作業の流れは踊りのように スローバージョンの交響曲

  • 人生は苦労が多くて短いため、私たちのような歳の人は、もっと頑張って作業しなければならない。さもなければする機会がなくなる。

  • 体は老化して動作が遅くなっても、手足を一緒に使えばまだやれる。

  • リサイクルステーションに来てボランティアすれば、要らぬことを考えることはなく、おしゃべりの相手もいて、互いに面倒を見ることができる。

慈済岡山志業パークの環境保全教育ステーションの隣にあるマンゴーの木の下に建てられたブリキ小屋からは、遠くからでも何かを叩く音が聞こえる。平均年齢八十歳のリサイクルボランティアたちが、急がず休まず歩き回っている。彼らは体は衰え、動作が遅くなっても、手と足を使えば、太い銅線をケーブルから丁寧に取り出すことができる。

七人が一つのラインで作業しているのだが、まるでスローバージョンの交響曲に合わせて、両手と両足がケーブルの上で踊っているように見え、削ったり、切ったり、割ったり、叩いたりしている。彼らは、回収されたものを良い値段で売って、大愛テレビが良い番組を作って放送するのをサポートしたいというシンプルな思いだけで、全身全霊で取り組んでいるのだ。

そのお爺さん、お婆さん世代の人たちは超人的で、電化製品の分解やケーブル剥線作業の達人と言える。最年少は七十一歳で、最年長は八十五歳である。「銅線を引き抜く力がなくなっても、続けます!」と。

リレー式に分解し、ゼロ廃棄物を目指している

八十一歳の杜玉珠(ドゥ・ユーヅゥー)さんは、古着の収集と仕分けを担当しているが、日々の分別とリサイクルを済ませた後、煩雑な事務仕事もこなしており、打ち負かされることはない。彼女が語る、七人のリサイクルボランティアのストーリーを聞きながら、彼らに目を向けると、柔和な話ぶりが、とても温かい気持ちにさせてくれた。

四年余り前、高雄市岡山区の柳橋と後紅にあったリサイクルステーションが、岡山志業パーク内の環境保全教育ステーションに統合されたので、杜さんは柳橋から移されたコンテナハウスに古着を保管した。その後、近くの工場が廃棄した電線のリサイクルを慈済に託したため、リサイクルボランティアは、野外で廃棄電線や電化製品の解体を始めた。

ブリキ、黄銅、青銅、プラスチック……リサイクル業者が回収しないものもあれば、先に分解して売れる部分を取り出す必要があるものもある。極力廃棄物を出さず、地球を汚染しないよう、七人のボランティアは丁寧に分別している。

中肉中背で八十三歳の余蔡秀(ユー・ツァイシユウ)さんは、足にビニール袋で作った乗馬ブーツを履き、リサイクルした古着を着て、油汚れがつかないよう完全武装した。そして、両手に三枚重ねの手袋をつけた。一枚目と二枚目はプラスチック製で、三枚目は軍手である。彼女は小さな腰掛けに座り、足の前に砂利の入った洗面器を置き、ネバネバした黒い油で汚れた長くて硬い電線を洗面器に入れ、こすって汚れを落とした。暫くすると軍手に分厚い油がついた。

余さんが最も満足しているのは、夫の家族のほぼ全員が慈済ボランティアになっていることである。皆から「大師兄」と呼ばれている夫の余益雄(ユー・イーシォン)さんと長年、夫婦一緒にリサイクル活動を毎日朝から午後までやっている。汚れを落としたケーブルは、八十一歳の余邦紹(ユー・ブォンサォ)さんが引き継ぎ、先ず電線を短く切断してから、蔡秀さんと協力して絶縁体を割いて剥がした。その後、七十一歳の陳美玉(ツン・メイユー)さんがより丁寧に削ってから七十六歳の朱陳秀鸞(ヅゥー・ツンシュウアン)さんと八十四歳の黃謝敏(ホワン・シェミン)さんに渡し、最後の工程を行うことで、やっと銅線を引き抜くことができるのだ。皆で宝のように扱っている。陳さんはこの祖父母世代の中では最年少で、いつも黙々と自分の仕事をきちんとこなしている。新型コロナの感染から回復した後も、後遺症が残り、咳をすると背中が痛くなるが、家で退屈にしているよりは、リサイクルステーションに来て何かをする方を好む。

邦紹さんは電線を切り終わると、小さな腰掛けに戻り、電化製品の仕分けを続けた。彼と妻の羅家蓁(ロー・ジャーヅン)さんは、毎日リサイクルステーションに来て、道具を手に取ると、頭を上げることを忘れてしまうほど没頭してしまう。ゆっくりと穏やかに喋る彼は、少し言葉を交わすと、再び仕事に没頭した。

七十五歳の羅さんは、二〇〇三年からリサイクル活動に参加し始め、ハンマーを持って回収物を叩いている。叩く場所は樹齢十年以上のリュウガンの幹で、平らだったものが今ではデコボコになっている。どれほど大変な作業か想像に難くない。腰痛持ちの彼女は、次々と分解対象の回収物が持ち込まれるので、シップを貼りながらも作業を続けている。「私たちは休んだことがありません。もっと頑張らないと本当に間に合わないのです。ですから殆ど毎日朝早く来て、夜遅くまでやっています」。

今年一月からがん治療を始めた羅さんだが、考え方は楽観的で力強く、生死は運命だから、立ち向かえばいいと感じている。化学療法期間中は体力がなく、免疫力も低下しているため、リサイクルステーションでの分解作業は暫くできなかったが、近所から届く回収物が多いので、自宅で分別を続けている。入院中、彼女はリサイクル作業をとても気にしていたが、親孝行な息子が引き継いでおり、中断することなく作業が続いている。

今、彼女は再びリサイクルステーションに戻って、扇風機の分解に専念している。「上人の良い弟子なのですから、できることは何でも、全力でやりたいのです。たとえ病気でも、環境保全活動をやめてはいけないのです。それは、大愛テレビ局を護持するだけでなく、それ以上に地球を愛しているからです」。

平均年齢80歳のボランティアたちは、家庭から廃棄されて回収されたケーブルや電化製品を細かく分解し、中に含まれている金属が再利用できるように、素材に応じて分類していた。これがリサイクル活動の大変なところであり、忍耐と労力を必要とする、純粋な手作業なのである。

作業に集中し、悲しみに浸らない

陳蔡月英(ツン・ツァイユェイン)さんは八十五歳という高齢だが、電気ドリルを使うのは熟練しており、動作が速く、器具の分別も簡単にこなしているように見える。二年前に末の息子さんを癌で亡くしたのだと、彼女はやり場のない悲しみをそっと言葉にした。毎日ボランティア活動に出かけるのも、自分の感情に囚われすぎないようにするためである。

一週間前、夫の陳文雄(ツン・ウェンシュォン)さんがパーキンソン病と診断された。月英さんは感情を表に出さず、インタビューを受けながら作業を続けた。杜さんは、「ご主人と一緒にいてあげなさい」「早く帰宅しなさい」と何度も促したが、彼女は手元の品物を分別し続けた。リサイクル作業に没頭することによってのみ、消えて行く命に対する悲しみを抑えることができるかのようだった。

八十三歳の毛陳秀(マオ・ツンシュウ)さんは、丸い体を小さなプラスチック製の椅子に座らせ、ハンマーで鉄のフレームを叩いて、内部に入っていた細い銅線の束を損傷せずに取り出していた。彼女は口数が少なく、いつも叩くことに没頭している。そして、黄色い細い銅線が見えると、まるで子供が大好きなお菓子を見た時のように笑顔になり、満足そうな楽しい表情になった。

毛さんは、二〇〇三年から医療ボランティアをしており、花蓮と大林慈済病院に交代で行っていた。ご主人が亡くなった後、彼女はご主人が着ていたボランティアベストを着て、「夫のやり残したことも私が一緒にやり遂げます」と言った。コロナ禍の後、高齢化も相まって、彼女は他の都市に出かけて医療ボランティアをすることはなくなった。毎日、午前八時五分のバスに乗って岡山志業パークに行き、定時に午後四時のバスで帰宅する。羅さんの療養中は、分解エリアの開け閉めの仕事も引き受けた。

一人暮らしの毛さんは孤独に感じることはない。二人の息子が迎えにきて同居したことが何度かあったが、最終的にはやはり岡山区の家に戻ってきた。

「私は普段、一人だから、食事はとてもシンプルで、あまりのんびりするのも好きではありません。人生は短くて、私たちの年齢では、いつお迎えが来るか分かりません。もっとやるべきことを、急いでやらなければなりません。さもなければ、やれなくなってしまいます」。

毛さんによると、長男の嫁として夫に嫁いだが、多くのことに責任を負わなければならなかった。夫には二人の弟と六人の妹がいたので、彼らが独立して生計を営んで初めて、自分の時間ができ、ボランティア活動に参加できるようになった。彼女は笑顔を浮かべながら、これらの思い出を語った。

陳蔡月英さん(左上から)、毛陳秀さん、杜玉珠さん、黄謝敏さん、羅家蓁さん、陳美玉さん、余蔡秀さん。次世代が美しい環境を守っていくための幸せな笑顔を見せていた。

物を惜しむ 
ボロ服が雑巾に変わる

ボランティアの孫湘涵(ソン・シャンハン)さんは、リサイクル活動に来るといつも、この愛らしい老人たちに挨拶をする。彼らの素朴な思いやりと行動には本当に感動したと彼女は言う。こんなに高齢なのに一日中ここにいて、時には昼の休みも取らず、午後四時頃にやっと各自の家に帰るのだから。

銅線にこだわるだけでなく、古着も何回も再利用している。着られる服を慎重に選び、梱包して、後で使用できるように保管しておく。一部の再利用できなくなった衣類を、杜さんは宝とみなし、仕立屋の黄さんに、布切れに裁断してもらい、必要としている工場にさしあげている。彼らは物を最大限に活用して、一心にゴミの量を減らし、地球への負担を減らしているのだ。

八十四歳の黄さんは生地の裁断に長けているだけでなく、ケーブルの絶縁体を素早くカッターナイフで切って、剥がしていた。彼女は、普段、一人で家にいるよりも、リサイクルステーションでボランティアをしたほうが良いと言った。要らぬことを考えなくなるし、おしゃべりする相手もいて、お互いに世話できるからだ。

リサイクルステーションを見守っている杜さんは毎日とても忙しく、元気いっぱいである。彼女は微笑みながら、時間があって座り、何もしないと居眠りしてしまう、と言った。彼女は自宅の前でリサイクルをしており、二十年以上精進チームを受け持っており、法縁者の法事にもほとんど欠席しない。なぜ彼女にそんなにエネルギーがあるのかと尋ねると、證厳法師の教えを心に留めているので、全てに立ち向かう力があるのだ、と答えた。

可愛いお年寄りボランティアたちは、マンゴーの木の下の小さなスペースをゆっくりと行き来し、重責を担っているが、尻込みすることはない。マスクをした彼らの目には、確かな幸せと安定感が見えた。

(慈済月刊六八四期より)

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