パパ、一番になったよ!

溢(イー)ちゃんはクラスのひょうきん者で、彼がいる所には笑い声が絶えない。

しかし、歌のソロコンテストでステージに上がる前は、皆が彼のことを心配した。

「本当に大丈夫だろうか」?

二〇二〇年八月、リラ傑人杯音楽コンクール花蓮地区大会が花崗中学校のコンサートホールで行われた。赤いマフラーをした溢ちゃんがステージに立ち、慈済の歌である「私の願い」を歌った。その時が彼にとって初めての独唱だったので、置き場に困ったのか小さな両手を硬く背後に組み、硬直した体を動かしてはいけないと思いながら、戦々恐々とした雰囲気の中で歌い終えた。

歌い終えると、溢ちゃんは審査員と観客に向けて礼をした。ステージ上での落ち着いた姿は、普段のヤンチャな様子とは結びつけることができなかった。彼を指導してきた陳嬥笙(チェン・ティアオション)先生がこらえきれず、「本当にあの活発で、落ち着きのない溢ちゃんなの?」と叫んだ。

今回のコンクールでは、「マカパハイ子ども団」が団体部門で優勝しただけでなく、個人部門でも素晴らしい成績をあげた。小学二、三、四、五、六年生と中学一年生などの組でそれぞれ優勝し、合計六つのトロフィーを勝ち取った。

小学二年生の組で一番になった溢ちゃんは、優勝したと聞いた時は信じられず、優勝の賞状とトロフィーを受け取ってやっと我に返り、興奮気味に「勝利の品」を持って仲間たちと喜びを分かち合った。そして、嬉しさのあまり、会場を出る前には既に賞状が破れてしまった。

慈済基金会慈善志業発展処東部社会福祉室のソーシャルワーカーである蔡惟欣(ツァイ・ウェイシン)さんは、コンクールの後で子供たちをマイクロバスで一人ずつ家まで送った時のことを振り返った。溢ちゃんは、バスが自宅前の路地に到着すると、ドアが完全に開き切るのも待ちきれず、跳び降りて出迎えに来た父親に向かって走って行き、喜びを分かち合った。

「一番になったよ!とお父さんに言ったのです」。そして、溢ちゃんの喜びにつりこまれて、皆が思わず笑い出したのだと蔡さんが語った。

ソーシャルワーカーの呉承澔(ウー・チョンハオ)さんによると、それは溢ちゃんの人生で初めてのトロフィーであり、初めて認められ、スポットライトを浴びる達成感を味わう機会となった。

溢ちゃんは手のひらに「大好き」と書き、恥ずかしそうにボランティアに感謝の意を表した。

天性の美しい歌声、その光芒は覆い難い

二〇二〇年に「マカパハイ子ども団」に入団した溢ちゃんは、兄弟の中では五番目で、上に四人の兄と姉がいる。普段は家族それぞれが生計の為に忙しくしていて、溢ちゃんは学校ではヤンチャで落ち着きがない。集中力に欠けるだけでなく、我慢が足りない。教師の協力を得て校内の特別指導を受けて改善に努めている。

彼も、慈済が主催する「東部地区ナビゲーターによるオンライン学習伴走計画」による付き添いの下で勉強している学童である。毎週の「オンライン伴走学習」でお互いに顔を合わせるが、ソーシャルワーカーは、「溢ちゃんはとても賢くて、反応が早く、学習能力も高いのです」と言う。ただ集中力が続かないため、学習効果がなかなか上がらないそうだ。小学四年生になってもまだ九九を完璧に暗唱できないし、衝動が抑えられずに怒りっぽくなってよく同級生と揉め事を起こす。

溢ちゃんが初めて合唱団に参加した時、他のメンバーと言い争いを始め、取っ組み合いになった。「なぜ叩いたり怒ったりしたのかを彼に聞いても、これといった答えはなく、ただ気持ちが高ぶって大声で叫ぶだけでした」と蔡さんが当時のことを思い返した。

合唱団の練習がある時はいつも、溢ちゃんは必ずゼンマイを巻いたかのように元気一杯になり、よそ見をしたり、席を立って教室中を走り回ったり、時にはメンバーに悪戯をした。溢ちゃんの悪戯は人の関心を集めたいからだ、と陳先生は気付いた。そこで、彼にステージで手拍子を取ってもらい、そして皆の前で、独りで歌ってもらった。

「私の側に立たせたのは実は彼への罰でしたが、歌い終わると、よくできたと褒めてあげました。彼を罰した後に褒め、最後にステージで歌うようにと励ましました」。陳先生は、彼に合わせることで、クラス全体の学習進行に支障が出ないようにした。また毎回「罰」を与える過程で、溢ちゃんは音感が鋭く、厚みがあってよく響く声の持ち主であることから、低音パートにとても適していることに気付いた。そのため、積極的に彼を独唱コンクールに推薦した。「初めは、本当に一人でステージに上がることができるのかと心配しました。思いもよらず、パフォーマンスがよく、二年生チームで優勝したのです」。

コンクールの前日、蔡さんは、メンバーが準備を怠って参加するのではないかと多少心配した。しかし、思いもよらず、コンクール当日、メンバーは全員ユニフォームに着替えると、様変わりしたようになり、そのパフォーマンスは素晴らしかった。その後、溢ちゃんが悪戯をしようとするたびに、「私たちは『君は一番でしょ』と言えば、彼は大人しくなり、落ち着いて授業を受けるようになりました。我々はこの「一番」は彼にとって、とても大切で非凡な意味があることを知っているのです」と言った。

子供の性格は生活経験から少しずつ形作られ、小学生の時は自己概念と自尊心を確立する大切な時期である。慈済大学児童発展及び家庭教育学部の張麗芬(チャン・リーフェン)助教授の説明によると、仮に子供が成長過程において励まされたり褒められたりしたことがない場合、「自分はダメな人間だ」というイメージができてしまう。しかし、同級生との触れ合いを通じて、子供はポジティブな自分になることができるのだそうだ。

華人社会では学業成績に重点が置かれがちなので、成績の良い子は認められやすい。溢ちゃんのように天性の歌声で周りに認められることで、自分を励ますことができる子もいる。「受賞」することで彼らは他人とは異なっていることを意識するようになる。

歌唱コンクールで獲得した優勝トロフィーは、食卓横の棚に置いてあるので、親子で食事をしながら顔さえあげれば見えるのである。

愛される能力を啓発する

マカパハイ子ども団にはもう一つの特徴がある。それは大学生を「サポーター」として勉強の伴走をしてもらうことである。蔡さんによると、合唱団を立ち上げた年の夏休み、同じタロコ族で特殊教育学を専攻していた「サポーター」の佩蓮(ペイレン)さんが、様々な方法で溢ちゃんとコミュニケーションをとる試みをした。二カ月にわたって優しく忍耐強く寄り添った結果、やっと溢ちゃんは心を開いて人と対話する気になり、適時に感謝の気持ちを表現した。夏休み最後の授業の時、溢ちゃんは自らボランティアに頼んで、佩蓮さんとツーショットを撮ってもらった。何故なら、「彼女にお礼を言いたかったから」である。

慈済のソーシャルワーカーは特殊教育の教師と連絡を取り合い、一緒に溢ちゃんの学習状況に関心を寄せた。ソーシャルワーカーの呉さんによると、今の溢ちゃんは周りの規則を心得ており、授業中は手をあげて、先生に聞いてから席を離れることを知っている。担任は、時には授業中に気が散ってよそ見をすることはあっても、もう悪戯はしないので、それだけでも大きな進歩だ、と語った。

長期にわたって寄り添うことで感情の絆ができたが、活動に参加することが、新しい知識や特技を習得できるだけでなく、団体の中で正しい人間関係を保ち、子供たちに「愛される」ことを学ばせる機会にもなっている。

「愛される」ことは強要ではなく、完全な信頼関係である、と張助教授が言う。人は相手を信頼しきった状況において、初めて愛される能力が発揮できる。「普段からあまり愛されていない子供は、誰かが彼を愛していることすら知りません」。

溢ちゃんのように合唱団で「自分も優しくしてもらえるのだ」ということを学び、困難に直面した時、他にも自分を表現する方法があり、ボディーランゲージや感情に走ることだけが問題解決になるのではないことを学んでいる。

張助教授は、アメリカの心理学者による一九九〇年のハワイ・カウアイ島における研究を例にあげた。七百人の不健全な家庭に生まれた「高リスクベビー」を対象に、四十年間にわたって追跡を続けた。研究で発見したことは、三分の一の子供は逆境を克服しただけでなく、成長してからも比較的健全な大人になった。そして、更に分析していくと、その良好な「回復力」を持った子供たちの周りには必ず、一人以上の「重要人物」が存在しており、成長過程で安定した支援を与えていたのである。

「子供は皆、前向きに励まして接してほしいと思っているのです」と張助教授が言った。逆に日常的に「叱られ続け」、「愛に渇望」している子供に、継続的且つ安定的に寄り添ってくれる人たちが存在しているのだと知ってもらえれば、交流するうちに彼らも正しいことを模倣するようになり、どうすれば愛されるかを学ぶようになる。

「マカパハイ子ども団」の存在は、きっかけとチャンスを提供することで、メンバーが集い、互いに家族のような存在になっていけば、絶えることのない温かさを感じ取ることができる、と私たちは信じている。

(慈済月刊六六三期より)

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