物語は十四年前に遡る─漳州南靖から廃棄ガラスをなくす

「私たちの町から至る所に捨てられたガラスがなくなり、人々の心が瑠璃のように清らかになることを願う」十四年前、漳州市南靖のボランティアは廃棄ガラスの回収を始めた。

大地から「廃棄ガラス瓶をなくす」という目標は、福建省での慈済環境保全の第一歩となった。

歴史資料の統計データによると、台湾に上陸した台風の六十%が福建省に上陸している。慈済と福建省の縁は台風とも関係がある。一九九六年七月三十一日、台風九号が台湾に上陸したあとで福建省に向かい、双方に甚大な被害をもたらした。台湾の慈済ボランティアは台湾での緊急災害援助が一段落すると、福建省に駆けつけて被害状況を調査し、現地の台湾人企業家や現地ボランティアたちと協力して慈済の慈善志業を展開し、その後、環境保全の流れをもたらした。

二〇〇六年末、漳州市南靖に在住する台湾人実業家でボランティアの廖朝仲(リャオ・チャオジョン)さんは、現地の住民に慈済が実践している毎日の資源回収に関する話をした。そこから福建省での環境保全の歩みが始まった。ボランティアたちは、誰もやりたがらない大変なガラス瓶の回収を始めたのだ。十四年間続けた結果、総回収量は千トンをはるかに越えた。

ガラスは重く、割れた破片は危険だが、回収価格は低く、基本的には採算がとれないため、至る所に廃棄ガラス瓶や割れガラスが散乱しているのをよく目にする。ボランティアは環境保全の理念を推進するため、診療所やホテル、屋台や金線蓮㊟を栽培する業者にガラス瓶の回収を呼びかけた結果、大方慈済の環境保全理念を理解してもらうことができた。決まった場所に集められるようになり、ボランティアが定期的に回収した。
㊟金線蓮‥ラン科植物。ガラス瓶の中で栽培する。新鮮な金線蓮は生で食用でき、乾燥すれば、お茶にもなる。ビタミンやアミノ酸などが豊富でダイエットや美容にも用いられる。高級食材。

ボランティアの林團治(リン・トワンジー)さんは、十年以上に亘って数人の年配者と共に、毎週ガラスの回収拠点で作業を続けてきた。その一人は「地面にガラスの破片が落ちていると、自転車のタイヤがパンクしたり、歩行者に怪我をさせたりするので、外で遊んでいる子どもにとっても危険です。環境保全だけのためでなく、人々の安全のためにもガラス瓶や破片を拾って回収しなければなりません」と言った。これが慈悲の力である。

ボランティアの呉婉玲(ウー・ワンリン)さんは、最初はリサイクルの仕事に対して「不衛生で体裁が悪い」というイメージを持っていた。ある日、広場にたくさんのガラス瓶があるのを見かけ、拾おうとした時、知り合いが通りかかったため、拾うのをためらってしまった。何度もそうしているうちにやっと、目を閉じ、歯を食いしばって、腰を曲げてガラス瓶を拾ったとたん、胸がすっきりした。呉さんは感慨深げに、「ガラスの回収はとても大変な作業ですが、このようにして続ければ、気力と勇気が湧きます。人目を気にせず、環境保全の仕事をすれば、謙虚になり、傲慢さがなくなります」と言った。これが智慧の力である。

福建省漳州市南靖県のボランティアは、廃棄ガラスを拾い集めると、リサイクルステーションで色によって分別する。

二〇〇六年八月、台風八号が、福建省北部の福鼎市に深刻な人的被害をもたらした。福鼎市のボランティアは、災害支援の傍ら犠牲者の家族を慰問した時、環境保全は時を置かずして推進しなければならないことに気づき、二〇〇七年四月に慈済環境保全センターを立ち上げた。同年、アモイのボランティアもリサイクル活動を開始し、都心の地下駐車場にリサイクルステーションを設け、星空や街灯の下でも分別作業を行った。それぞれのリサイクルステーションはそれなりの厳しい状況下で活動を始めたが、今はすべて「地球を愛する」という決意を堅持し、広く民衆の支持を得ている。

泉州では二〇〇八年、ある家に設けられた回収拠点からリサイクルが始まった。今では泉州、晉江、石獅、南安の各地に五十八カ所以上の拠点があり、リサイクルステーションはリサイクルボランティアにとって、第二の家となっている。お年寄りたちは、環境保全の理念とそれを実践した後の喜びを閩南語の歌にし、短い劇を作って、より多くの人にリサイクル活動への参加を呼びかけている。

十四年来、福建省にはすでに百三十一カ所のリサイクルステーションや拠点があり、二〇一九年だけでも年間の資源回収量は三千七百トンに達した。最も早く始まった拠点を訪れてみると、漳州のボランティアは、今でも廃棄ガラスの回収作業を年中無休で続けていた。環境保全ボランティアの願いは「大地に廃棄ガラスがなく、人心が瑠璃の如く清らかになる」ことである。

(慈済月刊六四八期より二〇二〇年に翻訳)

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