リサイクルボランティアが地球も人も救う

七十三歳の林さんは、「心ゆくまで」リサイクル活動をして、節約すべきところは節約し、少しでも貯金して善行に回している。

慈済が新型コロナウイルスワクチンを購入して寄付するには、みんなの支援が必要である。

彼女は考えることもなく、その重責を担った!

新北市土城区延吉街の市場は、午前中は主婦たちが買い物をする朝市であり、夜は賑やかな食べ物屋台が並ぶ夜市になる。林奕孜(リン・イーヅー)さんはあえて午後になってから市場へ行くことを選ぶ。なぜなら閉店前の片付けをする時間帯であると同時に、彼女の最も忙しい時間帯でもあるからだ。「この段ボール箱はまだ使いますか?」、「ありがとうございます。カートの横に置いてください」。彼女は八百屋、果物屋、服飾店などを回って、手早く回収物をカートの上に高く積み上げ、しっかり縛った。風の日や雨の日、または照りつける太陽の下でも、毎日、市場で彼女の姿を見ることができる。

回収する資源がとても多く、カートを押して路地を何度も行ったり来たりするのが林さんの日常である。七十三歳の彼女は段ボール箱を分解し、ビニール袋やビン、缶などの分別作業も難なくこなす。「回収した資源を売って利益を得るためではなく、私たちの地球とこの大地を守るためです」と言う。

彼女は体で実践するだけでなく、「環境保全」という理念を生活の中にも取り入れて、節約できるところは節約し、使えるものは簡単に捨てたりはしない。少しずつ節約したお金が「愛の貯金」になった。

延吉街の市場で、林奕孜さんは屋台や店舗の使用済み段ボール箱を回収して、リサイクルステーションに運んでいく。

一日リサイクルしないと、後悔する

二十数年前、自分は読み書きができないので、ボランティアになるのはおそらく無理だろうと思っていた林さんだったが、上人が言った、「読み書きができなくても大丈夫、道理さえわきまえていればいい」という言葉を聞いて、慈済ボランティアの後について地域でリサイクル活動を始めた。養成講座を経て認証を受けた後、彼女は環境保全分野で徹底して活動し、市場に近い自宅脇に回収拠点を立ち上げた。

昼間は、息子夫婦が出勤すると、孫の面倒を見る手伝いをした。十数年前、三人の孫を連れてカートを押しながら道すがら資源回収をしていたのを人に見られ、多くの人に彼女がゴミを拾って生計を立てていると思われたことがある。中には道行く人が「子供に苦労を掛けてはいけないよ」と言って、孫たちに食べ物を買い与えるよう、ポケットから五百元を出した人もいた。林さんは直ぐにお金を返し、「私は地球を守るために資源を回収しているのであって、回収拠点に持って行くのは、慈済の大愛テレビ局に寄付するためです」と事情を説明した。

若い頃に、田舎から北部へ出てきて土城の町に定住した。彼女は一日に三つの仕事を掛け持ちしながら三人の子供を育てた。「あの時の生活は余裕がなかったのですが、人助けができる方が幸せだと感じ、他人から支援を受けようとは思いませんでした」と言った。

やがて子供たちは自立してそれぞれ所帯を持ち、林さんは既に生計のために懸命に働く必要はなくなったが、暇を持て余すことはなかった。彼女は市場の定休日(月曜日)と祭日を除き、毎日市場に出かけるようになった。「私は慈済で『働いている』けど、滅多に休むことはなく、一日休むと回収資源が溜まってしまうから、そんなことはできません!」と笑いながら言った。

歳をとるにつれて体はだんだん衰えてくる。彼女もリサイクル活動で腰を痛め、腰を曲げたり、しゃがんだりすることができなくなり、ひざまずいて回収作業をすることで痛みを感じないようにしたこともあった。その時友人が、彼女に少しでも快適に活動してもらえるように、とウエストサポーターを買ってくれた。しかし、林さんは腰が締め付けられる感じに慣れることができず、同じ腰痛持ちの人を見た時、「私よりもあの人の方が必要なのかもしれない、と思って、『鉄の服』(閩南語でウエストガードの意味)をその人に贈りました。私は痛みを感じますが、リサイクルができればそれでいいのです。今でもリサイクル活動はしていますが、腰痛なんか忘れてしまいました」。

林さんは左手を手術した時、まだ完全には回復していなかったが、同じように市場とリサイクルステーションに行き、「一日でも回収しなければ、きっと後悔する」、「自分がやらなければ誰がやるのか」という気持ちで続けた。段ボール箱を力強く抱え、人の高さよりも高く積み上げる様子からは左手の異常は見られない。ただ休憩している時に、自分の手を見て、「左手はまだ痛むので、力を入れることはできませんが、右手が使えるので、万全です」と言った。

林奕孜さん(右の写真)は倹約して生活し、節約したお金と労働者年金を慈済のBNTワクチン購入のために寄付した。彼女は一枚の紙も小さなビニール袋も丁寧に拾い、腰痛があってもしゃがんで回収をしている。(左の写真)。

一から出直して福田を耕す

しかし、市場を出入りする姿は二〇二一年五月中旬に途絶えた。台湾全土でコロナ禍の警戒レベルが3になった時期、慈済のリサイクルステーションも一時的に閉鎖され、大衆は外出しなくなり、人の流れが途絶え、市場の出店も減った。毎日、感染拡大の状況を見て心配になったが、彼女は「とりあえず自分をしっかり守れば、いつかリサイクルの仕事は再開できるでしょう」と考えを切り替えるしかなかった。

全国民の一致した協力によって、コロナ禍は次第に落ち着いて行った。七月下旬、警戒レベルが2まで下げられ、林さんもマスクをつけて、街で資源の回収に戻った。しかし、市場にあった暫定的な回収物の置き場は既になくなっており、多くの店は資源を別の人に回収させていた。外出制限が解かれた後、彼女は一から出直し、段ボール箱を回収させてもらえないかと、他の店を回った。

「幸いなことに、私が段ボール箱の回収作業をしていて、その収益で大愛テレビ局をサポートしていることを八百屋さんが知っていたので、毎日昼になると、要らなくなった段ボール箱を私にくれました」。正に恩人に出会った、と林さんは言った。八百屋の青年は親切に段ボールを運んで、カートに積み上げる手伝いもしてくれた。彼女は「私はリサイクルという福田を再び耕すようになりました」と笑顔で言った。

法師が心配するのが心配でたまらない

今、林さんは毎日、回収資源を何度も行き来して運んでいる。先ず、自宅の前で整理してから、近くのリサイクル拠点に持って行き、それをボランティアたちに土城のリサイクルステーションまで運んでもらっている。慈済が五百万回分のBNTワクチンを購入することを知ってからは、「上人がワクチン購入の資金不足を心配している様子を見ると、私も心配でなりませんでした」と彼女は護持する決心をした。

彼女は、ワクチンは人の命を守るものであり、自分も力を出そう、と思った。そこで、林さんは自分の労働者年金と子供たちからもらった親孝行のお金をワクチン購入の寄付に充てた。生活費をあまりかけない彼女は、できる限り節約した。十五年以上にわたって彼女を知っている土城区の慈済ボランティアの劉秀勤(リウ・シウジン)さんは、林さんが倹約家なことに共鳴し、「彼女は多くのボランティアと同じように、苦しい時代を生きてきました。衣食住と行いをできるだけ節約し、服が古くなっても捨てずに大事に使い続け、食事はご飯一膳、おかず一品でお腹を満たしているのです」と言った。

林さんは何年か前に、エアコンを使うと地球温暖化が進むことを知ると、リサイクル活動する時は扇風機さえ使わなくなった。地球を大事にすると同時に電気代の節約にもなり、一銭でも貯めて善行しているのである。

「私からすると彼女の志は立派です。晴れた日も雨の日も、必ず市場に行って資源を回収しているのです」。二人は資源の回収を始めて間もなく知り合ったが、林さんはビニール袋をすべて綺麗にしてから一枚一枚回収し、八百屋が要らなくなった大きめの袋も回収し、中に入っている野菜屑も綺麗にしてから、大切にリサイクルステーションに持って行く、と劉さんは彼女のことを称賛した。

「実は環境保全というのは、日常生活の中でできることで、少しも無駄にしてはいけないのです」と、劉さんは林さんとの数十年一日の如しの行動をこう形容した。

人が捨てたものを私が拾う。命ある限り、リサイクル活動して地球を守る両手も休めることはない。手は粗くなる一方だが、林さんはいつも自慢げに、「ほら、見てごらん、私の手は綺麗でしょう」と言う。

市場を守り続け、リサイクル活動で回収するのは大地を守る希望であり、地球を大切にする心で、前に進み続ける。

(慈済月刊六六四期より)