重大死傷事故では、日常生活の些細な行いが役に立つ。
静かに寄り添うことが、時には声をかけることに勝り、最も良い慰めの方法となる。
これほどの大きな災害では、被害者とその家族はリアルタイムで数多くの現実問題に直面する。肉親の入院期間中の衣食住などの生活や犠牲者の肉親が遺骨を持ち帰る手配などの事後処理の問題がある。慈済基金会の職員で、二十五年の経験を持つ社会福祉部門の陳珮甄(チェン・ペイジェン)さんは、こう振り返った。事故発生後、直ちに見舞金配付に関する業務に取り掛かった。続いて急いで花蓮慈済病院へ見舞いに行った。そして、次々に遺族が葬儀場に到着し、「その夜はボランティアが葬儀場で当直する必要があり、私も葬儀場に行って、そのまま翌日の午前四時まで当直を担当しました」。
陳さんはそうやって五日間支援していたが、その期間で最も心が痛んだのは、遺族が遺体の写真を一枚ずつ見せられて身元を確認していたことだった。事実を受け入れられない遺族や肉親が見つからない怒りをぶつけていた遺族、ⅮNA鑑定を待ち続ける遺族など様々だった。遺族は動転と悲しみで大きな打撃を受け、体調を崩して医者にかかる人もいた。
「政府の社会救済課のスタッフが慈済奉仕拠点にやって来て、ボランティアに診察に付き添ってもらえないかと尋ねました。私たちは交通手段の手配のほか、花蓮慈済病院の社会福祉室と連絡を取って、できる限り遺族がこれ以上の心配と悩みを抱えないように手伝っていました。例えば、医療費や健康保険証の携帯チェックなど細かいことです」。このような重大外傷事故では、社会福祉人員であってもボランティアであっても、こういう時は「静かに寄り添うことは声を掛けて慰めるよりも効果が大きく、適時に思いやりを与え、静かに側で付き添うのが最も良い慰めになる」と陳さんが言った。
陳さんの説明によると、慈済の社会福祉室スタッフとボランティアの葬儀場での役割は、主に状況を見て遺族の感情とニーズに応えてケアし、関連資源を探すことにある。この他、現場で他の機構のスタッフに飲料水やお茶を提供して支援することもある。例えば、遺体修復士の「76行者」という団体スタッフは迅速に花蓮に来て仕事に投入していたが、天気が変わって服が足りなかった時に、ボランティアがマフラーを提供して寒さを凌いでもらった。
「現場ではできる限りの事をして手伝っています」と彼女が言った。
慈善と医療の結合
事故で二百人余りの負傷者が病院に送られたが、花蓮慈済病院は直ちに五十八人を受け入れた。負傷者の回復状況が短、中、長期と様々なため、自治体が現地の宿泊施設と協力して無料の滞在施設を紹介する一方、慈済も近い距離でケアできるように病院の宿舎を遺族に提供した。
慈済基金會の社会福祉スタッフである蔡惟欣(ツァイ・ウエイシン)さんによると、毎日、患者と接触しているが、人それぞれニーズが異なるそうだ。多くの負傷者は他県の人なので、家族が看病に駆けつけた。帰りの切符が取れない場合には、ボランティアが手配を手伝った。また荷物やケータイを失って不安になっている患者のためには、関連先に探してもらうよう連絡を取った。「事故でメガネが損傷した人には、メガネ店を経営しているボランティアに協力してもらい、新しいメガネを作って、安心してもらったこともありました」。
また、慈済病院と基金会の社会福祉室スタッフが一緒に患者と家族の生活の世話、特に社会福祉室スタッフは家族に寄り添い続け、居住地域の慈済ボランティアと連携して、退院後のケアが必要かどうかも尋ねた。
「退院後にリハビリを続ける必要がある患者もいますので、経済面や生活面での問題が派生的に起きる可能性もあります。私たちは相手の意思を尊重しながら、最適な時期を見計らって尋ねています。もし必要があれば、その線で繋がりを持ち、病院で治療に専念してもらうと共に、家に帰ってからも安心してもらうようにしています」と彼女が言った。
退院を間近に控え、桃園に戻る予定だったある患者は、ボランティアが続けて見舞ってくれることを知ってとても喜んだ。患者の姪は、「叔父さんは、退院したら誰も構ってくれないのではないかと気落ちしていました。でも、今は家で療養することを楽しみにしていて、ボランティアの来訪を心待ちにしています」と蔡さんに話した。
「私たちの仕事は、日常生活の中の些細なことから支援し、交流しながら皆さんのニーズを汲み取ることです。将来、医療と慈善を結合させ、慈済のケア世帯として長期的に寄り添います」と彼女が言った。「皆で協力すれば、助けを必要とする人を一人たりとも見逃すことはありません」。
(慈済月刊六五四期より)