

05・10

インドネシアのマンクヌガラン宮殿当主マンクヌゴロ10世がチームを引率して、初めて慈済支部を訪れ、今後の協力関係を話し合った。

05・12

◎慈済が58周年を迎えた。午前7時に台湾花蓮静思堂前の道侶広場で、世界で最も早い灌仏会「2024年仏誕節、母の日、慈済デイ」が催された。證厳法師は会場で大衆を率いて灌仏を行った。夕方6時には台北市中正紀念堂で、「2024年仏誕灌仏親孝行感謝祈福会」が盛大に行われた。蔡英文総統及び政界の要人たちが、真心で「祈り」を歌い、災害のない平穏な日々と心の平安を祈った。今年の式典では初めて、偈頌《無量義経・徳行品》が唱えられた。

◎證厳法師は国立陽明交通大学の名誉哲学及び医学のダブル博士学位を授与された。本日、花蓮静思堂で授与式が行われ、同大学の林奇宏学長が授与した。

陽明交通大学の林奇宏学長(左)が、證厳法師に名誉博士の学位を授与した。(相片提供・花蓮本会)

世界各地で灌仏会
世の幸福を祈った

オンラインを通じて、世界14の国と地域の37の地域道場と同時に灌仏会を行い、〈徳行品〉の偈頌を朗誦し、人々の心を静めた。式典が荘厳に整然と行われるよう、参加人員は天候に関係なく、「燈燭、香湯、法香」の献上動作のリハーサルを行った。お参りする台は草花で荘厳に飾られ、諸仏に礼敬された。(資料提供・蔡翠容 撮影・廖文聰)

仏誕節、母の日、慈済デイという三節を合わせた式典が、2024年世界45の国と地域の743の会場で行われ、16万人余りが参加した。最も大きいのが台北中正紀念堂で行われたもので、2万人が偈頌を朗誦し、世の幸福を祈った。(撮影・廖世淙)

05・13

慈済基金会志業報告の時に、熊士民副執行長が「慈済のイスラム開発銀行アフリカ眼科疾病予防援助共同プロジェクト支援」における第1段階の成果を報告した。支援対象はアフリカ6カ国で、そのうちのギニアは慈済が慈善支援を行った134番目、ジブチは135番目、ソマリアは136番目の国または地域となった。

05・15

日本の防災専門家である西村文彦氏、大橋麻希子氏、前田宰氏が内政部消防署と衛生福利部のスタッフの案内で、新店静思堂を訪れ、慈済基金会、大愛感恩科技公司のチームと交流した。慈悲の科学製品を見て、災害後の避難所などに関して交流した。16日は花蓮静思堂を訪れ、慈済物資倉庫を見学すると共に、花蓮県及び市政府、民間団体と座談会を設けて、避難所での経験を分かち合った。

05・17

◎慈済基金会は途切れることなく、今年の元日に発生した能登半島地震の被災者に関心を寄せている。ボランティアは穴水町で2万食の炊き出しを行って来たが、家屋が半壊以上で65歳のお年寄りがいる世帯を対象に、5月に見舞金配付活動を展開し、世帯の家族構成によって13万から17万円が配付される。17日から19日まで日本支部のボランティアと現地ボランティア合わせて延べ192人が参加して、1091の穴水町の被災世帯に配付を実施した。6月上旬には能登町で行われる。

證厳法師の心温まるお見舞いの手紙と見舞金の心を尽くした上品な装丁は多くの住民の心を動かした。(撮影・蕭耀華)

慈済が能登半島穴水町で見舞金配付活動を行った。5月19日武道館で行われた様子。(撮影・李月鳳)

關鍵字

十八日 慈濟就是這樣走過來

4.18《農三月‧初十》

【靜思小語】庇蔭天下的大愛能量,從極微小、極微量做起,從看得到、聽得到的範圍做起。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

專款專用,信守承諾

慈善基金會顧問謝景貴師兄與宗教處同仁請示元旦日本能登半島地震之慈善發放。上人開示,慈濟人走入災區付出,也承諾會再回來,所以要守信、講信用;在四月三日花蓮強震發生後,對方也表達關心與祝福,慈濟人要感恩回覆,這次花蓮地震雖然規模較大,但是大致平安,這是很值得感恩的,所以請他們安心。再者,慈濟一向是專款專用,國內慈善與國際賑災各有專款,皆是按照捐款人的意願而將一滴滴愛心的水滴歸入個別項目,所以不會相互影響,仍然可以按照既定行程去付出。

慈濟人實際進入能登半島災區,供應熱食,與居民相處了一段時間,體會到弱勢者生活確實難過,尤其是獨居長者、兩老相依,房屋被震垮之後已經無力復建。上人表示對於這群老弱受災人,慈濟人將心比心,也要像在臺灣賑災一樣,給予「有感覺」的經濟援助。

景貴師兄提到,位在能登半島強震重災區石川縣的穴水町醫院,院方在得知花蓮震災訊息後,主動發起募款回饋臺灣。即使居民自家或農田損毀嚴重,仍在第一時間拿出存了許久的撲滿,或是剛得到的補助款,表達為臺灣祝福與加油的心意。另有日本企業在臺分公司捐款、日本便利商店為臺灣地震募款等等。

上人說,就像在土耳其地震後,接受慈濟幫助的受災戶也響應慈濟人的募心募愛,捐出口袋裏的零錢,慈濟人也將這些寶貴的心意歸入功德大海。此舉就是讓大眾有機會布善種子;慈濟在受災、受苦的人很需要的時候給予幫助,他們聽了慈濟人說「竹筒歲月」的故事和意義而回饋,共同耕耘人間的大福田。

「雖說捐款是付出,其實是造福田、聚福氣─愈多人願意付出,不論多寡,只要有那一念真誠助人的心,就會凝聚起善的氣氛;善的氣氛濃厚,人間就能平安。我們可以對發心捐款的民眾或企業團體如此表達,感恩收下對方的心意。人與人之間要有親切和善的互動、互助,而非疏離客氣;災難發生後彼此關心,有付出、有接受,彼此各盡心意。」

愛的回響,溫暖彼此

據訪視紀錄資料,佛教克難慈濟功德會一九六六年成立後的第一例慈善個案,是八十六歲的林曾老太太。上人偕同委員探訪,自六月起列為長期照顧戶,每月撥款三百元,一九六九年六月提高為四百元,濟助至一九七○年二月三日老太太往生,另補助喪葬費。

上人於慈善志策會談及當年救濟林曾老太太,慈濟才剛起步,靠著每人每天存五毛錢累積的慈善基金,很用心地照顧她,還僱請一位婦女每天為老太太煮食。慈濟自接案就一直照顧老人家的生活,請醫師為她看病等;也因為慈濟照顧的都是貧病老弱者,認識了不少有愛心的醫療人員,深刻感受到貧病相依之苦,會合因緣在花蓮市成立義診所。

「當時看到孤老無依的人,病倒在家無法出來求醫,故而啟發一念心做義診。所以多看、多了解,多做多得;如果沒有看到,不知道人間有這樣苦的人。不需要看多,看到一、二位,我們就要打動自己的心,要讓愛心很敏感,看到、感覺到了,就趕快去幫助。不要認為這沒什麼,漠不關心;慈濟從極微小、極微量做起,直到現在,大愛能量已經普及國際。」

「醫療守護生命,不是等人患病來求我們幫助他去看診,而是我們主動到位,聞聲救苦。只要有人說哪裏有貧病人,我們聽到這個聲音,就要不斷追蹤,看看病人住在哪裏,親自到家探訪並協助。」上人回憶剛開始除了在花蓮市定時定點為貧苦居民看診,也常包遊覽車,帶著醫師們及慈濟人到比較遠的花東鄉鎮,包括光復、玉里、關山等,一站一站去義診。這同樣是從極微小的力量,漸漸凝聚更大的力量;從小小的範圍,漸漸擴展到更廣遠之處,慈濟就是這樣走過來。

上人說,慈濟事要有人宣揚,以帶動大眾的愛心。所以說「弘法利生」不是要說佛法,談慈濟也不是只有向人募款,而是要說慈濟人如何做慈濟事;只要參與其中,用心表達出來,每一個慈濟故事都很精彩,其中都有淨化人心、帶動行善的法。為天下眾生而承擔天下事,「千斤萬擔」都要發願承擔,要不斷呼籲、帶動人人共同來做,凝聚庇蔭天下的大愛能量。「我們既然來到人間,就不要嫌麻煩,不能起一念懈怠之心,也要避免起惡念、貪念等不善的心念;凡是好的事情,隨處都可做。」

上人提到泰國慈濟人長久以來幫助生活貧苦的計程車司機,結了很好的緣,建立起情誼。有的司機會在車上貼靜思語,放置撲滿,鼓勵乘客行善;四月三日花蓮強震發生後,司機們自發性的為臺灣祈福,並響應募心募愛。「我聽了以後,覺得菩薩對眾生的疼愛很有價值;雖然我們付出是無所求,突然間發生事情而得到愛的回響,也會覺得很溫暖。」

四月三日強震後,慈濟人立即動員,且在避難地點提供福慧隔屏、福慧床等物資,讓鄉親安心休息,受到國際媒體關注與採訪。上人表示這是慈濟累積幾十年的賑災經驗,抱持愛心、同理心,不斷思考並研發設計,要讓受災受難的人能安住身心,所以災後所需的食衣住行都能快速安排,並且立即動員探訪與發放,讓民眾「壓驚」,也表達慈濟對鄰里鄉親的關懷。

從最初幾位家庭主婦在菜市場內帶動日存五毛錢救人,如今滴水成河、粒米成籮;回顧過去、展望未來,上人期許年輕一輩要挑起天下米籮,普遍救助苦難人。無論時間過去多久,在哪一個國家地區,用哪一種語言弘法利生,慈濟的精神理念都一樣,這一念心永恆不變,但是要應時代而施方便法。

就如觀世音菩薩聞聲救苦,千處祈求千處現,慈濟人得知何處發生災難,就地、就近及時動員,或不辭奔波辛勞而前往付出。看到災區民眾確實有困難,災後無力重建家園,在急難救助過後,慈濟人也會與當地政府接洽,進行後續的慈善援助;即使政府人士客氣婉謝遠從外地、海外而來的援助,慈濟人也要抱持信、願、行,信守對困苦居民的承諾,發揮願力去幫助他們。

「我們將心比心,無論慈濟人有沒有來,或許對當地政府而言並無差別;但是慈濟人沒有去,那些苦難人就少了一分支持。而我們去幫助,是平等尊重,與在臺灣發放一樣,我們要給的分量,要讓他們感覺真正得到幫助,而非可有可無。所以我們按照原訂行程,發揮願力照常去做到,表達出慈濟人秉持佛陀教導,力行菩薩道的信、願、行。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

4.18《農三月‧初十》

【靜思小語】庇蔭天下的大愛能量,從極微小、極微量做起,從看得到、聽得到的範圍做起。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

專款專用,信守承諾

慈善基金會顧問謝景貴師兄與宗教處同仁請示元旦日本能登半島地震之慈善發放。上人開示,慈濟人走入災區付出,也承諾會再回來,所以要守信、講信用;在四月三日花蓮強震發生後,對方也表達關心與祝福,慈濟人要感恩回覆,這次花蓮地震雖然規模較大,但是大致平安,這是很值得感恩的,所以請他們安心。再者,慈濟一向是專款專用,國內慈善與國際賑災各有專款,皆是按照捐款人的意願而將一滴滴愛心的水滴歸入個別項目,所以不會相互影響,仍然可以按照既定行程去付出。

慈濟人實際進入能登半島災區,供應熱食,與居民相處了一段時間,體會到弱勢者生活確實難過,尤其是獨居長者、兩老相依,房屋被震垮之後已經無力復建。上人表示對於這群老弱受災人,慈濟人將心比心,也要像在臺灣賑災一樣,給予「有感覺」的經濟援助。

景貴師兄提到,位在能登半島強震重災區石川縣的穴水町醫院,院方在得知花蓮震災訊息後,主動發起募款回饋臺灣。即使居民自家或農田損毀嚴重,仍在第一時間拿出存了許久的撲滿,或是剛得到的補助款,表達為臺灣祝福與加油的心意。另有日本企業在臺分公司捐款、日本便利商店為臺灣地震募款等等。

上人說,就像在土耳其地震後,接受慈濟幫助的受災戶也響應慈濟人的募心募愛,捐出口袋裏的零錢,慈濟人也將這些寶貴的心意歸入功德大海。此舉就是讓大眾有機會布善種子;慈濟在受災、受苦的人很需要的時候給予幫助,他們聽了慈濟人說「竹筒歲月」的故事和意義而回饋,共同耕耘人間的大福田。

「雖說捐款是付出,其實是造福田、聚福氣─愈多人願意付出,不論多寡,只要有那一念真誠助人的心,就會凝聚起善的氣氛;善的氣氛濃厚,人間就能平安。我們可以對發心捐款的民眾或企業團體如此表達,感恩收下對方的心意。人與人之間要有親切和善的互動、互助,而非疏離客氣;災難發生後彼此關心,有付出、有接受,彼此各盡心意。」

愛的回響,溫暖彼此

據訪視紀錄資料,佛教克難慈濟功德會一九六六年成立後的第一例慈善個案,是八十六歲的林曾老太太。上人偕同委員探訪,自六月起列為長期照顧戶,每月撥款三百元,一九六九年六月提高為四百元,濟助至一九七○年二月三日老太太往生,另補助喪葬費。

上人於慈善志策會談及當年救濟林曾老太太,慈濟才剛起步,靠著每人每天存五毛錢累積的慈善基金,很用心地照顧她,還僱請一位婦女每天為老太太煮食。慈濟自接案就一直照顧老人家的生活,請醫師為她看病等;也因為慈濟照顧的都是貧病老弱者,認識了不少有愛心的醫療人員,深刻感受到貧病相依之苦,會合因緣在花蓮市成立義診所。

「當時看到孤老無依的人,病倒在家無法出來求醫,故而啟發一念心做義診。所以多看、多了解,多做多得;如果沒有看到,不知道人間有這樣苦的人。不需要看多,看到一、二位,我們就要打動自己的心,要讓愛心很敏感,看到、感覺到了,就趕快去幫助。不要認為這沒什麼,漠不關心;慈濟從極微小、極微量做起,直到現在,大愛能量已經普及國際。」

「醫療守護生命,不是等人患病來求我們幫助他去看診,而是我們主動到位,聞聲救苦。只要有人說哪裏有貧病人,我們聽到這個聲音,就要不斷追蹤,看看病人住在哪裏,親自到家探訪並協助。」上人回憶剛開始除了在花蓮市定時定點為貧苦居民看診,也常包遊覽車,帶著醫師們及慈濟人到比較遠的花東鄉鎮,包括光復、玉里、關山等,一站一站去義診。這同樣是從極微小的力量,漸漸凝聚更大的力量;從小小的範圍,漸漸擴展到更廣遠之處,慈濟就是這樣走過來。

上人說,慈濟事要有人宣揚,以帶動大眾的愛心。所以說「弘法利生」不是要說佛法,談慈濟也不是只有向人募款,而是要說慈濟人如何做慈濟事;只要參與其中,用心表達出來,每一個慈濟故事都很精彩,其中都有淨化人心、帶動行善的法。為天下眾生而承擔天下事,「千斤萬擔」都要發願承擔,要不斷呼籲、帶動人人共同來做,凝聚庇蔭天下的大愛能量。「我們既然來到人間,就不要嫌麻煩,不能起一念懈怠之心,也要避免起惡念、貪念等不善的心念;凡是好的事情,隨處都可做。」

上人提到泰國慈濟人長久以來幫助生活貧苦的計程車司機,結了很好的緣,建立起情誼。有的司機會在車上貼靜思語,放置撲滿,鼓勵乘客行善;四月三日花蓮強震發生後,司機們自發性的為臺灣祈福,並響應募心募愛。「我聽了以後,覺得菩薩對眾生的疼愛很有價值;雖然我們付出是無所求,突然間發生事情而得到愛的回響,也會覺得很溫暖。」

四月三日強震後,慈濟人立即動員,且在避難地點提供福慧隔屏、福慧床等物資,讓鄉親安心休息,受到國際媒體關注與採訪。上人表示這是慈濟累積幾十年的賑災經驗,抱持愛心、同理心,不斷思考並研發設計,要讓受災受難的人能安住身心,所以災後所需的食衣住行都能快速安排,並且立即動員探訪與發放,讓民眾「壓驚」,也表達慈濟對鄰里鄉親的關懷。

從最初幾位家庭主婦在菜市場內帶動日存五毛錢救人,如今滴水成河、粒米成籮;回顧過去、展望未來,上人期許年輕一輩要挑起天下米籮,普遍救助苦難人。無論時間過去多久,在哪一個國家地區,用哪一種語言弘法利生,慈濟的精神理念都一樣,這一念心永恆不變,但是要應時代而施方便法。

就如觀世音菩薩聞聲救苦,千處祈求千處現,慈濟人得知何處發生災難,就地、就近及時動員,或不辭奔波辛勞而前往付出。看到災區民眾確實有困難,災後無力重建家園,在急難救助過後,慈濟人也會與當地政府接洽,進行後續的慈善援助;即使政府人士客氣婉謝遠從外地、海外而來的援助,慈濟人也要抱持信、願、行,信守對困苦居民的承諾,發揮願力去幫助他們。

「我們將心比心,無論慈濟人有沒有來,或許對當地政府而言並無差別;但是慈濟人沒有去,那些苦難人就少了一分支持。而我們去幫助,是平等尊重,與在臺灣發放一樣,我們要給的分量,要讓他們感覺真正得到幫助,而非可有可無。所以我們按照原訂行程,發揮願力照常去做到,表達出慈濟人秉持佛陀教導,力行菩薩道的信、願、行。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

十九至二十一日 很值得的教育

4.19~21《農三月‧十一至十三》

【靜思小語】道理無形,透過禮節表達;有禮才有理,無禮則無理。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

學會禮節才能學會道理

泰國清邁慈濟學校與慈濟大學之線上華語伴學團隊,四月十九日報告清邁慈濟學校華語文學習現況。上人說,泰國清邁慈濟學校離臺灣很遠,不過慈濟是抱著虔誠的心、真誠的愛,到泰北辦教育。會在清邁建立慈濟學校,有其歷史背景與各方因緣成就,如今看到優異的辦學成果,要感恩師長們真誠教學,同學們認真受教,教得好才能學得好。

教育是百年樹人的志業,上人勉勵老師們要有耐心與愛心,適應孩子的根機,教導明辨是非對錯;孩子都是可教的,從小學到中學,在不同的學習階段,老師都要用心引導,還要營造良好的環境,讓孩子受到好風氣、好校風的薰陶。

「我曾經看到你們傳回來的影片,我很讚歎、很感動─孩子上學時,有校車去載他們,抵達學校以後,有老師在車道旁接孩子下車。孩子一一走下車,很整齊而有禮貌地向老師鞠躬敬禮;他們進教室之前,先把鞋子脫下來,很整齊地把鞋子排好,有次序地走進教室。」

上人也提到孩子在敬師節向老師奉茶,很端正、很有禮節,看了很感動。孩子們在教室外活動,經過二位交談的老師身邊,也向老師行禮,彎著腰恭敬地經過。有禮才有理,無禮則無理;所以看到這些畫面,很讚歎、很歡喜,覺得這樣的辦學很有價值。「我們要為學生啟蒙,教之以禮,若有孩子不懂禮貌,就要好好教導,讓他們守禮,才能將老師說的道理聽入心,這樣的禮節要永遠保持,不能隨著時間放鬆、散漫。」

上人表示道理無形,透過禮節表達;假如對待人沒有禮貌,要說自己內心有多麼恭敬,則無法取信於人。學生沒有禮貌的形象,甚至沒有規矩,這樣的教育就不像樣。「教育是人間的希望,也是生命的希望,生而為人就要把握時間發揮生命價值,否則與其他眾生有何差別?」

每個人生在人間,有不同的身分,與其他人有不同的對應關係,也有各自的責任。例如老師對學生有認真教學的責任,學生也要負起認真學習的責任,教與學都要守好各自的本分。除了認真學習,學生也有各自的志願,為了達成志願而學習,學成以後「守志奉道」,在社會上發揮良能─立志當老師就在教育領域發揮,立志當醫師就在醫療工作上治病救命。每一個人守好本分、發揮專長,社會才能順利運作。

「不論我們學什麼,將來就要做什麼,所以學要認真學,做要認真做,與人互動要真誠,共同發揮各自的專長,為社會人群而付出。時常教大家盤點生命的價值,來人生一趟,有學不完的事,我也有做不完的事;我們要為人間做事,而且要做得有價值,不虧欠自己這一趟人生,不虧欠父母養育,也不虧欠師長教育。」

上人提到泰國慈濟人長期幫助清寒困苦的計程車司機,而司機們得知臺灣發生地震災難,立即為臺灣祝福,並且響應募心募愛,將長時間累積零錢的撲滿捐出,要為受災民眾盡一分心。看到司機們的虔誠回饋,覺得很感動,不枉泰國慈濟人疼惜他們,疼惜得很有價值。

「看到他們能夠發這一念心,盡這分心力,我就很感動了。同理,你們陪伴泰國孩子學習華語文,也是用很疼惜、愛護的心投入;老師教得好,孩子很受教、很乖巧,學成畢業以後服務於各行各業,也是真誠付出,這就讓我們覺得很值得、很歡喜。」

立志從醫的初心永不變

四月二十日,臺中慈濟醫院團隊由簡守信院長帶領,返回精舍與上人座談。座談正式開始之前,簡院長與許權振副院長獻給上人用米篩盛裝同仁做的牛角麵包與牛頭造型麵包,象徵臺中慈院同仁扛起米籮,學習大白牛精神勇往向前,承擔責任並膚慰眾生。

簡院長放映空拍夜景影片,展示臺中慈院屋頂面向七十四號快速道路設置的「慈濟醫院」大字燈箱;期待能讓更多人不僅知道臺中慈濟醫院所在位置,更進一步了解臺中慈院的功能與特長。簡院長表示,四月三日地震當天,臺中地區也有五級震度,感恩上人幫臺中慈院打造一座堅固磐石,當天完成七十九檯手術,沒有受到影響。

胸腔內科沈煥庭主任與器官移植中心鄭紹彬主任,先後分享團隊救治一對各自罹患重病的夫妻,讓他們春節再團圓的溫馨故事。中醫部黃仲諄主任分享中西醫合療治癒顱部損傷,期待未來能夠傳承此醫療方法,造福更多病人。神經醫學中心林英超主任分享微創脊椎手術幫助高齡長輩走得順、活得好。復健部蔡森蔚主任分享為關節疼痛病人抽取積液而恢復之個案。護理部李玉茹主任分享越籍照服員來護理之家工作,並投入志工的溫馨故事。微創脊椎關節中心張建鈞主任分享脊椎側彎微創手術成功個案。一般外科余政展主任分享幫一位八十五歲老爺爺進行腹腔鏡全胃切除及淋巴廓清術等,圓滿其抱曾孫的心願。

上人讚歎臺中慈院有人文、很溫馨,且聽著大家的報告、看著簡報的畫面,感到很震撼,搶救垂危生命總是驚心動魄;而醫療團隊合和互協,跨科別盡心合力救拔病苦,讓人感到很安心。

談及四月三日強震,上人表示這是自己來到花蓮逾六十年來,遇到最強的地震;強震過後,大家餘悸猶存,見面都會相互問候:「平安嗎?家裏有沒有怎麼樣?整理好了嗎?」因為許多家具都被震倒了,精舍建築也有部分損傷,幸好人員都平安。

「世間無常,但是很有幸,強烈的地震沒有造成太大的災情,很感恩;花蓮市有大樓傾斜,也幸好是傾斜而非倒塌,人員才能及時逃出,也沒有波及旁邊的建築物。平安就是福,我們平常安然度日,不覺得有何特別,但是災難發生時,就深刻感受到平安、平常是多麼珍貴。」天地的大乾坤四大不調,大地稍微震動,就造成地面上的災害;人體的小乾坤亦同,在很微細的部位出現異常,就會造成病痛,甚至危及性命。上人感恩大醫王仁心妙手搶救生命,因此受人尊敬。

除了臺中潭子有慈濟醫院,現在三義慈濟中醫醫院也在苗栗山鄉發揮良能,守護鄉親的健康。上人感恩大家真誠用心,不只在醫療崗位上盡力救治病患,也走出醫院、走入人群,發揮愛的能量。請大家再接再厲,守志奉道,隨著科技發展,不斷精進醫術;無論在哪一個部門,同仁們立志從醫的初心永不改變,永遠秉持這一念心守護著眾生。

花蓮區慈誠委員謝富裕、莊文富師兄、林月麗、蔡月桂師姊等人於安心祈福會後來向上人報告,並看視鋼構安心屋。

四月二十一日,上人持續關心震災事宜,聽取林靜憪師姊、總務處詹桂棋主任回顧慈濟過往在賑災中長期間援建中繼屋與永久屋的情況;午後時分,驅車看視縣府提供慈濟興建受災戶住房的預定地。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

4.19~21《農三月‧十一至十三》

【靜思小語】道理無形,透過禮節表達;有禮才有理,無禮則無理。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

學會禮節才能學會道理

泰國清邁慈濟學校與慈濟大學之線上華語伴學團隊,四月十九日報告清邁慈濟學校華語文學習現況。上人說,泰國清邁慈濟學校離臺灣很遠,不過慈濟是抱著虔誠的心、真誠的愛,到泰北辦教育。會在清邁建立慈濟學校,有其歷史背景與各方因緣成就,如今看到優異的辦學成果,要感恩師長們真誠教學,同學們認真受教,教得好才能學得好。

教育是百年樹人的志業,上人勉勵老師們要有耐心與愛心,適應孩子的根機,教導明辨是非對錯;孩子都是可教的,從小學到中學,在不同的學習階段,老師都要用心引導,還要營造良好的環境,讓孩子受到好風氣、好校風的薰陶。

「我曾經看到你們傳回來的影片,我很讚歎、很感動─孩子上學時,有校車去載他們,抵達學校以後,有老師在車道旁接孩子下車。孩子一一走下車,很整齊而有禮貌地向老師鞠躬敬禮;他們進教室之前,先把鞋子脫下來,很整齊地把鞋子排好,有次序地走進教室。」

上人也提到孩子在敬師節向老師奉茶,很端正、很有禮節,看了很感動。孩子們在教室外活動,經過二位交談的老師身邊,也向老師行禮,彎著腰恭敬地經過。有禮才有理,無禮則無理;所以看到這些畫面,很讚歎、很歡喜,覺得這樣的辦學很有價值。「我們要為學生啟蒙,教之以禮,若有孩子不懂禮貌,就要好好教導,讓他們守禮,才能將老師說的道理聽入心,這樣的禮節要永遠保持,不能隨著時間放鬆、散漫。」

上人表示道理無形,透過禮節表達;假如對待人沒有禮貌,要說自己內心有多麼恭敬,則無法取信於人。學生沒有禮貌的形象,甚至沒有規矩,這樣的教育就不像樣。「教育是人間的希望,也是生命的希望,生而為人就要把握時間發揮生命價值,否則與其他眾生有何差別?」

每個人生在人間,有不同的身分,與其他人有不同的對應關係,也有各自的責任。例如老師對學生有認真教學的責任,學生也要負起認真學習的責任,教與學都要守好各自的本分。除了認真學習,學生也有各自的志願,為了達成志願而學習,學成以後「守志奉道」,在社會上發揮良能─立志當老師就在教育領域發揮,立志當醫師就在醫療工作上治病救命。每一個人守好本分、發揮專長,社會才能順利運作。

「不論我們學什麼,將來就要做什麼,所以學要認真學,做要認真做,與人互動要真誠,共同發揮各自的專長,為社會人群而付出。時常教大家盤點生命的價值,來人生一趟,有學不完的事,我也有做不完的事;我們要為人間做事,而且要做得有價值,不虧欠自己這一趟人生,不虧欠父母養育,也不虧欠師長教育。」

上人提到泰國慈濟人長期幫助清寒困苦的計程車司機,而司機們得知臺灣發生地震災難,立即為臺灣祝福,並且響應募心募愛,將長時間累積零錢的撲滿捐出,要為受災民眾盡一分心。看到司機們的虔誠回饋,覺得很感動,不枉泰國慈濟人疼惜他們,疼惜得很有價值。

「看到他們能夠發這一念心,盡這分心力,我就很感動了。同理,你們陪伴泰國孩子學習華語文,也是用很疼惜、愛護的心投入;老師教得好,孩子很受教、很乖巧,學成畢業以後服務於各行各業,也是真誠付出,這就讓我們覺得很值得、很歡喜。」

立志從醫的初心永不變

四月二十日,臺中慈濟醫院團隊由簡守信院長帶領,返回精舍與上人座談。座談正式開始之前,簡院長與許權振副院長獻給上人用米篩盛裝同仁做的牛角麵包與牛頭造型麵包,象徵臺中慈院同仁扛起米籮,學習大白牛精神勇往向前,承擔責任並膚慰眾生。

簡院長放映空拍夜景影片,展示臺中慈院屋頂面向七十四號快速道路設置的「慈濟醫院」大字燈箱;期待能讓更多人不僅知道臺中慈濟醫院所在位置,更進一步了解臺中慈院的功能與特長。簡院長表示,四月三日地震當天,臺中地區也有五級震度,感恩上人幫臺中慈院打造一座堅固磐石,當天完成七十九檯手術,沒有受到影響。

胸腔內科沈煥庭主任與器官移植中心鄭紹彬主任,先後分享團隊救治一對各自罹患重病的夫妻,讓他們春節再團圓的溫馨故事。中醫部黃仲諄主任分享中西醫合療治癒顱部損傷,期待未來能夠傳承此醫療方法,造福更多病人。神經醫學中心林英超主任分享微創脊椎手術幫助高齡長輩走得順、活得好。復健部蔡森蔚主任分享為關節疼痛病人抽取積液而恢復之個案。護理部李玉茹主任分享越籍照服員來護理之家工作,並投入志工的溫馨故事。微創脊椎關節中心張建鈞主任分享脊椎側彎微創手術成功個案。一般外科余政展主任分享幫一位八十五歲老爺爺進行腹腔鏡全胃切除及淋巴廓清術等,圓滿其抱曾孫的心願。

上人讚歎臺中慈院有人文、很溫馨,且聽著大家的報告、看著簡報的畫面,感到很震撼,搶救垂危生命總是驚心動魄;而醫療團隊合和互協,跨科別盡心合力救拔病苦,讓人感到很安心。

談及四月三日強震,上人表示這是自己來到花蓮逾六十年來,遇到最強的地震;強震過後,大家餘悸猶存,見面都會相互問候:「平安嗎?家裏有沒有怎麼樣?整理好了嗎?」因為許多家具都被震倒了,精舍建築也有部分損傷,幸好人員都平安。

「世間無常,但是很有幸,強烈的地震沒有造成太大的災情,很感恩;花蓮市有大樓傾斜,也幸好是傾斜而非倒塌,人員才能及時逃出,也沒有波及旁邊的建築物。平安就是福,我們平常安然度日,不覺得有何特別,但是災難發生時,就深刻感受到平安、平常是多麼珍貴。」天地的大乾坤四大不調,大地稍微震動,就造成地面上的災害;人體的小乾坤亦同,在很微細的部位出現異常,就會造成病痛,甚至危及性命。上人感恩大醫王仁心妙手搶救生命,因此受人尊敬。

除了臺中潭子有慈濟醫院,現在三義慈濟中醫醫院也在苗栗山鄉發揮良能,守護鄉親的健康。上人感恩大家真誠用心,不只在醫療崗位上盡力救治病患,也走出醫院、走入人群,發揮愛的能量。請大家再接再厲,守志奉道,隨著科技發展,不斷精進醫術;無論在哪一個部門,同仁們立志從醫的初心永不改變,永遠秉持這一念心守護著眾生。

花蓮區慈誠委員謝富裕、莊文富師兄、林月麗、蔡月桂師姊等人於安心祈福會後來向上人報告,並看視鋼構安心屋。

四月二十一日,上人持續關心震災事宜,聽取林靜憪師姊、總務處詹桂棋主任回顧慈濟過往在賑災中長期間援建中繼屋與永久屋的情況;午後時分,驅車看視縣府提供慈濟興建受災戶住房的預定地。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

二十六日 見道覺悟

4.26《農三月‧十八》

【靜思小語】走一條看得清楚方向的路,盡此生學習如何為人間付出,就是覺道。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

主動修繕,無私行善

四月三日強震以及後續的強烈餘震,造成花蓮許多房屋損傷,除了傾斜、倒塌的建築已經拆除,列為結構毀損無法復原的危屋,居民另行安置,許多住屋有牆面龜裂、磁磚掉落等狀況,雖然經專業研判主結構無損,但是造成生活不便。花蓮縣政府與慈濟、台積電合力為受災鄉親修繕家園。

來自臺北、桃園、新竹、高雄、宜蘭等地的修繕志工,自四月十八日陸續抵達花蓮,與花蓮慈濟人會合,走入吉安、新城及秀林鄉協助鄉親修繕住家。全臺修繕團隊返回精舍與上人座談,上人感恩大家的熱心、熱情,得知花蓮有需要就前來付出,讓民眾安心;師父還不知道有這群弟子回來,大家就已經做得這麼周到,花蓮慈濟人和花蓮民眾要向臺灣各地的慈濟人說感恩。

師兄們歡喜表示這是應該做的,心甘情願。上人說:「有做就有得,自己做、自己得,得到歡喜。你們付出無所求,也要讓花蓮鄉親了解你們為何來幫忙,而且許多人是放下自己的家業、事業而來。所以要教育,把人與人之間互愛互助的情牽緊,人間才會不斷有這樣無私行善的好事。」

「這個時候慈濟來幫忙,是不請自來,但並非理所當然。師父讚歎你們付出無所求的精神,但是我們為了未來,要把握當下的因緣做教育,不要讓人將來變成無情的理所當然,不懂得如何說感恩。再者,法脈宗門的精神脈絡一定要暢通,讓慧命連結不斷;如果此時沒有把制度建立好,很快就會中斷。」

「雖說志工跟職工不同,你們是發心立願,用志願的心無私付出,但仍要在法脈宗門的系統裏,一定要有緊密的連結。你們都是幹部,平時在社區領導人,大家經常聯絡,我很自豪這群弟子真正的合和互協,啟動很快速,師徒貼心;現在要再培養下一代,延續法脈的脈絡,並且與本會的粽串繩結通達,要做什麼事情,除了事先的報備,且人人都很清楚狀況,就像一個人的身體,大腦健康,左右手動作協調,要拿東西就會很順利、很穩。」

上人請師兄師姊在幫助受災鄉親修繕的同時,傳法教育他們,這麼強烈的地震,大家能夠安然無恙,只是牆壁有損傷,修繕之後就好了,這是很值得慶幸與感恩的。

「最近這段時間,發生地震之前,師父常對你們說,心裏有一種感覺,看不到、擋不住,所以教大家要戒慎虔誠,並且推動素食。你們認識師父幾十年了,應該從來沒有聽過師父像最近這一、二年,愈來愈頻繁地教你們要戒慎虔誠、要推素,祈求平安,祈求吉祥,因為我一直掛心著,所以很希望慈濟人弘法利生。」上人請師兄師姊們回到各地以後,把握機會對法親、會眾分享在花蓮修繕的見聞,同樣要教人人感恩,戒慎虔誠、茹素齋戒。

「需要幫忙修繕的家庭,有的是外觀看來無恙,裏面的牆裂開、天花板塌陷或鋅板折彎了,這就是無常,在地震瞬間變形了,即告訴我們天地威力之強,是天地在教育我們,大哉教育啊!天地給我們這麼大的教育,我們要虔誠接受,要警悟,警覺還要有覺悟,向天地求饒,不能再罔顧道理而恣意妄為,這樣才是真正覺悟。所以你們的無私付出,並且對大家分享見聞,無不都是利益人群,傳法教育,功德無量!」

走路要輕,怕地會痛

印尼雅加達慈濟大愛學校、山口洋慈濟大愛學校教育團隊返回精舍,與上人座談,印尼分會劉素美執行長、黃榮年副執行長等人連線參與。

「我時常說,大地有呼吸;也常說,走路要輕,怕地會痛。期盼人人都有這一念疼惜大地的心,教育也要用這樣的心情教導學生,疼惜時間、空間、人與人之間。而你們來到臺灣,是有一分情牽著你們,與慈濟有因緣,為了慈濟精神、理念而教育。」老師們有不同的宗教信仰,上人說,正信的宗教、真誠的信仰,都是品德教育,教導人人有愛心。正信宗教都倡導開闊的愛,不同宗教要相互尊重,會合於這分無私的愛,尤其大家投入教育工作,更要發揮無私大愛,為了人間未來的希望而真誠付出。

現今天地災難頻繁,而且破壞力愈來愈強大。上人表示,若希望天地安定,人人都要戒慎虔誠;各宗教信仰都有戒律,教導人們安分守己;人人守規矩,就能讓社會人間祥和平安。

「正信的宗教,教導人們具有正知、正見,要有正確的見解,身體力行正道,不是遇到困難才來求保佑,此時抱佛腳,都是抱不住的,平常就要受教。所以無論信仰什麼宗教,都不要迷信;用什麼證明不迷信?就是表達對大眾的愛,所做的事都是利益他人。」

上人提及由「學」至「覺」,要力行菩薩道;大家投入教育工作,教育的對象是學「子」,其實人不只在學校學習,而是盡此生都要不斷學習,信仰宗教就要學習宗教的教法,依循引導掌握正確的方向。「佛法教育人們修菩薩行。我後方的這一尊菩薩像,是觀世音菩薩,佛教徒會向觀世音菩薩求平安;而我是坐在觀世音菩薩像前面對大家說話,說一條在人間該走的道路,看得清楚的道路,就是覺道。」

上人形容凡夫眾生是懵懂無知的孩「子」,佛菩薩是已經看「見」道理的覺者;凡夫要到覺悟的境界,中間需要在菩薩道上學習、見習。「慈濟人受證之前,要經過見習、培訓,見習就是讓他們知道如何做慈濟,知道了就要學習如何做,有很清楚的方向,很清楚的目標,要達到目標就要走菩薩道,發揮大愛,像父母愛孩子一樣地為眾生付出。」

「學無止境,大家要好好學習,用心走這條菩薩道,也就是覺道;凡事都要看清楚,放下身段學習,如同孩子求學,學會如何為人間付出,成為覺悟的有情人,也就是菩薩,達成佛陀的教育。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

4.26《農三月‧十八》

【靜思小語】走一條看得清楚方向的路,盡此生學習如何為人間付出,就是覺道。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

主動修繕,無私行善

四月三日強震以及後續的強烈餘震,造成花蓮許多房屋損傷,除了傾斜、倒塌的建築已經拆除,列為結構毀損無法復原的危屋,居民另行安置,許多住屋有牆面龜裂、磁磚掉落等狀況,雖然經專業研判主結構無損,但是造成生活不便。花蓮縣政府與慈濟、台積電合力為受災鄉親修繕家園。

來自臺北、桃園、新竹、高雄、宜蘭等地的修繕志工,自四月十八日陸續抵達花蓮,與花蓮慈濟人會合,走入吉安、新城及秀林鄉協助鄉親修繕住家。全臺修繕團隊返回精舍與上人座談,上人感恩大家的熱心、熱情,得知花蓮有需要就前來付出,讓民眾安心;師父還不知道有這群弟子回來,大家就已經做得這麼周到,花蓮慈濟人和花蓮民眾要向臺灣各地的慈濟人說感恩。

師兄們歡喜表示這是應該做的,心甘情願。上人說:「有做就有得,自己做、自己得,得到歡喜。你們付出無所求,也要讓花蓮鄉親了解你們為何來幫忙,而且許多人是放下自己的家業、事業而來。所以要教育,把人與人之間互愛互助的情牽緊,人間才會不斷有這樣無私行善的好事。」

「這個時候慈濟來幫忙,是不請自來,但並非理所當然。師父讚歎你們付出無所求的精神,但是我們為了未來,要把握當下的因緣做教育,不要讓人將來變成無情的理所當然,不懂得如何說感恩。再者,法脈宗門的精神脈絡一定要暢通,讓慧命連結不斷;如果此時沒有把制度建立好,很快就會中斷。」

「雖說志工跟職工不同,你們是發心立願,用志願的心無私付出,但仍要在法脈宗門的系統裏,一定要有緊密的連結。你們都是幹部,平時在社區領導人,大家經常聯絡,我很自豪這群弟子真正的合和互協,啟動很快速,師徒貼心;現在要再培養下一代,延續法脈的脈絡,並且與本會的粽串繩結通達,要做什麼事情,除了事先的報備,且人人都很清楚狀況,就像一個人的身體,大腦健康,左右手動作協調,要拿東西就會很順利、很穩。」

上人請師兄師姊在幫助受災鄉親修繕的同時,傳法教育他們,這麼強烈的地震,大家能夠安然無恙,只是牆壁有損傷,修繕之後就好了,這是很值得慶幸與感恩的。

「最近這段時間,發生地震之前,師父常對你們說,心裏有一種感覺,看不到、擋不住,所以教大家要戒慎虔誠,並且推動素食。你們認識師父幾十年了,應該從來沒有聽過師父像最近這一、二年,愈來愈頻繁地教你們要戒慎虔誠、要推素,祈求平安,祈求吉祥,因為我一直掛心著,所以很希望慈濟人弘法利生。」上人請師兄師姊們回到各地以後,把握機會對法親、會眾分享在花蓮修繕的見聞,同樣要教人人感恩,戒慎虔誠、茹素齋戒。

「需要幫忙修繕的家庭,有的是外觀看來無恙,裏面的牆裂開、天花板塌陷或鋅板折彎了,這就是無常,在地震瞬間變形了,即告訴我們天地威力之強,是天地在教育我們,大哉教育啊!天地給我們這麼大的教育,我們要虔誠接受,要警悟,警覺還要有覺悟,向天地求饒,不能再罔顧道理而恣意妄為,這樣才是真正覺悟。所以你們的無私付出,並且對大家分享見聞,無不都是利益人群,傳法教育,功德無量!」

走路要輕,怕地會痛

印尼雅加達慈濟大愛學校、山口洋慈濟大愛學校教育團隊返回精舍,與上人座談,印尼分會劉素美執行長、黃榮年副執行長等人連線參與。

「我時常說,大地有呼吸;也常說,走路要輕,怕地會痛。期盼人人都有這一念疼惜大地的心,教育也要用這樣的心情教導學生,疼惜時間、空間、人與人之間。而你們來到臺灣,是有一分情牽著你們,與慈濟有因緣,為了慈濟精神、理念而教育。」老師們有不同的宗教信仰,上人說,正信的宗教、真誠的信仰,都是品德教育,教導人人有愛心。正信宗教都倡導開闊的愛,不同宗教要相互尊重,會合於這分無私的愛,尤其大家投入教育工作,更要發揮無私大愛,為了人間未來的希望而真誠付出。

現今天地災難頻繁,而且破壞力愈來愈強大。上人表示,若希望天地安定,人人都要戒慎虔誠;各宗教信仰都有戒律,教導人們安分守己;人人守規矩,就能讓社會人間祥和平安。

「正信的宗教,教導人們具有正知、正見,要有正確的見解,身體力行正道,不是遇到困難才來求保佑,此時抱佛腳,都是抱不住的,平常就要受教。所以無論信仰什麼宗教,都不要迷信;用什麼證明不迷信?就是表達對大眾的愛,所做的事都是利益他人。」

上人提及由「學」至「覺」,要力行菩薩道;大家投入教育工作,教育的對象是學「子」,其實人不只在學校學習,而是盡此生都要不斷學習,信仰宗教就要學習宗教的教法,依循引導掌握正確的方向。「佛法教育人們修菩薩行。我後方的這一尊菩薩像,是觀世音菩薩,佛教徒會向觀世音菩薩求平安;而我是坐在觀世音菩薩像前面對大家說話,說一條在人間該走的道路,看得清楚的道路,就是覺道。」

上人形容凡夫眾生是懵懂無知的孩「子」,佛菩薩是已經看「見」道理的覺者;凡夫要到覺悟的境界,中間需要在菩薩道上學習、見習。「慈濟人受證之前,要經過見習、培訓,見習就是讓他們知道如何做慈濟,知道了就要學習如何做,有很清楚的方向,很清楚的目標,要達到目標就要走菩薩道,發揮大愛,像父母愛孩子一樣地為眾生付出。」

「學無止境,大家要好好學習,用心走這條菩薩道,也就是覺道;凡事都要看清楚,放下身段學習,如同孩子求學,學會如何為人間付出,成為覺悟的有情人,也就是菩薩,達成佛陀的教育。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

二十五日 擺渡的功夫

4.25《農三月‧十七》

【靜思小語】從偏邪之氣擺渡到正氣那一邊,心念要正、船舵要穩。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

擺正態度,發揮正氣

慈濟大學講座教授林昭庚、《天下雜誌》創辦人殷允芃、總編輯陳一姍、資深副總編輯林倖妃、影視中心總監李洛梅、影視中心攝影召集人林有成等人到精舍拜會上人。

林倖妃資深副總編輯請教,這幾十年來臺灣社會的變動,上人最有感受的是哪些事情?上人說,自己出家後,就離開紛擾的世俗社會;雖然為了慈濟總是要走入社會做事,但是自己的心念很正,有一股正氣,走入人間是因為佛法的教育,要廣度眾生。度就是擺渡的意思,一邊是正氣,另一邊是邪氣,要從紛擾的偏邪之氣擺渡到正氣的那一邊,就要訓練好自己如何開船、掌舵。

「要先知道理,才能穩住船舵,順著氣流、風浪擺渡過去。但是我還沒有這個擺渡的功夫,只能先注意自己,還顧不得別人,擺正自己的態度,調整好自己的方向。其實人人把自己顧好,就是大家都好了。」

林昭庚教授說,邪不勝正,上人對大家說法,就是要大家培養正氣,正氣足,福氣到。花蓮經過這次大災,災害傷亡能降到這麼低,就是大家的福氣、正氣。

林女士再問,人生如在波浪上一直擺盪,本來就生活在變動中,但是平常不知不覺,一旦遭遇突如其來的意外或生病,甚至是戰亂,到底要如何去面對這樣的無常?上人說,天天都有變動,要以平常心面對。

林女士認為在複雜的社會中很難做到「信己無私,信人有愛」,上人說:「我會這麼說,是因為我自己做到;聽到的人覺得這是好道理,就試著去做到,做到以後就能認同我說的話,用自己的例子再去教別人做到。」

林女士想要了解慈濟從花蓮遍及全臺灣、走向國際,到底有什麼樣的力量去推動?上人認為這是很自然的發展,而非有什麼力量在推動;若要說有力量,力量就來自你、來自他,來自每一個願意投入與付出的人。

林女士認為力量來自人人的悲心,慈濟會啟發人的悲心。上人說,慈濟確實不斷啟發人人的悲心,但是悲心啟發了,做與不做都在於各人。人人本來就有善良的心,只是沒有凝聚起來;而慈濟不斷呼喚大家來做好事,認同的人就參與,參與的人愈多,呼喚的聲音就愈大,受到帶動的人就愈多。「大家共同向人間發出好的聲音,也是為大眾做教育,為人間注入生機;教育得好,人間的生態就會好。」林女士表示慈濟最厲害的不只是能號召人來參與,而且大家來了就永遠留在慈濟,否則善心易發卻難恆持。

林女士再提問,臺灣社會高齡化,各宗教團體也面臨相同的狀況,上人如何看待慈濟未來的發展?上人說,這不能只看慈濟未來的發展,要看世間將來如何發展。無論社會是否少子化、高齡化,現在的中壯年人,將來也是老年人,都要面臨傳承的問題;若擔心未來,現在就要揚善,重拾倫理道德觀念,這需要媒體發揮傳播力量教育大眾。

「遠親不如近鄰,慈濟人就近照顧社區,很多慈濟人也上了年紀,可以說是老人照顧老人;老人對社會也很有貢獻,慈濟的老人很有用,且人與人之間彼此教育,用愛心、耐心引導年輕一輩,所以教育很重要。」

影視中心總監李洛梅看到上人前面有平板,感佩上人也在學新科技。上人表示自己只是使用者,這些尖端科技產品,是經過許多人的心血發明與製作而成;就像今天大家來到精舍,談起慈濟志業的發展,這是五十多年的時間走過來,才能累積這麼多好事,而這些好事都是許多人用心去做的,自己才能有話可說。

凝聚福氣,淡化濁氣

各地慈濟醫院院長與主管返回精舍參與醫療志策會,上人談到花蓮是慈濟的發祥地,也因為慈濟在花蓮、深耕志業在花蓮,建築典雅、環境開闊,讓花蓮有一股優美的生命力。「慈濟深耕在花蓮,四大志業也是從花蓮開始,所以這一次地震後,感覺責任重大,要好好安頓無家可歸、依親靠友的地震受災戶。慈濟的力量來自全球,所以要呼籲國際間的愛心人,共同為花蓮付出,讓我們在花蓮建造出美好的環境。」

上人慨嘆世間無常,災難偏多,唯有呼籲人人多造福,凝聚福氣,淡化眾生共業的惡濁之氣。「最近這幾年,國際間一直很不平靜,尤其是新冠肺炎疫情遲遲無法平息,災難一波接一波,像是海浪一樣。臺灣大致上還算平安,這是我們的福氣;地震過後,大家要合和互協,為受災戶重建家園,也重建臺灣的福,要讓福的基礎鞏固起來,所以要呼籲人人起善念,行善造福,凝聚福氣。」

「感恩慈濟人共同一心,造福人間,而且是無所求的愛的付出,什麼時候需要我們的力量,我們義不容辭,站起身來,踏出腳步,一步步穩定前進,且人人步伐合齊,步步走在正道上。請大家再接再厲,再造健康的臺灣。」上人教導大家,強震的驚嚇過後,先安下心來,重新調整好腳步,人人合齊向前邁步,走得更穩、做得更好。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

4.25《農三月‧十七》

【靜思小語】從偏邪之氣擺渡到正氣那一邊,心念要正、船舵要穩。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

擺正態度,發揮正氣

慈濟大學講座教授林昭庚、《天下雜誌》創辦人殷允芃、總編輯陳一姍、資深副總編輯林倖妃、影視中心總監李洛梅、影視中心攝影召集人林有成等人到精舍拜會上人。

林倖妃資深副總編輯請教,這幾十年來臺灣社會的變動,上人最有感受的是哪些事情?上人說,自己出家後,就離開紛擾的世俗社會;雖然為了慈濟總是要走入社會做事,但是自己的心念很正,有一股正氣,走入人間是因為佛法的教育,要廣度眾生。度就是擺渡的意思,一邊是正氣,另一邊是邪氣,要從紛擾的偏邪之氣擺渡到正氣的那一邊,就要訓練好自己如何開船、掌舵。

「要先知道理,才能穩住船舵,順著氣流、風浪擺渡過去。但是我還沒有這個擺渡的功夫,只能先注意自己,還顧不得別人,擺正自己的態度,調整好自己的方向。其實人人把自己顧好,就是大家都好了。」

林昭庚教授說,邪不勝正,上人對大家說法,就是要大家培養正氣,正氣足,福氣到。花蓮經過這次大災,災害傷亡能降到這麼低,就是大家的福氣、正氣。

林女士再問,人生如在波浪上一直擺盪,本來就生活在變動中,但是平常不知不覺,一旦遭遇突如其來的意外或生病,甚至是戰亂,到底要如何去面對這樣的無常?上人說,天天都有變動,要以平常心面對。

林女士認為在複雜的社會中很難做到「信己無私,信人有愛」,上人說:「我會這麼說,是因為我自己做到;聽到的人覺得這是好道理,就試著去做到,做到以後就能認同我說的話,用自己的例子再去教別人做到。」

林女士想要了解慈濟從花蓮遍及全臺灣、走向國際,到底有什麼樣的力量去推動?上人認為這是很自然的發展,而非有什麼力量在推動;若要說有力量,力量就來自你、來自他,來自每一個願意投入與付出的人。

林女士認為力量來自人人的悲心,慈濟會啟發人的悲心。上人說,慈濟確實不斷啟發人人的悲心,但是悲心啟發了,做與不做都在於各人。人人本來就有善良的心,只是沒有凝聚起來;而慈濟不斷呼喚大家來做好事,認同的人就參與,參與的人愈多,呼喚的聲音就愈大,受到帶動的人就愈多。「大家共同向人間發出好的聲音,也是為大眾做教育,為人間注入生機;教育得好,人間的生態就會好。」林女士表示慈濟最厲害的不只是能號召人來參與,而且大家來了就永遠留在慈濟,否則善心易發卻難恆持。

林女士再提問,臺灣社會高齡化,各宗教團體也面臨相同的狀況,上人如何看待慈濟未來的發展?上人說,這不能只看慈濟未來的發展,要看世間將來如何發展。無論社會是否少子化、高齡化,現在的中壯年人,將來也是老年人,都要面臨傳承的問題;若擔心未來,現在就要揚善,重拾倫理道德觀念,這需要媒體發揮傳播力量教育大眾。

「遠親不如近鄰,慈濟人就近照顧社區,很多慈濟人也上了年紀,可以說是老人照顧老人;老人對社會也很有貢獻,慈濟的老人很有用,且人與人之間彼此教育,用愛心、耐心引導年輕一輩,所以教育很重要。」

影視中心總監李洛梅看到上人前面有平板,感佩上人也在學新科技。上人表示自己只是使用者,這些尖端科技產品,是經過許多人的心血發明與製作而成;就像今天大家來到精舍,談起慈濟志業的發展,這是五十多年的時間走過來,才能累積這麼多好事,而這些好事都是許多人用心去做的,自己才能有話可說。

凝聚福氣,淡化濁氣

各地慈濟醫院院長與主管返回精舍參與醫療志策會,上人談到花蓮是慈濟的發祥地,也因為慈濟在花蓮、深耕志業在花蓮,建築典雅、環境開闊,讓花蓮有一股優美的生命力。「慈濟深耕在花蓮,四大志業也是從花蓮開始,所以這一次地震後,感覺責任重大,要好好安頓無家可歸、依親靠友的地震受災戶。慈濟的力量來自全球,所以要呼籲國際間的愛心人,共同為花蓮付出,讓我們在花蓮建造出美好的環境。」

上人慨嘆世間無常,災難偏多,唯有呼籲人人多造福,凝聚福氣,淡化眾生共業的惡濁之氣。「最近這幾年,國際間一直很不平靜,尤其是新冠肺炎疫情遲遲無法平息,災難一波接一波,像是海浪一樣。臺灣大致上還算平安,這是我們的福氣;地震過後,大家要合和互協,為受災戶重建家園,也重建臺灣的福,要讓福的基礎鞏固起來,所以要呼籲人人起善念,行善造福,凝聚福氣。」

「感恩慈濟人共同一心,造福人間,而且是無所求的愛的付出,什麼時候需要我們的力量,我們義不容辭,站起身來,踏出腳步,一步步穩定前進,且人人步伐合齊,步步走在正道上。請大家再接再厲,再造健康的臺灣。」上人教導大家,強震的驚嚇過後,先安下心來,重新調整好腳步,人人合齊向前邁步,走得更穩、做得更好。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

二十二至二十四日 心要定

4.22~24《農三月‧十四至十六》

【靜思小語】穩定如常是修行,保持警覺不造業。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

中長期援助,務實規畫

四月二十二日,花蓮慈濟人報告地震發生後,花蓮合心災害應變中心團隊運作狀況。上人說:「第一,你們很快就發放應急金,安撫民眾;之後,你們也入戶去關心、膚慰,了解他們的情形。急難時期後,要看看受災民眾後續的生活情況。也許有些人在地震之前,工作收入就不高,租房子也蠻吃力,受災後沒有房子可住,目前是投靠親友或暫住在其他地方,如何生活,都要趕快去了解並回報。經濟不好的人,投親靠友無法永久,要靠自己重建住屋更不可能,我們要統計有多少人、多少戶,以進行中長期的援建規畫。」

「我們是抱著很真誠的心要付出,有因緣可以做,我們就去做,而且要守法規,不要違法、不要違規,很務實地做一個民間慈善團體可以做的事;我們永遠懷抱著不忍眾生受苦難的菩薩心,如法如規,發揮愛心,盡心去付出。」

餘震不斷,大地在調整

四月二十三日,已至農曆三月十五日,上人於早課後對眾開示,修行要時時念無常,體會成住壞空、生老病死的自然狀態。天地之間沒有永恆的事物,只是時間長短的區別而已。

人生的生老病死,也要用心觀察與思考:剛出生的形象很可愛,新生兒在父母家人盼望下,來到人間,大家看了很歡喜,但是在此之前,媽媽要經過分娩的痛苦。孩子出生以後,在父母的養育、家人的疼惜下漸漸長大,雖說「人之初,性本善」,但是有了想吃、想要的欲念,若是吃不到或要不到,就產生無明煩惱,隨著時間累積愈來愈重的習氣與業力。

四月三日強震過後,大大小小餘震不斷,上人說,這不僅是自己過去在花蓮不曾經歷過的強烈地震,連科學家也說罕見,餘震是大地在調整,還未穩定,所以大家仍要密切注意。「在早課期間就有幾次地震,大家應該有感覺,不過你們仍然很穩定,誦經的聲音如常,值得肯定讚歎。大家有定心,修行如處定中,心要定;但是我們要一直保持警覺,要起懺悔心,懺悔過去無明造業,與所有的眾生長久以來累積了沉重的共業,所以此時天地之間不平靜,眾生共業造成嚴重的災難。」

「大家既知因緣果報的道理,就要好好用心,起心動念、開口動舌、舉手投足都要謹慎,諸惡莫作,眾善奉行,這就是我們修行的重點。請大家虔誠精進,慎勿放逸,祝福大家平安!」

大哉教育,向天地學習

四月二十三日凌晨二時二十六分,在花蓮外海發生芮氏規模六點零地震;接著在二時三十二分,於花蓮縣壽豐鄉發生芮氏規模六點三之地震。接連二次規模六以上地震,經研判是四月三日強震後的餘震,原已列為紅單危樓的統帥大樓以及整修停業的富凱大飯店等建築因之傾斜,幸好無人傷亡。

四月二十四日,慈濟科技大學、慈濟大學師長報告昨日地震後校園應變及校務。上人說,人力難以抵禦天地威力,實為無奈,但是大地震也是大教育,教育人們提高警覺,用誠懇謙卑的心向天地學習。

「不經一事,不長一智,四月三日的強震給我們很大的警惕,是『大哉教育』。這一、二十天以來,我的腦海中不斷浮現『大哉教育』這幾個字,人生天天無不都在學習。但是人們時常會分別親疏遠近,或是劃分權責,覺得這件事與自己無關,就毫不關心;雖然各有負責與承擔,但是更需要整體合和互協的力量。」

聽到王澤毅主任報告人工智慧教學,上人說,科技發達是生在此時的人類之福,但是科技工具是為了輔助人類而研發,不能過於依賴人工智慧,而且要將這些便利的科技工具用於利益人間。就如若能預測到強烈地震,提早發出警示,人們就能趕緊疏散避難,將傷亡降到最低。

「用心培養人才,例如人工智慧的研發人才,可以研發防災、避難的相關應用程式,有如未卜先知的神通,能事先預知,降低災害。」上人說,佛經所說的神通,上天入地無所不能,看來如同神話,但是現在的科技已經可以把不可能變為可能。

上人指出,神通就是精神專注,精而不雜,即能通達。不過凡夫的無明雜念很多,只為私己謀取利益而投入科技研發,並非為了公眾長久的利益,就會短視近利,沒有深遠的考量。期待慈濟可以運用人工智慧等高科技,向人間傳達道理;例如在驚世的災難發生後,呼喚人們提起警世的覺悟,用虔誠的心向天地學習。

上人再度叮嚀各校主管仔細檢查、清點學校建築在地震後的損傷,讓營建工務單位進行整體的修復、鞏固,讓師生與學生家長都能安心。「經過四月三日的強震,花蓮大致平安,大多數房屋安然無恙,看了覺得很感恩!有了感恩心,還要鞏固信心,所以我們現在力所能及,要加強建築的安全性。既有信心且堅定毅力,校長及老師們在這個環境中用心教育孩子,讓家長對我們更加有信心,共同為了教育、為了未來人間的希望而努力。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

4.22~24《農三月‧十四至十六》

【靜思小語】穩定如常是修行,保持警覺不造業。

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中長期援助,務實規畫

四月二十二日,花蓮慈濟人報告地震發生後,花蓮合心災害應變中心團隊運作狀況。上人說:「第一,你們很快就發放應急金,安撫民眾;之後,你們也入戶去關心、膚慰,了解他們的情形。急難時期後,要看看受災民眾後續的生活情況。也許有些人在地震之前,工作收入就不高,租房子也蠻吃力,受災後沒有房子可住,目前是投靠親友或暫住在其他地方,如何生活,都要趕快去了解並回報。經濟不好的人,投親靠友無法永久,要靠自己重建住屋更不可能,我們要統計有多少人、多少戶,以進行中長期的援建規畫。」

「我們是抱著很真誠的心要付出,有因緣可以做,我們就去做,而且要守法規,不要違法、不要違規,很務實地做一個民間慈善團體可以做的事;我們永遠懷抱著不忍眾生受苦難的菩薩心,如法如規,發揮愛心,盡心去付出。」

餘震不斷,大地在調整

四月二十三日,已至農曆三月十五日,上人於早課後對眾開示,修行要時時念無常,體會成住壞空、生老病死的自然狀態。天地之間沒有永恆的事物,只是時間長短的區別而已。

人生的生老病死,也要用心觀察與思考:剛出生的形象很可愛,新生兒在父母家人盼望下,來到人間,大家看了很歡喜,但是在此之前,媽媽要經過分娩的痛苦。孩子出生以後,在父母的養育、家人的疼惜下漸漸長大,雖說「人之初,性本善」,但是有了想吃、想要的欲念,若是吃不到或要不到,就產生無明煩惱,隨著時間累積愈來愈重的習氣與業力。

四月三日強震過後,大大小小餘震不斷,上人說,這不僅是自己過去在花蓮不曾經歷過的強烈地震,連科學家也說罕見,餘震是大地在調整,還未穩定,所以大家仍要密切注意。「在早課期間就有幾次地震,大家應該有感覺,不過你們仍然很穩定,誦經的聲音如常,值得肯定讚歎。大家有定心,修行如處定中,心要定;但是我們要一直保持警覺,要起懺悔心,懺悔過去無明造業,與所有的眾生長久以來累積了沉重的共業,所以此時天地之間不平靜,眾生共業造成嚴重的災難。」

「大家既知因緣果報的道理,就要好好用心,起心動念、開口動舌、舉手投足都要謹慎,諸惡莫作,眾善奉行,這就是我們修行的重點。請大家虔誠精進,慎勿放逸,祝福大家平安!」

大哉教育,向天地學習

四月二十三日凌晨二時二十六分,在花蓮外海發生芮氏規模六點零地震;接著在二時三十二分,於花蓮縣壽豐鄉發生芮氏規模六點三之地震。接連二次規模六以上地震,經研判是四月三日強震後的餘震,原已列為紅單危樓的統帥大樓以及整修停業的富凱大飯店等建築因之傾斜,幸好無人傷亡。

四月二十四日,慈濟科技大學、慈濟大學師長報告昨日地震後校園應變及校務。上人說,人力難以抵禦天地威力,實為無奈,但是大地震也是大教育,教育人們提高警覺,用誠懇謙卑的心向天地學習。

「不經一事,不長一智,四月三日的強震給我們很大的警惕,是『大哉教育』。這一、二十天以來,我的腦海中不斷浮現『大哉教育』這幾個字,人生天天無不都在學習。但是人們時常會分別親疏遠近,或是劃分權責,覺得這件事與自己無關,就毫不關心;雖然各有負責與承擔,但是更需要整體合和互協的力量。」

聽到王澤毅主任報告人工智慧教學,上人說,科技發達是生在此時的人類之福,但是科技工具是為了輔助人類而研發,不能過於依賴人工智慧,而且要將這些便利的科技工具用於利益人間。就如若能預測到強烈地震,提早發出警示,人們就能趕緊疏散避難,將傷亡降到最低。

「用心培養人才,例如人工智慧的研發人才,可以研發防災、避難的相關應用程式,有如未卜先知的神通,能事先預知,降低災害。」上人說,佛經所說的神通,上天入地無所不能,看來如同神話,但是現在的科技已經可以把不可能變為可能。

上人指出,神通就是精神專注,精而不雜,即能通達。不過凡夫的無明雜念很多,只為私己謀取利益而投入科技研發,並非為了公眾長久的利益,就會短視近利,沒有深遠的考量。期待慈濟可以運用人工智慧等高科技,向人間傳達道理;例如在驚世的災難發生後,呼喚人們提起警世的覺悟,用虔誠的心向天地學習。

上人再度叮嚀各校主管仔細檢查、清點學校建築在地震後的損傷,讓營建工務單位進行整體的修復、鞏固,讓師生與學生家長都能安心。「經過四月三日的強震,花蓮大致平安,大多數房屋安然無恙,看了覺得很感恩!有了感恩心,還要鞏固信心,所以我們現在力所能及,要加強建築的安全性。既有信心且堅定毅力,校長及老師們在這個環境中用心教育孩子,讓家長對我們更加有信心,共同為了教育、為了未來人間的希望而努力。」

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祈願靈山法會永不散

二千五百多年前,佛陀於印度王舍城靈鷲山上宣講法華;今年慈濟五十八周年當天,一百三十多位星馬、印度與臺灣慈濟志工於說法臺坐定,與時差兩小時半、三千七百公里遠的花蓮靜思精舍連線志工早會,發願靈山會上,永遠追隨上人與佛同在。連線結束,眾人於晨曦中虔誠唱誦《無量義經‧德行品》梵唄。

攝影/許俊吉 印度比哈爾省王舍城 2024.5.2

二千五百多年前,佛陀於印度王舍城靈鷲山上宣講法華;今年慈濟五十八周年當天,一百三十多位星馬、印度與臺灣慈濟志工於說法臺坐定,與時差兩小時半、三千七百公里遠的花蓮靜思精舍連線志工早會,發願靈山會上,永遠追隨上人與佛同在。連線結束,眾人於晨曦中虔誠唱誦《無量義經‧德行品》梵唄。

攝影/許俊吉 印度比哈爾省王舍城 2024.5.2

二十七至二十八日 幸好有你,幸好有我

4.27~28《農三月‧十九至二十》

【靜思小語】做出生命的價值,讓人由衷讚歎「幸好有你」;也要時常自我祝福,「幸好有我」。

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在暗室裏開一扇窗

菲律賓慈濟志業園區二○○七年成立義診中心,開設眼科與牙科;二○一六年設置專門的「慈濟眼科中心」。李偉嵩、蔡昇航師兄與眼科中心院長那巴洛(Bernardita Navarro)帶領六十位醫護、行政同仁及志工,於四月二十二日至四月二十八日來臺尋根;四月二十七日與上人座談。

上人感恩大家抽出寶貴的時間,發揮愛心,讓貧困的眼疾患者重見光明,每一次的眼科手術都是造福人間的希望大工程。「眼睛看不見,人生一片黑暗。我年紀大了,眼睛的功能也衰退,所以感受很深;聽到你們為患有眼疾的病人治療,讓他們恢復視覺、看見光明,我真誠地替每一位病人向你們說感恩!」

「人生本來就是苦,人的身體受病痛折磨,是苦上加苦。眼、耳、鼻、舌、身是我們接觸外境的五根,尤其要看見人間的萬事萬物,最重要的就是眼睛;有了眼睛,才能看見美好的環境。」上人說,醫師是病人生命中的貴人,開啟了他們的視窗,就如在暗室裏為他們開了一扇門,從黑暗走向光明。

「菲律賓有很多貧窮的地區,你們把握因緣,發揮愛的能量去救助,所以你們的生命很有價值;期待帶動出更多人醫會成員,多培養人才,技術不斷精進,未來的儀器也會更精密,可以幫助更多貧病人。」

上人提到世間天災人禍不斷,需要更多願意付出的好人,大家共同造福人間,凝聚旺盛的福氣,才能消弭災難。「人生時間不斷過去,同樣過生活,沒有意義的人生很可惜,我們要做出生命的價值,讓人由衷讚歎『幸好有你』。我也時常自我祝福,『幸好有我,才有慈濟』;各位也可以自我盤點,走入慈濟,認識很多的好人,大家共同一個方向,發揮愛心為苦難人付出,都是很有福、有價值的人生。」

志工誠意感動天地

四月二十八日,淨斯本草研究及應用中心報告後,上人提到四月三日花蓮強震後,蘇花公路坍方中斷,慈濟人有的搭飛機或從南迴鐵公路繞行而趕來花蓮支援;急難救助過後,又有來自臺灣各地的志工為受災家庭修繕。「這群菩薩,有的是企業家,自家的生活過得很好,師姊也一樣地投入,這都是出自一分不忍眾生受苦難的菩薩大愛,付出無所求,而且整修之後,還一直向住戶說感恩。」

上人說,慈濟人當「不請之師」,不必等人來請才要做事,災後主動而來,穿著整齊的慈濟制服,行儀莊嚴,真誠投入,讓鄉親感受到慈濟菩薩的真誠大愛,不只把損傷的部分修好,還幫忙整理乾淨才離開,愛無量、功德無量!

上人進一步說,慈濟人是用「工」、用「力」付出,而且自動自發去幫助,讓鄉親們的住家恢復如常,離開前還向鄉親說感恩,這分誠意感動天地;用「功」而得「德」,這分功德比去誦經求平安更加有效。天搖地動的大地震,是天地對人間的大教育,人人都要戒慎虔誠,請慈濟人持續推動愛生、護生,帶動大眾茹素齋戒,醫療、教育志業同樣要努力。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

4.27~28《農三月‧十九至二十》

【靜思小語】做出生命的價值,讓人由衷讚歎「幸好有你」;也要時常自我祝福,「幸好有我」。

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在暗室裏開一扇窗

菲律賓慈濟志業園區二○○七年成立義診中心,開設眼科與牙科;二○一六年設置專門的「慈濟眼科中心」。李偉嵩、蔡昇航師兄與眼科中心院長那巴洛(Bernardita Navarro)帶領六十位醫護、行政同仁及志工,於四月二十二日至四月二十八日來臺尋根;四月二十七日與上人座談。

上人感恩大家抽出寶貴的時間,發揮愛心,讓貧困的眼疾患者重見光明,每一次的眼科手術都是造福人間的希望大工程。「眼睛看不見,人生一片黑暗。我年紀大了,眼睛的功能也衰退,所以感受很深;聽到你們為患有眼疾的病人治療,讓他們恢復視覺、看見光明,我真誠地替每一位病人向你們說感恩!」

「人生本來就是苦,人的身體受病痛折磨,是苦上加苦。眼、耳、鼻、舌、身是我們接觸外境的五根,尤其要看見人間的萬事萬物,最重要的就是眼睛;有了眼睛,才能看見美好的環境。」上人說,醫師是病人生命中的貴人,開啟了他們的視窗,就如在暗室裏為他們開了一扇門,從黑暗走向光明。

「菲律賓有很多貧窮的地區,你們把握因緣,發揮愛的能量去救助,所以你們的生命很有價值;期待帶動出更多人醫會成員,多培養人才,技術不斷精進,未來的儀器也會更精密,可以幫助更多貧病人。」

上人提到世間天災人禍不斷,需要更多願意付出的好人,大家共同造福人間,凝聚旺盛的福氣,才能消弭災難。「人生時間不斷過去,同樣過生活,沒有意義的人生很可惜,我們要做出生命的價值,讓人由衷讚歎『幸好有你』。我也時常自我祝福,『幸好有我,才有慈濟』;各位也可以自我盤點,走入慈濟,認識很多的好人,大家共同一個方向,發揮愛心為苦難人付出,都是很有福、有價值的人生。」

志工誠意感動天地

四月二十八日,淨斯本草研究及應用中心報告後,上人提到四月三日花蓮強震後,蘇花公路坍方中斷,慈濟人有的搭飛機或從南迴鐵公路繞行而趕來花蓮支援;急難救助過後,又有來自臺灣各地的志工為受災家庭修繕。「這群菩薩,有的是企業家,自家的生活過得很好,師姊也一樣地投入,這都是出自一分不忍眾生受苦難的菩薩大愛,付出無所求,而且整修之後,還一直向住戶說感恩。」

上人說,慈濟人當「不請之師」,不必等人來請才要做事,災後主動而來,穿著整齊的慈濟制服,行儀莊嚴,真誠投入,讓鄉親感受到慈濟菩薩的真誠大愛,不只把損傷的部分修好,還幫忙整理乾淨才離開,愛無量、功德無量!

上人進一步說,慈濟人是用「工」、用「力」付出,而且自動自發去幫助,讓鄉親們的住家恢復如常,離開前還向鄉親說感恩,這分誠意感動天地;用「功」而得「德」,這分功德比去誦經求平安更加有效。天搖地動的大地震,是天地對人間的大教育,人人都要戒慎虔誠,請慈濟人持續推動愛生、護生,帶動大眾茹素齋戒,醫療、教育志業同樣要努力。

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