故郷は何処に?

編集者の言葉

ウクライナとロシアの戦争が勃発してから一月余りになる。国連難民高等弁務官室の統計によると、既に四百万人余りのウクライナ人が国外に逃れており、その多くが西北の隣国ポーランドに入った後、西側諸国に向かっている。慈済はポーランドに連絡拠点もボランティアもないが、現地のカリタス基金会や赤十字社と協力して、順次、毛布やプリペイドカード等を提供している。

第二次世界大戦が終わっても、世界は戦火による難民が後を絶たず、その多くの原因は長い衝突の歴史まで遡る。そのため人民は戦火の脅威の下、故郷を追われてさまよう異国は未知の挑戦だらけで、苦難が減ることはない。

多くの研究と報道から指摘されるように、難民は異国の地でさまざまな法律の規則を理解して守らねばならない外、「現地で認められる」ことが、彼らが新生活に適応する最大の障害になっている。たとえ、近代化した国であっても、社会には目に見えない境界線があり、それを越えるのは難しい。彼らは、受け入れてくれた国の文化と価値観を取り入れることを期待される。日常生活を満足させることに奮闘しなければならず、流浪し、困窮するうちに負った傷は心の奥底に秘めて置くしかないのだ。

それゆえに、「家」は故郷にあるとは限らなくなっている。今月号の特別報道に載っているが、長年にわたってシリア難民をケアしている、ヨルダンの慈済ボランティア、陳秋華(チェン・チウホワ)さんによると、シリア国内の戦争はすでに終息しているが、生活状況が劣悪なため、国外にいる人たちは故郷を思っても、帰ることができないでいると言った。また、マレーシアで家庭を築いたロヒンギャ人は慈済ボランティアに、郷愁の気持ちは捨てられないが、異国で自由と夢を築く勇気が得られた、と言った。トルコではシリア人ボランティアが、慈済人の胡光中(フー・グアンジョン)さんにこう言った。「自分も難民だが、ポーランドへ行って、難民の心を落ち着ける手助けをしたい。何故なら、心のある所に家があるから」。

誰もが当然のように帰る場所であるはずの「家」が、今の時代では揺れ動いている。私たちの周りを見ると、人口の高齢化と顕著な少子化によって、高齢者ケアの場では頻繁に悲劇が引き起こされている。日本はその問題に「在宅医療」で対応し、「積極的に治療しない」という考えの下に、一人ひとりの高齢者向けのケアプランを立て、人生の最期まで優しく付き添うようにしている。

台湾では、「在宅医療」は制度や条件で制限を受けるため、相対的にサービス力が弱いので、民衆のニーズは高くても、使用率は低い。今月号の主題報道によると、大林慈済病院の軽安居(入居型介護施設)では、高齢者に「自宅で余生を送りたい」という理想を持たせつつ、基本的な生活能力を維持することを目標にケアしているため、家族は息抜きができ、多くの住民にとって第二の家となっている。

故郷とはどこなのか?私たちは「家」の定義を書き直しても良いかもしれない。心身共に安らかになる所が「家」である、と。

(慈済月刊六六六期より)

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