日常的なリサイクル ファミリーアルバム

台南の安南環境ボランティアの集合写真

彼らは本当の家族ではないが、家族以上である。 無数の小家族が慈済リサイクルステーションという大家庭に集まり、朝から晩まで共に過ごし、先頭に立って善行することで、縁と福を大切にし、互いにケアし合う。 月刊誌『慈済』「日常的なリサイクル・ファミリーアルバム」は、カメラマンの黄筱哲さんが記録したリサイクルステーションの日常である。 あなたが家族と一緒にここを訪れる日を待っている。

故郷で出発した

【安南リサイクルステーション】

昨年、幸運にも「大地の守護者」というコラムのドキュメンタリー記事をまとめて、『疼惜(大切にする)』という一冊の本を出版することができた。リサイクルステーションには、心を動かすリサイクルボランティアの人生があるだけではない。それぞれが一つの大家族のような場所なのだから、その日の出来事を記録に残しておけば、いつか皆で振り返って見ることのできる「ファミリーアルバム」になると信じ、コラムにするというアイデアが浮かび上がった。

春節の二日前の夜、懐かしい台南の安南リサイクルステーションを訪ねた時、遊んでいた二人の子どもの姿が私の目を引いた。後で知ったが、子どもはボランティアの陳佩瑩(チェン・ペイイン)さんのお孫さんで、兄妹だそうだ。兄は幼稚園の年長組で妹は年中組、冬休みなので祖母についてステーションへやって来て、手伝ったり遊んだりしていた。楽しそうな二人を見ると瞬時にして、二十数年前に弟と一緒に母についてリサイクルステーションへ来ていた時の自分のことを思い出した。当時、私たちはこの兄妹と同じようにリサイクルの意味がよく分からず、回収解体エリアだけでも本当に楽しい時間を過ごした。すでに中年になった私が、今この兄妹と知り合いになることはないが、「安南リサイルステーション」は共通の記憶に残る場所となった。

左圖:リサイクルステーションに入ると、「仏」という字をかたどったコバノサンダンカが植えてあった。
右圖:リサイクルステーションに小さな蓮の池があり、小魚が悠々と泳いでいた。

身を以て園芸を愛する

安南リサイクルステーションの門をくぐると、すぐ両側にある園芸の造形美に惹き付けられ足を止めた。右手に小さな蓮の池があり、小魚が泳いでいるのが見え、左手には「仏」という字をかたどったコバノサンダンカが植えられていた。

母によると、これらの植物は黄(ホワン)師兄(スーシォン)という人が世話しているそうだ。その日の正午、ボランティアは次々に休息のために家へ帰って行ったが、ほど遠い所で地面に跪いて両手で落ち葉を袋に入れている人の姿が見えた。その人が黄師兄に違いないと思い、近づいて声をかけた。話を聞くと、彼が七十一歳の黄師兄で、持病のため複数の痛み止めを服用しないと生活できないが、体調がよい時にリサイクルステーションに来ており、痛み出したら耐えられなくなるとのことだった。その後、幾度かリサイクルステーションに立ち寄ったが、彼の姿は見えなかった。残念だったが、あの日に一枚だけ撮った写真に黄師兄の地道さがにじみ出ていた。彼が両手を箒代わりに植木の下の落ち葉を掻き出していたのは、植物を護るためだけでなく、余分な土を掃いてしまわないように気を配っていたのだ。目の前の植木は青々と茂っていた。黄師兄の苦痛が和らぎ、一日も早く快復することを祈った。

精神の伝承

数年見ないうちに、ビニール袋の分別エリアの周りに植えてあった何本かのマタガスカルアーモンドが大樹に成長し、汗を流しているボランティアに日陰を提供していた。ここのリサイクルステーションは、回収されたビニール袋の数がいつも一番か二番目だといわれるほど多いのだが、熟練したボランティアは、軽く触るだけで素材と種類が分かる。彼らの指先の繊細さとそのスピードには、感服しないわけにはいかないほどだ。山のように積まれたビニール袋を午前中には分別し終えてしまう。

2013年陳蕭繡蕉さんがビニール袋を仕分けていた。

皆の真剣且つ活気に満ちた様子を見ていると、亡くなったボランティアの陳蕭繡蕉(チェン・シャオシウジァオ)お婆さんを思い出した。二〇一三年九月三十日、私はビニール袋の分別エリアで彼女の写真を撮った。当時、ビニール袋を仕分けする人は少なく、八十歳を超えていた繡蕉お婆さんは、毎日弁当を持って三輪車でリサイクルステーションに通っていた。ビニール袋の分別場所は今も同じだが、違うのはボランティアが以前より大幅に増えたことだ。あたかも繡蕉お婆さんの精神を受け継いでいるかのように、誰もが労力を惜しまず取り組んでいた。

ベテランボランティアと出会う

ペットボトルエリアに来ると、かなり静かだった。そこのボランティアは皆、学生のように自分の持ち場で真面目にペットボトルのキャップと輪を分解していた。

突然、「筱哲(シャオジョー)さんお久しぶりです。私たちの写真を撮るために戻ってきたのですか?」と声をかけられた。声の方に目をやると、一番端の方に座っていたのは、髪の毛が一番白い黄恵雀(ホワン・フイジュエ)さんだった。彼女は高齢でも視力はよい方なので、何年も会っていないのに、直ぐ私のことに気がついてくれたのだ。暫くすると皆、仕事を片付け、帰る準備を始めたが、黄さんは熱心に話を続けた。「私のバイクに載せてある大型のボトルは、水遣りに使うのですよ。今年はクズイモをたくさん植えたの。実が大きくて出来がいいので、収穫後は精舎に送って皆に食べてもらいますね」と言った。聞いていると温かい気持ちになった。日ごろは環境保全のために時間を費やしながら、高齢にもかかわらず自力で野菜作りをしている。それも自分のためではなく、皆に喜んで食べてもらうためなのだ。だからこそ、證厳法師はベテランボランティアたちをとても大事に思っていらっしゃる。

息の合ったチーム

まだ分別されていない回収物は全部、奥の「回収分別エリア」に置いてある。特に旧正月が近づく時期とあって、回収物は山のように積まれていた。分別作業を一日でも休めば、山は大きくなってスペースを使う。ここは作業全体の重要な準備工程なので、午前中だけで二交代制になっており、早朝の五時過ぎに来ているボランティアが、八時頃に来る人に仕事を受け継ぐ。ボランティアの数も、仕事や子守、農作業、他の活動の予定などによって多くなったり少なくなったりする。

圖1:ビニール袋分別エリアの環境ボランティア。後列左から劉美珍、鍾金枝、史月卿、陳秀卿、施玉赺、陳英紫、謝美雲、陳罔市。前列左から林阿筆、謝妙栄、呉秀麗。

圖2:ペットボトル分別エリアの環境ボランティア。後列左から卓美珠、欧芳枝、蔡明達、顔秀玉、王恵美。前列左から史陳麗珍、呉錦綢、郭碧蓮。

圖3:回収分別エリアの環境ボランティア。左から翁金鑾、周淑茹、馬秋葉、黄秀兼、謝麗秀、周邱雪。

一階分ほどの高さに積まれた回収物を分別し終わらないうちに、回収トラックがまた回収物を積んで戻ってきたのを見て、ボランティアは対応できるのだろうかと心配になった。だが、意外なことに、師姐(スージェ)たちは自信満々に答えた。「私たちを過小評価しないでくださいね。私たちの分別速度はとても速いので、午前中だけで三分の一の量を分別できますよ!」。続いて、一人のボランティアが作業台に回収物をざっと広げると、周りを取り囲んでいた人たちは、獲物を見つけたかのように、直ぐに両手を伸ばして各種回収物を足元に置いてあった黒い籠に放り込んだ。これら常連ボランティアは皆、健康な手で機敏に反応し、長期にわたって絶妙な暗黙の了解ができている。他の人ではあれほど効率のよい作業はできないだろう。

廬山の真面目(しんめんぼく)

連日安南リサイクルステーションで取材を続けた。どのエリアも回収物の量が、減ったり増えたりの繰り返しで、やっと仕分けを終えたと思ったら、翌日にはまた袋がうず高く積み上げられていて、早朝から夕方まで毎日のように分別と整理をするボランティアの姿があった。皆、心を一つに、各自の持ち場で懸命に作業する。仕事が終わり、腰を上げてマスクを外すと、ようやくその人の素顔を見ることができた。二〇二一年二月二十二日、各エリアのリサイクルボランティアの集合写真を撮った。その時の写真を整理していると、一人ひとりの自信に満ちた表情に、思わず賞賛の声をあげたくなってしまった。皆、素晴らしくて美しいのである。残念ながら、時間の関係で欠席だったり、ページ数の関係で載せられなかったりしたボランティアが、まだ大勢いたのが心残りだったが、それでも皆のために多くの写真を撮ったことを誇りに思っている。何より、ベテランボランティアたちの素顔を残すことができた。今日を皮切りに、リサイクル家族のアルバムに、最初のファミリーメンバーが登場したと言ってもいいだろう。


(慈済月刊六五三期より)

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