生命に確かな価値があれば、その法悦は余りあるようになります

(絵・陳九熹)

この世で最も価値があるのは生命です。 時を逃さず奉仕すれば、人生はもっと価値のあるものになります。 日々、余りある法悦の中で過ごすこが、最も智慧に溢れた、最高の人生なのです。

時が過ぎるのは早いもので、一年一度の歳末祝福会が既に十一月から始まりました。皆さんは福慧お年玉を手に、その喜びを持ち帰り、年越しの準備をすることでしょう。新年には新しい希望を抱き、毎朝、その日が楽しい一日になることを願うように、毎日、毎月、毎年が平穏無事であるよう願わない人はいません。

行脚で台北に着き、ベテラン委員たちに会うと、以前年末に、彼女たちの案内の下に貧困家庭の重複調査に出かけたことを思い出します。三十数年前、三芝を訪問した時、百歳の一人暮らしで目の不自由なお年寄りが、ボロボロの茅葺き屋根の小屋に住んでいました。外でしゃがんで火をおこしているのを見て、とても心配になりました。慈済委員は普段から代わる代わる訪ねて、風呂の世話や家の掃除、生活必需品の備えなど、亡くなるまで長年、世話をしました。半世紀も前から慈済ボランティアは、今で言う「長期ケア」を自発的に行ってお年寄りを自分の親のように労り、最期まで世話を続けていたのです。

貧困、障害、老い、病、孤独など、慈善訪問によって体得したことは、仏陀が言われた「苦諦(くたい)」そのものを証明しています。人生に苦しみがあり、この世にはそれ以上に多くの苦難があります。今年はまだ終わっていませんが、世界各地で多くの天災、人禍が起きていると共に、新型コロナウイルスの感染症は今でも感染症例が減るどころか増え続けています。感染予防のために国境封鎖や市街地封鎖、外出禁止令などが続いており、多くの人が無給になったり、操業停止などによって、影響が各層に広まっています。

世界で「マスクが買えない」状態になっていますが、世界の国々にいる慈済人に感謝します。防疫物資は慈済の医療機関になくてはなりませんが、その他の医療や慈善組織でも同じく必要であることを予測しました。人々が平穏になって初めて社会が平和になるのです。彼らは勇敢に至る所でそれを買い求めて提供しました。善人が多ければ、善いことも多くなり、愛に余力が生まれるのです。

世の人が慈済のために尽くしてくれ、慈済は世の人々のために少しも出し惜しみをしません。これが共存と愛です。慈済ボランティアは慈悲済世の心をもっていますが、慈とは縁のない人にも恵みと幸せを施し、悲は人の身になって悲しむことです。この非常時にあって、誰もが互いに労わり、共存していかなければなりません。人々の愛に寄りそって、苦難の人には労わりの心で奉仕し、少しでも多く救済物資が苦難の場に届くよう尽力することです。防疫の規定で私たちはその場に行くことはできませんが、敬虔な心をもって人々に愛の心を呼び掛け、善行して福を作り、その福を結集させるのです。

五十五年前に一つの固い信念のもとに、三十人が毎日五十銭を節約して慈善を始めました。台湾で始まり、今では世界六十三の国と地域に慈済人がいます。彼らは近隣の国に災難が発生すると、現地で救済物資を調達して支援に駆けつけます。もし当初の「五十銭」がなかったら、今の慈済はなかったでしょう。長期ケアや緊急支援を含む慈済の人道支援の足跡は既に百十カ国以上に及んでいます。

私は心から感謝しています。こんなにも多くの人が私と一緒に善行に取りくんでいることを、心から幸せに感じています。行脚で台北市東区の集会所に来た時、「上人、愛してます」という皆の声を聞いて、私が振り返って答えようとすると、「上人の愛するものは全て愛しています!」と私の気持ちに代わって言ってくれたのです。皆が私の心を知ってくれていることに感謝しています。私たちの同じ方向とは即ち愛です。

人々の心の中には愛があり、それは人や物、あらゆる生命への愛です。人の手は万能で、何千、何万キロもの回収物がリサイクルボランティアの手で運ばれ、分別されています。最も美しい手は、どれほど多くの善い事をしてきたことでしょう。五百人が一緒に衆生に慈悲を奉仕することは、即ち一体の千手観音菩薩なのです。一つの手が動けば、千の手、万の手が動き、私が成し遂げようとしていることを手伝ってくれています。

この世で最も価値のあるものは生命ですが、その生命をもっと価値のあるものにしなければなりません。慈済人が、「志業を続け、健康で、最後の一息まで続ける」と発願するのを聞くといつも、これが最高の智慧であり、最も素晴らしい人生だという思いを確かにします。奉仕はお金にはならなくても、喜びと生命の価値が得られます。毎日余りある法悦の中に浸ることができるのです。生命の方向が正しければ、心して精進することです。一秒一秒の心が軌道から外れないよう地に足を着け、悔いのない人生を送りましょう。


(慈済月刊六四九期より二〇二〇年に翻訳)

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