古稀に夢が叶う 慈済という「大学」で学ぶ

75歳の王さんは身も心も環境保全を実践することで、異なった人生を歩むようになった。

福建省北部出身の王桂英(ワン・グイイン)さんは台湾のホーロー語が分からず、繁体字も読めないが、静思晨語の中から人生の智慧を理解して、できないことができるようになり、迷いから覚め、「聞く」立場から「話す」立場に変り、携帯電話で会得したものを若い人たちと分かち合えるようになった。彼女は古稀の歳にやっと勉強するという夢が叶った。

信号が青になると、王さんは不自由な脚を引きずって素早く横断歩道を渡った。中背で痩せ型の彼女はリュックを背負い、左手に杖型の傘を持って右脚に合わせて突く。このようにして二十数分間歩いて、厦門(アモイ)市にある慈済の文興東リサイクル拠点に到着した。

軽快な音楽と共に、ボランティアたちは素早く、溜まっていた回収資源を運び出して整理し始めた。王さんもリュックを降ろすと直ちに仲間入りした。しかし、歩く、跪く、座る、立つというどの姿勢も、長くなると彼女にとっては辛くなる。少し動いては休んで楽になるようにしている。分別が終わりに近づいた頃に、残った細々したものを見て彼女は捨てるに忍びなく、痛みに耐えながら、地面にリサイクル可能なものがなくなるまで仔細に分別した。

体は日増しに歳と共に衰え、現在、両脚の長さは三センチ以上の差がある。歩く時、左脚の力が益々弱くなり、右脚は左手で突く杖に合わせてもまだ、少し痛む。歩けなくなるとバスに乗るが、初心は変わらず、同じように慈済の志業に励んでいる。

彼女は月曜日に思明道場で当直をし、火曜日は文興東和前埔、水曜日は七匹狼ビルのリサイクルステーションで環境保全活動をしている。決まったリサイクル拠点のほかにも、呼ばれれば、距離の遠い近いに関係なく、八〜九つのリサイクルステーションに出向く。

リサイクル活動に始まって読書会が終わるまで、彼女は遅刻も早退することもなく、終始一貫して参加している。ボランティアたちが資源ごみの回収に出かける時、彼女は證厳法師の法語を聞きながら、プラスチックと紙の分別作業を行い、たとえ一人でも楽しく回收物を整理する。

「分別作業は、しても痛く、しなくても痛みます。脚は痛くても手は痛みません。歩ける限り、出かけます。それができるのは幸福ですし、少しでも多くのことができれば、それだけ嬉しいのです」と言った。二○一四年以来、王さんは強靭に、且つ余裕を持って、ボランティアの道を歩んでいる。

王さん(左の写真・右1人目)は定期的に地域のリサイクル拠点でボランティアをし、体に痛みを抱えていてもそれを表には出さない。彼女は福を惜しんで物を大切にし、ボールペンの芯も一本ずつ残量があるかどうかを確認する。彼女のノートとペンは全てリサイクル品である。

固い意志で学び続け、困難を乗り越えた

王桂英さんは一九四六年、福建省南平市浦城の貧しい家庭に生まれ、老いるまで一膳の白いご飯が食べられることを期待して、十八歳で嫁いだ。次々と子供を産んだが、夫は結婚して二年がたつ頃から毎年病気をするようになった。

「私は五十キロ入る天秤棒に三十キロ入れて担いで、この家庭を支えているようなものです」。王さんは一切の家事をするだけでなく、早朝に野菜を売り、他人の洗濯や子守りもした。また、他人が不要になった四十キロ余りもある古ミシンを喜んで貰い受け、四キロ余りの道のりを担いで持って帰り、洋裁を学んだ。

子守りの仕事で生活は徐々に改善し、三人の息子のうち二人が大学を出た。王さんはある家族に信頼されて、高齢者のケアを頼まれた。

お年寄りの家で『家庭生活万宝全書』という本を見た時、彼女は夫の体調に思い至り、素晴らしい本だと感じ、保健に関する知識を学ぶために、自分も一冊購入した。知らない単語があった時は、お年寄りに辞書の引き方を尋ねた。

残念なことに、お年寄りの数人の子供が王さんは何か企んでいると誤解したため、彼女は耐えきれなくなって、二年と八カ月働いた後、一九九六年八月で別れを告げずに立ち去った。

二○○○年三月、彼女はあるアルバイトの仕事で右脚を挫傷し、牽引療法を行ったが良くならず、三カ月後、大腿骨が壊死しているのが分かったが、既に回復の見込みはなく、生涯にわたって障害が残るようになった。その後の三年間、彼女は『家庭生活万宝全書』に頼って激しい痛みに耐えながら、自分でマッサージなどの理学療法をする傍ら、アルバイトで生活を支え、強い意志でもって辛い日々を乗り越えた。

王さんは学ぶことが好きで、読書会にも「暁に目覚め、法の香りに浸る」活動にも参加している。小学校3年生までしか勉強していなかったため、説法を聞いてノートに取ることは大変だったが、今は既に余裕を持って皆についていくことができる。

法を聞きながらノートに取ることで志を鍛えた

娘が故郷で嫁ぎ、三人の息子は前後して別々の都市で結婚して所帯を持ち、夫は二○○八年に亡くなったため、彼女は二○一三年に厦門に住んでいた息子の張衛國(チャン・ウエイグオ)さんと一緒に暮らすようになった。

「お母さん、たまには慈済に行ってみたらどう?」と慈済ボランティアである嫁の徐斌(シュー・ビン)さんが、一日中他郷にいる子供たちを気に掛ける彼女の姿を見て言った。何回か行った後、王さんは、慈済には規則が多過ぎると感じ、「もう歳なのだから、気ままに過ごしたい」と思った。

しかし、ボランティアは彼女に、「師姐(スージエ)、ここに来た以上、ここを自分の家と思ってください。何かしたいと思ったら、好きなようにしていいのですよ。他の人がどのように見ても、気にしないでください」と言った。彼女はそれを聞いて、その時から人の指示を待つことなく、仕事するようになった。「早く来れば、花に水をやったり、テーブルを拭いたりし、次第に慣れて行きました」。

一念の單純な心で「まだやり残したことがあるだろう」と心にかけていた彼女は、脚の痛みに耐えながら、二○一四年十月に開かれた厦門国際仏事展覧会で慈済のボランティアとして最初から最後まで参加し、次いで文博会にも参加した。十日間連続で疲れたが、楽しかった。

その後、昼夜を分かたず慈済の活動に参加し、呼びに来た人や仕事の内容に関わらず、彼女は全て「オーケー!」と応え、呼ばれない時は自分から出向いた。環境保全だけでなく、厨房係、清掃係、読書会など、彼女は何でもやり、何でも学びたいと思った。「緣がめぐってきたのでしょう。もう、慈済の規則の多さを気にすることはなく、ただゆっくり学びたいだけなのです」と笑顔で言った。

二○一六年七月十三日、ボランティアの林玉蓮(リン・ユーレン)さんの誘いで、王さんは「暁に目覚め、法の香りに浸る」活動に参加し始めた。彼女は福建省北部の出身で、ホーロー語が分からないばかりか、繁体字も読めないが、いつも前夜から翌朝の法語を楽しみにしていた。

小学校三年生も終えていない王さんにとって、聞きながらノートを取るのは容易ではなかった。完全な語句が書けない時は、先ず字を幾つか書き、画面の繁体字を見て、それを簡体字で書いた。字が出てこない時は、空白のままにして、後で拡大鏡を使って辞書を引いて補った。「メモを取るのは練習する機会であり、心が落ち着く機会でもあるのです」。

テーブルの上には大小様々な十数冊のノートが置かれてあった。それらは、彼女が四年間、途切れることなく学習した証である。今、彼女はホーロー語の八〜九割が理解でき、八割以上の繁体字が分かる。

二十数年前、王さんは学校で勉強している夢を見た。思いも寄らず、古稀になってから勉強する夢が叶った。「上人は私にとって生まれ変わりの母親であり、私に身の処し方を教えてくれています。私にとって慈済は学費の要らない『大学』なのです」。彼女はこの幸せを大切にしており、それを愛に変え、日常生活に応用している。

王さんは絶えず息子さんとお嫁さんと「正信正念」について分かち合うので、家庭内の雰囲気は温かく幸せである。他郷で生計を営む子供たちにとっては心配が祝福に変わった。 (撮影・曾美)

体は労働で疲れても、心はブレない

「彼らは外の福田を耕し、私は我が家の福田を耕しています」。王さんは、息子と嫁が慈済に精を出しているので、自分が家庭を支えなければならない、と言った。早めに家に帰るといつも、洗濯をしてモップで床を拭く。「違うことをするのは休憩になりますし、人を助けることは自分を助けることなのです」。彼女は法師の教えを心に刻み、体の機能をあます所なく発揮し、「善と愛を家伝にする」ことを願っている。

「静思語は心のゴミを取り除いて、広くしてくれます」。彼女は「慈済に参加してから、どうすれば自分の心をほぐすことができるかを学びました」と語った。

「『相手はこういう性格だから、私にだけこういう態度ではない』。自分に対して厳しい言葉が飛んでくる時、母は逆に、マッサージしてあげたり、自家製の蜜蝋クリームを贈ったりして、良縁を結ぶようにしています。これが上人の言う『福とは行動する中から喜びを得、慧とは善に解釈することから自在になること』なのです。母は法語を生活の中に生かしており、母こそが私の模範です」と息子の張さんは言った。

家で息子が仕事のことで困っているのを見ると、王さんはいつも彼に良緣を多く結ぶよう勧める。嫁が戻ってきて、「今日は本当に疲れたわ!」と、さりげなく言った言葉が王さんには聞き流せなかったので、軽く、「上人のことを考えなさい」と添えた。そのような正念がすぐ心に湧き起るからだ。夫婦の意見が合わない時、彼女は「直ぐに『四薬膳スープ』㊟を飲みなさい」とも言うそうだ。
㊟四薬膳スープ:知足(足るを知る)、感恩(感謝)、善解(何事も善に解釈する)、包容(受け入れる)

彼女は絶えず自分に「正信正念」と言い聞かせている。これは「慈済」大学で学んだ薰陶と実践によって、塵に覆い隠されていた彼女の心に光が芽生え、輝くようになったからである。

王さんは、二十年間苦痛に悩まされて来た脚に対して、心から懺悔した。「当時は感謝の気持ちがなく、心が狭すぎたのです!不当な扱いを受けると、直ぐに辞めてしまい、お年寄りの世話を最後まですることができませんでした。脚が痛むのも自業自得です」。彼女は恨まず甘んじて受け入れ、常に心を広く持つよう自分に言い聞かせている。

「自分でリラックスすることを学ぶには、より多くのことをしなければなりませんが、考え過ぎず、体を使って労働し、心が揺れ動いてはいけないと思っています。自信を持ち、全てに完璧を要求しないことです」。歪んだ手書きのノートは三年前に彼女が書いた法師の開示である。彼女はこの部分がとても好きだ。「私はこれを読むたびに、心が一層落ち着くのです」。

生活の中で、王さんは物を大切にして福を惜しんでいる。「私は何でも食べ、時に少し酸味を感じても食べてしまいます。捨てるのが勿体無いのです」。慈済のユニフォーム以外、服は殆ど人からもらった古着を手直ししたもので、靴下も破れたら繕って履き続けている。「いつか私がこの世を去っても、こうすれば勿体なくないからです」。彼女は、リサイクル活動に参加してから、自分の考えが法師の理念によく似ていることに気づいた、と言った。「慈済こそが私の歩むべき道なのです」。

「二十年間もこの両脚が使えたことに感謝しています」。王さんは両脚をとても大切にしている。毎朝三時過ぎに目覚めると、ベッドに横たわったまま、両脚を左右に回転させ、腹部をマッサージし、指で髪をとかす…などして健康体操をする。夏でもズボンを二枚履いて、外出する前に脚に生姜の膏薬を貼り、右側の靴に厚さ三〜四センチの中敷きを入れる。そうやって、彼女はびっこを引きながらも、環境保全の道をしっかりと歩んでいる。古稀になって「大学」で学ぶ夢が叶い、着実に智慧の溢れる人生を歩き出したのだ。


(慈済月刊六五三期より)