外見を良くする

問:

私は中学生になりました。自分の外見が気に入りません。どうしたらいいでしょうか?

答:私は中学の時、色々な小説を読むのが好きでした。小説の中のヒーローは皆、流行の単行本を抱えて背が百八十センチのお金持ちだったり、武術に長けたハンサムな男性、ヒロインは皆、とても上品な義侠心を持った女性だったり、お金持ちのお嬢様でした。その頃の私にとって、これらの本の中の人物がアイドルでした。自分はというと、大根足に小さな目、おかっぱ頭です。内心悔しくて憂鬱なまま中学を卒業しました。

大学に受かった年、台北へ同級生のいとこと遊びに出かけました。彼女は、カールした長い髪に、薄化粧をして、標準語を話し、白にピンクがかった健康的な肌をしてハイヒールを履いていました。私はと言うと、浅黒い肌にフラットなサンダルを履き、ごく普通の服で、パッとしない大学生でした。いとことお喋りしても舌足らずで、極端にコンプレックスを感じたのを、あの夏休みで一番よく覚えています。

学期が始まってから、私は慈愛社に参加し、孤児院で子供たちの勉強に付き添ったり、刑務所を訪問して受刑者のボール遊びに付き添ったり、中重度養護ホームで病気の子供に付き添ったりしました。本の中のヒロインやいとこへのコンプレックスはもうそこにはなく、私は自信を取り戻していました。

人生では、自分に自信を持って初めて、人を惹きつける魅力のある人になることができるのです。外見は変わっていきますが、自信に満ちて落ち着いた気質は変わりません。自信とは何でしょう?それは、自己肯定であり、他人に影響されない、動揺しない心です。

どのようにして自信を持った自分を作るか? 以下の幾つかを参考にしてください。

教養のある人になる

「価値のある自分を育成すれば、人生の恩人を引き寄せる」、「詩書を読み、学を為すと、才能や品格が自ずと表に表れる」と言われます。

教養のある人が話をすると、自然と人を惹きつけ、魅力します。イギリスのコメディアン「Mr.ビーン」が代表的な例です。イギリスでオリンピックが開催された時、彼のロンドンオーケストラでのおどけた演出は、全世界の注目を集め、人気者になりました。トム・クルーズのようにハンサムではなくても、彼には教養があり、実力があります。従って、国際ステージに立つことができるのです。

では、どうすれば教養を身につけられるでしょうか。身心に有益な書籍を読み漁る、良い映画をたくさん見る、或いは、旅に出て徒歩で万里の道を行き、大地に、また行く先々で人文を学ぶことで教養を高めるのです。身心に関することは全て学ぶに値します。

ポジティブなエネルギーを放つ

人は誰でも、陽気で前向きの人といることを好みます。このような人は、チームメンバーに誘われ、皆、彼とお喋りするのを好み、一緒にいることでポジティブなエネルギーを感じます!

私はよくリハビリクリニックに行きますが、最近新しく二人の人が来ました。一人は良く笑い、前向きで陽気な人で、診察に来る他の患者さんと楽しく付き合っています。もう一人は、声が低くて眉をひそめ、よく人に誤りを指摘されます。誰も外見を気にしませんが、前向きで陽気な性格の人は、外見の良い人よりも好かれます。

生きていく力

「花が咲き誇れば自然と蝶が舞い、魅力ある人には天の導きがある」と言われるように、人は追い求めるのではなく、他の人を惹きつけるべきだと言うことです。

私たちは生きていく力が必要です。一つは自分の得意とするものです。得意な分野で生計を立てます。もう一つは、自分の趣味であり、生活をもっと多彩にします。

Mr.ビーンを演じるイギリスの俳優、ローワン・アトキンソンさんは、オックスフォード大学電機工学修士課程を卒業しましたが、演劇をこよなく愛していたので、芸能界に足を踏み入れました。彼こそが生きていく力を持つ人です。外見は特にハンサムではありませんが、才能がずば抜けており、イギリス女王も彼を重んじていました。

世界的に有名なモデルのキャメロン・ラセッルさんは、TEDの演説で「外見が全てではありません。信じてください、私はファッションモデルです」と言ったことがあります。長い時間という川の流れで、美貌はなくなり、体つきも老い衰えて行きます。それなら、私たちはどうすれば、自分の外見で人を惹きつけずとも人に好かれる、「Mr.ビーン」になれるのでしょうか。

変えなければいけないのは、自己を肯定せずに卑屈になり、諦めてしまう自分の心です。本当に人を惹きつける特質は外見ではなく、自分に対する態度なのです。

證厳法師も「卑屈は自分を殺してしまう敵です」と言っています。私たちは努力して自信を付けることで、自信が外見に打ち勝ち、これ以上外見にとらわれないようになるべきではないでしょうか。

(慈済月刊六七五期より)

問:

私は中学生になりました。自分の外見が気に入りません。どうしたらいいでしょうか?

答:私は中学の時、色々な小説を読むのが好きでした。小説の中のヒーローは皆、流行の単行本を抱えて背が百八十センチのお金持ちだったり、武術に長けたハンサムな男性、ヒロインは皆、とても上品な義侠心を持った女性だったり、お金持ちのお嬢様でした。その頃の私にとって、これらの本の中の人物がアイドルでした。自分はというと、大根足に小さな目、おかっぱ頭です。内心悔しくて憂鬱なまま中学を卒業しました。

大学に受かった年、台北へ同級生のいとこと遊びに出かけました。彼女は、カールした長い髪に、薄化粧をして、標準語を話し、白にピンクがかった健康的な肌をしてハイヒールを履いていました。私はと言うと、浅黒い肌にフラットなサンダルを履き、ごく普通の服で、パッとしない大学生でした。いとことお喋りしても舌足らずで、極端にコンプレックスを感じたのを、あの夏休みで一番よく覚えています。

学期が始まってから、私は慈愛社に参加し、孤児院で子供たちの勉強に付き添ったり、刑務所を訪問して受刑者のボール遊びに付き添ったり、中重度養護ホームで病気の子供に付き添ったりしました。本の中のヒロインやいとこへのコンプレックスはもうそこにはなく、私は自信を取り戻していました。

人生では、自分に自信を持って初めて、人を惹きつける魅力のある人になることができるのです。外見は変わっていきますが、自信に満ちて落ち着いた気質は変わりません。自信とは何でしょう?それは、自己肯定であり、他人に影響されない、動揺しない心です。

どのようにして自信を持った自分を作るか? 以下の幾つかを参考にしてください。

教養のある人になる

「価値のある自分を育成すれば、人生の恩人を引き寄せる」、「詩書を読み、学を為すと、才能や品格が自ずと表に表れる」と言われます。

教養のある人が話をすると、自然と人を惹きつけ、魅力します。イギリスのコメディアン「Mr.ビーン」が代表的な例です。イギリスでオリンピックが開催された時、彼のロンドンオーケストラでのおどけた演出は、全世界の注目を集め、人気者になりました。トム・クルーズのようにハンサムではなくても、彼には教養があり、実力があります。従って、国際ステージに立つことができるのです。

では、どうすれば教養を身につけられるでしょうか。身心に有益な書籍を読み漁る、良い映画をたくさん見る、或いは、旅に出て徒歩で万里の道を行き、大地に、また行く先々で人文を学ぶことで教養を高めるのです。身心に関することは全て学ぶに値します。

ポジティブなエネルギーを放つ

人は誰でも、陽気で前向きの人といることを好みます。このような人は、チームメンバーに誘われ、皆、彼とお喋りするのを好み、一緒にいることでポジティブなエネルギーを感じます!

私はよくリハビリクリニックに行きますが、最近新しく二人の人が来ました。一人は良く笑い、前向きで陽気な人で、診察に来る他の患者さんと楽しく付き合っています。もう一人は、声が低くて眉をひそめ、よく人に誤りを指摘されます。誰も外見を気にしませんが、前向きで陽気な性格の人は、外見の良い人よりも好かれます。

生きていく力

「花が咲き誇れば自然と蝶が舞い、魅力ある人には天の導きがある」と言われるように、人は追い求めるのではなく、他の人を惹きつけるべきだと言うことです。

私たちは生きていく力が必要です。一つは自分の得意とするものです。得意な分野で生計を立てます。もう一つは、自分の趣味であり、生活をもっと多彩にします。

Mr.ビーンを演じるイギリスの俳優、ローワン・アトキンソンさんは、オックスフォード大学電機工学修士課程を卒業しましたが、演劇をこよなく愛していたので、芸能界に足を踏み入れました。彼こそが生きていく力を持つ人です。外見は特にハンサムではありませんが、才能がずば抜けており、イギリス女王も彼を重んじていました。

世界的に有名なモデルのキャメロン・ラセッルさんは、TEDの演説で「外見が全てではありません。信じてください、私はファッションモデルです」と言ったことがあります。長い時間という川の流れで、美貌はなくなり、体つきも老い衰えて行きます。それなら、私たちはどうすれば、自分の外見で人を惹きつけずとも人に好かれる、「Mr.ビーン」になれるのでしょうか。

変えなければいけないのは、自己を肯定せずに卑屈になり、諦めてしまう自分の心です。本当に人を惹きつける特質は外見ではなく、自分に対する態度なのです。

證厳法師も「卑屈は自分を殺してしまう敵です」と言っています。私たちは努力して自信を付けることで、自信が外見に打ち勝ち、これ以上外見にとらわれないようになるべきではないでしょうか。

(慈済月刊六七五期より)

關鍵字

街頭生活者に家庭料理の炊き出し─カナダ

カナダはよく移民天国だと言われる。

私たちは幸いにも社会の日の当たる場所で生活し、豊かさと社会福祉を享受している。

しかし、森の中や車に寝泊まりする街頭生活者たちの存在を、見て見ぬ振りをしてはいけない。

また紅葉の季節がやってきた。雁が金色の夕日に照らされながら、湖水に軽やかに触れ、まるでこの地から去るのを惜しんでいるかのようだった。間もなく遠くの暖かい国に旅立つのだ。

二〇一五年、トロント在住の慈済ボランティアが初めてニューマーケット地区で街頭生活者向けの炊き出しを始めたのも、この金色に実る季節だった。ヨークカウンティにあるニューマーケット地区では、街頭生活者の中にアジア系の顔をあまり見かけないので、当初は果たして彼らが中華風の菜食を受け付けるか否か不安だった。しかし、独自の工夫を凝らす炊き出しチームはその実力で彼らの心を掴んだ。それからは年に少なくとも三回炊き出しをするようになり、彼らから熱烈に歓迎され、次の炊き出しは何時か、とよく聞かれるほどになった。

カナダは裕福な国で、市内の特定区域、特に慈済北トロント支部があるヨークカウンティでは、街を歩いても街頭生活者を目にすることは殆どない。カナダの八割以上の街頭生活者は表立って見ることはできない。彼らは森の奥深くに隠れていたり、車で寝泊まりしたりしているのだ。中には精神疾患や麻薬による精神障害の人もいる。経済的な理由で街頭生活者になった人は割りと少ない。

ここ数年、コロナの感染拡大で、多くの人が心身と経済的にストレスを抱えるようになり、街頭生活者の暮らしや分布にも変化が起きている。二〇二〇年の統計によると、カナダでは街頭生活者の二割が失業によって住宅ローンを払えなくなった人たちである。例年に比べ、八割の街頭生活者は長期間路上生活をしており、政府がいくら努力して宿を提供しても、その増加速度に追い付けず、入居の待ち時間が長くなっている。ヨークカウンティ中心街の保護センターがそれだけの人数を受け入れきれない為、彼らは北部の郊外に移り始めた。

たとえ街頭生活者の現象が、経済危機やコロナ禍によるインパクトに由来しているとしても、私たちの奉仕には影響しない。貧困線が低い国では、慈済の支援対象者は千人を超えており、直接助けを求める人と交流することができる。しかし、カナダはプライバシーを重んじる福祉国家であるため、外見からは困っている人を見分けることは困難だ。そこで、現地の慈善組織と協力することにした。ニューマーケットの保護センターであるイン・フロム・ザ・コールド(以下IFTC)とロフト・アウトリーチ・ヴァン(以下LOFT)は数十年の実績がある団体で、彼らがどこに隠れているかをよく知っている。慈善組織や彼らのニーズを無視して自分が寄付したいものを寄付している人が多い中で、慈済はそうではなく、彼らの不足分を補うことに重点を置くことにした。

目下、保護センターと協力して、年に三、四回の炊き出しと夏・冬の大型配付活動を継続している。また、毎日各地区を巡回するLOFTの車による出張サービスに、随時不足分を支援するようにしている。これらのパートナーから毎月必要品リストを提供してもらったことで、季節が変わると彼らのニーズが変わることに気づいた。彼らは冬には毛布、夏には虫よけと傘が必要で、年間通して必要なのは除臭剤である。

慈済北トロント連絡所は、2015年からニューマーケットのホットフードステーションのスポンサーになり、年3回菜食の炊き出しを街頭生活者に提供している。写真は2018年、北トロント慈済人文学校の生徒が配膳に参加にした時の様子。(撮影・梁延康)

側にいてくれるパートナー

慈済北トロント連絡所は設立して二年で、街頭生活者ケアを任された。限られた人数から始めたが、今では何時でも身を挺して対応する地域ボランティアチームである。

カナダ人の多くはボランティアする習慣があり、経済的に許す限り定期的に寄付もする。私たちは愛に溢れた福田に住んでいるのだ。真心とやる気を持っている人は実に多く、慈済は数多くの慈善団体の中の一つに過ぎない。その為、毎年早めに炊き出しの日程を決めないと希望の日程を貰えない。ここは善の為に競う世界だが、如何にして多くの慈善団体から抜き出るか。「感恩、尊重、愛」という證厳法師の教えが私たちの目標である。

カナダの夜の寒さが真夏でも水のように冷たいことに思い至った。二〇一九年から、北トロントのボランティアは、一般的な家庭にある牛乳パックを集め、それを使ってマットレスに編んで、毎月定期的に配っている。それは長年テント住まいしている彼らにとってとても役に立つものだ。何故なら、牛乳パックのマットレスは柔らかくて、地面の冷気を遮断してくれるからだ。それに加えてリサイクルしたペットボトルで作ったエコ毛布を配付しているので、彼らは一年の三季を過ごすことができる。特別に寒い冬の間だけ保護センターで過ごす。政府は力を尽くしているが、ベッド数はまだ足りない。特にコロナ禍で隔離を要したり、安全距離を保ったりする必要があるため、ベッド数がそれまで以上に大幅に減った。野宿を余儀なくされた時は、マットレスとエコ毛布が役に立つ。

LOFTの責任者であるマリー・アンさんは、慈済は長年側にいてくれるパートナーだと、本心を語った。ホットフードステーションの担当であるマーサさんも、慈済が何時も健康的で美味しい菜食を持ってきてくれることに感謝の意を表した。特に二〇二〇年、コロナ禍の初期に、殆どの組織が活動を中止した時、慈済はいつも通りに活動を続け、街頭生活者を励ました。社会的距離を保つ為に、セントラル・キッチンに入って調理することはできなかったものの、私たちは考えた結果、菜食レストランからテイクアウトすることで、食事の提供を続け、奉仕を疎かにすることはなかった。その真心が伝わり、私たちは慈済の竹筒貯金箱で慈善パートナーと良縁を結ぶことができた。

二〇二一年の統計によると、カナダ全国には二十三万五千人の街頭生活者がいるという。彼らが先進国に存在しているのは、紛れもない事実である。カナダは移民天国だと言われるように、私たちは幸いにも社会で日の当たる場所で暮らし、豊かな社会がもたらした福祉を享受している。しかし、私たちは社会の暗い片隅にいる彼らの存在を見て見ぬ振りをしてはいけない。慈済がいてくれたお陰で、ボランティアの一員として、社会で日の当たらない人々を探し、彼らがどの季節にどのような物資や支援を必要としているのかを把握することができ、これからも心と力を尽くしていく所存である。

北トロント連絡所の慈済ボランティアはLOFTと協力して、定期的に物資を提供している。(撮影・丘啓源)

心が安らぐ場所は我が故郷

證厳法師はいつも海外へ移住した弟子たちに、よその国で暮らすのだから、その地で得たものはその地に返すべきだと言い聞かせている。海外の他の地域に住んでいるボランティアの慈善奉仕の様子を聞いた私たちは、繰り返し考えた結果、規模がどんなに小さくても、各地域の文化の差異を理解すれば、運営の形式も自ずと異なってくるのだと分かった。北トロント連絡所のボランティアは努力してきたのだから、将来はもっと地域文化に溶け込み、様々な面から街頭生活者のケアができるはずだ。

秋の気配が濃くなる時はいつも、「萬里悲秋常作客」(杜甫の詩で、秋の気配が濃くなってくると、故郷への思いで悲しみも濃くなる)を感じる。コロナ対策でなかなか台湾へ帰省できなくも、心はその故郷である花蓮静思精舎と繋がっている。法師が海外のボランティアに呼びかける声は、依然として耳元で響いている。和と合で心の故郷に帰る道を見つけ、法師が私たちが人生の点検をするように、と語った言葉を心に刻んだ。カナダに移住してから既に二十五年が経ち、書類に記入する時の国籍はカナダになった。まるでタンポポの種が飛んだ所に根付くように、私はこの土地に根を下ろし、長い年月をかけてこの地で子供を育て、いつしか一家はここで豊かな暮らしを楽しむようになった。今、カナダは私が居住する場所であり、台湾は故郷である。月は故郷の方が円いと言い、地域がその土地に住む人を育てると言われるように、この地の水を飲んでいるのだから、この土地を守らねばならない。

カナダ東部のボランティアの一員として、心が安らぐ我が故郷に恩返しできることといえば、隣近所を世話し、特に助けを必要としている街頭生活者をケアすることに尽きる。

(慈済月刊六七五期より)

カナダはよく移民天国だと言われる。

私たちは幸いにも社会の日の当たる場所で生活し、豊かさと社会福祉を享受している。

しかし、森の中や車に寝泊まりする街頭生活者たちの存在を、見て見ぬ振りをしてはいけない。

また紅葉の季節がやってきた。雁が金色の夕日に照らされながら、湖水に軽やかに触れ、まるでこの地から去るのを惜しんでいるかのようだった。間もなく遠くの暖かい国に旅立つのだ。

二〇一五年、トロント在住の慈済ボランティアが初めてニューマーケット地区で街頭生活者向けの炊き出しを始めたのも、この金色に実る季節だった。ヨークカウンティにあるニューマーケット地区では、街頭生活者の中にアジア系の顔をあまり見かけないので、当初は果たして彼らが中華風の菜食を受け付けるか否か不安だった。しかし、独自の工夫を凝らす炊き出しチームはその実力で彼らの心を掴んだ。それからは年に少なくとも三回炊き出しをするようになり、彼らから熱烈に歓迎され、次の炊き出しは何時か、とよく聞かれるほどになった。

カナダは裕福な国で、市内の特定区域、特に慈済北トロント支部があるヨークカウンティでは、街を歩いても街頭生活者を目にすることは殆どない。カナダの八割以上の街頭生活者は表立って見ることはできない。彼らは森の奥深くに隠れていたり、車で寝泊まりしたりしているのだ。中には精神疾患や麻薬による精神障害の人もいる。経済的な理由で街頭生活者になった人は割りと少ない。

ここ数年、コロナの感染拡大で、多くの人が心身と経済的にストレスを抱えるようになり、街頭生活者の暮らしや分布にも変化が起きている。二〇二〇年の統計によると、カナダでは街頭生活者の二割が失業によって住宅ローンを払えなくなった人たちである。例年に比べ、八割の街頭生活者は長期間路上生活をしており、政府がいくら努力して宿を提供しても、その増加速度に追い付けず、入居の待ち時間が長くなっている。ヨークカウンティ中心街の保護センターがそれだけの人数を受け入れきれない為、彼らは北部の郊外に移り始めた。

たとえ街頭生活者の現象が、経済危機やコロナ禍によるインパクトに由来しているとしても、私たちの奉仕には影響しない。貧困線が低い国では、慈済の支援対象者は千人を超えており、直接助けを求める人と交流することができる。しかし、カナダはプライバシーを重んじる福祉国家であるため、外見からは困っている人を見分けることは困難だ。そこで、現地の慈善組織と協力することにした。ニューマーケットの保護センターであるイン・フロム・ザ・コールド(以下IFTC)とロフト・アウトリーチ・ヴァン(以下LOFT)は数十年の実績がある団体で、彼らがどこに隠れているかをよく知っている。慈善組織や彼らのニーズを無視して自分が寄付したいものを寄付している人が多い中で、慈済はそうではなく、彼らの不足分を補うことに重点を置くことにした。

目下、保護センターと協力して、年に三、四回の炊き出しと夏・冬の大型配付活動を継続している。また、毎日各地区を巡回するLOFTの車による出張サービスに、随時不足分を支援するようにしている。これらのパートナーから毎月必要品リストを提供してもらったことで、季節が変わると彼らのニーズが変わることに気づいた。彼らは冬には毛布、夏には虫よけと傘が必要で、年間通して必要なのは除臭剤である。

慈済北トロント連絡所は、2015年からニューマーケットのホットフードステーションのスポンサーになり、年3回菜食の炊き出しを街頭生活者に提供している。写真は2018年、北トロント慈済人文学校の生徒が配膳に参加にした時の様子。(撮影・梁延康)

側にいてくれるパートナー

慈済北トロント連絡所は設立して二年で、街頭生活者ケアを任された。限られた人数から始めたが、今では何時でも身を挺して対応する地域ボランティアチームである。

カナダ人の多くはボランティアする習慣があり、経済的に許す限り定期的に寄付もする。私たちは愛に溢れた福田に住んでいるのだ。真心とやる気を持っている人は実に多く、慈済は数多くの慈善団体の中の一つに過ぎない。その為、毎年早めに炊き出しの日程を決めないと希望の日程を貰えない。ここは善の為に競う世界だが、如何にして多くの慈善団体から抜き出るか。「感恩、尊重、愛」という證厳法師の教えが私たちの目標である。

カナダの夜の寒さが真夏でも水のように冷たいことに思い至った。二〇一九年から、北トロントのボランティアは、一般的な家庭にある牛乳パックを集め、それを使ってマットレスに編んで、毎月定期的に配っている。それは長年テント住まいしている彼らにとってとても役に立つものだ。何故なら、牛乳パックのマットレスは柔らかくて、地面の冷気を遮断してくれるからだ。それに加えてリサイクルしたペットボトルで作ったエコ毛布を配付しているので、彼らは一年の三季を過ごすことができる。特別に寒い冬の間だけ保護センターで過ごす。政府は力を尽くしているが、ベッド数はまだ足りない。特にコロナ禍で隔離を要したり、安全距離を保ったりする必要があるため、ベッド数がそれまで以上に大幅に減った。野宿を余儀なくされた時は、マットレスとエコ毛布が役に立つ。

LOFTの責任者であるマリー・アンさんは、慈済は長年側にいてくれるパートナーだと、本心を語った。ホットフードステーションの担当であるマーサさんも、慈済が何時も健康的で美味しい菜食を持ってきてくれることに感謝の意を表した。特に二〇二〇年、コロナ禍の初期に、殆どの組織が活動を中止した時、慈済はいつも通りに活動を続け、街頭生活者を励ました。社会的距離を保つ為に、セントラル・キッチンに入って調理することはできなかったものの、私たちは考えた結果、菜食レストランからテイクアウトすることで、食事の提供を続け、奉仕を疎かにすることはなかった。その真心が伝わり、私たちは慈済の竹筒貯金箱で慈善パートナーと良縁を結ぶことができた。

二〇二一年の統計によると、カナダ全国には二十三万五千人の街頭生活者がいるという。彼らが先進国に存在しているのは、紛れもない事実である。カナダは移民天国だと言われるように、私たちは幸いにも社会で日の当たる場所で暮らし、豊かな社会がもたらした福祉を享受している。しかし、私たちは社会の暗い片隅にいる彼らの存在を見て見ぬ振りをしてはいけない。慈済がいてくれたお陰で、ボランティアの一員として、社会で日の当たらない人々を探し、彼らがどの季節にどのような物資や支援を必要としているのかを把握することができ、これからも心と力を尽くしていく所存である。

北トロント連絡所の慈済ボランティアはLOFTと協力して、定期的に物資を提供している。(撮影・丘啓源)

心が安らぐ場所は我が故郷

證厳法師はいつも海外へ移住した弟子たちに、よその国で暮らすのだから、その地で得たものはその地に返すべきだと言い聞かせている。海外の他の地域に住んでいるボランティアの慈善奉仕の様子を聞いた私たちは、繰り返し考えた結果、規模がどんなに小さくても、各地域の文化の差異を理解すれば、運営の形式も自ずと異なってくるのだと分かった。北トロント連絡所のボランティアは努力してきたのだから、将来はもっと地域文化に溶け込み、様々な面から街頭生活者のケアができるはずだ。

秋の気配が濃くなる時はいつも、「萬里悲秋常作客」(杜甫の詩で、秋の気配が濃くなってくると、故郷への思いで悲しみも濃くなる)を感じる。コロナ対策でなかなか台湾へ帰省できなくも、心はその故郷である花蓮静思精舎と繋がっている。法師が海外のボランティアに呼びかける声は、依然として耳元で響いている。和と合で心の故郷に帰る道を見つけ、法師が私たちが人生の点検をするように、と語った言葉を心に刻んだ。カナダに移住してから既に二十五年が経ち、書類に記入する時の国籍はカナダになった。まるでタンポポの種が飛んだ所に根付くように、私はこの土地に根を下ろし、長い年月をかけてこの地で子供を育て、いつしか一家はここで豊かな暮らしを楽しむようになった。今、カナダは私が居住する場所であり、台湾は故郷である。月は故郷の方が円いと言い、地域がその土地に住む人を育てると言われるように、この地の水を飲んでいるのだから、この土地を守らねばならない。

カナダ東部のボランティアの一員として、心が安らぐ我が故郷に恩返しできることといえば、隣近所を世話し、特に助けを必要としている街頭生活者をケアすることに尽きる。

(慈済月刊六七五期より)

關鍵字

私たちが諦めなければ、彼にチャンスが訪れる─中国

この三年間、アモイのボランティアたちは三百キロの距離を厭わず、連城県まで四十回以上往復してやっと、乾癬症で苦しんでいた羅永華さんを説得し、治療を受けさせることができた。治療で症状が緩和され、彼は再び普通の人と同様の生活ができるようになった。

2020年、コロナ禍が続く中、人々はきれいな水が手に入らなかった。慈済ボランティアが井戸の支援建設を始める前、朱金財さんは、現地の水汲み場である水たまりを調査した。 (撮影・ヘレンジサイル ジヤネ)

その日、空には霞が掛かっていた。羅永華(ルオ・ヨンホア)さんはボランティアたちと共に、貧しさに苦しむ村人たちを訪問するため、畑の片隅にある白い壁と黒い瓦の背の低い家にやってきた。

二十年前、住人の周さんは原因不明の病気で、両足が浮腫んで痛み、関節がこわばって、曲げ伸ばしすることができなくなった。それ以来、ベッドから起き上がることができず、七十歳を過ぎた母親が世話をしている。しかし、年老いた母親も両脚が曲がって変形した重度の障害者で、身長は五歳児ぐらいしかない。

「もしある日、彼の母親が体を壊したら、彼はどうすればいいのか?母親は誰が世話をするのか?」目の前のベッドに横たわっている中年男性を見て、羅さんの心は哀れみと悲しみに襲われ、気持ちが沈んだまま、こっそりと外に出た。

「私も二十年近く病気を患い、毎日が一年のように長く感じられ、地獄にいるかのようでした」。壁の片隅に行くと冷たい風が正面から吹き、目の前には青々とした野原が広がっていたが、新鮮な空気を感じ取ることができず、両目から溢れる涙をこっそりと手で拭った。 周さんの苦しみを、身をもって感じながら、彼は三年前の自分を思い出していた。

羅さんは免疫系疾患で全身の皮膚が炎症を起こし、関節が変形していた。ボランティアは、2019年8月から見舞いに行くようになり、瘡蓋のできた真っ赤な皮膚に軽く手を当てながら見舞った。(撮影・王燕玲)

希望が見えない病の苦しみ

一九八三年、羅さんは龍岩市連城県の揭樂郷魏寨村の山奥で生まれた。二十歳の時に赤い湿疹が発症し、乾癬という完治できない、免疫系統の皮膚病だと診断された。

薬を飲んだり、漢方医に掛かったりして、アモイで働いて稼いだお金をすべて使い果たしてしまったが、症状は良くなる兆しを見せるどころか、益々悪化した。

仕方なく帰郷して、毎日ケータイでインターネット投票による仕事で得られる僅かな収入で生活しながら、独学で漢方を学び、安い漢方薬を買って自分で治療した。

乾癬は、悪化すると頭からつま先まで至る所の皮膚に症状が出る。皮膚のひび割れが起きると、耐え難い痛みに襲われる。また、手足の関節が大きく変形して、つま先が九十度上向きになり、足の爪は最も厚いところで一ミリほどになるので、大きくて幅が広く、甲が高い靴を履くしかない。足は重いだけでなく痛む。まるで重い岩を縛り付けられ、火に焼かれているようで、長時間立ったり歩いたりすることもできない。

容姿が変わり果てた羅さんは、人に見られることを嫌って病床に横になり、秋の落ち葉が落ちるまでひたすら待つかのように、「これが自分の人生であり、両親がいなくなったら餓死するしかない」と思っていた。

二○一九年八月三十一日、慈済が連城県で冬季の配付活動を行った時、村の幹部とボランティアが初めて羅さんの家を訪ねた。そこには壁の隅に無表情な羅さんが座っていた。髪はボサボサで、大小様々な黄色いブツブツが赤くなった全身の皮膚に散らばって、場所によっては厚く積もり、多くの亀裂した傷口には所々血が滲んでいた。

傍にいた羅さんの父親は下を向いて深いため息を漏らし、ボランティアたちに言った。「どうしょうもないのです。彼は一年に半年間ぐらいはベッドで過ごしており、ご飯や水さえも運んであげなければなりません」。

ボランティアは羅さんの側に座り、「こんにちは!私たちに何かお手伝いできることはありませんか?」と彼の真っ赤な皮膚に手を当てながら尋ねた。

「別にありません。もう慣れました。私よりももっと助けを必要としている人を助けてあげてください」と羅さんは悲しそうな眼差しで言った。

重い足取りで羅さんの家を出たボランティアたちは、彼を助ける方法がまだ思いつかないうちに、助けを拒む羅さんからの六百字近いメッセージが届いた。

「あまり私のことを心配しないでください。長年、治療を求めて来ましたが、結果は徒労に終わりました。この歳で何もできず、親のすねをかじっているだけの自分が悔しくてなりません…」。

文脈の中に人生への無力さが表れていた。ボランティアたちは心を痛めたが、諦めていない羅さんの気持ちが読み取れた。他人を煩わせたくない彼の心境がよく分かると余計に、少しでも苦しみが和らぐよう、助けてあげたいと思うようになった。

2021年11月、アモイ漢方医学病院に入院した羅さんを、李医師が病室に来て触診した。(撮影・江采曄)

決して諦めない 
ただの通行人ではない

列車はアモイのボランティアたちを乗せて、次々にトンネルを通過し、遠く離れた約三百キロ先の目的地である連城県に向かった。冠豸山駅を出ると、事前に約束を取っていた連城県政府関連部署の職員と合流した。車で市街地や原野を通り抜けた後、でこぼこの山道に五十分ほど揺られて、羅さんの家に着いた。

摂氏三十度の気温だったが、壁に持たれて座っていた羅さんは、下着とジャケットを着ていても、寒がっている様子だった。彼は思いもよらず、ボランティアがまた来てくれたことに喜びの驚きを感じたが、同じように好意を断った。「私の病気は重症で、皮膚だけではないのです。筋肉にまで達していて、既に方法はありません。あなたたちには、無理ですよ。ここへ来ても時間の無駄です」。

アモイに戻ったボランティアは、豊富な訪問ケアの経験や医療関係のボランティアと話し合って考えた。「乾癬症とは具体的にどんな病気ですか。羅さんは彼に費やすエネルギーを他人に使って欲しいと望んでいます。どうしたものでしょう」。

羅さんは七人家族で、高齢の両親が農業に携わっている他、知的障害を持った義理の姉とまだ喋れない三歳の姪、そして赤ん坊の甥っ子がいて、警備員を務める兄の僅かな収入で一家が生計を立てている。

何回か訪問して、ボランティアたちは羅さん一家の生活状況をこっそり記録した。彼らの三食は殆どサツマイモの葉にご飯で、父親の服とズボンには穴が空いていて、靴も破れ、義理の姉はサイズの合わない男物のTシャツを着ていた。

ボランティアたちは日用品を手にして羅家にやって来た。家族全員に合ったサイズの服、海苔、麺、五穀パウダー、煮込んだ卵と干し豆腐などを持って来たのである。そして、羅さん一家とおしゃべりしたり、甥っ子の爪を切ったり、お風呂に入れたり、洗濯を手伝ったりもした。

「時々、山の気温は氷点下一度まで下がって凍りつくので仕事になりません。この服は暖かくて良いですね」。新しい服とズボン、靴下、靴を身につけた羅さんのお父さんは微笑んで「格好いい」と何度も言った。暫くすると、竹の椅子に座っていた彼は、家の中に久しぶりの笑い声を聞きながら、リラックスして眠りに落ちた。

ボランティアの関心に対して、羅さんはいつも遠慮がちで、「皆さん、うちへ来るなら、物を買わなくても、来てくれるだけで嬉しいです」とボランティアたちにメッセージを送った。

「私は生涯何も持ってなく、友人も恋人も暖かい日差しもありません…あなたたちが私に寄り添ってくれたのは善行のために過ぎません」。

「慈済は私の人生においてはただの通りすがりの人です。慈善の目的を離れたら、あえて私に近づく人なんていませんから」。

その後、羅さんは政府が提供した住居に一人で住むようになったが、アモイの慈済ボランティアは同じように毎月行き来し、頻繁に羅さんに電話をかけたり、日用品を用意したり、家の掃除を手伝ったりした。また、日常生活での利便性を考えて、洗濯機も購入した。ボランティアが見返りを求めず、自分を家族のように接しているのは、表裏が何もなく、ただ自分の回復を願っているだけだと感じた羅さんは、次第に笑顔を見せるようになった。

羅さんはボランティアに、「あなたたちが来ると、とても暖かく感じます。一般の人は私を見ると遠ざかりますが、皆さんは私のことを嫌がらずに会いに来てくれますし、お喋りをしてくれます」。

2022年の初め、羅さん(左)はボランティアと共に、20年あまり寝たきりだというケア世帯を訪ねた。(撮影・范盛花)

アモイで治療し 肩の荷が下りた

羅さんは、自分の変わり果てた姿をこれ以上ボランティアたちに見られたくないと思って、漢方薬に関する本をより真剣に読み、自分で薬を配合して服用した。しかし、頑固な病は改善せず、彼は次第にイラ立ち、「もうここに来ないでください。旧正月が過ぎたら、皆さんが見つからない場所へ行きます」とボランティアに言った。

彼は冷たく拒否し続け、ボランティアは彼の言葉で気が重くなり、諦めようとする人も出て来た。メンバーの一人で、医療スタッフの邱蓮娜(チウ・リエンナ)さんは、諦めてはいけないと自分に言い聞かせながら、経験豊富なボランティアにも相談した。得られた答えは、「彼が私たちのケアを断るならば、彼の家族をケアすればいい」だった。

「永華さん、こんばんは!あなたに大きなプレッシャーを与えてしまったようで、今月から暫くお邪魔するのを控えます。ご両親と二人の子供には会ってもよろしいでしょうか」と、邱さんはケータイのスクリーンを見つめながら、慎重に言葉を選んで、羅さんにメッセージを送った。

邱さんのメッセージは太陽のように、羅さんの心を温かくした。彼は邱さんに本音を語った。「あなたたちを拒むつもりはなく、ただ自分の姿が恥ずかしいだけなのです。私の本意は皆さんにご迷惑をかけたくないのです」 という羅さんからのメッセージが返って来た。邱さんは心の霧が晴れ、途端に嬉しくなったので、再度治療を試みるようにと励ましながら勧めた。

目の前で良い言葉を掛けても、羅さんには効果がなく、邱さんは心が痛むと同時に焦りを感じていた。しかし、上人の言葉を思い出した。「ボランティアは、苦難に喘ぐ衆生のために、請われなくてもやって来る人であるべきなのです。頼まれもしないのに、私たちは自分から出かけて行くのです」。彼女は辛抱強く、真剣な表情で語りかけた。

「後悔しないためにも、自分自身にチャンスを与えてやってください」。

ボランティアが三年間にわたって、困難だと分かっていても諦めないのは、自分が健康になって欲しいと願うからだと羅さんには分かった。治療の結果がどうであれ、ボランティアたちに誠意を見せないわけにはいかない。そこで、「分かりました!」という返事のメッセージを送った。

2回の治療の合間に、羅さん(右)はコロンス島に来て、ボランティアたちと一緒に沿道の資源ゴミ集めの体験をした。(撮影・王慧娜)

二○二一年十一月十八日、羅さんがアモイ駅の改札を出た時、遠くから群衆の中に、一心に改札口を見つめる見慣れた紺色のシャツに白のパンツ姿が見えた。羅さんを病院に連れて行くために、ボランティアが彼に手を貸して地下の駐車場に下りた時、彼は足の痛み忘れていたことに気づいた。

羅さんは心に温もりを感じた。

「今回出かけるときは心配だと全く感じませんでした。本当に気分が良いです」。

病院でバイオ医薬品と漢方薬を配合した薬で治療したところ、思いがけず、皮膚の炎症が徐々に改善され、顔色も健康的になりだした。入院したばかりの時は、指がこわばっていたが、それもかなり良くなった。喜ばしい結果になって、半月間の第一段階の治療を終えると、彼はボランティアの家に泊まり、一週間後の第二段階の治療に備えた。

ボランティアは羅さんに付き添ってリサイクル活動や読書会に参加したり、公園を散歩したり、一緒に餃子作りなどをした。アモイでの一週間の生活は羅さんにとってかけがえのない体験だった。というのも、将来、二度とこのような体験はできないとわかっていたからだ。

羅さんはアモイ漢方医学病院の李依寒(リー・いーハン)医師と邱明山(チウ・ミンシャン)主任医師、看護師長の陳干(チェン・ガン)さんの三人宛に感謝の手紙を書いた。なぜなら、彼らが細心の注意を払って診察し、治療して的確に薬を処方してくれたからこそ、重症だった羅さんの体は「千年の氷が暖かい太陽に照らされて溶け始めたように改善していった」のである。

第一段階の治療を終えると症状が大きく改善した。羅さんは、アモイの静思書軒で暫し休憩した時、「人は方向が分からなくなった時、とても苦しく感じます。それは自分で物事を決められないからです」という静思語を見た。それは正に自分の心境を表しているようだと思った。(撮影・黃德欣)

夏に半袖が着られるようになった

二○二一年十二月二十五日、慈済ボランティアは羅さんに付き添って、退院手続きを終え、故郷の連城に向かう列車に乗った。彼は窓際の席に座り、次々と流れて行く、車窓の景色を見つめていた。十八年間にわたる、病がもたらした耐え難い苦しみが脳裏に浮かんだ。「健康はどんな富でも取って代わることはできない」ことを実感した。

「アモイでの三十七日間で、生まれ変わったように感じました。夏には半袖が着られます」。

羅さんの病気は免疫系統の疾患で、まだ根治することはできないため、毎月病院に通って治療を続けなければならない。しかし、「アモイの慈済ボランティアのおかげで、アモイの漢方医学病院に行くようになってから、私の人生は一変して明るくなりました。病院に戻って治療を続けるのは、単に病気を治すだけでなく、皆さんとの絆を保つことなのです」と羅さんが言った。

二○二二年三月三日、ボランティアは車で羅さんの家を訪れた。車から降りた時、羅さんのお母さんが手を振りながら家の前の坂道まで出迎えに来てくれた。 「皆さんがいなかったら、うちの息子はこんなに元気にはなりませんでした」。七十五歳の母親は長い間ずっと、こっそりと泣いていた。今、元気な姿に戻った息子を見て、彼女は何度もボランティアにお礼を言った。

三年近くが経ち、羅さんは生まれ変わったようになった。全身の肌はしっとりとして、血色も良く、新たに伸びた爪は次第に黄褐色の厚い爪と入れ替わりつつあった。彼は人と接することを恐れなくなり、自撮りした写真を喜んで友人とシェアするようになった。

ボランティアの付き添いの下、羅さんは地域のリサイクル活動や読書会、訪問ケアに参加するようになり、仕事も見つかった。あの日、ボランティアと周家の訪問を終えようとした時、霧雨が青々とした山野を包んで雫を垂らす中で、羅さんは自分の気持ちを整理し、体をかがめて周さんのお母さんの側に行くと彼女の手を取って優しく、「体を大事にしてください」と声をかけた。

(慈済月刊六七二期より)

2021年12月25日、37日間の治療を終えた羅さんは、故郷の連城に向かう列車に乗った。車窓の外の風景が、18年間の苦しみのページを捲るかのように過ぎていった。(撮影・黄德欣)

この三年間、アモイのボランティアたちは三百キロの距離を厭わず、連城県まで四十回以上往復してやっと、乾癬症で苦しんでいた羅永華さんを説得し、治療を受けさせることができた。治療で症状が緩和され、彼は再び普通の人と同様の生活ができるようになった。

2020年、コロナ禍が続く中、人々はきれいな水が手に入らなかった。慈済ボランティアが井戸の支援建設を始める前、朱金財さんは、現地の水汲み場である水たまりを調査した。 (撮影・ヘレンジサイル ジヤネ)

その日、空には霞が掛かっていた。羅永華(ルオ・ヨンホア)さんはボランティアたちと共に、貧しさに苦しむ村人たちを訪問するため、畑の片隅にある白い壁と黒い瓦の背の低い家にやってきた。

二十年前、住人の周さんは原因不明の病気で、両足が浮腫んで痛み、関節がこわばって、曲げ伸ばしすることができなくなった。それ以来、ベッドから起き上がることができず、七十歳を過ぎた母親が世話をしている。しかし、年老いた母親も両脚が曲がって変形した重度の障害者で、身長は五歳児ぐらいしかない。

「もしある日、彼の母親が体を壊したら、彼はどうすればいいのか?母親は誰が世話をするのか?」目の前のベッドに横たわっている中年男性を見て、羅さんの心は哀れみと悲しみに襲われ、気持ちが沈んだまま、こっそりと外に出た。

「私も二十年近く病気を患い、毎日が一年のように長く感じられ、地獄にいるかのようでした」。壁の片隅に行くと冷たい風が正面から吹き、目の前には青々とした野原が広がっていたが、新鮮な空気を感じ取ることができず、両目から溢れる涙をこっそりと手で拭った。 周さんの苦しみを、身をもって感じながら、彼は三年前の自分を思い出していた。

羅さんは免疫系疾患で全身の皮膚が炎症を起こし、関節が変形していた。ボランティアは、2019年8月から見舞いに行くようになり、瘡蓋のできた真っ赤な皮膚に軽く手を当てながら見舞った。(撮影・王燕玲)

希望が見えない病の苦しみ

一九八三年、羅さんは龍岩市連城県の揭樂郷魏寨村の山奥で生まれた。二十歳の時に赤い湿疹が発症し、乾癬という完治できない、免疫系統の皮膚病だと診断された。

薬を飲んだり、漢方医に掛かったりして、アモイで働いて稼いだお金をすべて使い果たしてしまったが、症状は良くなる兆しを見せるどころか、益々悪化した。

仕方なく帰郷して、毎日ケータイでインターネット投票による仕事で得られる僅かな収入で生活しながら、独学で漢方を学び、安い漢方薬を買って自分で治療した。

乾癬は、悪化すると頭からつま先まで至る所の皮膚に症状が出る。皮膚のひび割れが起きると、耐え難い痛みに襲われる。また、手足の関節が大きく変形して、つま先が九十度上向きになり、足の爪は最も厚いところで一ミリほどになるので、大きくて幅が広く、甲が高い靴を履くしかない。足は重いだけでなく痛む。まるで重い岩を縛り付けられ、火に焼かれているようで、長時間立ったり歩いたりすることもできない。

容姿が変わり果てた羅さんは、人に見られることを嫌って病床に横になり、秋の落ち葉が落ちるまでひたすら待つかのように、「これが自分の人生であり、両親がいなくなったら餓死するしかない」と思っていた。

二○一九年八月三十一日、慈済が連城県で冬季の配付活動を行った時、村の幹部とボランティアが初めて羅さんの家を訪ねた。そこには壁の隅に無表情な羅さんが座っていた。髪はボサボサで、大小様々な黄色いブツブツが赤くなった全身の皮膚に散らばって、場所によっては厚く積もり、多くの亀裂した傷口には所々血が滲んでいた。

傍にいた羅さんの父親は下を向いて深いため息を漏らし、ボランティアたちに言った。「どうしょうもないのです。彼は一年に半年間ぐらいはベッドで過ごしており、ご飯や水さえも運んであげなければなりません」。

ボランティアは羅さんの側に座り、「こんにちは!私たちに何かお手伝いできることはありませんか?」と彼の真っ赤な皮膚に手を当てながら尋ねた。

「別にありません。もう慣れました。私よりももっと助けを必要としている人を助けてあげてください」と羅さんは悲しそうな眼差しで言った。

重い足取りで羅さんの家を出たボランティアたちは、彼を助ける方法がまだ思いつかないうちに、助けを拒む羅さんからの六百字近いメッセージが届いた。

「あまり私のことを心配しないでください。長年、治療を求めて来ましたが、結果は徒労に終わりました。この歳で何もできず、親のすねをかじっているだけの自分が悔しくてなりません…」。

文脈の中に人生への無力さが表れていた。ボランティアたちは心を痛めたが、諦めていない羅さんの気持ちが読み取れた。他人を煩わせたくない彼の心境がよく分かると余計に、少しでも苦しみが和らぐよう、助けてあげたいと思うようになった。

2021年11月、アモイ漢方医学病院に入院した羅さんを、李医師が病室に来て触診した。(撮影・江采曄)

決して諦めない 
ただの通行人ではない

列車はアモイのボランティアたちを乗せて、次々にトンネルを通過し、遠く離れた約三百キロ先の目的地である連城県に向かった。冠豸山駅を出ると、事前に約束を取っていた連城県政府関連部署の職員と合流した。車で市街地や原野を通り抜けた後、でこぼこの山道に五十分ほど揺られて、羅さんの家に着いた。

摂氏三十度の気温だったが、壁に持たれて座っていた羅さんは、下着とジャケットを着ていても、寒がっている様子だった。彼は思いもよらず、ボランティアがまた来てくれたことに喜びの驚きを感じたが、同じように好意を断った。「私の病気は重症で、皮膚だけではないのです。筋肉にまで達していて、既に方法はありません。あなたたちには、無理ですよ。ここへ来ても時間の無駄です」。

アモイに戻ったボランティアは、豊富な訪問ケアの経験や医療関係のボランティアと話し合って考えた。「乾癬症とは具体的にどんな病気ですか。羅さんは彼に費やすエネルギーを他人に使って欲しいと望んでいます。どうしたものでしょう」。

羅さんは七人家族で、高齢の両親が農業に携わっている他、知的障害を持った義理の姉とまだ喋れない三歳の姪、そして赤ん坊の甥っ子がいて、警備員を務める兄の僅かな収入で一家が生計を立てている。

何回か訪問して、ボランティアたちは羅さん一家の生活状況をこっそり記録した。彼らの三食は殆どサツマイモの葉にご飯で、父親の服とズボンには穴が空いていて、靴も破れ、義理の姉はサイズの合わない男物のTシャツを着ていた。

ボランティアたちは日用品を手にして羅家にやって来た。家族全員に合ったサイズの服、海苔、麺、五穀パウダー、煮込んだ卵と干し豆腐などを持って来たのである。そして、羅さん一家とおしゃべりしたり、甥っ子の爪を切ったり、お風呂に入れたり、洗濯を手伝ったりもした。

「時々、山の気温は氷点下一度まで下がって凍りつくので仕事になりません。この服は暖かくて良いですね」。新しい服とズボン、靴下、靴を身につけた羅さんのお父さんは微笑んで「格好いい」と何度も言った。暫くすると、竹の椅子に座っていた彼は、家の中に久しぶりの笑い声を聞きながら、リラックスして眠りに落ちた。

ボランティアの関心に対して、羅さんはいつも遠慮がちで、「皆さん、うちへ来るなら、物を買わなくても、来てくれるだけで嬉しいです」とボランティアたちにメッセージを送った。

「私は生涯何も持ってなく、友人も恋人も暖かい日差しもありません…あなたたちが私に寄り添ってくれたのは善行のために過ぎません」。

「慈済は私の人生においてはただの通りすがりの人です。慈善の目的を離れたら、あえて私に近づく人なんていませんから」。

その後、羅さんは政府が提供した住居に一人で住むようになったが、アモイの慈済ボランティアは同じように毎月行き来し、頻繁に羅さんに電話をかけたり、日用品を用意したり、家の掃除を手伝ったりした。また、日常生活での利便性を考えて、洗濯機も購入した。ボランティアが見返りを求めず、自分を家族のように接しているのは、表裏が何もなく、ただ自分の回復を願っているだけだと感じた羅さんは、次第に笑顔を見せるようになった。

羅さんはボランティアに、「あなたたちが来ると、とても暖かく感じます。一般の人は私を見ると遠ざかりますが、皆さんは私のことを嫌がらずに会いに来てくれますし、お喋りをしてくれます」。

2022年の初め、羅さん(左)はボランティアと共に、20年あまり寝たきりだというケア世帯を訪ねた。(撮影・范盛花)

アモイで治療し 肩の荷が下りた

羅さんは、自分の変わり果てた姿をこれ以上ボランティアたちに見られたくないと思って、漢方薬に関する本をより真剣に読み、自分で薬を配合して服用した。しかし、頑固な病は改善せず、彼は次第にイラ立ち、「もうここに来ないでください。旧正月が過ぎたら、皆さんが見つからない場所へ行きます」とボランティアに言った。

彼は冷たく拒否し続け、ボランティアは彼の言葉で気が重くなり、諦めようとする人も出て来た。メンバーの一人で、医療スタッフの邱蓮娜(チウ・リエンナ)さんは、諦めてはいけないと自分に言い聞かせながら、経験豊富なボランティアにも相談した。得られた答えは、「彼が私たちのケアを断るならば、彼の家族をケアすればいい」だった。

「永華さん、こんばんは!あなたに大きなプレッシャーを与えてしまったようで、今月から暫くお邪魔するのを控えます。ご両親と二人の子供には会ってもよろしいでしょうか」と、邱さんはケータイのスクリーンを見つめながら、慎重に言葉を選んで、羅さんにメッセージを送った。

邱さんのメッセージは太陽のように、羅さんの心を温かくした。彼は邱さんに本音を語った。「あなたたちを拒むつもりはなく、ただ自分の姿が恥ずかしいだけなのです。私の本意は皆さんにご迷惑をかけたくないのです」 という羅さんからのメッセージが返って来た。邱さんは心の霧が晴れ、途端に嬉しくなったので、再度治療を試みるようにと励ましながら勧めた。

目の前で良い言葉を掛けても、羅さんには効果がなく、邱さんは心が痛むと同時に焦りを感じていた。しかし、上人の言葉を思い出した。「ボランティアは、苦難に喘ぐ衆生のために、請われなくてもやって来る人であるべきなのです。頼まれもしないのに、私たちは自分から出かけて行くのです」。彼女は辛抱強く、真剣な表情で語りかけた。

「後悔しないためにも、自分自身にチャンスを与えてやってください」。

ボランティアが三年間にわたって、困難だと分かっていても諦めないのは、自分が健康になって欲しいと願うからだと羅さんには分かった。治療の結果がどうであれ、ボランティアたちに誠意を見せないわけにはいかない。そこで、「分かりました!」という返事のメッセージを送った。

2回の治療の合間に、羅さん(右)はコロンス島に来て、ボランティアたちと一緒に沿道の資源ゴミ集めの体験をした。(撮影・王慧娜)

二○二一年十一月十八日、羅さんがアモイ駅の改札を出た時、遠くから群衆の中に、一心に改札口を見つめる見慣れた紺色のシャツに白のパンツ姿が見えた。羅さんを病院に連れて行くために、ボランティアが彼に手を貸して地下の駐車場に下りた時、彼は足の痛み忘れていたことに気づいた。

羅さんは心に温もりを感じた。

「今回出かけるときは心配だと全く感じませんでした。本当に気分が良いです」。

病院でバイオ医薬品と漢方薬を配合した薬で治療したところ、思いがけず、皮膚の炎症が徐々に改善され、顔色も健康的になりだした。入院したばかりの時は、指がこわばっていたが、それもかなり良くなった。喜ばしい結果になって、半月間の第一段階の治療を終えると、彼はボランティアの家に泊まり、一週間後の第二段階の治療に備えた。

ボランティアは羅さんに付き添ってリサイクル活動や読書会に参加したり、公園を散歩したり、一緒に餃子作りなどをした。アモイでの一週間の生活は羅さんにとってかけがえのない体験だった。というのも、将来、二度とこのような体験はできないとわかっていたからだ。

羅さんはアモイ漢方医学病院の李依寒(リー・いーハン)医師と邱明山(チウ・ミンシャン)主任医師、看護師長の陳干(チェン・ガン)さんの三人宛に感謝の手紙を書いた。なぜなら、彼らが細心の注意を払って診察し、治療して的確に薬を処方してくれたからこそ、重症だった羅さんの体は「千年の氷が暖かい太陽に照らされて溶け始めたように改善していった」のである。

第一段階の治療を終えると症状が大きく改善した。羅さんは、アモイの静思書軒で暫し休憩した時、「人は方向が分からなくなった時、とても苦しく感じます。それは自分で物事を決められないからです」という静思語を見た。それは正に自分の心境を表しているようだと思った。(撮影・黃德欣)

夏に半袖が着られるようになった

二○二一年十二月二十五日、慈済ボランティアは羅さんに付き添って、退院手続きを終え、故郷の連城に向かう列車に乗った。彼は窓際の席に座り、次々と流れて行く、車窓の景色を見つめていた。十八年間にわたる、病がもたらした耐え難い苦しみが脳裏に浮かんだ。「健康はどんな富でも取って代わることはできない」ことを実感した。

「アモイでの三十七日間で、生まれ変わったように感じました。夏には半袖が着られます」。

羅さんの病気は免疫系統の疾患で、まだ根治することはできないため、毎月病院に通って治療を続けなければならない。しかし、「アモイの慈済ボランティアのおかげで、アモイの漢方医学病院に行くようになってから、私の人生は一変して明るくなりました。病院に戻って治療を続けるのは、単に病気を治すだけでなく、皆さんとの絆を保つことなのです」と羅さんが言った。

二○二二年三月三日、ボランティアは車で羅さんの家を訪れた。車から降りた時、羅さんのお母さんが手を振りながら家の前の坂道まで出迎えに来てくれた。 「皆さんがいなかったら、うちの息子はこんなに元気にはなりませんでした」。七十五歳の母親は長い間ずっと、こっそりと泣いていた。今、元気な姿に戻った息子を見て、彼女は何度もボランティアにお礼を言った。

三年近くが経ち、羅さんは生まれ変わったようになった。全身の肌はしっとりとして、血色も良く、新たに伸びた爪は次第に黄褐色の厚い爪と入れ替わりつつあった。彼は人と接することを恐れなくなり、自撮りした写真を喜んで友人とシェアするようになった。

ボランティアの付き添いの下、羅さんは地域のリサイクル活動や読書会、訪問ケアに参加するようになり、仕事も見つかった。あの日、ボランティアと周家の訪問を終えようとした時、霧雨が青々とした山野を包んで雫を垂らす中で、羅さんは自分の気持ちを整理し、体をかがめて周さんのお母さんの側に行くと彼女の手を取って優しく、「体を大事にしてください」と声をかけた。

(慈済月刊六七二期より)

2021年12月25日、37日間の治療を終えた羅さんは、故郷の連城に向かう列車に乗った。車窓の外の風景が、18年間の苦しみのページを捲るかのように過ぎていった。(撮影・黄德欣)

關鍵字

痛快にやり過ごす

煩悩の「気」に遮られて足を止めるのも、
あらぬ考えから人生に障害を作るのもよくありません。

草花と語り合う

北部の紀静暘(ジー・ジンヤン)さん、林智慧(リン・ジーフイ)さん、林雅美(リン・ヤーメイ)さん、陳美月(チェン・メイユエ)さんたちと座談した時、上人は言いました。

「皆さんは自分たちのことを『おばさん』と冗談のように言いますが、いたって平凡な主婦なのです。しかし、慈済の志業は、主婦たちの一日五十銭から始まったのです。早期の慈済委員は民衆から募金しましたが、五元や十元という僅かな善意であっても、それは全て愛の心です。少しずつ蓄積されていき、今では世界中に志業を広めるまでになりました」。

「私は毎日、医者の言うことを聞いて、書斎の外の廊下を散歩しています。花壇の側まで来ると、草花に語りかけています」。「花一輪、草一本にも気と質があり、目に見える質はその形を成し、目に見えない気が流れています。昨日芽を吹いたと思ったら、今日は葉を広げているのです。明日また見に行くと、黄色みがかった赤から緑色に変わっていて、目に見えない繊細な変化が絶えず続いているのです。この世は無常で定まることを知らず、人生の本質も同じようなもので、憂慮に値します。道心を永遠に堅持するのは容易なことではありません。私はベテラン委員に会うと、心から労りたくなります。私を見捨てることなく側にいてくれる、その師弟の情は貴いものです。それを手放してはなりません」。

「人生は無常でも、因と縁は永遠です。私たちの因はずっと以前に結ばれており、絶えず縁を長く続けることです。天地が続くように、どこに居ようとも、この慈済の情を手放さなければ、方向が逸れることはありません。もし慈済を離れたなら、僅かな差で千里を失ってしまいます。今生で慈済の情がきちんと結ばれていれば、来世での菩薩道は同じように正しいものになります」。

「この数十年間、私たちは台湾や世界で、どれだけ災害支援をしてきたか、数え切れません。できる限り過去に遡って、あらゆる出来事を整理するしかありませんが、あなたたちも覚えている分だけ話してください。先ほどの話はとても素晴らしく、興味深いものです。当時は大変な苦労でしたが、今思い返すと興味深いものを感じます。苦労は既に過去のものとなり、心に残っているのは喜びだけです」。また、上人は、ベテラン慈済人が過去を振り返って、「甘んじてやり遂げた苦労話」をすれば、脳が活性化されると共に慈済のためにもなり、自分の人生を歴史に残すことになる、と言いました。

「私は毎日自分の行為を振り返り、この人生は価値のあるものだった、といつも自分に言い聞かせています。私は間違ったことをしたことはなく、たとえ望み通りにはならなくても、誰一人傷つけたことはありません。もし、私に対して不満があっても、私は最善を尽くしているのですから、何ら恥じるところはありません。あなたたちは止まるところを知らず、志業を行ってきました。実は『宝は近い』と言われるように、菩薩道を歩む時には止まってはいけないのです。その道中では『化城』で足を休め、体力が回復すれば、再び出発し、『宝城』に向かって進み続けるのです」。

「自分のあらぬ考えで自ら障壁を作ってはいけません。その実、人生の障壁の多くは自分が作ったものなのです。時間は人を待たず、道を歩いても石につまずいて不用意に怪我し、屈んで『痛い』と叫んでも、治るまでには時間が掛かります。もし痛みを我慢して進めば、そのうちに足の痛みは忘れてしまいます。そこに止まって治るのを待っていると、却って益々痛くなるのです。以前にも『痛、快』について話したことがありますが、痛みを早くやり過ごすのは進歩している証拠です。人と摩擦が起き、一度傷つくと、立ち止まって癒えるのを待ちますが、その間に後ろの人が追い越し、いつまで経っても人後に落ちてしまうのです。歩み出そうとする時、既に前の人とはかなりの距離が開き、その『気』に遮られてしまいます。ですから、人生では煩悩の『気』に遮られないようにすべきです。さもなければ、意地になって足を止めることは自分の慧命の成長を止めることに他なりません。慧命は前進し続けなければならないのです」。

「進むか止まるか、または後戻りするにしても、時間は同じように過ぎて行きます。自分でどれを選択するかです。今の行いが正しければ、その方向が逸れないようにすることであり、毎日正しい観念を持って正しい方向に進むのです。『八正道』を守り、精進して『六度』を行われなければなりません」と上人は言いました。

「皆さんはまだ元気なのですから、縁を逃してはいけません。私も皆さんの歳に近いのです。発心立願し、時間を無駄にせず、慈済の志業をたくさん伝えてください。そして、若い人に付き添い、過去の経験を話してあげれば、それが説法になるのです。六根の功能を発揮するには、眼 (げん) ・耳 (に) ・鼻・舌・身・意がはっきりしていなくてはならず、慈済という道を進む過程で、人を導いて付き添うには、心とその方向がしっかりと正しくなければいけません」。

(慈済月刊六七八期より)

煩悩の「気」に遮られて足を止めるのも、
あらぬ考えから人生に障害を作るのもよくありません。

草花と語り合う

北部の紀静暘(ジー・ジンヤン)さん、林智慧(リン・ジーフイ)さん、林雅美(リン・ヤーメイ)さん、陳美月(チェン・メイユエ)さんたちと座談した時、上人は言いました。

「皆さんは自分たちのことを『おばさん』と冗談のように言いますが、いたって平凡な主婦なのです。しかし、慈済の志業は、主婦たちの一日五十銭から始まったのです。早期の慈済委員は民衆から募金しましたが、五元や十元という僅かな善意であっても、それは全て愛の心です。少しずつ蓄積されていき、今では世界中に志業を広めるまでになりました」。

「私は毎日、医者の言うことを聞いて、書斎の外の廊下を散歩しています。花壇の側まで来ると、草花に語りかけています」。「花一輪、草一本にも気と質があり、目に見える質はその形を成し、目に見えない気が流れています。昨日芽を吹いたと思ったら、今日は葉を広げているのです。明日また見に行くと、黄色みがかった赤から緑色に変わっていて、目に見えない繊細な変化が絶えず続いているのです。この世は無常で定まることを知らず、人生の本質も同じようなもので、憂慮に値します。道心を永遠に堅持するのは容易なことではありません。私はベテラン委員に会うと、心から労りたくなります。私を見捨てることなく側にいてくれる、その師弟の情は貴いものです。それを手放してはなりません」。

「人生は無常でも、因と縁は永遠です。私たちの因はずっと以前に結ばれており、絶えず縁を長く続けることです。天地が続くように、どこに居ようとも、この慈済の情を手放さなければ、方向が逸れることはありません。もし慈済を離れたなら、僅かな差で千里を失ってしまいます。今生で慈済の情がきちんと結ばれていれば、来世での菩薩道は同じように正しいものになります」。

「この数十年間、私たちは台湾や世界で、どれだけ災害支援をしてきたか、数え切れません。できる限り過去に遡って、あらゆる出来事を整理するしかありませんが、あなたたちも覚えている分だけ話してください。先ほどの話はとても素晴らしく、興味深いものです。当時は大変な苦労でしたが、今思い返すと興味深いものを感じます。苦労は既に過去のものとなり、心に残っているのは喜びだけです」。また、上人は、ベテラン慈済人が過去を振り返って、「甘んじてやり遂げた苦労話」をすれば、脳が活性化されると共に慈済のためにもなり、自分の人生を歴史に残すことになる、と言いました。

「私は毎日自分の行為を振り返り、この人生は価値のあるものだった、といつも自分に言い聞かせています。私は間違ったことをしたことはなく、たとえ望み通りにはならなくても、誰一人傷つけたことはありません。もし、私に対して不満があっても、私は最善を尽くしているのですから、何ら恥じるところはありません。あなたたちは止まるところを知らず、志業を行ってきました。実は『宝は近い』と言われるように、菩薩道を歩む時には止まってはいけないのです。その道中では『化城』で足を休め、体力が回復すれば、再び出発し、『宝城』に向かって進み続けるのです」。

「自分のあらぬ考えで自ら障壁を作ってはいけません。その実、人生の障壁の多くは自分が作ったものなのです。時間は人を待たず、道を歩いても石につまずいて不用意に怪我し、屈んで『痛い』と叫んでも、治るまでには時間が掛かります。もし痛みを我慢して進めば、そのうちに足の痛みは忘れてしまいます。そこに止まって治るのを待っていると、却って益々痛くなるのです。以前にも『痛、快』について話したことがありますが、痛みを早くやり過ごすのは進歩している証拠です。人と摩擦が起き、一度傷つくと、立ち止まって癒えるのを待ちますが、その間に後ろの人が追い越し、いつまで経っても人後に落ちてしまうのです。歩み出そうとする時、既に前の人とはかなりの距離が開き、その『気』に遮られてしまいます。ですから、人生では煩悩の『気』に遮られないようにすべきです。さもなければ、意地になって足を止めることは自分の慧命の成長を止めることに他なりません。慧命は前進し続けなければならないのです」。

「進むか止まるか、または後戻りするにしても、時間は同じように過ぎて行きます。自分でどれを選択するかです。今の行いが正しければ、その方向が逸れないようにすることであり、毎日正しい観念を持って正しい方向に進むのです。『八正道』を守り、精進して『六度』を行われなければなりません」と上人は言いました。

「皆さんはまだ元気なのですから、縁を逃してはいけません。私も皆さんの歳に近いのです。発心立願し、時間を無駄にせず、慈済の志業をたくさん伝えてください。そして、若い人に付き添い、過去の経験を話してあげれば、それが説法になるのです。六根の功能を発揮するには、眼 (げん) ・耳 (に) ・鼻・舌・身・意がはっきりしていなくてはならず、慈済という道を進む過程で、人を導いて付き添うには、心とその方向がしっかりと正しくなければいけません」。

(慈済月刊六七八期より)

關鍵字

六月の出来事

06・01

◎モザンビークのサイクロン・イダイ被害を支援している慈済基金会は2022年4月、ニャマタンダ郡メトゥシラ地区で三つ目の大愛村の起工式を行い、本日、完成した家屋を35世帯に引き渡すと同時に、毛布、マットレスと折畳式テーブル及び衛生用品などの物資を贈った。

◎慈済アメリカ総支部は、中南米から熱帯雨林を経て違法にアメリカに渡って来た、自称「レインフォレストマン」の中華系移民のケアを行なっているが、本日モントレーパーク市で351世帯を対象に、米とパン、まんじゅう、新鮮な野菜や果物などの食糧を配付し、中古の食器類や衣類を必要な人に提供した。

06・05

◎「国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)」補助機関(SBI)による第58回会合が5日から15日まで、ドイツのボンで開かれた。慈済基金会アメリカ総支部の職員、裘曜陽さんとドイツ慈済ボランティアの楊沃福(済洪)さん、林美鳳さんが基金会を代表して出席した。気候変動に関する最新情報を得た他、各国や団体と慈済の環境保全理念及び経験をシェアし、協力パートナーとの関係を強めた。

◎慈済基金会仏国プロジェクトチームはネパール健康・環境・気候変動対策財団(HECAF360)と協力して、本日ルンビニ文化市にあるテルハワコミュニティ学習センターで、7日間の布ナプキン縫製教室を開き、初日15人の女性が参加した。

06・06

災害時物流空輸関係のAirlinkは6日と7日、フィリピンで第一回アジア地区協力パートナー会議を開いた。アジア地区の輸送基準を理解し、災害支援での協力の枠組みを立ち上げると共に、防災や備蓄効果を上げることを目標とした。招かれた慈済基金会からは執行長室グローバル協力事務発展室(GPAD)職員の凃君曄さんと呂芷華さんが代表で出席した。

06・07

フィリピン慈済人医会と慈済ボランティアはボホール州衛生事務所及び教育部医療スタッフと協力して、サグバヤン郡区で歯科の施療を行い、108人の患者が訪れた。

06・08

◎アルゼンチン慈済ボランティアは、リオネグロ州のボルソン病院での手術衣更新の必要性を知り、医療品質の向上のため、本日90枚の手術衣を贈呈した。また、ボランティアはチュバット州ラーゴプエロ消防署の消防車購入を支援し、9日贈呈式が行われた。

◎慈済基金会仏国プロジェクトチームは、インドのシローンジャ村で健康診断活動を計画した。7日にスタッフとして参加する住民20人に、健康診断室で血圧やBMIの測定などを訓練すると共に、健康的な食習慣の宣伝を行った。本日より健康診断が始まり、訓練を受けたスタッフが村民に検査を行い、ボランティアが側で指導した。

06・10

慈済アメリカ総支部はロサンゼルス郡精神保健局(LACDMH)、カリフォルニア精神保健サービス局 (「CalMHSA」) と協力して、アルハンブラのアルマンソール裁判所で「行動による回復力」講座を開き、専門の学者を招いて情緒をコントロールする方法を紹介し、大衆のメンタルヘルス能力の向上を目指した。

06・11

チリ慈済ボランティアはポロヴィデンシア市のカルメラ・カルヴァハル中学校で、今年三回目の冬季配付と眼科の施療活動を行って150世帯を支援した他、42人の学生に視力検査を行った。

06・12

慈済基金会がモザンビークで行っているサイクロンイダイ災害支援プロジェクトのうち、ソファラ州のクーラ、ジョキムマラ、グラサマケルの3つの小学校の支援建設が完了した。本日引き渡し式典が行われ、州知事と教育局長などの来賓が参加してテープカットが行われた。

06・15

◎慈済基金会2023年海外養成委員・慈誠精神研修会が、二回に分かれて花蓮静思堂で行われた。一回目は15日から19日まで、マレーシア、シンガポールから625人が参加した。二回目は21日から25日まで、モザンビーク、ジンバブエ、アメリカ、オーストラリア、フィリピン、インドネシアなど19の国と地域から588人が参加した。新型コロナの影響で研修会は3年間中止され、海外から台湾に来て認証を受ける夢が叶わなかったため、今回は特別に四回目の認証式典を行い、1034人が證厳法師から委員証を授かった。

◎慈済基金会グローバルボランティア総監督の黃思賢さんと宗教處職工の周利貞さんは、慈済医療財団法人の林俊龍執行長及び花蓮、台北、台中慈済病院のメンバーと共にインドネシアを訪れ、15日から18日まで、「2023年国際人医フォーラム及びインドネシア慈済病院開業式典」が開かれた。

06・01

◎モザンビークのサイクロン・イダイ被害を支援している慈済基金会は2022年4月、ニャマタンダ郡メトゥシラ地区で三つ目の大愛村の起工式を行い、本日、完成した家屋を35世帯に引き渡すと同時に、毛布、マットレスと折畳式テーブル及び衛生用品などの物資を贈った。

◎慈済アメリカ総支部は、中南米から熱帯雨林を経て違法にアメリカに渡って来た、自称「レインフォレストマン」の中華系移民のケアを行なっているが、本日モントレーパーク市で351世帯を対象に、米とパン、まんじゅう、新鮮な野菜や果物などの食糧を配付し、中古の食器類や衣類を必要な人に提供した。

06・05

◎「国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)」補助機関(SBI)による第58回会合が5日から15日まで、ドイツのボンで開かれた。慈済基金会アメリカ総支部の職員、裘曜陽さんとドイツ慈済ボランティアの楊沃福(済洪)さん、林美鳳さんが基金会を代表して出席した。気候変動に関する最新情報を得た他、各国や団体と慈済の環境保全理念及び経験をシェアし、協力パートナーとの関係を強めた。

◎慈済基金会仏国プロジェクトチームはネパール健康・環境・気候変動対策財団(HECAF360)と協力して、本日ルンビニ文化市にあるテルハワコミュニティ学習センターで、7日間の布ナプキン縫製教室を開き、初日15人の女性が参加した。

06・06

災害時物流空輸関係のAirlinkは6日と7日、フィリピンで第一回アジア地区協力パートナー会議を開いた。アジア地区の輸送基準を理解し、災害支援での協力の枠組みを立ち上げると共に、防災や備蓄効果を上げることを目標とした。招かれた慈済基金会からは執行長室グローバル協力事務発展室(GPAD)職員の凃君曄さんと呂芷華さんが代表で出席した。

06・07

フィリピン慈済人医会と慈済ボランティアはボホール州衛生事務所及び教育部医療スタッフと協力して、サグバヤン郡区で歯科の施療を行い、108人の患者が訪れた。

06・08

◎アルゼンチン慈済ボランティアは、リオネグロ州のボルソン病院での手術衣更新の必要性を知り、医療品質の向上のため、本日90枚の手術衣を贈呈した。また、ボランティアはチュバット州ラーゴプエロ消防署の消防車購入を支援し、9日贈呈式が行われた。

◎慈済基金会仏国プロジェクトチームは、インドのシローンジャ村で健康診断活動を計画した。7日にスタッフとして参加する住民20人に、健康診断室で血圧やBMIの測定などを訓練すると共に、健康的な食習慣の宣伝を行った。本日より健康診断が始まり、訓練を受けたスタッフが村民に検査を行い、ボランティアが側で指導した。

06・10

慈済アメリカ総支部はロサンゼルス郡精神保健局(LACDMH)、カリフォルニア精神保健サービス局 (「CalMHSA」) と協力して、アルハンブラのアルマンソール裁判所で「行動による回復力」講座を開き、専門の学者を招いて情緒をコントロールする方法を紹介し、大衆のメンタルヘルス能力の向上を目指した。

06・11

チリ慈済ボランティアはポロヴィデンシア市のカルメラ・カルヴァハル中学校で、今年三回目の冬季配付と眼科の施療活動を行って150世帯を支援した他、42人の学生に視力検査を行った。

06・12

慈済基金会がモザンビークで行っているサイクロンイダイ災害支援プロジェクトのうち、ソファラ州のクーラ、ジョキムマラ、グラサマケルの3つの小学校の支援建設が完了した。本日引き渡し式典が行われ、州知事と教育局長などの来賓が参加してテープカットが行われた。

06・15

◎慈済基金会2023年海外養成委員・慈誠精神研修会が、二回に分かれて花蓮静思堂で行われた。一回目は15日から19日まで、マレーシア、シンガポールから625人が参加した。二回目は21日から25日まで、モザンビーク、ジンバブエ、アメリカ、オーストラリア、フィリピン、インドネシアなど19の国と地域から588人が参加した。新型コロナの影響で研修会は3年間中止され、海外から台湾に来て認証を受ける夢が叶わなかったため、今回は特別に四回目の認証式典を行い、1034人が證厳法師から委員証を授かった。

◎慈済基金会グローバルボランティア総監督の黃思賢さんと宗教處職工の周利貞さんは、慈済医療財団法人の林俊龍執行長及び花蓮、台北、台中慈済病院のメンバーと共にインドネシアを訪れ、15日から18日まで、「2023年国際人医フォーラム及びインドネシア慈済病院開業式典」が開かれた。

關鍵字

十六至十七日 讓心明朗

5.16~17《農三月‧二十七至二十八》

【靜思小語】戰爭沒有贏家,都是輸家,輸給了人心的無明,兩敗俱傷。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

人人皆有大圓鏡智

佛陀覺悟以後,期待眾生也能有這分覺悟智慧,所以不斷對眾說法,自覺覺他。五月十六日志工早會,上人提到,人人本來就有如來智性,只是長久以來,被自私、貪戀的情愛所迷,使得無明煩惱層層疊疊,覆蓋了清淨無染的本性。

「佛陀已經打破了重重的無明煩惱,將污染一一淨化破除,心靈就像一片乾淨的大圓鏡,完全明朗,再也沒有污塵,能夠清楚映照一切,這樣的覺悟智慧稱為『大圓鏡智』。最近我重複地說這些話,希望將佛陀覺悟的真諦傳入人間,讓大家知道這分『大圓鏡智』不只佛陀有,原來人人都有,包括我,但我的鏡子還是蒙著塵垢,還沒有擦乾淨,仍要不斷努力地擦,要藉外境來擦淨我心靈的大圓鏡。」

上人說,要把心靈的圓鏡擦乾淨,需要用方法,方法就來自佛法。「佛陀過去說的法,不斷藉由文字流傳,古賢大德看了能覺悟,也將自己的體會用文字留下來,我現在借用著古賢大德的心靈體悟,利用文字啟發我的心,並且以現代的人間環境印證佛法。」

上人感嘆雖然時代進步、科技發達,但是現在人間的苦比過去的農業社會更苦,因為危機四伏,人的欲念深重,想要的都要爭取,據為己有,貪無窮盡,甚至如果爭取不到,就要毀滅它,這就是人性的惡念。人心如果沒有教育淨化,智慧沒有提升,只有知識愈高,科技發展愈先進,地球的毀滅危機就愈高。

上人有感而言,人若少了智慧,就無法發揮大愛,還會因為爭權奪利生起爭端,毀壞世間美好的人事物;為了奪取想要的事物而傷害別人,別人也會反抗攻擊,就像戰爭一起,通常是兩敗俱傷,各有損害。所以人實在是愚癡、無明,戰爭沒有贏家,都是輸家,輸給了人心的無明,導致許多家庭破碎,許多人流離失所。

「雖然我們平安,但也要趕快反省、覺悟,愛護好自己的身與心,讓我們的國度、家鄉平安,平息、消弭人間的爭端,不要起干戈。所以我們要帶動人人用虔誠的心祈禱,消弭惡的念頭、培養愛心,才能真正消災免難。」

尋找方法消弭禍端

早期的《慈濟》月刊不只有捐款徵信,也有慈善救濟的紀錄。五月十七日慈善基金會董事會,上人提到慈濟剛成立的時候,每個月對照顧戶發放米糧或救濟金,視人口數給予一斗米或二斗米,還記得當時一斗米二十四元;若照顧戶需要現款幫助,則是六十元、一百元不等。

時隔半世紀,慈濟的志業足跡已經從花蓮擴展到國際,全球慈濟人就地募心募愛推展志業,或是到沒有慈濟人的國家做慈善關懷,皆是自費自假,無私付出;慈濟志工是秉持對宗教的虔誠信仰,發揮慈悲喜捨精神,用大愛理念為人間付出。

此時有馬來西亞、新加坡慈濟志工在尼泊爾藍毘尼,為了回饋佛陀故鄉而長時間在當地進行相關事務。上人說,即使相隔二千五百多年,在佛陀出生、成長、修行與說法所走過的範圍,底層居民仍然過著非常困苦的日子,村落裏缺乏現代化設施,房屋破舊、環境惡劣。

悉達多太子將來是一國之主,但是這樣的權力無法徹底解決當地的困難,也無法真正淨化人心。人間的苦難起於人心的貪婪,以致爭端頻起;要消弭禍患,就需要普遍教育,不是讓人人變得生活富裕就能平安。所以太子出家修行,尋找方法,要讓人人心靈富有,而非只是物質上的富有。

若沒有適當的教育引導,時代愈進步、科技愈發達,人心的貪婪欲念愈深重,對地球環境的破壞與污染也會愈嚴重;僅是為了滿足口欲,大量飼養牲畜供應肉食,大肆開發林地以應放牧、種植飼料作物,飼養動物消耗的糧食、水資源,還有大量動物呼吸排泄所產生的溫室氣體,皆使地球環境更加惡化。上人嘆言,全球人口增加,而人心不斷惡化,無明濁氣也隨著人口而增長,造成了天下危機;地球生態被破壞,氣候異常的災難愈來愈多、愈來愈嚴重,很令人擔心。

「現在氣候異常,災難很多,只要發生災難的國度有慈濟人,他們就要承擔救濟工作;慈濟人慈悲喜捨,以救濟天下苦難為使命,而且每個國家地區的慈濟人都是就地募集愛心,很少動用本會的國際賑災力量。」

上人說,慈濟人與自己有很緊密的因緣,他們全然信任師父,每當世間有災難發生,就自動自發去關心與付出,或是發起勸募,支援師父想要做的事,從慈濟剛創立的日存五毛錢直到現在,這分信心就是推動慈濟志業不斷前進的力量。

目前在國際間,有六十七個國家地區有慈濟人,一百二十八個國家地區接受過慈濟的人道關懷或援助;各國慈濟人就地取材,募集愛心力量,長年累月濟貧、賑災,皆歸功於臺灣慈濟。上人說,海內外許多慈濟道場、慈濟據點的土地,都是善心人無償提供、捐贈給慈濟,仔細盤點起來,真的很感恩此時此世有這麼好的因緣,許多人肯定慈濟、護持慈濟;慈濟從無到有、從小而大,就像點點滴滴的水隨著時間不斷匯聚,即有成就志業的力量。

上人提到日前往生的北區資深委員林勝勝師姊,早期許多慈濟人都像她一樣,為了建慈濟醫院、蓋靜思堂,不只自己付出,也不斷向大眾募心募愛;師兄師姊們心心念念都是慈濟,連走路不小心跌倒,起身以後發現身上沾了塵土,也想要帶回來投入志業建設的工地。「他們用生命投入慈濟,還有一個很大的原因是為了師父,所以我常說,我這輩子欠了很多人情債,我也很感恩大家都很真誠,都是付出無所求的志工,包括顏執行長與幾位副執行長,都是一心一志,用愛付出。」

上人感恩董事們對慈濟的關心與愛護,希望大家常來互動,參與更多、投入更深,會對慈濟更了解,更清楚該如何推展志業,從各方面凝聚力量,朝共同的方向為人間付出。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

5.16~17《農三月‧二十七至二十八》

【靜思小語】戰爭沒有贏家,都是輸家,輸給了人心的無明,兩敗俱傷。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

人人皆有大圓鏡智

佛陀覺悟以後,期待眾生也能有這分覺悟智慧,所以不斷對眾說法,自覺覺他。五月十六日志工早會,上人提到,人人本來就有如來智性,只是長久以來,被自私、貪戀的情愛所迷,使得無明煩惱層層疊疊,覆蓋了清淨無染的本性。

「佛陀已經打破了重重的無明煩惱,將污染一一淨化破除,心靈就像一片乾淨的大圓鏡,完全明朗,再也沒有污塵,能夠清楚映照一切,這樣的覺悟智慧稱為『大圓鏡智』。最近我重複地說這些話,希望將佛陀覺悟的真諦傳入人間,讓大家知道這分『大圓鏡智』不只佛陀有,原來人人都有,包括我,但我的鏡子還是蒙著塵垢,還沒有擦乾淨,仍要不斷努力地擦,要藉外境來擦淨我心靈的大圓鏡。」

上人說,要把心靈的圓鏡擦乾淨,需要用方法,方法就來自佛法。「佛陀過去說的法,不斷藉由文字流傳,古賢大德看了能覺悟,也將自己的體會用文字留下來,我現在借用著古賢大德的心靈體悟,利用文字啟發我的心,並且以現代的人間環境印證佛法。」

上人感嘆雖然時代進步、科技發達,但是現在人間的苦比過去的農業社會更苦,因為危機四伏,人的欲念深重,想要的都要爭取,據為己有,貪無窮盡,甚至如果爭取不到,就要毀滅它,這就是人性的惡念。人心如果沒有教育淨化,智慧沒有提升,只有知識愈高,科技發展愈先進,地球的毀滅危機就愈高。

上人有感而言,人若少了智慧,就無法發揮大愛,還會因為爭權奪利生起爭端,毀壞世間美好的人事物;為了奪取想要的事物而傷害別人,別人也會反抗攻擊,就像戰爭一起,通常是兩敗俱傷,各有損害。所以人實在是愚癡、無明,戰爭沒有贏家,都是輸家,輸給了人心的無明,導致許多家庭破碎,許多人流離失所。

「雖然我們平安,但也要趕快反省、覺悟,愛護好自己的身與心,讓我們的國度、家鄉平安,平息、消弭人間的爭端,不要起干戈。所以我們要帶動人人用虔誠的心祈禱,消弭惡的念頭、培養愛心,才能真正消災免難。」

尋找方法消弭禍端

早期的《慈濟》月刊不只有捐款徵信,也有慈善救濟的紀錄。五月十七日慈善基金會董事會,上人提到慈濟剛成立的時候,每個月對照顧戶發放米糧或救濟金,視人口數給予一斗米或二斗米,還記得當時一斗米二十四元;若照顧戶需要現款幫助,則是六十元、一百元不等。

時隔半世紀,慈濟的志業足跡已經從花蓮擴展到國際,全球慈濟人就地募心募愛推展志業,或是到沒有慈濟人的國家做慈善關懷,皆是自費自假,無私付出;慈濟志工是秉持對宗教的虔誠信仰,發揮慈悲喜捨精神,用大愛理念為人間付出。

此時有馬來西亞、新加坡慈濟志工在尼泊爾藍毘尼,為了回饋佛陀故鄉而長時間在當地進行相關事務。上人說,即使相隔二千五百多年,在佛陀出生、成長、修行與說法所走過的範圍,底層居民仍然過著非常困苦的日子,村落裏缺乏現代化設施,房屋破舊、環境惡劣。

悉達多太子將來是一國之主,但是這樣的權力無法徹底解決當地的困難,也無法真正淨化人心。人間的苦難起於人心的貪婪,以致爭端頻起;要消弭禍患,就需要普遍教育,不是讓人人變得生活富裕就能平安。所以太子出家修行,尋找方法,要讓人人心靈富有,而非只是物質上的富有。

若沒有適當的教育引導,時代愈進步、科技愈發達,人心的貪婪欲念愈深重,對地球環境的破壞與污染也會愈嚴重;僅是為了滿足口欲,大量飼養牲畜供應肉食,大肆開發林地以應放牧、種植飼料作物,飼養動物消耗的糧食、水資源,還有大量動物呼吸排泄所產生的溫室氣體,皆使地球環境更加惡化。上人嘆言,全球人口增加,而人心不斷惡化,無明濁氣也隨著人口而增長,造成了天下危機;地球生態被破壞,氣候異常的災難愈來愈多、愈來愈嚴重,很令人擔心。

「現在氣候異常,災難很多,只要發生災難的國度有慈濟人,他們就要承擔救濟工作;慈濟人慈悲喜捨,以救濟天下苦難為使命,而且每個國家地區的慈濟人都是就地募集愛心,很少動用本會的國際賑災力量。」

上人說,慈濟人與自己有很緊密的因緣,他們全然信任師父,每當世間有災難發生,就自動自發去關心與付出,或是發起勸募,支援師父想要做的事,從慈濟剛創立的日存五毛錢直到現在,這分信心就是推動慈濟志業不斷前進的力量。

目前在國際間,有六十七個國家地區有慈濟人,一百二十八個國家地區接受過慈濟的人道關懷或援助;各國慈濟人就地取材,募集愛心力量,長年累月濟貧、賑災,皆歸功於臺灣慈濟。上人說,海內外許多慈濟道場、慈濟據點的土地,都是善心人無償提供、捐贈給慈濟,仔細盤點起來,真的很感恩此時此世有這麼好的因緣,許多人肯定慈濟、護持慈濟;慈濟從無到有、從小而大,就像點點滴滴的水隨著時間不斷匯聚,即有成就志業的力量。

上人提到日前往生的北區資深委員林勝勝師姊,早期許多慈濟人都像她一樣,為了建慈濟醫院、蓋靜思堂,不只自己付出,也不斷向大眾募心募愛;師兄師姊們心心念念都是慈濟,連走路不小心跌倒,起身以後發現身上沾了塵土,也想要帶回來投入志業建設的工地。「他們用生命投入慈濟,還有一個很大的原因是為了師父,所以我常說,我這輩子欠了很多人情債,我也很感恩大家都很真誠,都是付出無所求的志工,包括顏執行長與幾位副執行長,都是一心一志,用愛付出。」

上人感恩董事們對慈濟的關心與愛護,希望大家常來互動,參與更多、投入更深,會對慈濟更了解,更清楚該如何推展志業,從各方面凝聚力量,朝共同的方向為人間付出。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

十八至十九日 養心

5.18~19《農三月‧二十九至農四月‧初一》

【靜思小語】不是在清幽的地方才能修行,而是動靜之間都能提升修養。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

道德之風,人文飄香

五月十八日四大志策會,以「深耕慈濟人文,傳承靜思法脈,弘揚慈濟宗門」為主題,主管同仁分享;其中,花蓮慈大附中李玲惠校長提及第一屆慈中的慈懿會慈誠爸爸張廣輝師兄,日前因病往生,學子們感受其大愛,追思時,自願行跪拜禮。土耳其余自成師兄分享陪伴敘利亞難民孩子們長大,二月六日強震後,難民孩子發揮愛心前往災區救助等溫馨故事。

上人感慨言及,早期陪著自己一路走來,創立四大志業、八大法印的慈濟人,已經和自己一樣年邁,很多位早已往生,剛才聽到李校長提到慈懿會張廣輝師兄,其實日前往生的林勝勝師姊是最早期的懿德媽媽,同期有多位師姊長久陪伴、協助教育志業。許多慈濟人都是默默做事,即使沒有站在人前讓人看見,但是長期發揮實力在做慈濟事。若沒有這一大群人會合起來,就不會有今天的四大志業。他們就像發出「極微光」的螢火蟲,光芒很微細,幾乎看不見,但是有一整群,就能發揮很大的力量。

上人指出慈濟人的「光」,來自「慈濟魂」,也就是慈濟人的精神、魄力,用這分精神與魄力發宏願、立志願,從此不斷發揮志業精神,精進前行不停滯。

「沒有慈濟人,絕對沒有現在普及國際的慈濟志業;沒有慈濟志業,不知道海內外這麼多國家地區的苦難人、貧病人又會怎麼樣呢?所以有了慈濟,提升了社會風氣,至少真的影響到臺灣的道風、德風,臺灣真的很有福!」

上人說,道風、德風有香味,長久在這樣的社會風氣中薰陶,也很自然會發出道風德香,有道德形象。要建立道德,就要有人帶動,行之以道、教之以禮,散發出道德香,也就是人文;道德之風,人文飄香──四大志業都要有慈濟人文精神,在人間發揮大愛能量,長情大愛涵蓋了四大志業的人文道香。請四大志業持續精進,人文道香世代傳揚。

心無雜念,寧靜安居

五月十九日,農曆四月初一早課後,上人對眾開示:「時光易逝,不覺已經是農曆四月朔旦了,大家要時時念『三間』─時間、空間、人與人之間。時日已過,一天過一天、一月過一月,人生時間不會多留給我們。」

「以往結夏安居從四月十五日開始,要收攝我們的心,寧靜安居。在我們的生活範圍安居,要審視自己的心有沒有雜念?心如果有雜念,居住的地方再怎麼安靜,也靜不了自己的心;在很吵雜的地方,只要心靜,周圍的境界也吵不到我們,所以說一切唯心造。想要『靜養』我們的心,不是在一個很清幽的地方修行,是要提升我們的修養,無論動靜之間,必定要修養自己的心。」

「不要讓時間空過,我們在人間必定要有作為,所說的作為就是付出再付出,幫助需要的人,這才是入人群修己行。好好將自己的心收攝好,時間把握好,人與人之間好好對待,這就是修行;用時間為人群、修自己,隨處都是修行的道場,請大家時時多用心。」

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

不是演戲,而是演繹

大愛臺《高僧傳》從二○一六年製作播出到現在,將近七年,團隊分享製作回顧及新作籌備等事宜。上人說,剛開始決定要做這個節目時,是為了弘揚佛法,再者也要把歌仔戲做好,融合藝文來弘法,讓佛法影像化,用現在的科技傳播。

「我還沒有出家以前,家裏開戲院,有的觀眾看得很入戲,演壞人的演員演得很生動,觀眾看得忿忿不平,竟然跳上舞臺要打人。我們要發揚傳統藝術,演員也要很努力,舞臺上十分鐘,其實臺下不知道幾十年的功夫,所以我們也要珍惜。」上人說,很希望現在的演藝人員也能把角色詮釋得深刻入骨,讓觀眾一再回味,而不是看了就過去了。

「我一再強調它不是戲而是法,你們不是在演戲,而是演繹,如同把語言翻譯過,用身形來表態,人與法融為一體,掌握這一齣戲的精髓,演國師就真的要像國師。對於現在的人,我們開這個法門也是方便法之一,但是方便法要用得很精,讓看到的人,可以真正覺得好壞分明,要學好、不可學壞。演戲演到這個程度,就是以身弘法。」

「過去的高僧大德有心弘法,才能把法傳到現在;這時代的人知識程度不同了,我們要為現在與未來而弘傳佛法,不知道用這個方法還能傳多久,也許之後的人也會再因應他們的時空而改變方式,我們所要做的就是掌握過去歷代高僧的傳法精髓,編劇編得更感人,讓大眾更能接受真實法;以後的人若要傳法,無論方法如何改變,都不脫離精髓,合情合理,合於菩薩的覺有情,利益眾生,這就是真諦。」

上人說,記錄當下的歷史,就是要讓後代知道此時此世的時空背景,讓他們除了接收到佛法的精神,也能見證時代。所以演戲不要空洞地演出杜撰的戲劇,要演真實的人間事;寫文章、編劇的人絞盡腦汁在寫,也期待能寫下值得傳世的精鍊文章,有內涵、具故事性,是故事亦是歷史。

要成就一齣經典戲劇,或是一篇值得傳世的文章,只靠一個人用心是不夠的,需要一個團隊,人人都能把握時間,把法吸收入心,用文字、影像表達出來,讓人看到故事受感動,看見戲劇的演繹就了解當時的社會背景,以及戲劇所表達的意涵;投入演繹的人充分掌握精髓,讓觀看的人銘刻入心。

弘法有多門,即使用的是相同的方法,各人也會有各自的想法與意見。上人說,人都是有「我」,這是難免,要自我調適,不要執著;即使自己的方法是對的,也要多聽別人的看法。因為每一個人都有優缺點,要用開闊的心胸,冷靜下來聽人說話。

「我從年輕到現在,有今天的慈濟,若說都沒有讓人在言語上攻擊過,那是不可能的,如果要在意這些,簡直是千瘡百孔;就是要做到『無我』,否則傷痕累累,如何再面對人間?我就是付出,什麼都沒有計較,無明風起,我也覺得那與我沒有關係,否則只是要回應種種言論,就沒有時間可以做事了。」

「我所在意的是慈濟五十多年來為人間所做,有人知道嗎?教大家留歷史,不是為我而留;每次大災難發生後,多少慈濟人為了賑災,沒日沒夜地投入,勸募的人也是盡心盡力在勸募。」上人對年輕的師兄師姊們說,既然有心投入,就要和志同道合的人合和互協,共同負起使命。

上人說,《高僧傳》要顯揚修行者的德,讓觀眾知道這位法師是如何修行,其德行是如何修來的,而不是強調修行是為了建道場度眾,只教人超脫世俗,自我清修而不管人間事;要讓大家知道,出家修行也可以自力更生,還能為社會有所貢獻。「我是這麼想的,我就要做到。我也曾講過,我不要求往生西方,我也沒有要求往生天堂,只想保持人道,發願再來人間,否則不巧生到天堂,樂得享受,就無法修行了,最好就行中道而生在人間。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

5.18~19《農三月‧二十九至農四月‧初一》

【靜思小語】不是在清幽的地方才能修行,而是動靜之間都能提升修養。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

道德之風,人文飄香

五月十八日四大志策會,以「深耕慈濟人文,傳承靜思法脈,弘揚慈濟宗門」為主題,主管同仁分享;其中,花蓮慈大附中李玲惠校長提及第一屆慈中的慈懿會慈誠爸爸張廣輝師兄,日前因病往生,學子們感受其大愛,追思時,自願行跪拜禮。土耳其余自成師兄分享陪伴敘利亞難民孩子們長大,二月六日強震後,難民孩子發揮愛心前往災區救助等溫馨故事。

上人感慨言及,早期陪著自己一路走來,創立四大志業、八大法印的慈濟人,已經和自己一樣年邁,很多位早已往生,剛才聽到李校長提到慈懿會張廣輝師兄,其實日前往生的林勝勝師姊是最早期的懿德媽媽,同期有多位師姊長久陪伴、協助教育志業。許多慈濟人都是默默做事,即使沒有站在人前讓人看見,但是長期發揮實力在做慈濟事。若沒有這一大群人會合起來,就不會有今天的四大志業。他們就像發出「極微光」的螢火蟲,光芒很微細,幾乎看不見,但是有一整群,就能發揮很大的力量。

上人指出慈濟人的「光」,來自「慈濟魂」,也就是慈濟人的精神、魄力,用這分精神與魄力發宏願、立志願,從此不斷發揮志業精神,精進前行不停滯。

「沒有慈濟人,絕對沒有現在普及國際的慈濟志業;沒有慈濟志業,不知道海內外這麼多國家地區的苦難人、貧病人又會怎麼樣呢?所以有了慈濟,提升了社會風氣,至少真的影響到臺灣的道風、德風,臺灣真的很有福!」

上人說,道風、德風有香味,長久在這樣的社會風氣中薰陶,也很自然會發出道風德香,有道德形象。要建立道德,就要有人帶動,行之以道、教之以禮,散發出道德香,也就是人文;道德之風,人文飄香──四大志業都要有慈濟人文精神,在人間發揮大愛能量,長情大愛涵蓋了四大志業的人文道香。請四大志業持續精進,人文道香世代傳揚。

心無雜念,寧靜安居

五月十九日,農曆四月初一早課後,上人對眾開示:「時光易逝,不覺已經是農曆四月朔旦了,大家要時時念『三間』─時間、空間、人與人之間。時日已過,一天過一天、一月過一月,人生時間不會多留給我們。」

「以往結夏安居從四月十五日開始,要收攝我們的心,寧靜安居。在我們的生活範圍安居,要審視自己的心有沒有雜念?心如果有雜念,居住的地方再怎麼安靜,也靜不了自己的心;在很吵雜的地方,只要心靜,周圍的境界也吵不到我們,所以說一切唯心造。想要『靜養』我們的心,不是在一個很清幽的地方修行,是要提升我們的修養,無論動靜之間,必定要修養自己的心。」

「不要讓時間空過,我們在人間必定要有作為,所說的作為就是付出再付出,幫助需要的人,這才是入人群修己行。好好將自己的心收攝好,時間把握好,人與人之間好好對待,這就是修行;用時間為人群、修自己,隨處都是修行的道場,請大家時時多用心。」

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

不是演戲,而是演繹

大愛臺《高僧傳》從二○一六年製作播出到現在,將近七年,團隊分享製作回顧及新作籌備等事宜。上人說,剛開始決定要做這個節目時,是為了弘揚佛法,再者也要把歌仔戲做好,融合藝文來弘法,讓佛法影像化,用現在的科技傳播。

「我還沒有出家以前,家裏開戲院,有的觀眾看得很入戲,演壞人的演員演得很生動,觀眾看得忿忿不平,竟然跳上舞臺要打人。我們要發揚傳統藝術,演員也要很努力,舞臺上十分鐘,其實臺下不知道幾十年的功夫,所以我們也要珍惜。」上人說,很希望現在的演藝人員也能把角色詮釋得深刻入骨,讓觀眾一再回味,而不是看了就過去了。

「我一再強調它不是戲而是法,你們不是在演戲,而是演繹,如同把語言翻譯過,用身形來表態,人與法融為一體,掌握這一齣戲的精髓,演國師就真的要像國師。對於現在的人,我們開這個法門也是方便法之一,但是方便法要用得很精,讓看到的人,可以真正覺得好壞分明,要學好、不可學壞。演戲演到這個程度,就是以身弘法。」

「過去的高僧大德有心弘法,才能把法傳到現在;這時代的人知識程度不同了,我們要為現在與未來而弘傳佛法,不知道用這個方法還能傳多久,也許之後的人也會再因應他們的時空而改變方式,我們所要做的就是掌握過去歷代高僧的傳法精髓,編劇編得更感人,讓大眾更能接受真實法;以後的人若要傳法,無論方法如何改變,都不脫離精髓,合情合理,合於菩薩的覺有情,利益眾生,這就是真諦。」

上人說,記錄當下的歷史,就是要讓後代知道此時此世的時空背景,讓他們除了接收到佛法的精神,也能見證時代。所以演戲不要空洞地演出杜撰的戲劇,要演真實的人間事;寫文章、編劇的人絞盡腦汁在寫,也期待能寫下值得傳世的精鍊文章,有內涵、具故事性,是故事亦是歷史。

要成就一齣經典戲劇,或是一篇值得傳世的文章,只靠一個人用心是不夠的,需要一個團隊,人人都能把握時間,把法吸收入心,用文字、影像表達出來,讓人看到故事受感動,看見戲劇的演繹就了解當時的社會背景,以及戲劇所表達的意涵;投入演繹的人充分掌握精髓,讓觀看的人銘刻入心。

弘法有多門,即使用的是相同的方法,各人也會有各自的想法與意見。上人說,人都是有「我」,這是難免,要自我調適,不要執著;即使自己的方法是對的,也要多聽別人的看法。因為每一個人都有優缺點,要用開闊的心胸,冷靜下來聽人說話。

「我從年輕到現在,有今天的慈濟,若說都沒有讓人在言語上攻擊過,那是不可能的,如果要在意這些,簡直是千瘡百孔;就是要做到『無我』,否則傷痕累累,如何再面對人間?我就是付出,什麼都沒有計較,無明風起,我也覺得那與我沒有關係,否則只是要回應種種言論,就沒有時間可以做事了。」

「我所在意的是慈濟五十多年來為人間所做,有人知道嗎?教大家留歷史,不是為我而留;每次大災難發生後,多少慈濟人為了賑災,沒日沒夜地投入,勸募的人也是盡心盡力在勸募。」上人對年輕的師兄師姊們說,既然有心投入,就要和志同道合的人合和互協,共同負起使命。

上人說,《高僧傳》要顯揚修行者的德,讓觀眾知道這位法師是如何修行,其德行是如何修來的,而不是強調修行是為了建道場度眾,只教人超脫世俗,自我清修而不管人間事;要讓大家知道,出家修行也可以自力更生,還能為社會有所貢獻。「我是這麼想的,我就要做到。我也曾講過,我不要求往生西方,我也沒有要求往生天堂,只想保持人道,發願再來人間,否則不巧生到天堂,樂得享受,就無法修行了,最好就行中道而生在人間。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

二十四至二十六日 成就功德

5.24~26《農四月‧初六至初八》

【靜思小語】自己多用「功」,讓人間有所得,就有「德」。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

探討生機,感恩天地

五月二十四日,花蓮慈濟醫院團隊分享,包括眼科何明山醫師報告,由慈院中醫部、眼科、慈濟科技大學、慈濟大學共同研發的「葉下珠熱敷眼罩」,對青光眼眼壓控制及減輕眼藥水副作用的成果;研究團隊報告本草復華飲在脂肪幹細胞抗老化研究進度。

上人感恩大家有心,用心研究,應人類所需要而努力挖掘生機,將原本不起眼的小草,提煉出促進健康的成分而利益人間。大家善用科技,探討大自然的生機,也要尊重天地自然,心中常懷「感恩尊重生命愛」。

「現在科技發達,可以仔細地用科學分析,什麼病症是什麼病菌引起的。不過我會很擔心,科技愈來愈發達,人心會忘本,忘記源頭。所以我支持大家不斷發展科技,運用科技去做研究,但是希望大家不忘本,傳統醫療還有很多值得研究與運用的部分,我們現在才剛起步,前面還有很長遠的路,要繼續努力。天地萬物皆有靈、皆有用,我們要很感恩大地的恩德,好好發掘有用的物質,貢獻給人間。」

情甘意願,入清涼地

五月二十五日慈善志策會,以「三節合一,虔誠浴佛」為主題分享。上人欣言,今年有馬來西亞、新加坡慈濟人在印度菩提迦耶與尼泊爾藍毘尼舉辦浴佛典禮,對自己來說,意義重大。「馬來西亞的菩薩們慈悲、勇猛,到了尼泊爾,語言不通,但是有心就無障礙,總是看他們一路通達,因為他們秉持著真誠的一念心,很有誠意地去克服。除了溝通上的困難,還要適應當地氣候、相對惡劣的生活環境,但是他們都不說苦,只要看見受助者得救,就很歡喜。尼泊爾本來就熱,尤其今年更高溫,菩薩們如入清涼地,因為他們情甘、意願,火焰也化為紅蓮。」

「悉達多太子誕生在尼泊爾藍毘尼,當時的古印度,宗教信仰繁多,各據一方,即使太子長大以後看見當地民眾的苦,想要幫助他們脫離苦難,但是他很清楚,只給予有形的物質濟助,無法永恆地讓苦境轉變過來,所以必須找到方法,轉變居民貧窮的心,讓他們勇敢地站起來。」

上人說,尼泊爾底層居民長久以來生活在貧窮線下,對於一般人難以想像的貧苦習以為常,能夠「安貧」,但談不上「樂道」。所以慈濟人要在尼泊爾開拓、鋪展菩薩道,引導居民勇往精進。期盼有因緣可以在藍毘尼為居民建大愛村、建設學校,幫助他們徹底轉貧為富;現階段要先引導居民積極面對生活,心靈有所成長,這就要從人文與教育方面著手。

「在印度、尼泊爾的菩薩,師父感恩你們到當地付出,而且把握因緣,帶去慈濟浴佛的人文,看到你們在菩提迦耶大覺寺、藍毘尼摩耶夫人寺前面的大樹下浴佛,真的好感動!相隔二千五百多年,慈濟人間菩薩在佛陀誕生地、成道地浴佛,意義多麼深廣。」

上人請馬來西亞、新加坡慈濟人照顧好自身健康,這條路才可以走得更長遠。人間菩薩所做,皆是實踐菩薩法;無論身在何處,要不斷分享法喜,菩薩道上相互成就。

法傳入家,鋪向人間

五月二十六日,高雄線上讀書會團隊與上人座談。「感恩,因為有你們,讓師父的法更普遍。」上人說,師兄師姊們與師父有緣,尊重師父,把師父的話聽入心,並且運用在生活中,還能與人分享,用各種方式推廣,遂覺得原來自己還有用,所以也要自我珍惜。然而歲月不饒人,也請大家好好把握因緣,人與人之間要惜緣,珍惜師徒緣、法親緣。

上人強調「人能弘道,非道弘人」,不論師父在或不在,大家要將法永恆流傳下去,不只在你我這一代,要用心傳承給第二代,一代傳給一代,佛法才能永住人間。「要傳法,就要適應人間,不是硬邦邦地說教,讓人很快就失去興趣;要柔軟也要活潑,但是活潑不能離譜,形象要不失規矩莊嚴。假如活潑得離譜,會變得輕浮,難以受尊重;形象要莊嚴,才能被尊重,所以要顯示威儀。像慈濟人身穿制服走在路上,讓人看了心起尊重,如是法、如是行,這就是慈濟人的形象,也是人間菩薩的形象。」

上人叮嚀呂美雲老師等人,要多邀老菩薩參加團隊活動,年輕一輩敬老尊賢,年長者讚歎、祝福年輕人,團隊就會很和睦、很完整,也能讓人看了心生歡喜而加入。「這就是人間法,人間法不離『愛』。對於幼小的孩子,我們要給予良好的形象教育;對於老人家,可以安排他們做熟悉的手工藝,例如讓精於縫紉的老人家做小飾品,讓他們動腦、動手、動心法,覺得自己老來還有用,很有成就感。」

上人也教師兄師姊,除了法入心、法入行,還要「傳入家」,法傳入家才能鋪向人間,安自家也安人間。感恩大家長久以來的用心,如同挖井、掘井一般,讓愛的能量不斷增長;期待人人心中的智慧泉水也能源源不斷地湧出,心不偏邪,將正法永傳人間。「不用如何求功德,自己多用『功』,對人間有用,就有『德』;『德者,得也』,要成就功德,就要做得讓人間有所得,要多用心入人群,讓人人有心得,淨化人間,就是我們來人間的一大事因緣。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

5.24~26《農四月‧初六至初八》

【靜思小語】自己多用「功」,讓人間有所得,就有「德」。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

探討生機,感恩天地

五月二十四日,花蓮慈濟醫院團隊分享,包括眼科何明山醫師報告,由慈院中醫部、眼科、慈濟科技大學、慈濟大學共同研發的「葉下珠熱敷眼罩」,對青光眼眼壓控制及減輕眼藥水副作用的成果;研究團隊報告本草復華飲在脂肪幹細胞抗老化研究進度。

上人感恩大家有心,用心研究,應人類所需要而努力挖掘生機,將原本不起眼的小草,提煉出促進健康的成分而利益人間。大家善用科技,探討大自然的生機,也要尊重天地自然,心中常懷「感恩尊重生命愛」。

「現在科技發達,可以仔細地用科學分析,什麼病症是什麼病菌引起的。不過我會很擔心,科技愈來愈發達,人心會忘本,忘記源頭。所以我支持大家不斷發展科技,運用科技去做研究,但是希望大家不忘本,傳統醫療還有很多值得研究與運用的部分,我們現在才剛起步,前面還有很長遠的路,要繼續努力。天地萬物皆有靈、皆有用,我們要很感恩大地的恩德,好好發掘有用的物質,貢獻給人間。」

情甘意願,入清涼地

五月二十五日慈善志策會,以「三節合一,虔誠浴佛」為主題分享。上人欣言,今年有馬來西亞、新加坡慈濟人在印度菩提迦耶與尼泊爾藍毘尼舉辦浴佛典禮,對自己來說,意義重大。「馬來西亞的菩薩們慈悲、勇猛,到了尼泊爾,語言不通,但是有心就無障礙,總是看他們一路通達,因為他們秉持著真誠的一念心,很有誠意地去克服。除了溝通上的困難,還要適應當地氣候、相對惡劣的生活環境,但是他們都不說苦,只要看見受助者得救,就很歡喜。尼泊爾本來就熱,尤其今年更高溫,菩薩們如入清涼地,因為他們情甘、意願,火焰也化為紅蓮。」

「悉達多太子誕生在尼泊爾藍毘尼,當時的古印度,宗教信仰繁多,各據一方,即使太子長大以後看見當地民眾的苦,想要幫助他們脫離苦難,但是他很清楚,只給予有形的物質濟助,無法永恆地讓苦境轉變過來,所以必須找到方法,轉變居民貧窮的心,讓他們勇敢地站起來。」

上人說,尼泊爾底層居民長久以來生活在貧窮線下,對於一般人難以想像的貧苦習以為常,能夠「安貧」,但談不上「樂道」。所以慈濟人要在尼泊爾開拓、鋪展菩薩道,引導居民勇往精進。期盼有因緣可以在藍毘尼為居民建大愛村、建設學校,幫助他們徹底轉貧為富;現階段要先引導居民積極面對生活,心靈有所成長,這就要從人文與教育方面著手。

「在印度、尼泊爾的菩薩,師父感恩你們到當地付出,而且把握因緣,帶去慈濟浴佛的人文,看到你們在菩提迦耶大覺寺、藍毘尼摩耶夫人寺前面的大樹下浴佛,真的好感動!相隔二千五百多年,慈濟人間菩薩在佛陀誕生地、成道地浴佛,意義多麼深廣。」

上人請馬來西亞、新加坡慈濟人照顧好自身健康,這條路才可以走得更長遠。人間菩薩所做,皆是實踐菩薩法;無論身在何處,要不斷分享法喜,菩薩道上相互成就。

法傳入家,鋪向人間

五月二十六日,高雄線上讀書會團隊與上人座談。「感恩,因為有你們,讓師父的法更普遍。」上人說,師兄師姊們與師父有緣,尊重師父,把師父的話聽入心,並且運用在生活中,還能與人分享,用各種方式推廣,遂覺得原來自己還有用,所以也要自我珍惜。然而歲月不饒人,也請大家好好把握因緣,人與人之間要惜緣,珍惜師徒緣、法親緣。

上人強調「人能弘道,非道弘人」,不論師父在或不在,大家要將法永恆流傳下去,不只在你我這一代,要用心傳承給第二代,一代傳給一代,佛法才能永住人間。「要傳法,就要適應人間,不是硬邦邦地說教,讓人很快就失去興趣;要柔軟也要活潑,但是活潑不能離譜,形象要不失規矩莊嚴。假如活潑得離譜,會變得輕浮,難以受尊重;形象要莊嚴,才能被尊重,所以要顯示威儀。像慈濟人身穿制服走在路上,讓人看了心起尊重,如是法、如是行,這就是慈濟人的形象,也是人間菩薩的形象。」

上人叮嚀呂美雲老師等人,要多邀老菩薩參加團隊活動,年輕一輩敬老尊賢,年長者讚歎、祝福年輕人,團隊就會很和睦、很完整,也能讓人看了心生歡喜而加入。「這就是人間法,人間法不離『愛』。對於幼小的孩子,我們要給予良好的形象教育;對於老人家,可以安排他們做熟悉的手工藝,例如讓精於縫紉的老人家做小飾品,讓他們動腦、動手、動心法,覺得自己老來還有用,很有成就感。」

上人也教師兄師姊,除了法入心、法入行,還要「傳入家」,法傳入家才能鋪向人間,安自家也安人間。感恩大家長久以來的用心,如同挖井、掘井一般,讓愛的能量不斷增長;期待人人心中的智慧泉水也能源源不斷地湧出,心不偏邪,將正法永傳人間。「不用如何求功德,自己多用『功』,對人間有用,就有『德』;『德者,得也』,要成就功德,就要做得讓人間有所得,要多用心入人群,讓人人有心得,淨化人間,就是我們來人間的一大事因緣。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

二十七至二十八日 安然自在往前走

5.27~28《農四月‧初九至初十》

【靜思小語】為了不如意事而不再往前走,不是別人擋我們的路,是自己退步。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

一句感恩就皆大歡喜

五月二十七日,上人勉勵資深的海外慈濟人,要照顧慧命,讓慧命持續成長。全球八十多億人口,投入慈濟者是極為少數,而師兄師姊已經投入將近三十年,這分緣很難得,還要繼續精進,不能鬆懈;人生無常,有因緣就要把握,海外的慈濟志業要靠大家就地承擔。

「其他都不必執著,因緣一定要把握。我們平時相隔遙遠,但是你們與師父有緣,大家都很尊重師父,我也覺得自己很有福,得到很多的福緣,弟子們都說,『不要讓師父擔心』,所以很用心承擔。常常聽到慈濟人發願要跟著師父做到最後一口氣,就要把握當下、把握因緣,關心當下的慈濟人、慈濟事。」

「每天看新聞,敘利亞、烏克蘭的人因為戰亂而難以安定,就會想到我們很有福,有福的人就要為苦難人設想,凝聚愛心力量去幫忙。另一方面,看到世間的天災人禍造成苦難,更要自我警惕,與人和睦相處,帶動人人行善造福,讓人間有福氣,使社會國家平安祥和。」

「很擔心眾生共業,不論是氣候變遷、天下戰亂,都是擋不住的業力;人心沒有淨化,災難就愈來愈多。只要有心,我們總是盡一分力。就像發願攀爬須彌山的小螞蟻,不論時間還有多久,總是努力往上爬,不只盡此一報身,還有生生世世。」

「你們發願要跟著師父生生世世,卻只是在人我之間有小小的不如意事,聽人講一句話就被傷了心,不再往前走,其實是損傷了自己的生命價值。其實很多話是說者無心、聽者有意,覺得對方好像在講我怎麼樣,就退出了。其實他沒有擋我們的路,是我們自己退步,我這幾十年來都是這樣想,所以無論如何都不斷往前進。」

「想來我也很佩服自己,自從做慈濟,大約最近十年讓我最安然,因為慈濟已經做到這個地步,再也沒有什麼人可以說我自不量力,要看我有什麼本事做到。其實早年眾人眼睜睜看我做慈濟,我也是安然自在走過來,做給他們看。慈濟是眾志成城,不是我一個人做的,尤其海外的慈濟志業,少不了你們就地付出;你們若認真投入,可以讓慈濟在國際舞臺上做得更好,少了哪一個人,舞臺總是比較虛。不論誰說什麼,我們總是『感恩、感恩,我盡心力』,一句話過去,皆大歡喜。不要庸人自擾,聖人不做、菩薩不做,只要做凡夫。」

捨去一分鐘前的煩惱

五月二十七至二十八日,於精舍舉辦全球清修士說明會。二十八日,與參加清修士說明會的學員座談中,上人提醒大家,時間不會等待人,要有此警惕與覺悟,而能把握當下,對自己的生命負責。發心修行,不是因為這個道場有人招呼,人人都對自己好,就發願在此修行,這樣的心態不是修行的心態;要能時時對別人好,才是真修行者。「我們進慈濟道場,要招呼人、菩薩招生,引導人人進入菩薩道。所謂菩薩道,不是獨善其身,一定要發心立願走入人群,幫忙世間的苦難人。」

上人說,佛陀為了度眾生而出家,出離自己的小家庭,投入天下人間的大家庭。所以佛弟子秉承佛陀的修行精神,要力行菩薩道,不只自修還要兼利他人,靜觀自己的生命,提升生命的價值。「人生的價值就是要為人間付出,也是最大的報恩心─報父母恩、報師長恩,還要報眾生恩。」

「凡夫迷茫,感恩佛陀傳法,讓我們更清楚人間的意義,有明確的修行方向。慈濟歌選中有一首〈捨〉,歌詞提到要『捨去一分鐘前的煩惱』,這幾個字如果能做得到,就很了不起了。記得我會說這些話,是在與政府官員談話中,提到人生不要貪求顯達、富裕,要讓人間祥和平安,才能得到幸福。在社會上有影響力的人,假如能捨掉名利權位的貪著,運用自己的社會地位做幫助人的好事,人間就有福了。」

「郭孟雍居士在場聽到這段談話,很快就寫好這首歌。後來我若聽到這首歌,就會感覺到,這就是歷史,而且是最好的教育:在人間與人互動,要定住自己的心,啟發別人;政府官員身在高位,能夠捨下自己,為民眾說話,會很令人敬佩。」

上人說,平時大家在不同的志業體單位任職,每一個空間、每一項工作、面對的每一個人,都是修行道場,要虔誠用心;清修士共聚時要多分享,談話不是談人我是非,而是要談生命的歷史,讓人人了解清修士的起源;要把握時間、要用心,把生命換成慧命。生命總會隨著時間過去,若能夠把握時間,扎實運用,修福、增慧,可以讓慧命不斷增長。

「我們生活在人間,在天下大空間,生命的價值不只為一個小家庭,局限在父母手足之間,而是為普天之下,人人都是我們的眷屬。要好好地為天下的眷屬付出,但只靠我們的力量是不夠的,還要廣招天下善士,共同承擔責任。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

5.27~28《農四月‧初九至初十》

【靜思小語】為了不如意事而不再往前走,不是別人擋我們的路,是自己退步。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

一句感恩就皆大歡喜

五月二十七日,上人勉勵資深的海外慈濟人,要照顧慧命,讓慧命持續成長。全球八十多億人口,投入慈濟者是極為少數,而師兄師姊已經投入將近三十年,這分緣很難得,還要繼續精進,不能鬆懈;人生無常,有因緣就要把握,海外的慈濟志業要靠大家就地承擔。

「其他都不必執著,因緣一定要把握。我們平時相隔遙遠,但是你們與師父有緣,大家都很尊重師父,我也覺得自己很有福,得到很多的福緣,弟子們都說,『不要讓師父擔心』,所以很用心承擔。常常聽到慈濟人發願要跟著師父做到最後一口氣,就要把握當下、把握因緣,關心當下的慈濟人、慈濟事。」

「每天看新聞,敘利亞、烏克蘭的人因為戰亂而難以安定,就會想到我們很有福,有福的人就要為苦難人設想,凝聚愛心力量去幫忙。另一方面,看到世間的天災人禍造成苦難,更要自我警惕,與人和睦相處,帶動人人行善造福,讓人間有福氣,使社會國家平安祥和。」

「很擔心眾生共業,不論是氣候變遷、天下戰亂,都是擋不住的業力;人心沒有淨化,災難就愈來愈多。只要有心,我們總是盡一分力。就像發願攀爬須彌山的小螞蟻,不論時間還有多久,總是努力往上爬,不只盡此一報身,還有生生世世。」

「你們發願要跟著師父生生世世,卻只是在人我之間有小小的不如意事,聽人講一句話就被傷了心,不再往前走,其實是損傷了自己的生命價值。其實很多話是說者無心、聽者有意,覺得對方好像在講我怎麼樣,就退出了。其實他沒有擋我們的路,是我們自己退步,我這幾十年來都是這樣想,所以無論如何都不斷往前進。」

「想來我也很佩服自己,自從做慈濟,大約最近十年讓我最安然,因為慈濟已經做到這個地步,再也沒有什麼人可以說我自不量力,要看我有什麼本事做到。其實早年眾人眼睜睜看我做慈濟,我也是安然自在走過來,做給他們看。慈濟是眾志成城,不是我一個人做的,尤其海外的慈濟志業,少不了你們就地付出;你們若認真投入,可以讓慈濟在國際舞臺上做得更好,少了哪一個人,舞臺總是比較虛。不論誰說什麼,我們總是『感恩、感恩,我盡心力』,一句話過去,皆大歡喜。不要庸人自擾,聖人不做、菩薩不做,只要做凡夫。」

捨去一分鐘前的煩惱

五月二十七至二十八日,於精舍舉辦全球清修士說明會。二十八日,與參加清修士說明會的學員座談中,上人提醒大家,時間不會等待人,要有此警惕與覺悟,而能把握當下,對自己的生命負責。發心修行,不是因為這個道場有人招呼,人人都對自己好,就發願在此修行,這樣的心態不是修行的心態;要能時時對別人好,才是真修行者。「我們進慈濟道場,要招呼人、菩薩招生,引導人人進入菩薩道。所謂菩薩道,不是獨善其身,一定要發心立願走入人群,幫忙世間的苦難人。」

上人說,佛陀為了度眾生而出家,出離自己的小家庭,投入天下人間的大家庭。所以佛弟子秉承佛陀的修行精神,要力行菩薩道,不只自修還要兼利他人,靜觀自己的生命,提升生命的價值。「人生的價值就是要為人間付出,也是最大的報恩心─報父母恩、報師長恩,還要報眾生恩。」

「凡夫迷茫,感恩佛陀傳法,讓我們更清楚人間的意義,有明確的修行方向。慈濟歌選中有一首〈捨〉,歌詞提到要『捨去一分鐘前的煩惱』,這幾個字如果能做得到,就很了不起了。記得我會說這些話,是在與政府官員談話中,提到人生不要貪求顯達、富裕,要讓人間祥和平安,才能得到幸福。在社會上有影響力的人,假如能捨掉名利權位的貪著,運用自己的社會地位做幫助人的好事,人間就有福了。」

「郭孟雍居士在場聽到這段談話,很快就寫好這首歌。後來我若聽到這首歌,就會感覺到,這就是歷史,而且是最好的教育:在人間與人互動,要定住自己的心,啟發別人;政府官員身在高位,能夠捨下自己,為民眾說話,會很令人敬佩。」

上人說,平時大家在不同的志業體單位任職,每一個空間、每一項工作、面對的每一個人,都是修行道場,要虔誠用心;清修士共聚時要多分享,談話不是談人我是非,而是要談生命的歷史,讓人人了解清修士的起源;要把握時間、要用心,把生命換成慧命。生命總會隨著時間過去,若能夠把握時間,扎實運用,修福、增慧,可以讓慧命不斷增長。

「我們生活在人間,在天下大空間,生命的價值不只為一個小家庭,局限在父母手足之間,而是為普天之下,人人都是我們的眷屬。要好好地為天下的眷屬付出,但只靠我們的力量是不夠的,還要廣招天下善士,共同承擔責任。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

二十九至三十一日 佛性智慧

5.29~31《農四月‧十一至十三》

【靜思小語】人類智慧可以發展現代科技,還要提起更為深層的佛性智慧,明辨是非善惡。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

看見佛法在人間

為慶祝「三節合一」,宣揚宇宙大覺者的精神,廣邀大眾同行菩薩道,海外各國慈濟人就地舉行浴佛典禮,浴佛畫面陸續回傳,五月二十九日志工早會,上人感恩全球慈濟人展現佛法精神,讓人看見佛法在人間,以及誠正信實的人間菩薩莊嚴形象。

上人形容慈濟人隨著自身因緣到海外生活,或是發展事業,也把慈濟種子帶到各個國家。許多國家的居民不認識佛教,慈濟人要傳佛法、做志業,就好像要在乾旱大地耕耘那般艱難;而慈濟人仍然點點滴滴灑下佛法的清淨法水,用耐心、用愛滋潤大地,用佛法潤澤蒼生。

在非洲國家的本土志工懷抱虔誠恭敬之心,排列整齊的隊伍朝山,恭誦佛號,步步精進。上人舉莫三比克為例,今年除了在馬普托「慈濟的家」,當地志工也在索法拉省雅瑪郡舉辦浴佛,大家就地取材,在露天的場地,拿大愛農場所種的蔬果和樹葉布置浴佛臺,以椰子殼盛浴佛用的香湯,居民在志工引導下依序浴佛。

「從錄影畫面看到他們的行動,感受到他們虔誠的一念心,我很感動、很感恩!每一位都是師父的好弟子,因為他們用感恩心、尊敬心,盡其所能、盡其所有,要完成這一場浴佛。他們事先採下椰子,把椰子水、椰肉取下來,作為供應熱食的食材,接著把切半的椰子殼邊緣磨平,讓大眾浴佛時手沾香湯,不會被割到手,真的很用心。」

「看著那一碗碗清淨的水,我覺得它真能滋潤心地,為人淨心;當浴佛的人,用手碰觸這一碗水,我的心也感覺到清涼,那就是虔誠的感受。」上人說,莫國民眾有自己長久以來的信仰,而慈濟的法來自佛教,但是不拘束他們,莫國志工沒有改變信仰,而是加強正知、正見、正向,心胸開闊,包容所有。「他們正信、虔誠,十幾年來都很精進、很用心,很虔誠地來浴佛。」

上人說,莫三比克本土志工畫地為殿堂,在有樹蔭的地方,拉線做界線,這條線以內就是道場,人人先在線外集合,脫鞋才進入這條線裏面。其實內外同樣是黃土地,可是他們用這個舉動表達對於道場的虔誠心。從場地到浴佛臺,一切都很簡單,但是不失莊嚴;而且人人排列整齊隊伍,心靈道場很莊嚴、很美,讓人很感動!

將知識轉為智慧

七十年前,紐西蘭登山者希拉里和嚮導諾蓋,成功登上聖母峰,創下人類史上第一次的聖母峰登頂紀錄。七十年後的現在,人們在登山節慶祝這項偉大創舉時,聖母峰卻因氣候變遷加劇而面臨危機。科學家指出,聖母峰上冰雪融化速度變快,黑色的岩石裸露,氣候影響已經顯而易見。

五月三十日志工早會,上人感嘆,現在全球都感受到氣候變遷的壓迫力,這是眾生的共業。人類無知,所以為所欲為,隨著貪欲、貪求,不斷地開發、享受,也不斷地丟棄垃圾,導致惡性循環。其實大地供應給人類的資源很充足,人類卻過度開發享用,且因破壞山林大地造成災禍。

喜馬拉雅山的山峰原本長年受白雪覆蓋,現在卻能看見黑色岩石,這則新聞中也提到,排隊等著爬上聖母峰的登山客愈來愈多,人類活動會對冰川造成傷害。上人感嘆,很多人是抱著征服高山的心態爬山,其實人類所到之處就會造成破壞與污染;征服高山的英雄不斷增加,山林生態就不斷被破壞。所以若說「人力定能勝天」,人類行為導致環境破壞、氣候變化,確實是能勝天,卻是讓災厄降臨人間。

上人談到昨天星馬團隊在印度鹿野苑,視訊導覽環境現狀,當地有許多佛塔、寺廟的遺跡。那是佛陀入滅百年後、幾百年後的建設,在這一、二千年來,陸續建設又被破壞,現在所看到的只剩斷垣殘壁或柱子基座。此刻有先進的錄影設備和網路視訊,可以即時回傳影像,還能留存當下的人事物,將最真實的紀錄流傳到後世,或許一、二千年後的人還能看到今天的影像,這是人類智慧發展出來的成果。

現代科技是人類的智慧發展出來的,上人則希望人類能夠提起更為深層的佛性智慧,明辨是非善惡,而非只為滿足欲望、享受,靠著知識運用科技破壞大地山林,讓氣候變化更為劇烈,地球環境更加惡化。期待人人將知識轉為智慧,揚善止惡,不該做的事,要有警惕;該做的,要把握時間趕緊做到。

傳功夫給年輕人

五月三十一日,與臺中林雪珠、尤麗卿師姊等人談話時,上人勉勵座中資深師兄師姊們,無論年紀多大,永遠都有用處;老,是自然法則,只要一年一年平平安安,一日一日清清楚楚,就是人生之福。既然有福得以平平安安,思慮清清楚楚,就要好好運用人生時間,為天地人間付出。

上人教師姊們經常去帶動年長法親,一起走出來探視需要關心協助的照顧戶、關懷戶,這是慈濟人的責任;而且資深慈濟人也有責任將慈善經驗、帶人的經驗傳給年輕一輩,要把精神、精髓傳承下去。「我們還是要走出來,把握機會分享,做出來、說出來讓人感動,傳功夫給年輕人,慈濟的慧命才不會中斷。」

「四大志業你們都積極參與,不只是向大眾勸募,凝聚力量完成志業體建設,更重要的是你們照顧社區,慈善工作和志工帶動,樣樣都做到。這些功能、良能都還在,不可以放棄。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

礙於篇幅,還有更多重要開示無法刊登……

五月七日─資深委員林勝勝回到慈濟大學成為大體老師
五月二十六日─清修士團隊報告全球清修士說明會之課程規畫
五月二十七日─臺北中正紀念堂浴佛大典團隊返回精舍分享

※完整的每日行記以及師徒間感人對談,請關注靜思人文叢書處每季出版新書

→前往靜思網路書軒

5.29~31《農四月‧十一至十三》

【靜思小語】人類智慧可以發展現代科技,還要提起更為深層的佛性智慧,明辨是非善惡。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

看見佛法在人間

為慶祝「三節合一」,宣揚宇宙大覺者的精神,廣邀大眾同行菩薩道,海外各國慈濟人就地舉行浴佛典禮,浴佛畫面陸續回傳,五月二十九日志工早會,上人感恩全球慈濟人展現佛法精神,讓人看見佛法在人間,以及誠正信實的人間菩薩莊嚴形象。

上人形容慈濟人隨著自身因緣到海外生活,或是發展事業,也把慈濟種子帶到各個國家。許多國家的居民不認識佛教,慈濟人要傳佛法、做志業,就好像要在乾旱大地耕耘那般艱難;而慈濟人仍然點點滴滴灑下佛法的清淨法水,用耐心、用愛滋潤大地,用佛法潤澤蒼生。

在非洲國家的本土志工懷抱虔誠恭敬之心,排列整齊的隊伍朝山,恭誦佛號,步步精進。上人舉莫三比克為例,今年除了在馬普托「慈濟的家」,當地志工也在索法拉省雅瑪郡舉辦浴佛,大家就地取材,在露天的場地,拿大愛農場所種的蔬果和樹葉布置浴佛臺,以椰子殼盛浴佛用的香湯,居民在志工引導下依序浴佛。

「從錄影畫面看到他們的行動,感受到他們虔誠的一念心,我很感動、很感恩!每一位都是師父的好弟子,因為他們用感恩心、尊敬心,盡其所能、盡其所有,要完成這一場浴佛。他們事先採下椰子,把椰子水、椰肉取下來,作為供應熱食的食材,接著把切半的椰子殼邊緣磨平,讓大眾浴佛時手沾香湯,不會被割到手,真的很用心。」

「看著那一碗碗清淨的水,我覺得它真能滋潤心地,為人淨心;當浴佛的人,用手碰觸這一碗水,我的心也感覺到清涼,那就是虔誠的感受。」上人說,莫國民眾有自己長久以來的信仰,而慈濟的法來自佛教,但是不拘束他們,莫國志工沒有改變信仰,而是加強正知、正見、正向,心胸開闊,包容所有。「他們正信、虔誠,十幾年來都很精進、很用心,很虔誠地來浴佛。」

上人說,莫三比克本土志工畫地為殿堂,在有樹蔭的地方,拉線做界線,這條線以內就是道場,人人先在線外集合,脫鞋才進入這條線裏面。其實內外同樣是黃土地,可是他們用這個舉動表達對於道場的虔誠心。從場地到浴佛臺,一切都很簡單,但是不失莊嚴;而且人人排列整齊隊伍,心靈道場很莊嚴、很美,讓人很感動!

將知識轉為智慧

七十年前,紐西蘭登山者希拉里和嚮導諾蓋,成功登上聖母峰,創下人類史上第一次的聖母峰登頂紀錄。七十年後的現在,人們在登山節慶祝這項偉大創舉時,聖母峰卻因氣候變遷加劇而面臨危機。科學家指出,聖母峰上冰雪融化速度變快,黑色的岩石裸露,氣候影響已經顯而易見。

五月三十日志工早會,上人感嘆,現在全球都感受到氣候變遷的壓迫力,這是眾生的共業。人類無知,所以為所欲為,隨著貪欲、貪求,不斷地開發、享受,也不斷地丟棄垃圾,導致惡性循環。其實大地供應給人類的資源很充足,人類卻過度開發享用,且因破壞山林大地造成災禍。

喜馬拉雅山的山峰原本長年受白雪覆蓋,現在卻能看見黑色岩石,這則新聞中也提到,排隊等著爬上聖母峰的登山客愈來愈多,人類活動會對冰川造成傷害。上人感嘆,很多人是抱著征服高山的心態爬山,其實人類所到之處就會造成破壞與污染;征服高山的英雄不斷增加,山林生態就不斷被破壞。所以若說「人力定能勝天」,人類行為導致環境破壞、氣候變化,確實是能勝天,卻是讓災厄降臨人間。

上人談到昨天星馬團隊在印度鹿野苑,視訊導覽環境現狀,當地有許多佛塔、寺廟的遺跡。那是佛陀入滅百年後、幾百年後的建設,在這一、二千年來,陸續建設又被破壞,現在所看到的只剩斷垣殘壁或柱子基座。此刻有先進的錄影設備和網路視訊,可以即時回傳影像,還能留存當下的人事物,將最真實的紀錄流傳到後世,或許一、二千年後的人還能看到今天的影像,這是人類智慧發展出來的成果。

現代科技是人類的智慧發展出來的,上人則希望人類能夠提起更為深層的佛性智慧,明辨是非善惡,而非只為滿足欲望、享受,靠著知識運用科技破壞大地山林,讓氣候變化更為劇烈,地球環境更加惡化。期待人人將知識轉為智慧,揚善止惡,不該做的事,要有警惕;該做的,要把握時間趕緊做到。

傳功夫給年輕人

五月三十一日,與臺中林雪珠、尤麗卿師姊等人談話時,上人勉勵座中資深師兄師姊們,無論年紀多大,永遠都有用處;老,是自然法則,只要一年一年平平安安,一日一日清清楚楚,就是人生之福。既然有福得以平平安安,思慮清清楚楚,就要好好運用人生時間,為天地人間付出。

上人教師姊們經常去帶動年長法親,一起走出來探視需要關心協助的照顧戶、關懷戶,這是慈濟人的責任;而且資深慈濟人也有責任將慈善經驗、帶人的經驗傳給年輕一輩,要把精神、精髓傳承下去。「我們還是要走出來,把握機會分享,做出來、說出來讓人感動,傳功夫給年輕人,慈濟的慧命才不會中斷。」

「四大志業你們都積極參與,不只是向大眾勸募,凝聚力量完成志業體建設,更重要的是你們照顧社區,慈善工作和志工帶動,樣樣都做到。這些功能、良能都還在,不可以放棄。」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

礙於篇幅,還有更多重要開示無法刊登……

五月七日─資深委員林勝勝回到慈濟大學成為大體老師
五月二十六日─清修士團隊報告全球清修士說明會之課程規畫
五月二十七日─臺北中正紀念堂浴佛大典團隊返回精舍分享

※完整的每日行記以及師徒間感人對談,請關注靜思人文叢書處每季出版新書

→前往靜思網路書軒