慈済は五十七年来、『無量義経』の大道を歩み続けてきた。
その道のりに芸術的とテクノロジーによる演出を組み合わせ、延べ二万人余りのボランティアが参加して捧げた台北アリーナでの十回公演は、ライブ配信により全世界に仏法の美を呈示し、響かせ、感動の渦を巻き起こした。
舞台芸術が媒介
文/李委煌
訳/御山凛
精深な宗教の道理は、どうすれば大衆にとって分かりやすくなり、受け入れてもらえ、かつ広められるだろうか。
古くはシンプルな「語り歌う芸術」として始まり、現代に至っては大々的な「音楽と演劇」で表しているが、純粋な舞台芸術の鑑賞という視点に加えて、実はもう一つの立場がある。
自ら経蔵に「参加」することだ。
古くから大衆の信仰対象は、往々にして天地や自然であり、未知への敬畏、探索から来ている。例えば知識が多くなかった時代では、神々や祖霊を象徴する「仮面」を借りて物語や人天の理を伝えることは、人類の宗教芸術の中における道具の始まりとも言える。神秘的な力や未知の世界との交流方法を示して来ただけでなく、日常生活の娯楽機能としての役割も担っていた。
人類の舞台芸術の発展を振り返ると、古代の宗教儀式では、特に音楽やダンス、演劇等の要素を伴ったものにまで遡ることができる。そして宗教を信仰すること自体、舞台芸術に一層豊かな物語と意味を賦与して来た。
ヨーロッパでは十七世紀から音楽ではオラトリオという楽曲様式が始まり、著名な作品『メシア』や『エリア』は、『聖書』を題材としたことで誰にでも馴染み深い曲となった。古代インドから今日まで伝わっているサンスクリット劇や、韓国の無形文化財である「僧舞」等は、どれも宗教が各地域の伝統音楽或いは演劇、ダンスに影響を与えたものである。そして、宗教そのものの道理と物語、修行の考え方もさまざまな方法で解釈され、伝達されてきた。
仏教を含めた宗教の道理は、一般の人にとっては確かに奥深い。そのため大衆に容易に理解できる方法で伝えることが殊更重要である。
漢の時代に仏教が中国に伝来すると、かつて各王朝で見られた変文、宝巻、俗曲、講唱等の表現形式は、仏法が広まった時代に、万人に親しまれるようになった。時代が進むにつれ、比較的早期のシンプルな「唱導(しょうどう)芸術」に始まって、今では異なる形式で芸術的に演じられている。大衆もパフォーマンスを鑑賞するだけでなく、別の角度から経典に「参加」することができるのである。
1999年から、慈済は次々と音楽手語劇で仏典の奥意を芸術の方法を用いて体現し、2007年『清らかさ・大愛・無量義』の音楽手語劇は、台湾全土で37回公演され、仏教に触れたいと思っていた大衆のために開かれた方便法門となった。 (撮影・黄威然)
万人向けの方便法門
仏の教えを舞台芸術で表現するのは、それが一種の「方便法門」であると共に、比較的現代人に受け入れられやすい方法だからである。
ブロードウェイ風に演出された英語版の『ミュージカル・シッダールタ』は、仏光山の星雲(シンユン)法師の著作『釈迦牟尼仏伝』をもとに改編したもので、今まで全世界で十年以上、百八十回余り上演しており、既に五代目の俳優へとトレーニングのプロセスが継承されている。マレーシアには、『観音に出会う』(Guan Yin the Musical)、『釈迦牟尼仏伝』、『薬師如来』、『天心月円』等の仏教音楽劇がある。これらの総合的舞台芸術として上演される宗教物語は、若い俳優の生き生きとした演技によって、多くの音楽劇を好む若者を惹きつけている。
舞台芸術と仏教経蔵を融合させた慈済の音楽手語劇は、一九九九年の『三十七道品』に始まった。それはブッタが世人の心に存在する煩悩を調伏する三十七種の方法を語った内容で、演出は静思慈済手語チームが受け持った。後の『父母恩重難報経』には、人々に両親の恩の重さと速やかに親孝行することの大切さを伝えるという、深い洞察が込められており、台湾各地での上演だけでなく、海外で暮らす多くの慈済人にも現地で演じるようにと促した。
二〇〇三年はイラク戦争及びサーズ感染症に伴って、慈済は再び仏教経典『薬師如来十二大願』を題材とした公演を行い、続いて翌年のスマトラ島沖大地震の後には『仏門大孝地蔵経』、二〇〇七年には『清らかさ・大愛・無量義』等の音楽手語劇を公演した。二〇一一年の経蔵劇『法は水の如く蒼生を潤す・環境保全を進めて人文を弘める』になると、素人である数千人の慈済ボランティアにプロのパフォーマンス集団が協力したことで、全体の規模と芸術の質は過去に勝るものとなった。
ベテラン舞台俳優の曽志遠(ヅン・ヅ―ユェン)さんは、「音楽劇とは、歌唱と演技、舞台設計、照明、ダンスが結び付いた総合的な芸術です」と言ったことがある。そしてそれらは確実に慈済が経蔵劇を演じる重要な要素となっている。
頌偈(じゅげ)と慈済手語と歌唱を結合した音楽劇は、やがて伝統舞踊、楽曲、太鼓、照明、マルチメディアを駆使したハイクオリティーな舞台美術を取り入れるようになった。元々演技の素人である慈済ボランティアの動作からなるパフォーマンスに、プロ集団の演奏や伝統歌劇が加わったことで、慈済は、経蔵劇という独特の仏法解説と歴史叙述の形式を作り上げた。現代のさまざまな舞台演出の形式を見回してみても、見かけることはあまりない形だ。元々は観客として鑑賞していた多くの人々がパフォーマーとなり、身をもって仏教経典の世界に足を踏み入れ、経蔵を表現しているのである。
有名な川劇「変面」の離れ業は、慈済の経蔵劇では人心の五毒「貪、憤、痴、慢、疑」を表した。(撮影・黃筱哲)
プロと素人が仏法によって出会った
西洋ミュージカルは「写実性」に長けている。有名な『ミス・サイゴン』のように序幕からヘリコプターが舞台に持ち込まれたり、『オペラ座の怪人』では天井から大型シャンデリアが落下したりするが、それに対して中国の伝統的な演劇は比較的「写意性」を重視し、大道具を駆使することは滅多にない。舞台の上でよく見かけるのは「机一つと椅子二脚」だけで、乗馬を象徴する「馬の鞭」や車両を意味する「車旗」のように、極めてシンプルな道具で何千もの山や川といった情景と登場人物それぞれの心境を表しているのである。
慈済の経蔵劇「無量義・法髄頌」は、台湾の人間国宝的存在である唐美雲(タン・メイユン)さんの台湾オペラ歌劇団と、国際的に有名な太鼓集団の優人神鼓を招き、仏教の真理と、慈済の実在人物や実話や現代人が直面している課題を結び付ける内容を表現した。
伝統演劇が得意な唐さんの台湾オペラ団メンバーは、道具で舞台演劇を組み合わせる方法によって、「ブッタの一生」、「悟りの道」等の場面を演じると共に、慈済人が経典を以て道としてきた実話を演じた。また優人神鼓のメンバーは、日頃の禅修の体験を動作に取り入れ、細かく説明できない抽象的な心境を舞台上に現した。
慈済の経蔵劇が他の宗教芸術パフォーマンスと異なる点は、毎回数百数千人の「演技は素人のボランティア」が参加していることである。彼らは寄付をしている会員だったり、コミュニティの住民または慈済ボランティアであったりするが、若者から九十歳代の年配者までが出演者となるだけでなく、早い段階からコミュニティの勉強会に参加して経典の内容を理解し、菜食をして斎戒し、敬虔な身心でもってこの大法会に共に臨んでいるのである。
「法海エリアの師兄や師姐の動作は、私の心を最も揺さぶりました。私たち劇団が担っているシーン全てが、より正確で且つ感動的な表現になりました」。歌劇団のメンバーは毎回ボランティアの整然とした動作が慈済の実話とピッタリ合っているのを目の当たりにして感動していたと、唐さんは語った。
『静思法髄妙蓮華』、『無量義・法髄頌』を合わせて計二十六回に及ぶ公演を予定した大規模な経蔵劇は、二〇二二年十二月の高雄を皮切りに、今年七月の彰化公演、そして十月の台北アリーナ公演に至るまで、北部、中部、南部、東部及び海外の多くの国へと、大愛テレビがライブ配信をしたので、みんながオンラインで繋がることができた。仏教ないし宗教界の舞台パフォーマンス史上でも珍しい出来事だと言えよう。
「私たちはこの経蔵劇を、宗教を問わず全ての人を結び付ける『大法会』と位置付け、広く各道場や教派の人々を鑑賞に招きました。それで、伝統的な仏教の法会の形式と異なったものになりました…」。花蓮静思精舎の徳傅(ド・フー)師父(スーフ)は、慈済大学一般教養課程で兼任講師をしている助教授だが、十数年前既に論文で次のように説明していた。「慈済が経蔵劇を演じることで行った『法会』は、『仏法』による『出会い』だと解釈できます」。
経蔵劇を演じることは即ち無量義を深く理解すること
『法華経・方便品』の経文に、「かくの如き諸々の妙音ことごとくを持って供養とし、或いは歓喜の心を以て歌唄して仏徳を頌し、乃至一小音をもってせしも、皆已に仏道を成じき」(新釈法華三部経2より)と書かれてある。舞台芸術を通して仏法を演じることは、敬虔な供養の表現とみなすことができるだけでなく、優美で荘厳なメロディーは仏典の中の偈を記憶させるのにも役立ち、次の世代へと歌い継ぐことができる。
證厳法師は、慈済の経蔵劇の目的とは社会教育にあるため、舞台では「経蔵を理解して実践する」気持ちで演じる必要があると開示した。
「経文を簡潔な文字に編集し、音楽のメロディーに合わせ、誰もが口ずさむようになれば、覚えやすくなります。また、舞台劇の方法であれば、大衆に喜んで仏法を受け入れてもらうことができます。これも慈済独特の弘法方法です。宗教、言語の制限を突破することができ、大衆に仏法の真善美を体験してもらうことができるのです」。
慈済の経蔵劇は、世代を超えて歌い継がれることを期待し、仏法の日常化や菩薩の人間(じんかん)化を唱えた「人間仏教」の道理を、より多くの人に理解してもらうと同時に、仏法が日常生活に根付くことが、まさしく法師と全ての慈済人の心からの願いであることを象徴している。
(慈済月刊六八四期より)
経蔵劇『無量義・法髄頌』の舞台で、唐美雲台湾オペラ団がプロの所作によって現したのは、シッダールタが王宮を出て、生老病死を目の当たりにして衝撃を受け、それにより一切を放棄することを決意し、解脱の道を求めたくだり。何列ものボランティアも、全身の動作でその心境を譬え、雰囲気を盛り上げた。(撮影・黃筱哲)