社会的レジリエンスはどこにあるのか

編集者の言葉

新型コロナウイルスの感染が爆発的に広がってから三年目になる。台湾では防疫措置が緩和されてきたこの頃だが、市中感染者は急速に増加し、昨年警戒レベル3だったピーク時の数字を超えた。

それならば、再び防疫措置を厳しくする必要があるのだろうか?多くの専門家は、強い感染力を持つが重症化率と致死率は相対的に低いオミクロン株に対して、防疫措置を強める必要はないと考えている。政府も「ウイルスとの共存」を呼びかけており、医療体制を維持しながらワクチン接種を進めて影響を抑えたいとしている。

多くの国が「ウイルスとの共存」を受け入れているのに対し、台湾社会は今だ脅威に包まれたままである。大衆は、感染すること、そして感染が家庭やそれ以外の人間関係に及ぼす影響と、自分の心身の状態がどうなるのかを心配している。ワクチンを接種しても完全に重症化を防ぐことはできない中、医療体制が必要な治療を行うことができるかどうかは定かではない。

清明節連休明けに花蓮慈済病院で院内感染が発生した。幸いにも早急に抑えることができた。心理治療とカウンセリングセンターの林喬祥(リン・チァオシャン)主任の話では、感染者は隔離治療が終わった後も、時には異様な目で見られ、トラウマになっているという。それは往々にして大衆の恐怖心と誤解から来ているものである。今では人々も新型コロナウイルスに対するより多くの知識を持っている上に、予防法はインフルエンザに近いと理解しているので、前向きな気持ちでコロナ禍に立ち向かい、心は落ち着きを保ったまま、助けを必要とする時は勇気をもって救助を求めれば良いのだ。

私たちは、暗くて長い夜道を独りで歩いている人の多くが、家庭で世話をしている人たちであることに気付いた。その大多数は女性で、自分には病床に伏せる家族を世話する責任があると思い、その責任を担っているのだ。だが、家族の病状が悪化し、愛しい人と別れなければならない時でも、それまでの苦労を必ずしも理解してもらっているとは言えない。

今月号の主題報道の筆者である、慈済ボランティアの廖明聿(リャオ・ミンユー)さんは、二十年間も自立生活ができない父親と認知症の母親の世話を続け、長年苦労が絶えず、これからどうすればいいか途方に暮れたこともあったそうだ。彼女は他の人の人生について書いたり、仏法を学んだりする中から心の糧を得た。そして年老いた両親の世話をする中で、自分も老いることを学び、諸行無常の道理を体得したので、落ち着いてあらゆる試練に立ち向かえるようになった。

今の時代は疫病による試練が多い。曙光が見える前の暗闇が、特別に長く感じられる。しかし、こんな時だからこそ、ますます誰もが「共同体」意識を示し合うようになった。お互いの疲労や苦しみ、希望を理解し、更に助け合って互いに奉仕し合っている。それが社会を回復させる力となっていく。そして初めて疫病の脅威から免れられ、精神の自由を得ることができるのだ。

(慈済月刊六六七期より)

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