人の師たる者は道を志すべき
「仏教の為、衆生の為」とは、導師の私への期待ですが、私自身の発願でもあり、生涯をそれに捧げるだけでなく、生生世世にわたり、弘法の師表となることを決意し、世の衆生の為に慧命の道を切り開くことにしたのです。
最近は、二つの文字がいつも心の奥深くに重くのしかかっています!とても強い「感恩」という二文字で、感恩せずにはいられないのです!私は生涯での生みの親と育ての親への感恩の気持ちであり、彼らの姿がいつも脳裏に浮かびます。
また、私の恩師にも感謝しています。導師は「仏教の為、衆生の為」という言葉を下さったことで、出家したものの、私はまだ社会の中にいるのです。社会に入っているからこそ、先生たちや慈済人と知り合うことができ、お互いに団結して、一緒に人間(じんかん)で奉仕しているのです。
ですから、私は因縁に感謝しています。もし生みの親と育ての親、そして、慧命を下さった導師がおられなかったら、今日の慈済は存在していなかったでしょう。私は導師に帰依を請うた故に、あの日、受戒することができたのです。導師の私に対する期待はとても簡単なものでした。「私とあなたには師弟の縁があります。これ以上話す時間はありません。『佛教の為,眾生の為』と覚えておいてください」。あの時、私はとても清らかで懇切に答えました。「生涯を捧げます!」。仏教の為、衆生の為に一生を尽くすこと、これは導師の私に対する期待であり、私自身の発願でもあるのです。
ですから、六十年近く経った今でも捧げ続けています。私と縁のある先生の皆さんたちが言うように、「生涯を喜んで捧げます!」。皆さんと私に共通する願い、それは、教育を志すことです。人々は皆さんを先生と呼んでいますが、私も同じく、人々から法師あるいは師父と呼ばれています。私はその名前に込められた責任を心に感じ、世の衆生のために慧命の道を切り開くことを使命と考えています。慈済は一本の菩薩道です。修行は平坦な道ではありませんが、私はそれを広く、平坦で皆が歩きやすい大道にしなければならないのです。
先生たちが慈済に入って、慈済教師懇親会でさらに多くの教師たちと知り合い、お互いに教え方を分かち合って、交流していると思います。今は退職しているとはいえ、数十年の豊富な経験は伝え続けなくてはいけません。幼児クラスから中学、大学に至るまで、先生たちが歩きやすい道を切り開いてくれているため、その指導を受けられるのです。
知識の布施は、良い方法を使って学生を教育することであり、施教或いは法施(ほうせ)とも言われます。良い教師は生涯において育ての親のような存在ですから、先生を敬って道を重んじ、両親のように慕うことが大事です。仏陀が衆生に智慧を伝え、教師が学生に智慧を伝える訳ですから、教師を仏陀のように敬うのです。
先ほど教師の皆さんが私の前で、「生生世世にわたって法脈を伝承します」と発願しました。私たちは心と心を繋ぐだけでなく、立志して宗門を広めなければなりません。「志」という文字は「士」と「心」から成っています。「士」とは紳士を意味し、人格的にどっしりした人のことです。学生か弟子かにかかわらず、私たちは志を立て、真心を込めて、生生世世にわたって彼らの為に未来の道を敷かなければなりません。
「道とは人として歩むべき道です」という言葉がありますが、道を敷くことは道を切り開くことであり、方向がずれてはなりません。皆さんが発願した時、「私たち弟子は謹んで心に記します」と言いました。静思の弟子になったからには、正知、正見、正道法から逸脱せず、私に心配をかけないようにすることです。誰もが慈済との因縁を大切にして、宗門を広め、そして静思法脈から逸脱せず、よく考えて無量義の法髄を深く理解しなければなりません。『無量義經』は『法華經』の精髄ですから、毎日『無量義經』を一段読むことで、智慧が啓発されます。
私たちは、幸いにも慈済で出会いました。私は歳を取りましたが、リタイアしてはならないと思っています。生命には限りがありますが、慧命は続きます。再び人として戻って来る時、私はやはり人の師を志し、仏法を伝える模範になりたいのです。
慈済に入った教師の皆さんの中には、二、三十年のベテランの人たちがいますが、これからはもっと増えることに期待しています。それには、皆で慈済の法を説き、常に静思法脈を分かち合って、絶えず弘法していくことです。また、人と慈済の情、菩薩の情を結ぶことでもあり、小さな私情ではなく、悟りを開いた有情なのです。社会の中で良縁を結び、正しい道に人を導く人こそが、菩薩の一員だと言えるのです。
「学び」と「覚り」を繋ぐには、菩薩道を歩むことです。先生たちは、教育を施す以外に、自分たちも学び続けなければなりません。私は一日も学ぶことを怠ったことはありません。なぜなら仏教の経典は、大海のように深くて広いからです。私は身をもって人間(じんかん)で菩薩道に努め励んでいます。それだから皆さんとこの情が分かち合えるのです。
「覚り」とは、智慧の目で人間(じんかん)を見ることで、迷わされることはありません。「学び」は、赤子の心に戻って学び続けることであり、学んでこそ覚りがあるのです。先に覚る人と後に覚る人、先に学ぶ人と後に学ぶ人の繋がりのように、私たちはいつの世でも繋がっていなければなりません。教師の皆さんが永遠に幸福をもたらし続け、智慧が成長し、福と慧の双方を修められることを願っております。
(慈済月刊七〇六期より)
「仏教の為、衆生の為」とは、導師の私への期待ですが、私自身の発願でもあり、生涯をそれに捧げるだけでなく、生生世世にわたり、弘法の師表となることを決意し、世の衆生の為に慧命の道を切り開くことにしたのです。
最近は、二つの文字がいつも心の奥深くに重くのしかかっています!とても強い「感恩」という二文字で、感恩せずにはいられないのです!私は生涯での生みの親と育ての親への感恩の気持ちであり、彼らの姿がいつも脳裏に浮かびます。
また、私の恩師にも感謝しています。導師は「仏教の為、衆生の為」という言葉を下さったことで、出家したものの、私はまだ社会の中にいるのです。社会に入っているからこそ、先生たちや慈済人と知り合うことができ、お互いに団結して、一緒に人間(じんかん)で奉仕しているのです。
ですから、私は因縁に感謝しています。もし生みの親と育ての親、そして、慧命を下さった導師がおられなかったら、今日の慈済は存在していなかったでしょう。私は導師に帰依を請うた故に、あの日、受戒することができたのです。導師の私に対する期待はとても簡単なものでした。「私とあなたには師弟の縁があります。これ以上話す時間はありません。『佛教の為,眾生の為』と覚えておいてください」。あの時、私はとても清らかで懇切に答えました。「生涯を捧げます!」。仏教の為、衆生の為に一生を尽くすこと、これは導師の私に対する期待であり、私自身の発願でもあるのです。
ですから、六十年近く経った今でも捧げ続けています。私と縁のある先生の皆さんたちが言うように、「生涯を喜んで捧げます!」。皆さんと私に共通する願い、それは、教育を志すことです。人々は皆さんを先生と呼んでいますが、私も同じく、人々から法師あるいは師父と呼ばれています。私はその名前に込められた責任を心に感じ、世の衆生のために慧命の道を切り開くことを使命と考えています。慈済は一本の菩薩道です。修行は平坦な道ではありませんが、私はそれを広く、平坦で皆が歩きやすい大道にしなければならないのです。
先生たちが慈済に入って、慈済教師懇親会でさらに多くの教師たちと知り合い、お互いに教え方を分かち合って、交流していると思います。今は退職しているとはいえ、数十年の豊富な経験は伝え続けなくてはいけません。幼児クラスから中学、大学に至るまで、先生たちが歩きやすい道を切り開いてくれているため、その指導を受けられるのです。
知識の布施は、良い方法を使って学生を教育することであり、施教或いは法施(ほうせ)とも言われます。良い教師は生涯において育ての親のような存在ですから、先生を敬って道を重んじ、両親のように慕うことが大事です。仏陀が衆生に智慧を伝え、教師が学生に智慧を伝える訳ですから、教師を仏陀のように敬うのです。
先ほど教師の皆さんが私の前で、「生生世世にわたって法脈を伝承します」と発願しました。私たちは心と心を繋ぐだけでなく、立志して宗門を広めなければなりません。「志」という文字は「士」と「心」から成っています。「士」とは紳士を意味し、人格的にどっしりした人のことです。学生か弟子かにかかわらず、私たちは志を立て、真心を込めて、生生世世にわたって彼らの為に未来の道を敷かなければなりません。
「道とは人として歩むべき道です」という言葉がありますが、道を敷くことは道を切り開くことであり、方向がずれてはなりません。皆さんが発願した時、「私たち弟子は謹んで心に記します」と言いました。静思の弟子になったからには、正知、正見、正道法から逸脱せず、私に心配をかけないようにすることです。誰もが慈済との因縁を大切にして、宗門を広め、そして静思法脈から逸脱せず、よく考えて無量義の法髄を深く理解しなければなりません。『無量義經』は『法華經』の精髄ですから、毎日『無量義經』を一段読むことで、智慧が啓発されます。
私たちは、幸いにも慈済で出会いました。私は歳を取りましたが、リタイアしてはならないと思っています。生命には限りがありますが、慧命は続きます。再び人として戻って来る時、私はやはり人の師を志し、仏法を伝える模範になりたいのです。
慈済に入った教師の皆さんの中には、二、三十年のベテランの人たちがいますが、これからはもっと増えることに期待しています。それには、皆で慈済の法を説き、常に静思法脈を分かち合って、絶えず弘法していくことです。また、人と慈済の情、菩薩の情を結ぶことでもあり、小さな私情ではなく、悟りを開いた有情なのです。社会の中で良縁を結び、正しい道に人を導く人こそが、菩薩の一員だと言えるのです。
「学び」と「覚り」を繋ぐには、菩薩道を歩むことです。先生たちは、教育を施す以外に、自分たちも学び続けなければなりません。私は一日も学ぶことを怠ったことはありません。なぜなら仏教の経典は、大海のように深くて広いからです。私は身をもって人間(じんかん)で菩薩道に努め励んでいます。それだから皆さんとこの情が分かち合えるのです。
「覚り」とは、智慧の目で人間(じんかん)を見ることで、迷わされることはありません。「学び」は、赤子の心に戻って学び続けることであり、学んでこそ覚りがあるのです。先に覚る人と後に覚る人、先に学ぶ人と後に学ぶ人の繋がりのように、私たちはいつの世でも繋がっていなければなりません。教師の皆さんが永遠に幸福をもたらし続け、智慧が成長し、福と慧の双方を修められることを願っております。
(慈済月刊七〇六期より)
日常生活こそが旅
夏休みや冬休みに海外旅行へ行くのは、今の子どもたちにとって珍しいことではありませんが、家庭の事情によって旅行に行けない子どももいます。新学期が始まった後、子ども同士が比較したり、旅行に行けなかった子が気落ちしたりするのをどう防げばよいのでしょうか?
答:新学期が始まって一週間後、瑩(イン)ちゃん(仮名)は放課後、落ち込んだ様子で担任の先生のところへやってきました。クラスの多くの同級生が海外のお菓子を持ってきて皆に分けたり、旅行の話を話し合っていたりしても、彼女は横で聞いているだけで、会話に加わることができなかった、と言いました。彼女の落ち込んだ様子を見て、先生は瑩ちゃんの肩を抱きながら、いくつかの実話や、休暇を充実させる良い方法を教えてあげました。
或る先輩によると、両親はブルーカラーで、海外旅行に行く余裕がなかったそうです。しかし、その先輩は一生懸命勉強してT大学に合格し、大学の奨学金をもらって、半年間の海外交換留学に応募しました。そして休暇のたびに、近隣の観光地へ列車で出かけ、数日間旅行を楽しんでいたそうです。この半年間は、これまで叶えられなかった「海外へ行く夢」を実現し、忘れられない思い出ができたと言っていました。
「今は様々な事情で海外へ行けないかもしれないけど、それは将来も行けないという意味ではないよ。自分の力で行ける日が来れば、喜びはきっともっと大きくなると思う」と先生は心を込めて瑩ちゃんに言いました。
台湾の自然と人情に恋し
台湾には、美しい山や海など、忘れられない風景がたくさんあります。
「私はいろんな国を訪れましたが、台湾の人情味と美しい風景、おいしい食べ物ほど人を惹きつける場所は他にありません」と、或るおばあさんが言っていました。
先生が、授業中に台湾各地の特色ある観光地の映像を見せて、生徒たちに行ってみたい場所を選ばせ、交通手段、ルート、宿泊場所などを自分で調べて計画させるのも一つの方法です。そして旅行後に感想文を書かせ、学期が始まったら、発表の場を設けたらいいでしょう。きっと良い影響が広がり、生徒たちは自分の住む土地について深く知るようになり、台湾に対する愛着も深まることでしょう。
このような創意工夫にあふれた授業を通じて、生徒たちの学習意欲を引き出すことができれば、それぞれの冬休み・夏休みがより有意義なものになるはずです。
子どもの心に無限の世界を育む
冬休みや夏休みが近づくと、確かに多くの家庭では海外旅行を計画します。しかし、共働きのために長期間の旅行が難しかったり、一家全員の旅費を負担できなかったりする家庭もあります。ここで保護者の皆さんに言いたいのは、「周りがそうだから」と、無理して旅行をする必要はないということです。一旦「みんなと同じように」となると、どうしても比較したり、見栄を張ったりする心理が生まれてしまいます。
或る親子教育の専門家で双子の母親は、次のように述べたことがあります。「何事もできる範囲内で精一杯やればいいのです。実は、子どもは親が海外に連れて行ってくれるかどうかよりも、心から愛情と時間を使って一緒に過ごしてくれることを望んでいるのです。意味のない旅行に参加させるよりも、日常生活を通じて観察力や考える力を育む方が、ずっと価値があります。感受性を持った子どもは、どんなに平凡な草木でも美しいと感じ、一杯のご飯にもありがたみを感じるのです。これこそが、旅の本当の意義だと思います」。
先生は、冬休みや夏休み前に、子どもと一緒に数日の地元旅行の計画を立てることを、保護者に勧めてもいいでしょう。心を込めて子どもと一緒に、台湾の自然を満喫することで、きっと家族全員が充実を感じ、意義のある休暇になるはずです。
「心の中に無数の世界を持っている子どもこそ、遠くへ旅立つ力を持っています」と或る教育者が言いました。教師と保護者が子どもに与えることができる最も素晴らしい贈り物は、生命の素晴らしさと情熱を心から感じてもらうことです。周囲に流されず、自分の世界を豊かに広げることです。これこそ、親と教師と子供の三者が共に目指す目標にしていいのではないでしょうか。
(慈済月刊七〇三期より)
夏休みや冬休みに海外旅行へ行くのは、今の子どもたちにとって珍しいことではありませんが、家庭の事情によって旅行に行けない子どももいます。新学期が始まった後、子ども同士が比較したり、旅行に行けなかった子が気落ちしたりするのをどう防げばよいのでしょうか?
答:新学期が始まって一週間後、瑩(イン)ちゃん(仮名)は放課後、落ち込んだ様子で担任の先生のところへやってきました。クラスの多くの同級生が海外のお菓子を持ってきて皆に分けたり、旅行の話を話し合っていたりしても、彼女は横で聞いているだけで、会話に加わることができなかった、と言いました。彼女の落ち込んだ様子を見て、先生は瑩ちゃんの肩を抱きながら、いくつかの実話や、休暇を充実させる良い方法を教えてあげました。
或る先輩によると、両親はブルーカラーで、海外旅行に行く余裕がなかったそうです。しかし、その先輩は一生懸命勉強してT大学に合格し、大学の奨学金をもらって、半年間の海外交換留学に応募しました。そして休暇のたびに、近隣の観光地へ列車で出かけ、数日間旅行を楽しんでいたそうです。この半年間は、これまで叶えられなかった「海外へ行く夢」を実現し、忘れられない思い出ができたと言っていました。
「今は様々な事情で海外へ行けないかもしれないけど、それは将来も行けないという意味ではないよ。自分の力で行ける日が来れば、喜びはきっともっと大きくなると思う」と先生は心を込めて瑩ちゃんに言いました。
台湾の自然と人情に恋し
台湾には、美しい山や海など、忘れられない風景がたくさんあります。
「私はいろんな国を訪れましたが、台湾の人情味と美しい風景、おいしい食べ物ほど人を惹きつける場所は他にありません」と、或るおばあさんが言っていました。
先生が、授業中に台湾各地の特色ある観光地の映像を見せて、生徒たちに行ってみたい場所を選ばせ、交通手段、ルート、宿泊場所などを自分で調べて計画させるのも一つの方法です。そして旅行後に感想文を書かせ、学期が始まったら、発表の場を設けたらいいでしょう。きっと良い影響が広がり、生徒たちは自分の住む土地について深く知るようになり、台湾に対する愛着も深まることでしょう。
このような創意工夫にあふれた授業を通じて、生徒たちの学習意欲を引き出すことができれば、それぞれの冬休み・夏休みがより有意義なものになるはずです。
子どもの心に無限の世界を育む
冬休みや夏休みが近づくと、確かに多くの家庭では海外旅行を計画します。しかし、共働きのために長期間の旅行が難しかったり、一家全員の旅費を負担できなかったりする家庭もあります。ここで保護者の皆さんに言いたいのは、「周りがそうだから」と、無理して旅行をする必要はないということです。一旦「みんなと同じように」となると、どうしても比較したり、見栄を張ったりする心理が生まれてしまいます。
或る親子教育の専門家で双子の母親は、次のように述べたことがあります。「何事もできる範囲内で精一杯やればいいのです。実は、子どもは親が海外に連れて行ってくれるかどうかよりも、心から愛情と時間を使って一緒に過ごしてくれることを望んでいるのです。意味のない旅行に参加させるよりも、日常生活を通じて観察力や考える力を育む方が、ずっと価値があります。感受性を持った子どもは、どんなに平凡な草木でも美しいと感じ、一杯のご飯にもありがたみを感じるのです。これこそが、旅の本当の意義だと思います」。
先生は、冬休みや夏休み前に、子どもと一緒に数日の地元旅行の計画を立てることを、保護者に勧めてもいいでしょう。心を込めて子どもと一緒に、台湾の自然を満喫することで、きっと家族全員が充実を感じ、意義のある休暇になるはずです。
「心の中に無数の世界を持っている子どもこそ、遠くへ旅立つ力を持っています」と或る教育者が言いました。教師と保護者が子どもに与えることができる最も素晴らしい贈り物は、生命の素晴らしさと情熱を心から感じてもらうことです。周囲に流されず、自分の世界を豊かに広げることです。これこそ、親と教師と子供の三者が共に目指す目標にしていいのではないでしょうか。
(慈済月刊七〇三期より)
二十八至二十九日 從改變自己開始
8.28~29《農七月‧初六至初七》
【靜思小語】對家人真誠的愛,也要用溫柔的言語表達。
佛教慈濟在佛陀故鄉
八月二十八日人文志策會中,上人提及早期的《慈濟》月刊,以及慈濟相關的文宣,是由自己執筆,而當時寫稿捨不得用稿紙,也是寫在日曆紙上,所以「佛教克難慈濟功德會」是名副其實的克難。很感恩現在科技發達,可以透過網路視訊,讓身在世界各地的人即時聽見聲音、看見影像,傳法的媒介有很多種。
「我們總是『說我所做,做我所說』,向大家說我們要做的事情,也真的做出來了。同仁與志工都有共同一個名稱─慈濟人,大家做事情都會想著師父,師父的心與你們的心相連,你們所做的都是師父想做的。」上人說,大愛臺同仁到佛陀的故鄉採訪,是代替其去走、去看、去付出,「我靠著你們當我的眼睛,當作我親自到訪,把當地的苦相或是有愛的善行等等,全部記錄下來,讓我更理解我所關心的佛陀故鄉。」
每次想到同仁們前往尼泊爾藍毘尼、印度菩提迦耶等地,當地天氣炎熱,生活環境不佳,與居民語言不通,生活習慣截然不同而很辛苦,內心會覺得很感動,上人也希望大家詳細記述在當地的見聞,而佛陀故鄉專案團隊若將當地訊息傳回臺灣,人文志業就要用心整理並發表。
「我們現在所做的事,就是實踐佛陀所教導的菩薩法。要如何讓菩薩遍布在人間?就要靠大愛臺的媒體傳播力量,淨化人心、祥和社會、傳承佛法。這個時代的尼泊爾人,普遍不知道佛陀在藍毘尼出生,是一個小國的太子,而且時間過了很久,佛世時的建築大多已經毀壞無蹤,要如何將佛陀的故事流傳下來?有的人若知道佛陀的故事,也不把它當真,或演變成以訛傳訛的神話。」
上人說,此時有好因緣,慈濟在這個時代成立,也有人文志業,且慈濟人已經踏上佛陀故鄉,為翻轉苦難而付出心力,並追尋佛陀足跡,呈現當地景物,請大家共同為佛教、為眾生而彙整佛教慈濟在佛陀故鄉的慈善足跡。
「剛才說撕日曆紙寫稿,那個時候很克難,六十年一路走來,這時候看到這麼多與我同心、同志願的慈濟人,做師父想要做的事,說師父在說的話,並且身體力行,走師父想走的路,每一位慈濟人都是『我』,人人都與我貼心。你們若關心師父、愛師父,就要多發心,代替我看、代替我說、代替我行,還要把過去所做的寫下來,為人間留歷史,也讓慈濟能夠永恆鞏固在人間,將佛教精神鋪展在國際間。」上人感恩大家「做我所做,行我所行,說我所說」,並期勉同仁把握生命,善用此身傳慧命─發揮身體功能,傳佛法的慧命。
慢慢鬆開扭緊的心結
印尼第三梯次四合一幹部返臺尋根,八月二十九日與上人座談,齊唱〈行願半世紀〉並發願:「體悟佛心即為己心,領受師志奉為己志,生生世世誓為佛教,心心念念誠為眾生。」
上人開示:「『為佛教,為眾生』是我的心願,佛陀不斷地為眾生說法,希望人人都有體會;人間最容易體會的就是苦,因為眾生在過去的生生世世都在煩惱中,養成不好的習氣,想不開,就累積愈多煩惱。這一生,我們很有緣,印尼有慈濟人,從一顆、二顆種子,慢慢衍生無數種子;在印尼各地,總是先有因緣,就由慈濟人開始播種,就地接引人來理解佛法。」
「過去懵懵懂懂,都是以自己為中心,只關心『我』,拚命地爭取我想要的,要而不得就產生煩惱,這就是凡夫。凡夫都有煩惱,你不讓我、我不讓你,煩惱中更增煩惱,扭曲了人間這一條康莊的正道,彼此糾結,更不能聽到正確的法。而我們現在有好因緣,接受佛法、做慈濟,解開心靈的煩惱,將扭得很緊的結慢慢鬆開,不再糾結。放鬆了自己的心,還要聞法,讓好的方法都進入心坎裏,對人間的看法就會與過去不一樣。過去是一直想占有,希望自己更多還要更多,現在已經放寬心,也認識自己有用之不盡的善法,這就是生命中的財富。」
上人指出,生命中的財富就是善法的種子,不只種在自己的心地,還要往別人的心地去播種。「人人都有一片心地,人人也都有煩惱,當因緣會合時,旁人看到我們的心門敞開,而且經過播種、耕耘,有豐富的收穫,他們就會被我們的言行打動。我們耕耘心田有收穫,與別人分享,對方就等於接收到我們的種子,將種子播入心田,自我耕耘,他們也會有收穫而開心、歡喜。所以法喜要多分享,讓愈多人聽到、看到而歡喜學習。我們傳法給別人,自己心裏的種子不會變少,總是富而有餘,永遠都有充足的種子可以給別人,永遠都有法可以度眾生。」
「剛剛聽幾位分享,因為與家人計較,心結扭得很緊,現在已經放鬆了,原來是自己改變了,讓家人另眼相待也受到你們度化。而你們在這裏歡喜地與大家分享,就是撒播種子。所以好話多分享,好事要多做,對的事要精進,讓身旁的人看到自己的改變,影響他們一起投入。從家人、家庭的改變,影響力漸漸擴大到社區、社會,讓家家幸福、社區和樂。」
「大家盤點自己的生命,比起我們做慈善時接觸到的苦難人,人生都很幸福、很有福;若覺得不滿意,是自己的心不滿足。對於家裏的人,因為太熟悉了,說話直來直往,想到什麼就說什麼;有什麼不滿,就直接表達,讓人不歡喜,相互說不好的話刺激、刺痛彼此。」
「其實我們與家人哪有這麼深的仇怨?本來都是愛對方,也因為愛得深,所以稍微加重一點語氣,就被刺痛了。所以大家說話還是要輕柔,用溫柔的言語表達真誠的愛。」上人談到慈濟人都能耐心溫柔地對非親非故的照顧戶、受災戶,甚至與他們長期互動,循循善誘,影響他們改變觀念與行為,徹底翻轉人生,對於自己的家人,更應該真誠耐心互動。
「常常看到大愛臺的畫面中,慈濟人到苦難人家裏訪視,環境髒亂,個案久未洗浴,身上髒污,想必也有難聞的氣味,但慈濟人面不改色,還是走到個案身旁,擁抱、膚慰他們。慈濟人不是沒有聞到異味,但是因為心中有愛,所以特別勇敢,這分愛是真誠的愛。所以說慈濟是菩薩團體,是一個很開闊的道場,用人間的各種形相凝聚大家,開闢一條寬廣的菩薩道讓大家走;這一條菩薩道,大家一面走,一面往前開拓,就會愈來愈開闊。」
上人說,眾生煩惱深重,以致世間的濁氣濃重,眾生共業的業力很強。人人各自在家裏養成不好的習慣,例如說話很大聲、態度不好,對家人是這樣,習慣成自然,到了外面與人互動也是這樣,就容易產生衝突。如果人人都是如此,社會就不能平安,整個大環境的濁氣很重。
「我們行菩薩道,也要把家人當成自己要關懷的人,所以要以身作則,讓他們看見典範;找機會將我們聽到的道理,也讓他們看到、聽到,帶著他們做到。」上人說,菩薩度眾生,就要教育眾生;要教育人間,就從家裏開始教育。
「過去家人大聲說話,你們也大聲回應;現在他們大聲說話,你們輕聲細語,用柔和的態度回應,漸漸讓家庭氣氛變得和樂。鄰居看見你們的家改變了,也會受影響,學習你們改變態度,使家家戶戶都變得和樂。希望你們把這些方法帶回去,與家人、鄰里互動,造福你們的子孫,世世代代都能生活在和樂的人間淨土。」
《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。
靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。
本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。
8.28~29《農七月‧初六至初七》
【靜思小語】對家人真誠的愛,也要用溫柔的言語表達。
佛教慈濟在佛陀故鄉
八月二十八日人文志策會中,上人提及早期的《慈濟》月刊,以及慈濟相關的文宣,是由自己執筆,而當時寫稿捨不得用稿紙,也是寫在日曆紙上,所以「佛教克難慈濟功德會」是名副其實的克難。很感恩現在科技發達,可以透過網路視訊,讓身在世界各地的人即時聽見聲音、看見影像,傳法的媒介有很多種。
「我們總是『說我所做,做我所說』,向大家說我們要做的事情,也真的做出來了。同仁與志工都有共同一個名稱─慈濟人,大家做事情都會想著師父,師父的心與你們的心相連,你們所做的都是師父想做的。」上人說,大愛臺同仁到佛陀的故鄉採訪,是代替其去走、去看、去付出,「我靠著你們當我的眼睛,當作我親自到訪,把當地的苦相或是有愛的善行等等,全部記錄下來,讓我更理解我所關心的佛陀故鄉。」
每次想到同仁們前往尼泊爾藍毘尼、印度菩提迦耶等地,當地天氣炎熱,生活環境不佳,與居民語言不通,生活習慣截然不同而很辛苦,內心會覺得很感動,上人也希望大家詳細記述在當地的見聞,而佛陀故鄉專案團隊若將當地訊息傳回臺灣,人文志業就要用心整理並發表。
「我們現在所做的事,就是實踐佛陀所教導的菩薩法。要如何讓菩薩遍布在人間?就要靠大愛臺的媒體傳播力量,淨化人心、祥和社會、傳承佛法。這個時代的尼泊爾人,普遍不知道佛陀在藍毘尼出生,是一個小國的太子,而且時間過了很久,佛世時的建築大多已經毀壞無蹤,要如何將佛陀的故事流傳下來?有的人若知道佛陀的故事,也不把它當真,或演變成以訛傳訛的神話。」
上人說,此時有好因緣,慈濟在這個時代成立,也有人文志業,且慈濟人已經踏上佛陀故鄉,為翻轉苦難而付出心力,並追尋佛陀足跡,呈現當地景物,請大家共同為佛教、為眾生而彙整佛教慈濟在佛陀故鄉的慈善足跡。
「剛才說撕日曆紙寫稿,那個時候很克難,六十年一路走來,這時候看到這麼多與我同心、同志願的慈濟人,做師父想要做的事,說師父在說的話,並且身體力行,走師父想走的路,每一位慈濟人都是『我』,人人都與我貼心。你們若關心師父、愛師父,就要多發心,代替我看、代替我說、代替我行,還要把過去所做的寫下來,為人間留歷史,也讓慈濟能夠永恆鞏固在人間,將佛教精神鋪展在國際間。」上人感恩大家「做我所做,行我所行,說我所說」,並期勉同仁把握生命,善用此身傳慧命─發揮身體功能,傳佛法的慧命。
慢慢鬆開扭緊的心結
印尼第三梯次四合一幹部返臺尋根,八月二十九日與上人座談,齊唱〈行願半世紀〉並發願:「體悟佛心即為己心,領受師志奉為己志,生生世世誓為佛教,心心念念誠為眾生。」
上人開示:「『為佛教,為眾生』是我的心願,佛陀不斷地為眾生說法,希望人人都有體會;人間最容易體會的就是苦,因為眾生在過去的生生世世都在煩惱中,養成不好的習氣,想不開,就累積愈多煩惱。這一生,我們很有緣,印尼有慈濟人,從一顆、二顆種子,慢慢衍生無數種子;在印尼各地,總是先有因緣,就由慈濟人開始播種,就地接引人來理解佛法。」
「過去懵懵懂懂,都是以自己為中心,只關心『我』,拚命地爭取我想要的,要而不得就產生煩惱,這就是凡夫。凡夫都有煩惱,你不讓我、我不讓你,煩惱中更增煩惱,扭曲了人間這一條康莊的正道,彼此糾結,更不能聽到正確的法。而我們現在有好因緣,接受佛法、做慈濟,解開心靈的煩惱,將扭得很緊的結慢慢鬆開,不再糾結。放鬆了自己的心,還要聞法,讓好的方法都進入心坎裏,對人間的看法就會與過去不一樣。過去是一直想占有,希望自己更多還要更多,現在已經放寬心,也認識自己有用之不盡的善法,這就是生命中的財富。」
上人指出,生命中的財富就是善法的種子,不只種在自己的心地,還要往別人的心地去播種。「人人都有一片心地,人人也都有煩惱,當因緣會合時,旁人看到我們的心門敞開,而且經過播種、耕耘,有豐富的收穫,他們就會被我們的言行打動。我們耕耘心田有收穫,與別人分享,對方就等於接收到我們的種子,將種子播入心田,自我耕耘,他們也會有收穫而開心、歡喜。所以法喜要多分享,讓愈多人聽到、看到而歡喜學習。我們傳法給別人,自己心裏的種子不會變少,總是富而有餘,永遠都有充足的種子可以給別人,永遠都有法可以度眾生。」
「剛剛聽幾位分享,因為與家人計較,心結扭得很緊,現在已經放鬆了,原來是自己改變了,讓家人另眼相待也受到你們度化。而你們在這裏歡喜地與大家分享,就是撒播種子。所以好話多分享,好事要多做,對的事要精進,讓身旁的人看到自己的改變,影響他們一起投入。從家人、家庭的改變,影響力漸漸擴大到社區、社會,讓家家幸福、社區和樂。」
「大家盤點自己的生命,比起我們做慈善時接觸到的苦難人,人生都很幸福、很有福;若覺得不滿意,是自己的心不滿足。對於家裏的人,因為太熟悉了,說話直來直往,想到什麼就說什麼;有什麼不滿,就直接表達,讓人不歡喜,相互說不好的話刺激、刺痛彼此。」
「其實我們與家人哪有這麼深的仇怨?本來都是愛對方,也因為愛得深,所以稍微加重一點語氣,就被刺痛了。所以大家說話還是要輕柔,用溫柔的言語表達真誠的愛。」上人談到慈濟人都能耐心溫柔地對非親非故的照顧戶、受災戶,甚至與他們長期互動,循循善誘,影響他們改變觀念與行為,徹底翻轉人生,對於自己的家人,更應該真誠耐心互動。
「常常看到大愛臺的畫面中,慈濟人到苦難人家裏訪視,環境髒亂,個案久未洗浴,身上髒污,想必也有難聞的氣味,但慈濟人面不改色,還是走到個案身旁,擁抱、膚慰他們。慈濟人不是沒有聞到異味,但是因為心中有愛,所以特別勇敢,這分愛是真誠的愛。所以說慈濟是菩薩團體,是一個很開闊的道場,用人間的各種形相凝聚大家,開闢一條寬廣的菩薩道讓大家走;這一條菩薩道,大家一面走,一面往前開拓,就會愈來愈開闊。」
上人說,眾生煩惱深重,以致世間的濁氣濃重,眾生共業的業力很強。人人各自在家裏養成不好的習慣,例如說話很大聲、態度不好,對家人是這樣,習慣成自然,到了外面與人互動也是這樣,就容易產生衝突。如果人人都是如此,社會就不能平安,整個大環境的濁氣很重。
「我們行菩薩道,也要把家人當成自己要關懷的人,所以要以身作則,讓他們看見典範;找機會將我們聽到的道理,也讓他們看到、聽到,帶著他們做到。」上人說,菩薩度眾生,就要教育眾生;要教育人間,就從家裏開始教育。
「過去家人大聲說話,你們也大聲回應;現在他們大聲說話,你們輕聲細語,用柔和的態度回應,漸漸讓家庭氣氛變得和樂。鄰居看見你們的家改變了,也會受影響,學習你們改變態度,使家家戶戶都變得和樂。希望你們把這些方法帶回去,與家人、鄰里互動,造福你們的子孫,世世代代都能生活在和樂的人間淨土。」
《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。
靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。
本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。
二十四日 做事也要做人
8.24《農七月‧初二》
【靜思小語】心寬念純,就沒有是非。說話婉轉一點、態度柔和一點,好事就成了。
慈濟所需要的人才
與志業體主管談人才培養,上人說:「要培養的人才,要與我們有相同的志願方向。慈濟不是企業,是志業,不是為了營利而評估人才的能力,我們是以人為重,所需要的是真正能夠延續師父的精神,『為佛教,為眾生』的人才。所以要培養好的主管,為我們帶動出好的人才,為人間做好的事,故而注重的是品德。」
上人指出,宗教精神就是人的本性,所以各正信宗教的教法皆教導人回歸本性。「人人本具清淨的自性,只是不知多久以前就隨著境界產生無明煩惱,早已脫離了本性,就如古人說『近朱者赤,近墨者黑』,養成了不同的習氣,把清淨本性蓋住了。」
「我不會要人一定要信仰佛教,但是要承擔志業重任的人,一定要了解、尊重法脈宗門。就如我尊重每一個宗教,但是我信仰的是佛教,道場裏面的佛像,是為了讓人知道方向─佛教徒禮佛,是基本的禮儀,『禮者,理也』,禮節代表道理。」
「我們不能脫離法脈的精神理念,要有法脈精神,就要常來親近師父的精神法脈,而靜思道場就是法脈的家,也是所有慈濟人、志業體主管同仁的家。」上人說,法脈宗門的家,也是「如來家」;所需要的人才即使並非佛教徒,也要肯定「如來家」,具有佛教的精神理念,有道德、守禮儀。就如土耳其胡光中師兄,是很虔誠的穆斯林,但是他投入慈濟,也尊重佛教禮節,雖然不跪拜,仍用伊斯蘭教的禮節致最敬禮。
「禮者,理也;他做慈濟,還是如規如矩,出去與人互動,不排斥佛教,而且尊重佛教。各人有信仰,要守他們宗教的禮節,但是共同在慈濟團體中,也要尊重佛教。所以你們若培養人才,就要常帶進來精舍這個家。」
人事管理要用情牽
蔡堆師兄陪同臺東仁愛之家洪堯山董事長伉儷、林炎煌常董、黃秋美護理長等一行到精舍拜會上人。洪董事長為創辦人洪掛老先生的孫子,前任董事長、現為常董的李壬癸師兄也是資深慈濟委員,亦感恩慈濟在二○一九年援建仁愛之家「互愛樓」。
上人說:「很佩服臺東仁愛之家,經營公益事業實在很不容易,尤其現在人口老化,年輕人愈來愈少,很多年長者必須依賴機構照顧,這是很無奈的狀況。不過,許多人即使年紀大,身體還很健康,頭腦還很清楚,應該鼓勵這些長者持續在社會上發揮良能。」
「曾聽人說時間到就要趕快退休,讓年輕人有機會發揮。但是新的人才還沒有培養起來,經驗老到的人卻退休了,也會產生問題。人事管理要用情牽,這分情是清淨的覺有情,發自真誠善良的心。覺有情就是菩薩的精神,仁愛之家也是菩薩志業,因為大家都是為了照顧年長者而用愛投入。」
上人說,老人家在年輕時為家庭、為社會而努力工作,現在老了,由政府單位、社會機構來照顧,其實是回報他們過去的付出。「我們有現在這麼舒適的生活環境,方便的交通運輸和通訊,是這幾十年來各行各業的人辛苦工作而得,生活在這片土地上的人都要感恩以對;有感恩心才懂得回饋、回報,讓社會更平安。」
談及現在護理人力吃緊,是醫療、照護相關機構普遍面臨的問題,上人說,其實年紀較大的工作人員也不必早早退休,還能做就繼續發揮良能,與機構內的老人家相伴,用「情」來照顧衰老、體弱而臥床的人。另一方面也要用情牽緊年輕人、中壯年的工作人員,讓大家把身心安穩下來。
上人提到自己年輕時剛來到東部,就常常聽到有人提起洪掛老先生,是救濟貧困的善心人士。後來做慈濟,發現臺中洪志成師兄等人是洪老先生的子孫後輩,令人讚歎這是個行善的好家族。好人也可以影響地方風氣,帶動很多好人,這就是好人的人生價值。
上人表示,懂得做人,而且對人間有善的影響,可以作為人品典範,教育社會大眾。洪老先生從中部到臺東經營事業,並且創辦臺東救濟院,就是仁愛之家的前身,現在要靠子孫延續洪老先生的精神理念,用愛傳家,世世代代都承擔起照顧失能長者、身心障礙者的志業。
「有這麼好的志業,就要堅持與努力;只要我們誠正信實,把志業做得好,自然就會得到大眾的支持,有許多志同道合的人來投入,把志業做得更好,讓孤老無依的人有依靠。」上人與洪董事長等人共勉。
期待大家心貼著心
上人對醫療志業主管同仁說,事在人為,無論科學、科技發展到什麼程度,都需要有人去使用、操作科學研發成果與器械;學術與技術是相輔相成的,要合和互協,共同朝著利益人間的方向前進。
「要成就一件好事,如古人所言,要勞其筋骨,或是要用腦、用心去思考,並發揮高超技術。所以說科技發展得再好,最重要的還是人,要靠人將技術運用於利益人間,否則稍有偏向,就會為禍人間。醫療、教育的研究都是為了利益人群,既然立意相同,人與人之間更要合,相處互動時要很用心,不要因為講話、態度而起摩擦。」
「我們共同為慈濟而做事,慈濟的慈,就是無緣大慈。我們彼此非親非故,但是為了做好這件利益人群的事而會合,因緣很難得。慈濟為人間做事,都不是為了牟利,只是因為該做的事沒人做,我們就承擔起來。師父就是來到花蓮以後,看到貧窮、病苦的人而不忍心,才會做慈善、辦義診;因為辦義診,發現很多疑難雜症,當時花蓮的醫療無法解救,才會蓋醫院,這都是因緣。我沒有醫療專業,也不會經營醫院,要依靠專業人員,這幾十年來的慈濟志業,都要依靠大家。」
「師父很有福,此生都遇到好人、好因緣,慈濟才有辦法做到現在的成果。所以大家要把握這個好因緣,做事的同時也要培養好人格,對的事,我們用心去做,不要因為遭遇不好的聲色就停步;說話婉轉一點,態度柔和一點,好事就成了。請大家多包容彼此,該做的我們持續用心做好。」
「人生苦難多,其實病痛總是有藥醫,最怕的是心病,來自於人與人之間,自己覺得被他人障礙。不過,哪怕是有障礙,也應該為了該做的事而突破障礙。其實聲色不佳、態度不好,都是出於習氣,困擾別人也困擾自己;雖然說話沒有惡意,但是聽的人總覺得對方說這句話是針對自己。人與人之間要圓融,就要合和互協,何況大家在慈濟團體,是以利益人間而付出為核心精神。」
「師父做慈濟是為了利益人群、愛護眾生,而大家與師父一起做事,把師父放在中心,軸心若正,周圍就不會偏;心寬念純,就沒有是非,這是個人的修養。說話的其實也無惡意,說了就過了,聽的人就覺得被針對、覺得受傷,其實說的人無知無覺,聽的人卻自我傷害。」
「我們這個團體真的很美,核心很正確,我對大家都很感恩,師父什麼都不會,但是每一位學有專精,各自的良能會合起來,就能發揮救人的大力量。」上人說,人人都是好人,都想要救人,但若好人沒有好技術也無可奈何。而團隊成員有技術,與本性的善念會合,用良心、良知發揮學來的功夫,故謂良能。期待大家的心來貼師父的心,師父的心願由大家發揮良能而成就,最歡喜聽到的,就是病人得到救助,拔除了苦難。
如同希望孩子有好教養,父母長輩就要做好典範,上人表示作為團體的領導者,心要寬、念要純,期待主管們既有才能且心胸寬廣,這就是學德;人人有學養,可以發揮真功夫以及涵養德行。
《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。
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8.24《農七月‧初二》
【靜思小語】心寬念純,就沒有是非。說話婉轉一點、態度柔和一點,好事就成了。
慈濟所需要的人才
與志業體主管談人才培養,上人說:「要培養的人才,要與我們有相同的志願方向。慈濟不是企業,是志業,不是為了營利而評估人才的能力,我們是以人為重,所需要的是真正能夠延續師父的精神,『為佛教,為眾生』的人才。所以要培養好的主管,為我們帶動出好的人才,為人間做好的事,故而注重的是品德。」
上人指出,宗教精神就是人的本性,所以各正信宗教的教法皆教導人回歸本性。「人人本具清淨的自性,只是不知多久以前就隨著境界產生無明煩惱,早已脫離了本性,就如古人說『近朱者赤,近墨者黑』,養成了不同的習氣,把清淨本性蓋住了。」
「我不會要人一定要信仰佛教,但是要承擔志業重任的人,一定要了解、尊重法脈宗門。就如我尊重每一個宗教,但是我信仰的是佛教,道場裏面的佛像,是為了讓人知道方向─佛教徒禮佛,是基本的禮儀,『禮者,理也』,禮節代表道理。」
「我們不能脫離法脈的精神理念,要有法脈精神,就要常來親近師父的精神法脈,而靜思道場就是法脈的家,也是所有慈濟人、志業體主管同仁的家。」上人說,法脈宗門的家,也是「如來家」;所需要的人才即使並非佛教徒,也要肯定「如來家」,具有佛教的精神理念,有道德、守禮儀。就如土耳其胡光中師兄,是很虔誠的穆斯林,但是他投入慈濟,也尊重佛教禮節,雖然不跪拜,仍用伊斯蘭教的禮節致最敬禮。
「禮者,理也;他做慈濟,還是如規如矩,出去與人互動,不排斥佛教,而且尊重佛教。各人有信仰,要守他們宗教的禮節,但是共同在慈濟團體中,也要尊重佛教。所以你們若培養人才,就要常帶進來精舍這個家。」
人事管理要用情牽
蔡堆師兄陪同臺東仁愛之家洪堯山董事長伉儷、林炎煌常董、黃秋美護理長等一行到精舍拜會上人。洪董事長為創辦人洪掛老先生的孫子,前任董事長、現為常董的李壬癸師兄也是資深慈濟委員,亦感恩慈濟在二○一九年援建仁愛之家「互愛樓」。
上人說:「很佩服臺東仁愛之家,經營公益事業實在很不容易,尤其現在人口老化,年輕人愈來愈少,很多年長者必須依賴機構照顧,這是很無奈的狀況。不過,許多人即使年紀大,身體還很健康,頭腦還很清楚,應該鼓勵這些長者持續在社會上發揮良能。」
「曾聽人說時間到就要趕快退休,讓年輕人有機會發揮。但是新的人才還沒有培養起來,經驗老到的人卻退休了,也會產生問題。人事管理要用情牽,這分情是清淨的覺有情,發自真誠善良的心。覺有情就是菩薩的精神,仁愛之家也是菩薩志業,因為大家都是為了照顧年長者而用愛投入。」
上人說,老人家在年輕時為家庭、為社會而努力工作,現在老了,由政府單位、社會機構來照顧,其實是回報他們過去的付出。「我們有現在這麼舒適的生活環境,方便的交通運輸和通訊,是這幾十年來各行各業的人辛苦工作而得,生活在這片土地上的人都要感恩以對;有感恩心才懂得回饋、回報,讓社會更平安。」
談及現在護理人力吃緊,是醫療、照護相關機構普遍面臨的問題,上人說,其實年紀較大的工作人員也不必早早退休,還能做就繼續發揮良能,與機構內的老人家相伴,用「情」來照顧衰老、體弱而臥床的人。另一方面也要用情牽緊年輕人、中壯年的工作人員,讓大家把身心安穩下來。
上人提到自己年輕時剛來到東部,就常常聽到有人提起洪掛老先生,是救濟貧困的善心人士。後來做慈濟,發現臺中洪志成師兄等人是洪老先生的子孫後輩,令人讚歎這是個行善的好家族。好人也可以影響地方風氣,帶動很多好人,這就是好人的人生價值。
上人表示,懂得做人,而且對人間有善的影響,可以作為人品典範,教育社會大眾。洪老先生從中部到臺東經營事業,並且創辦臺東救濟院,就是仁愛之家的前身,現在要靠子孫延續洪老先生的精神理念,用愛傳家,世世代代都承擔起照顧失能長者、身心障礙者的志業。
「有這麼好的志業,就要堅持與努力;只要我們誠正信實,把志業做得好,自然就會得到大眾的支持,有許多志同道合的人來投入,把志業做得更好,讓孤老無依的人有依靠。」上人與洪董事長等人共勉。
期待大家心貼著心
上人對醫療志業主管同仁說,事在人為,無論科學、科技發展到什麼程度,都需要有人去使用、操作科學研發成果與器械;學術與技術是相輔相成的,要合和互協,共同朝著利益人間的方向前進。
「要成就一件好事,如古人所言,要勞其筋骨,或是要用腦、用心去思考,並發揮高超技術。所以說科技發展得再好,最重要的還是人,要靠人將技術運用於利益人間,否則稍有偏向,就會為禍人間。醫療、教育的研究都是為了利益人群,既然立意相同,人與人之間更要合,相處互動時要很用心,不要因為講話、態度而起摩擦。」
「我們共同為慈濟而做事,慈濟的慈,就是無緣大慈。我們彼此非親非故,但是為了做好這件利益人群的事而會合,因緣很難得。慈濟為人間做事,都不是為了牟利,只是因為該做的事沒人做,我們就承擔起來。師父就是來到花蓮以後,看到貧窮、病苦的人而不忍心,才會做慈善、辦義診;因為辦義診,發現很多疑難雜症,當時花蓮的醫療無法解救,才會蓋醫院,這都是因緣。我沒有醫療專業,也不會經營醫院,要依靠專業人員,這幾十年來的慈濟志業,都要依靠大家。」
「師父很有福,此生都遇到好人、好因緣,慈濟才有辦法做到現在的成果。所以大家要把握這個好因緣,做事的同時也要培養好人格,對的事,我們用心去做,不要因為遭遇不好的聲色就停步;說話婉轉一點,態度柔和一點,好事就成了。請大家多包容彼此,該做的我們持續用心做好。」
「人生苦難多,其實病痛總是有藥醫,最怕的是心病,來自於人與人之間,自己覺得被他人障礙。不過,哪怕是有障礙,也應該為了該做的事而突破障礙。其實聲色不佳、態度不好,都是出於習氣,困擾別人也困擾自己;雖然說話沒有惡意,但是聽的人總覺得對方說這句話是針對自己。人與人之間要圓融,就要合和互協,何況大家在慈濟團體,是以利益人間而付出為核心精神。」
「師父做慈濟是為了利益人群、愛護眾生,而大家與師父一起做事,把師父放在中心,軸心若正,周圍就不會偏;心寬念純,就沒有是非,這是個人的修養。說話的其實也無惡意,說了就過了,聽的人就覺得被針對、覺得受傷,其實說的人無知無覺,聽的人卻自我傷害。」
「我們這個團體真的很美,核心很正確,我對大家都很感恩,師父什麼都不會,但是每一位學有專精,各自的良能會合起來,就能發揮救人的大力量。」上人說,人人都是好人,都想要救人,但若好人沒有好技術也無可奈何。而團隊成員有技術,與本性的善念會合,用良心、良知發揮學來的功夫,故謂良能。期待大家的心來貼師父的心,師父的心願由大家發揮良能而成就,最歡喜聽到的,就是病人得到救助,拔除了苦難。
如同希望孩子有好教養,父母長輩就要做好典範,上人表示作為團體的領導者,心要寬、念要純,期待主管們既有才能且心胸寬廣,這就是學德;人人有學養,可以發揮真功夫以及涵養德行。
《證嚴上人衲履足跡》,是「上人之日記」。
靜思精舍常住每日敬侍師側、記錄言行,經融會貫通於心,轉化為字字珠璣,彙整結集,每年四冊,依春、夏、秋、冬四季出版。
本專欄即精簡摘錄自《證嚴上人衲履足跡》,完整版本請關注每季最新出版品。
愛物惜物,一見有情
編者的話
編者的話
兩個月前「衲履足跡」專欄有一篇談及環境問題,上人說,大地生產萬物,蘊含製造生活用品的原料,供應人們安然生活,人們不應該製造問題、也不能製造破壞,更要用感恩心保護大地環境,「感恩大地,就要愛物、惜物,『一見有情』,看到就會珍惜。」
《慈濟》月刊兩位記者本期採訪了位於臺北都會區的慈濟「惜福屋」―就是指環保回收或民眾捐贈衣物、書籍及生活用品等,在經過志工整理、分類、陳列,提供民眾選用,或是轉贈給非營利機構或弱勢家庭。
在許多慈濟環保教育站都有這樣的空間,但由於「進貨」無法預期、「出貨」也是隨緣,往往給人有堆積和凌亂之聯想;然而在經過設計師巧手與整理師指導,慈濟中山八德惜福屋可說面目一新,空間的「親近感」倍增,提升人們使用二手物品的意願,儼然成為社區「循環經濟」的示範場所。
生活用品在經過環保站而再生,延續了物命;整理這些物品的環保志工,惜福同時修福,在付出中也提升自己生命的價值。
隨著少子化與高齡化趨勢,慈濟高齡志工占比頗高,其中環保志工六十五歲以上者逾七成。他們數十年來如一日地在環保站活動,讓遍布全臺一萬一千多處的環保站或環保點本身,成為社區長照功能場所,可說是能有效減緩老化及失能的免費長照。
根據美國中情局(CIA)今年公布二○二四年全球生育率,在二百二十七個國家地區中,臺灣排名倒數第一。另一方面,臺灣高齡人口比例從百分之十四邁入今年的百分之二十,前後竟只花了七年,老化速度堪稱世界第一。「少生」與「快老」,讓已進入超高齡社會的臺灣長照需求,急速浮上臺面。
一如本期「慈濟SDGs系列報導」中,大林慈濟醫院老人醫學科張舜欽醫師所言,「衰弱不是正常的老化」、「失能比共病更容易影響長者」,也就是說,長輩難免有慢性病,但比較起來,失能、失智的問題更大。
健康促進(health promotion)的核心內容之一,就是延緩長輩的失能、失智―這也是慈濟在全臺一百二十五個社區關懷據點所努力的方向,透過體適能訓練、認知刺激、心靈支持及環保桌遊等活動,讓不可避免的老化,老得更健康!
編者的話
編者的話
兩個月前「衲履足跡」專欄有一篇談及環境問題,上人說,大地生產萬物,蘊含製造生活用品的原料,供應人們安然生活,人們不應該製造問題、也不能製造破壞,更要用感恩心保護大地環境,「感恩大地,就要愛物、惜物,『一見有情』,看到就會珍惜。」
《慈濟》月刊兩位記者本期採訪了位於臺北都會區的慈濟「惜福屋」―就是指環保回收或民眾捐贈衣物、書籍及生活用品等,在經過志工整理、分類、陳列,提供民眾選用,或是轉贈給非營利機構或弱勢家庭。
在許多慈濟環保教育站都有這樣的空間,但由於「進貨」無法預期、「出貨」也是隨緣,往往給人有堆積和凌亂之聯想;然而在經過設計師巧手與整理師指導,慈濟中山八德惜福屋可說面目一新,空間的「親近感」倍增,提升人們使用二手物品的意願,儼然成為社區「循環經濟」的示範場所。
生活用品在經過環保站而再生,延續了物命;整理這些物品的環保志工,惜福同時修福,在付出中也提升自己生命的價值。
隨著少子化與高齡化趨勢,慈濟高齡志工占比頗高,其中環保志工六十五歲以上者逾七成。他們數十年來如一日地在環保站活動,讓遍布全臺一萬一千多處的環保站或環保點本身,成為社區長照功能場所,可說是能有效減緩老化及失能的免費長照。
根據美國中情局(CIA)今年公布二○二四年全球生育率,在二百二十七個國家地區中,臺灣排名倒數第一。另一方面,臺灣高齡人口比例從百分之十四邁入今年的百分之二十,前後竟只花了七年,老化速度堪稱世界第一。「少生」與「快老」,讓已進入超高齡社會的臺灣長照需求,急速浮上臺面。
一如本期「慈濟SDGs系列報導」中,大林慈濟醫院老人醫學科張舜欽醫師所言,「衰弱不是正常的老化」、「失能比共病更容易影響長者」,也就是說,長輩難免有慢性病,但比較起來,失能、失智的問題更大。
健康促進(health promotion)的核心內容之一,就是延緩長輩的失能、失智―這也是慈濟在全臺一百二十五個社區關懷據點所努力的方向,透過體適能訓練、認知刺激、心靈支持及環保桌遊等活動,讓不可避免的老化,老得更健康!
老而不衰 鍛鍊五大力
常說衰老,其實衰弱跟老化是不一樣的;
當感覺動作稍微變慢,有時不是老化而是衰弱。
避免從衰弱掉到失能,就要把握黃金時間,
鍛鍊活動力、飲食力、輸出力、好腦力及社會力。
常說衰老,其實衰弱跟老化是不一樣的;當感覺動作稍微變慢,有時不是老化而是衰弱。
避免從衰弱掉到失能,就要把握黃金時間,鍛鍊活動力、飲食力、輸出力、好腦力及社會力。
今年世界壯年運動會,高齡八十八歲的「噴射機阿嬤」林潘秀雲以二十七秒十的成績,勇奪八十五歲以上女子一百公尺短跑金牌,顛覆了很多人以為「老本來就會衰弱」的錯誤印象。人們常說衰老、衰老,其實衰弱跟老化是不一樣的,也有人「老而不衰」,就像噴射機阿嬤;還有英國女王伊莉莎白二世,享壽九十六歲的她保持生活功能直到最後,在往生前三天還接見新首相。這就是我們最希望的,生命的最後一段時間,還能做自己想做的事情。
大家可以比較一下,一位阿公患有六種癌症,可是每次來看診都是自己走進診間;而另一位阿嬤,雖然沒有慢性病史,卻已經嚴重衰弱、臥床兩年了。誰活得比較好?
義大利做過一項醫學研究,受測的八十歲以上長者進行四年追蹤,其中沒有失能且無共病者,存活率八成以上;另一類是失能又有共病,身體情況最差。
另外兩類,一為有共病但沒有失能的長者,存活率接近無失能、共病的人;失能而無共病者,追蹤到第四年,存活率就跟情況最差的組別一樣,只剩三成。
換言之,失能比共病更容易影響長者的生活品質與存活率。當然把高血壓、糖尿病等疾病控制好也很重要,但更重要的是有沒有把「功能」放在第一優先?
當感覺動作稍微變慢時,有時候不是老化而是衰弱;從衰弱到失能有一段期間是可以逆轉的,這段「黃金時間」很重要。
根據加拿大學者Rockwood等人發表的衰弱評估量表,分數愈高、衰弱風險愈大。處於前三級都還不算衰弱,如果落到第四級,雖然還不需要依賴別人,可是開始容易感到疲憊、無力,走路愈來愈慢,這就是「衰弱前期」。
如果你家的長輩,原本可以去大賣場買菜或參加聚會,可是最近開始不太出門,就要注意他是不是有輕度衰弱的問題;若連日常生活的洗澡、穿衣都需要幫忙,就差不多是第六等級中度衰弱,這時候就要很注意保養了,因為再掉下來,就是生活完全無法自理的第七級嚴重衰弱。
我所服務的大林慈濟醫院,位於臺灣人口老化嚴重前四名內的嘉義、雲林、南投縣交界處,來院民眾多為老年病人;為了防治衰弱,老年醫學科團隊腦力激盪,簡化出一個口訣「呷老愛五(有)力」,意即老年人除了疾病控制之外,還要有五大力:活動力、飲食力、輸出力、好腦力及社會力,才會有好的生活品質。
張舜欽專長老年醫學,於院內或社區在宅診療時,深刻體會「不失能」對晚年生活品質的重要。(攝影/張菊芬)
呷老愛五力
首先要注意的是活動力。運動是預防或改善衰弱,維持活動力最好的方法;其中最有效的三種運動,分別是肌力訓練、有氧運動以及平衡訓練。
長者首先要把肌力練起來,最簡單的就是「坐站」運動,可以拿一張椅子,測驗自己在十一秒內能夠坐站幾次?還有抬腳運動,椅子坐一半,單腳往前抬,腳尖翹起來,要感覺到膝蓋旁的「股四頭肌」有在出力,數到十五秒再放下,換抬另一隻腳,連續做個十輪。
如果能照三餐做,久而久之就會發現腿愈來愈有力,走路愈來愈穩健。持續做肌力訓練,同時做騎腳踏車之類的平衡運動或有氧運動,就能有效防止衰弱。
飲食力也很重要,老人家要攝取足夠的蛋白質。但很多老人家有吞嚥困難的問題,這時可以用唱歌、吹樂器的方式,來訓練、強化喉頭的肌肉。我們甚至會教老人家念日文五十音,進行嘴唇、上下顎及咽喉肌肉的整合運動。
再來講到輸出力,也就是消化排泄,我們提供長輩促進排便的衛教及膀胱訓練,並減少不必要的管路,維持正常排泄功能。
當活動力、飲食力、輸出力三者都有了,接下來就培養好腦力。可以做「雙重注意力刺激」的活動,用腦同時動手、動腳,訓練手眼協調,比如騎腳踏車或玩「打地鼠」遊戲,都是很好的腦力訓練;最後是社會力,要多笑、多出門與人互動。
這五大力環環相扣,我們對於年長患者的診治也透過這五大力來評估與介入。這幾年來跨團隊合作,從住院照護到走入社區,關懷出院長者在家的狀況;居家護理師經由每週定時的訪視,配合病人的需求給予衛教,輔助家人照顧的技巧,改善老人家衰弱、延緩失能。
我們時時相互提醒,長者的照護模式須以「功能」為導向,也將此觀念帶給長者,在老後歲月維持功能,保有生活品質。
每個人都會老,但不一定會衰弱,我們要控制可以控制的,所以要養成好的生活習慣。現在做的每一件小事都是為了未來的自己,要擁有自主生活的樂齡,不需要靠其他人照顧,就從日常生活做起!
|延伸閱讀|呷老愛五(有)力 老人醫學科守護長者健康
常說衰老,其實衰弱跟老化是不一樣的;
當感覺動作稍微變慢,有時不是老化而是衰弱。
避免從衰弱掉到失能,就要把握黃金時間,
鍛鍊活動力、飲食力、輸出力、好腦力及社會力。
常說衰老,其實衰弱跟老化是不一樣的;當感覺動作稍微變慢,有時不是老化而是衰弱。
避免從衰弱掉到失能,就要把握黃金時間,鍛鍊活動力、飲食力、輸出力、好腦力及社會力。
今年世界壯年運動會,高齡八十八歲的「噴射機阿嬤」林潘秀雲以二十七秒十的成績,勇奪八十五歲以上女子一百公尺短跑金牌,顛覆了很多人以為「老本來就會衰弱」的錯誤印象。人們常說衰老、衰老,其實衰弱跟老化是不一樣的,也有人「老而不衰」,就像噴射機阿嬤;還有英國女王伊莉莎白二世,享壽九十六歲的她保持生活功能直到最後,在往生前三天還接見新首相。這就是我們最希望的,生命的最後一段時間,還能做自己想做的事情。
大家可以比較一下,一位阿公患有六種癌症,可是每次來看診都是自己走進診間;而另一位阿嬤,雖然沒有慢性病史,卻已經嚴重衰弱、臥床兩年了。誰活得比較好?
義大利做過一項醫學研究,受測的八十歲以上長者進行四年追蹤,其中沒有失能且無共病者,存活率八成以上;另一類是失能又有共病,身體情況最差。
另外兩類,一為有共病但沒有失能的長者,存活率接近無失能、共病的人;失能而無共病者,追蹤到第四年,存活率就跟情況最差的組別一樣,只剩三成。
換言之,失能比共病更容易影響長者的生活品質與存活率。當然把高血壓、糖尿病等疾病控制好也很重要,但更重要的是有沒有把「功能」放在第一優先?
當感覺動作稍微變慢時,有時候不是老化而是衰弱;從衰弱到失能有一段期間是可以逆轉的,這段「黃金時間」很重要。
根據加拿大學者Rockwood等人發表的衰弱評估量表,分數愈高、衰弱風險愈大。處於前三級都還不算衰弱,如果落到第四級,雖然還不需要依賴別人,可是開始容易感到疲憊、無力,走路愈來愈慢,這就是「衰弱前期」。
如果你家的長輩,原本可以去大賣場買菜或參加聚會,可是最近開始不太出門,就要注意他是不是有輕度衰弱的問題;若連日常生活的洗澡、穿衣都需要幫忙,就差不多是第六等級中度衰弱,這時候就要很注意保養了,因為再掉下來,就是生活完全無法自理的第七級嚴重衰弱。
我所服務的大林慈濟醫院,位於臺灣人口老化嚴重前四名內的嘉義、雲林、南投縣交界處,來院民眾多為老年病人;為了防治衰弱,老年醫學科團隊腦力激盪,簡化出一個口訣「呷老愛五(有)力」,意即老年人除了疾病控制之外,還要有五大力:活動力、飲食力、輸出力、好腦力及社會力,才會有好的生活品質。
張舜欽專長老年醫學,於院內或社區在宅診療時,深刻體會「不失能」對晚年生活品質的重要。(攝影/張菊芬)
呷老愛五力
首先要注意的是活動力。運動是預防或改善衰弱,維持活動力最好的方法;其中最有效的三種運動,分別是肌力訓練、有氧運動以及平衡訓練。
長者首先要把肌力練起來,最簡單的就是「坐站」運動,可以拿一張椅子,測驗自己在十一秒內能夠坐站幾次?還有抬腳運動,椅子坐一半,單腳往前抬,腳尖翹起來,要感覺到膝蓋旁的「股四頭肌」有在出力,數到十五秒再放下,換抬另一隻腳,連續做個十輪。
如果能照三餐做,久而久之就會發現腿愈來愈有力,走路愈來愈穩健。持續做肌力訓練,同時做騎腳踏車之類的平衡運動或有氧運動,就能有效防止衰弱。
飲食力也很重要,老人家要攝取足夠的蛋白質。但很多老人家有吞嚥困難的問題,這時可以用唱歌、吹樂器的方式,來訓練、強化喉頭的肌肉。我們甚至會教老人家念日文五十音,進行嘴唇、上下顎及咽喉肌肉的整合運動。
再來講到輸出力,也就是消化排泄,我們提供長輩促進排便的衛教及膀胱訓練,並減少不必要的管路,維持正常排泄功能。
當活動力、飲食力、輸出力三者都有了,接下來就培養好腦力。可以做「雙重注意力刺激」的活動,用腦同時動手、動腳,訓練手眼協調,比如騎腳踏車或玩「打地鼠」遊戲,都是很好的腦力訓練;最後是社會力,要多笑、多出門與人互動。
這五大力環環相扣,我們對於年長患者的診治也透過這五大力來評估與介入。這幾年來跨團隊合作,從住院照護到走入社區,關懷出院長者在家的狀況;居家護理師經由每週定時的訪視,配合病人的需求給予衛教,輔助家人照顧的技巧,改善老人家衰弱、延緩失能。
我們時時相互提醒,長者的照護模式須以「功能」為導向,也將此觀念帶給長者,在老後歲月維持功能,保有生活品質。
每個人都會老,但不一定會衰弱,我們要控制可以控制的,所以要養成好的生活習慣。現在做的每一件小事都是為了未來的自己,要擁有自主生活的樂齡,不需要靠其他人照顧,就從日常生活做起!
|延伸閱讀|呷老愛五(有)力 老人醫學科守護長者健康
心存感恩 時時歡喜
心存感恩,才會時時快樂;假如不懂得感恩,看這個不如意、看那個不歡喜,感覺事事都是逆緣,與人難相處,這樣的人生會很辛苦。
慈濟將近六十年了,還年輕的人不知道六十年前的社會生態;和這個時代相比,簡單來說,過去苦多樂少,現在是樂多苦少。但是現代的人因為在幸福中,天天都很快樂,反而不知道快樂的滋味,比較容易喊苦。
臺灣過去雖然辛苦,但努力建設,現在很富足,人人也有機會上大學;這也可見父母之愛,寧可辛苦自己,也不要讓孩子無法受高等教育,所以人生要懂得感恩―對父母感恩、對師長感恩,對同學、同事感恩。只要心存感恩,才會時時快樂;假如不懂得感恩,那就是看這個不如意、看那個不歡喜,無論是聽話、說話,「我都不歡喜,聽了都很不好聽。」總感覺事事都是逆緣,與人很難相處,這樣人生就是苦。
有父母的養育和支持,成就學業,最重要的是自己要精進;能夠精進的人,也是因為他有感恩心,知道父母的辛苦;要回報父母恩,就是順父母意,認真讀書,這就是最好的回饋。
慈濟人關懷新芽學子,看到孩子們聽話,把握因緣、時間精進,也是對他們最好的報答。他們花自己的時間,還要自掏腰包,這分大愛最可貴的就是無私,真誠付出無所求,當孩子們用功有成就,他們也會很歡喜;這分歡喜,就是他們不顧一切、再辛苦也要去做的一股動力。這是父母心,也是佛心、菩薩心。
年輕人如果只追求享樂,不知道苦難人的生活,未來的社會會很危險。希望臺灣平安,就要讓人人知道人間疾苦,知道自己有福還要造福;天天懷抱感恩心,回報社會人群。
一、二十年前,馬來西亞慈濟人和我分享,提到沙巴的無國籍村,居民沒有身分,就住在水面上的高腳木屋,破舊搖搖欲墜,不只是環境髒亂,也是黑暗的危險區,外人不太敢進去;即使出生在當地也沒有戶籍,孩子要受教育很困難,幾代人都是這樣生活。
很感恩當地的慈濟人,盡心力不斷地進去互動,剛開始走在高腳屋之間,木板破破爛爛,很擔憂、很害怕,現在看來比較自在了。不放棄總會有希望,力量雖然微薄,無法讓當地人全面受惠,但這幾年也看到孩子們能夠來到慈濟的學習中心上課,有制服、有鞋子穿,一回比一回感覺到愈有信心。
這個地方要建設是沒有辦法,但一步一步來,用心和家長溝通,讓孩子有書可讀;如果只是去當童工,未來就沒有改變生活的機會。想幫助他們的家庭,總是要讓孩子們更上一層樓。
沒有國籍,不知道來處也沒有居處,沒有未來的人生很苦。能夠接受教育,對這群孩子們來說是很幸福的,也是唯一的希望。期待去過那裏關懷的慈青們,回來要與人多分享,這也是教育社會的題材。
充實自己的能量,累積點滴愛心,關懷更多國際苦難人;在臺灣的偏鄉或大街小巷,孤老無依、貧病殘疾的人很辛苦,這也是平常就可以去付出的。請大家把握時間,精進不停滯!
心存感恩,才會時時快樂;假如不懂得感恩,看這個不如意、看那個不歡喜,感覺事事都是逆緣,與人難相處,這樣的人生會很辛苦。
慈濟將近六十年了,還年輕的人不知道六十年前的社會生態;和這個時代相比,簡單來說,過去苦多樂少,現在是樂多苦少。但是現代的人因為在幸福中,天天都很快樂,反而不知道快樂的滋味,比較容易喊苦。
臺灣過去雖然辛苦,但努力建設,現在很富足,人人也有機會上大學;這也可見父母之愛,寧可辛苦自己,也不要讓孩子無法受高等教育,所以人生要懂得感恩―對父母感恩、對師長感恩,對同學、同事感恩。只要心存感恩,才會時時快樂;假如不懂得感恩,那就是看這個不如意、看那個不歡喜,無論是聽話、說話,「我都不歡喜,聽了都很不好聽。」總感覺事事都是逆緣,與人很難相處,這樣人生就是苦。
有父母的養育和支持,成就學業,最重要的是自己要精進;能夠精進的人,也是因為他有感恩心,知道父母的辛苦;要回報父母恩,就是順父母意,認真讀書,這就是最好的回饋。
慈濟人關懷新芽學子,看到孩子們聽話,把握因緣、時間精進,也是對他們最好的報答。他們花自己的時間,還要自掏腰包,這分大愛最可貴的就是無私,真誠付出無所求,當孩子們用功有成就,他們也會很歡喜;這分歡喜,就是他們不顧一切、再辛苦也要去做的一股動力。這是父母心,也是佛心、菩薩心。
年輕人如果只追求享樂,不知道苦難人的生活,未來的社會會很危險。希望臺灣平安,就要讓人人知道人間疾苦,知道自己有福還要造福;天天懷抱感恩心,回報社會人群。
一、二十年前,馬來西亞慈濟人和我分享,提到沙巴的無國籍村,居民沒有身分,就住在水面上的高腳木屋,破舊搖搖欲墜,不只是環境髒亂,也是黑暗的危險區,外人不太敢進去;即使出生在當地也沒有戶籍,孩子要受教育很困難,幾代人都是這樣生活。
很感恩當地的慈濟人,盡心力不斷地進去互動,剛開始走在高腳屋之間,木板破破爛爛,很擔憂、很害怕,現在看來比較自在了。不放棄總會有希望,力量雖然微薄,無法讓當地人全面受惠,但這幾年也看到孩子們能夠來到慈濟的學習中心上課,有制服、有鞋子穿,一回比一回感覺到愈有信心。
這個地方要建設是沒有辦法,但一步一步來,用心和家長溝通,讓孩子有書可讀;如果只是去當童工,未來就沒有改變生活的機會。想幫助他們的家庭,總是要讓孩子們更上一層樓。
沒有國籍,不知道來處也沒有居處,沒有未來的人生很苦。能夠接受教育,對這群孩子們來說是很幸福的,也是唯一的希望。期待去過那裏關懷的慈青們,回來要與人多分享,這也是教育社會的題材。
充實自己的能量,累積點滴愛心,關懷更多國際苦難人;在臺灣的偏鄉或大街小巷,孤老無依、貧病殘疾的人很辛苦,這也是平常就可以去付出的。請大家把握時間,精進不停滯!
巷弄長照站+社區環保站—超高齡生活動起來
少子化和高齡化浪潮衝擊全球,
臺灣也面臨照顧需求增加的高難度挑戰。
慈濟順應時勢設立護理之家、日照中心,
把各級長照單位廣設在社區會所甚至是環保站,
幫助長輩維持生活功能,老得自在有尊嚴,
落實聯合國永續發展目標「良好健康與福祉」。
少子化和高齡化浪潮衝擊全球,臺灣也面臨照顧需求增加的高難度挑戰。
慈濟順應時勢設立護理之家、日照中心,把各級長照單位廣設在社區會所甚至是環保站,幫助長輩維持生活功能,老得自在有尊嚴,落實聯合國永續發展目標「良好健康與福祉」。
臺灣今年進入「超高齡」社會階段,六十五歲以上人口占比超過百分之二十,但這還不是臺灣最「老」的時候。
從國家發展委員會發布的人口推估資料來看,二○三九年時,臺灣老年人口比例就會突破三成,二○五九年超過四成。加上當前青壯年人口不婚不生比例高,未來步入老年將面臨無家庭照顧者可依靠的難題。
為了照顧好現在的長輩與未來的高齡人口,政府二○○七年展開《長期照顧十年計畫》,並於二○一七年推出「長照2.0」,也就是現行的長照措施。除了擴大服務對象,把五十歲以上失智症患者、四十九歲以下失能身心障礙者等族群納入長照範圍,更重要的是建立了「ABC社區整體照護模式」,把照護資源分成三級,從接受申請到提供服務,力求讓長輩不用離開熟悉的環境,就能獲得照顧。
在將近二十年的施行與推廣下,「長照」已經成為常識詞彙,而長期從事慈善、醫療志業的慈濟,則是早在上世紀六○年代,就開始了「長照他人」的志業。
多處慈濟會所因應社會趨勢設置長照據點,長輩走進臺中東大靜思堂跟隨教練做中等強度運動、「養肌金」。(攝影/劉淑華)
護理之家,復能為首要
「慈濟第一個長照的對象,就是一九六六年時開案的林曾老太太。」慈濟長照推展中心副總召莊淑婷細說從頭,當年八十多歲的林曾老太太孤寡無依,無法自理生活,食衣住行到最後的喪葬都是慈濟照顧;訪視關懷、陪同就醫,早年慈濟人所做的慈善工作,許多就如同現在長照服務的內容。
及至醫療志業啟動後,機構型的長照服務逐漸開展。一九九八年六月,花蓮慈濟醫院附設「日間照護暨護理之家─輕安居」正式啟業,是慈濟第一個以機構形式提供長照服務的單位,按照現行法規定義屬於B級單位。二○一四年並在臺中市潭子區成立具有住宿功能的「臺中慈濟護理之家」。
「老人家因為臥床進來,我們要把他照顧到更好,讓他能走著出去;坐著輪椅進來的長輩,起碼每天讓他能夠站立幾個小時,希望有一天可以回家與家人共享天倫。」
莊淑婷說明,不同於傳統護理之家、安養院讓老人家住到終老的做法,慈濟的護理之家致力於恢復受照顧者的身心功能,把「回家」視為最高的理想和目標。長者出院返家前,醫護和志工也會進行家訪,協助改善居家環境設施,擬定在宅照顧計畫,讓環境更適於長者回家,家人能夠接手陪伴。在吞嚥訓練、肌力訓練、移除管路訓練等多重健康促進措施的加持下,接受服務長者們的「返家率」高達百分之五十到六十。
因應社會所需,住宿型機構不可或缺,但要照顧更多長者,就要廣設深入社區的長照據點。政府推動長照2.0措施後,慈濟基金會也在二○一八年成立「長照推展中心」,在各縣市推動設立各級長照單位。
志工在委託慈濟經營的臺中市立仁愛長照機構,與年齡相仿的長者們互動,實踐了「長照他人而不被人長照」的理想老年。(攝影/張麗雲)
日照中心,上課求進步
臺中清水靜思堂前綠蔭下,老人家或拄助行器或坐輪椅,行動間有照服員在旁照顧。「換你來剪!」照服員陳碧玉把剪刀遞給一位男性學員,讓他藉由採收左手香做復健。這位年齡未滿七十的男士,是慈濟清水日照中心三十多位學員中最年輕的一位,因為中風而偏癱;出院後來到靜思堂,參與日照中心每日的課程與活動,身體狀況改善不少。
採收的左手香枝葉,飄散出清新香味,慈濟清水綜合長照機構主任呂怡靜笑說,大家原本不知道左手香是一種藥草,直到參加日間照護的老人家提點才曉得它有妙用,如今工作人員與學員會定期採收,做成香膏義賣與眾結緣。
位於臺中海線的清水靜思堂,是全臺十五處同時設有ABC三級長照單位的慈濟會所之一。在這裏,每逢週一到週五,都有長者來「上課」。
「如果天氣晴朗,我們會讓他們曬太陽走路,他們也喜歡坐在戶外。」呂怡靜主任表示,陪伴老人的照服員要保持高度警覺,因為日間照護中心的長輩身體都有一定程度的退化、失能,需要仰賴柺杖、助行器乃至輪椅等輔具,用餐時也要注意是否吞嚥困難,同仁們必須多一分用心與細心才能為人信賴。
七十四歲的紀女士,雙膝退化動過手術,兒女平常不是上班就是要帶小孩,於是每週一到五早上,就開車載她到清水靜思堂,讓她跟著年齡相仿的「同學」參加活動,大約下午三、四點再接回家。對於慈濟的長照服務,紀女士相當滿意;貢獻良能的照服員、居服員、志工,則有許多是志願「長照別人」的人。
「上人鼓勵我們要長照別人不要被人長照,這句話讓我深深地感動,我想我的身體還可以,還能陪伴老人家,就去做長照了。」照服員陳碧玉回想入行之前,自己已經退休一段時日,全心投入慈濟做志工。二○一八年清水靜思堂設立長照據點,需要居服員、照服員等專業人力,於是報名參訓,學習照顧老人家的基本技能,比如上下床、餵食、灌食等。
照顧長者不光需要專業技能,更重要是一分心。除了陳碧玉,許多在地的慈濟志工,也參加照服員或居服員培訓,學成後有人固定在靜思堂效力,有人跑外勤提供居家服務;資深志工王衍基時常陪同居服員做家訪,有時碰到案家情緒不穩就要協助處理。跟其他法親一樣,說起長照,他全力配合,「這些老菩薩剛來日照中心時精神大多不好,但在主任及同仁帶領下,現在都變得很活潑了。我們看到很感動,所以一定要護持。」
照服員陪伴接受日間照護的長者,瞻前顧後,隨時應對突發狀況,這份工作經過專業訓練方能勝任(圖1)。清水靜思堂日照中心的學員熟練地採收左手香(圖2),枝葉可萃取熬製成香膏,儘管產量不多,卻在過程中活絡手腦,獲得小小的成就感。
慈濟會所,巷弄長照站
清水靜思堂裏,另一處空間是巷弄長照站,氣氛比起日照中心要活絡得多,學員們行動自如,多能走路、搭車或騎車前來。八月暑假期間,一位經營安親班的慈濟志工,特地把班上的國小生帶過來,與阿公阿嬤「老幼共學」。
「來,通通在自己的位子坐好!」照服員蔡翠珍忙著維持秩序,點心製作課程已近尾聲,長者及小朋友們都吃到了親手製作、內餡用淨斯穀粉製成的夾心餅乾。
「有外面的團體進來互動,會特別開心,看到小朋友就像自己的孫子,那個感覺就特別不一樣。」蔡翠珍略說清水靜思堂C級單位巷弄長照站的概況,來到這裏的長者們有自理生活的能力,年齡從七十多到九十幾歲都有,女性占了八成以上。
「我的人生在這裏變成彩色的,大家都說我看起來變年輕。人若心情好、快樂,就會顯得年輕啊!」擔任「班長」的七十八歲學員蔡秋霞回想,十年前結束小吃店生意正式退休後,有整整兩年時間「宅」在家中,一直到八年前,清水靜思堂開設巷弄長照站,她的晚年生活重新亮麗起來。
「來到這裏有很多同學,一人說一句話就三十句了;我最喜歡『禪繞畫』,畫那個心情會很開朗,水墨畫我也有興趣,就加減學啦,運動方面我也很喜歡。」蔡秋霞說。
相較於日照中心、安養院等長照B級單位以照顧失能或臥床者為重點,數量最多、分布最廣的C級巷弄長照站,著重在「預防」,希望長者們在身體健康或處於「亞健康」狀態時,就到據點參加活動延緩退化,以縮短「不健康餘命」,減輕家庭及社會的長照負擔。
為了讓長者就近走出家門增加社會互動,慈濟長照體系在全臺設有一百二十五個社區關懷據點;這些場所位於住家附近的慈濟會所、環保站,同時結合政府推動的健檢、運動等預防性的健康促進措施;累積大數據,還能夠找出高風險族群,優先介入協助。
「全臺一百多個社區關懷據點運作下來,我們發現長輩肌肉跟下肢肌耐力非常不足,因此今年先挑選十八個據點做肌少症的普篩,展開『愛GO力 養肌金』的行動。」慈濟長照推展中心賴珈文專員進一步說明,這項為期半年的活動,從二○二五年三月展開,近六百位長輩「養肌金」。
參與者先做前測,記錄個人體重、BMI值、體脂率、肌肉量與握力等運動數據,接著在關懷據點一週至少一堂課跟著老師做深蹲、抬腿、舉寶特瓶啞鈴等阻力訓練;運動結束再飲用淨斯豆漿粉沖泡的飲品,補充蛋白質,促進肌肉修復及生長,「長輩們可能沒有辦法像年輕人,把肌肉量快速增長起來,但要儘量維持原有的量。」
長者學員們每週跟著教練做中等強度運動,每月並固定測量體重、肌肉量、握力等數據;規律運動半年後,多數老人家感覺體力有改善。
「透過二十四週課程介入加上營養補充,可以看到長輩們身體功能有比較好一點,有學員回饋說,自己在走路、爬樓梯、提重物時,覺得比較輕鬆。」賴珈文補充道。
其實慈濟已在長照據點帶動健身多年,熱心志工甚至自費接受運動訓練,再回到會所、環保站教導老人家,「我跟環保志工說,一週至少來練一次,對健康是有好處的。」自費考取健身教練證照的志工董壽梅把訓練內容及強度,調整成適合高齡人士的狀態,鼓勵長者勤練。
慈濟清水日照中心提供園藝、音樂和運動等多元活動,讓長輩們喜愛出門上課。
預防失智,環保站有效
除了預防肌少症衍生的身體衰弱、失能,失智與憂鬱也是老年生活的重大隱患。慈濟長照推展中心整合慈善及醫療團隊設立長照據點,善用社區資源,推動預防、延緩失智的行動。
「國家衛生研究院統計,二○二四年臺灣失智人口三十五萬人,比例約占高齡長輩的百分之八。失智退化過程中,有百分之六十六的人會出現精神行為的症狀,如莫名的焦慮、恐慌、憂鬱。」臺北慈濟醫院老年精神科李嘉富主任,簡述了臺灣長者罹患失智症的概況。
目前失智症尚無法治癒,但值得慶幸的是,有百分之四十五的失智症病情是可以被預防或延緩的。「如果老人家視力有問題、聽力不好,一定要請他戴上助聽器、眼鏡,讓他能夠耳聰目明,這樣才不會退化得太快;透過健康飲食和規律運動,把體重、血壓、血糖、血脂四高降下來,也可以減少百分之十二的罹患機率。」
李嘉富提出幾項個人可以做到的預防失智訣竅,而走出家門發揮自身的良能,也是防失智、破除憂鬱的好辦法:「幾年前就看到國健署的網站寫著,做環保可以預防、延緩失智。所以這幾年來我把做環保設計成『社會處方』,內容包含運動、認知促進,然後運用在慈濟的據點。」
李嘉富觀察到,年過七十的慈濟環保志工,許多一樣有血壓、血糖、血脂異常,慢性病纏身的問題,但活力遠比同齡人好。如果能夠藉由做環保、服務他人,做到保持運動、動腦、與人互動這「三動」,就能維持功能自理生活。「不需要花錢請人看護,相當於每個月賺三萬元以上!」李嘉富笑著說:「所以慈濟的環保站可說是最好的日照中心。」
長者專注分類回收資源,每個動作都在考驗手眼協調,加上常與人互動,均能延緩退化,環保站也因此被譽為最好的日照中心。(攝影/黃筱哲)
促進健康,雖老但不衰
對應聯合國永續發展目標,良好的健康促進與長照措施,不僅能促進高齡者的健康福祉,甚至有助於消除因照護臥病長者導致的失業、貧窮,讓愈來愈稀缺的年輕人力可以投入經濟成長。而慈濟在全臺設置長照據點、培養社區志工專業能力,持續投入健康關懷行動,除了有助於前述目標之達成,也希望先確保年長者能夠不失能,再發揮自身良能做出貢獻。
「所以慈濟的長照,是長照別人而不是被別人長照,志工們沒有動用到社會資源,而是對社會有所付出。」慈濟基金會執行長顏博文重申道。
展望未來,臺灣少子化、人口老化勢不可擋,但可以透過健康促進及適切的長照措施,把高齡變成「樂齡」,減緩年長者衰弱的速度,縮短生命中失能的艱困階段,在地安老。也唯有及早準備及早行動,方能讓可預見的未來「老而不衰」。(部分資料提供/張麗雲)
|延伸閱讀|大愛新聞─金照獎肯定 慈濟清水.台中慈濟護理之家
少子化和高齡化浪潮衝擊全球,
臺灣也面臨照顧需求增加的高難度挑戰。
慈濟順應時勢設立護理之家、日照中心,
把各級長照單位廣設在社區會所甚至是環保站,
幫助長輩維持生活功能,老得自在有尊嚴,
落實聯合國永續發展目標「良好健康與福祉」。
少子化和高齡化浪潮衝擊全球,臺灣也面臨照顧需求增加的高難度挑戰。
慈濟順應時勢設立護理之家、日照中心,把各級長照單位廣設在社區會所甚至是環保站,幫助長輩維持生活功能,老得自在有尊嚴,落實聯合國永續發展目標「良好健康與福祉」。
臺灣今年進入「超高齡」社會階段,六十五歲以上人口占比超過百分之二十,但這還不是臺灣最「老」的時候。
從國家發展委員會發布的人口推估資料來看,二○三九年時,臺灣老年人口比例就會突破三成,二○五九年超過四成。加上當前青壯年人口不婚不生比例高,未來步入老年將面臨無家庭照顧者可依靠的難題。
為了照顧好現在的長輩與未來的高齡人口,政府二○○七年展開《長期照顧十年計畫》,並於二○一七年推出「長照2.0」,也就是現行的長照措施。除了擴大服務對象,把五十歲以上失智症患者、四十九歲以下失能身心障礙者等族群納入長照範圍,更重要的是建立了「ABC社區整體照護模式」,把照護資源分成三級,從接受申請到提供服務,力求讓長輩不用離開熟悉的環境,就能獲得照顧。
在將近二十年的施行與推廣下,「長照」已經成為常識詞彙,而長期從事慈善、醫療志業的慈濟,則是早在上世紀六○年代,就開始了「長照他人」的志業。
多處慈濟會所因應社會趨勢設置長照據點,長輩走進臺中東大靜思堂跟隨教練做中等強度運動、「養肌金」。(攝影/劉淑華)
護理之家,復能為首要
「慈濟第一個長照的對象,就是一九六六年時開案的林曾老太太。」慈濟長照推展中心副總召莊淑婷細說從頭,當年八十多歲的林曾老太太孤寡無依,無法自理生活,食衣住行到最後的喪葬都是慈濟照顧;訪視關懷、陪同就醫,早年慈濟人所做的慈善工作,許多就如同現在長照服務的內容。
及至醫療志業啟動後,機構型的長照服務逐漸開展。一九九八年六月,花蓮慈濟醫院附設「日間照護暨護理之家─輕安居」正式啟業,是慈濟第一個以機構形式提供長照服務的單位,按照現行法規定義屬於B級單位。二○一四年並在臺中市潭子區成立具有住宿功能的「臺中慈濟護理之家」。
「老人家因為臥床進來,我們要把他照顧到更好,讓他能走著出去;坐著輪椅進來的長輩,起碼每天讓他能夠站立幾個小時,希望有一天可以回家與家人共享天倫。」
莊淑婷說明,不同於傳統護理之家、安養院讓老人家住到終老的做法,慈濟的護理之家致力於恢復受照顧者的身心功能,把「回家」視為最高的理想和目標。長者出院返家前,醫護和志工也會進行家訪,協助改善居家環境設施,擬定在宅照顧計畫,讓環境更適於長者回家,家人能夠接手陪伴。在吞嚥訓練、肌力訓練、移除管路訓練等多重健康促進措施的加持下,接受服務長者們的「返家率」高達百分之五十到六十。
因應社會所需,住宿型機構不可或缺,但要照顧更多長者,就要廣設深入社區的長照據點。政府推動長照2.0措施後,慈濟基金會也在二○一八年成立「長照推展中心」,在各縣市推動設立各級長照單位。
志工在委託慈濟經營的臺中市立仁愛長照機構,與年齡相仿的長者們互動,實踐了「長照他人而不被人長照」的理想老年。(攝影/張麗雲)
日照中心,上課求進步
臺中清水靜思堂前綠蔭下,老人家或拄助行器或坐輪椅,行動間有照服員在旁照顧。「換你來剪!」照服員陳碧玉把剪刀遞給一位男性學員,讓他藉由採收左手香做復健。這位年齡未滿七十的男士,是慈濟清水日照中心三十多位學員中最年輕的一位,因為中風而偏癱;出院後來到靜思堂,參與日照中心每日的課程與活動,身體狀況改善不少。
採收的左手香枝葉,飄散出清新香味,慈濟清水綜合長照機構主任呂怡靜笑說,大家原本不知道左手香是一種藥草,直到參加日間照護的老人家提點才曉得它有妙用,如今工作人員與學員會定期採收,做成香膏義賣與眾結緣。
位於臺中海線的清水靜思堂,是全臺十五處同時設有ABC三級長照單位的慈濟會所之一。在這裏,每逢週一到週五,都有長者來「上課」。
「如果天氣晴朗,我們會讓他們曬太陽走路,他們也喜歡坐在戶外。」呂怡靜主任表示,陪伴老人的照服員要保持高度警覺,因為日間照護中心的長輩身體都有一定程度的退化、失能,需要仰賴柺杖、助行器乃至輪椅等輔具,用餐時也要注意是否吞嚥困難,同仁們必須多一分用心與細心才能為人信賴。
七十四歲的紀女士,雙膝退化動過手術,兒女平常不是上班就是要帶小孩,於是每週一到五早上,就開車載她到清水靜思堂,讓她跟著年齡相仿的「同學」參加活動,大約下午三、四點再接回家。對於慈濟的長照服務,紀女士相當滿意;貢獻良能的照服員、居服員、志工,則有許多是志願「長照別人」的人。
「上人鼓勵我們要長照別人不要被人長照,這句話讓我深深地感動,我想我的身體還可以,還能陪伴老人家,就去做長照了。」照服員陳碧玉回想入行之前,自己已經退休一段時日,全心投入慈濟做志工。二○一八年清水靜思堂設立長照據點,需要居服員、照服員等專業人力,於是報名參訓,學習照顧老人家的基本技能,比如上下床、餵食、灌食等。
照顧長者不光需要專業技能,更重要是一分心。除了陳碧玉,許多在地的慈濟志工,也參加照服員或居服員培訓,學成後有人固定在靜思堂效力,有人跑外勤提供居家服務;資深志工王衍基時常陪同居服員做家訪,有時碰到案家情緒不穩就要協助處理。跟其他法親一樣,說起長照,他全力配合,「這些老菩薩剛來日照中心時精神大多不好,但在主任及同仁帶領下,現在都變得很活潑了。我們看到很感動,所以一定要護持。」
照服員陪伴接受日間照護的長者,瞻前顧後,隨時應對突發狀況,這份工作經過專業訓練方能勝任(圖1)。清水靜思堂日照中心的學員熟練地採收左手香(圖2),枝葉可萃取熬製成香膏,儘管產量不多,卻在過程中活絡手腦,獲得小小的成就感。
慈濟會所,巷弄長照站
清水靜思堂裏,另一處空間是巷弄長照站,氣氛比起日照中心要活絡得多,學員們行動自如,多能走路、搭車或騎車前來。八月暑假期間,一位經營安親班的慈濟志工,特地把班上的國小生帶過來,與阿公阿嬤「老幼共學」。
「來,通通在自己的位子坐好!」照服員蔡翠珍忙著維持秩序,點心製作課程已近尾聲,長者及小朋友們都吃到了親手製作、內餡用淨斯穀粉製成的夾心餅乾。
「有外面的團體進來互動,會特別開心,看到小朋友就像自己的孫子,那個感覺就特別不一樣。」蔡翠珍略說清水靜思堂C級單位巷弄長照站的概況,來到這裏的長者們有自理生活的能力,年齡從七十多到九十幾歲都有,女性占了八成以上。
「我的人生在這裏變成彩色的,大家都說我看起來變年輕。人若心情好、快樂,就會顯得年輕啊!」擔任「班長」的七十八歲學員蔡秋霞回想,十年前結束小吃店生意正式退休後,有整整兩年時間「宅」在家中,一直到八年前,清水靜思堂開設巷弄長照站,她的晚年生活重新亮麗起來。
「來到這裏有很多同學,一人說一句話就三十句了;我最喜歡『禪繞畫』,畫那個心情會很開朗,水墨畫我也有興趣,就加減學啦,運動方面我也很喜歡。」蔡秋霞說。
相較於日照中心、安養院等長照B級單位以照顧失能或臥床者為重點,數量最多、分布最廣的C級巷弄長照站,著重在「預防」,希望長者們在身體健康或處於「亞健康」狀態時,就到據點參加活動延緩退化,以縮短「不健康餘命」,減輕家庭及社會的長照負擔。
為了讓長者就近走出家門增加社會互動,慈濟長照體系在全臺設有一百二十五個社區關懷據點;這些場所位於住家附近的慈濟會所、環保站,同時結合政府推動的健檢、運動等預防性的健康促進措施;累積大數據,還能夠找出高風險族群,優先介入協助。
「全臺一百多個社區關懷據點運作下來,我們發現長輩肌肉跟下肢肌耐力非常不足,因此今年先挑選十八個據點做肌少症的普篩,展開『愛GO力 養肌金』的行動。」慈濟長照推展中心賴珈文專員進一步說明,這項為期半年的活動,從二○二五年三月展開,近六百位長輩「養肌金」。
參與者先做前測,記錄個人體重、BMI值、體脂率、肌肉量與握力等運動數據,接著在關懷據點一週至少一堂課跟著老師做深蹲、抬腿、舉寶特瓶啞鈴等阻力訓練;運動結束再飲用淨斯豆漿粉沖泡的飲品,補充蛋白質,促進肌肉修復及生長,「長輩們可能沒有辦法像年輕人,把肌肉量快速增長起來,但要儘量維持原有的量。」
長者學員們每週跟著教練做中等強度運動,每月並固定測量體重、肌肉量、握力等數據;規律運動半年後,多數老人家感覺體力有改善。
「透過二十四週課程介入加上營養補充,可以看到長輩們身體功能有比較好一點,有學員回饋說,自己在走路、爬樓梯、提重物時,覺得比較輕鬆。」賴珈文補充道。
其實慈濟已在長照據點帶動健身多年,熱心志工甚至自費接受運動訓練,再回到會所、環保站教導老人家,「我跟環保志工說,一週至少來練一次,對健康是有好處的。」自費考取健身教練證照的志工董壽梅把訓練內容及強度,調整成適合高齡人士的狀態,鼓勵長者勤練。
慈濟清水日照中心提供園藝、音樂和運動等多元活動,讓長輩們喜愛出門上課。
預防失智,環保站有效
除了預防肌少症衍生的身體衰弱、失能,失智與憂鬱也是老年生活的重大隱患。慈濟長照推展中心整合慈善及醫療團隊設立長照據點,善用社區資源,推動預防、延緩失智的行動。
「國家衛生研究院統計,二○二四年臺灣失智人口三十五萬人,比例約占高齡長輩的百分之八。失智退化過程中,有百分之六十六的人會出現精神行為的症狀,如莫名的焦慮、恐慌、憂鬱。」臺北慈濟醫院老年精神科李嘉富主任,簡述了臺灣長者罹患失智症的概況。
目前失智症尚無法治癒,但值得慶幸的是,有百分之四十五的失智症病情是可以被預防或延緩的。「如果老人家視力有問題、聽力不好,一定要請他戴上助聽器、眼鏡,讓他能夠耳聰目明,這樣才不會退化得太快;透過健康飲食和規律運動,把體重、血壓、血糖、血脂四高降下來,也可以減少百分之十二的罹患機率。」
李嘉富提出幾項個人可以做到的預防失智訣竅,而走出家門發揮自身的良能,也是防失智、破除憂鬱的好辦法:「幾年前就看到國健署的網站寫著,做環保可以預防、延緩失智。所以這幾年來我把做環保設計成『社會處方』,內容包含運動、認知促進,然後運用在慈濟的據點。」
李嘉富觀察到,年過七十的慈濟環保志工,許多一樣有血壓、血糖、血脂異常,慢性病纏身的問題,但活力遠比同齡人好。如果能夠藉由做環保、服務他人,做到保持運動、動腦、與人互動這「三動」,就能維持功能自理生活。「不需要花錢請人看護,相當於每個月賺三萬元以上!」李嘉富笑著說:「所以慈濟的環保站可說是最好的日照中心。」
長者專注分類回收資源,每個動作都在考驗手眼協調,加上常與人互動,均能延緩退化,環保站也因此被譽為最好的日照中心。(攝影/黃筱哲)
促進健康,雖老但不衰
對應聯合國永續發展目標,良好的健康促進與長照措施,不僅能促進高齡者的健康福祉,甚至有助於消除因照護臥病長者導致的失業、貧窮,讓愈來愈稀缺的年輕人力可以投入經濟成長。而慈濟在全臺設置長照據點、培養社區志工專業能力,持續投入健康關懷行動,除了有助於前述目標之達成,也希望先確保年長者能夠不失能,再發揮自身良能做出貢獻。
「所以慈濟的長照,是長照別人而不是被別人長照,志工們沒有動用到社會資源,而是對社會有所付出。」慈濟基金會執行長顏博文重申道。
展望未來,臺灣少子化、人口老化勢不可擋,但可以透過健康促進及適切的長照措施,把高齡變成「樂齡」,減緩年長者衰弱的速度,縮短生命中失能的艱困階段,在地安老。也唯有及早準備及早行動,方能讓可預見的未來「老而不衰」。(部分資料提供/張麗雲)
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一年有成 職訓結業
慈濟莫三比克馬普托會所二○二四年成立職訓班,包括裁縫班、針織班、烘焙坊。歷經一年學習,評量準時度、志工時數、人文學習表現、技能成績,總分超過七十五分的一百一十八位學員獲得結業證書;莫三比克志工蔡岱霖與來自臺灣的慈濟基金會林靜憪副總執行長共享這一刻的喜悅。
撰文/張美齡 攝影/詹進德 莫三比克 2025.8.29
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