台中慈済病院簡守信院長のアドバイス ウイルスの拡散よりも恐怖心の蔓延の方が人を傷つける

感染者数の情報は毎日更新される一方、ウイルスも変異を続けている。

台中慈済病院の簡守信院長は、人々の病気に対する認識でも常に最新の情報を持つべきだと言う。

我々が恐れるべきものはウイルスではなく、感染者への差別であり、社会全体に緊迫した雰囲気をもたらすことが問題なのだ。

「あなたの周りにコロナ感染者がいなければ、それはあなたに友達がいないことを表している」。これは、コロナ感染が著しい地区で流行っている冗談である。その言葉には風刺の意味が入っているが、オミクロン株の感染力の強さという特徴も物語っている。

二〇二二年の春、台湾での新型コロナの市中感染者数は急増していたが、疫病感染中央指揮センターは、警戒レベルを引き上げなかっただけでなく、自主隔離期間を短くしたり、軽症患者の自宅療養を実施するなど、予防措置の緩和を次々に公布した。

昨年と一昨年のコロナウイルスによる重症化率や死亡率、医療体制の逼迫状況などは、最近起きたことのように思える。マスコミや各方面の絶えない論争とコロナ津波などの形容詞を目にしたことで、気分が晴れない人も少なくなく、もし自分が感染したら「他人に移してしまう」、「差別の目で見られてしまう」、「他人からうつされてしまう」といったことをとても恐れている。

この第六波の感染拡大を我々は恐れるべきだろうか。

4月、台湾全土に感染が拡大すると、政府は28日から家庭向けの簡易検査キットを実名制で販売し始めた。人々は薬局前に列を作って購入した。

「この一波は拡大のスピードが速くて、感染力の強さを疑う余地はなく、止めることはできません。しかし、その性質はデルタ株とは全く異なります。従って、知っておきたいのは、感染予防には細心の注意を払うべきですが、恐れる必要はないということです!」。

台中慈済病院の簡守信院長は、今回の感染拡大に関して正しい認識を持つべきだと注意を促した。「今回のコロナ禍は去年の五、六月のものと新型コロナウイルスと言う名前は同じでも、異なっているのです」。

客観的に事例をみれば、去年流行ったのはデルタ株で、台中慈済病院に入院した患者の八割が酸素吸入、そして二割がカニューレを必要とし、中等症と重症の割合がとても高かった。今年は全体の症例数こそ大幅に増えたが、オミクロン株は軽症が主流である上に、多くの先進国でパンデミックが起きた結果のデータから見て、普通の風邪と同じように対処できることが実証された。

感染した場合は、休息を多く取ることだ。また、他人への感染を防ぐために、ウイルス量が最も多くなる感染初期の三日間は自主隔離する。万が一症状が重くなった時は、医師の診察を受ければ、適切なケアをしてもらえるのである。

コロナ禍は2年以上続いており、人々は既に病院に出入りする時の一連の手順に慣れており、感染が拡大した時は、医療関係者の負担を最小限に抑えることも理解している。

寛大な心で相手を理解し、恐怖心の代わりに思いやりを

コロナ禍に関する数値は毎日更新されているが、ウイルスも絶えず変異している。簡院長は、大衆の病気に対する認識も常に最新の状態に更新されるべきだと考えている。

「ウイルスの世界で、唯一変わっていないのが『変異』です」。特に単一構造のRNAウイルスは、複製プロセスでエラーを起こしやすく、頻繁に突然変異を起こすが、それによって症状が悪化するというわけではない。「ウイルスの進化を見ると、弱まった毒性で宿主と共存し、そして強い感染力を持つことで、ウイルスは有利に生存できるのです」。

アフリカのエボラウイルスの流行が地域的に限定され、世界的なパンデミックを起こすことができないのは、高い致死率が故に伝染経路が途切れやすいからである。ウイルスにとってそれは、好ましい生存条件ではない。

弱い毒性と強い伝染力を持ってこそ、ウイルスは長く増進することができるのだ。新型コロナウイルス感染症が風邪のような病気になるのは、必然的に辿る道である。そして今、オミクロン株を一般の風邪扱いにする国が、益々増えている。

「厳しい措置を取って風邪を囲い込むのは、少し滑稽だと言えるでしょう。もし、チンピラを全員ヤクザの兄貴分として、緑島にある刑務所に収監すれば、刑務所はたちまちパンクしてしまい、社会の治安は逆に問題を起こしてしまうでしょう」。

恐怖が度をすぎたり、過度の隔離を行ったりすれば、社会の機能が妨げられ、感染者や濃厚接触者は 更に差別の目で見られ、余計なストレスとなるだろう。

「今流行しているウイルスは、感染力は強くても、打撃性はそれほど大きくないことを理解すべきです。感染者に罪はなく、彼らに罪を負わせてはいけません」。

ハンセン病や心身症、心身障害に対する差別意識がいまだに存在し、コミュニティ全体が彼らの滞在に反対した例もある。簡守信院長は、これは健全な社会で見られる現象であってはならない、と嘆いた。

「よく理解し、寛容になり、思いやりを持ち、正しく認識し、互いに和やかに共存することで、社会はうまく機能するようになるのです。これは誰もが自分に言い聞かす必要があります」。

病院やナーシングホームなどの看護施設は、中等症や重症というハイリスクグループが集まる場所である。そこでは、病人や高齢で免疫力が比較的弱い入院患者と住民を護るために、より厳格な対策を取って、ウイルスを完全にシャットアウトしたり、特定の範囲に制限する必要がある。しかし、病院の状況はコミュニティーとは異なる。もしコミュニティでの行動を病院レベルに上げてしまうと、逆に人々は不安を感じるだろう。

「アメリカのルーズベルト大統領はこう言ったことがあります。『我々が恐れなければならないのは、恐れそのものである』。恐怖は社会に蔓延します。誰もがパニックになれば、自分にも社会にも良くないのです」。

オミクロン変異株の強い感染力に対しては、自主的に予防することが感染拡大を抑制する重要な方法の一つである。

高い壁を作らないで、やるべきことをしなさい

簡守信院長は、「鯀禹治水」という親子で治水する故事を例として説明した。四千年前、黄河は洪水被害が深刻だったが、息子の大禹と父親の鯀(こん)は全く異なる治水対策で対処した。父親の鯀は堤防を築いて水を止めようとしたが、相変わらず、洪水は起きた。しかし、大禹は水の性質を考えて河の流れを良くすることで、洪水は出口を見つけ、長期的に安全が保たれるようになった。

コロナ禍に対しても同じことが言える。大衆がウイルスのことをもっと理解し、平和裏に共存することである。過度にウイルスを恐れず、周りに高い壁をつくらないよう、国民を正しい認識へ導く必要がある。

何よりも感染者に対する差別やレッテル貼りをする行動は、社会に緊迫した空気をもたらす。これこそが恐れなければならないことであり、恐怖心を無限に膨張させてはいけない。

病院には、アルコール消毒液を過度に使用することで皮膚にひび割れや炎症を起こし、感染症になった患者がかなりいた。実際は、適切に石鹸で手を洗えば、感染する機会を抑えられるのだ。

そして、疑心暗鬼になって、二、三日に一回簡易検査をする人もいるが、実際に意味があるかどうかは別として、まず鼻が耐えられなくなる。また、感染者が通った経路を追跡し、あらゆるところを万遍なく消毒したからといって、普通の生活が戻ってくるわけでもない。

簡院長は、「自分で自分を脅かす必要はないのです」と言う。感染を引き起こすのは、接触が多く、マスクを外す場所であることが証明されており、逆に家の中こそ、注意が必要な場所なのだ、と説明した。

もし、家に年長者や幼い子が同居していて心配になるなら、自分に接触疑いがあると思った時は、自宅にいる時もしっかりとマスクを着用し、万が一症状が出た場合は、自主隔離することが大切である。そして、「接触者リストに挙げられる前に、みんなが率先して自分と家族の健康を守ることがより重要なのです」。

軽症者の自宅療養に対して、病院は既にオンライン診療を始めている。インフルエンザの場合でも、ある程度の合併症が現れたり、中等症や重症になる患者もいる。治療が必要な時でも、多くの地域は交通がとても便利になっている。「台湾の医療システムは、自宅療養者に十分な付き添いとサポートを提供しています。大衆が医療機関を信頼して、自らの心を落ち着かせるべきです」。

(慈済月刊六六七期より)

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