心身を整える

人文教育は、礼儀を学び、生活の質を向上させるだけでなく、それによって、より物を大切にし、人を愛するようになります。

目の前のお茶に感謝

静思茶道教員チームは春節の休みを利用して精舎で普茶した時、接客室で上人に慈済大学国際学院静思茶道課程が円満に終了したことと、学生たちは学習意欲が高く、成績も非常に優秀だったことを報告しました。上人はそれを聞くと、「慈済道場での静思茶道など人文課程で最も重要なのは、礼儀を教えることであり、大衆に物を大切にし、仏法でもって心身を調整し、間を置かず、善行と親孝行をするよう教えることです」と開示しました。

私たちの人文課程で最も重要なのは礼儀を学んでもらうことであり、「礼儀があるものは理に適う」と言われるように、今のような環境の中では生活の質を向上させ、人と人の間で礼儀と態度に気をつけるよう指導しなければなりません。

毎回茶杯(ちゃはい)を持ち上げてお茶を飲もうとする時、ここでお茶が飲めるということはとても意味のあることだと気づきます。私はお茶を流し込むだけで、味わっていません。いつも一杯のお茶も飲み終わらないうちに、誰かに、「師父(スーフ、お弟子さんの法師への呼び名)、何々の時間ですよ」と言われると、急いで出て行きます。結局、私はお茶の味を知らず、飲むお茶さえあればいいという状態です。あなたたちの静思茶道を聞いて「なんと幸せなのでしょう!」と思いました。皆さんは湯呑みを持ち上げた時、一杯のお茶が飲めることに感謝しなければいけません。考えてみても分かるように、苦難にある人は汚い水を飲むのも容易なことではありません。あなたたちがお茶を飲む前にビデオを放映して、学生たちに苦難に在る人たちの生活を見せたらどうでしょう?

お茶一杯を飲むにも感謝することが大切です。汚い水を遠いところから運んでくる人さえいるのです。大愛テレビ局の記者が甘粛省の山村の女性をインタビューしました。彼女は水の入った桶を担いで断崖絶壁を歩くのです。その重い水桶が揺れる度に彼女の息切れの音が聞こえました。そこではそのような生活をしているのです。女性は毎日早朝に起き、先ずする仕事が水を汲んでくることです。山の上から水のある所まで行き、淀んだ湧き水で桶をいっぱいにしてから、それを山の上まで担ぐのです。往復八時間も掛かります。彼女たちの生活を見れば、私たちは水を大切にしなければならないと思うようになります。私も蛇口を捻ると、慌てて水を小さくするのですよ。水も幸福も大切にすべきです。

ですからお茶一杯であっても、とても貴いのです。茶は植え方に始まって、苦労して育てます。特に静思茶は私も摘んだことがありますが、一つの芯に葉っぱが二つ付いている様子に意味を感じます。つまり、私たちが幸福な人生を送り、それを享受している時に、苦難に在る人たちの苦労を思い浮かべるべきです。従って、真の茶道人文とは、人には愛があり、物も人も大切にすることを訴えるものなのです。

顧佩珍(グー・ペイジェン)師姐(スージエ)と謝春梅(シエ・チュンメイ)師姐、佘碧真(ショー・ビージェン)師姐たちは上人の開示に感謝すると共に、茶道コースを通じて人間(じんかん)菩薩を募った経緯を報告しました。今慈済に参加している三百十八人の教師のうち三分の一以上が茶道コースを経て来たため、コースでは仏法を取り入れて人々を導いています。大衆を導くにはどんな人に対しても通じるような様々な法門がなければならない、と上人は言いました。即ち、礼儀、善、愛がある中で、どのようにして身と心を調整し、人生を無駄にせず、直ちに善行に移すかが一番重要なことなのです。

方向を定め、進歩し続ける

花蓮慈済病院総務室の沈芳吉(シェン・ファンジー)主任は警備室と厨房の同僚を引率して精舎に帰り、基金会建築処の人たちと共に年始の挨拶をしました。上人は、警備員が忍耐と優しさでもって慈済病院玄関先の交通を指導し、心が焦って診察に来た患者やその家族でも安心して医者にかかることができるようにしていることに感謝しました。

「病院は毎日、出入りする人がとても多く、付き添って来る家族は患者を愛しているために心配するのですが、一方、やるせない気持ちや不満を抱える人もいます。しかし、私たちは決まった場所で人々の情緒や悩みに立ち向かっています。菩薩が苦難に喘ぐ衆生に対するように、彼らが私たちの言動から慈済人文精神に接することで、心を落ち着かせています」。

「先ほどの報告によると、お年寄りがよろけながら歩いているのを見て、直ぐに支えてあげたとのことですが、彼らの『ありがとう』、『感謝します』という一言を聞いて嬉しくなったはずです。人同士の関係はこのように、誠意のある奉仕によって、受ける側は非常に自然体で感謝の気持ちを持つようになります。それは私たちの奉仕の質を認めてくれた表れです。今のような環境では、活動はとても大変でも、喜びを感じるものです。その喜びは、私たちの人や物事に対する態度に表れ、人々に温かさを与え、苦難に在る衆生に最も必要としている愛の思いやりを与えることができるのです」。

上人はこう言いました。若者の小さな親身な行動は「敬老」の心を表しており、家で親など年配者に孝行し、外でも同じように年配者に接することが大切です。病院では病に苦しんでいる患者さんや、心配と焦りに心を痛める家族を見かけたならば、肉親に対するように心配してあげます。病院職員も自分の兄弟姉妹に対するような気持ちで、優しい思いやりと慰めを掛けるべきで、これが即ち「覚有情」と言われる菩薩の精神です。

誰もが真心で人に奉仕するなら、誠意のある見返りが戻ってきます。病院に感謝の意を表す手紙を出す患者や家族もいれば、ネット上に公開して医療スタッフを褒め称える人もいます。そういう諸々を思い出すと、自分自身も嬉しくなり、警備員たちは慈済の進む方向を理解すると同時に、自然と言動に慈済の人文精神が現れるようになったのです。これが慈済の特色です。正しいと確信すれば、その方向を堅持して歩み続け、より多くの善人が善行するよう導くのです。


(慈済月刊六五三期より)

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