善行を習慣づける
「知」と「識」に加えて「行」が必要で、
絶えずより強く善の意識を持ち、
善の道を行くことを習慣づけることが大切です… Read More »
4月2日台湾鉄道タロコ408号列車事故─希望の光で真っ暗なトンネルを照らすよう祈る
タロコ号の脱線事故現場で、昼夜を分かたぬ復旧作業の結果、運行が再開された。引き起こされた極限の痛みに傷つき、あたか… Read More »
穏やかに人生を終える権利
長年にわたる医療ボランティアの経験からして、終末期では、患者と家族は理解すればするほど、積極的な治療を望まないよう… Read More »
0402台鉄タロコ408号事故 慈済ケア日記
事故概要
◎4月2日午前9時28分、408号(樹林発台東行)列車が花蓮県清水トンネル北口で線路上に転落したクレーン… Read More »
障害者を支える歳月─レンタルも販売もしないエコ福祉用具プラットフォーム
「慈済エコ福祉用具」には、エアベッド、車椅子、歩行器、杖などがある…
これらの物には、決まった持ち主がいるわけでは… Read More »
その車両に入ると
各地から駆けつけた消防隊員や救助隊員が全力を尽くし、
変形した車両の中へ出入りを繰り返した。
彼らは天使のように、… Read More »
豊かな善の循環
一月中旬、桃園国際空港の近くにある衛生福利部(厚生労働省に相当)立桃園病院で、新型コロナウイルスのクラスターが発生… Read More »
社会福祉人員が緊急災害支援の第一線に
重大死傷事故では、日常生活の些細な行いが役に立つ。
静かに寄り添うことが、時には声をかけることに勝り、最も良い慰め… Read More »
今まで通り善行する慈済
新型コロナウイルス感染症は世界秩序を乱し、人々の生活パターンを変えた。しかし、この一年間、コロナ禍は未だに終息が見… Read More »
四月の出来事
04・02
台鉄タロコ408号が午前9時28分、花蓮県秀林郷清水トンネルの入り口で事故を起こし、大勢の死傷者が出た… Read More »
運送・設置・指導 慈善の精神でトータルケア
経済的に余裕がない家庭で誰かが病気に倒れると、自宅での介護が必要になり、患者の家族はさまざまな介護器具の準備に慌て… Read More »
2020年歳末 貧困救済の配付活動
ハイチのボランティア・如済(ルージー)神父と張永忠(チャン・ヨンジョン)さんは台湾から届けられた白米をOPEPB総… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
證厳上人のお諭し
行脚の軌跡
百の流れは海へと帰る
四月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。