謝ることはそんなに難しいの?

問:

子供は結局ごめんなさいと言えないのでしょうか。 それとも自分の過ちを理解していないのでしょうか。

答:過失にしろ故意にしろ、誰でも過ちを犯すものです。過ちを犯した時に謝るのは美徳です。謝罪は深く反省した後に、心の底から出た、改心するという懺悔です。子供は成長過程で、過ちを犯すのは避けられません。素早く過ちに気づいて謝る子供も居れば、簡単には認めない子供も居ます。一体どんな原因で子供が謝らないのでしょうか。

親が模範行為を示していない

家は子供の最初の学校と言えます。親でも過ちを犯すものです。その時、必ずごめんなさいと言わなければなりません。何事も無かったかのような態度を取らないことです。親が模範行動を示さなければ、それを見ている子供は過ちを犯した時、同じように、様々な言い訳で過ちを隠そうとします。

ですから、親が良い手本になって、子供に過ちを犯した時に謝るという正直さを学ばせてください。将来、団体の中で共同生活の規則が守れないような影響が出てはいけません。

子供は罰せられることを怖がる

子供が過ちを犯した時、急いで子供に過ちを認めさせる親がいますが、脅したり叱ったりする親もいます。また、子供が過ちを認めても親から理解が得られず、逆に叱られてしまうと、次回からは罰せられることを避けるようになります。そういうことにならないように、親は心を静めて原因を理解することです。先ず、追咎したり癇癪を起こしたりしてはならず、柔和な口調で子供の過ちを指摘し、子供が愛と関心を感じるようになれば、拒絶することもなく、勇気を持って認めることができるようになります。

正直に謝るという社会の気風

最近、ある新聞記事が印象に残りました。ある子供がレストランで食事をした時、こっそりトイレクリーナーを化粧室にあった魚の水槽に入れたため、魚は全部死んでしまいました。店のオーナーは悲しみと怒りで、声明文を出し、死んだ魚の写真と事件の全容がネットで広がりました。ある母親はそれを見て、自分の子供がやったのではないかと思い、問い詰めたところ、子供は悲しくなって認めました。面白遊び半分でやったが、魚が死ぬとは思っていなかった。その後、親子は店に行って正直に話し、丁寧に謝ったため、店のオーナーに許して貰えました。

この心温まる誠実な事件がマスコミに報道されると、賛美の声が一斉に上がった。私たちのニュースやメディアにこのような実例がたくさん報道されれば、子供は謝ることでポジティブな反応が得られることを知るでしょう。しかしもし、社会全体が真心で過ちを認める気風がなければ、弁解するだけ得をし、子供たちが見聞きするうちに悪い影響を受け、弁解することを身につけてしまうでしょう。

自尊心を守るために

子供が次第に成長し、青春期に入ると益々、同年代の人からの視線を気にするようになり、多分、面子の為に、過ちを隠せるだけ隠し、結果は後で考えるようになります。特に過ちが兄弟や同級生との間に発生した時、個人的な自尊心を守る為に一層、隠したがります。

以前、クラスのある男子生徒が鼻くそを丸めて女子生徒に向かって弾くという遊びをしていました。女子生徒は私のところに訴えてきました。私はその男子生徒を呼んで事情を聞くと、彼は「女子たちは僕に偏見を持っていて、僕に濡れ衣を着せているのです。その鼻くそが僕のものだという証拠があるのですか」と言いました。しかし、三人もの生徒が、彼が鼻くそを弾いた時間と授業科目をはっきり指摘したので、彼は弁解を止めました。私は彼の自尊心を守るために、謝らせることはしませんでしたが、そのような行為を止めるようにと期待して、鼻くそ事件はそれで幕を閉じました。

静思語:「人は誰もが良知を持っています。現実に立ち向かう勇気を持って、懺悔と反省をすれば、自らの過ちに気づくでしょう」。私たちが子供に何の過ちを犯したかを指摘する時、子供は内心、既に過ちに気づいているはずです。その後に置くべき重点は、如何にして過ちを正すかで、謝るだけではありません。深く反省し、改めることができれば、謝るのはただの形式に過ぎません。親として形式にこだわる必要はないのです。

(慈済月刊六五二期より)

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