良い縁を結んで、煩悩を断ち切る
自分を利する前に他者を利しましょう。
良い縁を結ばなければ、煩悩は永遠に消えません。… Read More »
「手袋型」の食器洗いスポンジ 公私混同しない
手袋に食器洗いスポンジを縫い付け、
食堂テーブル用の布巾を色で分けて、
「公私混同しない」方法を取っています。
他… Read More »
助け合う未来を願って─共生(下編)
富山県富山市にある「デイサービスこのゆびとーまれ」には、高齢者も子供も身障者も通う。
このように、入所者を分けずに… Read More »
十二月と元旦の出来事
この度の令和6年能登半島地震により
お亡くなりになられた方々にお悔やみを申し上げますとともに、ご遺族の皆様と被災さ… Read More »
ロシア・ウクライナ戦争から避難してきた高齢者 ワレニキクラブ運営中
「ポーランド人の家庭が私を受け入れて喜んでいるかどうか、
また、迷惑をかけているのではないか、と心配しています……… Read More »
奥深い仏教音楽と伝統舞踊で仏の徳を讃嘆
十月下旬になると、「何日の何回目の経蔵劇に参加しますか」という言葉が、多くのボランティアの間で挨拶になった。
公演… Read More »
無量義 法髄頌|台北アリーナ 経蔵劇
慈済は五十七年来、『無量義経』の大道を歩み続けてきた。
その道のりに芸術的とテクノロジーによる演出を組み合わせ、
… Read More »
親心と菩薩心
「いたわり」とは、子供が転んだ時、親が抱き起して撫で慰めるようなことです。
いつまでもこの親心を保ち、菩薩心で以て… Read More »
強靭なガラスのような人生|台中市 呉貞葉さん
小柄な彼女の姿は直ぐ目に付く。何故なら、立ちあがっても彼女の身長は僅か一メートル三十センチくらいで、二本の松葉杖で… Read More »
二〇二三年歳末祝福会のテーマ
弘法で衆生を利し、信心を持って願を実践し。菜食による共善で、大地を護りましょう。… Read More »
インドの旅─喜びも悲しみも書き尽くせない
無邪気で可愛い子供たちが私たちを追いかけて来た。自分の手のひらをあごに当てて花のようなジェスチャーをした。私たちは… Read More »
阿毛と私
病状が悪化したことを知ってから、心が折れて悲しむのは人の常である。しかし、だからと言って、早く知らされずに楽しく暮… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
特別報道
大地の守護者
今月の特集
證厳上人のお諭し
命の贈り物
行脚の軌跡
十二月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。