難関を乗り越えて

「辛い」と言わず、「感謝」の気持ちを持ちましょう。障害に遭遇したなら、事を成し遂げる決意を新たにし、難関が乗り越えられた時は、恩人の支援に感謝することです。

どんなに苦労しても喜んで受ける

九月十七日、大愛テレビ局の管理職と職員が上人に会見した時、「今の女性は仕事もして家事も子供の面倒も見なければならず、大変な苦労があります。しかし、それも自分の人生における選択であり、家庭に尽くし、自分の意志や理想のために努力するのは、どんなに大変でも喜んで受け入れることができるはずです」と上人が言いました。

「世界には生まれた時から苦難が多く、資源の乏しい環境にいる人がたくさんいます。局の職員たちが取材で外国に行くといつも、幼い子供が住む家もなく、衣食に不足しながら貧しい生活をしているのを目にします。彼らは将来の人生を選択することができず、学校に行って勉強するのは贅沢なことなのです。しかし、ここにいる管理職や職員の皆さんは平穏な生活の中で育ち、義務教育を受けて高等教育に進み、好きな学部に入って人生に対する考えを持ち、したい仕事を選んでいる方々ですから、どんな苦労も喜んで受け入れるでしょう。同じメディアの仕事でも、大愛テレビでの仕事は他の民営テレビ局よりも得るものが多いと思います。仕事は大変かもしれませんが、心に決めているのであれば、苦労も幸福に感じるはずです」。

「この世で正しい事をする時、どれも簡単なものはありません。自分の選択が正しければ、自ずと正しい事を成し遂げようと決意し、他人よりも努力して重責を担おうとしますが、苦労も多いのです。しかし、私が慈済を創設して五十五年間、一度も「辛い」と言ったことはなく、いつも『感謝』の気持ちを持ち続けています。それでも常に障害に遭遇しますが、それは事を成し遂げられるよう、私の決意を強くさせてくれるだけです。一つ一つ難関を乗り越えたあとには、感謝の気持ちが湧きます。それは恩人の助けで、難関を乗り越えたことへの感謝です」。

上人は管理職と職員と互いに励まし合いました。「大変な時代では大きな是非を見分ける必要があります。それは私たちが、他の人ができない大きな仕事をやらなければならないからです。それが私たちにとっての『大変な時代』なのです。ですから、大きな是非を見分け、正しいことなのか間違っているのかをよく理解し、正しいことは努力して行い、困難を乗り越えなければなりません。困難を乗り越えられなければ、目標を到達したことによる人々の賞賛は聞こえて来ません。自分だけがよいと思うのではなく、難関を突破し、人々が体得して心から賞賛してこそ、事を成就したと言えるのです」。

「私はいつも自分に言い聞かせています。もし、人を利することのない日が一日でもあれば、その一日は価値のない人生なのです。私の人生は時時刻刻と人を利してこそ、価値があると思っています」。上人は自分の人生を振り返ってこう言いました。幼い時から成長するまで、即ち、家にいた時から出家するまでの人生で過ちを犯したことがないことに喜びを感じています。人生で不足なところがないだけでなく、両親の産みと養育の恩に報い、親が授けてくれた体で大衆に奉仕しています。また、「仏教の為、衆生の為」にと宗教に対して努力して、生命と慧命に結果を出しており、無駄に今生を過ごしてはいません。

「私の人生は感謝することが多いのですが、最も感謝したいのが慈済人です。もし、慈済人がいなかったら、慈済はなかったでしょう。慈済の創設は私の一念から始まったものですが、一かたまりの人が私について、困難な中で慈善を展開し、「克勤、克倹、克難」の中で功徳を達成させました。慈済は一日に五十銭を貯金することから始めましたが、五十五年後の今は毎日、世界の情報に触れることができます。というのは、慈済人が世界に在住しており、大愛テレビが大衆の目と耳になり、私たちに天下の出来事を知らせてくれているからです」。

上人が大愛テレビの職員一人ひとりに感謝するのは、皆が真に発心立願した菩薩であるからです。同じ一つの志の下に、正しい報道をして、質の高いニュースや他の番組を制作しています。そして、報道されるニュースは全て人を利するものであり、広い視野を持っています。それは、眼前の利益だけを重視し、消費や旅行ばかりを推奨することで一時的な経済効果だけをあげようとして逆に長期にわたって環境に害をもたらすような報道ではありません。

「社会の風潮がそうであっても、私たちは蛍のように淡い光を放つだけでも、正しい報道をして、人心を浄化し続けるのです。真っ暗闇の中にたとえ一匹の蛍しかいなくても、その光は目に見ることができます。人文志業のスタッフが、この清流を世界に駆け巡らせるよう、しっかりと続けていくことを願っています。あなたたちは人文志業の一代目で、清流を作る源であり、その責務を担わなければなりません」。


(慈済月刊六四八期より二〇二〇年に翻訳)

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