目前の教育課題
いつの時代も出来事は「生きた教科書」です。
機会を逃さず、学生には宇宙や世の中の道理を
分析して解説しましょう。… Read More »
セルビアにいる難民 国境が開かれるのを待つ
難民たちの夢はドイツにたどり着いて
家族全員が安全に暮らし、職を得ることだ。
しかし「バルカンルート」沿いの国々は… Read More »
禍と福
善と悪が積み重なると、人間(じんかん)に禍と福が現れます。
一あっても九がないと、満足できないのです。
欲が多けれ… Read More »
植物を抱きしめる 園芸・癒し・グリーンフィンガー
象山農園では、園芸療法士の黄盛璘さんが、大きなガジュマルのエネルギーを感じ取るという体験で模範を示し、両手で木を抱… Read More »
長く続いた疫病が終息するよう祈る
新型コロナ感染症はすでに三年目に入り、
変異したオミクロン株が急速に広がって、
津波のように台湾を襲っている。
感… Read More »
このキャンプで最も貴重なレッスン
アフガニスタンから来たジャミラさんは、
毎日慈済から愛と関心を寄せられていたことが、
彼らにとってこのキャンプで最… Read More »
台湾の感染予防に尽力する慈済
今年一月初め、台湾で初めてオミクロン株による市中感染が確認され、
居住区内でまばらに症例が報告されたが、
その段階… Read More »
台中慈済病院簡守信院長のアドバイス ウイルスの拡散よりも恐怖心の蔓延の方が人を傷つける
感染者数の情報は毎日更新される一方、ウイルスも変異を続けている。
台中慈済病院の簡守信院長は、
人々の病気に対する… Read More »
社会的レジリエンスはどこにあるのか
新型コロナウイルスの感染が爆発的に広がってから三年目になる。台湾では防疫措置が緩和されてきたこの頃だが、市中感染者… Read More »
祝福されているから平安なのです
日々が幸せだと気付くと、
満たされて感謝の気持ちが起きます。
気がかりのない自由な生活を大切にし、
福を造って、福… Read More »
離れるのは戻るため
サラリーマン兼介護者である彼女は息をつく暇がない。
これだけ多くの事をこなしていたのだと自分を認めた上で、
暫く介… Read More »
心身の障害・長い介護の道
台湾全土には、七十万人余りの自立して生活できない或いは認知症による心身障害を抱えた高齢者がいるが、その中の五割以上… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
主題報道
草花シリーズ
グローバル慈善
證厳上人のお諭し
行脚の軌跡
七月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。