あなたは食べたもので決まる
編集者の言葉
過去三年間にわたり、疫病は社会にインパクトを与え続け、人々は一層食事や健康に注意を払うようになった。なぜなら、三食の食事であっても薬であっても、多くの病気の原因は確かに「病は口から」だと言えるからだ。十八世紀の或るフランス人の作家はこう言った。
「あなたは食べたもので決まる」。
伝統的な漢方医学では、古くから「薬食同源」という言葉があり、食べ物と薬は、どちらも病気を治すことができるものであり、多くの薬用植物は、食材にもなっているのである。免疫力を高める重要な方法の一つが食事であることからも分かる。従って、「飲食の習慣を変え」、何を食べたかに注意を払うことが重要な役割を果たすのだ。
秋から冬にかけては、ウイルス性感染症が流行し易い季節である。今月号の月刊誌は、「免疫力のアップ」を特集のテーマに選び、日常生活における「健康づくりの基本 」を読者と分かち合っている。
今回インタビューした一人は、台湾菜食栄養学会会長を兼任する、大林慈済病院の林名男副院長である。彼は、特にタンパク質の重要性を指摘し、動物性タンパク質に含まれる一部の物質は免疫系統に影響を与え、体内で炎症を引き起こすため、植物性タンパク質の方が動物性タンパク質よりも優れていると強調した。
一般内科医である彼は、腸は体内最大の免疫器官であり、菜食は腸内細菌を有益なものに変えることができると言った。
慈済ボランティアの大半は菜食をしており、常日頃、菜食をして養生することを地域社会で積極的に推進している。中でも、慈済は台湾全土に八つの病院を持っているため、多くの医療従事者は専門的な研究と臨床データを組み合わせて、科学的な方法でもって、菜食と健康に関する問題をサポートしている。
コロナ禍の間、花蓮慈済病院はさらに植物性薬効を研究し、民間療法によく使われる、ヨモギやミソナオシなどの薬草に体の保護力を高める成分があることを発見した。それは「天地万物には生命力が宿っている」という大自然の神秘にも通じている。
西洋のことわざに「あなたはあなたが食べたものでできている」とあるが、「あなたは自分が思っている通りの人間だ」という専門家もいる。食べ物の選択も大切だが、心の持ち様が、体の免疫力にとっても同じく重要なのだ。
確かに、もし、怒りや憎しみなどのネガティブな感情を抱いたまま食事をした場合、そのような食事で本当に栄養をつける効果が得られるかどうか、想像し難い。
このように、飲食や薬草以外に、心の作用の重要性も報道している。特に、近年、広く注目を集めている「正念の学習」は、体のホルモン分泌や炎症反応を効果的に改善することができるのである。
結果として、食であれ、心の作用であれ、人の健康と免疫力においては、体と心を切り離すことはできない。詰まる所、日常の飲食と考え方が相互に関係して心と体に及ぼす影響を与え、それら全てが免疫力と密接に関係しているのだと言えよう。
(慈済月刊六八三期より)

編集者の言葉
過去三年間にわたり、疫病は社会にインパクトを与え続け、人々は一層食事や健康に注意を払うようになった。なぜなら、三食の食事であっても薬であっても、多くの病気の原因は確かに「病は口から」だと言えるからだ。十八世紀の或るフランス人の作家はこう言った。
「あなたは食べたもので決まる」。
伝統的な漢方医学では、古くから「薬食同源」という言葉があり、食べ物と薬は、どちらも病気を治すことができるものであり、多くの薬用植物は、食材にもなっているのである。免疫力を高める重要な方法の一つが食事であることからも分かる。従って、「飲食の習慣を変え」、何を食べたかに注意を払うことが重要な役割を果たすのだ。
秋から冬にかけては、ウイルス性感染症が流行し易い季節である。今月号の月刊誌は、「免疫力のアップ」を特集のテーマに選び、日常生活における「健康づくりの基本 」を読者と分かち合っている。
今回インタビューした一人は、台湾菜食栄養学会会長を兼任する、大林慈済病院の林名男副院長である。彼は、特にタンパク質の重要性を指摘し、動物性タンパク質に含まれる一部の物質は免疫系統に影響を与え、体内で炎症を引き起こすため、植物性タンパク質の方が動物性タンパク質よりも優れていると強調した。
一般内科医である彼は、腸は体内最大の免疫器官であり、菜食は腸内細菌を有益なものに変えることができると言った。
慈済ボランティアの大半は菜食をしており、常日頃、菜食をして養生することを地域社会で積極的に推進している。中でも、慈済は台湾全土に八つの病院を持っているため、多くの医療従事者は専門的な研究と臨床データを組み合わせて、科学的な方法でもって、菜食と健康に関する問題をサポートしている。
コロナ禍の間、花蓮慈済病院はさらに植物性薬効を研究し、民間療法によく使われる、ヨモギやミソナオシなどの薬草に体の保護力を高める成分があることを発見した。それは「天地万物には生命力が宿っている」という大自然の神秘にも通じている。
西洋のことわざに「あなたはあなたが食べたものでできている」とあるが、「あなたは自分が思っている通りの人間だ」という専門家もいる。食べ物の選択も大切だが、心の持ち様が、体の免疫力にとっても同じく重要なのだ。
確かに、もし、怒りや憎しみなどのネガティブな感情を抱いたまま食事をした場合、そのような食事で本当に栄養をつける効果が得られるかどうか、想像し難い。
このように、飲食や薬草以外に、心の作用の重要性も報道している。特に、近年、広く注目を集めている「正念の学習」は、体のホルモン分泌や炎症反応を効果的に改善することができるのである。
結果として、食であれ、心の作用であれ、人の健康と免疫力においては、体と心を切り離すことはできない。詰まる所、日常の飲食と考え方が相互に関係して心と体に及ぼす影響を与え、それら全てが免疫力と密接に関係しているのだと言えよう。
(慈済月刊六八三期より)

植物がもたらす希望─天と地の間にある癒しの暗号
生気溢れる大地の草木、自然界の植物は全てが良薬だ。
食事は飢餓を癒し、人のお腹を満たして健康にする。
薬草の特性を活かすことでも、健康を維持することができる。
ボランティアは毎日神岡ミソナオシ園で雑草取りをしている。以前はお守りとしての植物だったが、今では実質効果があることが証明されている。

一面緑で覆われた「大愛神岡ミソナオシ園」の方に向いて、六十人ほどの台中の慈済ボランティアが整列し、敬虔に両手を合わせた。「ミソナオシよ、ミソナオシ、私たちは今日収穫をします。すくすくと豊かに育ってくれて有難う。収穫して人助けの為に、あなたたちの良き効果を最大限に活かします」とボランティアを代表して、張淑娟(チャン・スゥージュエン)さんが挨拶をした。
コロナ禍で、殆ど忘れ去られていた台湾自生の薬用植物が、免疫力を高める効果を見直された。花蓮慈濟病院の中医学と西洋医学の共同研究チームは二〇二〇年十二月、台湾に自生する八種類の薬草から作られた「ジンスー本草飲」を発表し、防疫物資と共に四十余りの国と地域に発送された。原材料の薬草が不足しているのを知った台湾全土のボランティアが迅速に動員され、ヨモギ、ミソナオシ、紫蘇などの栽培に着手し、全身全霊で防疫任務に当たった。
張さんによると、二〇二一年二月までに慈済台中支部のボランティアが一週間以内にミソナオシ五万株分の種の寄付を募った他、神岡区の地主二人が快く農地を提供してくれた。「それまでは、風習としてミソナオシを魔除けや身を清める為に湯船に入れるとしか知りませんでした。人助けにも使えると分かってからは、心の底から敬意が湧いてきました」。
「ボランティアが植えた薬草は、尊い仏の名と《般若心経》、静思語を聴きながら育ちました。私たちは、木と草にも情けがあると信じ、畑仕事をしながら居心地はどうですか、喉が渇きましたかと尋ねたりしているのです」。ボランティアの林宗民(リン・ヅォンミン)さんが、ボランティアたちの薬草に対する愛着を語ってくれた。
中医学の智慧が現代に役立つ
「中医薬は免疫力を調整する力を持っているので、体が急性の炎症を起こした時に、抑制する効果があります」。三義慈済中医病院の院長である葉家舟(イエ・ジアヅォウ)医師の説明によると、「特定の症状に特定の薬を使えると、速くて効き目の強烈な、合成された化学物質の西洋薬とは違い、中医薬は自然の小分子化合物なので、多数の臓器と症状に効く機能を持ち、急性炎症の過程から素早く慢性炎症に移行し、免疫力が嵐を起こしたかのように臓器に与える危害を最小限に抑えることができます」。
葉院長によると,證厳法師はヨモギ、ミソナオシを魔除けに使う民間の風習をヒントに、他の植物も研究して応用するように、と花蓮慈濟病院の中医・西洋薬研究開発チームを啓発した。
葉院長は台湾の海抜の低い地域や平地によく生えている、スイカズラを例に挙げた。中医薬の材料である「金銀花」のことである。スイカズラを研究して十五年になる葉院長によると、この植物はサイトカイン(IL10)の分泌を促し、炎症の蔓延を阻止できる。また、その時生成される微小RNA2911が腸壁を通って全身に作用し、人体に侵入した新型コロナウイルスやエンテロウイルス、ロタウイルスのRNAと結合して、ウイルスが細胞に侵入した後に大量に複製しないよう、病気が誘発されるのを阻止することができる。民間でよく使われているヨモギにも大量の微小RNA2911が含まれており、同様に炎症反応を抑えることができる。
「アルテミシニンは中医薬のこの世への贈り物」。これは、二〇一五年にノーベル医学賞を受賞した中国の薬学者・屠呦呦(トゥ・ヨーヨー)氏の言葉だ。マラリアは、古くから今に至るまで重要な伝染病だが、屠氏は晋王朝の古い中医薬に関する文献『肘後備急方』から、青蒿(セイコウ。日本名クソニンジン)がマラリアに対して治療効果を持つという記載を見つけた。そこには「青蒿一握りを二升の水に漬け、搾り汁を飲めば良い」とあった。そこでカワラヨモギからアルテミシニンを抽出できることを発見した第一人者として、マラリアの新しい治療法を開発した。アルテミシニンを抽出するのは簡単なので、多くの貧困に苦しむ国の国民の命を助けることができるようになった。
古くから薬と食は同源だという説があり、一部の薬草は食材として使える。葉院長が例を挙げている。中医薬材の百合は甘味があるので、よく調理に使われるが、呼吸気道の乾燥や心神不安定を感じる時によく眠れるようにすることができる。目眩を治療できるオニノヤガラは、脳の血液循環を良くしたり、うつ病を改善することできる他、スープにすることもできる。黄菊は脾を清め胃の熱を下げ、白菊は肺の熱を下げるが、両者ともお茶として飲むことができる。
中医の観点では、病気とは人体の正気と病の邪気が戦っている過程である。外部の病気が侵入した時、薬で病原を殺すのではなく、正気を支えて邪気を追い出すことで、体を病原体の増殖に適さない環境にする。とはいえ、西洋の免疫学と中医学は、共に予防を最優先にしている。
しかし、科学的に作られた中医薬はやはり薬なので、個々の体質に応じ、長期に使用することを勧めない。長期使用する場合は、医師の指示に従うべきだ、と葉院長は強調した。
ハーブはお茶、調理、アロマ・マッサージ等に利用でき、その回復力を使って、体質の改善もできる。

大自然は天然の薬棚
東方では中医学の薬の原料として薬草を使うが、「最近の欧米諸国にも薬草学があります。そのコンセプトは中医に似ています」。英米両国の免許を持ち、アメリカでも臨床薬草師の資格を持っている郭姿均(グオ・スージュン)さんは、古代ギリシャ・ローマ帝国時代からセント・ジョーンズワート(セイヨウオトギリソウ)を緊張と焦燥の緩和に使ったり、ラベンダーを湯に浮かべて浸かったりしていたと指摘する。考古学の専門家も、古代エジプト人がハーブの配合を発見している。
「外科手術と抜歯以外の体の不具合は、全てハーブで症状の緩和や改善を得ることができます」。郭さんによると、台湾で医者にかかるのは便利で安価なので、人々は病気になると、西洋医薬に頼りがちになる。アメリカは医療費が高いので、民間で予防医学や自然治癒を提唱している。体の修復効果を持つハーブを日常のサプリメントに使えば、不必要な薬の使用を減らすだけでなく、薬物アレルギーの問題も減らすことができる。
様々なハーブには、異なった自然治癒力が宿っている。例えば、どこでも見られるタンポポは、むくみの解消、血液の浄化、肝臓や腎臓のデトックス力を強化とする効能があり、ニワトコには風邪の症状を和らげる効果がある。そして鑑賞植物としてよく知られているムラサキバレンギクは、「免疫力の王様」という称号を持ち、コロナ期間中は多くの人が免疫力強化のサプリメントとして愛用した。
西洋の薬草学も、季節ごとの健康な生活を重視している。「季節の変化に従って、五臓の健康を促進し、体質を改善することができます」。郭さんの著書『ハーブの自然治癒力』を読むと、薬草学では、春にデトックスを重視し、肝臓の養生をするために、タンポポの若葉でサラダを作ることを提唱している。夏は気を補い、心臓と免疫系統の養生を訴え、ローゼル、ローズヒップ等赤い植物を摂取することを勧めている。秋に肺を潤い、肺と呼吸器系統ケアの代表的な植物としてレモンバームを挙げており、免疫力を高め、冬のインフルエンザに備えることができる。冬は体を休める為に、腎臓と内分泌を整える。それにはイラクサをスープにして飲むと良い。
アロマオイルや薬草を使う方法は、あくまでも補助的な療法で、個人のニーズや体質に合わせて、専門の薬草師の処方と品質認証を受けたハーブを使うように、と郭さんは特記している。ヨモギを薬草や食品に使う時、少量なら構わないが、通経作用があるので、妊婦や子宮筋腫の人は使用を避けるべきだそうだ。ヨモギから抽出されたアロマオイルは濃度が高く、痙攣や震え等の副作用を起こす恐れがあるので、脳に損傷を負ったことがある人やパーキンソン病、癲癇の患者は、使用を控えるべきである。
大地の草木には生気が溢れる。この時代の流れと共に歩んできた学問の実用性を理解し、薬草の特性を知って、季節に応じて生活の中に取り入れてほしい。天と地が育む中医薬やハーブは、より自然な方法で病気を未然に防ぐことができる。
(慈済月刊六八三期より)

生気溢れる大地の草木、自然界の植物は全てが良薬だ。
食事は飢餓を癒し、人のお腹を満たして健康にする。
薬草の特性を活かすことでも、健康を維持することができる。
ボランティアは毎日神岡ミソナオシ園で雑草取りをしている。以前はお守りとしての植物だったが、今では実質効果があることが証明されている。

一面緑で覆われた「大愛神岡ミソナオシ園」の方に向いて、六十人ほどの台中の慈済ボランティアが整列し、敬虔に両手を合わせた。「ミソナオシよ、ミソナオシ、私たちは今日収穫をします。すくすくと豊かに育ってくれて有難う。収穫して人助けの為に、あなたたちの良き効果を最大限に活かします」とボランティアを代表して、張淑娟(チャン・スゥージュエン)さんが挨拶をした。
コロナ禍で、殆ど忘れ去られていた台湾自生の薬用植物が、免疫力を高める効果を見直された。花蓮慈濟病院の中医学と西洋医学の共同研究チームは二〇二〇年十二月、台湾に自生する八種類の薬草から作られた「ジンスー本草飲」を発表し、防疫物資と共に四十余りの国と地域に発送された。原材料の薬草が不足しているのを知った台湾全土のボランティアが迅速に動員され、ヨモギ、ミソナオシ、紫蘇などの栽培に着手し、全身全霊で防疫任務に当たった。
張さんによると、二〇二一年二月までに慈済台中支部のボランティアが一週間以内にミソナオシ五万株分の種の寄付を募った他、神岡区の地主二人が快く農地を提供してくれた。「それまでは、風習としてミソナオシを魔除けや身を清める為に湯船に入れるとしか知りませんでした。人助けにも使えると分かってからは、心の底から敬意が湧いてきました」。
「ボランティアが植えた薬草は、尊い仏の名と《般若心経》、静思語を聴きながら育ちました。私たちは、木と草にも情けがあると信じ、畑仕事をしながら居心地はどうですか、喉が渇きましたかと尋ねたりしているのです」。ボランティアの林宗民(リン・ヅォンミン)さんが、ボランティアたちの薬草に対する愛着を語ってくれた。
中医学の智慧が現代に役立つ
「中医薬は免疫力を調整する力を持っているので、体が急性の炎症を起こした時に、抑制する効果があります」。三義慈済中医病院の院長である葉家舟(イエ・ジアヅォウ)医師の説明によると、「特定の症状に特定の薬を使えると、速くて効き目の強烈な、合成された化学物質の西洋薬とは違い、中医薬は自然の小分子化合物なので、多数の臓器と症状に効く機能を持ち、急性炎症の過程から素早く慢性炎症に移行し、免疫力が嵐を起こしたかのように臓器に与える危害を最小限に抑えることができます」。
葉院長によると,證厳法師はヨモギ、ミソナオシを魔除けに使う民間の風習をヒントに、他の植物も研究して応用するように、と花蓮慈濟病院の中医・西洋薬研究開発チームを啓発した。
葉院長は台湾の海抜の低い地域や平地によく生えている、スイカズラを例に挙げた。中医薬の材料である「金銀花」のことである。スイカズラを研究して十五年になる葉院長によると、この植物はサイトカイン(IL10)の分泌を促し、炎症の蔓延を阻止できる。また、その時生成される微小RNA2911が腸壁を通って全身に作用し、人体に侵入した新型コロナウイルスやエンテロウイルス、ロタウイルスのRNAと結合して、ウイルスが細胞に侵入した後に大量に複製しないよう、病気が誘発されるのを阻止することができる。民間でよく使われているヨモギにも大量の微小RNA2911が含まれており、同様に炎症反応を抑えることができる。
「アルテミシニンは中医薬のこの世への贈り物」。これは、二〇一五年にノーベル医学賞を受賞した中国の薬学者・屠呦呦(トゥ・ヨーヨー)氏の言葉だ。マラリアは、古くから今に至るまで重要な伝染病だが、屠氏は晋王朝の古い中医薬に関する文献『肘後備急方』から、青蒿(セイコウ。日本名クソニンジン)がマラリアに対して治療効果を持つという記載を見つけた。そこには「青蒿一握りを二升の水に漬け、搾り汁を飲めば良い」とあった。そこでカワラヨモギからアルテミシニンを抽出できることを発見した第一人者として、マラリアの新しい治療法を開発した。アルテミシニンを抽出するのは簡単なので、多くの貧困に苦しむ国の国民の命を助けることができるようになった。
古くから薬と食は同源だという説があり、一部の薬草は食材として使える。葉院長が例を挙げている。中医薬材の百合は甘味があるので、よく調理に使われるが、呼吸気道の乾燥や心神不安定を感じる時によく眠れるようにすることができる。目眩を治療できるオニノヤガラは、脳の血液循環を良くしたり、うつ病を改善することできる他、スープにすることもできる。黄菊は脾を清め胃の熱を下げ、白菊は肺の熱を下げるが、両者ともお茶として飲むことができる。
中医の観点では、病気とは人体の正気と病の邪気が戦っている過程である。外部の病気が侵入した時、薬で病原を殺すのではなく、正気を支えて邪気を追い出すことで、体を病原体の増殖に適さない環境にする。とはいえ、西洋の免疫学と中医学は、共に予防を最優先にしている。
しかし、科学的に作られた中医薬はやはり薬なので、個々の体質に応じ、長期に使用することを勧めない。長期使用する場合は、医師の指示に従うべきだ、と葉院長は強調した。
ハーブはお茶、調理、アロマ・マッサージ等に利用でき、その回復力を使って、体質の改善もできる。

大自然は天然の薬棚
東方では中医学の薬の原料として薬草を使うが、「最近の欧米諸国にも薬草学があります。そのコンセプトは中医に似ています」。英米両国の免許を持ち、アメリカでも臨床薬草師の資格を持っている郭姿均(グオ・スージュン)さんは、古代ギリシャ・ローマ帝国時代からセント・ジョーンズワート(セイヨウオトギリソウ)を緊張と焦燥の緩和に使ったり、ラベンダーを湯に浮かべて浸かったりしていたと指摘する。考古学の専門家も、古代エジプト人がハーブの配合を発見している。
「外科手術と抜歯以外の体の不具合は、全てハーブで症状の緩和や改善を得ることができます」。郭さんによると、台湾で医者にかかるのは便利で安価なので、人々は病気になると、西洋医薬に頼りがちになる。アメリカは医療費が高いので、民間で予防医学や自然治癒を提唱している。体の修復効果を持つハーブを日常のサプリメントに使えば、不必要な薬の使用を減らすだけでなく、薬物アレルギーの問題も減らすことができる。
様々なハーブには、異なった自然治癒力が宿っている。例えば、どこでも見られるタンポポは、むくみの解消、血液の浄化、肝臓や腎臓のデトックス力を強化とする効能があり、ニワトコには風邪の症状を和らげる効果がある。そして鑑賞植物としてよく知られているムラサキバレンギクは、「免疫力の王様」という称号を持ち、コロナ期間中は多くの人が免疫力強化のサプリメントとして愛用した。
西洋の薬草学も、季節ごとの健康な生活を重視している。「季節の変化に従って、五臓の健康を促進し、体質を改善することができます」。郭さんの著書『ハーブの自然治癒力』を読むと、薬草学では、春にデトックスを重視し、肝臓の養生をするために、タンポポの若葉でサラダを作ることを提唱している。夏は気を補い、心臓と免疫系統の養生を訴え、ローゼル、ローズヒップ等赤い植物を摂取することを勧めている。秋に肺を潤い、肺と呼吸器系統ケアの代表的な植物としてレモンバームを挙げており、免疫力を高め、冬のインフルエンザに備えることができる。冬は体を休める為に、腎臓と内分泌を整える。それにはイラクサをスープにして飲むと良い。
アロマオイルや薬草を使う方法は、あくまでも補助的な療法で、個人のニーズや体質に合わせて、専門の薬草師の処方と品質認証を受けたハーブを使うように、と郭さんは特記している。ヨモギを薬草や食品に使う時、少量なら構わないが、通経作用があるので、妊婦や子宮筋腫の人は使用を避けるべきだそうだ。ヨモギから抽出されたアロマオイルは濃度が高く、痙攣や震え等の副作用を起こす恐れがあるので、脳に損傷を負ったことがある人やパーキンソン病、癲癇の患者は、使用を控えるべきである。
大地の草木には生気が溢れる。この時代の流れと共に歩んできた学問の実用性を理解し、薬草の特性を知って、季節に応じて生活の中に取り入れてほしい。天と地が育む中医薬やハーブは、より自然な方法で病気を未然に防ぐことができる。
(慈済月刊六八三期より)

免疫力は高まる─季節と体質に合わせた食生活

腸は人体最大の免疫器官であり、毎日体内では防衛戦が繰り広げられている。
新種の伝染病に対処するには、免疫力を高めることが重要であり、最尖端の武器は必要ない。日常の食卓に上るご飯や野菜・果物・豆類が
即ち、千日かけて軍を起こし、有事の際に備える功労者なのである。
コロナ禍が落ち着いて暫く経つが、各項目の規制も緩和され、マスクは必需品ではなくなり、人々はすでにウイルスと共存している。しかし、新種の伝染病が消えたわけではなく、次のウイルスが数日もしないうちに世界の脅威になるかもしれない。如何にすれば体の免疫力を高めて英気を養い、次の伝染病に対処できるのだろうか?
「一九七〇年代以降、世界は何度も新種伝染病に見舞われました。七割以上は人畜共通の伝染病で、多くは私たちの飲食行為と関連があります」と大林慈済病院副院長の林名男(リン・ミンナン)医師が指摘した。病気に対抗するには、飲食の仕方を変えることが必須である。
毎日、体内では攻防戦が繰り広げられている。人体の免疫システムの中で、腸は最大の免疫器官である。林医師によると、人体の七割の免疫細胞は腸内にあり、食べ物が入ると、栄養は腸から吸収されて血液内に送られる。細菌やウイルス等の病原体も食べ物と一緒に消化器官に入るが、その時、T細胞、マクロファージ、ナチュラルキラー細胞等腸内の免疫大軍が、病原体を呑み込み、敵を消滅させるのである。
如何にして腸の免疫機能を高めるか?林医師は、腸内細菌のバランスが崩れると、いくつかの病気の原因になるので、免疫力を高めるには、腸内の善玉菌を増やすことが必要だ、と言った。プラントベース食には豊富な食物繊維が含まれており、腸内の微生物にとって重要な栄養源なのである。腸内の善玉菌は食物繊維を代謝して発酵させた後、短鎖脂肪酸及び他の生物を活性させる物質を生み出し、短鎖脂肪酸が免疫力を高め、病原体に対抗して、体の炎症を和らげることができるのである。
食物繊維に富んだ五穀、野菜、果物は、正に体の免疫力を守る重要な鍵を握っており、「全植物性飲食は私たちの腸内環境を変えることができるので、メリットがたくさんあります」。

全穀類、豆類、ナッツ類、野菜、果物には豊富な食物繊維が含まれている。セルロースは人体では消化できないが、腸の蠕動を助けることができ、腸の粘膜細胞を守り、さらに腸内の善玉菌の最良の食べ物となる。
飲食の中で食物繊維が不足すると、腸内の善玉菌が減り、悪玉菌が増え、粘膜を侵すようになる。粘膜は腸壁の第一の防御線である。粘膜が丈夫でないと、病原菌が腸の上皮細胞を侵し易くなり、ひいては炎症を起こして、免疫システムに影響する。
植物性タンパク質は頼もしい仲間
抵抗力をつけるには、同時にタンパク質が必要で、タンパク質は免疫系統にとって優秀な仲間なのである。林医師によれば、タンパク質の主な功能は、筋肉、皮膚、神経伝達物質等を含む、組織の形成のみならず、健康維持に必要な各種抗体をも作っている。例えば、体が細菌やウイルスに対抗する場合の免疫グロブリンは、とても重要な抗体で、免疫システムの正常な働きを維持しており、体内で分泌されている何千種もの化学反応に必要な酵素の主成分もタンパク質なのである。
どの食べ物に豊富なタンパク質が含まれているのか?専門家によって説は分かれるが、伝統的な概念では動物性タンパク質が植物性タンパク質より「優れて」おり、栄養価が高い、と言われて来た。科学的に見て、本当にそうなのだろうか?
「一部の動物性タンパク質には免疫に影響する物質があって、逆に体の炎症反応を引き起こしやすくしてしまいます」と林医師が説明した。アメリカ癌研究センター及び世界癌研究基金会が二〇〇七年に発表した報告によると、赤肉や加工肉には大腸がんを引き起こすグループ1とグループ2Aの発がん性物質が含まれていることを確認した。
この報告は八十七件の研究の分析を基にしており、一致した結論として、赤肉の摂取量が増えると、大腸がんに罹る確率(罹患率)も高くなるということである。赤肉が心血管疾患と癌による死亡率を上げ、すい臓がんや食道がん、胃がんなど他のがんにもなりやすいことは、早くからすでに多くの科学文献で実証されている。
三義慈済中医病院院長の葉家舟(イェ・ジヤヅォウ)医師は次のように説明した。肉類を食べると、同時に動物の体内に蓄積されていた、各種毒素を摂取していることになる。例えば、深海魚の生物蓄積による重金属は、多様な疾患を引き起こす。「大学院に通っていた頃、ある会食の席で、ある人が豚のレバースープを頼んだのですが、ある病理科医師が暫くスプーンで掻き回し、結局食べるのをやめてしまいました。皆が不思議に思っていると、彼はこの豚は肝臓がんを発症しており、肝臓に硬い部分が見えると言いました」。
コロナ禍の間、六カ国の二千八百八十四人の医療従事者の飲食習慣の統計を出したところ、非菜食者、菜食者を問わず、感染確率はほぼ同じだったが、さらに分析していくと、菜食者の重症化率が、なんと七十三%も低くかったのである。
豆製品、きのこ類を誤解しないでほしい
「食べ物は私たちのお腹を満たすだけでなく、生理や心理状態にも影響し、病気の予防や健康維持にも役立ちます」。積極的に全植物性飲食を広めている栄養士の高韻均(ガオ・ユンジュン)さんの著作『特定栄養素を補う全植物性菜食料理』の中で、適切な組み合わせであれば、全植物性飲食は体に必要なあらゆる栄養素を満たすことができる、と書いている。
人体は二十種のアミノ酸が必要であり、その内の九種類は体の中で生成することができない。それらは食べ物から得る必要があり、「必須アミノ酸」と呼ばれている。異なる供給源のタンパク質は、アミノ酸に分解される。互いに補完する原則が分かれば、完璧で豊富な栄養を得ることができる。
例えば主食の米、麦等の穀物類は、「リシン」の含有量は少ないが、「メチオニン」を豊富に含む。ひよこ豆、小豆、緑豆、藤豆等の豆類は、「メチオニン」の含有量は少ないが、「リシン」の含有量が豊富なので、豆類と穀物類を組み合わせて主食にすれば、得られるアミノ酸を相互補完することができ、タンパク質の摂取効率を高めると言える。そして、いわゆる「相互補完」とは、一食に限定したものではなく、一日の内であれば良い。
菜食者のタンパク質の供給源の一つが大豆である。「大衆はプラントベース飲食に対して少し誤解があると思います。例えば、『痛風の人は大豆を食べてはいけない』といううわさは、実は間違っています」と林名男医師が説明した。アメリカ・ハーバード大学は五万人ほどの、元々は痛風を罹っていなかった中年男性の健康状態を十二年間追跡調査した研究で次のことを発見した。肉類と海鮮の摂取が高い人ほど、痛風に罹る確率が高く、毎日一皿分の肉類が増えれば、痛風に罹患する確率が二十一%上がり、毎週一皿分の海鮮が増えると、確率は七%上がった。
研究報告によると、痛風を患った後、肉類の影響は更に顕著になり、腎臓の尿酸排出機能の低下が見られた。
またプリン体の含有量が多い食材でも、プラントベース飲食をしていれば、痛風の発症率に影響しないばかりか、むしろ発症しにくくなるとのことだ。豆類、きのこ類は高プリン食物に分類されているが、植物性プリンは肉類のものより代謝されやすいのである。
熱々の小豆スープは胃を温め、栄養が良い。各種豆類と穀物類を一緒に主食にすれば、一食でなくても、一日の内に食することができれば、相互の栄養成分を補うことができる。

漢方医の扶正(ふせい)と袪邪(きょじゃ)に学ぶ
腸内の善玉菌は菜食を好み、過度に加工されていないホールフードの全植物性飲食がベストな選択である。ルールに則って、中医学にある養生の知恵に学べば、「体質によって、季節によって」正しい食べ物を口にすることができる。
葉医師によれば、漢方での病気に対する基準は「正氣内存、邪不可干」(正しい気が体内にあれば、邪気は侵入できない)にある。人体は正気を形成して、外から来る邪気に抵抗する必要があると述べた。食べ物にはそれぞれ異なる属性と作用があり、人の体質も「虚、実、寒、熱」四種類の状況が交互に作用しており、自分にとって最適な飲食方法を見つけて、人体の中に正気を溜めてこそ、健康を維持できるのである。
葉医師は、種類と色、形の多様な食べ物を選択し、バランスの取れた飲食をするようアドバイスしている。中医学では食べ物を三種類に分けていると説明した。
寒涼性の食材には鎮静、清熱、瀉火、解毒作用があり、熱性体質者に適しており、不眠や腫れ、炎症を改善することができる。例えば、アワ、緑豆、苦瓜、ヘチマ、トマト、グレープフルーツなどである。
辛い物や温性・熱性の種類は、体を温める作用があり、体質が寒証の人に適していて、衰退沈滞、貧血萎縮の機能を改善する。例えば、もち米、ニラ、パクチー、リュウガン、ライチなどである。
あっさりしていて吸収し易い種類は、平性な食べ物で、一般の人の食用に適しており、寒・熱証どちらの体質でも摂って良い。例えば、トウモロコシ、小豆、ほうれん草、ブロッコリーなどがある。
体質に適応すると同時に、季節に合わせ正しく食する必要がある。時と場所に合わせて旬の物を食し、「五臓応四時、各有収受」(五臓は四時に応じ、それぞれに帰属する)と言われ、大自然の法則に順応して養生するのである。台北慈済病院中医部の寥振凱(リャォ・ヅンカイ)医師は、節気の五色の食べ物に順応すれば、人体と大自然の環境が呼応して、食療の最大効果を発揮することができる、と指摘した。
時節が秋になると、白色の食べ物を多く食するのは、中医学の五臓の概念では肺臓にとって有益である。例えば、長芋、百合、シロキクラゲ、白菜などである。冬は黒色の食べ物を多く食せば、腎臓にとって有益である。例えば、黒豆、黒ゴマ、きのこ、海苔、昆布、キクラゲなどである。春の訪れを待てば、命が芽吹き、肝臓にとって有益な緑色の食べ物が豊富となる。例えば、ほうれん草、緑豆、枝豆、アスパラガスなどがある。
心臓は、中医学の五行の中の火に属し、その色は、同じく中医学の五色では赤に当たる。初夏には赤色の食べ物を多く食せば心臓にとって有益で、例えば、にんじん、小豆、レッドキヌア、ビートルート、クコの実、ナツメなどである。長い夏には中医学の五臓で言う脾臓(消化器系)を養う黄色の食べ物を多く食するようにする。例えば、大豆、かぼちゃ、さつま芋、くり、ハスの実などである。
細菌やウイルスは至る所に存在するのだから、養生に努めれば、病気に罹りにくくなる。レジリエンス(回復力)の高い体質にするには、正しく食することがその方法の一つである。身心を調和させ、環境ともバランスを取り、肉食を減らし、野菜を多く摂り、体の免疫力を高めて万が一の時に備えよう!
(慈済月刊六八三期より)

『黄帝内経(こうていだいけい、中国最古の医学書)』曰く、「五穀為養」(五穀は体を養う)」。五穀に多様な食材を加え、オールプラントベース食は栄養の需要を満たす。


腸は人体最大の免疫器官であり、毎日体内では防衛戦が繰り広げられている。
新種の伝染病に対処するには、免疫力を高めることが重要であり、最尖端の武器は必要ない。日常の食卓に上るご飯や野菜・果物・豆類が
即ち、千日かけて軍を起こし、有事の際に備える功労者なのである。
コロナ禍が落ち着いて暫く経つが、各項目の規制も緩和され、マスクは必需品ではなくなり、人々はすでにウイルスと共存している。しかし、新種の伝染病が消えたわけではなく、次のウイルスが数日もしないうちに世界の脅威になるかもしれない。如何にすれば体の免疫力を高めて英気を養い、次の伝染病に対処できるのだろうか?
「一九七〇年代以降、世界は何度も新種伝染病に見舞われました。七割以上は人畜共通の伝染病で、多くは私たちの飲食行為と関連があります」と大林慈済病院副院長の林名男(リン・ミンナン)医師が指摘した。病気に対抗するには、飲食の仕方を変えることが必須である。
毎日、体内では攻防戦が繰り広げられている。人体の免疫システムの中で、腸は最大の免疫器官である。林医師によると、人体の七割の免疫細胞は腸内にあり、食べ物が入ると、栄養は腸から吸収されて血液内に送られる。細菌やウイルス等の病原体も食べ物と一緒に消化器官に入るが、その時、T細胞、マクロファージ、ナチュラルキラー細胞等腸内の免疫大軍が、病原体を呑み込み、敵を消滅させるのである。
如何にして腸の免疫機能を高めるか?林医師は、腸内細菌のバランスが崩れると、いくつかの病気の原因になるので、免疫力を高めるには、腸内の善玉菌を増やすことが必要だ、と言った。プラントベース食には豊富な食物繊維が含まれており、腸内の微生物にとって重要な栄養源なのである。腸内の善玉菌は食物繊維を代謝して発酵させた後、短鎖脂肪酸及び他の生物を活性させる物質を生み出し、短鎖脂肪酸が免疫力を高め、病原体に対抗して、体の炎症を和らげることができるのである。
食物繊維に富んだ五穀、野菜、果物は、正に体の免疫力を守る重要な鍵を握っており、「全植物性飲食は私たちの腸内環境を変えることができるので、メリットがたくさんあります」。

全穀類、豆類、ナッツ類、野菜、果物には豊富な食物繊維が含まれている。セルロースは人体では消化できないが、腸の蠕動を助けることができ、腸の粘膜細胞を守り、さらに腸内の善玉菌の最良の食べ物となる。
飲食の中で食物繊維が不足すると、腸内の善玉菌が減り、悪玉菌が増え、粘膜を侵すようになる。粘膜は腸壁の第一の防御線である。粘膜が丈夫でないと、病原菌が腸の上皮細胞を侵し易くなり、ひいては炎症を起こして、免疫システムに影響する。
植物性タンパク質は頼もしい仲間
抵抗力をつけるには、同時にタンパク質が必要で、タンパク質は免疫系統にとって優秀な仲間なのである。林医師によれば、タンパク質の主な功能は、筋肉、皮膚、神経伝達物質等を含む、組織の形成のみならず、健康維持に必要な各種抗体をも作っている。例えば、体が細菌やウイルスに対抗する場合の免疫グロブリンは、とても重要な抗体で、免疫システムの正常な働きを維持しており、体内で分泌されている何千種もの化学反応に必要な酵素の主成分もタンパク質なのである。
どの食べ物に豊富なタンパク質が含まれているのか?専門家によって説は分かれるが、伝統的な概念では動物性タンパク質が植物性タンパク質より「優れて」おり、栄養価が高い、と言われて来た。科学的に見て、本当にそうなのだろうか?
「一部の動物性タンパク質には免疫に影響する物質があって、逆に体の炎症反応を引き起こしやすくしてしまいます」と林医師が説明した。アメリカ癌研究センター及び世界癌研究基金会が二〇〇七年に発表した報告によると、赤肉や加工肉には大腸がんを引き起こすグループ1とグループ2Aの発がん性物質が含まれていることを確認した。
この報告は八十七件の研究の分析を基にしており、一致した結論として、赤肉の摂取量が増えると、大腸がんに罹る確率(罹患率)も高くなるということである。赤肉が心血管疾患と癌による死亡率を上げ、すい臓がんや食道がん、胃がんなど他のがんにもなりやすいことは、早くからすでに多くの科学文献で実証されている。
三義慈済中医病院院長の葉家舟(イェ・ジヤヅォウ)医師は次のように説明した。肉類を食べると、同時に動物の体内に蓄積されていた、各種毒素を摂取していることになる。例えば、深海魚の生物蓄積による重金属は、多様な疾患を引き起こす。「大学院に通っていた頃、ある会食の席で、ある人が豚のレバースープを頼んだのですが、ある病理科医師が暫くスプーンで掻き回し、結局食べるのをやめてしまいました。皆が不思議に思っていると、彼はこの豚は肝臓がんを発症しており、肝臓に硬い部分が見えると言いました」。
コロナ禍の間、六カ国の二千八百八十四人の医療従事者の飲食習慣の統計を出したところ、非菜食者、菜食者を問わず、感染確率はほぼ同じだったが、さらに分析していくと、菜食者の重症化率が、なんと七十三%も低くかったのである。
豆製品、きのこ類を誤解しないでほしい
「食べ物は私たちのお腹を満たすだけでなく、生理や心理状態にも影響し、病気の予防や健康維持にも役立ちます」。積極的に全植物性飲食を広めている栄養士の高韻均(ガオ・ユンジュン)さんの著作『特定栄養素を補う全植物性菜食料理』の中で、適切な組み合わせであれば、全植物性飲食は体に必要なあらゆる栄養素を満たすことができる、と書いている。
人体は二十種のアミノ酸が必要であり、その内の九種類は体の中で生成することができない。それらは食べ物から得る必要があり、「必須アミノ酸」と呼ばれている。異なる供給源のタンパク質は、アミノ酸に分解される。互いに補完する原則が分かれば、完璧で豊富な栄養を得ることができる。
例えば主食の米、麦等の穀物類は、「リシン」の含有量は少ないが、「メチオニン」を豊富に含む。ひよこ豆、小豆、緑豆、藤豆等の豆類は、「メチオニン」の含有量は少ないが、「リシン」の含有量が豊富なので、豆類と穀物類を組み合わせて主食にすれば、得られるアミノ酸を相互補完することができ、タンパク質の摂取効率を高めると言える。そして、いわゆる「相互補完」とは、一食に限定したものではなく、一日の内であれば良い。
菜食者のタンパク質の供給源の一つが大豆である。「大衆はプラントベース飲食に対して少し誤解があると思います。例えば、『痛風の人は大豆を食べてはいけない』といううわさは、実は間違っています」と林名男医師が説明した。アメリカ・ハーバード大学は五万人ほどの、元々は痛風を罹っていなかった中年男性の健康状態を十二年間追跡調査した研究で次のことを発見した。肉類と海鮮の摂取が高い人ほど、痛風に罹る確率が高く、毎日一皿分の肉類が増えれば、痛風に罹患する確率が二十一%上がり、毎週一皿分の海鮮が増えると、確率は七%上がった。
研究報告によると、痛風を患った後、肉類の影響は更に顕著になり、腎臓の尿酸排出機能の低下が見られた。
またプリン体の含有量が多い食材でも、プラントベース飲食をしていれば、痛風の発症率に影響しないばかりか、むしろ発症しにくくなるとのことだ。豆類、きのこ類は高プリン食物に分類されているが、植物性プリンは肉類のものより代謝されやすいのである。
熱々の小豆スープは胃を温め、栄養が良い。各種豆類と穀物類を一緒に主食にすれば、一食でなくても、一日の内に食することができれば、相互の栄養成分を補うことができる。

漢方医の扶正(ふせい)と袪邪(きょじゃ)に学ぶ
腸内の善玉菌は菜食を好み、過度に加工されていないホールフードの全植物性飲食がベストな選択である。ルールに則って、中医学にある養生の知恵に学べば、「体質によって、季節によって」正しい食べ物を口にすることができる。
葉医師によれば、漢方での病気に対する基準は「正氣内存、邪不可干」(正しい気が体内にあれば、邪気は侵入できない)にある。人体は正気を形成して、外から来る邪気に抵抗する必要があると述べた。食べ物にはそれぞれ異なる属性と作用があり、人の体質も「虚、実、寒、熱」四種類の状況が交互に作用しており、自分にとって最適な飲食方法を見つけて、人体の中に正気を溜めてこそ、健康を維持できるのである。
葉医師は、種類と色、形の多様な食べ物を選択し、バランスの取れた飲食をするようアドバイスしている。中医学では食べ物を三種類に分けていると説明した。
寒涼性の食材には鎮静、清熱、瀉火、解毒作用があり、熱性体質者に適しており、不眠や腫れ、炎症を改善することができる。例えば、アワ、緑豆、苦瓜、ヘチマ、トマト、グレープフルーツなどである。
辛い物や温性・熱性の種類は、体を温める作用があり、体質が寒証の人に適していて、衰退沈滞、貧血萎縮の機能を改善する。例えば、もち米、ニラ、パクチー、リュウガン、ライチなどである。
あっさりしていて吸収し易い種類は、平性な食べ物で、一般の人の食用に適しており、寒・熱証どちらの体質でも摂って良い。例えば、トウモロコシ、小豆、ほうれん草、ブロッコリーなどがある。
体質に適応すると同時に、季節に合わせ正しく食する必要がある。時と場所に合わせて旬の物を食し、「五臓応四時、各有収受」(五臓は四時に応じ、それぞれに帰属する)と言われ、大自然の法則に順応して養生するのである。台北慈済病院中医部の寥振凱(リャォ・ヅンカイ)医師は、節気の五色の食べ物に順応すれば、人体と大自然の環境が呼応して、食療の最大効果を発揮することができる、と指摘した。
時節が秋になると、白色の食べ物を多く食するのは、中医学の五臓の概念では肺臓にとって有益である。例えば、長芋、百合、シロキクラゲ、白菜などである。冬は黒色の食べ物を多く食せば、腎臓にとって有益である。例えば、黒豆、黒ゴマ、きのこ、海苔、昆布、キクラゲなどである。春の訪れを待てば、命が芽吹き、肝臓にとって有益な緑色の食べ物が豊富となる。例えば、ほうれん草、緑豆、枝豆、アスパラガスなどがある。
心臓は、中医学の五行の中の火に属し、その色は、同じく中医学の五色では赤に当たる。初夏には赤色の食べ物を多く食せば心臓にとって有益で、例えば、にんじん、小豆、レッドキヌア、ビートルート、クコの実、ナツメなどである。長い夏には中医学の五臓で言う脾臓(消化器系)を養う黄色の食べ物を多く食するようにする。例えば、大豆、かぼちゃ、さつま芋、くり、ハスの実などである。
細菌やウイルスは至る所に存在するのだから、養生に努めれば、病気に罹りにくくなる。レジリエンス(回復力)の高い体質にするには、正しく食することがその方法の一つである。身心を調和させ、環境ともバランスを取り、肉食を減らし、野菜を多く摂り、体の免疫力を高めて万が一の時に備えよう!
(慈済月刊六八三期より)

『黄帝内経(こうていだいけい、中国最古の医学書)』曰く、「五穀為養」(五穀は体を養う)」。五穀に多様な食材を加え、オールプラントベース食は栄養の需要を満たす。

心と手とを同期して菩薩道を進む

初心の「仏心師志」を忘れず、
発心立願して和気藹々と助け合いましょう。
群衆に混じって心を寄せ合い、
心に法水を入れて良縁を結びましょう。
心と手とを同期して菩薩道を歩めば、
いつの世にも幸福をもたらすでしょう。
初心の「仏心師志」を忘れず、発心立願して和気藹々と助け合いましょう。
群衆に混じって心を寄せ合い、心に法水を入れて良縁を結びましょう。
心と手とを同期して菩薩道を歩めば、いつの世にも幸福をもたらすでしょう。


初心の「仏心師志」を忘れず、
発心立願して和気藹々と助け合いましょう。
群衆に混じって心を寄せ合い、
心に法水を入れて良縁を結びましょう。
心と手とを同期して菩薩道を歩めば、
いつの世にも幸福をもたらすでしょう。
初心の「仏心師志」を忘れず、発心立願して和気藹々と助け合いましょう。
群衆に混じって心を寄せ合い、心に法水を入れて良縁を結びましょう。
心と手とを同期して菩薩道を歩めば、いつの世にも幸福をもたらすでしょう。

世界に目を向ける
ハワイの森林火災
資料提供・アメリカ慈済ボランティア
訳・心嫈
ハワイの有名な観光地であるマウイ島で八月八日、森林火災が発生した。当日は、ハリケーン‧ドーラがハワイ南部を通過したため、強風が火災の蔓延を助長し、一万二千人が住むラハイナの町は、八割以上の建物が焼失し、九十七人が死亡し、九月中旬の統計では、三十七人が行方不明になっている。
アメリカ全土の慈済人は支援募金を呼びかけ、慈済災害支援チームは、八月二十七日からラハイナでプリペイドカードを配付すると共に、被災住民と交流して、ニーズを聞き取った。多くの住民は、着のみ着のまま火災から逃れたため、現金をチャージしたプリペイドカードで日用品を購入し、急場を凌いだ。ボランティアはまた、エコ毛布と花輪を贈呈して関心を寄せた。九月十七日までの統計によると、四回の配付活動で千五百九十三世帯を支援した。
(慈済月刊六八三期より)
豪雨で大きな被害をもたらした仁愛郷
崩れた山道で安らぎを届ける
文・邱智慧、施金魚、蔡鳳宝、林恵芳(南投慈済ボランティア)
訳・心嫈
八月上旬、台風六号(カーヌン)の外側の気流によって連日の集中豪雨がもたらされ、南投県仁愛郷は甚大な被害を受けた。土石流が道路を押し流し、多数の村落は外部との連絡が断たれて、陸の孤島となったため、支援が待たれた。慈済基金会は南投県政府及びスーパーマーケットのカルフールと協力して、八月六日に一‧七トンの民生物資を提供し、住民の基本的な生活ニーズを維持するため、ヘリコプターで山間地帯に投下した。
崩れた道路が区間ごとに開通すると、八月八日から、ボランティアは南豊村、春陽村、親愛村など被害が深刻な集落で調査を行い、被災者の家庭を訪問して、心を込めた支援を継続的に山間の集落に送った。
災害から一週間が経過しても、多くの村民の家は依然として泥の中に埋もれたままだったため、土石や岩を取り除くために大型機具を投入したり、軍隊が出動して土砂を取り除いた。南豊村の或る家に泥流が流れ込み、高齢の母親と障害のある息子は、被害の後片付けができなかったので、避難した母子が早く家に戻れるよう、慈済ボランティアが自ら掃除道具を持参し、小型のショベルカーで泥の除去を手伝った。
慈済ボランティアは、連日のように各集落の被災世帯を訪問し、ケアとともにニーズに応え、證厳法師からの励ましの手紙と義援金を手渡した。住民は、土石流が家の前に流れてきた時の光景を思い返すと、今でも平静でいられず、慈済基金会の心遣いと支援を受けると、感動の涙を流した。八月二十一日まで、ボランティアは五つの村で九十九世帯を訪問した。今後も生活支援、医療、教育の助学金、住まいの確保などのケアを継続する。
(慈済月刊六八二期より)
集落幼稚園 第一期の卒業生
文・袁亜棋(南アフリカ慈済ボランティア)
訳・心嫈
ピンク色の壁には数字、英語のアルファベット、チェワ語の文字が描かれており、マラウイのブランタイヤにある集落、チゴジョでは、慈済ボランティアが砂利、レンガ、セメントを募って「給食のある幼稚園」を建てた。子供たちはここで学習し、卒業証書をもらうと、地元の公立小学校に入学することができる。
今まで、チゴジョには幼稚園がなく、就学前の子供たちは徒歩で他の集落へ通わなければならなかった。二○二一年、現地の慈済ボランティアは、質素な造りの教会での「給食のある幼稚園」の開設に協力した。ところが、半年も経たないうちに、サイクロンの強風と豪雨で壊れてしまった。今年初めに教室と調理場が完成し、学校が再開された。毎日百人以上の子供が通い、七月には第一期の卒業生が誕生した。
(慈済月刊六八三期より)

ハワイの森林火災
資料提供・アメリカ慈済ボランティア
訳・心嫈
ハワイの有名な観光地であるマウイ島で八月八日、森林火災が発生した。当日は、ハリケーン‧ドーラがハワイ南部を通過したため、強風が火災の蔓延を助長し、一万二千人が住むラハイナの町は、八割以上の建物が焼失し、九十七人が死亡し、九月中旬の統計では、三十七人が行方不明になっている。
アメリカ全土の慈済人は支援募金を呼びかけ、慈済災害支援チームは、八月二十七日からラハイナでプリペイドカードを配付すると共に、被災住民と交流して、ニーズを聞き取った。多くの住民は、着のみ着のまま火災から逃れたため、現金をチャージしたプリペイドカードで日用品を購入し、急場を凌いだ。ボランティアはまた、エコ毛布と花輪を贈呈して関心を寄せた。九月十七日までの統計によると、四回の配付活動で千五百九十三世帯を支援した。
(慈済月刊六八三期より)
豪雨で大きな被害をもたらした仁愛郷
崩れた山道で安らぎを届ける
文・邱智慧、施金魚、蔡鳳宝、林恵芳(南投慈済ボランティア)
訳・心嫈
八月上旬、台風六号(カーヌン)の外側の気流によって連日の集中豪雨がもたらされ、南投県仁愛郷は甚大な被害を受けた。土石流が道路を押し流し、多数の村落は外部との連絡が断たれて、陸の孤島となったため、支援が待たれた。慈済基金会は南投県政府及びスーパーマーケットのカルフールと協力して、八月六日に一‧七トンの民生物資を提供し、住民の基本的な生活ニーズを維持するため、ヘリコプターで山間地帯に投下した。
崩れた道路が区間ごとに開通すると、八月八日から、ボランティアは南豊村、春陽村、親愛村など被害が深刻な集落で調査を行い、被災者の家庭を訪問して、心を込めた支援を継続的に山間の集落に送った。
災害から一週間が経過しても、多くの村民の家は依然として泥の中に埋もれたままだったため、土石や岩を取り除くために大型機具を投入したり、軍隊が出動して土砂を取り除いた。南豊村の或る家に泥流が流れ込み、高齢の母親と障害のある息子は、被害の後片付けができなかったので、避難した母子が早く家に戻れるよう、慈済ボランティアが自ら掃除道具を持参し、小型のショベルカーで泥の除去を手伝った。
慈済ボランティアは、連日のように各集落の被災世帯を訪問し、ケアとともにニーズに応え、證厳法師からの励ましの手紙と義援金を手渡した。住民は、土石流が家の前に流れてきた時の光景を思い返すと、今でも平静でいられず、慈済基金会の心遣いと支援を受けると、感動の涙を流した。八月二十一日まで、ボランティアは五つの村で九十九世帯を訪問した。今後も生活支援、医療、教育の助学金、住まいの確保などのケアを継続する。
(慈済月刊六八二期より)
集落幼稚園 第一期の卒業生
文・袁亜棋(南アフリカ慈済ボランティア)
訳・心嫈
ピンク色の壁には数字、英語のアルファベット、チェワ語の文字が描かれており、マラウイのブランタイヤにある集落、チゴジョでは、慈済ボランティアが砂利、レンガ、セメントを募って「給食のある幼稚園」を建てた。子供たちはここで学習し、卒業証書をもらうと、地元の公立小学校に入学することができる。
今まで、チゴジョには幼稚園がなく、就学前の子供たちは徒歩で他の集落へ通わなければならなかった。二○二一年、現地の慈済ボランティアは、質素な造りの教会での「給食のある幼稚園」の開設に協力した。ところが、半年も経たないうちに、サイクロンの強風と豪雨で壊れてしまった。今年初めに教室と調理場が完成し、学校が再開された。毎日百人以上の子供が通い、七月には第一期の卒業生が誕生した。
(慈済月刊六八三期より)

仏恩、師の恩、両親の恩

(絵・陳九熹)
仏陀の故郷にお返しすることが、仏恩に報いることです。
また両親の恩に報いることでもあり、両親より授かったこの身をもって、人間(じんかん)で良いことをするのです。
私は師の恩に報いなければなりませんから、「仏教の為、衆生の為」の教えを守るため、現在に至るまで尽力して皆さんにお話をしているのです。
人間(じんかん)の一点一滴の力を集めて 団結するように呼びかけることで、苦難と困窮にあるこの世を立て直すことができるのです。
全ては時によって成就します。慈済が行っている四大志業が台湾で深く根を下ろしているのは、生い茂った大樹のようなものです。最近、各志業体の職員が帰って来て話をしてくれるのですが、幼い頃に両親や目上の人に連れられて精舎に来たか、或いは両親が慈済に勤めていた関係で、大愛幼稚園、慈済小・中学校、慈済科技大学や慈済大学を卒業し、今は志業体に勤めている、と多くの青年職員が言っています。そして、慈済人の家庭のお子さん、或いは慈済の学校の卒業生が、今は既に志業体の役職に就いているのです。
こういう話を聞いて、私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。そして、五十数年歩んできた慈済の道を見つめ直すと、まだ道のできていなかった原点から人々に呼びかけたのですが、当時ははっきりとした声量だったため、縁のある人たちはそれを聞き入れました。その縁が成就し、皆さんが私の声に応えて足並みを揃えて前進してくれたおかげで、ここまで来られたのです。一粒の種が無量の種を生み出し、その無量の種が四方に蒔かれ、今では五大陸全てに慈済人がいます。
もっと嬉しいのは、一粒一粒の種のDNAが変わることなく、純真で誠実なままなのです。人々の心が慈済の法に触れると、敬虔の念を持って自ら実践するようになるのです。最初の一歩を踏み出さなければ、力を尽くすことはできません。踏み出せば力が出て、遠くまで歩いて道をさらに広げることができます。五十年来、慈済の道は実に広くなりました。慈済人は法師である私の願いを達成させるために、とても誠実に、また積極的に志業を遂行し、そして世界で多くの良い縁を成就させております。
私たちは仏陀の教えに努め励みつつ、仏陀の正法が再び仏陀の故郷に帰るようにと願っております。マレーシアとシンガポールのボランティアは、既にかなりの期間、ネパールとインドに滞在し、仏陀の故郷の住民にとって、慈済の制服姿は見慣れたものになっており、慈済人は町から村へ、愛の心を以て道を切り開いて来ました。今では、現地の女性たちの中に、慈済人の姿を見ると近づいて来て抱擁するようになり、以前は想像だにできなかった事です。というのも、現地のカースト制度の観念が深く根付いていて、女性は地位が低いので、外部の人に触れることはしません。今はこのように心を開いて、自分から慈済人に近づいており、容易なことではありません。それは、慈済人が先に愛を以て奉仕したことで、女性たちが安心して慈済人と交流することができるようになったのです。慈済人が愛で以て包容した賜物と言えます。
シンガポールとマレーシアのボランティアは、菩薩の使者となって、先ずネパールのルンビニで道を切り開き、仏法教育の法門の扉を開けました。慈善を基本に、次いで医療、教育、人文の四大志業を展開したのです。将来、仏陀生誕の地に静思堂が建つことを願っています。世界の慈済人に、仏陀の故郷に我が家があるようにし、現地の人たちを束ねて、皆で「家」を護り、仏法の教義を定着させてほしいものです。
皆で発願して、心を込めて力を出し、仏陀の故郷に恩返しするという誠意も功徳無量です。世界の慈済人は、それが私の心願だと知って、心から応えてくれています。ネパールとインドの人たちまでが、ミャンマーの農民の米貯金や竹筒貯金の精神を学び、僅かな力ながら結集して、皆で愛の心を発揮しています。これらの映像を見ると、私はとても満足し、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。このようにして、慈済人は絶えず各地で、民衆が発心して力を尽くすよう導いています。皆の力が集まれば、世界中の貧しい人たちも、ネパールのこの村のような極貧の生活を立て直すことができるのです。
仏教徒として、私たちは仏恩に報いなければなりません。私自身も、師の恩に報い、親の恩に報いることであり、親から授かったこの身で以て、人間(じんかん)で良い事をしています。その上で、恩師が私に下さった「仏教の為、衆生の為」という教えを実行しなければなりません。ですから今に至るまで、私は力を尽くして皆さんにお話ししてきました。たとえ牛車を引っ張る力がなくても、私は傍で皆さんに語りかけることができます。着実に歩みを進めるには、一分でも多くの力が必要なのです。皆さんが心を一つに、時間をかけ、根気よく続ければ、必ずや牛車を須彌山に押し上げることができるのです。(出典:「伝承静思法脈、弘揚慈済宗門」精進研修セミナーの終わりの開示記録より)
(慈済月刊六八四期より)


(絵・陳九熹)
仏陀の故郷にお返しすることが、仏恩に報いることです。
また両親の恩に報いることでもあり、両親より授かったこの身をもって、人間(じんかん)で良いことをするのです。
私は師の恩に報いなければなりませんから、「仏教の為、衆生の為」の教えを守るため、現在に至るまで尽力して皆さんにお話をしているのです。
人間(じんかん)の一点一滴の力を集めて 団結するように呼びかけることで、苦難と困窮にあるこの世を立て直すことができるのです。
全ては時によって成就します。慈済が行っている四大志業が台湾で深く根を下ろしているのは、生い茂った大樹のようなものです。最近、各志業体の職員が帰って来て話をしてくれるのですが、幼い頃に両親や目上の人に連れられて精舎に来たか、或いは両親が慈済に勤めていた関係で、大愛幼稚園、慈済小・中学校、慈済科技大学や慈済大学を卒業し、今は志業体に勤めている、と多くの青年職員が言っています。そして、慈済人の家庭のお子さん、或いは慈済の学校の卒業生が、今は既に志業体の役職に就いているのです。
こういう話を聞いて、私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。そして、五十数年歩んできた慈済の道を見つめ直すと、まだ道のできていなかった原点から人々に呼びかけたのですが、当時ははっきりとした声量だったため、縁のある人たちはそれを聞き入れました。その縁が成就し、皆さんが私の声に応えて足並みを揃えて前進してくれたおかげで、ここまで来られたのです。一粒の種が無量の種を生み出し、その無量の種が四方に蒔かれ、今では五大陸全てに慈済人がいます。
もっと嬉しいのは、一粒一粒の種のDNAが変わることなく、純真で誠実なままなのです。人々の心が慈済の法に触れると、敬虔の念を持って自ら実践するようになるのです。最初の一歩を踏み出さなければ、力を尽くすことはできません。踏み出せば力が出て、遠くまで歩いて道をさらに広げることができます。五十年来、慈済の道は実に広くなりました。慈済人は法師である私の願いを達成させるために、とても誠実に、また積極的に志業を遂行し、そして世界で多くの良い縁を成就させております。
私たちは仏陀の教えに努め励みつつ、仏陀の正法が再び仏陀の故郷に帰るようにと願っております。マレーシアとシンガポールのボランティアは、既にかなりの期間、ネパールとインドに滞在し、仏陀の故郷の住民にとって、慈済の制服姿は見慣れたものになっており、慈済人は町から村へ、愛の心を以て道を切り開いて来ました。今では、現地の女性たちの中に、慈済人の姿を見ると近づいて来て抱擁するようになり、以前は想像だにできなかった事です。というのも、現地のカースト制度の観念が深く根付いていて、女性は地位が低いので、外部の人に触れることはしません。今はこのように心を開いて、自分から慈済人に近づいており、容易なことではありません。それは、慈済人が先に愛を以て奉仕したことで、女性たちが安心して慈済人と交流することができるようになったのです。慈済人が愛で以て包容した賜物と言えます。
シンガポールとマレーシアのボランティアは、菩薩の使者となって、先ずネパールのルンビニで道を切り開き、仏法教育の法門の扉を開けました。慈善を基本に、次いで医療、教育、人文の四大志業を展開したのです。将来、仏陀生誕の地に静思堂が建つことを願っています。世界の慈済人に、仏陀の故郷に我が家があるようにし、現地の人たちを束ねて、皆で「家」を護り、仏法の教義を定着させてほしいものです。
皆で発願して、心を込めて力を出し、仏陀の故郷に恩返しするという誠意も功徳無量です。世界の慈済人は、それが私の心願だと知って、心から応えてくれています。ネパールとインドの人たちまでが、ミャンマーの農民の米貯金や竹筒貯金の精神を学び、僅かな力ながら結集して、皆で愛の心を発揮しています。これらの映像を見ると、私はとても満足し、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。このようにして、慈済人は絶えず各地で、民衆が発心して力を尽くすよう導いています。皆の力が集まれば、世界中の貧しい人たちも、ネパールのこの村のような極貧の生活を立て直すことができるのです。
仏教徒として、私たちは仏恩に報いなければなりません。私自身も、師の恩に報い、親の恩に報いることであり、親から授かったこの身で以て、人間(じんかん)で良い事をしています。その上で、恩師が私に下さった「仏教の為、衆生の為」という教えを実行しなければなりません。ですから今に至るまで、私は力を尽くして皆さんにお話ししてきました。たとえ牛車を引っ張る力がなくても、私は傍で皆さんに語りかけることができます。着実に歩みを進めるには、一分でも多くの力が必要なのです。皆さんが心を一つに、時間をかけ、根気よく続ければ、必ずや牛車を須彌山に押し上げることができるのです。(出典:「伝承静思法脈、弘揚慈済宗門」精進研修セミナーの終わりの開示記録より)
(慈済月刊六八四期より)

正念でストレス軽減─いつでもできる心身のセルフケア

「正念」によるストレス軽減を練習すると、炎症反応を抑えられることが実証され、免疫力も高まった。
しかも、何時どこでもできるセルフケアだ。
「念」とは、「今」と「心」を組み合わせた字である。
今この時を生き、この瞬間に集中しよう。
「あなたが目の前の青い空と白い雲を最後に見てから今日まで、どれほどの時間が経ちましたか」。講演で来場者にこう尋ねると、決まって半分以上の人が、空を見上げていない。また、「交差点の信号機の色は、どの順番で並んでいますか」とも尋ねるそうだ。
臨床心理カウンセラーの石世明(スー・スミン)氏は、いつも簡単な質問をして、人々に注意力を促す。
慌ただしい生活の中では、心も常に慌ただしい。AのことをしながらBを考えたり、BのことをしながらCを考えたりすることがよくある。心身は「自動操縦」の状態にして、注意力は他の方向に行ってしまい、思考はよく過去や未来の中に陥ってしまう。ストレスを感じると、ネガティブな経験が出現し、知らず知らずのうちに自分の思い込みに囚われてしまう。
四十歳を過ぎた理学療法士のAさんは、一年前に、ステージ4の卵巣ガンと診断されたが、彼女は勇敢に十回にわたる化学療法の治療を受けた。それは体の正常な細胞を破壊する負担の大きい治療であったが、再発の心配が影のように付きまとっていた。特に、再診に行く前夜はとても不安になり、一晩中眠れないことも多く、睡眠導入剤に頼らなければならなかった。
今年の四月から彼女は「正念」を学び始めた。意図的に注意力を今この瞬間に集中し、正念で呼吸して、歩く時も一歩一歩に集中する。ネガティブな考えが起きると、すぐ呼吸に注意を戻し、「考えは単なる考えであり、事実ではない、本当の事と思ってはいけない」と自分に言い聞かせる。そして、毎日寝る前に、その日の楽しい出来事と感謝すべきことを十個書いている。
二カ月の正念快眠コースに参加していた間、彼女は毎日服用していた睡眠導入剤の量を一錠から半錠、更に四分の一に減らすことができた。以前は夜中に何度も目が覚めていたが、やがて六時間半も眠れるようになった。もっと重要なのは、以前は緊張した状態が一日中続き、何もやる気がしなかったが、今は心が落ち着き、雑念もなくなって、再診の報告書にも病状が落ち着いていると書かれてある。
身体と心と意識は相互に影響し合っている。心が煩悩や憂慮から解き放たれると、体もそれに応じて変化していく。
眼、耳、鼻、舌、身の五官で感じ取る。口の中で一粒の干しぶどうを咀嚼した時、何を感じ、どういう味がしたか?正念コースはこのように、集中力と観察力を訓練している。

正念によるストレス軽減を伝統的治療に取り入れる
一九七九年、アメリカ・マサチューセッツ工科大学の分子生物学のジョン・カバットジン博士は、禅の修行法とその教えを取り入れて、当大学付属病院にストレス軽減外来を開設した。先ず、八週間の「マインドフルネスストレス低減コース」で患者はストレスを和らげ、痛みと病に苦しむ心理を整える。その療法による患者への治療効果は、当時の医療や薬物で処置できる範囲以上に及んだので、各方面から認められた。
この療法は今では医療の選択肢の一つとなっている。アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの医療機関では、少なくとも七百二十以上の正念療法に関連したコースが開設されている。
石氏は、カバットジン博士のマインドフルネスストレス低減心身医学の専門訓練に参加したことがある。石氏は次のように説明した。イギリスの臨床心理学者が正念療法を伝統的なうつ病治療に取り入れ、二十年にわたる研究と検証の結果、正念による認知療法が三回あるいは三回以上のうつ病再発に予防効果があることが分かった。
著名なカナダ・カルガリー大学の心理社会腫瘍学准教授のカールソン博士は、カバットジン博士の実践方法を基礎に、「マインドフルネスによる癌回復コース」を作成した。癌患者が経験する様々な心身症状が効果的に緩和できると同時に、このような訓練が免疫システムを強化し、炎症指数を下げることを発見した。
しかし、正念とは何なのか?なぜストレスを軽減し、免疫システムにまで影響を及ぼすことができるのか?
生活の中ではいつも、思いがあらぬ方向に行ってしまう。正念の練習は、毎日十分間だけでも、注意を一箇所に定めるようにすれば良い、と臨床心理士の石氏が説明した。例えば、呼吸に意識を向け、自然に行なって、心の専念を練習するのである。

欧米の「マインドフルネス」は、ポジティブ思考を指しているのではなく、宗教との関わりもない。ジョン・カバットジン博士によれば、「マインドフルネスとは、意図的に注意を目の前の事に向け、次から次へと移っていく瞬間の経験に対して評価せず、気づいて把握することである」と説明している。
注意を呼吸に集中し、空気が鼻から入って、腹部が膨らむのを感じ、呼吸するプロセス全体と体の感覚を感じ取るのである。もし注意力が逸れたら、優しくそれを引き戻せば良い。
慢性痛の程度が改善された
カバットジン博士は、マインドフルネスとは「意図的に目の前のことに集中し、一瞬また一瞬と現れる経験に対して、評価するのではなく、そこに生じたことを察することである」と言った。
「正念とは、ポジティブな思考或いは方向転換をするのではなく、見えるままに、心の働きが如何に影響するかを経験することです」。石氏によると、正念訓練は静座を通して、呼吸に意識を集中させ、ボディスキャン、正念の食事、正念の歩き方などを練習して、呼吸や眼、耳、鼻、舌、身の五官に意識を集中させることで、心の落ち着きを育むと共に、察知する力を育てることであり、慣性反応に支配された情緒の渦巻に心が引き込まれないようにすることである。
一般の人の、ストレスやネガティブな感情に対する習慣的な反応というのは、抑制や逃避又は積極的な前向き思考で打ち負かすというものだ。だが石氏は、正念による対処方法は「受容法」であり、湧きおこった考えや感情に抵抗しないと同時に、それらの考えや感情にも追随しないことだ、と強調した。カバットジン博士の名言は、「練習の時、注意力が無意識に何千回逸れても、優しく注意力を何千回もの呼吸に連れ戻す」である。優しい方法を使って、それまでの生活環境で形成された脳の連結反応を一歩一歩修正していくのである。
石氏は、「正念は患者が心の働きを察知するのを手助けします。心身に関する問題に対して、正念を元来の治療に取り入れることで、治療効果を強化したり上げたりすることができるからです」と指摘した。或るアメリカ国家衛生研究所の資金援助を得て、拒食症や過食症などの疾患に対する調査を行った臨床研究の報告では、正念の食事療法の練習により、無意識に行なっていた間違った食事パターンが変えられ、一口ずつ口に入る食べ物を察知し、体を健康にすることに役立った、と書かれてある。
体内のストレスホルモンや炎症反応が低下すると、生理、心理、脳、病気に対して、多くのプラス効果が出てくる。
「正念の練習によって、慢性的な痛みの程度を和らげることができます。その効果はコース修了後も暫く持続できます」。台北慈済病院の心身医学科主治医の李嘉富(リー・ジァフー)医師は、研究文献にも書かれてあるが、正念コースと正念認知療法は、関係する生理指標にも影響を及ぼす。例えば、血圧とストレスホルモンに関して、心血管疾患患者のストレス、憂鬱、不安の程度を軽減し、関節リウマチ患者の一部の症状を改善できた、と述べた。
正念は生活の中に取り入れることができる。臨床心理士の陳宜家氏は、正念でもって道を歩き、一歩ずつ地面を踏む感覚を感じ取る。食べる、飲む、洗濯する、車を運転するなど、全てが正念の練習になり得る、と説明している。

日常の美しい出来事を感じ取る
台北慈済病院は、心療内科や入院患者が心身のバランスを保てるようになることを期待して、二〇一四年に正念ストレス軽減コースを導入した。台北慈済病院心身医学科臨床心理士の陳宜家(ツン・イージァ)さんによると、臨床で一番よく見られる、憂鬱症とパニック障害は、体が常に戦闘状態の一歩手前にある、という。呼吸の練習を通して、長年習慣となっていたストレスに対する自動反応を調節することができる。過剰な交感神経の働きを抑え、副交感神経の働きを活発化させることで、緊張を解いて安定した状態にするのである。
陳さんはここ数年、多くの患者に付き添って、正念の練習を行なって来た。その結果、患者は自信が出て、内心の怒りが抑えられ、日常でも睡眠の質と食欲が改善された。
正念の練習では、その瞬間の、体の感覚や情緒、考え方などを含む経験に注意を払い、自分が今、何を経験しているのか、どれが核心となる信念から出てきたものかを鋭敏に察知するのである。
例えば、家事をして、夕食の支度を急いでいる時に、帰って来た子供の不機嫌な顔を見ると、心の中で「また何を起こしたのだろう」、「私はこんなに疲れているのに、この子はまた難しい顔をして…」という思いが浮かび、一言でも合わないと、衝突が始まってしまう。
目の前で遭遇した出来事に対して、空腹や疲れなどが、その瞬間の生理的な感じ方なのかどうかを識別すべきなのである。一時的な体の感覚や情緒、思考に引っ張られるのではなく、情緒の波によって引き起こされる苦痛を軽減することである。心を引き戻し、目の前の仕事をやり続けるか、或いは手を休めて相手の話をしっかり聞くべきである。「評価しない態度で、目の前で遭遇したことに目を向け、より多くの解決策を見つければ、人は冷静になり、ストレスに対応できるようになります」。
「正念の練習の目標の一つは、人々にこの瞬間または生活全体の中で、より多くの意識と存在感を培うことを助けるものです」。陳さんによれば、このような変化は、目の前の美しさを大切にし、楽しむようにさせ、正念の五感体験練習を通して、食べ物の味をじっくり味わい、雨の音を聞き、体に吹いてくる風を感じれば、もっと生活の中の美しい事柄に目を向けるようになるのだ。
一口ご飯を食べる度に、その味に注意を払い、生活のあらゆる行動の中で、思考を一瞬一瞬に集中することができれば、切り離された体と心を再び結び付け、誰でも心身の健康に努めることができるのである。
(慈済月刊六八三期より)


「正念」によるストレス軽減を練習すると、炎症反応を抑えられることが実証され、免疫力も高まった。
しかも、何時どこでもできるセルフケアだ。
「念」とは、「今」と「心」を組み合わせた字である。
今この時を生き、この瞬間に集中しよう。
「あなたが目の前の青い空と白い雲を最後に見てから今日まで、どれほどの時間が経ちましたか」。講演で来場者にこう尋ねると、決まって半分以上の人が、空を見上げていない。また、「交差点の信号機の色は、どの順番で並んでいますか」とも尋ねるそうだ。
臨床心理カウンセラーの石世明(スー・スミン)氏は、いつも簡単な質問をして、人々に注意力を促す。
慌ただしい生活の中では、心も常に慌ただしい。AのことをしながらBを考えたり、BのことをしながらCを考えたりすることがよくある。心身は「自動操縦」の状態にして、注意力は他の方向に行ってしまい、思考はよく過去や未来の中に陥ってしまう。ストレスを感じると、ネガティブな経験が出現し、知らず知らずのうちに自分の思い込みに囚われてしまう。
四十歳を過ぎた理学療法士のAさんは、一年前に、ステージ4の卵巣ガンと診断されたが、彼女は勇敢に十回にわたる化学療法の治療を受けた。それは体の正常な細胞を破壊する負担の大きい治療であったが、再発の心配が影のように付きまとっていた。特に、再診に行く前夜はとても不安になり、一晩中眠れないことも多く、睡眠導入剤に頼らなければならなかった。
今年の四月から彼女は「正念」を学び始めた。意図的に注意力を今この瞬間に集中し、正念で呼吸して、歩く時も一歩一歩に集中する。ネガティブな考えが起きると、すぐ呼吸に注意を戻し、「考えは単なる考えであり、事実ではない、本当の事と思ってはいけない」と自分に言い聞かせる。そして、毎日寝る前に、その日の楽しい出来事と感謝すべきことを十個書いている。
二カ月の正念快眠コースに参加していた間、彼女は毎日服用していた睡眠導入剤の量を一錠から半錠、更に四分の一に減らすことができた。以前は夜中に何度も目が覚めていたが、やがて六時間半も眠れるようになった。もっと重要なのは、以前は緊張した状態が一日中続き、何もやる気がしなかったが、今は心が落ち着き、雑念もなくなって、再診の報告書にも病状が落ち着いていると書かれてある。
身体と心と意識は相互に影響し合っている。心が煩悩や憂慮から解き放たれると、体もそれに応じて変化していく。
眼、耳、鼻、舌、身の五官で感じ取る。口の中で一粒の干しぶどうを咀嚼した時、何を感じ、どういう味がしたか?正念コースはこのように、集中力と観察力を訓練している。

正念によるストレス軽減を伝統的治療に取り入れる
一九七九年、アメリカ・マサチューセッツ工科大学の分子生物学のジョン・カバットジン博士は、禅の修行法とその教えを取り入れて、当大学付属病院にストレス軽減外来を開設した。先ず、八週間の「マインドフルネスストレス低減コース」で患者はストレスを和らげ、痛みと病に苦しむ心理を整える。その療法による患者への治療効果は、当時の医療や薬物で処置できる範囲以上に及んだので、各方面から認められた。
この療法は今では医療の選択肢の一つとなっている。アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの医療機関では、少なくとも七百二十以上の正念療法に関連したコースが開設されている。
石氏は、カバットジン博士のマインドフルネスストレス低減心身医学の専門訓練に参加したことがある。石氏は次のように説明した。イギリスの臨床心理学者が正念療法を伝統的なうつ病治療に取り入れ、二十年にわたる研究と検証の結果、正念による認知療法が三回あるいは三回以上のうつ病再発に予防効果があることが分かった。
著名なカナダ・カルガリー大学の心理社会腫瘍学准教授のカールソン博士は、カバットジン博士の実践方法を基礎に、「マインドフルネスによる癌回復コース」を作成した。癌患者が経験する様々な心身症状が効果的に緩和できると同時に、このような訓練が免疫システムを強化し、炎症指数を下げることを発見した。
しかし、正念とは何なのか?なぜストレスを軽減し、免疫システムにまで影響を及ぼすことができるのか?
生活の中ではいつも、思いがあらぬ方向に行ってしまう。正念の練習は、毎日十分間だけでも、注意を一箇所に定めるようにすれば良い、と臨床心理士の石氏が説明した。例えば、呼吸に意識を向け、自然に行なって、心の専念を練習するのである。

欧米の「マインドフルネス」は、ポジティブ思考を指しているのではなく、宗教との関わりもない。ジョン・カバットジン博士によれば、「マインドフルネスとは、意図的に注意を目の前の事に向け、次から次へと移っていく瞬間の経験に対して評価せず、気づいて把握することである」と説明している。
注意を呼吸に集中し、空気が鼻から入って、腹部が膨らむのを感じ、呼吸するプロセス全体と体の感覚を感じ取るのである。もし注意力が逸れたら、優しくそれを引き戻せば良い。
慢性痛の程度が改善された
カバットジン博士は、マインドフルネスとは「意図的に目の前のことに集中し、一瞬また一瞬と現れる経験に対して、評価するのではなく、そこに生じたことを察することである」と言った。
「正念とは、ポジティブな思考或いは方向転換をするのではなく、見えるままに、心の働きが如何に影響するかを経験することです」。石氏によると、正念訓練は静座を通して、呼吸に意識を集中させ、ボディスキャン、正念の食事、正念の歩き方などを練習して、呼吸や眼、耳、鼻、舌、身の五官に意識を集中させることで、心の落ち着きを育むと共に、察知する力を育てることであり、慣性反応に支配された情緒の渦巻に心が引き込まれないようにすることである。
一般の人の、ストレスやネガティブな感情に対する習慣的な反応というのは、抑制や逃避又は積極的な前向き思考で打ち負かすというものだ。だが石氏は、正念による対処方法は「受容法」であり、湧きおこった考えや感情に抵抗しないと同時に、それらの考えや感情にも追随しないことだ、と強調した。カバットジン博士の名言は、「練習の時、注意力が無意識に何千回逸れても、優しく注意力を何千回もの呼吸に連れ戻す」である。優しい方法を使って、それまでの生活環境で形成された脳の連結反応を一歩一歩修正していくのである。
石氏は、「正念は患者が心の働きを察知するのを手助けします。心身に関する問題に対して、正念を元来の治療に取り入れることで、治療効果を強化したり上げたりすることができるからです」と指摘した。或るアメリカ国家衛生研究所の資金援助を得て、拒食症や過食症などの疾患に対する調査を行った臨床研究の報告では、正念の食事療法の練習により、無意識に行なっていた間違った食事パターンが変えられ、一口ずつ口に入る食べ物を察知し、体を健康にすることに役立った、と書かれてある。
体内のストレスホルモンや炎症反応が低下すると、生理、心理、脳、病気に対して、多くのプラス効果が出てくる。
「正念の練習によって、慢性的な痛みの程度を和らげることができます。その効果はコース修了後も暫く持続できます」。台北慈済病院の心身医学科主治医の李嘉富(リー・ジァフー)医師は、研究文献にも書かれてあるが、正念コースと正念認知療法は、関係する生理指標にも影響を及ぼす。例えば、血圧とストレスホルモンに関して、心血管疾患患者のストレス、憂鬱、不安の程度を軽減し、関節リウマチ患者の一部の症状を改善できた、と述べた。
正念は生活の中に取り入れることができる。臨床心理士の陳宜家氏は、正念でもって道を歩き、一歩ずつ地面を踏む感覚を感じ取る。食べる、飲む、洗濯する、車を運転するなど、全てが正念の練習になり得る、と説明している。

日常の美しい出来事を感じ取る
台北慈済病院は、心療内科や入院患者が心身のバランスを保てるようになることを期待して、二〇一四年に正念ストレス軽減コースを導入した。台北慈済病院心身医学科臨床心理士の陳宜家(ツン・イージァ)さんによると、臨床で一番よく見られる、憂鬱症とパニック障害は、体が常に戦闘状態の一歩手前にある、という。呼吸の練習を通して、長年習慣となっていたストレスに対する自動反応を調節することができる。過剰な交感神経の働きを抑え、副交感神経の働きを活発化させることで、緊張を解いて安定した状態にするのである。
陳さんはここ数年、多くの患者に付き添って、正念の練習を行なって来た。その結果、患者は自信が出て、内心の怒りが抑えられ、日常でも睡眠の質と食欲が改善された。
正念の練習では、その瞬間の、体の感覚や情緒、考え方などを含む経験に注意を払い、自分が今、何を経験しているのか、どれが核心となる信念から出てきたものかを鋭敏に察知するのである。
例えば、家事をして、夕食の支度を急いでいる時に、帰って来た子供の不機嫌な顔を見ると、心の中で「また何を起こしたのだろう」、「私はこんなに疲れているのに、この子はまた難しい顔をして…」という思いが浮かび、一言でも合わないと、衝突が始まってしまう。
目の前で遭遇した出来事に対して、空腹や疲れなどが、その瞬間の生理的な感じ方なのかどうかを識別すべきなのである。一時的な体の感覚や情緒、思考に引っ張られるのではなく、情緒の波によって引き起こされる苦痛を軽減することである。心を引き戻し、目の前の仕事をやり続けるか、或いは手を休めて相手の話をしっかり聞くべきである。「評価しない態度で、目の前で遭遇したことに目を向け、より多くの解決策を見つければ、人は冷静になり、ストレスに対応できるようになります」。
「正念の練習の目標の一つは、人々にこの瞬間または生活全体の中で、より多くの意識と存在感を培うことを助けるものです」。陳さんによれば、このような変化は、目の前の美しさを大切にし、楽しむようにさせ、正念の五感体験練習を通して、食べ物の味をじっくり味わい、雨の音を聞き、体に吹いてくる風を感じれば、もっと生活の中の美しい事柄に目を向けるようになるのだ。
一口ご飯を食べる度に、その味に注意を払い、生活のあらゆる行動の中で、思考を一瞬一瞬に集中することができれば、切り離された体と心を再び結び付け、誰でも心身の健康に努めることができるのである。
(慈済月刊六八三期より)

助け合う未来を願って─共生(上編)

富山県富山市にある「デイサービスこのゆびとーまれ」に来る人は、高齢者も子供も身障者もいる。
このように入所者を分けずにケアする方式は、後に政府から「地域共生」の模範とみなされるようになった。
超高齢化社会に直面して、益々多くの国民が、将来は政府に頼るだけでは生活できないので、各自が貢献して助け合う地域社会を作ることで、自分のためにも大衆のためにも帰属感を見つけなければならないと感じている。
秋風が吹く二〇二二年十一月、日本はまだ、コロナ禍が深く影を落としていた。北陸の富山県にあるデイサービスセンターは従業員がコロナに感染したため、十日間の運営停止を余儀なくされた。
「構わん!センターに連れてってくれ!」、「そこに行かなきゃ、寂しいんだよ!」……介護スタッフが全利用者の健康状態をチェックしていた時、家族が諭すのも聞かず、大声でセンターに行くと言い張る人もいれば、自分の気持ちを話すうちに涙を流す一人暮らしの人もいた。
「毎日、当然のことのように通うデイサービスセンターは、本当になくてはならない場所なんだなぁ!」と当時、高熱を出して二日間寝込んでいた、阪井由佳子さんは心の中で思った。彼女は「デイケアハウスにぎやか」の責任者で、利用者全員が無事だと聞いてホッとすると同時に、自分の肩に載った責任の重さを感じた。
この設立されて二十五年になるデイサービスセンターには、どんな魔法があるのだろう?利用者は一日も欠かさず訪れたがっているのである。豪華で配慮の行き届いたスペースと設備?それとも多種多様なクラス?または全方位的な完璧なサービス?これら全て、「デイケアハウスにぎやか」にはない。ここにあるのは、大家族のような「にぎやかさ」だけである。
彼らの一日はこうやって始まる。「おはよう!」「帰ってきたの?」朝早くから続々と家族たちに送られて来て、皆が挨拶を交わす。或る職員らしき中年男性が機転を利かせてコーヒーを持って来た。各自、自分たちで体温を計って受付でサインすると、座り慣れた場所に座って世間話をしたり、新聞を読んだり、静かに窓の外を照らす日光を見つめたりしながら、自分のしたいことをしていて、皆で集まって講座を受けたり、活動に参加したりする必要はない。
「みんな、家に居るように気ままです。家では予定表なんて要らないでしょ?」阪井さんは、ここは一般的なデイサービスセンターのように日課表通りに体操をしたりするのとは違う、と説明しながら、絶えず周囲に気を配り、或るお年寄りのために針に糸を通してあげたと思ったら、或る脳性麻痺の中年女性がヨロヨロしながら立ち上がったので、駆け寄って手を貸していた。
「混合ケア」がこのセンターの最大の特色である。一般のところは利用者を分類している。高齢者は高齢者のデイケア、身障者は身障者、特殊児童は特殊児童というように。しかし、「デイケアハウスにぎやか」の利用者十人には、認知症の高齢者や中高年の身障者もいれば、学校が終わるとやって来る小学生など、年齢も障害のある無しも区別されることはない。「ごった混ぜ」がごく日常的なのである。
正午近く、「菅母さん、人参の皮むきを手伝ってくれませんか?」と厨房で大忙しの職員が訊いた。九十三歳の菅母さんは直ぐゆっくりした足取りで食事の準備に参加した。普通のセンターなら、ケアするのは職員であり、利用者はサービスを受けるだけである。しかしここは、能力があって、その気さえあれば、利用者も貢献することができ、改めて「必要とされている」という自分の価値を感じることができるのだ。
また、阪井さんはこう付け加えた。例えば朝、皆にコーヒーを入れている村川さんは、当初は体に障害があって、「ケアされるために」ここに来ていたのである。しかし、何か手伝うことが好きな性格で、職員たちも彼の「ケア(お手伝い)」に感謝している。
「にぎやか」に来る楽しみは何か、と利用者に訊いたところ、「ここのお風呂が気持ちいいのです」とか「昼食にビールが飲めることです」と言う人がいたが、「皆さんと一緒にいるのがとても楽しいんです」と言う人が何人もいた。それはむしろ「体の養生」よりも「心の養生」に近いと言える。

「デイケアハウスにぎやか」に通って10年以上になる、93歳の菅母さんは、食後に針と糸で縫いものを始めた。彼女が使っていた晒しが男物のパンツだと知った時、皆しばらく大笑いした。
あらゆる人を混合ケアする
こういうコミュニティーの中にあって、少人数(十から二十人)で、家庭の雰囲気があり、高齢者も身障者も子供も同じ空間で過ごし、互いに助け合う関係が出来上がるデイサービスを「富山型デイサービス」方式と呼んでいる。目下、富山県には百三十カ所あり、日本全国には二千七百十二カ所ある。
富山型デイサービスを始めたのは、一九九三年に設立された「デイサービスこのゆびとーまれ」である。初めは幾つかのサービスは法律では規定外であったが、後に制度に取り入れられるようになった。二十九年前、三人の介護師が歩き始めた小さな一歩が、国の制度を動かしたのである。
「介護師は、特別に高齢者や身障者または子供を区別することなく、ケアの必要があれば、皆喜んで手を貸します」。七十一歳で少し猫背の惣万佳代子さんは「デイサービスこのゆびとーまれ」の責任者の一人である。センターの創設時はまだ若かったが、今は彼女もシルバー世代である。変わっていないのは「どんな人も受け入れる」という初心である。
ただ、政府の社会保障制度は以前から分類別になっていて、異なったグループには異なった法律を適用し、デイサービスセンターは一つのグループを引き受けるしかなかった。例えば、同じスペースで高齢者や身障者、子供を一緒に受け入れた場合、政府の補助が申請できなかったのである。それでも、彼女ら三人は理念を実現させるために、制度の限界を超えて、「デイサービスこのゆびとーまれ」を立ち上げたのである。
視察に来た人たちからよくこんな質問が出る。「まず高齢者のデイケアサービスから始めて、その次に身障者と子供を受け入れるという順番にしなかったのはなぜですか?」もう一人の責任者である西村和美さんが、「コミュニティーでケアを必要としているのは高齢者だけではありません。最初の利用者は障害を持った子供でした」と説明した。
「最初は政府の認可が下りませんでしたが、それでも私たちは方向が間違っているとは思わず、こういう形式のケアはあって当然だと信じていました」と惣万さんが言った。それは介護師の使命感がそうさせたのでなく、彼女たちは、子供の頃に地域の人がお年寄りや特殊な人たちと交流していた光景を取り戻したかっただけだったのだ。
「もし、ここを続けることができなかったら、富山の恥ですからね」。民間からの支持の声が次第に高まると共に、混合ケアの利用者に対する効果が加わり、富山県政府は法令の改正を始めた。「デイサービスこのゆびとーまれ」に補助金が出るようになったことが、富山型デイサービス方式を生み出す後押しとなった。二○一八年、政府は正式に、富山型デイサービスをモデルとして「共生型サービス」を推進した。それによって、福祉施設が同時に高齢者と身障者の社会福祉保険を適用し、柔軟に多種多様なケアのニーズに応えることができるようになった。
「デイサービスこのゆびとーまれ」は設立当初、どんな補助も受けられなかった時、利用料は一日二千五百円で、半日で千五百円だった。後に制度に組み入れられ、二○○○年に全国でデイサービスが保険の適用を認められるようになった。高齢者の利用料は「要介護」の等級に沿って、利用者の自己負担が一割から三割までとなり、ケア施設が地方自治体に残りの七割から九割を申請できるため、双方とも負担をかなり軽減できるようになった。
だが地方によって内容は異なり、費用も違う。富山県の或る「要介護二」(立ち上がりや歩行が自力では困難、排泄や入浴ケアなど部分的に介護が必要)という高齢者を例にとると、一日の利用料は七〜八時間で合計九千三百四十八円にもなるが、個人の自己負担は九百三十五円で済む。

「デイサービスこのゆびとーまれ」では、高齢者は世話をされるだけでなく、子供たちとの交流によって、生きている意義を感じ取ることができる。
お年寄りは介護されるだけでなく、必要とされている
「デイサービスこのゆびとーまれ」の午後は、かしましく走ったり飛び跳ねたりする光景と、休息している光景が入り混じっていた。ダウン症の男の子が急に、認知症のお婆さんに駆け寄って甘えると、お婆さんは彼の頭を撫でながら、言葉を掛けた。また、身障者の青年と職員があちこち駆け回って他の人の手伝いをしたり、センターの事務整理をしたりしていたが、皆、顔が輝いていた。
「高齢者福祉に関する研究をしている学者が最も心配しているのは、体が弱っている高齢者と精力旺盛な子供が同じ空間にいれば、事故が起き易いということですが、『起きない』と私は断言できます」。惣万さんによれば、二十九年前に創設して以来、一度だけ認知症の高齢者が不注意で転んで骨折したことがある。この数字は一般のデイサービスセンターと比べても非常に低い。「混在しているがために、職員は一層警戒心を高めているのかもしれません」。
介護士の惣万佳代子さん(右)と西村和美さん(左)が29年前に「デイサービスこのゆびとーまれ」を立ち上げた。

高齢者にとっては、ケアされる以外に、子供たちと触れ合い、彼らの成長を目にすることで「必要とされる」ことを感じ、「生きていく」意義を見出しているのである。身障者の青年は、自分に合った労働で、そこに帰属感を感じている。そして、子供は大人の指導の下に、高齢者や身障者との付き合い方を学んでいる。
宮崎弘美さんも十一年前、先輩介護士である惣万佳代子さんの感化を受けて、富山型デイサービス「大空と大地のぽぴー村」を立ち上げた。それ以前は大きいデイサービスセンターで働いていたが、その一般的な施設では、一年に一、二回幼稚園児が来て、高齢者のために演技するぐらいで、それは一時的な活動に過ぎず、真の交流とは言えなかった。大人でも、小家庭で育った子供たちに、どうやってお年寄りと接し、お年寄りを避けないようにさせるかを教える術を持っていないのだ。
宮崎さんは毎日、十数人の高齢者と特殊児童の世話をしている。「それは大変ですよ。でも楽しいんです」。六十六歳の彼女は笑顔でこう言った、「子供たちにはいつも、『私がここに座るようになった時は、美味しいものを持って会いに来てね!』と言います」。
もちろん、富山型デイサービスに疑問を持つ人もいる。「高齢者や身障者、子供は皆それぞれ異なったケアを必要としているのに、職員はそれに対応する能力を全て持っているのですか?」。
「大人と子供のニーズは七割方似通っています。コミュニティーのクリニックが大人も子供も診るようなものです」。以前、病院で二十数年間看護師を務めた惣万佳代子さんは、「ここは『生活の場』です。基礎的なケアテクニック以外に、もっと大事なのはさまざまな人と上手に接することです」と言った。
「デイケアハウスにぎやか」の責任者である阪井由佳子さんによれば、もし、職員が何もかもしてあげたら、逆に利用者が本来持っている機能を奪うことになるため、本人がその能力を発揮した上で他の人が適時に手伝うようにすべきだという。どうやってケアするかは、人それぞれの状況から学び取り、それを進化させるのである。「プロのテクニックよりも、私は『その人のことを考えてケアする能力』を重視しています」。
例を挙げると、今年二十一歳で、幼児教育専門学校を卒業したばかりの田中來都さんは、介護をゼロから学び始めたのだが、彼の持ち前の朗らかさと思いやりは、デイサービスセンターのあらゆる人が賞賛している。「僕は『仕事』しているという感じはなく、皆さんと一緒に生活している感じですかねー」。田中さんは、「僕はゼロから出発して、今では一日に八人のお年寄りをお風呂に入れるまでになりました。充実感を得ています」と言った。
住宅街にあって、コミュニティーの介護サービスニーズを満たしている富山型デイサービスは、地元との関係は密接だが、直ちに達成できるわけではなく、時間を掛ける必要があった。阪井さんによれば、初め向かいに住んでいる人はとても反対していたそうだ。自分の家のお年寄りが一般の介護施設に行き始めてから、「デイケアハウスにぎやか」の特色に気づき、最後にはお年寄りを彼女たちに預けるようになり、双方の関係が良好になったという。(続く)
(経典雑誌二九三期より)


富山県富山市にある「デイサービスこのゆびとーまれ」に来る人は、高齢者も子供も身障者もいる。
このように入所者を分けずにケアする方式は、後に政府から「地域共生」の模範とみなされるようになった。
超高齢化社会に直面して、益々多くの国民が、将来は政府に頼るだけでは生活できないので、各自が貢献して助け合う地域社会を作ることで、自分のためにも大衆のためにも帰属感を見つけなければならないと感じている。
秋風が吹く二〇二二年十一月、日本はまだ、コロナ禍が深く影を落としていた。北陸の富山県にあるデイサービスセンターは従業員がコロナに感染したため、十日間の運営停止を余儀なくされた。
「構わん!センターに連れてってくれ!」、「そこに行かなきゃ、寂しいんだよ!」……介護スタッフが全利用者の健康状態をチェックしていた時、家族が諭すのも聞かず、大声でセンターに行くと言い張る人もいれば、自分の気持ちを話すうちに涙を流す一人暮らしの人もいた。
「毎日、当然のことのように通うデイサービスセンターは、本当になくてはならない場所なんだなぁ!」と当時、高熱を出して二日間寝込んでいた、阪井由佳子さんは心の中で思った。彼女は「デイケアハウスにぎやか」の責任者で、利用者全員が無事だと聞いてホッとすると同時に、自分の肩に載った責任の重さを感じた。
この設立されて二十五年になるデイサービスセンターには、どんな魔法があるのだろう?利用者は一日も欠かさず訪れたがっているのである。豪華で配慮の行き届いたスペースと設備?それとも多種多様なクラス?または全方位的な完璧なサービス?これら全て、「デイケアハウスにぎやか」にはない。ここにあるのは、大家族のような「にぎやかさ」だけである。
彼らの一日はこうやって始まる。「おはよう!」「帰ってきたの?」朝早くから続々と家族たちに送られて来て、皆が挨拶を交わす。或る職員らしき中年男性が機転を利かせてコーヒーを持って来た。各自、自分たちで体温を計って受付でサインすると、座り慣れた場所に座って世間話をしたり、新聞を読んだり、静かに窓の外を照らす日光を見つめたりしながら、自分のしたいことをしていて、皆で集まって講座を受けたり、活動に参加したりする必要はない。
「みんな、家に居るように気ままです。家では予定表なんて要らないでしょ?」阪井さんは、ここは一般的なデイサービスセンターのように日課表通りに体操をしたりするのとは違う、と説明しながら、絶えず周囲に気を配り、或るお年寄りのために針に糸を通してあげたと思ったら、或る脳性麻痺の中年女性がヨロヨロしながら立ち上がったので、駆け寄って手を貸していた。
「混合ケア」がこのセンターの最大の特色である。一般のところは利用者を分類している。高齢者は高齢者のデイケア、身障者は身障者、特殊児童は特殊児童というように。しかし、「デイケアハウスにぎやか」の利用者十人には、認知症の高齢者や中高年の身障者もいれば、学校が終わるとやって来る小学生など、年齢も障害のある無しも区別されることはない。「ごった混ぜ」がごく日常的なのである。
正午近く、「菅母さん、人参の皮むきを手伝ってくれませんか?」と厨房で大忙しの職員が訊いた。九十三歳の菅母さんは直ぐゆっくりした足取りで食事の準備に参加した。普通のセンターなら、ケアするのは職員であり、利用者はサービスを受けるだけである。しかしここは、能力があって、その気さえあれば、利用者も貢献することができ、改めて「必要とされている」という自分の価値を感じることができるのだ。
また、阪井さんはこう付け加えた。例えば朝、皆にコーヒーを入れている村川さんは、当初は体に障害があって、「ケアされるために」ここに来ていたのである。しかし、何か手伝うことが好きな性格で、職員たちも彼の「ケア(お手伝い)」に感謝している。
「にぎやか」に来る楽しみは何か、と利用者に訊いたところ、「ここのお風呂が気持ちいいのです」とか「昼食にビールが飲めることです」と言う人がいたが、「皆さんと一緒にいるのがとても楽しいんです」と言う人が何人もいた。それはむしろ「体の養生」よりも「心の養生」に近いと言える。

「デイケアハウスにぎやか」に通って10年以上になる、93歳の菅母さんは、食後に針と糸で縫いものを始めた。彼女が使っていた晒しが男物のパンツだと知った時、皆しばらく大笑いした。
あらゆる人を混合ケアする
こういうコミュニティーの中にあって、少人数(十から二十人)で、家庭の雰囲気があり、高齢者も身障者も子供も同じ空間で過ごし、互いに助け合う関係が出来上がるデイサービスを「富山型デイサービス」方式と呼んでいる。目下、富山県には百三十カ所あり、日本全国には二千七百十二カ所ある。
富山型デイサービスを始めたのは、一九九三年に設立された「デイサービスこのゆびとーまれ」である。初めは幾つかのサービスは法律では規定外であったが、後に制度に取り入れられるようになった。二十九年前、三人の介護師が歩き始めた小さな一歩が、国の制度を動かしたのである。
「介護師は、特別に高齢者や身障者または子供を区別することなく、ケアの必要があれば、皆喜んで手を貸します」。七十一歳で少し猫背の惣万佳代子さんは「デイサービスこのゆびとーまれ」の責任者の一人である。センターの創設時はまだ若かったが、今は彼女もシルバー世代である。変わっていないのは「どんな人も受け入れる」という初心である。
ただ、政府の社会保障制度は以前から分類別になっていて、異なったグループには異なった法律を適用し、デイサービスセンターは一つのグループを引き受けるしかなかった。例えば、同じスペースで高齢者や身障者、子供を一緒に受け入れた場合、政府の補助が申請できなかったのである。それでも、彼女ら三人は理念を実現させるために、制度の限界を超えて、「デイサービスこのゆびとーまれ」を立ち上げたのである。
視察に来た人たちからよくこんな質問が出る。「まず高齢者のデイケアサービスから始めて、その次に身障者と子供を受け入れるという順番にしなかったのはなぜですか?」もう一人の責任者である西村和美さんが、「コミュニティーでケアを必要としているのは高齢者だけではありません。最初の利用者は障害を持った子供でした」と説明した。
「最初は政府の認可が下りませんでしたが、それでも私たちは方向が間違っているとは思わず、こういう形式のケアはあって当然だと信じていました」と惣万さんが言った。それは介護師の使命感がそうさせたのでなく、彼女たちは、子供の頃に地域の人がお年寄りや特殊な人たちと交流していた光景を取り戻したかっただけだったのだ。
「もし、ここを続けることができなかったら、富山の恥ですからね」。民間からの支持の声が次第に高まると共に、混合ケアの利用者に対する効果が加わり、富山県政府は法令の改正を始めた。「デイサービスこのゆびとーまれ」に補助金が出るようになったことが、富山型デイサービス方式を生み出す後押しとなった。二○一八年、政府は正式に、富山型デイサービスをモデルとして「共生型サービス」を推進した。それによって、福祉施設が同時に高齢者と身障者の社会福祉保険を適用し、柔軟に多種多様なケアのニーズに応えることができるようになった。
「デイサービスこのゆびとーまれ」は設立当初、どんな補助も受けられなかった時、利用料は一日二千五百円で、半日で千五百円だった。後に制度に組み入れられ、二○○○年に全国でデイサービスが保険の適用を認められるようになった。高齢者の利用料は「要介護」の等級に沿って、利用者の自己負担が一割から三割までとなり、ケア施設が地方自治体に残りの七割から九割を申請できるため、双方とも負担をかなり軽減できるようになった。
だが地方によって内容は異なり、費用も違う。富山県の或る「要介護二」(立ち上がりや歩行が自力では困難、排泄や入浴ケアなど部分的に介護が必要)という高齢者を例にとると、一日の利用料は七〜八時間で合計九千三百四十八円にもなるが、個人の自己負担は九百三十五円で済む。

「デイサービスこのゆびとーまれ」では、高齢者は世話をされるだけでなく、子供たちとの交流によって、生きている意義を感じ取ることができる。
お年寄りは介護されるだけでなく、必要とされている
「デイサービスこのゆびとーまれ」の午後は、かしましく走ったり飛び跳ねたりする光景と、休息している光景が入り混じっていた。ダウン症の男の子が急に、認知症のお婆さんに駆け寄って甘えると、お婆さんは彼の頭を撫でながら、言葉を掛けた。また、身障者の青年と職員があちこち駆け回って他の人の手伝いをしたり、センターの事務整理をしたりしていたが、皆、顔が輝いていた。
「高齢者福祉に関する研究をしている学者が最も心配しているのは、体が弱っている高齢者と精力旺盛な子供が同じ空間にいれば、事故が起き易いということですが、『起きない』と私は断言できます」。惣万さんによれば、二十九年前に創設して以来、一度だけ認知症の高齢者が不注意で転んで骨折したことがある。この数字は一般のデイサービスセンターと比べても非常に低い。「混在しているがために、職員は一層警戒心を高めているのかもしれません」。
介護士の惣万佳代子さん(右)と西村和美さん(左)が29年前に「デイサービスこのゆびとーまれ」を立ち上げた。

高齢者にとっては、ケアされる以外に、子供たちと触れ合い、彼らの成長を目にすることで「必要とされる」ことを感じ、「生きていく」意義を見出しているのである。身障者の青年は、自分に合った労働で、そこに帰属感を感じている。そして、子供は大人の指導の下に、高齢者や身障者との付き合い方を学んでいる。
宮崎弘美さんも十一年前、先輩介護士である惣万佳代子さんの感化を受けて、富山型デイサービス「大空と大地のぽぴー村」を立ち上げた。それ以前は大きいデイサービスセンターで働いていたが、その一般的な施設では、一年に一、二回幼稚園児が来て、高齢者のために演技するぐらいで、それは一時的な活動に過ぎず、真の交流とは言えなかった。大人でも、小家庭で育った子供たちに、どうやってお年寄りと接し、お年寄りを避けないようにさせるかを教える術を持っていないのだ。
宮崎さんは毎日、十数人の高齢者と特殊児童の世話をしている。「それは大変ですよ。でも楽しいんです」。六十六歳の彼女は笑顔でこう言った、「子供たちにはいつも、『私がここに座るようになった時は、美味しいものを持って会いに来てね!』と言います」。
もちろん、富山型デイサービスに疑問を持つ人もいる。「高齢者や身障者、子供は皆それぞれ異なったケアを必要としているのに、職員はそれに対応する能力を全て持っているのですか?」。
「大人と子供のニーズは七割方似通っています。コミュニティーのクリニックが大人も子供も診るようなものです」。以前、病院で二十数年間看護師を務めた惣万佳代子さんは、「ここは『生活の場』です。基礎的なケアテクニック以外に、もっと大事なのはさまざまな人と上手に接することです」と言った。
「デイケアハウスにぎやか」の責任者である阪井由佳子さんによれば、もし、職員が何もかもしてあげたら、逆に利用者が本来持っている機能を奪うことになるため、本人がその能力を発揮した上で他の人が適時に手伝うようにすべきだという。どうやってケアするかは、人それぞれの状況から学び取り、それを進化させるのである。「プロのテクニックよりも、私は『その人のことを考えてケアする能力』を重視しています」。
例を挙げると、今年二十一歳で、幼児教育専門学校を卒業したばかりの田中來都さんは、介護をゼロから学び始めたのだが、彼の持ち前の朗らかさと思いやりは、デイサービスセンターのあらゆる人が賞賛している。「僕は『仕事』しているという感じはなく、皆さんと一緒に生活している感じですかねー」。田中さんは、「僕はゼロから出発して、今では一日に八人のお年寄りをお風呂に入れるまでになりました。充実感を得ています」と言った。
住宅街にあって、コミュニティーの介護サービスニーズを満たしている富山型デイサービスは、地元との関係は密接だが、直ちに達成できるわけではなく、時間を掛ける必要があった。阪井さんによれば、初め向かいに住んでいる人はとても反対していたそうだ。自分の家のお年寄りが一般の介護施設に行き始めてから、「デイケアハウスにぎやか」の特色に気づき、最後にはお年寄りを彼女たちに預けるようになり、双方の関係が良好になったという。(続く)
(経典雑誌二九三期より)

智慧で雑音を消す
雑音を聞いただけで意気消沈してはならず、
そこから勇猛に進み続けるのです。

家系図を整理する
八月十九日九時半に関渡志業パークに着きました。静思書軒の大人や子どもボランティアと四十人のガイドボランティア及び人文志業センターの職員たちが無量義ホールで上人を出迎えました。静思書軒、大愛感恩科技、「常不軽」レストランを見て回った後、七階にあるニュース報道室と同心円オフィスを参観しました。そして、十一時半頃に関渡を離れて、新店静思堂に戻りました。
八月二十日、上人は前日に訪れた関渡志業パークのことに触れました。「魏杏娟(ウェイ・シンジュェン)師姐たちがお供する中、活気に満ち、人文に富んだその荘厳な殿堂を見て、当初、その土地を見に来た時の情景が思い浮かびました。当時は周りに何もなく、そこには数棟の古い建物があるだけでしたが、今は人文志業センターがそそり立っています。その過程を思い出すたび、初期のあの瞬間に頭に浮かんだ思いに感謝せずにはいられません。それが今の人文志業を成就させた結果となり、メディアによって清流が世界を巡っているのです」。
北部には、四十年以上、上人に従って慈済志業に打ち込んできた古参慈済人がたくさんいます。上人は、皆が過去に遡って回顧し、慈済の歴史を整理するよう望んでいます。その作業は膨大で、長い道のりではあっても、何事においても第一歩があります。さもなければ、いつまでも目的地には着けません。「人々を感動させる、慈済の真実は、書き留めて本にするのでなければ、口でその貴重な記録や素晴らしいストーリーを話すだけとなり、時間が経って当事者たちがこの世にいなくなると、それ以上、慈済の出来事を記憶し、話すことができる人の無いまま途絶えてしまいます。この世の善い出来事は伝えられるべきで、『菩薩の家系図』を書かなければなりません。一人ひとりの慈済人に感動的な歴史があり、それらを集めてとてつもなく大きい『家系図』を編集するのです」。
上人は、人文志業が当世で起きている天災や人災及び慈済人の善い行いなどを報道するだけでなく、メディアの力を発揮して、過去の菩薩の足跡をきちんと収録して編集し、大衆に慈済の歴史を伝え、それらが人の模範となることを期待しています。「今の発達したテクノロジーは私たちの伝法に役立っていますが、一人ひとりが経蔵を深く理解すべきであり、慈済人なら尚更、《無量義経》を心して体得しなければなりません。仏法の道理はとても深遠で、法海は広くても、その経典は生活に融け込むことができます。もし、それに通じ、その道理を実践できるなら、それこそ深い修行となるでしょう」。

漢方薬の研究開発は営利目的ではない
上人は、精舎に戻って、出迎えた慈済病院の林欣栄院長、王志鴻副院長及び林静憪師姐たちと談話した時、漢方薬の研究に言及し、本当にこの世に有益な成分を見つけてください、と言いました。「天と地と人は一体であり、人の病を治す薬は必ずあります。ただ非常に多くの、病を治療することができる成分がまだ、発見されていないだけですが、発見されてからも深く探究し、分析する必要があります」。
「私たちは営利目的で行うのではなく、絶えず人材を育成し、研究開発を続け、的確で安定した成果が出て、誰もが使用できるようになれば、それを世に広めることができるのです」。
上人はこう言いました。「真空妙有と言われるように、世間にある一切の物質は分析していくと、最後には『空』に辿り着き、その『空』こそが真理であり、道理は元々存在しているのです。様々な植物や鉱物から抽出された成分は、融合されることで、有益な物質になります。哲学者も同じで、仔細に道理を分析するのは、玉ねぎの皮を剥くように、人間(じんかん)の様々な事相を一枚一枚剥がして行くと、最後には何もない『空』になるのです。台北から宜蘭を経て花蓮に帰って来た時、何の障害もなく、とてもスムーズでしたが、前進するには道が必要であり、道路標識の指示に従わなければなりません。全ては軌道や道理に沿って初めて、順調に営まれるのです」。
「医療志業は慈済病院でその良能が発揮されるだけでなく、介護ケアも必要で、人体の健康範囲内は全て医療体系に属します。そして、法脈の精神を発揮し、生命と健康を守り、愛を守る責任を果たさなければいけません」。
「この世で事を成す時、雑音が聞こえるのは避けられません。私たちは自分の心と脳を非常に健康な状態に保ち、智慧で以ってそれら雑音を浄化するのです。医療志業の法髄はあなたたちが頑強なものにすべきで、雑音を聞いて意気消沈してはいけません」。上人は風船を例に取って、こう言いました。「風船はガスをいっぱい入れれば、自ずと上に向かいますが、もし、砂粒ほどの小さな穴でも開いていたら、すぐ萎んで落ちてきます。ですから、一気に元気を出して前進するのです。さもなければ、人の寿命は有限なため、少しでも怠けたら、再び前進しようとする時、余計に時間が掛かって、一層疲れてしまいます」。
(慈済月刊六八三期より)

雑音を聞いただけで意気消沈してはならず、
そこから勇猛に進み続けるのです。

家系図を整理する
八月十九日九時半に関渡志業パークに着きました。静思書軒の大人や子どもボランティアと四十人のガイドボランティア及び人文志業センターの職員たちが無量義ホールで上人を出迎えました。静思書軒、大愛感恩科技、「常不軽」レストランを見て回った後、七階にあるニュース報道室と同心円オフィスを参観しました。そして、十一時半頃に関渡を離れて、新店静思堂に戻りました。
八月二十日、上人は前日に訪れた関渡志業パークのことに触れました。「魏杏娟(ウェイ・シンジュェン)師姐たちがお供する中、活気に満ち、人文に富んだその荘厳な殿堂を見て、当初、その土地を見に来た時の情景が思い浮かびました。当時は周りに何もなく、そこには数棟の古い建物があるだけでしたが、今は人文志業センターがそそり立っています。その過程を思い出すたび、初期のあの瞬間に頭に浮かんだ思いに感謝せずにはいられません。それが今の人文志業を成就させた結果となり、メディアによって清流が世界を巡っているのです」。
北部には、四十年以上、上人に従って慈済志業に打ち込んできた古参慈済人がたくさんいます。上人は、皆が過去に遡って回顧し、慈済の歴史を整理するよう望んでいます。その作業は膨大で、長い道のりではあっても、何事においても第一歩があります。さもなければ、いつまでも目的地には着けません。「人々を感動させる、慈済の真実は、書き留めて本にするのでなければ、口でその貴重な記録や素晴らしいストーリーを話すだけとなり、時間が経って当事者たちがこの世にいなくなると、それ以上、慈済の出来事を記憶し、話すことができる人の無いまま途絶えてしまいます。この世の善い出来事は伝えられるべきで、『菩薩の家系図』を書かなければなりません。一人ひとりの慈済人に感動的な歴史があり、それらを集めてとてつもなく大きい『家系図』を編集するのです」。
上人は、人文志業が当世で起きている天災や人災及び慈済人の善い行いなどを報道するだけでなく、メディアの力を発揮して、過去の菩薩の足跡をきちんと収録して編集し、大衆に慈済の歴史を伝え、それらが人の模範となることを期待しています。「今の発達したテクノロジーは私たちの伝法に役立っていますが、一人ひとりが経蔵を深く理解すべきであり、慈済人なら尚更、《無量義経》を心して体得しなければなりません。仏法の道理はとても深遠で、法海は広くても、その経典は生活に融け込むことができます。もし、それに通じ、その道理を実践できるなら、それこそ深い修行となるでしょう」。

漢方薬の研究開発は営利目的ではない
上人は、精舎に戻って、出迎えた慈済病院の林欣栄院長、王志鴻副院長及び林静憪師姐たちと談話した時、漢方薬の研究に言及し、本当にこの世に有益な成分を見つけてください、と言いました。「天と地と人は一体であり、人の病を治す薬は必ずあります。ただ非常に多くの、病を治療することができる成分がまだ、発見されていないだけですが、発見されてからも深く探究し、分析する必要があります」。
「私たちは営利目的で行うのではなく、絶えず人材を育成し、研究開発を続け、的確で安定した成果が出て、誰もが使用できるようになれば、それを世に広めることができるのです」。
上人はこう言いました。「真空妙有と言われるように、世間にある一切の物質は分析していくと、最後には『空』に辿り着き、その『空』こそが真理であり、道理は元々存在しているのです。様々な植物や鉱物から抽出された成分は、融合されることで、有益な物質になります。哲学者も同じで、仔細に道理を分析するのは、玉ねぎの皮を剥くように、人間(じんかん)の様々な事相を一枚一枚剥がして行くと、最後には何もない『空』になるのです。台北から宜蘭を経て花蓮に帰って来た時、何の障害もなく、とてもスムーズでしたが、前進するには道が必要であり、道路標識の指示に従わなければなりません。全ては軌道や道理に沿って初めて、順調に営まれるのです」。
「医療志業は慈済病院でその良能が発揮されるだけでなく、介護ケアも必要で、人体の健康範囲内は全て医療体系に属します。そして、法脈の精神を発揮し、生命と健康を守り、愛を守る責任を果たさなければいけません」。
「この世で事を成す時、雑音が聞こえるのは避けられません。私たちは自分の心と脳を非常に健康な状態に保ち、智慧で以ってそれら雑音を浄化するのです。医療志業の法髄はあなたたちが頑強なものにすべきで、雑音を聞いて意気消沈してはいけません」。上人は風船を例に取って、こう言いました。「風船はガスをいっぱい入れれば、自ずと上に向かいますが、もし、砂粒ほどの小さな穴でも開いていたら、すぐ萎んで落ちてきます。ですから、一気に元気を出して前進するのです。さもなければ、人の寿命は有限なため、少しでも怠けたら、再び前進しようとする時、余計に時間が掛かって、一層疲れてしまいます」。
(慈済月刊六八三期より)
