コロナ禍で遂にやって来た…─花蓮慈済大学附属中・高等学校

新型コロナウイルスの感染拡大が、教育従事者に教育の本質と学校の役割を考え直す機会を与えた。教師たちは教えながら突破口を見つけようと試みた。生徒にソフトウエアの使い方を教えてもらうほど広い心で臨んだため、教育の純粋さと美しさがそこに現れていた。教師が生徒を導き、生徒が教師を導き、互いに影響し合う。これからの未来で、一層快適に生きていって欲しいと望む気持ちは同じなのだから。

台湾の教育部より、全国の学校は登校を停止してオンライン授業に移行するようにという発表があった時、私の脳裏には「ついにこの瞬間がやってきた」という思いが頭をよぎった。

突然、入った休校通知
六百人を帰省させるべきか、宿舎に留まらせるべきか?

五月十八日午後二時十七分、教育部長がSNSで、台湾全土の学校を翌日から休校にするよう通達した。慈済大学附属中・高等学校(以下、慈大附中)の校内防疫チームは緊急校務会議を開き、校医、学校看護師、各学年主任とリーダーたちが集まって応急対策を検討した。そして五月十九日、台湾全土で警戒レベルが3に引き上げられた。

慈大附中は全寮制なため、その時の急務は寮生を寮に留まらせるべきかどうかを確認することだった。担当教師と教務課全員で取り組み、四時間という短時間内に集計した。その結果、全校生の約六割にあたる三百八十人が、県や市を跨いで移動するリスクを避けるために、学校に残ることを希望した。慈大附中の生徒は台湾各地から来ているため、帰省を希望した生徒のために、保護者にメールアンケートを送り、子供たちの到着駅を確認した後、教務主任と人文室の先生たちが十数万元(約三〜四十万円)を立て替え、急いで駅に帰省するための切符を買いに行った。

五月十九日午前八時半、総務課の職員五人が車で十八人の生徒を駅に送り、他の生徒は学校が用意したバスで、九時過ぎの列車で帰省するために駅に向かって出発した。バスに乗る前、学校看護師と先生たちが全生徒の体温を測って、アルコール消毒をし、防疫措置で自分も他人も守るよう、子供たちに念を押すことを忘れなかった。

教育部(文部科学省にあたる)が「登校はしないが、授業は続ける」と発表した後、慈大附中では380名の中学生が寮生活を続け、9人の小学生が登校を選んだため、高校3年生と中学3年生が防疫の尖兵となって、後輩たちに感染防止対策を指導した。

ホームシックになった寮生

台湾全土で警戒レベル3が実施されてから、教育部は休校措置を四回も延長した。通知をもらう度に、学校側は保護者に子供を家に帰すべきか否かを確認した。先生が寮に来て列車の切符を配った時、「喜ぶ人もいれば、悲しむ人もいた」が、想像に難くない情景である。

帰省切符を受け取った生徒は、翌日の家族団欒に期待しながら荷造りをした。しかし、寮に残る生徒の中には、故郷で感染者が出たため、両親が自分のことを考えて、止むを得ず「寮に残る」ことを決めた理性的な子もいれば、親に見捨てられたと感じた子もいた。そこで、教育部が初めて休校を発表した五月十八日の夜は、生徒たちの不安な気持ちを慰めるため、カウンセラー全員が寮に泊まった。

接触による感染リスクを抑えるため、教師自ら生徒を実家まで送った

政府当局が休校措置を六月十四日まで延長すると発表した五月二十五日、校内では防疫対策チームが早速、会議を開き、登校見通しが立たない状況下で、滞在している三百名余りの生徒を親元に帰すことを決めた。しかし、どのようにして安全な交通手段を確保するかが一大チャレンジであった。何度か討論した結果、保護者が迎えに来る生徒を除き、残り全員のためにバスを貸切り、「乗り換えなし」を原則に、帰省する子供たちの感染リスクを抑えることにした。保護者と相談の上、寮に残り続けたいという学生には、それを許可した。

観光バス会社の経営者の子供も慈大附中のOBで、学校が貸切りバスを必要としていることを知って、わざわざ最新の最もコンディションが良いバスを五台調達してくれた。出発前に二人の学校看護師が繰り返し車内を消毒した。五月二十八日の出発当日、バスは校門から出るとそれぞれ台北、台中、及び高雄に向かった。車内には教師が同行し、生徒を無事に目的地に送り届けた後、バスに同行した教師たちが花蓮へ戻る時のために、バスの後から別の教師が自ら車を運転して伴走した。

慈大附中というところは、教師たちがこぞってボランティアの仕事を取り合う学校である。今回のことで残業代を要求したり、ガソリン代を請求する教師がいなかっただけでなく、進んで任務を引き受けるスピードは想像以上だった。バスをチャーターすることを決めた時から、皆素早く手分けして任務を展開した。教務課と人文室は交通手段の問題を解決し、設備係は必要な生徒のためにノート型パソコンやタブレットを用意した。生徒送迎の件を聞きつけて、多くの教師がバスに同行することを志願し、バスに伴走する運転手の枠も直ぐに埋まった。

同行した教師によると、観光バスが各市の静思堂の前に到着すると、暑い日差しの下で慈懿会の保護者たちが既にバスを待ち、帰省する生徒を気遣っておやつ用意していた、とのこと。法師はいつも、子供の面倒をきちんと見るようにと慈大附中の教師に言い聞かせている。教師たちもそのことを忘れてはいない。このキャンパスでは、無私と志願が普通であり、この時も教師や職員はただ、生徒たちを無事に親元に帰すことだけを考えていた。

寮生がバスで帰郷した時、教員が各車両に同行して、それぞれ台北、台中、高雄に向かった。出発前、李玲惠校長が生徒たちを見送った。

保護者が学習に付き添うだけでなく、校長先生がオンライン授業に現れた

教育部が休校を発表する前から、教師たちは事前に教材をオンライン用に作り換えたり、学習活動を企画したりして、準備を整えていた。一旦オンライン授業が始まると、私は、教師たちが生徒に対して細かいところまで気を配っていることに気がついた。

図書館員も教室の臨場感を増すために、わざわざチャイムを録音し、オンライン授業でも普段から聴き慣れたチャイムが聴こえるようにした。人文室は前の晩に静思語や心霊小語を用意し、各クラスの担任先生が毎日午前八時の「担任の時間」に利用して生徒たちと共有できるようにした。生徒たちを安心させるだけでなく、教師と生徒との絆を強くすることが狙いである。

「デジタル世代」に生まれた生徒たちに比べて、オンライン授業は、「ネット時代の新規参入者」である教師たちにとって大きなチャレンジである。幸いにも教職員は力を合わせ、自発的にSNS上でグループチャットを作り、出版社が無料で提供する動画ファイルや質の良いオンライン学習プラットフォームの情報を交換したり、授業中の問題の解決方法を一緒に考えたりするようになった。

対面授業が暫く中止になって、オンライン授業が中心になり、生徒のいない教室で教師が1人でコンピュータに向かって講義をしていた。

また、生徒たちが授業に集中できないことがないように、オンラインでクラス巡回ができるシステムを作り、私(校長)や各学年主任が専用アカウントを通して授業参観できるようにした。ある英語の授業を参観した時の事だが、先生に名前を呼ばれた生徒に英文を読ませたが、私はヘッドフォンをして音量を大きくしても、はっきり聞こえなかった。そこで私はマイクを通して、「怖がらずに!英語は勇気をもって大声で読み上げるものです」と生徒を励ました。

時には私が出席をとって、画面で見えている生徒一人一人に名前を呼びかけている。私にとってクラス巡回は、生徒を叱るためのものではなく、もっと生徒たちと親しくやり取りをしたり、先生たちの授業状況を把握するためのものである。以前の私は生徒の顔と名前をつなげることができなかったが、オンライン授業では生徒たちの画像に名前が付いているので、間違えることがない。これも意外な収穫だった。

オンラインでクラス巡回をすると、多種多様の画面に出会えるのが面白い。子供が自分の部屋で授業を受けると集中できないことを心配して、保護者は居間で授業を受けてさせているが、そうすると、生徒の後ろで洗濯物を畳みながら画面を見つめている母親の姿が見え、思わず戸惑うことがある。また、名前を呼ばれて問題に答えられなかった我が子の頭を父親が叩き、頭が傾いたところが画面に映って、クラス中で大笑いしたこともある。

卒業式もオンラインで行われ、第19期卒業生が自宅で制服を着て、画面の前で先生と同級生たちに別れを告げると共に、お互いに祝福し合った。

「勉強の付き添い」をしている多くの保護者は、授業参観の感想を担任の教師にフィードバックしてくれる。毎日お孫さんと一緒に授業を受けている、ある文章がとても上手なお爺さんは、放課後に担任先生に学習日誌を書いていた。五月二十一日から終業式当日まで、一日も欠かさずに書き続けたので、お孫さんよりも真面目に授業を受けていたと言える。

コロナ禍で、教育に携わる人間として、教育の本質や学校の役割について考え直す機会を得た。学習環境が学校から家庭に変わったり、教育媒体がコンピューターに代わった時、如何にして学習を中断させないようにするか?多くの教師は教えながら突破口を探り、中には生徒にソフトウエアの使い方を教えてもらうほど広い心を持つ先生もいる。私はそこに教育の純粋さと美しさを見た。教師が生徒を導き、生徒が教師に教えるように、互いに影響し合っている。これからの未来で、一層快適に生きていって欲しいと相手に望む気持ちは変わらない。

教師たちが総動員して、卒業証書や卒業アルバム、慈懿会の保護者たちが手作りした本、そしてPTAが用意したプレゼントなどを箱詰めし、学生一人一人の「卒業ギフト」を自宅に郵送していた。

十八年前のSARSの時の隔離経験があるため、慈大附中は今回のコロナ禍で、より高いレベルの防疫対策を取ることができた。寮生は毎日四回体温を測り、毎週金曜日の夜には学校がおやつを用意して各室に配り、外出禁止になっている生徒に和らいだ気持ちで週末を迎えてもらっている。コロナ禍でもこのような「伝統」があることを知った、ある高校一年の通学生は、寮に残ったクラスメートに何かしたいとの思いで、母親と一緒にタピオカミルクティーを作って、自ら学校に届けていた。

教育は影響力である。厳しいこのコロナ禍で、慈大附中の創立精神を守り、心を合わせて台湾全土で唯一無二の学校にしている教職員たちに、感謝したい。


(慈済月刊六五八期より)

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