教育における新しい方向
五月中旬から台湾全土でコロナ禍が深刻になってきたため、政府の実施した感染警戒レベル3は、七月下旬まで延長されていた… Read More »
少しずつ力を出し合い 救済用倉庫がいっぱいに
天災と戦乱の上にコロナ禍が重なって、モザンビークは国連世界食糧計画(WFP)では最も食糧危機が深刻な国の一つに挙げ… Read More »
(下)ひと呼吸の間にある命を救う─爆発的なインドのコロナ禍・国境を超えて
アジア諸国のコロナ禍がリバウンドし、インドの北側に隣接している人口三千万の高原の国ネパールに、インドの第二波が波及… Read More »
今生の人生を完成させる
真剣に生きて、真面目に時間を使い、
努めて福田を耕し、分秒をも無駄に過ごしてはいけません。
愛のエネルギーを奉仕し… Read More »
古稀に夢が叶う 慈済という「大学」で学ぶ
福建省北部出身の王桂英(ワン・グイイン)さんは台湾のホーロー語が分からず、繁体字も読めないが、静思晨語の中から人生… Read More »
人生の価値を棚卸してみる
今日一日、社会に対してどれだけの時間をさいて尽くしたか、歩いてきた生涯の道は一歩一歩が穏健着実だったか、と反省して… Read More »
生活困窮家庭の子供の夏休み─大学生が家庭教師として付き添う生活困窮家庭の子供の夏休み
慈済が推進している「学生サポーターのオンライン学習伴走」は、大学生にアルバイトの機会を与えると共に、生活困窮家庭の… Read More »
オンライン学習の「障壁」を取り除く─福を惜しむ「愛」
良い仕事をしようとする職人が最初に道具を研ぎ澄ますように、中古コンピューターを各世帯に届けて設置する、ボランティア… Read More »
常に準備を怠らない慈善援助─世界のコロナ禍がリバウンド
二カ月余りコロナ禍警戒レベル3が続いたが、台湾はようやく市中感染のリスクがやや下がりを見せてきた。ところが、変異株… Read More »
コロナ禍は教育・クラウドから学校に戻る
五月十九日、台湾全土で感染警戒レベルが3に引き上げられ、各学校は対面授業を停止した。その後四回の授業停止の延長を経… Read More »
十月の出来事
10・01
◎インドネシア慈済病院が本日、正式に開業し、一般外来と入院などの医療提供が始まった。病院は6月14日に… Read More »
コロナ禍で遂にやって来た…─花蓮慈済大学附属中・高等学校
新型コロナウイルスの感染拡大が、教育従事者に教育の本質と学校の役割を考え直す機会を与えた。教師たちは教えながら突破… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
主題報道
表紙ものがたり
国際慈善
證厳上人のお諭し
行脚の軌跡
十月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。