セルビアのアダシェヴェシ西キャンプの住民800人は皆男性で、大方アフガニスタンから来ており、EU諸国に向かうチャンスを待っている。昨年11月末、慈済の配付する外套を受け取るため、彼らは冷たい雨の中を並んで待っていた。シリアとイラク、そしてアフガニスタンなどからの難民は、「バルカンルート」を通り、トルコから海路を使ってギリシアに渡り、そこからマケドニヤ、セルビア、ハンガリー、クロアチア、スロベニア、オーストリアを経由して、最終的にはドイツあるいはその他のEU諸国へ向かうのである。セルビアには18カ所の難民中継キャンプがあり、慈済は2016年から7カ所のキャンプでケア活動をしている。(撮影・王素真)
難民たちの夢はドイツにたどり着いて
家族全員が安全に暮らし、職を得ることだ。
しかし「バルカンルート」沿いの国々は国境を封鎖したため、
難民たちはセルビアに足止めされ、旅を続けられるチャンスが来るのを待っている。
二〇一六年から「バルカンルート」沿いの国々が国境を封鎖し始め、世界各地から来た慈済ボランティアとセルビアの慈済チームはずっと、セルビア難民キャンプにいる難民たちに関心を寄せ、食物、衣服、毛布、ベッドマット、学習教材、乳幼児食など、必要な支援と物資を提供し続けている。最も重要なのは、慈済ボランティアが出来る限り、何もかも失った難民たちに愛と関心を感じてもらうことである。
難民たちは自分の命を守るために長旅をしているが、故郷や仕事、学校、財産、思い出などの全てを放棄せざるを得ず、着の身着のままと少量の荷物を持って離れるしかなかった。彼らはシリア、アフガニスタン、パキスタン及び中東などの地域の出身で、トルコ、ブルガリア、ギリシヤからバルカン半島を通って西ヨーロッパに向かうことを試みた。セルビアは彼らにとって中継地であり、北部の国境からは直ぐにハンガリーやクロアチアなどEU諸国に入ることができる。
セルビアの慈済ボランティアと難民委員会は協力して、難民たちのニーズに対応すると共に、臨時収容所に避難している家族に緊急支援を提供している。二〇二一年だけで六万八千人の難民が、セルビアの「移民受け入れ及び保護センター」に来ている。
慈済ボランティアからもらったジャケットを身にまとった難民たちは、慈済ヨーロッパの連絡所が書かれたカードを見せてくれた。将来、希望通りの国に行けた時は、いつでも慈済と連絡できるのだ。(撮影・陳樹微)
この数年間、多くの難民は正常な生活を維持しようと努力してきた。キャンプの生活は故郷の生活には及ばないが、前向きな気持ちを持ち続け、何とかこの場所での滞在を楽しもうとしていた。彼らは子供をセルビアの現地校に通わせて言葉、特にドイツ語を学ばせた。ドイツで新生活を展開し、仕事も見つけて落ち着けるようにと願っているからだ。しかし、バルカン半島沿いの国々が国境を封鎖したため、セルビアに足止めされてしまったが、国境再開を待って、また旅を続けるのだ。
私が最も心を打たれたのは、ある六十五歳の婦人と六歳の孫娘の話である。彼女たちは昨年親戚とセルビアのクルニャチャ(Krnjaca)キャンプに住んでいた。十六年前、彼女たちの家はタリバンの襲撃に遭い、婦人の二人の姉妹と六人の兄弟が殺され、生き残った二人はアフガニスタンのガズニー市(Ghazni)から逃れた。セルビアに来る途中、たくさんの苦難を見ると同時に、慈済ボランティアからの善意にも出会い、その愛と支援は、世界で最も貴重なものだと感じたそうだ。彼女たちは、證厳法師とボランティアからの支援は、世界中の誰よりも多いと語った。私たちの笑顔は、彼女たちを安心させたのだった。
私と主人のボリス(Boris Petrov)は、慈済チームのメンバーが難民に愛とケア、尊重を示す時はいつも、私たちまでより良い人間になれたと感じる。セルビア難民委員会委員長のクチッチさん(Vladimir cucic)が私たちは一家だと話すのを聞いた時、ボランティアを続けることは重大な意義があるのだと確信した。
もっと良い人になるチャンスを与えてくれた證厳法師に、とても感謝している。私たちはこれからもこの世に愛を広め続け、セルビアで慈済の使命を遂行していく。
(慈済月刊六六六期より)