人間の苦しみは法で治療する
人間は苦しみが多く、無常は一瞬にして訪れ、
全てが忍び難く、身につまされます。
誠意のある愛で、寄り添い慰めましょ… Read More »
劇的な気候変動下での行蘊
二月下旬、温帯から亜熱帯に位置するアメリカテキサス州で大雪が降った。各種異なったエネルギーによる発電所が、それによ… Read More »
快適な生活環境から踏み出した地域の婦人
花蓮市美崙地区に住む林翠雲(リン・ツェイユン)さんは、仕事ができるだけでなく、話し上手なリサイクルの達人ですが、三… Read More »
コロナ禍での愛
二〇二一年一月、新型コロナウイルスの感染が急速に拡大し、
世界全体の累計感染者数は一億人を突破した。
これは世界の… Read More »
無常を思い、一秒一秒を心して過ごす
無常を悟り,仏法の真実と教育を体得し、
一瞬一瞬、生命の価値を存分に発揮し、
足を地に付けて、この世に有益な事をす… Read More »
愛で心を充実させる
子供はまだ幼く、母親もまだ若い。慈済ボランティアは、この家族が必要としているのは単なる経済的な支援だけではないと考… Read More »
ホットラインで在宅検疫の人に寄り添う─慈済がコロナケアセンターの電話相談窓口チームに参加
十四日間の在宅検疫と七日間の自己健康管理期間、様々な心身のストレスに対して、志願して相談の受け付けをする人たちがい… Read More »
心身を整える
人文教育は、礼儀を学び、生活の質を向上させるだけでなく、
それによって、より物を大切にし、人を愛するようになります… Read More »
世界に目を向ける
二〇二一年の元旦が過ぎてから、連日の豪雨で水害が発生し、マレーシア中南部で三万人以上が緊急避難した。パハン州とジョ… Read More »
五月の出来事
05・03
インドは第2波のコロナ禍で、4月下旬から連日30万人を超す新規感染者が出ており、それに伴って死者も増え… Read More »
教育の方針が見つかった
二十年余り前、子どもたちの教育のためにカナダに移住した。
初めはプレッシャーのない学習環境を与えたいという考えから… Read More »
日常的なリサイクル ファミリーアルバム
彼らは本当の家族ではないが、家族以上である。
無数の小家族が慈済リサイクルステーションという大家庭に集まり、
朝か… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
世界に目を向ける
行脚の軌跡
證厳上人のお諭し
リサイクルボランティアとその歩み
表紙の物語
世代をつなぐ
国際慈善
五月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。