(下)ひと呼吸の間にある命を救う─爆発的なインドのコロナ禍・国境を超えて

高原の国を援助、あらゆる難関を乗り越える

アジア諸国のコロナ禍がリバウンドし、インドの北側に隣接している人口三千万の高原の国ネパールに、インドの第二波が波及した。五月の一カ月間で、毎日五千人を超える新規感染者を記録し、死者も鰻登りに増えた。その原因は多くのネパール人が国境を越えて、インドで十二年に一度開催されるクンブ・メーラ等の宗教行事に参加する巡礼の旅をして、ウイルスを持ち帰ったのである。感染拡大のスピードが余りにも速く、国際メディアはネパールが、「ミニ・インド」になる可能性があると報道した。

慈済は五月上旬ネパールのトリブバン大学教育病院(Tribhuvan University Teaching Hospital)から医療機器を支援してほしいという要請が入った。何日もかけて価格の問い合わせや輸送の手配を経て、人工呼吸器五台と医療用手袋七万枚が病院に届けられた。ディビヤ院長(Dr. Dibya)は、人工呼吸器によって多くの重症患者が救われたことを報告し、慈済の寛大な支援に感謝していると言った。

慈済は複数のチャンネルを通してネパールの複数機関と連携して、医療器材、防疫物資を寄贈したほか、現地の慈済ボランティアと連絡を取って、支援物資のニーズを確認した。「邱揚(チウ・ヤン)師姐は首都カトマンズで物資を買い付け、辺鄙な所にあるマナング地域病院(Manang District Hospital)に届けましたが、車で十七時間もかかり、容易ではありませんでした」。本部でネパール支援を担当している劉勁寬(リウ・ジンクアン)さんは、険しい山道を通って支援物資を送ることの困難さを話してくれた。幸いに酸素濃縮機、パルスオキシメーター(血中酸素濃度測定器)、非接触型体温計などの支援物資が、五月十九日にマナングに届いた。

マナング地区への支援物資は、ネパール国内で買い付けたものだが、ネパールは製造業が発達していないため、医療機関が必要としている他の医療機器等の支援物資の多くは国外から輸入する必要がある。その時、「世界の工場」と言われる中国に住んでいる慈済ボランティアたちが、買い付けと輸送の大任を担ってくれた。

支援データー

‧支援期間:2021年4月から年末まで
‧支援の内訳:酸素濃縮機4,606台、酸素ボンベ3,260本、人工呼吸器959台、医療用マスク5,522,500個、医療用手袋2,004,450枚、防護服262,260着、シューズカバー36,260足、防護フェースシールド210,650個、総計902万件の医療機器と防疫物資をインド等7カ国88機関に支援。
‧食糧支援:計画では、92,294世帯を対象として、65,000食以上を提供する予定。

(資料提供:慈済基金会 統計:2021年6月12日現在)

ヒラヤマ山脈 支援の道は困難でもやり遂げる

ネパール行き最初のチャーター便は、五月二十四日に蘭州から飛び立つ予定だったが、予定の物資の生産基地は二千キロ離れた上海に近い昆山市にあり、昆山のボランティアがその「大変」な荷積任務を担当した。

「百箱余りの物資をトラックに積もうとした時、物流会社のエレベーターが故障したので、ボランティアたちは三階から一階まで一箱ずつ運んで、トラックに載せました」。劉勁寬さんによると、輸送過程のチャレンジはそれだけではなかった。物資を楊子江南岸の昆山市から陸送で河西回廊の蘭州に運んだ後、ボランティアに再び変化球が投げられた。防疫を考慮して、本来ならチベット高原を飛び越えてネパールに直行する航路が変更されて、先ずカンボジアに飛んで消毒した後、ネパールに飛ぶことになったのだ。一回目のチャーター機の後、七回のチャーター便全てが直行便から中継地を経ることになった。「チャンネルがあって、成し遂げることができれば、我々としては感謝する以外にはありません」と、劉さんが言った。

ネパールの現地ボランティアと当国衛生部、各協力団体の協力の下に、慈済からの支援物資が六月中旬、全国三十九の宗教、医療、慈善等機関に届けられた。市内の病院が酸素濃縮機等、急を要する救命設備を受け取っただけでなく、ボランティアたちは、それらの物資を車でも行き着けない辺鄙な医療ステーションにも送り届けることを計画した。

「マナングは標高三千メートルですが、その病院は標高四千二百メートルのところにあります。五月中旬に物資が届いた後、彼らはロバを用意して上まで運びました」。熊副執行長によると、協力機関は慈済の支援物資を山岳地帯にあるもっと遠い五つの村に届けるつもりだった。残念にも五月十九日にネパール中部でマグニチュード五・八の強い地震が発生し、山道に影響したばかりか、連日の大雨でロバ隊が山に登ることができなくなったのだ。結局、プロの「ポーター」が人力で歩いてそこまで運んだ。「どんなに山が高くても、道が険しくても、成し遂げなければならないのです」と熊副執行長が躊躇することなく言った。

厳しいコロナ禍の中、カミロ修道会の修道女たちは慈済と協力して、低層の最も貧しい家庭が充分な食糧を得て難関を乗り切るために、物資を配付した。

法師の協力で、仏の生まれ故郷を支援した

大量の物資を支援したのは今年五、六月のことである。地域に根付いた「現地雇用を救済に替える」という被災者雇用計画が、今年正月から既に始まっていた。仏の生まれ故郷であるルンビニーを支援する為に、慈済はルンビニー国際仏教協会と共同で、学校の教師や学生に提供する布製マスクの作成職業訓練プロジェクトを進めた。その結果、学生たちも基本的な防護ができるうえに、家庭の女性たちの収入源にもなった。

五十五年前に證厳法師が三十人の家庭主婦を集めて慈済を創設したように、ルンビニー国際仏教協会のマイトリ法師(Bhikkhu Maitri)が女性たちの布製マスク作りを始めたのも三十数人からだった。熟練してくると、その三十数人は十二日間に二万個のマスクを作り上げた。学生や先生一人につき二枚で計算すると、一万人の生徒と教師が恩恵を受けた。

試作が良かったため、マイトリ法師は生産規模を拡大し、四月下旬から布製マスクの職業訓練プロジェクトを一つ県から三つの県に拡大した。「しかし、その時から感染が大きく拡大し、布製マスクを一部作っただけでロックダウンに遭遇し、プロジェクトに参加した九十六人の女性はコミュニティセンターに来ることができなくなったため、法師は彼女たちの家にミシンを届けました」。法師と連絡を取り続けていた劉さんによると、彼女たちは裁断や裁縫を休んだことはなく、布製マスクの生産ラインは保たれていた。学校が休校し、学生は家で学習することになったので、出来上がった布製マスクを現地の治安当局に寄贈した。

四月下旬から五月にかけて、マイトリ法師は既に慈済の資金援助で仕入れた防護フェースシールド、医療用手袋、消毒液等の物資及び女性たちが作った二万個の布製マスクをルンビニー警察署や町長事務局、カピラ国境警備隊等八つの政府と民間機関に送り届けた。

五月初め、ルンビニ市政府は慈済に、隔離センターを援助してほしいと要請し、心電図機器等の医療設備の支援を求めた。しかし最初、花蓮の慈済本部にいる担当者たちは、「何故、隔離センターに医療級の機材が必要なのか」と不思議に感じた。

ルンビニー国際仏教協会施療センターの責任者であるマイトリ法師の話を聞いた結果、将来、隔離センターがクリニックとして運営されていくことになっていると分かった。本部の担当者も慈済医療志業の林執行長と慈済マレーシア支部のボランティア医師に相談して、順調に支援計画を立案した。マイトリ法師は先ず布製マスク作りプロジェクトの余った資金を使って病床と心電図機器などの重要器材を購入した。

法師の尽力で、慈済は仏の生まれ故郷であるルンビニーでの防疫支援活動を順調に素早く進めることができた。互いの縁は最近始まったものではない。マイトリ法師は、三十年前に国際仏教青年会の活動参加で台湾に来た時、慈済を訪れたことがあり、また、二〇一五年のネパール大震災の時、災害支援に来た台湾とマレーシアの慈済ボランティアとが縁を結んだ、と言った。この前後数十年にわたった経過が、「縁が深ければ、遅れてくることを心配する必要はないのです」という證嚴法師の言葉を実証している。

カミロ修道会の神父と修道女の多くは医療背景があり、厳しいコロナ禍の中、4月末から志願して病院に入って、最前線で患者をケアした。第1、第2陣が続々と安全に帰還した。

五月三日以来、花蓮本部の担当チームは毎日会議を開き、一つ一つインドやネパール等七カ国が緊急に必要としている医療物資の品目と数量を確認し、毎晩、ネットを通じてインドとネパールの各組織と連絡を取り、最新状況を把握している。各地でロックダウンや国際便が運休する困難な状況の中、物資や機器を第一線に届けられる方法を探し出している。

ロックダウンやワクチン接種等措置が進められ、インドとネパールの感染状況は六月以降改善を見せているが、依然として百万人以上が苦しんでいる。従って、慈済ボランティアの支援活動は続けられており、酸素濃縮機や人工呼吸器、酸素ボンベなどの支援物資は、中国、インドネシア、マレーシア、シンガポールのボランティアが調達を続け、必要とする国々に送り届けられている。

菩薩の縁でもって、苦難にある衆生と縁を結び、仏の故郷に苦難があれば、遠くても支援する。インドなどの防疫支援に関して、證厳法師は特に、不請の師となって、素早い行動で力になるように、と慈済人に指示した。目下、慈済人と協力パートナーの努力は功を奏し始めている。支援を受けた医療機関は「酸欠」状態が改善されつつある。最前線の医療従事者の手元に届いた防護服などの医療器材がウイルスに対抗する鎧となっている。これら全ては各方面からの愛が結集して成し遂げた善のエネルギーである。


(慈済月刊六五六期より)