世界に目を向ける・戦禍はいつ止むのか

ウクライナ難民危機に関心が向けられている時に、慈済はシリアやミャンマー等の難民支援を、中断することなく続けている。十年以上内戦が続いたシリアを例に挙げると、今、殆どの地域では戦火が収まっているが、家を追われた難民の殆どは、母国に帰ることが難しい。

「現在シリアでは、水、石油、電力が不足しています。以前、ヨルダン貨幣とシリア貨幣の為替レートは一対六十でしたが、今は一対三千五百です。一本のプロパンガスはヨルダンでは台湾ドルにすると約三百元ですが、シリアでは米ドルで百ドルもするのです!」慈済ヨルダン連絡所の責任者である陳華秋(チェン・チウホワ)さんによると、現在のシリアの生活条件は余りにも酷く、ヨルダンにいるシリア難民の大半は滞在を続けたいと考えており、「現地に住み着いて、自力更生する」という問題に向き合わなければならない。

ヨルダンの慈済は、慈善救済、施療と就学支援の他、シリア難民のシングルマザーと孤児を受け入れる「慈心の家」など社会資源を頼りに、介護、飲食、裁縫、美容師などのコースを開設することで、難民が手に職をつけ、現地ヨルダン社会で生計が立てられるようサポートしている。職業訓練の他に、ボランティアになる指導もしている。陳さんによると、目下既に多くのシリア難民の母親たちが、慈済ヨルダン連絡所の南部ベドウィン人部落ケアチームに参加しているとのことだ。

シリアとヨルダンは同じアラブ民族で、言葉も通じ、同様にイスラム教を信仰している。シリアのお母さんたちと青少年の子供たちは、ボランティアと一緒にサーグラ(Al-Thaghrahg)、アッバツィア(Al-Absyiah)など南部ベドウィン人部落に出かけると、物資の配付や訪問ケア等の慈善事務をこなすだけでなく、アラビア語の静思語絵本を携えて、大人にも子供にも證厳法師の智慧の言葉を分かち合った。また慈済ヨルダン連絡所が言うには、助っ人になった難民にヨルダンの貧困者をケアしてもらうことで、彼女たちが行動する中から学ぶことがもっと大切なのだそうだ。

「彼女らが配付ケア活動を終えた後は、とても心を揺さぶられています。こんなに貧しい人たちを見て、『苦を見て、福を知る』ことを学んだのです!」。

ヨルダンの国民所得は高くなく、募金は容易ではないが、ヨルダン慈済は一九九七年の創設以来、精一杯ヨルダン内外の貧困者をケアしてきた。その中には、ガザ地区、イラク等の戦乱地からの難民と、二〇一一年シリア内戦勃発後のシリア難民のケアがあり、今も続いている。悲しみから抜け出す手助けをし、善行して人助けする善の種子になれるようサポートしている。

ヨーロッパとアジアに隣接し、三百七十万人あまりのシリア難民を受け入れているトルコでも、慈済人は慈善支援や教育を推進すると同時に、援助を受けているシリア難民に、善行を生活に取り入れるよう導いている。

慈済トルコ連絡所の責任者である胡光中(フー・グアンジョン)さんはこう説明した、「今、心と愛を募るのは一回限りの活動で終わらせず、定着化をはかっています。私たちは最近一万個の豆類缶詰を購入し、貯金箱として使える蓋を添えて、『小銭で大きな善行』と書いたステッカーを配りました。食べ終った後に、蓋をして、ステッカーを貼ることで、貯金箱に変わります。慈済の竹筒歳月の精神を学んでもらいたいのです」。

トルコのマナハイ国際学校。シリア難民学生は慈済国際災害支援に呼応して、ウクライナ難民ケアの募金を募った。女の子はアラビア語で「私はボランティアすることと善行が大好きです」と書かれた手作りのポスターを持っていた。僅かな力でも結集すれば、人助けができる、と訴えた。(撮影・アブドゥルマレク・バイス(abdoulmalek wais))

コロナ禍で、トルコの慈済ボランティアは毎月の難民配付活動を二カ月一回に変更し、人が集まる機会を減らした。長期的にケアしている七千六百五十数世帯のシリア人家庭には貧困者、極貧者、アルバイト学生、大学生及び冬場に燃料費さえも支払うことができない難民家庭が含まれている。配付活動は四十回に分けて、週末も休むことのない、慈済が難民の子供たちのために創設したマナハイ国際学校で行われている。以前、配付が終わると、ボランティアは心と愛を募っていたが、皆が貯金箱を持っているとは限らないため、ある人は小銭をビニール袋に入れたり、牛乳瓶に詰めて持って来ていた。

二カ月に一度配付されていた生活補助は、多くの人にとって命を繋ぐお金である。しかし、難民は支援を受けるだけでなく、誰かの役に立ちたいと思っている。同じ様にシリア難民であるボランティアたちが、ある人が持って来た、約五十リラ(約三百円)の小銭が入った袋を取り上げてみると、中に一枚の紙が入っていて、こう書かれていた。「本当にごめんなさい。これだけのお金しかありません。ですが、これは私に残った全財産です」。金額は多くないが、全てを捧げる精神は人々を感動させた。

シリアボランティアたちも自主的に、トルコに逃がれて来たばかりのウクライナ難民を見つけて、緊急支援を提供した。避難してきた彼らはウクライナ難民の悲しみや苦しみを誰よりも理解しており、より適切なケアを与えることができるのだ。

緊急に支援を必要とするウクライナ難民や故郷を離れたシリア難民に長く寄り添うケアは、迅速な行動が必要なだけでなく、彼らの身の安全や安心感を与える手伝いが必要である。また、持続的なケアには忍耐力と不撓不屈な力がなければならない。戦争や衝突が未だ止まない二十一世紀、何千万人にも及ぶ、国を追われた難民問題は、全人類が向き合うべきであり、避けて通ることのできない難題である。慈済は一九九〇年代から国際災害支援を始めて以来、多数の国で難民ケアを展開している。これから先も茨の道を歩む人々を支え続けていく。

(慈済月刊六六六期より)

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