心の葛藤を終わらせる

ロシア・ウクライナ戦争で大量の難民が発生する中、災害支援活動は時間との戦いである。

どのようにして「禅定力」と「忍耐力」を育めばよいのか?

支援のパートナーは私に、慈善活動はとても単純で、行動しさえすればいいのだが、それがストレスになってはいけない、と言った。

私は深く感動した。修行とは、まさにそういうものなのだ。

二月下旬、ロシアとウクライナの紛争が拡大しているというニュースを見て、以前知り合ったオンライン英語講師に連絡を取った。彼はウクライナ人で、一時的に首都キーウからより安全な郊外に引っ越し、家族ともに無事だと分かり、私も安心した。

オンライン画面に、いつもの笑顔が消えた彼を見た。彼は次のように言った。二月に情勢が緊迫し始めた時、母親が首都を離れるかどうか、彼に聞いたので、彼は笑顔で母親に、「心配しないで。今の時代に、戦争になることはないよ」と言った。予期せず、戦争は本当に起きてしまい、人々の生活を一変させてしまった。

私は普段、慈済基金会宗教処で海外窓口を担当しており、毎日各国から災害情報を受け取る。大量のウクライナ人が隣国のポーランドに逃げ出した時、幹部はチームを率いて災害支援マニュアルを発動した。同僚たちは、様々な関係を通じて、ポーランドにいる愛の心を持った人々に連絡を取り、支援方法を模索した。配付活動も少しずつ整い、徐々に形となって現れ、三月五日にやっとポズナンで、慈済がポーランドで初めて配付活動を行った。

海外事務部が「災害支援マニュアル」を始動する時は、昼夜を分かたず、全員が最後まで力を尽くしてオンラインで、相談やデータの整理、レポート作成等の仕事に投入することを意味する。台湾とヨーロッパには時差があるため、午後から早朝までの時間帯はオンラインで会議を行うことがある。定例の仕事も同時にしなければならないのに加えて、慈済大学の人文社会学部の授業もあるため、どんなに時間があっても足りない。

時間に追われる中、どのようにして「禅定力」と「忍耐力」を育めばよいのだろうか?宋朝の作家、欧陽修が書いた「油売り翁」を思い出した。物語の中に出てくる、油売りの翁が杓を使って銅貨の穴を通して瓢箪に油を注ぐスキルは、「練習すればするほど慣れてくる」という道理を説明している。考えてみてほしい。群衆の中で菩薩道の修行をする時、毎日何を練習しているのか?考えを変えるスピードだろうか?逆に、悪い癖を「繰り返す」ことで悪い習気に変えてはいないだろうか?もし自分の心を正しく守ることができない時、実は、災害は私たちの心の中に起こるのだ。自分の心をしっかり守ってこそ、人を助けることができるより大きな力が得られるのだ。

4月上旬、ボランティアはポーランド現地の赤十字社に寝袋を寄付した。陳樹微(左2人目)たちボランティアは、赤十字社のスタッフと交流し、難民の現状を理解した。(撮影・張淑兒)

ポーランドのシュチェチン(Szczecin)は、慈済が難民を支援している地域の一つである。地元ボランティアであるマーガレットさんは、イギリスで慈済と出合い、その国境なき大愛精神にとても共感したのだそうだ。今年二月末、イギリスでの仕事を辞めて故郷のポーランドに帰国し、一心に故郷を離れたウクライナ人を支援しようと決心した。

彼女は一カ月以上、イギリス慈済ボランティアとビデオ通話で連絡を取りながら、一人シュチェチンで活動している。慈済を代表して、地方自治体と連絡を取り、サプライヤーを探し、物資を仕入れ、ボランティアを募って、避難所の見回りなどをしている。その過程で課題に直面しても、カトリック教徒である彼女は、「慈善とは単純明快で、何かと比較したり、考え込むべきではなく、躊躇する必要はありません。もっと奉仕して、絶えず反省し、やるべきことをやればいいのです。但し、それがストレスになってはいけません」と言った。

彼女はイギリスでは建設業界で働いていたため、仕事ぶりはとても慎重で、一つ一つ確実にこなすことが大切だと言う。堅牢な建物が堅固な基礎に支えられているのと同じで、ずさんなことはできない。地方自治体との連絡や調達などは、予定通りに行われることが望まれる。

修行もそういうものではないだろうか?基礎をしっかり築き、急ぐ必要はない。また、日常の仕事、学業、家のことに向き合う時も、「静思」を忘れず、自分の心を観察して、人も物事も円満になる方法を学ぶことを忘れてはならない、といつも自分に言い聞かせている。證厳法師はこう諭している。「禅定する力を身につけ、『静』が『定』に結びつき、心を清らかに保ち、平静心でいて落ち着いていれば、私たちは智慧を開き、清らかで汚れのない愛を発揮することができ、この愛を普く世の衆生に広めることができるのです」。

この数日間、再びオンラインでウクライナの英語講師と交流した。かなり痩せて、眉を深くひそめている姿を見た。故郷の現状とその変貌を受け入れる心構えについて話し合った。彼は、平常心で過ごしている人もいるが、自分はやりたいことがまだたくさんあるので、死を恐れていると言った。しかし、今は何も考えられないので、一日でも早く家に帰って、平和な生活を送りたいと思っている、と言った。

静思語にこんな言葉がある。「順境の時に無常観を持ち、逆境の時に因縁観で対処する」。自分の体を有効に使って価値を創造し、健康で安全な今この時をどう活かして、世のために奉仕し、生活の中に仏法という必修科目をとりいれることが重要である。

(慈済月刊六六六期より)

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