少しずつ力を出し合い 救済用倉庫がいっぱいに

メトシェラの3つの大愛農場は、毎月異なった農作物を収穫している。ボランティアが5月に種を蒔いたレタスは、2カ月後に収穫され、貧しいケア世帯に届けるのを待つばかりだ。

天災と戦乱の上にコロナ禍が重なって、モザンビークは国連世界食糧計画(WFP)では最も食糧危機が深刻な国の一つに挙げられている。幸いにも、中部ソファラ州郊外にある大愛農場が、収穫の恵みを町や村の困窮世帯に分け与えた。人々が少しずつ力を出し合うことで、一年間に延べ一万世帯余りを支援し、食糧不足の危機を緩和させてきた。

被災して支援を受け、恩返しに食糧を寄贈

多くの人は、アフリカは長年にわたって飢饉と戦乱に苦しむ「暗黒の大陸」だという既成概念を抱いている。UN(国連)という字が書かれたベストとNGOの制服を着て米などの食糧を携えてくるヨーロッパ人やアジア人と、それを受け取るために長い行列を作るアフリカ人女姓との明確な対比は、「施しをする側」と「受ける側」という立場を象徴している。

しかし、モザンビークのソファラ州では、その既成概念を覆す光景が見られた。村や集落ではボランティアベストを着ていたのは現地の住民であり、苦労して収穫した野菜を丁寧に梱包して出荷し、そして再会した時、今度は支援を受けた母親たちが手に一皿ずつトウモロコシ粉を持ち、列を作ってその大事な食糧を大きな樽に入れ、それからコインや小銭を取り出して竹筒貯金箱に入れていたのだ。

「彼女たちは救済される立場ではないのですか?」とモザンビークの苦境を知っている人たちは、当然のように疑問を持った。それは、ソファラ州の位置するモザンビーク中部が、二〇一九年三月にはサイクロン・イダイによって甚大な被害を受け、二〇二〇年暮れから二〇二一年にかけてはサイクロン・シャレーンとサイクロン・エロイーズに相次いで襲われたからだ。また、北東部の沿岸地帯は過激派組織の襲撃に遭い、首都マプト(Maputo)のある南部地域では干ばつが起きていた。

天災と戦乱に目に見えない新型コロナウイルスの感染拡大が重なり、人々の生活は深刻な打撃を受け、百万以上の国民が飢餓の脅威に晒されている。国連世界食糧計画(WFP)は、モザンビークを食糧危機が最も深刻だと危惧される国のリストに載せており、今年から八カ月に及ぶ長期食糧援助プロジェクトを展開している。年の初めには中部でサイクロンによる水害が発生したので、避難を強いられた被災者は、食糧不足とコロナ禍の中で苦境に陥り、生活が更に厳しくなっていた。州政府から慈済基金会と他のNGOに緊急支援の要請があったことから、慈済は長期支援しているニャマタンダ郡の三つの村を受け持って今後も貧困支援と配付を行うことにしている。この三カ所は即ち、大愛農場のある所である。

今年七月、サイクロン被害の後、メトゥシラ、ニャマタンダ、ラメゴの三つの町村で、二千五百三十七世帯を対象に、一世帯当り二十五キロのトウモロコシ粉と十キロの米及びピーナッツ、豆類、油、塩、石鹸など総重量五十一キロの物資を配付した。

大愛農場のボランティアは、強い日差しの下で大きなキャベツを収穫していた。そこでは農薬や化学肥料は使われておらず、野菜一つ一つはボランティアが交替で植え、運んできた水で灌漑して育てたものである。

現地ボランティアは、住民たちに食糧や種を提供するだけでなく、農耕知識を伝授し、自力更生と相互扶助、布施利他という概念を教えた。被災者はその段階ではまだ支援が必要だったが、慈済基金会設立当初の「竹筒歳月」精神を理解しているため、実際の恩返しを行動で表すことで、アフリカ人自身による慈善の歩みが始まったのである。

恩恵を受けた人の中で延べ二百二十九人が、自主的にトウモロコシ粉で恩返しを行い、その重さは三百四十四キロに達した。ボランティアはそれら寄贈物を更に二百十四世帯の支援に回した。その時は、支援をできるだけ広い範囲に拡大するために、一世帯に一キロちょっとの配付でしかなかったが、自身が長年困窮してきた住民にとって、この一歩を踏み出すことは簡単ではないはずだ。

千人が灌漑し、共に福田を耕す

「人と土地さえあれば生産できるのです。貧困救済を始める時には、先ず人々のお腹を満たすことが大切です。そして、畑仕事でも仏法を伝授できるのですから、善人と良田があれば、良い成果がもたらされるのです、と證厳法師はおっしゃいました」。モザンビークに嫁いだボランティアの蔡岱霖(ツァイ・ダイリン)さんは、夫のディノさんと共に證厳法師の教えに追随して、二〇一四年に首都マプトにある「慈済の家」の裏の土地に、貧困救済のため、野菜を植えることを現地ボランティアに呼びかけた。この、土地の善用による「マンゴーの樹の下の道場」では、仏法の勉強会も行った。

二〇一九年サイクロン・イダイの災害の後、マプトのボランティアたちは、農耕による貧困救済と農場兼道場の運営方式を中部ソファラ州のメトゥシラ郡にもたらした。慈済は現地で二ヘクタールの土地を見つけたが、その慈善農耕に呼応してくれた住民は千人あまりもいた。

住民が勤勉に耕した農場は、二〇二〇年四月にモザンビーク政府が新型コロナウイルス拡大によって緊急事態宣言を発令した後、恵みの雨のような効果を発揮することができた。大愛農場の収穫は、防疫措置で失業し、都市から故郷のメトゥシラに戻らざるを得なかった人々の飢餓を救った。

「農場の千人余りのボランティアは、皆メトゥシラの部落から来ており、どこに貧しい人がいるのかよく知っています。毎回収穫が終わると、トマトと野菜を入れた籠を持って、最も貧しい家庭を一軒一軒訪問して届けるのです。十月末までに延べ三千六百人が恩恵を受けました」と、かつて長くモザンビークに住んでいた慈済人医会ボランティアの龍嘉文医師が語った。

大愛農場の成功は、現地ボランティアを大いに励ました。また、新型コロナウイルスの感染拡大後、各国がウイルスの蔓延を防止しようとロックダウンや鎖国を行ったため、モザンビークは隣国南アフリカからの食糧輸入が途絶えて物価が急上昇し、輸入に頼っていたデメリットが顕著に表れ、自給自足の重要性がことさら指摘されるようになった。

メトゥシラ大愛農場のボランティアは皆、地元の人で、何処に独りで孫を育てているおばあちゃんがいて、どの世帯がシングルマザーか、などをよく知っており、ボランティアが一軒一軒野菜を届けている(写真右)。農場の収穫作物は種類が多く、今月はキャベツとレタスだが、来月は豆、トウモロコシ、キュウリ、トマトなどに変わり、ケア世帯はいつも次の野菜は何だろうと楽しみにしている(写真左)。

今年三月、現地ボランティアはソファラ州で大愛農場の運営を拡大しようと決め、地元の善意ある地主たちと積極的に連携して福田にできる場所が他にもないかと探した。メトゥシラでは最初の大愛農場を含めて、すでに三カ所の農地で生産が始まっており、その他、ニャマタンダとラメゴでも二カ所の農地を借りることができた。今年の八月までの統計では、ソファラ州で七カ所、総面積は三十三・五ヘクタールに拡大し、それはサッカーコート四十七個分の広さに相当する。

気候から言うと、現地の雨量は台湾より少ないわけではない。ただ雨季と乾季がはっきり分かれているので、農業用水は天に頼るほか、乾季には人力で井戸や川べりから水を汲んでくるしかないのだ。「私たちは二千人余りの水運びボランティアチームを組織しました。みんなで順番に井戸や河辺に水を汲みに行きます。実に多くの人力によって成り立っているのです」。

大衆の善意によって、荒廃していた土地は豊かな大愛農場に変わった。ボランティアは何を植えたらいいかと農作物の種類を前もって計画し、住民のお腹を満たすだけでなく、栄養についても考慮している。現地では欠かせない主食であるトウモロコシのほかにも、カボチャ、トマト、サツマイモの葉などには人体に必要なビタミンが豊富に含まれている。ピーナッツは豊富な油のほか、證厳法師の教えに呼応する意味もあって、肉食から菜食に切り替える人たちに植物性たんぱく質を補完することができるのである。

「トウモロコシ粉は多くの人のお腹を満たすことができるので、ボランティアが天日で乾燥させたトウモロコシを粉にする前に、いつも歌を歌ったりダンスをしたりして、豊かな恵みに感謝しています」。蔡さんは、ボランティアの豊作の喜びをこのように伝えた。

サイクロン・エロイーズの被災者は、農作物の収穫前である今年7月に、慈済のトウモロコシ粉などの物資を受け取った。その後、皆がそれぞれ恩返しとしてトウモロコシ粉を持ち寄ったので、慈済の手で、より貧しい2百世帯余りに贈られた。

慈善農耕で飢饉をなくす

今年七月国連世界食糧計画(WFP)サミットの予備会議において、蔡さんがモザンビークでの慈済志業の成果について報告した時、特別に教育の重要性を強調した。「私たちは農閑期に『教育』の仕事を行い、知識だけでなく、道徳、正信や正念なども教えています」。

蔡さんは大愛農場の例をあげて説明した。もし慈済が住民に、互いに助け合う道理を教えていなかったら、本来貧しい人を支援するはずの作物を家に持ち帰ってしまい、互いに奪う可能性もあったのだ。そうなると農場は経営が続けられなくなり、貧しい状態が改善されることはなくなるだろう。

「もし私たちが互いに助け合えば、生活がこれほど苦しくならなくて済むはずです。『見返りを求めない奉仕』をすることは、彼らにとっては非常に難しいかもしれません。しかし、今日自分が人を助ければ、いつか助けが必要になった時、誰かが自分を助けに来てくれる、という道理を、彼らは理解しています」。

そのように自利利他の道理を理解し、人助けの喜びを感じている村人たちは、喜んで月に何日かの時間を割いて大愛農場で耕作や水やりに奉仕しているのである。労力や時間を奉仕している人にとって、生活の妨げにならないほどの短期間のボランティア活動であっても、一粒一粒の米が籠いっぱいになる効果には目を見張るものがある。現在七カ所の大愛農場の中で、メトゥシラの三カ所は既に貧困救済活動を続けており、収穫した各種の野菜はこの一年間、延べ一万世帯余りの貧困家庭に贈られてきた。

蔡さんによると、これから農業の専門家を招いて農耕技術と管理を指導してもらい、将来的に青果卸売市場を立ち上げ、現地の小作農に作物販売を指導することも考えている。また、ソファラ州の農業用水の不足と灌漑問題について、「慈済が中国甘粛省で行ってきた水がめ作り、あるいはジンバブエでの井戸掘削の経験を取り入れてはどうか」と模索している。

大愛農場の慈善農耕では、アフリカ人の愛と智慧、願力が、ユーラシアとアメリカの人々のそれと何の差もないことがすでに證明されている。見るからに立場が弱くて助けを必要としている人たちでも、同様に良能を発揮して他人を利し、人間として生まれた意義と尊厳をこの人生で表すことができるのである。モザンビークの現地ボランティアの努力が実を結び、そのことを最も良く証明している。(資料の提供・龍嘉文)


(慈済月刊六五八期より)

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