世界に目を向ける

マレーシア
新年に避難  復復興を支援してくれた

文・マレーシア人文記録ボランティア

撮影・頼玉貞

二〇二一年の元旦が過ぎてから、連日の豪雨で水害が発生し、マレーシア中南部で三万人以上が緊急避難した。パハン州とジョホール州の被害が最も大きく、トレンガヌ州とクランタン州、セランゴール州及び東マレーシアのサバ州からも被害情報が伝えられた。

撮影・黄文興

ボランティアは、ジョホール州クルアン県、コタ・ティンギー県、ジョホールバル県、バトゥパハ県及びパハン州クァンタン県、リピス県、テメルロー県等を重点支援地域に指定し、避難所に食糧や布団、防疫用品などの物資を提供すると共に、帰ってきた住民の清掃を手伝い、祝福トートバッグを配付し、三千人分余りの温かい食事を届けた。

撮影・莊麗晶

しかし、コロナウイルス感染症の第三波はそれまで以上に拡大したため、一月十二日、マレーシアは緊急事態に突入し、行動制限令によって、訪問ケアの名簿作成がより困難になった。コロナ禍と水害の双方から被害を被った家庭を、ボランティアは以前作成した名簿に基づいて見舞金の配付対象とした。以前のように決まった場所で行うのとは異なり、一月二十二日から「家庭ごとの配付」と小規模の配付活動をすることで、大衆が密集するリスクを減らした。二月十九日までに三千百二十二世帯に各種支援を行なった。

インドネシア・西ジャワ州
再建された吊り橋は生気に溢れ、往来が絶えない

文、撮影・Moch Galvan

西ジャワ州ガルト県では、デポック村と対岸の二つの村を結ぶ吊り橋が二〇二〇年十月の洪水で流されたため、村人は遠回りするか、水位が下がった時を待ってやっと川を渡り、仕事や学校に行っていたので、危険極まりなかった。

バンドンの慈済人は、軍部と協力して吊り橋の再建にあたったが、現地の民衆と専門技術を持った非営利高所救助組織、バーチャル・レスキュー・インドネシアのボランティアも熱心に建設を手伝った。今年一月六日、「チカソ川愛心吊り橋」の除幕式が行われ、長さ八十メートルのステンレス製の新橋に村人は喜びに沸いた。村人のアイナさんは、農作業からの帰り道が川の水に阻まれなくなったことを喜んだ。また、村人のアリは、父親と一緒に経営する額縁販売店の商売が以前のように繁盛し、バイクで荷物を運べるようになったので、「アラーと慈済に感謝しています。ボランティアの平安と健康を祈っています!」と言った。

カンボジア・バッタンバン州
相次ぐ天災 二万世帯に米を支援

文・潘曉彤

撮影・リナ・ファ

二〇二〇年はカンボジアの人々にとって特に大変な年だった。年初に新型コロナウイルス感染症、五月から九月にかけては旱魃、九月からはたて続けに襲ってきた暴風雨で洪水に見舞われた。水害が落ち着いたと思ったら、またコロナ禍が再燃した。

撮影・エワム・サリス

プノンペンの慈済ボランティアは、昨年十二月下旬に最も水害が深刻だったバタンバン州で配付を行う予定だったが、十一月下旬に政府より防疫に関する緊急禁止令が公布された。年末になってやっと解除され、今年の一月五日から十二日まで六つの県で、二万百三十一世帯に白米と食用油の配付を行った。九つの会場では、それぞれ徒歩、バイク、トラクターによる受取を区分けすることで、配付をより迅速にした。

撮影・ネォウ・スー・トアン

六日間にわたって二万世帯に配付し、延べ千四百八十七人が投入した。今回、プノンペンから来た五名の法師と慈済ボランティア、カンボジア総理府青年志願医師協会(TYDA)、カンボジア青年連盟(UYFC)及び各地区の軍や警察が参加した。

撮影・潘曉彤

慈済ボランティアは昨年二度にわたってバッタンバン州へ調査に訪れたが、地域によっては一週間から一カ月余りにわたって一万ヘクタール以上の田畑が水に浸かり、稲穂が水に浸ったために発芽していた。被災者はコロナ禍で収入が減っていた上に、五月に植えた稲は水不足のために収穫が悪く、八月には再び植えた種が水害に遭ったのだった。以前は借金をして土地を借り、種もみと肥料を買っていたが、今回は漁に出るか或は出稼ぎしても返済できないと言う。慈済は世帯人数を考慮に入れて配付する米の量を決めたので、彼らの負担が大きく減った。村人も慈済の竹筒歳月の精神を学んで人助けをするようになった。


(慈済月刊六五二期より)

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