慈済が慈善の手を差し伸べる ウクライナ難民が近隣諸国に流浪

ウクライナ市民は戦火を逃れて近隣諸国に入ったことで命の危険は無くなったが、目前の生活をどうするか、未来はどうなるのか分からない。慈済は国連、カミロ修道会、イスラエルの人道支援機構など国際的なNGOと協力して教育、慈善、医療の面で支援を提供し、流浪の旅路に付き添っている。

ポーランドのワルシャワにあるサレジオ会の教会に歌声が響き渡った。子供たちが「私たちこそがウクライナ」、「ウクライナの真珠」などを歌っていた。会場の人たちも合唱し、多くの人が涙を堪え切れなかった。二〇二二年五月六日午後、慈済の配付活動会場で、ウクライナの音楽家、アナスタシア・マラシェンコさんが、バイオリニストのタチアナ・ボイトヴィッチさんとウクライナの子供たちと、楽器と歌声で母語の歌を披露した。「神様よ、全てを変えてください。ウクライナを守って下さい」と全てのウクライナ人が最も深い信仰と祈りを捧げた。

5月6日ポーランドワルシャワで第1回目の配付活動が行われ、慈済ボランティアはウクライナ難民と手を組んで慈善コンサートを行った。出演者たちはウクライナの国花であるヒマワリを手に持ち、多方面からの思いやりに感謝した。(撮影・鍾宛吟)

生命の危険を冒して国境を越え、隣国ポーランドの首都ワルシャワに着いたデイジーさんと十歳の娘さんは、危険に富んだ道のりを経験した。二月二十四日ロシア‧ウクライナ戰爭が始まって間もなく、ロシア軍は彼女たちが住んでいた都市を封鎖した。三十一歳の彼女は、地下室で一カ月以上も物資が不足した困窮の日々を送ったが、三月下旬、娘を連れてポーランドに逃げ出す決心をした。

「私たちは三日間も車を運転して、二十二のロシア軍検問所を通過しましたが、全ての検問所でスーツケースを開けられ、品物や書類などを厳密に検査されました」。デイジーさんは慈済ボランティアに逃走中の恐怖と不安を訴えた。ポーランドに入って、親子はやっと生命の危険を心配する必要がなくなった。しかし、所持金は僅かしか残っていなかった。

そこで、彼女は慈済の「以工代賑(働いてもらって救済に替える)」ボランティアになった。慈済の支援にはとても感動した。「プリペイドカードは私たちにとって大きな助けとなりました。私はスーパーで、娘がいつも食べている食べ物を買うことができたからです」。

「皆さんがウクライナ人を物資の面で解決してくれたので、私たちは他のことを考えることができ、子供の教育面に力を注ぐことができるのです」。同じように労働で救済に替える活動に参加しているタティアーナさんは、配付名簿の作成を手助けしていた時、登録しに来た難民たちは慈済からの配付に期待が持てず、本当なのか信じられなかったと言った。しかし、五月に展開された配付活動で、慈済人は両手で彼らにプリペイドカードとエコ毛布を手渡したのだ。その時、多くの人が感動で涙を流した。「私たちがボランティアとなって連絡したことが実現しました。慈済は約束を守ったのです!」彼女は嬉しそうに言った。

涙で故郷と別れを告げて来たウクライナ難民にとって、スーパーで買い物ができる二千PLN(約六万円)のプリペイドカードと慈済ボランティアの人種や宗教を問わない思いやりは、恵みの雨のような感がある。なぜなら、五月以降は多くの人が、再び流浪の民であることにストレスを感じるようになったからだ。

「五月はポーランドの観光シーズンで、旅館業者は、これらの新移民を政府に引き渡さなければ生計を立てられないのです。旅館に滞在している難民は、政府が設置した避難所に引っ越すよう求められます」。ワルシャワへ支援に向かった慈済アメリカ総支部の曽慈慧(ゾン・ツーフイ)さんによると、難民は路上生活するまでには至っていないが、不確実な未来、生活、宿泊、生計など全ての面で困難に直面している、という。

訪問ケアや配付に協力するために、トルコからポーランドに来た慈済ボランティアの胡光中(フー・グアンジョン)さんも、トルコにいるシリア難民の例を挙げて説明した。最初はトルコ国民も歓迎していたし、大量のシリア難民はトルコで就職して労働力不足を補った。しかし、難民の滞在期間が長くなり、人数も増えるにつれ、シリア人とトルコ人の間で摩擦も多くなった。「特に最近は激しいインフレで物価が高騰しています。多くの人は、シリア難民の大量流入で物資の供給が追いつかないことが原因だと考えています」。シリア難民の家族がトルコで挫折したことを目にして来たからこそ、胡さんは、女性や子供が多数を占めるウクライナ難民の未来を心配している。

三月から現在まで、慈済はポーランドのポズナン、シュチェチン、ルブリン、ワルシャワにいるウクライナ難民への支援活動を、途切れることなく続けている。四月下旬、トルコ、アメリカ、台湾などからの慈済ボランティアは、ヨーロッパ諸国のボランティアと合流し、ワルシャワで訪問ケアを展開すると共に、国連やNGO組織と協力して中長期的なケアを進め、支援の範囲を広げている。

生活物資とプリペイドカードによる支援のほか、慈済はワルシャワ、ルブリン、ポズナンで、働いて救済に替える機会を提供しており、難民ボランティアが配付活動を手伝っている。ワルシャワでは14人のウクライナ女性がボランティア養成講座に参加していた。(撮影・鍾宛吟)

中長期的な援助、パートナーという力を得た

「地元のポーランド女性基金会以外にも、慈済はイスラエル人道支援団体(IsraAID)などの国際NGOと協力する覚書に署名しました。支援範囲はウクライナの隣国であるポーランド、モルドバ、ルーマニアが主体です」。曽さんは、「ユニセフ(UNICEF)は各国政府との対等な関係から、女性や子供の救済を中心にしています。カミロ修道会は貧困者の慈善訪問を中心に行い、衣食住の各方面のニーズに応えています。赤十字社は三から六カ月の短期緊急援助を主体にしています」と説明した。

ユニセフの四月末の統計によると、他国に逃れたウクライナの子供たちは既に二百万人を超えている。ウクライナ政府は十八歳から六十歳の男性の出国を制限しているので、男性家族の保護のない女性や子供に搾取や人身売買のリスクが高まり、国際社会の関心と保護が一層求められている。そこで、慈済は四月二十二日にユニセフと協力の覚書を交わし、この先六カ月以内に、一万五千世帯のウクライナ人の家庭を世話し、子供の就学、心身の健康、及び日常生活の飲食面で支援を行う予定である。

「私たちヨーロッパのボランティアは人数が少なく人手が足りないので、現地で人力を調達する方法を考えなければなりません。ユニセフはウクライナ難民に対して九億五千ドル余りの資金を集めることを計画していて、彼らの既存のシステムを、私たちも共同で運用する機会があるのです」。慈済基金会の顔博文(イエン・ボーウエン)執行長は、ユニセフとの覚書締結の由来を説明すると同時に、海外の慈済人が長年に渡って国連の各機構と交流して来たことに感謝した。「ユニセフが慈済を受け入れた理由として、慈済のアメリカ総支部が彼らとハイチやドイツなどで協力した経緯がありました。とても良い縁だと考えています」。

ポーランドカミロ修道会のCEOアドリアナ‧ポロスカさんは、戰爭が始まって以来、民間の援助力は弱まっており、ボランティアたちが非常に心配している、と説明した。(撮影・門海梅)

同様に四月下旬には、別のパートナーであるカミロ修道会国際医療及び災害サービス (CADIS)と協力関係の覚書を交わした。それは、双方の台湾やインドなどにおける協力関係を東ヨーロッパに広げたものである。

一五八二年に創設されたカミロ修道会は、世界の医療慈善志業における大先輩である。一九五〇年代には既に神父を台湾に派遣しており、台湾の宜蘭に聖マリア病院を建設し、当時、医療資源が著しく不足していた台湾東部で医療奉仕をした。二〇〇五年に聖マリア病院は救急重症病棟を建設しようとしたが、資金不足の問題があった。慈済は宜蘭の恵まれない人々への健康福祉に配慮し、その病院の医療体制を強化するために、カミロ修道会に資金援助を行うことにした。證厳法師は自らその病院を訪れて、医療スタッフとカミロ修道会の神父に敬意を表し、異なる宗教間の協力によって共に善行する歴史的な一ページを記した。

コロナ禍の間、慈済は感染が深刻だったインドを支援した時も、現地のカミロ修道会の協力を得て、聖職者やボランティアの地域ネットワークを使って数万人の貧困者に支援物資を届けた。カミロ修道会の神父とボランティアは、慈済が寄贈した防護服を着て、リスクの高い病院に入って陽性患者の世話をした。二年余りの協力を経て、両者の相互認識と理解は深まった。そして、ヨーロッパの慈済人がポーランドのカミロ修道会と連絡を取った時、協力覚書に署名したアリステロ・ミランダ神父は、すぐに慈済が信頼できる組織だと確認した。

「インドカミロ修道会のバビル神父が、慈済はインドで配付と共同支援をしてきたことを何度もミランダ神父に話しました」と慈済国連事務を担当している黄静恩(ホワン・ジンエン)さんは、ポーランドの第一線にいる慈済ボランティアとカミロ修道会との善の縁をこう説明した。カミロ修道会のアリステロ神父は慈済人に、物資と医療支援の提供は自分たちでもできるが、最も必要なのは慈済の人文であることなのだと語った。流浪しているウクライナの人々が期待しているのは、暖かさを感じられる寄り添いができる人がいることなのだ。

ポーランドのカミロ修道会CEOのアドリアナ‧ポロフスカさんは、ワルシャワ中央駅の難民サービスセンターとワルシャワ市中心部から遠くない二カ所の避難所に案内した。

難民の数が多いので、カミロ修道会は毎日何万人分もの温かい食物を提供することになり、聖職者とボランティアたちの負担はかなり重い。だが大衆からの寄付は日増しに減少しているので、慈済人の協力に大きな期待を寄せている。そして、慈済にもワルシャワ中央駅にサービス拠点を設置することを提案した。

異国に流浪するウクライナの女性や子供には、継続して関心を寄せていくことが必要である。少人数の慈済ボランティアは、ポーランドで広く良縁を結び、信頼できるパートナー団体と協力して善行を行い、寄付したあらゆる人の愛が最大限の効果を発揮できるよう、頑張っている。「一人の力は小さいかもしれませんが、社会の各方面から応援が集まれば、困っている人を助けることができます。戰爭が一日も早く終息し、定住場所がなくて流浪する難民ができるだけ早く帰国し、平和と安全な生活を取り戻すことができるよう願っています」。慈済基金会の顔執行長は、このように祝福の言葉を述べた。

(慈済月刊六六七期より)

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