コロナ禍での愛

部落の年長者を気遣い、桃園慈済ボランティアは万全の備えで1月29日、春節の祝福品を届けた。(撮影・黄筱哲)

二〇二一年一月、新型コロナウイルスの感染が急速に拡大し、世界全体の累計感染者数は一億人を突破した。

これは世界の七十八人に一人が感染したことと同じである。

この大変な時期に、慈済は慈善の歩みを止めることなく、今まで以上に感染者と近距離の接触が多い、高リスクの医療従事者を安心させ、コロナ禍で影響を受けた家庭に安定した生活を与えている。

お父さん、長い間本当に有難うございました。ごめんなさいね、疲れたでしょうね。家に帰りましょう……」。日本川崎市の聖マリアンナ医科大学病院の集中治療室で、看護師が悲しみをこらえながらタブレットを持って、新型コロナウイルスの感染症で死を間近に迎えた九十代の高齢者と家族の「お別れ」の場面を取り持った。東京医科大学八王子医療センターでも、入院して数日後に病状が急速に悪化した八十代の患者が世を去った。その家族が事後の手続きのために病院を訪れた時、医師は家族に、患者は「生涯を満足に過ごしたので、残り少ない日々に使う人工呼吸器を若い人に使ってもらいたい。気管切開をしない選択をする」と言ったことを伝えた。家族はそれを聞いて体を震わせ、涙にむせんだ。

このような情景は日本だけでなく、感染が深刻な国では絶えず起きている。この一年余り、各国の医療システムは崩壊の危機に瀕しており、医療従事者は疲れた体を奮い立たせ、死に神の手から患者の命を奪い返そうと必死になっている。同時に、自分も感染するのではないか、或は愛する人に感染させるかもしれないという不安を抱えている。防疫に成功した時の喜びとウイルスと闘うストレスや不安、この二つの全く異なる感情が心に無形の網を織り成し、重圧が医療従事者にのしかかっている。しかし、彼らはひるまず、最前線でウイルスの侵入を食い止めようとしている。

しかし、新型コロナウイルスの変異株が現れた。その感染力は更に強く、その勢いは止まらない。二〇二一年一月、世界の感染が急拡大し、感染者総数は一億人を突破した。この数字は世界の七十八人に一人が感染していることと同じである。しかもこの一カ月の感染者の年齢層が若年化しており、潜伏期は無症状者が増えていることも変異株と無関係ではない。世界保健機関(WHO)の報道によれば、世界で少なくとも七種類の変異株が出現している。

「気象」も変異株が活発になる要因である。ラニーニャ現象で北半球の冬は例年より寒冷になり、人々が集まる機会を増やしたと言える。また一年以上の感染防止対策に、人々は多少なりとも疲れを感じていたと同時に、一部の国ではロックダウン対策によって状況が好転したため、人々の警戒心も緩んでしまったことが原因となっている。様々な要因が相まって、変異株が各国に広がる速度を速めてしまい、医療システムの崩壊も早まり、感染した医療従事者も少なくないし、亡くなった人もいる。

中国では、湖北省武漢市がロックダウンの一周年を迎えたが、再び感染が遼寧省、河北省、黑龍江省及び首都の北京市に広がった。国内感染の症例が多く現れただけでなく、イギリスの変異株がすでに広がっていたことが分かった。政府は緊急にロックダウンを実施し、全面的にPCR検査を行う措置を取るほか、間もなく訪れる中国の春節の帰省ラッシュという民族大移動に備えて、必要以外は帰省せずに現地で旧正月を迎えるよう民衆に呼びかけ、感染拡大が落ち着いてくれることを祈った。

中国瀋陽市鉄西区の化工小区でロックダウン措置が取られた。慈済ボランティアは防護服を身につけて、ケア世帯に冬季の支援物資を届けた。(撮影・李立新)

戒め慎みながら奉仕を続ける

海峡を隔てた台湾でも、感染は拡大していた。二〇二〇年の一月を思い出してみよう。当時はまだ目に見える感染拡大はなかったが、台湾に初めて海外からと本国の感染者が現れた。その一カ月後、台湾北部の病院でクラスターが発生した。そのまま四月まで国内感染症例は続いたが、幸いに感染経路がほとんど追跡できる状況にあった。

六月が過ぎると、人々の生活は元に戻ったように感じられた。出国できないことと、マスクをつけるという習慣以外は、特に何の不自由もなかった。そして一年が過ぎ、皆が二〇二一年を迎えようとしていた頃、思いがけず、二回目の病院内クラスターが発生した。国内感染症例も次々に確認され、政府は緊急に感染防止措置を強めたが、人々に恐怖や不安が広がった。

桃園は台湾の玄関口である。世界中から旅行客や帰国者が押し寄せる桃園国際空港では、一旦空港の検疫で陽性と診断されると、直ちに感染症指定病院に送られて隔離されることになっている。桃園の衛生福利部桃園病院はこの度の感染症の受け入れ協力医療機関であるが、一月中旬に国内感染症例が発生してからは、中央疫情指揮センター(感染症対策本部に相当)が「桃園病院プロジェクト」を起動し、隔離対象者を拡大したため、緊急に医療従事者を呼び戻してPCR検査を行った。この病院の入院患者を他の病院に移送するなどの緊急対策が行われた。

自由が制限されて、人との距離をとることになっても、人々の心は温かく、次々に病院に善意が寄せられた。弁当屋は無料の弁当を数日にわたって提供し、ある人は南部からお菓子や飲み物を送り、ある企業は何ダースもの栄養補給食品を届け、携帯用カイロを贈ったところもあり、皆で病院職員を応援した。慈済慈善事業基金会もその病院と桃園市に、安心祝福パックと様々な感染予防物資を寄贈した。

桃園静思堂では本堂にそれぞれ5つのテ―ブルを配置した4つのブロックを設け、テ―ブルの上には9つの品物が順序に従って並べられてあった。少人数のボランティアが距離を取って、テ―ブルで安心祝福パックを詰めていた。贈り物が9点あるのは、中国語では9と久が同じ発音で長く平安と幸せが続くように、という意味が込められてあるからだ。

同時に慈済は、政府の感染予防対策の引き締めに呼応して、防疫ルールを状況に応じて調整し、また集団感染のリスクを避けるために大規模な活動をしばらく見送ることにした。毎年、旧正月前の一カ月間は、冬季配付や年越しの集いが大々的に行われ、ケア世帯とは早めに年越しの喜びを分かち合っていたが今回は感染防止策の強化に応えて食事の集いを取りやめ、代わりに一軒一軒、物資を配付したり、あるいは静思堂やリサイクル拠点など屋外で配付を行うことで、屋内での集まりを減らした。

慈済はクラス夕―の発生を避けるため、旧正月前の食事会を取り消し、「世帯ごとに生活用品パックを配付する」方式に代えた。板橋のボランティアは、年寄りと世間話をし、日常生活に気を配った。
板橋の慈済ボランティアは、ケア世帯と一人暮しの高齡者に「年越しの食べ物」を味わってもらうために、特別に台湾風おこわと「栄養満点漢方スープ」を追加した(右上図)。その他、慈済は、家族構成に基づいて異なった金額のプリペイド式の「チャリティ―買い物カード」を寄贈し、コンビニと連携して、ケア世帯が正月用食べ物を購入できるようにした(下図)。

台湾慈済の慈善活動の歩調は、コロナ禍の広がりで調整はされても、止まったことはない。海外でも慈済ボランティアは今までのように生活困窮者や病人、被災地の人々に寄り添いを続け、コロナ禍で止まったことはない。カンボジアのバタンバン州(Battambang)の水害で、昨年末に配付活動を行う予定だったが、政府の規制により今年の一月に延期した。ボランティアが約束を果たした時、「慈済人は必ず約束を実行してくれると分かっていました」と現地の役人が感動して言った。

桃園のボランティアは、正月の贈り物を持って山奧まで出かけ、復興区小烏来のタイヤル族のお玉婆ちゃん一家を訪ねた。色々な思い出に花を咲かせ、「月に一度見舞いに来る」と約束した。

インドでは、慈済はカミロ修道会と四回目の協力で契約を交わした。また、チベット仏教団体とも共同で、生計が立てられない貧困家庭を支援する配付活動を続けている。マレーシアのパハン州(Pahang)、ジョホール州(Johor)及びサバ州(Sabah)は、第三波のコロナ禍と雨季の水害のダブルパンチを受けた。ボランティアは緊急に視察し、生活物資を配付した。中国では、蘇州や昆山などの慈済職員がボランティアと手を携えて、緊急に医療用マスクなどの防疫物資を集めて、河北省石家荘の病院に届けた。最前線の医療従事者や感染拡大防止に関わるスタッフを応援し、行動で人々に「慈済はずっと共にいますよ!」と訴えた。

慈済はインドで数多くの宗教団体と協力して、食事に事欠く貧困世帯を支援している。南部セラフ寺院は、夜間外出禁止令を守り、去年末に感染状況が緩和した時に初めて、4百世帯に緊急配付を行った。(写真提供・慈済花蓮本部)

(慈済月刊六五二期より)

安心祝福パック

 文・張郁梵

2020年2月25日〜2021年2月4日

慈済は、45250個の祝福パックを13の県と市の役所に届け、それらは域内の「自宅待機」や「自宅検疫」している人々に転送された。

今回、準備した部立桃園病院の医療スタッフ向けの安心祝福パックは、すぐ食べたり飲んだりできるように「栄養補給」、「免疫力アップ」、「心の祝福」を3大主体にしている。中にはジンスー草本茶、福慧粥、五榖粉、即席飯)、祝福ストラップ、證厳法師からの見舞いの手紙及び『過関』と『静思語』の2冊の本、「慈済」月刊誌など9つの品物が入っており、防疫第1線に立つ桃園病院の医療スタッフにも、永遠の祝福と寄り添いを込めて送られた。

各県と市の役所に贈り届けられた、これまでの祝福パックと異なるのは、医療スタッフ向けに「浄斯本草茶」を追加したことである。桃園ボランティアの温素蕊(ウエン・スールイ)さんは、これは花蓮慈済病院のチームが開発し、台湾本島の8種類の植物の成分を配合して作られた複方茶のティーパックで、毎日煮出して飲むことで免疫力を高める効果があると説明した。更にボランティアの劉明交(リュー・ミンジァオ)さんが『過関』という本を紹介した。證厳法師が修行していた頃の心の歩みが綴られているが、医療スタッフがそれを読んで、今回のコロナ禍という危機を乘り越えるように願ったものだと語った。

慈済は2018年2月から、オブレノバツ難民キャンプで朝晩の食事の提供を始めてから4年間、途切れたことはない。昨年夏、ボランティアは現地を訪れ、食堂の防疫措置を確認した。(撮影・ハディ)

ここ数年、彼らの苦境を深く理解しているボランティアは、状況が変わらなければ、遅かれ早かれもっと厳しくなることが分かっていた。そこで冬には防寒コートを提供し、夏には着替え用の服を配付した。難民は入れ替わり立ち替わりするため、多くのキャンプではベッドマットが古くなって破れているので、慈済は新しいマットとカバーを届けると同時に、十八カ所のキャンプにいる難民が衣類を洗って衛生を維持できるよう、一年分の洗濯用洗剤も提供した。二〇一八年二月から今でも、オブレノバツ難民キャンプで毎日朝晩の食事を提供している。また中古パソコンも提供したことで、多くの難民が恩恵を受けた。

セルビアはヨーロッパ諸国の中で、最初に難民にワクチン接種を行った国である。セルビア難民委員会委員長のクチッチさんは、コロナ前は四十以上あった慈善グループが一緒に難民ケアをしていたが、昨年七月時点では三グループしか残っていなかった、と言った。彼は慈済がずっといてくれていることに感謝すると共に、今後も彼らに関心を寄せてくれることを望んでいる。

(慈済月刊六六六期より)

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