世界に目を向ける

台湾・台南
九二一大地震から二十一年
災害救助訓練は続く

文・洪淑真、呉秀玲、方玉葉、徐麗華、王美雅(台南慈済ボランティア)
訳・明彤

各県と市の消防隊とレスキュー隊員が位置につき、医療救護隊員と軍隊の仲間も集合した。慈済が開設した防災調整センターでは、ボランティアが力を合わせて仮設住宅を建て、移動式キッチンの準備を整えた。そして全方位対応災害救助車や移動浄水設備、水陸両用救助ボートも待機させた。

九二一大地震から二十一年目にあたるこの日、「国家防災日震災消防演習」が台南の奇美博物館駐車場で行われ、大規模な震災時の災害救助を想定した人員の動員が行われた。慈済は要請に応じて参加し、何年もかけて研究開発してきた災害救助用機材を展示した他、ボランティアたちは演習参加者に、お昼の菜食弁当を提供した。多くの救助隊員が「食べ慣れた、ほっとする味」というこのお弁当こそが、長年、災害が起こるたびに被災地で提供してきた温かい食事である。

フィリピン
コロナ禍で交通が遮断された ジプニーの運転手たちが生活の道を模索する

資料提供・慈済フィリピン支部 
撮影・ダニエル・ラザル 
訳・常樸

↑ケソン・シティ

フィリピンは一時期、新型コロナウルスの感染者数が東南アジアで最も多かった国だ。八月から九月にかけて、感染者数が激増し、首都マニラと五つの人口密集地域では、八月から半月間、二度目のロックダウン措置が取られた。感染防止対策の規制の下で、公共交通機関が運行停止となり、街の主力交通である「ジプニー」の運転手たちは、この半年間、ほとんど収入がない。部分的なロックダウンが解除された後、交替制で営業が再開されたが、客はほとんどなく、運転手たちの生活は困窮状態に陥り、ひいては路頭で物乞いをする者まで現れた。

↑マリキナ市

八月から、フィリピンの慈済ボランティアは、ジプニーやオート三輪の運転手たちに生活支援を開始し、三カ月間続けて物資の配付を行った。ルソン島から南のミンダナオ島まで、支援した都市や離島の貧困世帯の数は、十月上旬までに二万五千世帯を超えた。

「コロナ禍で、私たち多くのドライバーは途方に暮れ、どうやって家族を養えばいいのか、絶望していました。今日、配付を受け取った全ての家庭はとても喜んでいると思います」とジプニー運転手のベルナルド・マナランさんはコメを受け取ってから、マスクの奥から感動を言葉にした。

↑アンティポロ市

毎回の配付は往々にして千人近くを対象にするため、ボランティアは、感染予防対策の規定を守りながら、困難を乘り越えて、配付者名簿を作成した。会場ではQRコードを使って本人確認をし、厳格にソーシャルディスタンスを取った。レストランの営業禁止が依然として続く中、野菜農家を支援するため、ボランティアたちは自腹で五千キロもの野菜を購入し、アンティポロ市で千人余りの運転手たちに配付した。それ以外にも一人あたり二十キロの米と食用油、酢、砂糖、麺類、石けんの他、茄子、ひょうたん、トウモロコシ、かぼちゃなどを配付した。物が多すぎて担ぎ切れないほどだったが、今月は家族にもひもじい思いをさせずにすむと皆、喜んだ。また農家も、やっと今季の農作物の収入を手にすることができた。

アメリカ
灰燼に帰した山にも愛はある

文・アメリカ慈済ボランティア 
訳・江愛寶

今年はアメリカ西海岸に熱波が押し寄せ、八月に発生した森林火災が、カリフォルニア北部からネバダ州までの三万平方キロメートルを超える範囲を焼き尽くした。慈済ボランティアは、カリフォルニア州やノースカロライナ州等の緊急支援センターに赴いて、現地の救援機構と協力して拠点を設け、緊急支援に「購買用プリペイドカード」を贈った。焼け出されて緊急避難した人々は、これで暫く生活することができる。

北カリフォルニアの慈済ボランティアは、九月ニ十四日から北部複合火災地区にあるオーロビル市の配付会場に宿泊した。パトナ厶さん夫妻は、證厳法師が森林火災で被災した住民にあてた見舞いの手紙を見て、思わず涙を流した。「慈済基金会からの祝福を受け取り、人々の深い愛を感じました。私たちは日々をどう過ごしたらよいか分かりませんが、今は努力して一日一日をしっかり過ごすだけです」と言った。夫妻にとって、これは初めての被災ではなかった。二年前パラダイスタウンに住んでいた時も、キャンプ・ファイアと名付けられた森林火災に遭遇した。「森林は休暇で訪れるにはよいのですが、もう居住には適していません」と言った。

    キーワード :