持っているだけの力で奉仕するのではなく、
誠心誠意発願して果敢に責任を担い、
世の人に利他するよう呼びかけましょう。
大自然の生気を循環させる
二月四日、アメリカ・ノースカリフォルニア州の慈誠(認証を受けた男性ボランティア)と委員(女性ボランティア)たちが、オンラインで現地の運用状況と感想を上人と分かち合いました。上人は、師兄(男性ボランティアの呼称)や師姐(女性ボランティアの呼称)たちがハンターズポイントコミュニティーで慈善支援した話と、「ハッピーキャンパス」プロジェクトによる青少年への就学補助や学習サポートの話を聞いて、感嘆してこう言いました。
「人生には苦楽が付きものですが、慈済人は苦難にある立場の弱い人々を支援することで、人間(じんかん)の苦を目にしています。時には危険を冒してでも奉仕に出かけますが、人と人の交流には心温まるものが多く、喜びに満ちています」。
サンフランシスコのハンターズポイントコミュニティーは、以前は全般的に貧困者が多く住んでいて、犯罪事件も多かったため、警察でさえも近づきたくない場所とまで形容されていました。サンフランシスコの慈済人は、二〇〇八年からコミュニティーを支援し、感謝と尊重、愛で以て住民と交流してきました。今では住民は、慈済人の真心を感じ取り、親しみのこもった反応をしてくれるようになりました。「紺のシャツに白のパンツ姿はもう見慣れたもので、その人たちは彼らを支援しに来る善人だと知っているため、彼らも慈済人に親切なのです。そのお蔭で、慈済人は現地で思った通りに奉仕することができ、慈済の志業を行うことができるのです」。
「長年の奉仕が蓄積されて、現地の人々に良い印象を与えています。これは、私たちが植えた良い『因』であり、現地で良縁を結んでいる証です」。上人は、師兄や師姐たちが慈悲済世を行なっていることを称賛しました。これが即ち「慈済」という名称の意義なのです。人間(じんかん)の苦難に対して、「人傷つけば我痛み、人苦しめば我悲しむ」という慈悲心を以て、自発的に支援に行く人が即ち、招かれずとも訪れる菩薩」なのです。
「菩薩が人間(じんかん)で苦難にある人を助けていると聞くと、私は敬服と感謝、尊重の念を抱くと共に、とても敬愛せずにはおれません。この世界に慈済人がいなければ、今あるような慈済の世界観はなかったでしょう。これだけ多くの善人がいて、人間(じんかん)で奉仕することを望んでいるのですから、私は一層自信がつきました。『信ずるは仏道における功徳の母』と言われるように、菩薩道の原点は『信』なのです。私たちに信じる心があって初めて、この大道を敷くことができ、着実に歩むことができるのです。アメリカの慈済人に期待しています。彼らは、既に志業を二、三十年行なって来ており、皆、『正しい事は行動に移せば良い』という信念の下に、互いを愛し、尊重し合っています。そして、愛を広め、それを感じた人たちが慈済を愛し、参加するよう導いているのです」。
また、上人は師兄や師姐たちに、こう開示しました。
「慈済人は、奉仕して人助けすると同時に、助けてもらった人がその力を借りて自助努力し、心底から生活様式を変えて、人生を翻すよう導かなければなりません。つまり教育が苦難の人生を転換させる重点なのです。慈済人はこの二十年でどれだけの子供を支援して来たでしょうか。子供たちが成長し、社会に出てからもまっとうな道を歩み、社会に貢献していることを振り返ってみてください。彼らと連絡を取って現況に関心を寄せ、今就いている仕事を理解すると共に、善行に誘って善の循環を始めるよう促すのです」。
諸々の微弱な力を結集する
春節が過ぎて休暇も終わろうとしていた二月五日、基金会の管理職たちの話を聞いた上人はこう開示しました。「キャリアの長い同僚たちが過去を振り返り、慈済功徳会の早期の困難な時期のことを話すと、皆さんは、どんなにか苦しかったことだろうと思うでしょうが、私自身、苦しかったとは全く思っていません。ただ責任が重かっただけだと感じています」。
「当時、常住師父たちはまだ、定住場所がなかったのですが、慈済の活動を始め、困難を克服しながら世の中の苦難にある人たちを支援していました。精舎はまだ建てられていませんでしたが、私たちは苦しんでいる人に家を建ててあげました。考えてみると、実に身のほど知らずでした。しかし、それが身のほど知らずであっても、その微々たる力が今に至るまで途切れることなく続き、世界のどこかで災害があれば、慈済人は駆け付けて関心を寄せています。ですから、持っているだけの自分の力で奉仕しようと考えるのではなく、誠実な心さえあれば、苦労を恐れず、少しでも多く責任を担えば、絶えず力を結集させることができ、世のためにこんなにも多く奉仕できるのです」。
上人はこう言いました。「初期の頃、人員が少なかったため、力も弱かったのですが、その微弱な力とか細い音でも、揺るがない心で一歩を踏み出しました。バラバラの微弱な力を結集させることは、一匹の蛍の光が人目を惹かなくても、たくさん集まれば、人目を惹かずにはおれない灯りとなるのと同じです。途切れることなく人々を導き、愛のエネルギーを結集させるのです。そして、その清らかで長く続く情を途切れさせず、真心を以て、一人ひとりの微弱な力を集めるのです。日々人に出会う時は、いつでも良い行動や行いをして、人も事も全て良くあるようにすべきです。これこそが私の皆さんに対する祝福です」。
(慈済月刊六八九期より)